新線試乗記-西九州新幹線
2022年9月23日に開業した西九州新幹線に初乗りしようと、朝早い博多駅で特急「リレーかもめ」5号に乗り込んだ。新幹線区間は武雄温泉(たけおおんせん)~長崎間66.0km(営業距離は69.6km)だが、他の新幹線網から孤立しているため、そこまで在来線の特急列車でつないでいる。1980年代の東北・上越新幹線、2000年代の九州新幹線でも行われたことのあるリレー方式だ。
大村湾岸を行く「かもめ」号 大村市松原付近 |
駅や列車の行先表示もそれに準じて、この列車の終点である武雄温泉ではなく、最終目的地の長崎と記されていた。「運用上の都合により途中で乗換となりますが、間違いなく長崎まで参ります」ということだろう。同様に、長崎発の上り新幹線も、博多などリレー号の行先に合わせた表示になっているはずだ。
リレー5号の車両は、奇しくもかつて鹿児島本線の「リレーつばめ」に使われたグレートーンの787系だった。再招集に備えて改修もされたようだが、20年以上稼働してきて、テーブルやひじ掛けなどはくたびれが目立つ。とはいえ後述するように、これはいつ終了するか見通しの立たない任務だ。しばらくは老骨に鞭打ち頑張ってもらわねばなるまい。
(左)787系の「リレーかもめ」号 (右)行先表示は長崎 |
列車は鳥栖から長崎本線に入り、佐賀平野を進んでいく。ちょうどバルーンフェスタの会期中だったので、嘉瀬川(かせがわ)を渡る前後では、晴れた空に浮かぶ無数の熱気球を遠望できた。肥前山口から改称された江北(こうほく)駅を通過してしばらくすると、線路がすーっと高架に上がっていき、真新しいホームが車窓に現れた。
朝の空に熱気球が浮かぶ |
到着したのは、武雄温泉駅の10番線だ。向かい11番線のホーム柵の奥に、新幹線「かもめ」5号が扉を開けて待っている。東海道・山陽新幹線で走っているのと同形式のN700Sだそうだが、側面に描かれた大きな「かもめ」の筆文字や赤い細帯は、九州オリジナルの800系を連想させる(下注)。後で前頭部に回ったら、裾が赤く塗られ、独自性を強くアピールしていた。
*注 部分開通時代、800系の側面には「つばめ」の大きな筆文字があった。
武雄温泉駅新幹線ホーム 右のリレー号から平面乗換え |
N700S「かもめ」 (左)裾にJR九州色をまとう (右)側面には大きな筆文字(諫早駅で撮影) |
確かに「かもめ」は、800系「つばめ」のスタイルを踏襲している。6両編成で、指定席車と自由席車が3両ずつ、グリーン車はついていない。「つばめ」と違うのは、在来線の特急に合わせて長崎寄りの3両が指定席になっている点だ(下注)。
*注 「つばめ」は東海道・山陽新幹線に準じて、鹿児島中央寄りの3両が自由席。
指定席は2+2列で、隣席との間に大きなひじ掛けがあり、余裕のある座り心地だ。自由席を覗いてみたら、標準的な2+3列だった。走行距離が短いので、自由席利用が多いと見込んだのだろう。
(左)指定席は2+2列 (右)テーブルの代わりに大きなひじ掛けが |
長崎までの所要時間は、途中諫早のみ停車の速達便で23分、各駅停車で31分だ。博多~長崎間では最速1時間20分となり、在来線時代より30分ほど短縮されたのだそうだ。高速列車だから当然だが、走るルート自体、在来線より直線的で、特に諫早まではその感が強い。
既存の鉄道ルートには変遷がある。1898(明治31)年に開通した九州鉄道長崎線(国有化により長崎本線)は西回りで、早岐(はいき)を経由していた。現在の佐世保線、大村線のルートだ。1934(昭和9)年に有明海沿岸を走る現在の長崎本線が完成したが、これも多良岳の山麓をなぞる形で東へ迂回している。
佐賀~長崎間の鉄道ルートの変遷 |
一方、鉄道開通以前の長崎街道は、この間をできるだけ短距離で結んでいた。おおむね今の国道34号に相当するが、問題は、佐賀・長崎の県境にある標高190mの俵坂峠だ。峠の西斜面は高度差が大きく、鉄道を通すなら急勾配の長い坂道が必要になっただろう。新幹線はこの峠をトンネルで貫くことで、既存の鉄道では成しえなかった直線的なルートを実現しているのだ(下注)。
*注 なお諫早~長崎間の在来線も、旧線である長与(ながよ)経由、新線の市布(いちぬの)経由の2ルートがある。
◆
話を武雄温泉駅に戻そう。リレー号と「かもめ」はわずか3分の接続なので、せいぜい記念写真を撮る程度の時間しかない。それで駅の詳細は、後で再訪して観察した。まずプラットホームだが、新幹線は対面式で、今乗換えた11番線から複線の線路を隔てて12番線のホームがある。新幹線全通時にはこれが下りホームになるわけだが、今のところ客扱いはしていない。
一方、在来線は10数年前から同じレベルの高架ホームが供用されていて、こちらは片面と島式の2面構成だ。北側の片面ホーム(1番線)が上り博多方面、島式の片側(2番線)が下り佐世保方面になる。島式のもう片側はリレー号が入る線路に面しているが、柵があって乗降はできない。リレー号には新幹線側のホーム、すなわち新幹線改札からしかアクセスできないようにしてあるのだ。
武雄温泉駅配線図(2022年9月現在) |
武雄温泉駅 (左)リレー号が発着する10番線 (右)新幹線12番線は閉鎖中 |
そのため、この駅から在来線の特急列車に乗ろうとする客には、在来線と新幹線、どちらの改札を通るべきかという悩ましい問題がつきまとう。リレー号だけではない。博多~佐世保間の特急「みどり」などはふつう1・2番線に入るが、リレー役を担う便も一部ある(下注)。その場合10番線を使うので、佐世保方面へ行く客であっても、新幹線の改札から入る必要があるのだ。
*注 特急名称が「みどり(リレーかもめ)」「ハウステンボス(リレーかもめ)」になっている便。10番線を使う場合、在来線改札口の電光掲示板には、番線の欄に「新幹線→」と表示される。
在来線改札では、特急券を提示した客に係員が「この列車は新幹線改札の方から」と説明しているのを見かけた。地元の人はそのうち慣れるだろうが、一度きりの観光客にはずっとこの対応が続くことになる。
(左)在来線ホーム、リレー号が入る側には柵が (右)在来線改札口 |
駅は傾斜地に位置しているらしく、新幹線側から見ると、在来線コンコースは1段上だ。この間をエスカレーターとエレベーターが結んでいる。出口は、北が楼門口、南は御船山(みふねやま)口という名がつく(下注)。土地鑑のない者にはかっこ書きで添えられた北口、南口のほうがわかりやすいが、これも観光開発の一環なのだろうか。
*注 楼門も御船山も、武雄の観光名所。他の駅も同じように出口に個別地名などを用いている。
御船山口(南口)ファサード |
さて、「かもめ」5号は定刻に武雄温泉を出発した。進行方向右側の窓から、在来線の架線柱が遠ざかっていくのが見える。と思ううちにトンネルに入り、その後も断続的にトンネルの闇が来た。
次の嬉野温泉までは10.9kmと駅間が最も短く、所要わずか6分だ。そのうえ、到着の3分前には「まもなく嬉野温泉です。お出口は左側です」と、案内アナウンスが始まる。往路は各駅を訪ねるつもりなので、席に落ち着く間もない。
嬉野温泉駅 (左)名産の茶畑を背に駅へ進入 (右)下りホーム |
嬉野温泉は、既存の鉄道がなかった町(下注)にできた新駅だ。停車するのは2本に1本程度で、日中は次の列車まで2時間空いてしまう。それで本数が多い朝のうちに来ておく必要があった。
*注 歴史を遡れば、祐徳(ゆうとく)軌道と肥前電気鉄道で武雄や肥前鹿島と結ばれていた時代があるが、1931(昭和6)年という早い時期に廃止されている。
町は、武雄と並ぶ佐賀県西部の温泉地として知られている。駅が設けられたのは市街地の東のはずれだが、周辺には道の駅や基幹病院が建って、都市開発が進行中だ。しかし、この時間に改札を出てくる人はほとんどなく、構内は静まり返っている。駅前の停留所にJRの路線バスがやってきたが、乗降がないまま出ていった。
(左)塩田川口(東口) (右)改札口 |
次の「かもめ」を待ち、自由席の客となる。近年開業した新幹線はどこもそうだが、高い防音壁のために車窓の視界は遮られがちだ。だが嬉野温泉を出ると、防音壁の一部が透明になっている個所があり、温泉街の一角を目にすることができた。
しかしそれもつかの間、すぐにトンネルだ。県境の俵坂峠の下に掘られた俵坂トンネルで、5705mと路線第2の長さがある。続くいくつかのトンネルの間では一瞬海が見えるが、やがて平地に出て、大村湾の景色が開け始めた。
車窓に大村湾の景色が |
新大村駅は大村市の中心街の北方、空港通りと交差する地点に設けられた。並走する大村線にも新駅が開設され、乗換えが可能になっている。空港通りは、長崎自動車道の大村インターと大村湾に浮かぶ長崎空港を結ぶ大通りなので、これで高速道路、新幹線、空港が一つの軸に揃ったことになる。
駅の玄関が東側(山側)にだけ向いているのは、意外だった。用地の関係かもしれないが、人家の多い西側へは地下道を通る必要がある。大村線の駅は、新幹線駅舎にひさしを借りた形の無人駅で、ホーム上に券売機とICカードの簡易改札機が並んでいた。これも線路の東側なので、直接西側には行けない。
新大村駅 (左)さざなみ口(西口)広場、駅舎手前に大村線が走る (右)駅名標と開業ポスター |
(左)在来線は無人駅 (右)松原駅 |
ここでいったん駅の巡歴を中断し、大村線の上り列車に乗り換えて、松原駅に向かう。目的は、駅から山手を1km強上ったところにある新幹線のお立ち台だ。
新大村駅を後にした上り「かもめ」が最初のトンネルに入ろうとする場所で、防音壁に遮られることなく車両の足回りまで見える(冒頭写真参照)。背景は大村湾に臨むパノラマなので、舞台装置も申し分ない。通りがかった地元の人の話では、試運転のころは見物人がずらっと並んだそうで、自販機を置いたら飲み物がよく売れたという。
お立ち台から大村市街地と湾奥の眺め |
中央後方に小さくYC1系シーサイドライナーの姿も |
松原駅に戻り、大村線でそのまま諫早(いさはや)へ。諫早駅の前後では、新幹線の線路が珍しく地平を走っている。そのため、新幹線から降り立っても、長いエスカレーターで出口へ「上って」いくことになる。階上の広い自由通路には、新幹線と在来線の真新しい改札口が並んでいた。以前来たときは地上駅舎だったが、ガラス張りの立派な駅ビルに建て替わり、昔の面影は全くなくなっている。
諫早は、長崎本線と大村線、島原鉄道が接続する鉄道の要衝だ。新幹線開業で在来線から特急の姿が消えたとはいえ、長崎方面へは通勤通学需要が高く、朝夕は毎時4~5本、日中でも毎時3本(いずれも長与経由を含む)の列車が走っている。島原鉄道の駅もビルの一角だが、こちらはエスカレーターを降りた地平(地上階からは少し上がる)にあった。
諫早駅 (左)東口ファサード (右)上りホーム、エスカレーターは階上へ上っていく |
(左)階上の自由通路 (右)「かもめ」マークのデコレーション |
さて諫早を出ると、「かもめ」号は在来線上り線に沿って、急カーブで市街地のトンネルを抜ける。それからおもむろに速度を上げて長崎へ向かう。この区間もほとんどがトンネルだ。最後に通過する7460mの新長崎トンネルが、路線最長になる。
この中で減速が始まり、闇を抜けたときには、列車はもう徐行に移っている。トンネルの出口から駅のホーム端まで500mほどしかなく、心の準備もあらばこそ、いきなり車窓に長崎駅が現れる。
長崎駅 (左)朝日を浴びて「かもめ」到着 (右)折返し上り列車に |
新幹線駅は2面4線で、発着本数からすれば余裕を持たせた構内だ。西隣の一段低い位置には、在来線のホームが並行している。どちらも高架上で視点が高く、車止めの先に素通しで港の風景が見渡せるので、明るく開放的な雰囲気がある。新幹線駅の先端の柵に「日本最西端の新幹線駅」と記された銘板を見つけた(下注)。このタイトルが破られることはまずないはずだ。
*注 これまでタイトルを保持していたのは、九州新幹線の川内駅だった。
車止めの先は港の風景が素通しで |
日本最西端の新幹線駅の銘板 |
(左)新幹線改札口 (右)指定券券売機 |
ひととおり記念写真を撮った後、エスカレーターで出口へ向かった。線路がすべて高架化されたので、駅の地上部には広く平らな自由通路が設けられている。しかし、整っていたのは構内だけで、駅前はまだ工事の真っ最中だった。
駅は元の位置から150mほど西へ移転したので、電車通りである国道202号(新浦上街道)との間に広い空間が生まれた。しかし、市内電車(長崎電気軌道)や路線バスの乗り場は移っていないため、市内に出ようとすれば、仮設通路を延々と歩いていく必要がある。新幹線効果で、今まさに旅好きの人々の関心が長崎に向いているはずだが、整備事業が完成するのは3年後の2025年だそうだ。
駅前は整備工事中 仮囲いの外側を延々歩かされる |
◆
駅前整備は到達目標があるのでまだしも、西九州新幹線の将来の見通しはまったく立っていない。知られているとおり、この路線は今を遡る50年前、1973年に計画決定された5本の整備新幹線の一部だ。その後、武雄温泉~長崎間はフル規格(標準軌の新幹線方式)で建設するものの、残る新鳥栖~武雄温泉間は線形の良好な狭軌在来線を活用して、軌間可変のいわゆるフリーゲージトレインを走らせる計画が立てられた。
しかし、新幹線と在来線の両方で十分なパフォーマンスを発揮できる車両というのは、開発のハードルが高かった。さらに、実用化されても高コストになることが問題視されて、結局、今回の導入は見送られてしまう。JR九州や長崎県は全線のフル規格化による開業を希望しているが、通過する佐賀県が、費用の負担増に見合うメリットが少ないとして、まだ複数の整備方式やルートを比較検討している段階だ。
開業前の座席模型展示(2022年6月、長崎駅で撮影) |
話がうまくまとまったとしても、その段階で改めてさまざまな準備作業が開始される。また、仮に在来線を生かす方式なら、1時間に片道2~3本(下注)の特急列車が行き交う特急街道を維持しながらの工事になる。それを考えると、先は長い。おそらく九州新幹線の時とは違って、「かもめ」号が西九州で孤軍奮闘する時代がかなりの期間続くことになるのだろう。
*注 従来、「かもめ」と「みどり(・ハウステンボス)」の毎時2本体制だったが、西九州新幹線開業後はそこに肥前鹿島方面の「かささぎ」が加わり、時間帯によっては3本体制になっている。
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