ライトレールの風景-叡電 鞍馬線
叡山(えいざん)電鉄、略して叡電の鞍馬(くらま)線は、叡山本線の宝ヶ池(たからがいけ)で分岐して、洛北の観光地、貴船(きぶね)や鞍馬へのアクセスを提供している8.8kmの電化路線だ。
叡山本線が開通した3年後の1928(昭和3)年から翌年にかけて、鞍馬電気鉄道により段階的に開業した。1942(昭和17)年に京福電気鉄道との合併で鞍馬線となり、1986(昭和61)年からは、分社化で設立された叡山電鉄が運行している(下注)。
*注 本稿では、過去の記述を含めて叡電鞍馬線と記す。
もみじのトンネルを抜ける 市原~二ノ瀬間 掲載写真は2019年4月~2022年11月の間に撮影 |
叡電路線図 |
建設の経緯から見れば支線なのだが、電車は叡山本線と同じようにターミナルの出町柳駅が起点だ。しかも、叡山本線が単行(1両)なのに対し、鞍馬線には主に2両固定編成が投じられる(下注)。沿線に住宅地が広がり、高校や大学もあって、通勤通学での利用者がけっこう多いからだ。
*注 市原駅での折返し便など、700系単行で運行されるものも一部ある。
ついでに言えば、市販の時刻表の索引地図では鞍馬方面が道なりで、八瀬(やせ)方面はむしろ枝分かれするかのように描かれる。つまり、本線以上に本線の風格を備えた路線、というのが鞍馬線の実態だ。
出町柳駅の鞍馬線ホーム |
車両群の主力を担っているのは、2両固定編成の800系と呼ばれるグループだ。1990年代前半に次々に導入されて、創業以来の古参車だったデナ21形を置き換えた。車体の塗装はクリーム地に2色のストライプとシンプルだが、ストライプのうち上部の1色は、編成によって緑、ピンク、黄緑、紫と変わる。
また、815・816号の編成は「ギャラリートレイン・こもれび」と称し、車体全体に四季の森とそこに暮らす動物たちが描かれている。ただ、絵柄が細か過ぎるからか、遠目にはにぎやかな落書きのように見えてしまうのが惜しいが。
800系 (左)クリーム地にストライプの標準塗装車 (右)「ギャラリートレイン・こもれび」 |
800系に次いで、1997~98年に新造で投入されたのが900系「きらら」だ。2編成あり、塗装は当初、901・902号が紅色(メープルレッド)、903・904号が橙色(メープルオレンジ)だった。後に紅色編成が、青もみじをイメージした黄緑に塗り直され、現在はこの2色で走っている(下注)。
*注 車体の下部は各編成共通で、金の細帯と白塗装。
橙と黄緑の900系「きらら」 |
沿線風景を広角で鑑賞できるように、内装は側天井や扉下部もガラス張りだ。また、座席は、鞍馬に向かって先頭車両が左側1人掛け、右側2人掛け、後部車両はその逆で、いずれも中央部の2人掛け席は伊豆急のリゾート21のように窓を向いている。伊豆の海の代わりに、比叡山や鞍馬川の谷間が眺められる。
登場から早や25年が経過したとはいえ、「きらら」はいまだに叡電の看板電車だ。森が赤や黄色に染まる季節はとりわけ人気が高く、800系より明らかに混雑している。運行時刻は公式サイトに掲載されるが、ロングシートの800系に比べて座席定員が少ないこともあり、この時期に座れたら幸運と思わなければいけない。
「きらら」の内装 (左)広窓のパノラマ仕様 (右)中央の2人掛けは窓を向いて固定 |
電車はすべて各駅停車で、朝と夕方以降にある市原駅折返し(下注)や入出庫便を除いて、出町柳~鞍馬間の全線を往復している。日中15分ごとの運行だが、紅葉シーズンの休日は特別ダイヤで、13分間隔まで詰まる。山間部は単線のため、叡山本線のようなピストン輸送はしたくてもできないのだ。ふだんはワンマン運転で、最前部の扉から降車するが、このときばかりは乗員も2人体制になり、すべての扉を開放して、混雑をさばいている。
*注 市原駅折返し便は、主に通勤通学需要に対応している。
◆
出町柳から宝ヶ池までの各駅のようすについては、前回の叡山本線を参照していただくとして、今回はその分岐点から話を進めよう。
宝ヶ池駅に着く直前、鞍馬線は複線のまま、平行移動のように左へ分かれていき、3・4番線に収まる。ホームの案内や駅名標に使われている色は、各路線のシンボルカラーだ。叡山本線は山の緑、鞍馬線はモミジの赤だが、後者は鞍馬方面への電車が来る4番線にだけ見られる。
左に平行移動して宝ヶ池駅へ |
案内表示はシンボルカラーで色分け |
駅を出て右にそれていく叡山本線に対して、鞍馬線は北へ直進し、高野川橋梁を渡る。橋は、大原から若狭湾岸へ抜ける国道367号(若狭街道)もいっしょにまたいでいて、右の車窓から比叡山がひときわ大きく見えるビューポイントだ。ちなみにここは叡電の撮影地の一つでもあり、西側にある府道の花園橋から、比叡山を背にして、電車と鉄橋が川面に映る構図が得られる。なにぶん市街地化で電線や建物が増えて、興趣がそがれつつあるが。
比叡山を背に高野川橋梁を渡る |
少し行くと一つ目の駅、八幡前(はちまんまえ)がある。叡山本線で言及した三宅八幡宮へは、ここで降りるのが近い。朱色に塗られたホーム柵が、最寄り駅であることをさりげなく告げている。
この後、鞍馬線は岩倉盆地の縁に沿うようにして、西へ向きを変えていく。このような経路を取るのは、山際に位置する八幡宮や、かつての岩倉村(現 左京区岩倉)の中心部に近づけるためだろう。盆地の南部は土地が低く、高野川に出口を押さえられた岩倉川が氾濫しがちで、昔は一面、沼田だった。宅地化が進むのは、河川改修と土地区画整理が終了した1970年代以降のことだ。
八幡前駅、700系が多客時の助っ人に |
岩倉盆地の変遷 (上)1931(昭和6)年図 鞍馬線は田園地帯のへりを行く (下)2022年図(地理院地図) 盆地全体が市街地化 |
左カーブの先に、岩倉(いわくら)駅が見えてくる。実相院や岩倉具視(いわくらともみ)の旧宅は、旧村の中を北へ1km、また、かつて叡電経営の脅威となった地下鉄の終点、国際会館駅へは南へ約1kmだ。複線区間はまだ続いているが、長らく岩倉以遠は単線で(下注)、複線に戻されたのは1991(平成3)年、鴨東線の開業による利用者の増加で増発が必要になってからだ。
*注 開業時は市原まで複線だったが、1939~44年にかけて鞍馬線全線が単線化、1958年に岩倉まで再複線化、1991年に二軒茶屋まで再複線化。
岩倉駅 |
次の木野(きの)駅周辺でも土地区画整理は完了し、住宅が建ち並ぶが、田畑もまだいくらか残っている。ここを通ると、すぐ南にあって乱開発の象徴と言われた一条山、通称モヒカン山が思い浮かぶ。長い間、モヒカン刈りのような無残な姿を晒していたが、斜面が緑化され、残りはすっかり住宅地に変貌している。今では電車から眺めても気づかないくらいだ。
木野駅 |
京都精華大前(きょうとせいかだいまえ)駅は、1989年に開設された叡電で最も新しい駅だ。上下ホームの連絡通路を兼ねた、キャンパス直結の跨線橋が頭上に架かる。芸術系の大学らしい凝った形状をしているが、銘板によると名称はパラディオ橋で、イタリアの建築家アンドレア・パラーディオが残したトラス橋の原型を再現したものだそうだ。
京都精華大前駅とパラディオ橋 |
谷が狭まってきたところで、二軒茶屋(にけんちゃや)駅に停車する。岩倉盆地の西の端だが、宅地化の波はこのあたりまで及んできている。それとともに、駅前から京都産業大の通学バスが出ているので、朝夕を中心に学生の乗降がかなりある。
複線区間はここまでだ。下り線は、駅の西側で引上げ線になって途切れている。昔の複線用地が右側に残る(下注)のを横目に見て、電車は河川争奪の痕跡である市原の分水界を乗り越えていく。初めて50‰の勾配標が現れるのもこの上り坂だ。
*注 架線柱とビームも複線用地にまたがっている。
二軒茶屋駅を後にして単線区間へ |
(左)幅広の架線柱は複線時代の名残 (右)市原の分水界 |
市原(いちはら)は鴨川の支流、鞍馬川の谷間に開けている。駅があるのは、旧集落の山手で、棒線駅にもかかわらず、ここで折返す電車のために、出発信号機が立っている。開業時は複線区間の終端だったので、ホームのすぐ先で鞍馬川を渡る市原橋梁に、複線分の橋脚が見える。当時の渡り線は、川向うにあったらしい。
(左)出発信号機のある市原駅 (右)市原橋梁の橋脚は複線仕様 |
市原橋梁を渡る上り電車 |
ここからはいよいよ山岳路線だ。電車は、鞍馬川の深い渓谷に吸い込まれていく。次の二ノ瀬駅との間にある約400mの区間は、線路の両側にカエデの木が育ち、晩秋にはみごとなもみじのトンネルを作る。パノラマビューの「きらら」にとって、最大の見せ場だ。「きらら」に限らず、ここを通過する電車は徐行運転され、鮮やかな錦秋の景色を愛でる時間を与えてくれる。車内では運転席の後ろが、スマホやカメラを構えた人たちでいっぱいになる。
(左)もみじのトンネルを行く (右)運転席の後ろは人だかり |
もみじのトンネルを抜けると、鞍馬川を渡る二ノ瀬橋梁がある。下り電車は、二ノ瀬駅の場内信号確認のため、この橋の手前で一旦停止する。橋の下に目を落とすと、道路脇で列車の通過を待ち構えていた撮り鉄たちの姿があるかもしれない。紅葉区間や鉄橋のたもとには立ち入れないため、撮影スポットは事実上ここに限定されている。
二ノ瀬橋梁下の道路からの眺め |
二ノ瀬駅があるのは、谷間の集落を見下ろす山腹だ。単線区間で唯一、交換設備を有する駅で、上下列車が行き違う。ダイヤ通りなら、上り出町柳行が先着して、鞍馬行の到着を待っている。なかば信号場のようなものなので、降りるのはハイカーか、近くの白龍園という日本庭園の特別公開に行く客だ。
上りホームにはログハウス風の待合所が建ち、その傍らに、クワガタムシの顎を模したという2対の庭石が置いてある。行き違いを終えた電車が北山杉の森陰に消えると、再び駅に静けさが戻り、鳥のさえずりが聞こえてくる。
二ノ瀬駅で列車交換 |
二ノ瀬駅 (左)ログハウスの待合所 (右)駅に通じるのは階段の徒歩道だけ |
線路はこの後、50‰の急勾配と急曲線で、谷の西側の山裾をくねくねと上っていく。2020年の夏から1年2か月もの長い運休の原因となった土砂崩れ区間を静かに通過する。
貴船口(きぶねぐち)は、京の奥座敷と呼ばれる貴船への下車駅だ。夏場は納涼の川床料理が名物だが、貴船神社など紅葉も美しく、シーズンにはここで車内の乗客が半減する。築堤下にあった古い木造の駅舎は2020年の全面改築で、階段が広げられ、エレベーターもついた。なお、貴船の中心部へは谷を遡ること約2km、歩けば30分近くかかる。駅前から路線バスに乗るほうがいいだろう。
貴船口駅 (左)もみじに包まれたホーム (右)改築された駅舎 |
「渡らずの橋」を渡る |
貴船口を出発した電車は、カーブした鉄橋を渡るが、これは、蛇行する鞍馬川を串刺しにしている「渡らずの橋」だ(下注)。その後、50‰勾配で上りつつ、叡電唯一の(本物の)トンネルを抜ける。さらに2回鉄橋を渡ったところで、山腹の坂道の前方に場内信号機が見えてくる。車内に「くらま、くらま、終点です」とアナウンスが響き、出町柳駅から31分で、電車は鞍馬駅の櫛形ホームに滑り込む。
*注 名称は第一鞍馬川橋梁と第二鞍馬川橋梁だが、実態は連続している。
鞍馬駅、構内は1面2線 |
鞍馬駅は1面2線の構造だ。余裕のあるホーム幅を生かし、繁忙期には乗車降車の動線を分けて客をさばいている。駅舎は、重層の入母屋屋根に対の飾り破風をつけた寺社風の造りで、内部には、格子天井から和風のシャンデリアが下がる広い待合室がある。欄間に赤い天狗の面がいくつも掛かり、対面に火祭りに使う松明が吊ってあるのも、ご当地ならではだ。
入母屋屋根の鞍馬駅舎 |
待合室には当地ゆかりのオブジェも |
鞍馬天狗の面は、駅前広場にさらに大きなモニュメントがある。先代のものは雪の重みで長い鼻が折れたため、一時は傷跡に絆創膏が貼られ、話題を呼んだ。2019年に設置された2代目は、彫りが深く、眉や口髭が強調されて、より芸術的な顔つきになった。また、天狗の奥で目立たないが、1995年に廃車となったデナ21形21号車の前頭部と車輪も保存されている。この形式では唯一残る貴重なものだ。
(左)駅前広場の鞍馬天狗 (右)デナ21形の前頭部と車輪 |
最寄り駅から境内までかなり歩かされる神社仏閣もあるなか、鞍馬寺の場合は、駅前から石段下まで200mもない。町並みはまだ上流へ延びているものの、土産物屋が並ぶ門前町はあっけなく終わってしまう。しかし鞍馬寺の参道は、仁王門をくぐってからが長く、しかも険しい坂道だ。それで、足許の不安な参拝者のために、小さなケーブルカー、鞍馬山鋼索鉄道が運行されてきた。
鞍馬寺、正面は仁王門 |
乗り場は仁王門のすぐ上にある。鉄道事業法に基づくものとしては日本一短く(山門~多宝塔間191m)、お寺(宗教法人鞍馬寺)が運営し、運賃ではなく寄付金(一口200円、下注)を納めた人だけが乗れる、という何重にも珍しい路線として、鉄道愛好家にはよく知られている。
*注 鞍馬寺の境内に入る際、愛山費(拝観料)300円が別途必要。
寄付金としているのは、税法上の収益事業とみなされないための措置で、券売機でチケットを買うことに変わりはない。とはいえ実際、営利目的の運行ではなく、利用者の集中を避ける意味もあるのだろう。「おすすめ」として「健康のためにも、できるだけお歩き下さい」と書かれた案内板が、乗り場の手前に立っている。
往路は乗り鉄するとしても、復路は杉木立の参道を歩いて降りながら、霊気漂う境内の雰囲気にじっくりと浸りたいものだ。
鞍馬山鋼索鉄道 (左)杉木立を上る (右)多宝塔駅(上部駅)と車両 |
掲載の地図は、陸地測量部発行の2万5千分の1「京都東北部」(昭和6年部分修正測図)および地理院地図(2022年12月2日取得)を使用したものである。
■参考サイト
叡山電車 https://eizandensha.co.jp/
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