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2022年11月16日 (水)

ライトレールの風景-嵐電 北野線

前回の嵐山本線に続いて今回は、嵐電(らんでん)のもう一つの路線、北野線を訪ねてみたい。

北野線は、西大路通と今出川通の交差点に臨む北野白梅町(きたのはくばいちょう)と、嵐山本線に接続する帷子ノ辻(かたびらのつじ)とをつないでいる。その間に駅が8つあるので、そこそこ長いように錯覚してしまうが、全線で3.8kmだから、実際歩いても1時間かからない小路線だ。

京都市街でも山手のほうを走る北野線の沿線には、有名寺院の境内や落ち着いた風情の住宅街が広がっている。嵐山本線ほど混まないので、四季折々、車窓を彩る花や草木に目を和ませながら、ゆったりと乗車体験が楽しめるだろう。

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桜咲く御室川橋梁を渡る
掲載写真は2019年4月~2022年11月の間に撮影
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嵐電路線図
 

起点の北野白梅町駅は最近リニューアルされて、雰囲気が一変した。以前は平板なファサードと無骨な切妻屋根に覆われた薄暗い乗り場の駅だったが、2021年3月に完成した改築工事で、和風の屋根を載せたガラス張りのモダンな駅舎が建てられた。嵐山駅のきものフォレストを連想させる付け柱には、よく見ると日本画の様式で白梅が描かれている。

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改築された北野白梅町駅
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(左)白梅が描かれた付け柱
(右)待合室と案内窓口
 

ホームへは、素通しのエントランスを通って入る。四条大宮駅と同様の、3面2線の造りだった構内は、縮小されて2面1線になった。ただしホームが延長されていて、2編成を縦列収容できるようだ。1線化により捻出されたスペースには、バス乗り場が設置されている(下注)。

*注 この乗り場には、金閣寺方面へ行く京都市バスの急行102系統が、ルート変更により停車していたが、コロナ禍で早々と運行休止になり、今(2022年11月)に至るも使われていない。

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(左)2面1線になった構内
(右)ホームとバス乗り場が隣接
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かつての北野白梅町駅(2019年4月撮影)
(左)正面 (右)切妻屋根のかかる3面2線の構内
 

歴史を紐解くと、嵐電北野線が全通したのは1926(大正15)年のことだ(下注1)。当時の線路は東へあと400m延びて、北野天満宮の参道脇に起点の北野駅が置かれていた。つまり、天神さんと嵐山方面を結ぶために建設された一種の参詣鉄道だったのだ。

ちなみに、北野天満宮前には、すでに1912(明治45)年から市電堀川線(北野線ともいう、下注2)が開業しており、京都駅前との間に路面電車が走っていた。下の図1にその状況が描かれている。

*注1 当時は京都電燈、1942年から京福電気鉄道。本稿では過去の記述を含めて嵐電と記す。
*注2 開業時は京都電気鉄道。1918(大正7)年に京都市に買収されて市電の一部となった。1435mm標準軌の路線網のなかで廃止まで1067mm軌間で残されたため、車両は、ナローゲージ(狭軌)の頭文字Nから始まる車番にちなんで N電と称された。

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北野天満宮一の鳥居
 

昭和10年代に、南北に走る西大路通(にしおおじどおり)が建設された。図2に見られるとおり、その路上に市電西大路線(下注)が開業し、北野線と平面交差した。交差点付近に、乗換駅として白梅町が開業したのもこのときだ。

*注 市電西大路線は、1936(昭和11)年に交差点より北側のわら天神前~白梅町間が先行開業し、1943(昭和18)年に平面交差を含む南側の白梅町~西ノ京円町間が開業して、西大路線が全通。

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北野白梅町付近の変遷 I
図1 1928(昭和3)年図 北野天満宮の参道脇に北野駅があった
図2 1951(昭和26)年図 西大路通と今出川通が開通し、嵐電と市電が交差
 

しかし戦後、1067mmのナローゲージで残っていた市電堀川線の廃止と絡んで、今出川通(いまでがわどおり)の千本今出川以西に市電の路線が延長されることになり、重複する北野~白梅町間は1958(昭和33)年に廃止された。白梅町駅が北野白梅町に改称されるとともに、ターミナルの駅舎が造られた。図3が当時の状況だ。

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北野白梅町付近の変遷 II
図3 1961(昭和36)年図 嵐電が北野白梅町まで後退、今出川通に市電開通
  (1:10,000図は刊行されていないため、1:25,000図を拡大)
図4 2003(平成15)年図 市電全廃により嵐電だけが残る
 

その後、1970年代に市電は全廃、バス転換されたため、今では嵐電北野線だけが、ぽつんと残された形になっている(図4)。今出川通に路面軌道を復活させて、市街東部の叡山電鉄(叡電)と接続する構想もあるのだが、市の財政難と道路渋滞の懸念により、一向に進展する気配はない。

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北野線跡
(左)北野白梅町から今出川通を東望、旧線は奥へ直進していた
(右)嵐電北野駅跡は仏教系の博物館に

北野白梅町駅に話を戻すと、線路を挟む2面のホームは、帷子ノ辻に向かって左側が降車用、右側が乗車用だ。電車が到着すると、降車ホームの出口に係員が立ち、改札業務を行う。では、早朝深夜を除いて10分間隔で運行されている電車に乗って、帷子ノ辻へ向かうとしよう。

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(左)北野白梅町駅到着ホーム
  電車到着時は改札員が立つ
(右)線路の両側に狭い道路が並走
 

駅を出ると、住宅街の中をほぼ直線で西へ進んでいく。線路の北側に並行するのは、今出川通の続きの、歩道すらない2車線道だ。それも馬代通(ばだいどおり)との交差点(下注)で終わり、先はさらに狭くなる。

*注 ここに小松原駅があったが、北野~白梅町間廃止と同時に廃止された。

まもなく一つ目の駅、等持院(とうじいん)に着く。等持院というのは、北へ歩いて4~5分のところにある足利家の菩提寺で、見ごたえのある庭園で知られる。その裏手には立命館大のキャンパスが広がっているので、電車通学の学生が毎朝、住宅街の細道を上っていく。駅は2020年に等持院・立命館大学衣笠キャンパス前に改称され、いっとき日本一長い駅名になったが、まもなく富山市内にこれより長い駅名が誕生して、あっけなくタイトルを奪われた。

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等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅
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(左)一時は日本一長い駅名に
(右)等持院道と交差
 

次の龍安寺駅との間は250mしかない。北側にもう1線分の用地が確保されているので、後で見る鳴滝~常盤間と同じように、部分複線にする計画だったのだろう。一方、線路の南側は桜並木を透かして、往年の高校野球の名門、京都商業(現 京都先端科学大学付属中高)のグラウンドが見える。

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等持院~龍安寺間の桜並木、右側に複線用地
 

龍安寺(りょうあんじ)駅も住宅街の中にあり、ダイヤどおりなら北野白梅町行の上り電車と1回目の交換が行われる。駅名は、2007年まで竜安寺道(りょうあんじみち)だった。「~道」というのは、そこへ至る道筋を意味し、たとえば金閣寺道、銀閣寺道のように、目的地まで少し距離がある停留所名によく使われる。石庭で有名な龍安寺は北の山裾で、駅から山門まで歩くと10分弱かかるから、「~道」のほうが的確には違いない。

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龍安寺駅で1回目の列車交換
 

この後、線路は初めて左へ大きくカーブしていく。扇状地の膨らみに沿っているのだが、同時に、仁和寺に向かう府道をできるだけ深い角度で横断したかったようにも見える。府道はもとの周山(しゅうざん)街道(下注)で、若狭湾岸から周山を経由して京都市街に通じる主要道の一つだった。

*注 なお、福王子からこの踏切を経て妙心寺北門に至る区間は、明治期に整備された新道。

その府道の踏切をはさんで、妙心寺(みょうしんじ)駅がある。待避線をもたない、いわゆる棒線駅だが、下りホームは踏切の手前(東側)、上りホームは向こう側(西側)に設置されている。中間駅では電車の乗降口が進行方向左側に固定されているので、線路の両側にホームが必要なのだ。上りホームは次の右カーブにかかっていて、電車は再び西向きに針路を戻す。

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妙心寺駅
(左)カーブにかかる上りホーム
(右)右カーブは駅西方まで続く(東望)
 

寺の名を冠した駅の締めくくりは、御室仁和寺(おむろにんなじ)駅だ。しかし、この駅が他と一線を画すように思うのは、上りホーム側に残されている、伝統建築を模した木造駅舎のせいだろう。正面軒下の扁額に記された「御室驛(おむろえき)」というのは2007年以前の旧称だ。駅前から幅広な坂道の参道がまっすぐ延び、突き当りに二層の大きな門がそびえ立つ。仁和寺は花の名所で、遅咲きの御室桜の便りを聞くと、春の終わりを感じてしまう。

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御室仁和寺駅
御室桜の花見客が大勢降りる
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上り線側には伝統建築風の木造駅舎
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駅前の参道の突き当りに仁和寺の二王門
 

駅を発ってまもなく、線路は切通しの中でサミットに達し、後は下り坂になる。次の宇多野(うたの)は棒線駅で、上下2本のホームが千鳥状に並んでいる。今や住宅地が途切れることがなくなった北野線沿線だが、この界隈は地形も複雑で、郊外の風情が漂う。2007年以前の旧称は高雄口で、言わずと知れた紅葉の名所への下車駅を意味していた。ただし、高雄山神護寺は峠のはるか向こうで、6km以上も離れている。

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宇多野駅
(左)上下ホームを千鳥式に配置
(右)郊外の風情漂う上りホーム
 

国道162号が通る尾根を深い切り通しで抜けた後は、鳴滝駅に向かって33‰の急な下り坂が続く。御室川の谷を横断するこの築堤区間は両側が桜並木で、毎年春には桜のトンネルになる。その中を走る電車を目当てに、多くの人がやってくる。

有名な撮影スポットは、直線で坂を下った位置にある宇多野1号踏切だ(下注)。踏切脇に人が群がり、危険防止のため警備員も配置される。ただ、桜の木に遮られるので、下り電車が直前まで来ないと画角に入らない。あるいは、遮断機が上がってから、カーブに消えていく上り電車の後ろ姿を狙うことになる。

*注 花見スポットに関する記述は、2019年春の状況に基づいている。

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桜のトンネル
宇多野1号踏切からカーブに消える電車を東望
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見ごろになると人だかりが…
(左)宇多野1号踏切
(右)第二地点(御室川橋梁南東側)から西望
 

第二のスポットは御室川橋梁の南東側にある嵐電の社有地で、この時期だけ一般に開放される。ここでは上り(東)方向が比較的遠望可能だ。第三は、線路をはさんでその北側だが、こちらは下り方向に見通しがきく。この2地点は対面しているものの、線路横断はできないので、行き来するには街路を大きく迂回する必要がある。また、向かいで撮影している人が写り込んでしまうのはしかたがない。

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第三地点(御室川橋梁北東側)から西望
 

さて、桜のトンネルを抜けて左に曲がると、鳴滝(なるたき)駅がある。通常ダイヤで2回目の列車交換が行われる駅だ。鳴滝というのは北1km弱の御室川に掛かる小さな滝の名で、近くにはその名をもつ集落もあった(現 右京区鳴滝本町)。嵐電の駅は当時、集落からかなり離れた田んぼの中に設置されたが、今は住宅街に埋もれている。周囲の街路からホームへ上がる通路が複数あるが、どれも一見客にはわかりにくい。

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鳴滝駅で2回目の列車交換
 

ここと次の常盤駅の間は北野線で唯一、複線化されている。一直線に南下していく線路は、標準軌だけに堂々としていて、小私鉄とは思えないほどだ。

丸太町通(まるたまちどおり)を横断したら、常盤(ときわ)駅だ。常盤という地名は嵯峨源氏の源常(みなもとのときわ)に由来するそうで、南250mにその山荘跡を引き継ぐ源光寺がある。丸太町通は嵯峨野の幹線道路なので交通量が多く、活気の感じられる駅前だ。朝夕は、西隣にある府立高の生徒たちの乗降も多い。

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(左)鳴滝~常盤間は唯一の複線区間
(右)常盤駅
 

常盤駅からはまた単線に戻り、再び坂を下っていく。40‰の標識が立つ最大勾配区間だ。山陰本線(JR嵯峨野線)をアンダーパスし、右に曲がった先に撮影所前駅がある。2016年に開業した嵐電で最も新しい駅で、両側から線路をはさむようにホームが設置されている。

駅名が示すとおり、東映京都撮影所に近く、太秦(うずまさ)映画村の裏門である撮影所口の最寄りでもあった。しかし、コロナ禍以来、撮影所口は閉鎖されたままで、公式サイトからもアクセス案内が消えてしまった。最寄りと言えば、JRの太秦駅へも徒歩3分ほどなので、ここで乗り継いでJRで京都駅へ向かうという流動も生まれている。

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嵐電で最も新しい撮影所前駅
 

終点の帷子ノ辻駅までは300mを切っている。右カーブを曲がり終えると、駅はもう目の前だ。北野線の電車は北側の3番線か4番線に入って、嵐山本線の接続を静かに待つ。

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帷子ノ辻駅3番線に到着
 

掲載の地図は、陸地測量部発行の1万分の1「京都近郊」(昭和3年測図)、地理調査所発行の1万分の1地形図京都北部(昭和26年修正測量)、国土地理院発行の1万分の1地形図太秦(平成15年修正)および2万5千分の1地形図京都西北部(昭和36年修正)を使用したものである。

■参考サイト
嵐電(京福電気鉄道) https://www.keifuku.co.jp/

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