ライトレールの風景-叡電 叡山本線
叡山(えいざん)電鉄、略して叡電(えいでん、下注)は、京都市北東部でトラムタイプの車両を運行する標準軌の電気鉄道だ。出町柳~八瀬比叡山口間の叡山本線 5.6kmと、途中の宝ヶ池で分岐して鞍馬に至る鞍馬線 8.8kmの2路線を持つ。今回はまず、京都市内から比叡山への観光ルートになっている叡山本線を訪ねてみたい。
*注 関西ではたとえば阪急電車、京阪電車のように、電気鉄道を「~電車」と呼び習わすので、叡電も公式サイトでは「叡山電車」と名乗っている。
初夏の風を切って走る「ひえい」 三宅八幡~八瀬比叡山口間 掲載写真は2019年4月~2022年11月の間に撮影 |
叡電路線図 |
京都市内を貫く鴨川(かもがわ)に支流の高野川が合流する地点、いわゆる鴨川デルタに面して叡電のターミナル、出町柳(でまちやなぎ)駅がある。京都の通称地名は、交差する通りの名を合成したものが多い。出町柳もその流儀に倣ってか、開業に際して、対岸にある出町と此岸の柳をつなげて作られたという。
地下にある京阪電鉄鴨東(おうとう)線の出町柳駅(下注)とは連絡通路で接続され、京都中心部や大阪との間を行き来する利用者で、朝夕はとりわけ賑わう。叡電の会社自体、京阪の100%子会社だが、旅客の流動から見ても京阪の支線といっていい状況だ。
*注 鴨東線は三条~出町柳間2.3km。京阪電鉄の支線だが、列車は三条から大阪方面に直通している。
出町柳駅西口にはバスターミナルがある |
(左)柳通に面する南正面 (右)改札口 |
だがこれは、鴨東線が開業した1989(平成元)年にようやく始まったことだ。市電が走っていた時代、最寄りの停留所とは200m近く離れていたし、市電廃止後は完全に孤立線だった。なぜこの位置に起点が置かれたのかを含めて、先に路線の歴史を見ておこう。
現在の叡電叡山本線である出町柳~八瀬間が開業したのは、1925(大正14)年のことだ(下注)。出町柳駅は、旧市街地から鴨川を渡った対岸に設けられた。当時、京都の市電網は、前年の1924年に出町を終点とする狭軌の出町線が廃止され、代わりに標準軌の河原町線と今出川線がつながって、河原町今出川の角に停留所があった(図1、2参照)。
*注 当時は京都電燈叡山電鉄、1942年から京福電気鉄道、1986年から叡山電鉄。本稿では過去の記述を含めて叡電と記す。
出町柳駅付近の変遷 I (上)1915(大正4)年図 京都電気鉄道出町線が出町に終点を置く(1918年から市電出町線) (下)1928(昭和3)年図 叡電が開通、市電出町線は廃止、河原町線と今出川線がつながり、河原町今出川に電停設置 |
さらに今出川通とセットになった市電の東部延伸が計画されていたが、そのルートは河原町今出川をいったん北上し、出町桝形(でまちますがた)で右折して鴨川を渡り、旧道である柳通(やなぎどおり、下注)を拡幅して百万遍に至るというものだった。このとおり実現していれば、叡電出町柳駅は市電の行きかう大通りに面していたはずだ。
*注 拡幅計画時には東今出川通の名称が与えられていたが、計画変更に伴い、柳通に改称。
ところが後に計画は変更される。図3のとおり、今出川通と市電の延伸は、出町柳駅前を通らず河原町今出川から東へ直進する形で、1931(昭和6)年に完成した。最寄りの賀茂大橋東詰に電停が設置されたとはいえ、叡電にとっては梯子を外されたような思いだったのではないか。
叡電(京都電燈)は、鴨川沿いに南下して京阪三条に至る路線の特許も得ていた。しかし、さまざまな事情で着工には至らず、鴨東線ができるまで64年の間、中途半端な状況に甘んじなければならなかったのだ。
出町柳駅付近の変遷 II (上)1951(昭和26)年図 今出川通と市電が出町柳駅から離れた賀茂大橋経由で開通 (下)2003(平成15)年図 市電全廃、京阪鴨東線開通 |
さて現在の出町柳駅だが、敷地はいささか手狭だ。表の通りと改札の間が短く、ふだんはともかく、混雑する行楽シーズンなどは特にそう感じる。
構内は4面3線で、通常1番線に叡山本線、2・3番線に鞍馬線の電車が入線する。3番線は斜めに入り込んでいて、後で増設されたのだろう。駅舎の表側は改装されているが、ホームの先端で振り返ると、本屋に載る寺社風の切妻屋根が見える。ホーム屋根を支える鉄柱とともに、開業時からのものだという。
4面3線のコンパクトな構内 駅舎には寺社風の切妻屋根が架かる |
(左)ホーム屋根の支柱は開業時のもの (右)ホームから北望、渡り線が見える |
叡山本線は、基本的に単行(1両)運転だ。全線複線という恵まれた施設を生かして、多客時は増発で対応している。特に紅葉が見ごろになる11月の休日はフル回転で、日中毎時7~8本の高頻度で次々に発車していく。この間に鞍馬行が毎時4~5本挟まるから、駅は休む間もない。
紅葉シーズンの発車時刻表(2022年) 平日もこれ以外に臨時便が運行されることがある |
ほとんどが京紫に塗られて形式の違いが目立たない嵐電とは対照的に、叡電の保有車両は個性的だ。叡山本線に使われているのは700系と呼ばれるグループだが、クリーム地に細い色帯の従来塗装は数を減らし、赤系や青系のデザインに身を包んだ改装車(下注)や、開業当時のイメージに沿うレトロ風の「ノスタルジック731」といった多彩な顔触れに変化してきている。
*注 722号が赤(朱色)、723号が青。また712号が緑で2022年12月に就役予定。
多彩な700系 (左)赤系デザインの722号車 (右)レトロ仕様の「ノスタルジック731」 |
極めつけは、前面に付けた金色の環が強烈なオーラを放つ「ひえい」だ。2018年に登場した700系の改造車だが、楕円のモチーフを多用したテーマ性の濃い外観、グレード感のあるバケットシートの内装と、特別料金を徴収してもおかしくない仕様で、初めて乗る客の目を奪う。
このように車両ごとに趣向を凝らすことができるのは、単行運転の強みだろう。途中駅で待っていても、次はどんな電車が来るのかと、楽しみが尽きない。ちなみに「ひえい」は、鞍馬線の「きらら」とともに運行時刻表が公式サイトに掲載されているので、決め打ちで乗車(または撮影)することが可能だ。
732号「ひえい」 (左)金色の環がオーラを放つ (右)バケットシートが並ぶ車内 |
そうこうするうちに、ホームに発車を知らせるメロディが鳴り渡った。ドアが閉まり、八瀬比叡山口行き電車は静かに駅を離れる。渡り線を通過した後、住宅やマンションの間を進みながら、右にカーブする。次の元田中(もとたなか)までは、建設当時すでに宅地化が進行していたので、900mの駅間に踏切は9か所にも上る。
元田中駅のホームはいわゆる千鳥状の配置だ。東大路通(ひがしおおじどおり)の踏切を挟んで、下りが手前(西側)、上りが向こう側にある。かつてはこの間で路上の市電と平面交差していた(下の写真参照)。また、戦後1949(昭和24)年から1955(昭和30)年まで、宝ヶ池にあった競輪場への観客輸送で市電が叡電線への乗入れ(下注)を行っていたときには、ここに渡り線があった。
*注 臨1号系統(壬生車庫前~祇園~叡電前~山端(現 宝ヶ池)間)と、臨3号系統(京都駅前~河原町今出川~百万遍~叡電前~山端間)。叡電線内の途中駅は低床ホームがないため、無停車だった。
元田中駅の下りホーム 道路を隔てた上りホームに電車が停車中 |
東大路通を横断(下の写真と同じ方向) |
市電と平面交差していた時代 叡電前電停から北望(1978年) Photo by Gohachiyasu1214 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
元田中を出ると、線路は左カーブで再び北を向く。行く手に比叡山が見えるとともに、約2kmある叡電最長の直線区間に入っていく。茶山(ちゃやま)へは約500mで、叡電で最も短い駅間距離だ。本来すいているはずの平日朝の下り、夕方の上り電車に若者の姿が目立つが、これは沿線に大学がいくつかあるからだ。茶山でまず京都芸術大(旧 京都造形芸術大)の学生たちが降りる。
左カーブから比叡山が見える |
(左)約2km続く直線区間 (右)茶山駅 |
北大路通(きたおおじどおり)と琵琶湖疏水分線を横断して、一乗寺(いちじょうじ)へ。駅は、曼殊院道(まんしゅいんみち)と呼ばれる旧道に接していて、もとは東の山手にある一乗寺村(現 左京区一乗寺)への最寄り駅だった。しかし最近では、むしろ西側の東大路通に点在するラーメン店群、通称 ラーメン街道の下車駅として名を馳せているようだ。叡電も「京都一乗寺らーめん切符」という、一日乗車券とラーメン一杯をセットにした割引切符を売出して、アピールに余念がない。
(左)一乗寺駅 (右)曼殊院道の踏切 |
次の修学院(しゅうがくいん)の駅前は、街路樹が植わる片側2車線の北山通(きたやまどおり)で、周辺はどこか小ざっぱりした雰囲気がある。ふだんは地元市民が使う駅だが、東の山裾には修学院離宮や曼殊院、南に行けば圓光寺や詩仙堂(下注)など紅葉の名所が多く、秋の休日などはリュックを背負った人もよく見かける。
*注 圓光寺や詩仙堂に直接行く場合は、一乗寺駅のほうがやや近く、道もわかりやすい。
(左)修学院駅 (右)北山通を横断 |
叡電にとっては、ここが運行の拠点だ。駅の東に隣接して修学院車庫があり、本社も置かれている。駅は北山通建設の際に少し南へ移転しているが、車庫も経営不振の時代に北側の一角が売却され、3両分の長さがあった検車棟が2両分に短縮された。跡地にはマンションが建っている。車庫は走る電車の窓からもよく見える。電車が出払っているときは、奥で休んでいる凹形プロフィールの電動貨車1001号が目撃できるかもしれない。
修学院車庫(車庫見学行事で撮影) (左)電動貨車1001号 (右)検車庫 |
修学院を出てすぐ、茶山の手前から続いてきた直線路は終わり、左に緩くカーブしていく。年末の高校駅伝などでおなじみの白川通の陸橋(下注)をくぐると、鞍馬線が複線のまま左に分岐して、宝ヶ池(たからがいけ)駅に着く。
*注 東側に付随する歩道橋から宝ヶ池駅構内が見渡せるが、金網が張られ、視界が悪くなった。
駅は3面4線の構造で、終点に向かって右から1・2番線に叡山本線、3・4番線に鞍馬線の電車が停車する。分岐駅とはいうものの、構内は意外に静かだ。電車は両線とも出町柳が始発なので、ここで乗り換える客は少ないし、高野川の谷が狭まる場所で駅勢圏が小さいという事情もあるだろう。
上述した市電からの乗入れは、ここが終点だった。4番線の北側に、当時使われていたという低床ホームが残っている。また、2・3番線の島式ホームの屋根を支える支柱には、旧駅名である「やまばな(山端)」の文字が見える。
鞍馬線が分岐する宝ヶ池駅 手前の1・2番線が叡山本線、左奥の3・4番線が鞍馬線 |
(左)4番線の北側にある市電乗入れ時の低床ホーム (右)3番線側の旧駅名標 |
支線である鞍馬線が北へ直進するのに対して、叡山本線はこの後、右にそれていく。次の三宅八幡(みやけはちまん)は、二つ目の右カーブの途中にある。駅は、名前が示すとおり三宅八幡宮の最寄り駅として設置された。朱塗りのホーム屋根や柵が下車した客を迎えているが、神社までは600mほどの距離がある。参拝するなら、鞍馬線の八幡前駅がより近い。
朱塗りが映える三宅八幡駅 |
ところで三宅八幡宮は、昔から疳の虫封じのご利益で知られていた。今でこそひっそりした境内だが、京都で生まれた明治天皇の幼少期の病を治したとされ、参拝者が絶えなかったという。市電のルーツである京都電気鉄道も、三宅線として出町から三宅八幡への延伸を計画していたほどだ(下注)。これは惜しくも断念されたが、後にその構想を実現したのが叡電叡山本線ということになる。
*注 1903(明治36)年に軌道敷設の特許取得。高野川左岸に沿うルートが想定されていた。
三宅八幡宮 鳥居の脇に狛犬ならぬ「狛鳩」 |
その三宅八幡を出ると、左側は高野川の河畔林に覆われていき、33.3‰の急な上り勾配も現れる。正面には比叡山がそびえるが、もはや近すぎて全貌を見渡すことはできない。高野川の鉄橋を渡ると、左カーブの先に、終点八瀬比叡山口(やせひえいざんぐち)駅が見えてくる。
終点の大屋根が見えてきた |
鉄骨組み、ダブルルーフの大屋根が印象的な駅舎は、開業時からあるものだ。出町柳駅より空間の余裕が感じられ、昭和初期の行楽地の賑わいを彷彿とさせる。構内は3面2線の構造だが、中央の狭いホームは使われていない。
側面にある出入口に右書きで再現されているように、駅は開業当時、単に八瀬(やせ)と名乗った。その後1960年代に、私鉄沿線には通例の駅前遊園地が造られた際、八瀬遊園駅に改称された。中高年層にはこの名が少年期の夏休みの記憶と結びついているだろう。2002年からの現駅名は遊園地の閉園に伴うもので、比叡山への観光ルートを形成するという本来の敷設目的に立ち戻った形だ。
八瀬比叡山口駅構内 |
「八瀬驛」の表札を掲げた駅玄関 |
途切れた線路の先は高野川の渓流で、木橋を渡って少し坂を上ると、叡山ケーブルのケーブル八瀬駅がある。比叡山に上っていくこのケーブルカーも、叡山本線と同じ1925年に開業した古い路線だが、叡電が分社化された後も京福電鉄の運営下に残されている。
叡山ケーブルは、山麓のケーブル八瀬駅と山上のケーブル比叡駅の高低差が561mあり、日本一なのだそうだ。しかし、山上駅はまだ実際の山頂ではなく、さらにロープウェーに乗り継がなければならない。また滋賀県側にある延暦寺の伽藍まで行こうとすれば、山頂からバスに乗るか、ケーブルの山上駅から2km以上の山道歩きが必要だ。叡山本線が誘う比叡山内は、想像以上に広くて深い。
叡山ケーブル (左)ケーブル八瀬駅 (右)車両(旧塗装) |
森の中に側線とトロッコが残る |
次回は鞍馬線を訪ねる。
掲載の地図は、陸地測量部発行の1万分の1「京都近傍図」(大正4年10月10日発行)、同「京都近郊」(昭和3年測図)、地理調査所発行の1万分の1地形図京都北部および大文字山(昭和26年修正測量)、国土地理院発行の1万分の1地形図京都御所(平成15年修正)を使用したものである。
■参考サイト
叡山電車 https://eizandensha.co.jp/
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