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2022年11月

2022年11月25日 (金)

ライトレールの風景-叡電 叡山本線

叡山(えいざん)電鉄、略して叡電(えいでん、下注)は、京都市北東部でトラムタイプの車両を運行する標準軌の電気鉄道だ。出町柳~八瀬比叡山口間の叡山本線 5.6kmと、途中の宝ヶ池で分岐して鞍馬に至る鞍馬線 8.8kmの2路線を持つ。今回はまず、京都市内から比叡山への観光ルートになっている叡山本線を訪ねてみたい。

*注 関西ではたとえば阪急電車、京阪電車のように、電気鉄道を「~電車」と呼び習わすので、叡電も公式サイトでは「叡山電車」と名乗っている。

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初夏の風を切って走る「ひえい」
三宅八幡~八瀬比叡山口間
掲載写真は2019年4月~2022年11月の間に撮影
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叡電路線図
 

京都市内を貫く鴨川(かもがわ)に支流の高野川が合流する地点、いわゆる鴨川デルタに面して叡電のターミナル、出町柳(でまちやなぎ)駅がある。京都の通称地名は、交差する通りの名を合成したものが多い。出町柳もその流儀に倣ってか、開業に際して、対岸にある出町と此岸の柳をつなげて作られたという。

地下にある京阪電鉄鴨東(おうとう)線の出町柳駅(下注)とは連絡通路で接続され、京都中心部や大阪との間を行き来する利用者で、朝夕はとりわけ賑わう。叡電の会社自体、京阪の100%子会社だが、旅客の流動から見ても京阪の支線といっていい状況だ。

*注 鴨東線は三条~出町柳間2.3km。京阪電鉄の支線だが、列車は三条から大阪方面に直通している。

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出町柳駅西口にはバスターミナルがある
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(左)柳通に面する南正面
(右)改札口
 

だがこれは、鴨東線が開業した1989(平成元)年にようやく始まったことだ。市電が走っていた時代、最寄りの停留所とは200m近く離れていたし、市電廃止後は完全に孤立線だった。なぜこの位置に起点が置かれたのかを含めて、先に路線の歴史を見ておこう。

現在の叡電叡山本線である出町柳~八瀬間が開業したのは、1925(大正14)年のことだ(下注)。出町柳駅は、旧市街地から鴨川を渡った対岸に設けられた。当時、京都の市電網は、前年の1924年に出町を終点とする狭軌の出町線が廃止され、代わりに標準軌の河原町線と今出川線がつながって、河原町今出川の角に停留所があった(図1、2参照)。

*注 当時は京都電燈叡山電鉄、1942年から京福電気鉄道、1986年から叡山電鉄。本稿では過去の記述を含めて叡電と記す。

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出町柳駅付近の変遷 I
(上)1915(大正4)年図 京都電気鉄道出町線が出町に終点を置く(1918年から市電出町線)
(下)1928(昭和3)年図 叡電が開通、市電出町線は廃止、河原町線と今出川線がつながり、河原町今出川に電停設置
 

さらに今出川通とセットになった市電の東部延伸が計画されていたが、そのルートは河原町今出川をいったん北上し、出町桝形(でまちますがた)で右折して鴨川を渡り、旧道である柳通(やなぎどおり、下注)を拡幅して百万遍に至るというものだった。このとおり実現していれば、叡電出町柳駅は市電の行きかう大通りに面していたはずだ。

*注 拡幅計画時には東今出川通の名称が与えられていたが、計画変更に伴い、柳通に改称。

ところが後に計画は変更される。図3のとおり、今出川通と市電の延伸は、出町柳駅前を通らず河原町今出川から東へ直進する形で、1931(昭和6)年に完成した。最寄りの賀茂大橋東詰に電停が設置されたとはいえ、叡電にとっては梯子を外されたような思いだったのではないか。

叡電(京都電燈)は、鴨川沿いに南下して京阪三条に至る路線の特許も得ていた。しかし、さまざまな事情で着工には至らず、鴨東線ができるまで64年の間、中途半端な状況に甘んじなければならなかったのだ。

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出町柳駅付近の変遷 II
(上)1951(昭和26)年図 今出川通と市電が出町柳駅から離れた賀茂大橋経由で開通
(下)2003(平成15)年図 市電全廃、京阪鴨東線開通
 

さて現在の出町柳駅だが、敷地はいささか手狭だ。表の通りと改札の間が短く、ふだんはともかく、混雑する行楽シーズンなどは特にそう感じる。

構内は4面3線で、通常1番線に叡山本線、2・3番線に鞍馬線の電車が入線する。3番線は斜めに入り込んでいて、後で増設されたのだろう。駅舎の表側は改装されているが、ホームの先端で振り返ると、本屋に載る寺社風の切妻屋根が見える。ホーム屋根を支える鉄柱とともに、開業時からのものだという。

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4面3線のコンパクトな構内
駅舎には寺社風の切妻屋根が架かる
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(左)ホーム屋根の支柱は開業時のもの
(右)ホームから北望、渡り線が見える
 

叡山本線は、基本的に単行(1両)運転だ。全線複線という恵まれた施設を生かして、多客時は増発で対応している。特に紅葉が見ごろになる11月の休日はフル回転で、日中毎時7~8本の高頻度で次々に発車していく。この間に鞍馬行が毎時4~5本挟まるから、駅は休む間もない。

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紅葉シーズンの発車時刻表(2022年)
平日もこれ以外に臨時便が運行されることがある
 

ほとんどが京紫に塗られて形式の違いが目立たない嵐電とは対照的に、叡電の保有車両は個性的だ。叡山本線に使われているのは700系と呼ばれるグループだが、クリーム地に細い色帯の従来塗装は数を減らし、赤系や青系のデザインに身を包んだ改装車(下注)や、開業当時のイメージに沿うレトロ風の「ノスタルジック731」といった多彩な顔触れに変化してきている。

*注 722号が赤(朱色)、723号が青。また712号が緑で2022年12月に就役予定。

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多彩な700系
(左)赤系デザインの722号車
(右)レトロ仕様の「ノスタルジック731」
 

極めつけは、前面に付けた金色の環が強烈なオーラを放つ「ひえい」だ。2018年に登場した700系の改造車だが、楕円のモチーフを多用したテーマ性の濃い外観、グレード感のあるバケットシートの内装と、特別料金を徴収してもおかしくない仕様で、初めて乗る客の目を奪う。

このように車両ごとに趣向を凝らすことができるのは、単行運転の強みだろう。途中駅で待っていても、次はどんな電車が来るのかと、楽しみが尽きない。ちなみに「ひえい」は、鞍馬線の「きらら」とともに運行時刻表が公式サイトに掲載されているので、決め打ちで乗車(または撮影)することが可能だ。

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732号「ひえい」
(左)金色の環がオーラを放つ
(右)バケットシートが並ぶ車内
 

そうこうするうちに、ホームに発車を知らせるメロディが鳴り渡った。ドアが閉まり、八瀬比叡山口行き電車は静かに駅を離れる。渡り線を通過した後、住宅やマンションの間を進みながら、右にカーブする。次の元田中(もとたなか)までは、建設当時すでに宅地化が進行していたので、900mの駅間に踏切は9か所にも上る。

元田中駅のホームはいわゆる千鳥状の配置だ。東大路通(ひがしおおじどおり)の踏切を挟んで、下りが手前(西側)、上りが向こう側にある。かつてはこの間で路上の市電と平面交差していた(下の写真参照)。また、戦後1949(昭和24)年から1955(昭和30)年まで、宝ヶ池にあった競輪場への観客輸送で市電が叡電線への乗入れ(下注)を行っていたときには、ここに渡り線があった。

*注 臨1号系統(壬生車庫前~祇園~叡電前~山端(現 宝ヶ池)間)と、臨3号系統(京都駅前~河原町今出川~百万遍~叡電前~山端間)。叡電線内の途中駅は低床ホームがないため、無停車だった。

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元田中駅の下りホーム
道路を隔てた上りホームに電車が停車中
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東大路通を横断(下の写真と同じ方向)
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市電と平面交差していた時代
叡電前電停から北望(1978年)
Photo by Gohachiyasu1214 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

元田中を出ると、線路は左カーブで再び北を向く。行く手に比叡山が見えるとともに、約2kmある叡電最長の直線区間に入っていく。茶山(ちゃやま)へは約500mで、叡電で最も短い駅間距離だ。本来すいているはずの平日朝の下り、夕方の上り電車に若者の姿が目立つが、これは沿線に大学がいくつかあるからだ。茶山でまず京都芸術大(旧 京都造形芸術大)の学生たちが降りる。

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左カーブから比叡山が見える
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(左)約2km続く直線区間 (右)茶山駅
 

北大路通(きたおおじどおり)と琵琶湖疏水分線を横断して、一乗寺(いちじょうじ)へ。駅は、曼殊院道(まんしゅいんみち)と呼ばれる旧道に接していて、もとは東の山手にある一乗寺村(現 左京区一乗寺)への最寄り駅だった。しかし最近では、むしろ西側の東大路通に点在するラーメン店群、通称 ラーメン街道の下車駅として名を馳せているようだ。叡電も「京都一乗寺らーめん切符」という、一日乗車券とラーメン一杯をセットにした割引切符を売出して、アピールに余念がない。

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(左)一乗寺駅 (右)曼殊院道の踏切
 

次の修学院(しゅうがくいん)の駅前は、街路樹が植わる片側2車線の北山通(きたやまどおり)で、周辺はどこか小ざっぱりした雰囲気がある。ふだんは地元市民が使う駅だが、東の山裾には修学院離宮や曼殊院、南に行けば圓光寺や詩仙堂(下注)など紅葉の名所が多く、秋の休日などはリュックを背負った人もよく見かける。

*注 圓光寺や詩仙堂に直接行く場合は、一乗寺駅のほうがやや近く、道もわかりやすい。

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(左)修学院駅
(右)北山通を横断
 

叡電にとっては、ここが運行の拠点だ。駅の東に隣接して修学院車庫があり、本社も置かれている。駅は北山通建設の際に少し南へ移転しているが、車庫も経営不振の時代に北側の一角が売却され、3両分の長さがあった検車棟が2両分に短縮された。跡地にはマンションが建っている。車庫は走る電車の窓からもよく見える。電車が出払っているときは、奥で休んでいる凹形プロフィールの電動貨車1001号が目撃できるかもしれない。

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修学院車庫(車庫見学行事で撮影)
(左)電動貨車1001号 (右)検車庫
 

修学院を出てすぐ、茶山の手前から続いてきた直線路は終わり、左に緩くカーブしていく。年末の高校駅伝などでおなじみの白川通の陸橋(下注)をくぐると、鞍馬線が複線のまま左に分岐して、宝ヶ池(たからがいけ)駅に着く。

*注 東側に付随する歩道橋から宝ヶ池駅構内が見渡せるが、金網が張られ、視界が悪くなった。

駅は3面4線の構造で、終点に向かって右から1・2番線に叡山本線、3・4番線に鞍馬線の電車が停車する。分岐駅とはいうものの、構内は意外に静かだ。電車は両線とも出町柳が始発なので、ここで乗り換える客は少ないし、高野川の谷が狭まる場所で駅勢圏が小さいという事情もあるだろう。

上述した市電からの乗入れは、ここが終点だった。4番線の北側に、当時使われていたという低床ホームが残っている。また、2・3番線の島式ホームの屋根を支える支柱には、旧駅名である「やまばな(山端)」の文字が見える。

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鞍馬線が分岐する宝ヶ池駅
手前の1・2番線が叡山本線、左奥の3・4番線が鞍馬線
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(左)4番線の北側にある市電乗入れ時の低床ホーム
(右)3番線側の旧駅名標
 

支線である鞍馬線が北へ直進するのに対して、叡山本線はこの後、右にそれていく。次の三宅八幡(みやけはちまん)は、二つ目の右カーブの途中にある。駅は、名前が示すとおり三宅八幡宮の最寄り駅として設置された。朱塗りのホーム屋根や柵が下車した客を迎えているが、神社までは600mほどの距離がある。参拝するなら、鞍馬線の八幡前駅がより近い。

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朱塗りが映える三宅八幡駅
 

ところで三宅八幡宮は、昔から疳の虫封じのご利益で知られていた。今でこそひっそりした境内だが、京都で生まれた明治天皇の幼少期の病を治したとされ、参拝者が絶えなかったという。市電のルーツである京都電気鉄道も、三宅線として出町から三宅八幡への延伸を計画していたほどだ(下注)。これは惜しくも断念されたが、後にその構想を実現したのが叡電叡山本線ということになる。

*注 1903(明治36)年に軌道敷設の特許取得。高野川左岸に沿うルートが想定されていた。

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三宅八幡宮
鳥居の脇に狛犬ならぬ「狛鳩」
 

その三宅八幡を出ると、左側は高野川の河畔林に覆われていき、33.3‰の急な上り勾配も現れる。正面には比叡山がそびえるが、もはや近すぎて全貌を見渡すことはできない。高野川の鉄橋を渡ると、左カーブの先に、終点八瀬比叡山口(やせひえいざんぐち)駅が見えてくる。

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終点の大屋根が見えてきた
 

鉄骨組み、ダブルルーフの大屋根が印象的な駅舎は、開業時からあるものだ。出町柳駅より空間の余裕が感じられ、昭和初期の行楽地の賑わいを彷彿とさせる。構内は3面2線の構造だが、中央の狭いホームは使われていない。

側面にある出入口に右書きで再現されているように、駅は開業当時、単に八瀬(やせ)と名乗った。その後1960年代に、私鉄沿線には通例の駅前遊園地が造られた際、八瀬遊園駅に改称された。中高年層にはこの名が夏休みの記憶と結びついているだろう。2002年からの現駅名は遊園地の閉園に伴うもので、比叡山への観光ルートを形成するという本来の敷設目的に立ち戻った形だ。

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八瀬比叡山口駅構内
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「八瀬驛」の表札を掲げた駅玄関
 

途切れた線路の先は高野川の渓流で、木橋を渡って少し坂を上ると、叡山ケーブルのケーブル八瀬駅がある。比叡山に上っていくこのケーブルカーも、叡山本線と同じ1925年に開業した古い路線だが、叡電が分社化された後も京福電鉄の運営下に残されている。

叡山ケーブルは、山麓のケーブル八瀬駅と山上のケーブル比叡駅の高低差が561mあり、日本一なのだそうだ。しかし、山上駅はまだ実際の山頂ではなく、さらにロープウェーに乗り継がなければならない。また滋賀県側にある延暦寺の伽藍まで行こうとすれば、山頂からバスに乗るか、ケーブルの山上駅から2km以上の山道歩きが必要だ。叡山本線が誘う比叡山内は、想像以上に広くて深い。

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叡山ケーブル
(左)ケーブル八瀬駅 (右)車両(旧塗装)
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森の中に側線とトロッコが残る
 

次回は鞍馬線を訪ねる。

掲載の地図は、陸地測量部発行の1万分の1「京都近傍図」(大正4年10月10日発行)、同「京都近郊」(昭和3年測図)、地理調査所発行の1万分の1地形図京都北部および大文字山(昭和26年修正測量)、国土地理院発行の1万分の1地形図京都御所(平成15年修正)を使用したものである。

■参考サイト
叡山電車 https://eizandensha.co.jp/

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2022年11月16日 (水)

ライトレールの風景-嵐電 北野線

前回の嵐山本線に続いて今回は、嵐電(らんでん)のもう一つの路線、北野線を訪ねてみたい。

北野線は、西大路通と今出川通の交差点に臨む北野白梅町(きたのはくばいちょう)と、嵐山本線に接続する帷子ノ辻(かたびらのつじ)とをつないでいる。その間に駅が8つあるので、そこそこ長いように錯覚してしまうが、全線で3.8kmだから、実際歩いても1時間かからない小路線だ。

京都市街でも山手のほうを走る北野線の沿線には、有名寺院の境内や落ち着いた風情の住宅街が広がっている。嵐山本線ほど混まないので、四季折々、車窓を彩る花や草木に目を和ませながら、ゆったりと乗車体験が楽しめるだろう。

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桜咲く御室川橋梁を渡る
掲載写真は2019年4月~2022年11月の間に撮影
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嵐電路線図
 

起点の北野白梅町駅は最近リニューアルされて、雰囲気が一変した。以前は平板なファサードと無骨な切妻屋根に覆われた薄暗い乗り場の駅だったが、2021年3月に完成した改築工事で、和風の屋根を載せたガラス張りのモダンな駅舎が建てられた。嵐山駅のきものフォレストを連想させる付け柱には、よく見ると日本画の様式で白梅が描かれている。

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改築された北野白梅町駅
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(左)白梅が描かれた付け柱
(右)待合室と案内窓口
 

ホームへは、素通しのエントランスを通って入る。四条大宮駅と同様の、3面2線の造りだった構内は、縮小されて2面1線になった。ただしホームが延長されていて、2編成を縦列収容できるようだ。1線化により捻出されたスペースには、バス乗り場が設置されている(下注)。

*注 この乗り場には、金閣寺方面へ行く京都市バスの急行102系統が、ルート変更により停車していたが、コロナ禍で早々と運行休止になり、今(2022年11月)に至るも使われていない。

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(左)2面1線になった構内
(右)ホームとバス乗り場が隣接
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かつての北野白梅町駅(2019年4月撮影)
(左)正面 (右)切妻屋根のかかる3面2線の構内
 

歴史を紐解くと、嵐電北野線が全通したのは1926(大正15)年のことだ(下注1)。当時の線路は東へあと400m延びて、北野天満宮の参道脇に起点の北野駅が置かれていた。つまり、天神さんと嵐山方面を結ぶために建設された一種の参詣鉄道だったのだ。

ちなみに、北野天満宮前には、すでに1912(明治45)年から市電堀川線(北野線ともいう、下注2)が開業しており、京都駅前との間に路面電車が走っていた。下の図1にその状況が描かれている。

*注1 当時は京都電燈、1942年から京福電気鉄道。本稿では過去の記述を含めて嵐電と記す。
*注2 開業時は京都電気鉄道。1918(大正7)年に京都市に買収されて市電の一部となった。1435mm標準軌の路線網のなかで廃止まで1067mm軌間で残されたため、車両は、ナローゲージ(狭軌)の頭文字Nから始まる車番にちなんで N電と称された。

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北野天満宮一の鳥居
 

昭和10年代に、南北に走る西大路通(にしおおじどおり)が建設された。図2に見られるとおり、その路上に市電西大路線(下注)が開業し、北野線と平面交差した。交差点付近に、乗換駅として白梅町が開業したのもこのときだ。

*注 市電西大路線は、1936(昭和11)年に交差点より北側のわら天神前~白梅町間が先行開業し、1943(昭和18)年に平面交差を含む南側の白梅町~西ノ京円町間が開業して、西大路線が全通。

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北野白梅町付近の変遷 I
図1 1928(昭和3)年図 北野天満宮の参道脇に北野駅があった
図2 1951(昭和26)年図 西大路通と今出川通が開通し、嵐電と市電が交差
 

しかし戦後、1067mmのナローゲージで残っていた市電堀川線の廃止と絡んで、今出川通(いまでがわどおり)の千本今出川以西に市電の路線が延長されることになり、重複する北野~白梅町間は1958(昭和33)年に廃止された。白梅町駅が北野白梅町に改称されるとともに、ターミナルの駅舎が造られた。図3が当時の状況だ。

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北野白梅町付近の変遷 II
図3 1961(昭和36)年図 嵐電が北野白梅町まで後退、今出川通に市電開通
  (1:10,000図は刊行されていないため、1:25,000図を拡大)
図4 2003(平成15)年図 市電全廃により嵐電だけが残る
 

その後、1970年代に市電は全廃、バス転換されたため、今では嵐電北野線だけが、ぽつんと残された形になっている(図4)。今出川通に路面軌道を復活させて、市街東部の叡山電鉄(叡電)と接続する構想もあるのだが、市の財政難と道路渋滞の懸念により、一向に進展する気配はない。

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北野線跡
(左)北野白梅町から今出川通を東望、旧線は奥へ直進していた
(右)嵐電北野駅跡は仏教系の博物館に

北野白梅町駅に話を戻すと、線路を挟む2面のホームは、帷子ノ辻に向かって左側が降車用、右側が乗車用だ。電車が到着すると、降車ホームの出口に係員が立ち、改札業務を行う。では、早朝深夜を除いて10分間隔で運行されている電車に乗って、帷子ノ辻へ向かうとしよう。

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(左)北野白梅町駅到着ホーム
  電車到着時は改札員が立つ
(右)線路の両側に狭い道路が並走
 

駅を出ると、住宅街の中をほぼ直線で西へ進んでいく。線路の北側に並行するのは、今出川通の続きの、歩道すらない2車線道だ。それも馬代通(ばだいどおり)との交差点(下注)で終わり、先はさらに狭くなる。

*注 ここに小松原駅があったが、北野~白梅町間廃止と同時に廃止された。

まもなく一つ目の駅、等持院(とうじいん)に着く。等持院というのは、北へ歩いて4~5分のところにある足利家の菩提寺で、見ごたえのある庭園で知られる。その裏手には立命館大のキャンパスが広がっているので、電車通学の学生が毎朝、住宅街の細道を上っていく。駅は2020年に等持院・立命館大学衣笠キャンパス前に改称され、いっとき日本一長い駅名になったが、まもなく富山市内にこれより長い駅名が誕生して、あっけなくタイトルを奪われた。

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等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅
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(左)一時は日本一長い駅名に
(右)等持院道と交差
 

次の龍安寺駅との間は250mしかない。北側にもう1線分の用地が確保されているので、後で見る鳴滝~常盤間と同じように、部分複線にする計画だったのだろう。一方、線路の南側は桜並木を透かして、往年の高校野球の名門、京都商業(現 京都先端科学大学付属中高)のグラウンドが見える。

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等持院~龍安寺間の桜並木、右側に複線用地
 

龍安寺(りょうあんじ)駅も住宅街の中にあり、ダイヤどおりなら北野白梅町行の上り電車と1回目の交換が行われる。駅名は、2007年まで竜安寺道(りょうあんじみち)だった。「~道」というのは、そこへ至る道筋を意味し、たとえば金閣寺道、銀閣寺道のように、目的地まで少し距離がある停留所名によく使われる。石庭で有名な龍安寺は北の山裾で、駅から山門まで歩くと10分弱かかるから、「~道」のほうが的確には違いない。

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龍安寺駅で1回目の列車交換
 

この後、線路は初めて左へ大きくカーブしていく。扇状地の膨らみに沿っているのだが、同時に、仁和寺に向かう府道をできるだけ深い角度で横断したかったようにも見える。府道はもとの周山(しゅうざん)街道(下注)で、若狭湾岸から周山を経由して京都市街に通じる主要道の一つだった。

*注 なお、福王子からこの踏切を経て妙心寺北門に至る区間は、明治期に整備された新道。

その府道の踏切をはさんで、妙心寺(みょうしんじ)駅がある。待避線をもたない、いわゆる棒線駅だが、下りホームは踏切の手前(東側)、上りホームは向こう側(西側)に設置されている。中間駅では電車の乗降口が進行方向左側に固定されているので、線路の両側にホームが必要なのだ。上りホームは次の右カーブにかかっていて、電車は再び西向きに針路を戻す。

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妙心寺駅
(左)カーブにかかる上りホーム
(右)右カーブは駅西方まで続く(東望)
 

寺の名を冠した駅の締めくくりは、御室仁和寺(おむろにんなじ)駅だ。しかし、この駅が他と一線を画すように思うのは、上りホーム側に残されている、伝統建築を模した木造駅舎のせいだろう。正面軒下の扁額に記された「御室驛(おむろえき)」というのは2007年以前の旧称だ。駅前から幅広な坂道の参道がまっすぐ延び、突き当りに二層の大きな門がそびえ立つ。仁和寺は花の名所で、遅咲きの御室桜の便りを聞くと、春の終わりを感じてしまう。

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御室仁和寺駅
御室桜の花見客が大勢降りる
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上り線側には伝統建築風の木造駅舎
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駅前の参道の突き当りに仁和寺の二王門
 

駅を発ってまもなく、線路は切通しの中でサミットに達し、後は下り坂になる。次の宇多野(うたの)は棒線駅で、上下2本のホームが千鳥状に並んでいる。今や住宅地が途切れることがなくなった北野線沿線だが、この界隈は地形も複雑で、郊外の風情が漂う。2007年以前の旧称は高雄口で、言わずと知れた紅葉の名所への下車駅を意味していた。ただし、高雄山神護寺は峠のはるか向こうで、6km以上も離れている。

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宇多野駅
(左)上下ホームを千鳥式に配置
(右)郊外の風情漂う上りホーム
 

国道162号が通る尾根を深い切り通しで抜けた後は、鳴滝駅に向かって33‰の急な下り坂が続く。御室川の谷を横断するこの築堤区間は両側が桜並木で、毎年春には桜のトンネルになる。その中を走る電車を目当てに、多くの人がやってくる。

有名な撮影スポットは、直線で坂を下った位置にある宇多野1号踏切だ(下注)。踏切脇に人が群がり、危険防止のため警備員も配置される。ただ、桜の木に遮られるので、下り電車が直前まで来ないと画角に入らない。あるいは、遮断機が上がってから、カーブに消えていく上り電車の後ろ姿を狙うことになる。

*注 花見スポットに関する記述は、2019年春の状況に基づいている。

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桜のトンネル
宇多野1号踏切からカーブに消える電車を東望
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見ごろになると人だかりが…
(左)宇多野1号踏切
(右)第二地点(御室川橋梁南東側)から西望
 

第二のスポットは御室川橋梁の南東側にある嵐電の社有地で、この時期だけ一般に開放される。ここでは上り(東)方向が比較的遠望可能だ。第三は、線路をはさんでその北側だが、こちらは下り方向に見通しがきく。この2地点は対面しているものの、線路横断はできないので、行き来するには街路を大きく迂回する必要がある。また、向かいで撮影している人が写り込んでしまうのはしかたがない。

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第三地点(御室川橋梁北東側)から西望
 

さて、桜のトンネルを抜けて左に曲がると、鳴滝(なるたき)駅がある。通常ダイヤで2回目の列車交換が行われる駅だ。鳴滝というのは北1km弱の御室川に掛かる小さな滝の名で、近くにはその名をもつ集落もあった(現 右京区鳴滝本町)。嵐電の駅は当時、集落からかなり離れた田んぼの中に設置されたが、今は住宅街に埋もれている。周囲の街路からホームへ上がる通路が複数あるが、どれも一見客にはわかりにくい。

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鳴滝駅で2回目の列車交換
 

ここと次の常盤駅の間は北野線で唯一、複線化されている。一直線に南下していく線路は、標準軌だけに堂々としていて、小私鉄とは思えないほどだ。

丸太町通(まるたまちどおり)を横断したら、常盤(ときわ)駅だ。常盤という地名は嵯峨源氏の源常(みなもとのときわ)に由来するそうで、南250mにその山荘跡を引き継ぐ源光寺がある。丸太町通は嵯峨野の幹線道路なので交通量が多く、活気の感じられる駅前だ。朝夕は、西隣にある府立高の生徒たちの乗降も多い。

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(左)鳴滝~常盤間は唯一の複線区間
(右)常盤駅
 

常盤駅からはまた単線に戻り、再び坂を下っていく。40‰の標識が立つ最大勾配区間だ。山陰本線(JR嵯峨野線)をアンダーパスし、右に曲がった先に撮影所前駅がある。2016年に開業した嵐電で最も新しい駅で、両側から線路をはさむようにホームが設置されている。

駅名が示すとおり、東映京都撮影所に近く、太秦(うずまさ)映画村の裏門である撮影所口の最寄りでもあった。しかし、コロナ禍以来、撮影所口は閉鎖されたままで、公式サイトからもアクセス案内が消えてしまった。最寄りと言えば、JRの太秦駅へも徒歩3分ほどなので、ここで乗り継いでJRで京都駅へ向かうという流動も生まれている。

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嵐電で最も新しい撮影所前駅
 

終点の帷子ノ辻駅までは300mを切っている。右カーブを曲がり終えると、駅はもう目の前だ。北野線の電車は北側の3番線か4番線に入って、嵐山本線の接続を静かに待つ。

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帷子ノ辻駅3番線に到着
 

掲載の地図は、陸地測量部発行の1万分の1「京都近郊」(昭和3年測図)、地理調査所発行の1万分の1地形図京都北部(昭和26年修正測量)、国土地理院発行の1万分の1地形図太秦(平成15年修正)および2万5千分の1地形図京都西北部(昭和36年修正)を使用したものである。

■参考サイト
嵐電(京福電気鉄道) https://www.keifuku.co.jp/

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