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2022年10月11日 (火)

ライトレールの風景-嵐電 嵐山本線 I

京都周辺を巡るミニガイドツアー「まいまい京都」の募集コースに、ときどき鉄道をテーマにしたものが含まれている。今年(2022年)5月のコース案内を眺めていたら、「嵐電 運転士さんと貸切電車でGO! 西院車庫探検から嵐山まで」というタイトルに目が留まった。近在の鉄道でも、ふだん通らなければ細部は案外知らないものだ。それに運転士目線での話が聞けるならと興味が湧いて、さっそく参加を申し込んだ。

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嵐電の運行拠点、西院車庫
掲載写真は2022年5月のツアー当日のほか、2020年2月~2022年10月の間に撮影
 

嵐電(らんでん)は、京都でトラムタイプの車両を運行している標準軌の電気鉄道だ。四条大宮(しじょうおおみや)から嵐山(あらしやま)に至る嵐山本線7.2kmと、北野白梅町(きたのはくばいちょう)から、本線と接続する帷子ノ辻(かたびらのつじ)に至る北野線3.8kmの2路線をもつ。正式社名は京福電気鉄道だが、地元では昔から「嵐電」と呼ばれ親しまれていて、2007年からこれが鉄道の正式なブランド名になった。

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雅な駅名が並ぶ嵐電路線図

よく晴れた日曜日の朝、嵐電の東側のターミナルである四条大宮駅前に集合した。駅は、8階建ビルの地上部分にあり、正面に駅名とともに筆文字で嵐電のロゴが掛かる。ツアーの出発時刻は朝9時30分、それまでに駅のある場所を観察しておこう。

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嵐電四条大宮駅
 

四条大宮というのは、東西方向の四条通と南北方向の大宮通(下注1)の交差点だ。嵐電がその南西角にターミナルを構えたのは、1910(明治43)年にさかのぼる。当時は嵐山電車軌道と称した(下注2)。

*注1 実際には、北西から斜めに入ってくる後院(こういん)通との五差路。
*注2 1918年に京都電燈、1942年から京福電気鉄道。本稿では過去の記述を含めて嵐電と記す。

その2年後には、駅前の拡幅された街路上に市電が走り始め、東は繁華街の四条河原町、北は西陣織の産地である西陣地区、南は京都駅と接続された。さらに1931(昭和6)年には、新京阪線(現 阪急京都本線)のターミナルとして大宮駅が、翌年には、四条通の四条大宮以西にトロリーバス路線が開業する。こうして、四条大宮は戦前戦後を通じて、京都の西の交通拠点として機能していた。

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電車到着のときだけ改札員が立つ
 

今でこそ京都~大阪間の主たる移動手段はJRの新快速だが、転換クロスシートの117系が投入される1980年代までは、阪急が京阪とともにその役を担っていた。当時、阪急の特急列車は、大宮を出ると大阪の十三(じゅうそう)までノンストップで走り、速くて便利だったからだ。

四条大宮を通る市電は1972(昭和47)年に廃止されたが(下注)、その後も市バスとの乗換客で、四条大宮は大いに賑わった。嵐電駅の筋向い、北東角に建つ阪急の駅が、見栄えを意識した立派な造りなのもそのことを物語る。

*注 このとき廃止されたのは四条線、千本線、大宮線。ちなみに、京都市電の全廃は6年後の1978(昭和53)年。また、四条通のトロリーバスもそれに先立つ1969(昭和44)年に廃止されている。

しかし、市街地が西に拡大し、観光地や大学のある西大路通の往来が増え、西陣の織物業が勢いを減じたことなどが影響して、人の流れはしだいに隣の西院駅に移っていった。実態を反映して、阪急の特急も日中は停車しなくなっている(下注)。

*注 朝夕は「通勤特急」として、大宮と西院にも停車する。

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阪急大宮駅
(左)駅ビル (右)地下ホーム
 

そうこうするうちに、ツアーの人数確認が始まった。きょうは定員いっぱいの30名が参加している。ガイドを務めるのは、電車運転17年の経歴をもつ同社社員のMさんだ。

「このツアーは2年半ぶりです。コロナのためにずっとできなかったので、本日はたくさんお集まりいただきうれしく思っております。今日は暑くなりそうですから、適宜水分補給をお願いします。上着を着てきてしまったので、先にぼくが熱中症になりそうですが。」
冒頭から笑いを誘い、巧みに参加者を引き付ける。

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(左)ツアーの説明を聞く
(右)一般運行の電車で西院へ
 

まずは一般運行の電車に乗って、車庫のある西院に向かう。嵐電は全線均一運賃で、運賃は降車時に車内で支払う方式だ。降車が集中する四条大宮や嵐山駅、それに乗換駅の帷子ノ辻では、電車到着のたびに係員が出てきて運賃収受を行うが、常設の改札口はなく、ホームまですっきりと見通せる。

日中10分間隔で運行されている嵐山行に乗り込んだ。9時44分、定刻に発車すると、電車は両側を住宅やマンションに挟まれた専用線でスピードを上げていく。吊掛けモーターのうなりが高まる。かつて西院との間には壬生(みぶ)駅があったが、1971(昭和46)年に廃止された。以来この間は1.4kmと、嵐電では駅間距離が最も長くなっている。

「線路の南側には、新選組で有名な壬生寺、八木邸などがあります。壬生寺の和尚さんから要望を受けたことがありまして、四条大宮は遠いのでまた駅を造ってくださいと。」
しかし、北側を並行する四条通にはバスが多数走っており、駅復活の見込みはなさそうだ。

少し行くと軽い上り坂がある。かつて地平にあった山陰本線を乗り越していたときの名残だが、今は逆に山陰本線が頭上を高架で横切っている。坂を下りて直進し、急な右カーブで四条通の踏切をごろごろと渡ると、西院駅だ。

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四条通を横断
 

ホームは千鳥式で、下り線嵐山方面は通りの北側、上り線は南側に設置されている。間にある四条通の踏切は遮断機がなく、3色の交通信号でクルマを止める。それに加えて、警報音が独特だ。一般的な電子音と違い、歩道の電柱に取り付けられたベル(電鐘)が、カンカンとのどかに鳴り響く。電車が通過した後、音がすーっとフェイドアウトしていくのも、どこかもの悲しい。

「これ全国的にも貴重なので、なくすなと言われてるんですが、よく壊れるんです。ミリ単位の接触とか、ちょっとしたことで鳴らなくなるので、そのたび係の者が調整に走ります。」

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西院踏切の電鐘装置
 

西院駅も阪急線との乗換が可能だ。しかし、最近まで両者の間は200mほど離れており、交差点の横断も必要だった。乗換機能が重視されていなかったことがわかるが、阪急の地下ホームに直結する乗換口が2017年に開設されて、長年の不便が解消された。通りの南側で上りホームと向かい合っていた嵐電の下りホームが、北側に移設されたのもこのときだ。

ただ、駅名は両者微妙に違う。阪急は「さいいん」だが、嵐電は「さい」という古い読み方を残している。とはいっても、利用者はほとんど意識せず「さいいん」と言うし、ガイドさんでさえそう発音しているように聞こえた。

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西院駅
(左)上りホームの向かいに旧下りホーム
(右)現 下りホーム
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(左)「さい」のふりがながある駅名標
(右)阪急南改札口
  改札機は阪急梅田方面、スロープは嵐電上りホームへ
 

「では、車庫のほうへ参りましょう。」
一行は、本線の線路を隔てて向かいにある車庫構内へ案内された。ここで嵐電の概要や、車庫の機能、運行業務の解説を聞く。

「車庫線は1番線から6番線まであります。5番線の612号車ですが、教という看板が付いていますね。ちょうどUライトレールの方が教習に来られてまして、試験日が近いのできょうは自習中です。どうか静かに見守ってあげてください」

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下りホームから見た車庫構内
 

見ると、制服を着た教官役と教習生とおぼしき二人が、運転席や車両の周囲を、声を掛け合いながら動き回っている。

「試験の科目をご紹介しますと、まず今やっている指呼点検を10分で終えないといけません。それから故障発見が5分、非常処置が10分。この時期ですと、終わったらみな汗だくになります。」

「それから運転です。運転士に求められる能力はいろいろありまして、まず速度感覚です。メーターを見ずに、今何キロで走っているのか。1キロ2キロ単位は難しいですが、5キロ刻みではわかってもらわないと困ります。」

「それと距離感覚。踏切や停止位置まで何メートルあるかがわかる。それから速度調節能力、30キロなら30キロに落としてそのまま走れる技術です。そして制動。電車は起動するのはわりと簡単なんですが、停止位置にぴたっと衝撃なしに停めるのは難しい。うちは手動ですので、入れすぎると手前に停まってしまいますし。」

「学科教習で3か月くらい理論とか構造を習って、運転のほうはこれが全部できて、初めて動力車操縦者乙種運転免許証(下注)です。これを取得したら、岡山とか広島とか全国の路面電車が運転できますので、うちで免許だけ取って、広電行ったりせんといてや、と言ってるんです。」

*注 軌道法で定める軌道のうち併用軌道を走る動力車の操縦資格

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運転教習を参観
 

やがて教習車の隣に、ツアーで乗る車両が引き出されてきた。旧塗色の301号車で、前面に貸切の札が下がっている。嵐電の車両は開業100周年を機に、紫一色(京紫と呼ばれる)に塗り直されたが、301号はベージュと緑のツートンカラーのまま残されている。NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」のロケでも、時代設定に合わせて、ヒロインが映画村に通うシーンで使われたそうだ。

次回は、このレトロ車両に乗って嵐山に向かう。

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貸切電車301号が引き出されてきた
 

■参考サイト
嵐電(京福電気鉄道) https://www.keifuku.co.jp/
まいまい京都 https://www.maimai-kyoto.jp/

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コメント

ブログをご訪問くださりありがとうございました。

国鉄、阪急(京阪神急行)、京阪電鉄の三者鼎立状況はご指摘のとおりだと思います。
当時を思い起こすと、市内でも京阪沿線の方は当然京阪を使っておられましたし、所要時間の点でも阪急(河原町~梅田)、京阪(三条~淀屋橋)は特急で40分以上かかっていたのに対して、国鉄の新快速(京都~大阪)は30分を切るのをうたい文句にしていたと思います。
阪急は速い、便利というのは感覚的な刷り込みに過ぎなかったのかもしれません。

また、四条通の四条大宮以西は、路面電車ではなくトロリーバスが走っていました。本文では言及できておりませんでしたので、付記したいと思います。ご指摘ありがとうございます。

追記です。四条通りの市電ですが、四条大宮・西大路四条(西院)間に市電が走ったことはなく、トロリーバスのみであったことも念のため記されると良かったと思います。

大変興味深く拝見しています。京阪間(のみ)の輸送シェアについて、阪神間と異なり三社のターミナル位置が異なることもあり、正確な実態はやや把握困難とは思いますが、少なくとも、阪急(当時は京阪神急行)河原町、京阪淀屋橋延伸、国鉄新快速117系導入当時頃の状況としては、その主役は「間違いなく阪急がその役」とは言い切れず、三社鼎立、少なくとも阪急と京阪はほぼ互角であったと思われます。

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