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2022年4月 4日 (月)

コンターサークル地図の旅-秋吉台西台のウバーレ集落

地表の風貌が独特なカルスト台地は、地図好き、地形好きにとって興味の尽きない場所だ。台地は石灰岩やドロマイトなど可溶性の岩石によって形づくられ、表面に川というものがない。代わりに大小無数の窪地が口を開けていて、雨水はそこから地下に浸透してしまう。このすり鉢状の窪地がいわゆるドリーネだ。隣接するドリーネどうしがつながって、より大きな窪地に拡大したものはウバーレと呼ばれる(下注)。

*注 もっと広いものにはポリエという名称がある。

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江原ウバーレ集落
 

2021年11月13日、秋のコンター旅西日本編1日目は、山口県西部にある日本最大のカルスト台地、秋吉台(あきよしだい)を訪ねた。ここには、全国的にも珍しいウバーレ集落がある。ウバーレの底で集落が営まれているのだ。

秋吉台は、北東から南西方向に長さ16~18km、幅6~8kmにわたって広がるが、中央を厚東川(ことうがわ)が南北に貫いていて、その谷によって大きく東台と西台に分けられる(下図参照)。私たちがふつう思い浮かべる秋吉台は、実は東台のことだ。秋芳洞(あきよしどう)など大小の鍾乳洞や、波打つ草原の台地があり、国定公園に指定されている。

対する西台も面積は同規模だが、こちらは産業地区の側面をもつ。東部と南部で、セメントなどの材料となる石灰岩の大規模な採掘場が操業しているほか、一部は牧場として開拓されている。しかし、森も案外多く残されていて、ウバーレ集落があるのは北西部のそうしたエリアだ。

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秋吉台とその周辺
基図は1:200,000地勢図
 

集落は二つあり、南のほうが入見(いりみ)、北が江原(よわら)と呼ばれる(下注)。地形図を見ると、集落が載る場所には、等高線にヒゲのような短線が施されていて、周囲より低い土地であることがわかる。ウバーレの特徴である複数の窪みも明瞭に読み取れる。

*注 このほか、入見の南方にある奥河原(おくがわら)も、南に出口をもつポケット状のウバーレに立地する。

集落はどちらも、周囲から隔絶された土地だ。凹地という地形的な特徴とあいまって、隠れ里の気配さえ漂うが、実際にはどんな場所なのだろうか。

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1:25,000地形図に歩いたルート(赤)等を加筆

朝9時過ぎ、美祢(みね)線の美祢駅前に集合したのは、中西、大出、私の3名。歩いて向かうには遠いので、タクシーで入見集落の入口まで行ってもらった。

重安付近で国道316号から右にそれ、狭い谷の一車線道(県道239号銭屋美祢線)をさかのぼる。この谷が入見まで連続しているのだが、実は地図に記された180m標高点がサミットで、そこから一転、下り坂になる。ウバーレ(のうち南側のドリーネ)の集水域に入ったわけだ。

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美祢駅に朝の下り列車が到着
 

タクシーを降り、三又になった分かれ道のうち、一番右側を下っていく。側溝を勢いよく滑る水の後を追うと、まもなく集落が現れた。多くの家が艶光りする赤茶色の瓦を載せている。タクシーの運転手さんが、「この辺はだいたい石州瓦ですよ」と言っていたのを思い出した。石州瓦は石見国、すなわち島根県が主産地で、西日本の日本海側の家屋でよく見られる。

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石州瓦を載せた入見集落の家並
 

側溝の水は集落を突っ切り、鯉の泳ぐ貯留槽を経て、日陰の平たい谷底へ続いていた。森のきわに沈殿池があり、白濁した水に泡が浮いている。生活排水も当然、ここに合流してくるのだ。コンクリートの覆いに鉄格子が嵌っていて、覗くと深い穴が見えた。ここが吸込口に違いない。

周辺は、畔道で区切られた田んぼが広がる。カルスト地形は一般に保水性が低く、稲作には不向きなのだが、凹地(ドリーネ)の底には例外的に肥えた粘土質の土が堆積し、貴重な耕作の場を提供している。

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(左)側溝を流れる水の後を追う
(右)森のきわの吸込穴
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ドリーネの底に広がる田んぼ
 

集落の小道を北へ向かう。途中、何度か住民の方に出会ったが、挨拶すると「おはようございます」とていねいに返してくれるのがうれしい。ウバーレ集落も今や隠れ里どころか、観光サイトにビュースポットとして紹介される存在だ。よそ者が歩き回るのも珍しいことではないのだろう。

入見ウバーレには、北側にもう一つドリーネがある。規模は小さいが、深さでは勝り、すり鉢状の地形がよく把握できそうだ。地図には水田の記号が見えるものの、行ってみるとすでに耕作は放棄され、草原化していた。溝の中をちょろちょろと走る水が、草むらの中に消えていく。幽ヶ穴と呼ばれる吸込口に入るはずだが、丈の高い草が茂っていて確かめようがない。

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入見集落北側のドリーネ
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(左)幽ヶ穴に向かう水流
(右)ドリーネの底の休耕田
 

入見集落の探訪を終えて、先刻の三又に戻り、もう一つのウバーレ集落、江原(よわら)をめざした。県道はくねくねと山を上り、小さな峠を越える。降りていくと道端に、集落の一部を見下ろす展望地があった。「丘の空」と呼ばれ、「ミステリーホールの謎に迫る」と興奮気味のコピーを記した案内板が立っている。

江原ウバーレは入見のそれより大きく、南北1km、東西7~800mの楕円形をしている。凹地の底まで、展望台からでも高低差が40mほどあり、まさに大鍋の内側という印象だ。そこに40戸ほどの家が建ち並ぶ。

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「丘の空」から望む江原集落の一部
道端に赤い案内板(内容は下写真参照)
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「丘の空」の案内板
 

急な坂道を小走りに下って、集落の中へ。道からそれる水路を追って、溝蓋の上を歩いていくと、金網のはまった吸込穴とおぼしき場所に行き着いた。資料(下注)によると、1989(平成元)年に新設されたもので、これにより大雨の際に浸水被害に遭うことがなくなったという。周囲の地形を見渡すと、確かにここが一番底ではない。実際、別の小さな溝が北側へ水をちょろちょろと運んでいて、その先で草むらに消えていた。そこに本来の吸込穴があるのだろう。

*注 美祢市地旅の会、堅田地区まちづくり協議会「美祢市別府のお宝さがし-ウバーレの秘密 江原地区」

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(左)溝蓋の下にもぐる水路
(右)1989年新設の吸込穴
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(左)1989年の吸込穴は奥の山際にあるが、溝の水は手前に流れてくる
(右)旧 吸込穴へ消えていく溝の水流
 

集落中央の丘の上にある水神社へ行こうと、モミジの落ち葉を踏んで急な階段を上る。小ぢんまりした境内の一部は、かつての別府小学校江原分校の跡地だ。建物も基礎もすでになく、プールだけが防火水槽に転用されて残っている。この集落では1940(昭和15)年に大火事があり、大半の家屋が焼失した。それを教訓にした備えに違いない。

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(左)水神社への石段
(右)水神社祭殿
  右に分校跡碑、左に旧プールがある
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分校跡から集落を俯瞰
 

ここで昼食休憩。それから、ウバーレ東斜面の宅地に残る「岩屋」を見に行った。カルスト台地の特徴の一つでもある石灰岩の露頭なのだが、ここでは家の塀に代用(?)されたり、庭石に見立てられて(?)いたりする。山水画を実写化したかのようで、とてもおもしろい。その手前には、鉄格子をかぶせた小さな吸込口があった。資料(下注)で言及されている「標高約170mにある吸込み穴」のようだ。

*注 ウォーキングひろめ隊、美祢市健康増進課「秋芳町別府江原 ウォーキングマップ」。

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岩屋
(左)塀の代用(?)
(右)立派な庭石にも(?)
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岩屋近くの吸込穴
左写真の物置小屋の軒下に、右写真の吸込穴がある
 

さて、この後は美祢線の於福(おふく)駅まで歩く予定だが、問題はこの石灰岩の台地をどう越えるかだ。県道は北へ抜けているので、それに従うとかなり遠回りになってしまう。一方、地形図には、ウバーレの西側の「台山」に多数の実線道路(幅員3.0m未満の道路)が描かれていて、近道に見える。

台山は、名のとおり石灰岩の台地だ。そう聞くと、東台のようなススキたなびく草原地帯が頭に浮かぶが、あれは、毎年春先に山焼きをして人為的に維持されているものだ。日本のような高温多湿の気候では、放っておくとやがて森に還る。台山も一面、自然林ないしは人工林で、空中写真では道すら見えない。

県道横の集会所で地元の方に尋ねると、「昔、車のないころはみなこの山を越えて於福駅まで歩いとった。今はもう誰も通らなくなって、道がわからなくなっとると思うよ」とのこと。進むべきか迷うところだが、近年の地形図は大縮尺の国土基本図を資料にしていて、道路情報はかなり詳細だ。藪がひどければ戻ってくればいい、と決行することにした。

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(左)台山へ登る林道
(右)獣除けネットの先はわだち道に
 

県道から分岐する林道にとりつく。台地のへりを上る区間は急勾配だったが、路面はしっかりしていた。「林道をまっすぐ行くと、山の上へ出てしまうから」とさきほど聞いたので、西へ抜けるには、どこかで左に折れなくてはいけない。ところが坂を上り切り、道が平坦になるとまもなく、左側の森を背丈以上もある獣除けのネットが覆い始めた。

地形図と照合しながら、左折点を特定する。幸いなことに、そこはネットの一部が開閉式になっていて、紐で縛ってあった。紐を解いて中へ入り、もとどおりに直しておく。その先は、深い森の中を轍の道が延びていた。降り積もった落ち葉で、踏むたびにふわふわと弾む。と右側に、小さいながらも形のいいドリーネが現れた。杉林に覆われているが、底のほうの木がより大きく育っているのは、養分が豊富な証拠だ。

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杉林のドリーネ
 

車の轍は途中で消えてしまったが、光が届かないので下草は深くなかった。しばらくするとまた左にネットが現れ、それに沿って進むうち、無事に簡易舗装の林道へ出ることができた。地形図に描かれている建物は養鶏場のようだったが廃屋で、点在しているように見える耕作地もすでに雑木林だ。しかし道筋だけは明瞭で、北へ向かっている。周りにはドリーネがいくつもあり、カルスト地形を実見できる。

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笹原のドリーネ
 

台山のへりまで来ると、道はヘアピンを繰り返しながら、比高約170mの急斜面を下降していた。山側は石灰岩剥き出しの崖で、スリットが無数に入り、今にも剥落しそうだ。汽車に乗るためにこの道を往復していたという江原の人たちの苦労に思いを馳せながら歩く。その美祢線が通る谷底平野の眺望には少し期待していたのだが、森に遮られ、ほとんど最後まで見ることができなかった。

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台山のへりを降りる
(左)石灰岩剥き出しの崖
(右)道はヘアピンの繰り返し
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谷底平野から振り返り見た台山
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図山口(昭和61年編集)および地理院地図(2022年3月15日取得)を使用したものである。

■参考サイト
秋吉台ジオパーク http://mine-geo.com/

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