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2022年1月

2022年1月31日 (月)

ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道

シェーンハイデ保存鉄道 Museumsbahn Schönheide

ヴィルカウ・ハスラウ Wilkau-Haßlau ~カールスフェルト Carlsfeld 間 41.634km
軌間750mm、非電化
1881~97年開通、1967~79年廃止
1993年保存鉄道運行開始、2001年現行区間再開

【現在の運行区間】
保存鉄道:シェーンハイデ・ミッテ Schönheide Mitte ~シュテュッツェングリュン・ノイレーン Stützengrün-Neulehn 間 3.9km

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シェーンハイデ・ミッテ駅へ向けて走る蒸気列車

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全国鉄道網から遠く離れた山中で、廃止済みの路線を一から再建し、自治体の支援を受けてボランティア団体が運営している(下注)。前回紹介したプレスニッツタール鉄道 Preßnitztalbahn が持つプロフィールは、この鉄道にも当てはまる。

*注 両鉄道とも、地元自治体が一般鉄道法 Allgemeines Eisenbahngesetz 上のEIU(鉄道インフラ事業者)およびEVU(鉄道輸送事業者)になっている。

シェーンハイデ保存鉄道 Museumsbahn Schönheide は、エルツ山地西部の高原地帯で運行されている750mm軌間の蒸気保存鉄道だ。ツヴィッカウ Zwickau の南20kmに位置するシェーンハイデ Schönheide、その田舎町にある波打つ丘を渡る3.9kmのささやかなルートが、活動場所になっている。

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まだ冬の装いの林を抜けて
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シェーンハイデ周辺の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

もちろんこの路線も、かつては全国鉄道路線網に2か所で接続された地域の交通軸だった。ツヴィッカウ近郊の標準軌線の駅ヴィルカウ・ハスラウ Wilkau-Haßlau を起点に、シェーンハイデを経由し、シェーンハイデ・ジュート(東駅)Schönheide Süd(旧名ヴィルチュハウス Wilzschhaus)で再び標準軌線と接続した後、エルツ山地の奥深く、標高816mのカールスフェルト Carlsfeld という村まで達していた。路線長42kmの、ザクセンで最も長大な狭軌線だった。

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往路は下り坂で、機関車は後退運転
 

それだけでなく、このヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道は、ザクセンで最初に開通した750mm狭軌線という、記念すべきタイトルも有していた。

南部の山がちな地域に鉄道の恩恵を行き渡らせるには、導入費用が安価で、ルート設計に小回りの利く狭軌が最良の選択肢になる。ザクセン王国政府はそう考えて、1876年から狭軌鉄道の建設法案を議会に提出していたが、1880年にようやく可決されて、路線の着工に至る。その一つが、ヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道の根元区間に相当する、ヴィルカウ・ハスラウ~キルヒベルク Kirchberg 間6.3kmだった。

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シェーンハイデ保存鉄道とその周辺の路線図
破線は廃線または休止線
 

ルートの大半が街道に横付けする形にされたので、工事は容易で、早くも1881年10月に開通式が行われている。ちなみに、同じ法案に盛り込まれていたヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn は、通過する地形に手こずったため、開通は1882年10月と、「同期生」に1年の遅れを取った。

先んじた方は、キルヒベルクまで列車が走り始めた時点で、すでに隣村のザウパースドルフ Saupersdorf(後の上駅 ob Bf)まで3.6kmの延伸にも着手しており、1883年に開通を果たしている。

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旧ヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道の子供用車内乗車券
シェーンハイデ・ジュート以遠廃止後の発行
Photo by Klaaschwotzer at wikimedia. License: CC0 1.0
 

ここまでを第1区間とすると、第2区間は、周辺自治体から誘致の要望が百出し、ルート決定までに長い時間を要した。最終的にシェーンハイデ経由で、ヴィルチュハウスで標準軌のケムニッツ=アウエ=アードルフ線 Bahnstrecke Chemnitz–Aue–Adorf と接続することが決まり、開通したのは、第1区間から10年も後の1893年になった。

長さ24.3kmのこの区間は、地勢がより複雑で、高低差も大きい。そのため、道路から独立し、勾配緩和のために迂回路をとり、深い谷をトレッスル橋で渡るなど、山岳鉄道らしいルート設計が施されている。後で見るように、シェーンハイデ保存鉄道の列車が走るのも、そうした特徴を備えたルートだ。

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ヴィルチュハウス(後のシェーンハイデ・ジュート)駅付近の狭軌鉄道
2本の高架橋の間で標準軌線をまたいでいる
画面奥に駅がある(1905年ごろの絵葉書)
Image from wikimedia. License: Public domain
 

最後の第3区間は、ヴィルチュハウスからカールスフェルトまでの7.3kmだったが、エルツ山地の最奥部で、採算が疑問視されたこともあって着工が遅れ、開通は1897年までずれ込んだ。工費節約のために、線路の多くが再び道路に横づけされた。谷を遡るルートは勾配が最大50‰にもなり、貨物も運ぶ蒸気鉄道としては限界に近いものだった。

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カールスフェルトの市街地と駅
(1897~1910年の間の絵葉書)
Image from wikimedia. License: Public domain
 

貨物輸送では、標準軌貨車を直通させるロールワーゲン方式が1907年以降、順次導入されていったが、キルヒベルクの市街地では車両限界の拡充が難しかった。ようやく1960年代初めに、この区間で線路移設を含む提案がなされたが、時すでに遅く、1964年に政府は、国内の狭軌鉄道を全廃する方針を決定した。

これはすぐに実行に移された。1966年に、末端のヴィルチュハウス~カールスフェルト間で旅客輸送が休止されたのを手始めに、数年の間にほとんどの区間で列車が消えた。最後まで残ったのは、中間部のローテンキルヘン Rothenkirchen ~シェーンハイデ・ジュート間で行われていたブラシ製造会社の貨物輸送だが、これが1977年に休止となった(廃止は1979年1月1日)ことで、路線の歴史にいったん幕が下ろされた。

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シェーンハイデ・ノルト~シュテュッツェングリュン間開業初日
シェーンハイデ・ミッテ駅車庫前にて(1997年12月5日)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

廃線跡で保存鉄道の活動が始まったのは、ドイツ再統一後のことだ。1991年にシェーンハイデ/カールスフェルト保存鉄道協会(現 シェーンハイデ保存鉄道協会 Museumsbahn Schönheide e. V.)が設立されて、線路の再建作業が始まった。シェーンハイデ・ミッテ~ノイハイデ Neuheide(現 シェーンハイデ・ノルト)間が1993年に再開され、その後1997年と2001年の段階的延伸を経て、現在の終点シュテュッツェングリュン・ノイレーン Stützengrün-Neulehn まで列車が走れるようになった。

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シュテュッツェングリュン・ノイレーン停留所と
線路終端(2011年)
Photo by Knergy at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

なお、南にあるシェーンハイデ・ジュートとカールスフェルトの駅跡でも、1999年に設立された西部ザクセン保存鉄道振興協会 Förderverein Historische Westsächsische Eisenbahnen e.V. という別の組織が、駅構内の線路を復元し、保存列車の公開走行を随時行っている。協会は、シェーンハイデ・ジュートで接続していた標準軌のアウエ=アードルフ線 Bahnstrecke Aue–Adorf の廃線跡も所有し、管理している。

シェーンハイデ保存鉄道が拠点としているのは、シェーンハイデ・ミッテ Schönheide Mitte 駅(下注)だ。確かに町を貫く中央通り(ハウプトシュトラーセ Hauptstraße)に同名のバス停もあるものの、そこから駅らしきものは見えない。かつて駅構内はもっと広がり、通りからも見渡せたのだが、廃止後、飲料販売会社の倉庫用地に転用されてしまった。

*注 1950年にシェーンハイデから改称。

それで保存鉄道の駅は、倉庫の前の道を北へ200mばかり入った機関庫周辺に設けられている。小さな保存鉄道を象徴するような、小ぢんまりとしたスペースだ。ホームが不自然に急カーブしているのも、倉庫を避けて入換用側線を延ばす必要があったからだ。

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シェーンハイデ・ミッテ駅
カーブした狭い構内
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同 倉庫を避けて延びる入換用側線
 

鉄道の運行は不定期で月2回程度しかなく、乗車の機会は限られる。しかし、運行当日はルートの短さを逆に生かして6往復走るので、沿線での撮影チャンスが増えていいだろう。片道の所要時間は往路27分に対して、復路は21分。往路のほうが長い理由はあとでわかる。

機関車は、1992年に当時のDR(ドイツ国営鉄道)から調達された2両のザクセンIV K形蒸機(下注)のどちらか、または製紙工場からもらわれてきたV 10 Cディーゼル機関車が出動するはずだ。無蓋貨車を改造した展望車も連結されるので、外の景色を存分に楽しむことができる。

*注 協会は全部で3両のIV K機を所有しているが、1両はザクセン・スイス Sächsische Schweiz 地方の保存鉄道シュヴァルツバッハ鉄道 Schwarzbachbahn に貸し出されている。

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IV K形蒸機 99 582、1912年製
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機関庫にはVI K形があと2両いた(2013年撮影)
99 585はその後、他の保存鉄道に貸出された
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展望車
側面の広告ヴェルネスグリューナー Wernengrüner は地元の銘柄ビール
 

切符は走行中に車掌から買えばいいので、さっそく乗り込むことにしよう。汽笛一声、列車はゆるゆると駅を離れる。駅横の踏切を越え、主信号機の前を通過する頃、目の前に、広く深い谷間となだらかな丘が連なる高原の風景が展開する。正面遠方に見えるレンガ色の大きな工場が、これから向かうシュテュッツェングリュン駅のある場所だ。始発駅が標高678mとルートで最も高いこともあり、ここが最も見晴らしがいい。

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(左)出発するとすぐ高原の風景が広がる
(右)落葉樹の林を行く
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ミッテ駅北方から望む高原風景
手前はノイハイデの集落
丘の上のレンガ色の建物の前に列車の目的地がある
 

列車は、谷を巻くために左へカーブしていく。線路は下り勾配になっている。クーベルク Kuhberg の山裾にある大きなS字カーブを回った先に、一つ目の停留所シェーンハイデ・ノルト Schönheide Nord(北駅、旧名はノイハイデ Neuheide)がある。ここも廃線後、跡地がガレージに転用されたため、現在の通過線と待避線は駅構内から少しずらして設けられた。

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ノルト停留所
右のガレージを避けてカーブする線路
 

この後はまた林の中の大きな右カーブで、先ほど見えていた向いの丘にとりつく。そのままレベル(水平)で進んでいくと見えてくるレンガ色の大きな建物が、旧線時代に貨物輸送の最後の顧客だったブラシ製造工場のビュルステンマン Bürstenmann だ。建物に隣接して、シュテュッツェングリュン駅(下注)がある。

*注 旧線時代、正式なシュテュッツェングリュン駅がここから2km北にあり、現駅は工場の通勤客が使う同名の停留所だった。

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(左)このカーブを曲がるとシュテュッツェングリュン駅
(右)ブラシ製造工場の前の駅名標
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ミッテ駅北方から見た同 工場建物
蒸気列車の煙が上がる
 

ここでは7分停車する。早くも機関車が切り離され、側線を通って列車の後方に走っていく。機回しは、終点で列車を方向転換するための作業のはずだが、なぜ中間駅で行うのだろうか。

実は、終点シュテュッツェングリュン・ノイレーンが行き止まりの棒線停留所(下注)で、機回しに使う側線がない。それで、シュテュッツェングリュンでの機回しの後、列車はバックする形で走り、終点では単純に折り返す。両駅の距離は約500mに過ぎず、引上げ線を往復しているようなものだ。

*注 旧線時代、ここに乗降施設はなかった。現停留所は保存鉄道の終点として設置されたもの。

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シュテュッツェングリュン駅での機回し作業
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ギャラリーが見守る中、再連結
 

シュテュッツェングリュンを出た列車は右カーブでゆっくりと森の切通しに入っていき、片側ホームのノイレーンに到着する。線路はかつて踏切だった道路の手前で途切れていて、以遠の線路跡は草むらに埋もれている。

ここで線路が終端となる理由は、この先で旧線が渡っていた大小2本のトレッスル橋が、すでに撤去されてしまっているからだ。廃線後、自治体は鉄道記念物として保存する計画だったが、財政上の理由で断念した。一方、起点のシェーンハイデ・ミッテの南側も用地の転用が進んでいる。そのため、シェーンハイデ保存鉄道がこれ以上ルートを拡張するのは難しいのが実情だ。

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シュテュッツェングリュン・ノイレーン停留所に到着

では最後に、公共交通機関によるアクセスについて記しておこう。

保存鉄道駅の最寄りバス停は、先述の通り、中央通りにあるシェーンハイデ・ミッテ Schönheide Mitte だ。ここへは、東からアウエ Aue 発の、西からアウエルバッハ Auerbach 発のバス路線が通じている。

まず、DBアウエ駅前からは、平日の場合、351系統の直行便がある。休日は、373系統でアイベンシュトック・自由広場 Eibenstock, Platz des Friedens まで行き、そこで351系統に乗り換えてシェーンハイデに向かうことになる。所要時間は50分前後。時刻表はエルツ山地地域交通 Regionalverkehr Erzgebirge, RVE https://www.rve.de/ を参照されたい。

また、DBアウエルバッハ下駅 Auerbach unt Bf の駅前からは、61系統(RVE管内のバス停では V61 と表記)が直行する。こちらは所要27分と近いが、休日は電話による事前予約制になっているので注意。時刻表はフォークトラント運輸連合 Verkehrsverbund Vogtland, VVV https://vogtlandauskunft.de/ にある。

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ミッテ駅に戻っていく蒸気列車
 

次回は、キルニッチュタール鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
シェーンハイデ保存鉄道協会 https://www.museumsbahn-schoenheide.de/
西部ザクセン保存鉄道振興協会 https://www.fhwe.de/

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2022年1月22日 (土)

ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道

プレスニッツタール鉄道 Preßnitztalbahn

ヴォルケンシュタイン Wolkenstein ~イェーシュタット貨物駅 Jöhstadt Ldst. 間 24.328km
軌間750mm、非電化
1892年開通、1982~86年廃止
1993年保存鉄道運行開始、2000年現行区間再開

【現在の運行区間】
保存鉄道:シュタインバッハ Steinbach (bei Jöhstadt) ~イェーシュタット Jöhstadt 間 7.994km

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シュレッセル駅に停車中の蒸気列車

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エルツ山地で鉱山集落を起源とする町や村は、傾斜地に作られていることが多い。チェコとの国境に接するイェーシュタット Jöhstadt もその一つだ。

町の上手のマルクト広場 Marktplatz から駅に至る道は急な下り坂で、距離こそ1km程度だが、高低差は100mもある。750mm軌間の蒸気保存鉄道の一つ、プレスニッツタール鉄道 Preßnitztalbahn はこの谷底の駅を拠点にして、約8kmの区間で運行されている。

これまで紹介してきたものとは違い、この狭軌鉄道は、DB(ドイツ鉄道)の全国路線網に接続されていない。そのため、公共交通機関で向かうなら、近隣のアンナベルク・ブーフホルツ Annaberg-Buchholz まで列車に乗った後、バスに約30分揺られ、さらにこの坂道を歩いて降りる必要がある(アクセスの詳細は後述)。

どうして、このような山中に孤立した鉄道が存在し、今も動いているのだろうか。その訳を知るために、まずは路線の歴史をひも解いていきたい。

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シュタインバッハ駅から帰りの途へ
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イェーシュタット周辺の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

鉄道名になっているプレスニッツタール Preßnitztal というのは、プレスニッツ川 Preßnitz が流れる谷(タール Tal)のことだ。鉄道は、エルツ山地に刻まれたこの谷(下注)の中を終始走っていく。

*注 ただし、路線の終盤は、支流であるイェーシュテッター・シュヴァルツヴァッサー川 Jöhstädter Schwarzwasser の谷を行く。

狭軌鉄道の建設前から、谷には水力を利用した製粉、製材、製紙などの小規模な工場が多数稼動していた。しかし、製品を運び出すには、谷の険しい徒歩道をたどるしか手段がなかった。1866年にアンナベルクまで標準軌線が延びた(下注)のをはじめ、周辺の交通事情はしだいに改善されていったが、プレスニッツタールに列車が現れるまでには、さらに20年以上の歳月を必要とした。

*注 アンナベルク=ケムニッツ線 Bahnstrecke Annaberg–Chemnitz(現 アンナベルク・ブーフホルツ下駅=フレーア線 Bahnstrecke Annaberg-Buchholz unt Bf–Flöha)。

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新緑の森に囲まれた谷間を行く
 

エルツ山地は地形が険しく、従来の標準軌での建設は技術的にも財政的にも課題が多すぎた。そこで政府は、こうした周辺地域の支線(二級鉄道 Sekundärbahnen)を比較的低コストで済む狭軌で設計することにし、1878年から750mm軌間による路線建設を開始する。

プレスニッツタール鉄道もまた、その枠組みで整備された路線だった。ルートは、アンナベルクへの標準軌線の途中駅ヴォルケンシュタイン Wolkenstein を起点に、イェーシュタットを終点とする23.0kmとされた。ただし、ヴォルケンシュタイン駅から実際の分岐点までの約1.5kmは3線軌条で、標準軌と狭軌が線路を共有していた。

正式名称は、ヴォルケンシュタイン=イェーシュタット狭軌鉄道 Schmalspurbahn Wolkenstein–Jöhstadt といった。もとはこのように、標準軌の路線網に接続された路線だったのだ。

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ヴォルケンシュタイン駅の眺望
左が狭軌線、右が標準軌線
(1909年の絵葉書)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
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プレスニッツタール鉄道とその周辺の路線図
破線は廃止線または休止線
 

鉄道は1892年6月に開通し、1日3往復の列車が走った。1年後の1893年5月には、貨物輸送のために、国境直前のイェーシュタット貨物駅 Jöhstadt Ladestelle まで延伸され、全長24.3kmの路線になった。

当時はボヘミア(現 チェコ共和国)からの石炭輸送ルートが求められており、プレスニッツタール鉄道にも山地を越えての延伸構想がいくつか現れている。しかし、建設費や採算見通しなどの問題から、どれも実現に至らないまま、第一次世界大戦の開戦ですべて沙汰止みになってしまった。

一方、現存線では、特に貨物輸送が好調に推移していた。ニーダーシュミーデベルク Niederschmiedeberg の製紙工場とともに、イェーシュタット貨物駅から消火設備を出荷するフラーダー Frader 社が主要な顧客で、1911年には、標準軌貨車を狭軌の台車に載せて運ぶロールワーゲン方式が導入されている。

第二次大戦後の東ドイツ時代に入ると、製紙工場を転換して開設された冷蔵庫工場が、製品の搬出に鉄道を利用した。1964年に国が打ち出した狭軌路線全廃計画は、もちろんこの鉄道にとっても目前の危機だったが、貨物の代替輸送手段が整うまでの間、執行は先送りとされた。

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(左)イェーシュタット駅旧景
  ザクセン蒸気ルートの案内板の一部を撮影
(右)ロールワーゲン
  シュタインバッハ駅の静態展示
 

ところが、廃止を見越して保守経費が削減された影響で、線路や設備の摩耗がしだいに顕わになっていく。オイルショックを受けて1981年にトラックから鉄道へ輸送手段の転換が検討されたときには、もはやプレスニッツタール鉄道は担い手とみなされなかった。それどころか、鉄道より道路整備のほうがコスト的に有利だとされて、廃止方針が確定してしまった。

運行休止は、1982年から1986年にかけて段階的に実施されている。旅客列車は、1984年の1月に上流区間のニーダーシュミーデベルク~イェーシュタット間で、9月に下流区間のヴォルケンシュタイン~ニーダーシュミーデベルク間で、それぞれ運行を終えた。

貨物列車は先行して1982年から順次休止の措置が取られ、最後に残ったニーダーシュミーデベルクからの冷蔵庫輸送も1986年11月にトラックに切り替えられた。これにより同年12月31日をもって、鉄道は法的に全線廃止とされた。

使われなくなった線路の撤去がまもなく始まり、橋梁も数にして約2/3が解体された。プレスニッツタール鉄道は、東ドイツ時代に廃止され、撤去された最後の狭軌路線だった。

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シュタインバッハ駅北方の線路終端(2011年)
Photo by Aagnverglaser at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

現在の保存鉄道から見れば、ここまでがプレヒストリー(前史)になる。線路跡は更地に還され、まもなく雑草に覆われた。その一方で、鉄道の喪失を惜しむ人も多く、彼らは1988年に「プレスニッツタール鉄道利益共同体 Interessengemeinschaft Preßnitztalbahn」の名称で、記念物を保存するボランティア活動を開始する。

ドイツ再統一の過程にあった1990年夏、団体は協会格を得て、新たな組織目標を、イェーシュタットを拠点にした鉄道の再建と定めた。当初の目標はイェーシュタットからシュマルツグルーベ Schmalzgrube まで約4kmのルートの復元だった。

作業はまず、廃線跡に埋まる枕木を掘り起こし、整地し直すことから始まる。所によっては線路跡に建つ建物の撤去や、橋桁の再架設も必要となった。そのうえで軌道を敷設し、完成した区間から順に列車を走らせる。その距離は毎年着実に延びていき、1995年には目標のシュマルツグルーベに達した。

その後も工事は続けられ、2000年8月には、起点から約8kmのシュタインバッハ Steinbach まで再開された。これが、現在の運行区間になっている。

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シュタインバッハ駅で出発を待つ蒸気列車

では、ルートに沿ってイェーシュタット駅から見ていこう。

保存鉄道の起点になっているイェーシュタットでは、長らく北側(シュタインバッハ方)の、駅舎から150mほど離れた機関庫のあるエリアで発着が行われていた。一般輸送廃止後に、機関庫と駅舎の間にアパートが建てられたため、線路を再建できなかったのだ。

アパートの裏庭を一部後退させることで、用地が確保され、2021年9月に待望の駅舎前に線路が延長された。駅の南側(貨物駅方)では、すでに2018年に約250mの線路が敷かれており、これと接続して、駅構内を昔のように列車で往来することが可能になった。

■参考サイト
プレスニッツタール鉄道-新しいイェーシュタット駅
https://www.pressnitztalbahn.de/museumsbahn/projekte/neuer-bahnhof-joehstadt-ba-km-2

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(左)イェーシュタット駅舎
(右)イェーシュタット駅機関庫
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同 機関庫のあるエリア
 

イェーシュタットは標高684mで、路線で最も高い場所にある。標高543mの終点シュタインバッハまで、線路は川に沿って下り一方だ。そのため往路は、蒸機も惰行で走る区間が長い。また、機関車は後退運転(逆機)になる。その分、復路は最大25‰の坂道を力強く上っていくし、機関車も正面が前になり、写真映えがする。

イェーシュタット駅を出た列車は、機関庫の前を通過し、続いて倉庫のような大きな建物を左手に見る。これは、2005年に建てられた鉄道の展示・車両ホール Ausstellungs- und Fahrzeughalle だ。南側に停留所が併設されているので、リクエストがあれば停車してくれる。

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展示・車両ホール
(左)停留所から見た外観(2016年)
Photo by Aagnverglaser at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)内部の車両展示(2018年)
Photo by Aagnverglaser at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この後、シュレッセル Schlössel 駅まではすぐだ。ここは島式ホームがあり、待避線や留置側線が並んでいる。写真の撮影時(2014年)はイェーシュタット駅が工事中で、ここが列車の起点になっていた。

シュレッセルを後にすると、列車は針葉樹に覆われた谷間に吸い込まれていく。左手では、イェーシュテッター・シュヴァルツヴァッサー川が、早瀬と淵を繰り返しながら流れ下っている。

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シュレッセル駅
 

保存鉄道化に際して、旧線にはなかった停留所がいくつか新設された。リクエストストップのローレライフェルゼン(ローレライ岩) Loreleifelsen もその一つで、少し上流側にライン川の名所にあやかった大岩がある。もっとも、クライネ・ローレライ(小さなローレライ) Kleine Lorelei という控えめな実名が示すとおり、期待するほどのものでもないようだが…。

森が開けると、大きな左カーブを回って、シュマルツグルーベ駅に停車する。ここは旧線時代からある村の駅だ。レンガ建ての小さな駅舎とともに待避線も備わっていて、1時間間隔のダイヤの日は、実際に列車交換が行われる。

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シュマルツグルーベ駅とレンガ建ての小駅舎
 

フォレレンホーフ Forellenhof は、同名のガストホーフ(食堂兼旅館)の前にある停留所だ。フォレレ Forelle とはカワマスのことで、隣接してその養魚池がある。線路脇に設けられたテラスで出される川魚料理は、とりわけ人気が高いらしい。列車は、プレスニッツ川の本流とともに再び森に包まれていく。

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フォレレンホーフ停留所
(左)奥の建物がテラスのあるガストホーフ
(右)手作り感のあるホーム
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カワマスが泳ぐ(?)養魚池
 

森の中で、A・ゲーゲントルム・シュトルン A.-Gegentrum-Stolln と記された駅名標が立つ砂利敷のホームを通過する。鉱山跡を公開している同名の観光スポットのために開設されたリクエストストップだ。森を抜けたところにあるヴィルトバッハ Wildbach も同様で、近くにレストハウスがある。

こうして列車は、終点シュタインバッハに到着する。旧線時代から、ここは中間の主要駅の一つだったが、当時のレイアウトに従って4本の線路が復元され、ターミナルにふさわしい姿に蘇った。シュマルツグルーベと同じような平屋の駅舎も、ホームの傍らにある。

列車から切り離された機関車は、駅舎と反対側にある給水処 Wasserhaus の前に移動する。童話から抜け出てきたかのようなこの愛らしい2層のレンガ建は、旧線の遺構の中でもとりわけ印象的なものだ。

*注 正式駅名はシュタインバッハ(バイ・イェーシュタット)Steinbach (b Jöhstadt)。イェーシュタット近傍のシュタインバッハを意味する。

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シュタインバッハ駅に入線
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駅到着後、機関車は給水処(左の建物)へ移動
 

線路はホームの端からさらに続いているように見えるが、カーブを曲がってプレスニッツ川を渡った先に終端がある。そこから下流の廃線跡は、大半がプレスニッツタール自転車道 Preßnitztalradweg に転用されてしまった。

2021年の時刻表によれば、イェーシュタット~シュタインバッハ間の所要時間は、往路が37分、復路が45分になっている。復路が長いのは、中間のシュマルツグルーベで9分間の停車があるからだ。

鉄道は、夏のシーズンの週末と年間の祝日を中心に運行されている。ダイヤには、2時間間隔で走る日(1日9往復)Fahrtage im Zwei-Stundentakt と、1時間間隔の日(1日4往復)Fahrtage im Ein-Stundentakt の別があり、前者の場合、シュマルツグルーベで列車交換が行われる。

保存列車を牽くのは、特別な事情がない限り蒸気機関車だ。鉄道の公式サイトによれば、協会が所有する蒸機は7両にも上る(2021年現在)。主力のザクセンIV K形が4両揃っているほか、1927年製のVI K形、I K形の2009年製レプリカ、1966年製の動輪3軸の蒸機と、実に多彩な顔ぶれだ。しかもすべて運行できる状態にあるという。

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HF 210 E形機関車
1939年製の軍用軌道機関車で、「アクヴァーリウス・ツェー AQUARIUS C」の愛称をもつ
終戦後も各地で稼働し、2009~16年にプレスニッツタール鉄道で在籍、
現在(2022年)はオーストリアのタウラッハ鉄道 Taurachbahn で供用中
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左から、IV K形99 1594(1914年製)、
1966年製3軸機99 4511(1966年製)、
最古参のIV K形99 1542(1899年製)
イェーシュタット駅機関庫にて(2019年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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I K形レプリカ54号(2010年撮影)
Photo by Liesel at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

最後に、公共交通機関でのアクセス方法について。

冒頭でも触れたとおり、イェーシュタットへは、DBチョーパウタール線 Zschopautalbahn のアンナベルク・ブーフホルツ Annaberg-Buchholz(下注)駅前から、路線バス 430系統で約30分だ。

*注 正式駅名には unt Bf(unterer Bahnhof の略、下駅の意)が付く。かつて町の上手にあった「上駅 ob Bf (oberer Bahnhof)」と区別していた名残。

残念ながら、バスはイェーシュタット駅前には立ち寄らない。そのため、イェーシュタット・マルクト(マルクト広場)Jöhstadt, Markt か、その次のイェーシュタット・アインカウフスマルクト Jöhstadt, Einkaufsmarkt バス停で下車する必要がある。前者から駅までは急な下り坂で約1km、後者はより近くて約500mだ(下図参照)。バス時刻表は エルツ山地地域交通 Regionalverkehr Erzgebirge, RVE の公式サイト https://www.rve.de/ にある。

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イェーシュタット・マルクトのバス停
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イェーシュタット周辺の駅、バス停の位置を
1:25,000地形図(1999年)に加筆
© 2021 Staatsbetrieb Geobasisinformation und Vermessung Sachsen
 

これとは別に、訪問者の多い特別運行日限定だが、「プレスニッツタール行楽ルート Ausflugslinie Preßnitztal」の名で、DBヴォルケンシュタイン駅前からシュタインバッハ駅まで連絡バスのサービスもある。詳細は、保存鉄道の公式サイトに掲載されている。

次回は、シェーンハイデ保存鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2014年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
プレスニッツタール鉄道 https://www.pressnitztalbahn.de/

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2022年1月 8日 (土)

ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道

デルニッツ鉄道 Döllnitzbahn

オーシャッツ Oschatz ~ミューゲルン Mügeln (b. Oschatz) ~グロッセン Glossen (b. Oschatz) 間 15.973km
ネビッチェン Nebitzschen ~ケムリッツ Kemmlitz (b. Oschatz) 間2.66km
軌間750mm、非電化
1885~1903年開通

*注 正式駅名につく b. Oschatz は bei Oschatz の略記。「オーシャッツ近傍の」を意味し、同名の他の駅と区別するために付けられる。

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デルニッツ鉄道の蒸機運行日
ミューゲルン駅に列車が到着

ライプツィヒ Leipzig とドレスデン Dresden、このザクセン2大都市を結ぶ標準軌幹線の途中に、オーシャッツ Oschatz 駅がある。デルニッツ鉄道 Döllnitzbahn の列車は、ここを起点にしている。鉄道は750mm軌間で、運行にはディーゼル機関車のほか、蒸気機関車も使われる、と来れば、同じような狭軌鉄道をいくつか見てきたので、中身はおよそ想像がつくというものだ。

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デルニッツ鉄道の列車
アルトミューゲルン Altmügeln 駅にて
 

しかし調べてみると、他の路線とは少し様子が違うことに気づく。第一に、現在のルートがいくつかの路線の継ぎはぎにより成立している点だ。「デルニッツ鉄道」は路線を運営する会社の名称であって、そのような名の1本の路線が最初から存在したわけではなかった。

第二に、廃止の危機を潜り抜けてきた理由だ。東ドイツでは1964年に、今後10年間で狭軌路線を全廃するという決定が下されたが、その後、一部の路線が、観光に活用するとして廃止を免れた。しかし、「デルニッツ鉄道(を構成する路線)」はそのリストに含まれていない。

第三に、使われる蒸気機関車がザクセンIV K形(DR 99.51~60形、下注)であることだ。より新しい5軸の機関車を使う路線も多い中で、デルニッツ鉄道では、1900~10年代生まれのこの旧型機(ただし1960年代に全面更新されている)が定期的に運用されている。

*注 IV K形は、マイヤー式 Meyer-Lokomotive と呼ばれる関節式機関車の一種で、ボイラーの下に2軸ボギーの台枠を前後2個設置し、急曲線での走行を可能にしている。王立ザクセン邦有鉄道向けに、ケムニッツのザクセン機械製造所 Sächsischen Maschinenfabrik で製造された。ちなみに、IV は「第4」の意で開発順を示し、Kは「クラインシュプーア Kleinspur」すなわち小軌間(狭軌)を意味する。IV K でフィーア カーと読む。

こうした他線との違いが生じた理由は何なのだろうか。路線の成立経緯から探っていきたい。

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ザクセンIV K形蒸機99 574
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オーシャッツ周辺の地形図に狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

この地域は、かなり早くから近代的な交通手段の恩恵に浴していた。というのも、ドイツ最初の長距離鉄道と言われるライプツィヒ=ドレスデン鉄道 Leipzig-Dresdner Eisenbahn が、オーシャッツを経由したからだ。ライプツィヒから東へ順次延伸されてきた鉄道は、1838年11月にオーシャッツに達し、町の北方に駅が設置された。

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現在のDBオーシャッツ駅
 

しかし、その後の数十年はまだ全国幹線網の発達段階であり、後背地にあるミューゲルン Mügeln やヴェルムスドルフ Wermsdorf などの町との間は、馬車連絡の時代が長く続いた。地方路線建設の可能性は、軽便鉄道に関する法制が整備された1878年以降に、ようやく現実味を帯びてくる。

この地域で最初の狭軌鉄道は、1884~85年に開通したオーシャッツからミューゲルンを経てデーベルン Döbeln に至る延長30.9kmの路線だ。南北に走るこの路線は、両端で幹線駅に接続しており、中間のミューゲルンが事実上の目的地だった。そのため、ミューゲルン駅は頭端駅 Kopfbahnhof の形状で設計された。

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ザクセン邦有鉄道の路線図(1902年)
薄いマーカーが「ミューゲルン路線網」
赤は現 デルニッツ鉄道のルート
Base map from wikimedia. License: Public domain
 

次に実現したのは、ミューゲルン~ナイヘン Neichen(旧称 ネルハウ・トレプセン Nerchau-Trebsen)間の23.9kmで、1888年に開通した。上記の南北路線に対して、こちらは、ヴェルムスドルフを主要な経由地とする東西ルートだ。ミューゲルンに西側から接続したため、駅は通過構造に変わった。

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ミューゲルン駅(1910年の絵葉書)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

同じ頃、ミューゲルンの西方、ケムリッツ Kemmlitz とクロプテヴィッツ Kroptewitz の周辺で、磁器の原料になるカオリン(白陶土)の採掘が開始される。搬出の手段として、1903年にミューゲルン=ナイヘン線の途中にあるネビッチェン Nebitzschen から貨物線が延ばされた。これが、長さ6.3kmのネビッチェン=クロプテヴィッツ線だ。専ら貨物列車が行き交う路線だったが、1945年から1964年まで、混合列車による旅客輸送も実施されている。

これらは周辺の路線群と合わせて「ミューゲルン路線網 Mügelner Netz」と総称された(上図参照)。運行の中核となったミューゲルン駅は段階的に拡張され、1927年には35本の線路と約70か所のポイント(分岐)を有する規模になる。ヨーロッパ最大の狭軌駅という表現もあながち誇張ではなかった。

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1938年のミューゲルン駅構内配線図(和訳を付記)
Image by Rainerhaufe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

しかし第二次世界大戦後は、鉄道離れが徐々に進行する。そのため、冒頭でも触れたとおり、1964年に国によって狭軌路線全廃の方針が示され、それを境に路線網は縮小に向かう。

1967年から翌68年にかけて、成績の振るわなかった西部および南部の区間が廃止され(下注)、幹線と接続するのはオーシャッツ駅だけになった。旅客列車はオーシャッツ~ミューゲルン間に最後まで残っていたが、これも1975年9月に休止されてしまう。他線のような観光輸送の対象にはならなかったのだ。

*注 ミューゲルン路線群の廃止年表
 1967年11月30日 ケムリッツ~クロプテヴィッツ
 1968年1月1日 ミューゲルン~デーベルン
 1968年7月1日 ムッチェン Mutzschen ~ナイヘン
 1970年1月1日 ヴェルムスドルフ~ムッチェン
 1972年2月1日 オーシャッツ~シュトレーラ Strehla
 1972年10月1日 ネビッチェン~ヴェルムスドルフ

一方、カオリン製品の搬出を筆頭に、貨物輸送にはまだ需要があった。さらにオイルショックの影響で、ソ連からの原油供給が不足したため、東ドイツでは1981年から、輸送手段をトラックから鉄道に転換する政策が取られた。これに応じて、貨物列車は1日に最大6往復設定された。

列車は、カオリン鉱山のあるケムリッツを出発し、ミューゲルン経由でオーシャッツへ向かう。戦前のミューゲルン路線網を利用した輸送路だが、路線廃止が進んで、今や列車が走行できるのはこのルートだけになっていた。

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デルニッツ川橋梁を渡るミューゲルン方面の貨物列車(1991年)
Photo by Rainerhaufe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ドイツ再統一後の1993年、ドイツ鉄道顧客連盟 Deutsche Bahnkunden-Verband e. V. (DBV) がデルニッツ鉄道有限会社 Döllnitzbahn GmbH を設立し、DB(ドイツ鉄道)から鉄道施設と車両を引き継いだ。設立の目的はカオリンの輸送体制を維持することだった。ちなみにデルニッツ Döllnitz は、路線に沿って流れる川の名に由来する。

ザクセンの狭軌線の中で唯一続けられた貨物輸送だが、結局、効率の点でトラックに及ばず、2001年に休止となってしまう。ところがこの時すでに、放棄されて久しい旅客輸送の分野で、別の動きが始まっていた。

一つは、蒸気機関車による観光列車の運行だ。1994年にDBVのもとで、「ヴィルダー・ローベルト」振興協会 Förderverein "Wilder Robert"(下注)が設立されている。ミューゲルン駅に本拠を置いた協会によって、残存するIV K形機関車を使った特別運行が開始された。それと並行して、ミューゲルン駅構内の鉄道施設や車両群の復元や改修も進められた。

*注 ヴィルダー・ローベルト(荒くれローベルトの意)は、IV K形蒸機につけられたあだ名。

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蒸気運行の案内板、次回は4月14日とある
 

もう一つは、1995年にオーシャッツ~アルトミューゲルン間で再開された通学輸送だ。これは主にオーシャッツのギュムナージウム(文科高等中学校)に通う生徒たちが利用するもので、バスに比べて輸送力が大きい点が評価された。2006年には現在の終点グロッセン Glossen まで線路が復元され、通学列車の運行区間も延長されている。

一方、支線のネビッチェン~ケムリッツ間は、2006年に線路の損傷が発見されて以来、通行できなくなっていた。だが、カオリン鉱山の観光開発を目ざして2017~18年に復旧工事が実施され、再び運行が可能になった。

こうして2021年現在、列車が走れる区間は、オーシャッツ~ミューゲルン~グロッセン間の「本線」16.0kmと、ネビッチェン~ケムリッツ間の「支線」2.7kmの、計18.7kmにまで延びている。なお、運行業務は2013年から、ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn の事業者であるザクセン・オーバーラウジッツ鉄道会社 Sächsisch-Oberlausitzer Eisenbahngesellschaft (SOEG) に委託されており、2本の鉄道は車両の運用などを通して密接な関係にある。

デルニッツ鉄道の起点オーシャッツへは、ライプツィヒ中央駅から1時間ごとに走る「サクソニア Saxonia」のRE(レギオエクスプレス、快速列車)で36分だ。ドレスデンからも1時間少しで着く。

オーシャッツのDB駅舎は、無人化された後、長らく荒廃していたが、2018年に自治体の手で全面改修され、見違えるようにきれいになった。内部に設置されたインフォメーションオフィスの運営はデルニッツ鉄道が受託しており、乗車券もここで購入することができる。

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(左)REでオーシャッツ駅に到着
(右)改修前(2013年)のオーシャッツ駅舎
  当時、内部は閉鎖されていた
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オーシャッツ駅改修後の開所式(2018年)
© 2018 www.doellnitzbahn.de
 

小ぢんまりした駅前広場の斜め向かいに、デルニッツ鉄道の乗り場がある。カーブした島式ホームにクラシックな木組みの屋根がかかり、地方鉄道らしい風情を感じる始発駅だ。狭軌鉄道の駅舎はないので、用があるならDB駅舎で済ませておく必要がある。

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オーシャッツの狭軌駅に列車が入線
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木組みの屋根がかかる島式ホーム
機関車は折返し運転に備えて機回し中
 

では、さっそく列車に乗り込むとしよう。発車すると、まずは駅前通りに沿って南下していく。線路に目をやると、狭軌線の左側にもう1本、レールが並走している。これは、駅から近くの工場群へ通じていた標準軌の引込線の痕跡だ。引込線はもう使われていないが、約500m続く3線軌条はまだ残されている。

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(左)オーシャッツ駅南方に残る3線軌条
(右)オーシャッツ駅方を望む(1982年)
  標準軌線は狭軌駅の南側で合流していた  
   Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

列車はこの後、小さなガーダー橋を渡り、右を流れる小川と左の道路に挟まれる形で進む。この小川が鉄道名になったデルニッツ川で、かつてはその西側にオーシャッツ旧市街を囲む市壁が築かれていた。中間の停留所はすべてリクエストストップなので、乗降がなければ通過する。

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(左)デルニッツ川橋梁
(右)旧市街の東で川と道路に挟まれて走る
 

次に停車するオーシャッツ・ジュート(南)Oschatz Süd 駅は、列車交換ができる待避線をもっている。旧市街の南縁に接しているため、1950年代には毎日2000人の利用者で賑わったという主要駅だ。今も、通学列車でトーマス・マン・ギュムナージウム Thomas Mann Gymnasium に通う生徒たちが乗り降りする。

構内北側にある旧 鉄道員宿舎は、「ヴィルダー・ローベルト」振興協会によってすっかり改装された。デルニッツ鉄道をテーマにしたHOゲージの鉄道模型や、鉄道絵はがきコレクションの展示館になっていて、蒸機運行日に公開される。

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オーシャッツ・ジュート駅の旧宿舎
現在は展示施設に(2017年)
Photo by Radler59 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この先は、デルニッツ川が静かに流れる浅い谷の中を行く。谷を堰き止めたローゼン湖 Rosensee を左手に眺めた後は、雑木林と畑地が交錯する車窓が続く。次の停車はナウンドルフ Naundorf (b. Oschatz) だ。錆びついてはいるものの、ここにも待避線がある。周りは丘陵の広々とした景色が開け、列車は道路に沿った長いストレッチを淡々と走っていく。

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ナウンドルフの前後では丘陵の景観が広がる
 

急なS字を曲がり終えれば、狭軌鉄道網の中心だったミューゲルン Mügeln (b. Oschatz) 駅の構内だ。最盛期から見れば縮小されているのだろうが、今でも10本近い側線が並んでいて、狭軌の駅としてはかなりの規模に見える。

ここの駅舎も自治体によって改装され、「ジオポータル・ミューゲルン駅 Geoportal Bahnhof Mügeln」という名でインフォメーションオフィスが入居している。構内のオーシャッツ方(東側)には、振興協会が拠点にしているレンガ造りの機関庫が見え、周りの側線には客車や貨車がずらりと留置されている。

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拠点駅の面影を残すミューゲルン駅構内(2015年)
Photo by Bybbisch94-Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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改修後のミューゲルン駅舎(2020年)
Photo by Radler59 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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(左)ミューゲルン駅の機関庫
(右)内部ではイベントに使う蒸気駆動のドライジーネを整備中
 

駅を後にした列車は、右カーブで駅前通りを横断し、町の北側をかすめていく。右手に、円塔のあるルーエタール城 Schloss Ruhethal が見えてくる。アルトミューゲルン Altmügeln に停まった後は、また道路とともに畑の中を行く。一帯の肥沃な丘陵地はテンサイ(砂糖大根)の産地で、昔は秋の収穫期になると、専用の運搬列車が狭軌線を行き交ったという。

そのうちに、長くまっすぐな側線のあるネビッチェン駅に停車する。駅と言っても周りに集落はなく、信号所というほうが正確だろう。というのも、ここはケムリッツ方面の支線の分岐点だからだ。

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ルーエタール城の前を行く
右写真はミューゲルン方を望む(東望)
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(左)ネビッチェン駅はさながら信号所
(右)ケムリッツ方面の線路
  撮影当時(2013年)は復活工事前で、行き止まりだった
 

ケムリッツ Kemmlitz (b. Oschatz) へは支流ケムリッツ川の浅い谷を遡っていくが、勾配は最大20‰と、本線よりも険しい。ケムリッツの集落の中で大きく左カーブすれば、カオリン工場の大きな建物群が見えてくる。終点は、工場敷地のすぐ横だ。

これに対して本線は、ネビッチェンから直進し、ほどなく着くグロッセン Glossen (b. Oschatz) が終点になる。村の前に3本の線路が並ぶ静かな駅だが、ホームに並行するレンガ橋脚の高架橋が目を引く。これは「グロッセン簡易軌道展示施設 Feldbahnschauanlage Glossen」と称する保存鉄道の構造物だ。

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終点グロッセン駅を西望
 

高架橋には600mm軌間の線路が敷かれている。復元展示に見られるとおり、かつて近くにある石英鉱山から鉱石を積んだトロッコ列車がここへ上り、750mm軌間のロールワーゲンに載せられた標準軌貨車に積荷を移していた。つまり、600mm→750mm→1435mm の順に貨物をリレーしていたのだ。

石英鉱はとうに閉山してしまったが、自治体によって一帯の施設が保存され、1995年に初めて公開された。600mmの簡易軌道は、グロッセン駅の北方にある鉱山跡から1.2kmの間続いていて、デルニッツ鉄道の蒸気運行日に合わせてトロッコ列車が運行されている。

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グロッセン簡易軌道展示施設の
600mmトロッコから1435mm貨車への積替え設備
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(左)狭軌ホームに並行する高架橋
(右)高架橋の端部、橋上は立入禁止に
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石英鉱山跡
(左)各種機関車が待機中
(右)車庫横の荷役クレーン
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訪問時は軌道の保線作業が行われていた
 

ところで、グロッセンが終点になっている750mm狭軌線だが、以前はさらに西のヴェルムスドルフ方面へ延びていた。ヴェルムスドルフの町は、アウグスト強健王 August der Starke の豪壮なロココ式城館で、「ザクセンのヴェルサイユ」と称されるフーベルトゥスブルク Schloss Hubertusburg があることで有名だ。

デルニッツ鉄道は2014年に、ヴェルムスドルフまでの路線再建を検討すると発表している。旧 ヴェルムスドルフ駅付近の線路はダム湖(デルニッツ湖 Döllnitzsee)の底に沈んでしまったので、ダムの手前に新しい終着駅を造るのだという。延伸区間の長さは4.6kmになる。計画が実行に移されたとはまだ伝わってこないが、夢の膨らむ話ではある。

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フーベルトゥスブルク宮殿(2013年)
Photo by Dr. Bernd Gross at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

最後に、乗車券と2021年現在の運行状況について。

デルニッツ鉄道は、ライプツィヒを中心とする中央ドイツ運輸連合 Mitteldeutscher Verkehrsverbund (MDV) に加盟しているので、MDV所定のゾーン運賃が適用される。そのため、MDV圏内ならDB線や路線バスなどと、通しの切符で乗車可能になっている。また、MDVのゾーン別1日乗車券など、MDVの各種企画券も有効だ。いずれも蒸気列車では追加料金がかかる。

ちなみに2021年現在、オーシャッツ~グロッセン間(2ゾーン)の大人片道運賃は3.70ユーロ、蒸機の場合は追加料金を含め6.70ユーロだ。

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グロッセン駅に到着した蒸気列車
 

運行は、平日適用の通学ダイヤ Fahrplan Schulzeit と、週末の休日ダイヤ Fahrplan Ferienzeit に区別される。

通学ダイヤでは、2018年に導入された気動車により、オーシャッツ~ミューゲルン間に1日4往復が走る。一部の便はグロッセンまで足を延ばすが、支線のケムリッツ方面はオンデマンドタクシーによる代行だ。また、学休期間は全面運休になる。

休日ダイヤでは、夏のシーズンやクリスマス期間を中心に観光列車が運行される。1日2~3往復設定されているが、蒸気列車 Dampfzüge の日とディーゼル列車 Dieselzüge の日があるので、運行カレンダーで確かめておく必要がある。

なお、路線バスの803系統(オーシャッツ駅~ミューゲルン)と、816系統(ミューゲルン~グロッセン~ヴェルムスドルフ~ダーレン Dahlen)が、デルニッツ鉄道のルートをカバーしている。両者はミューゲルン駅の西1.2km(町の反対側)にあるミューゲルン・バスターミナル Mügeln Busbahnhof で接続する。時刻表、路線図は MDV の公式サイト https://www.mdv.de/ を参照されたい。

次回はプレスニッツタール鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
デルニッツ鉄道 https://www.doellnitzbahn.de/
DBV「ヴィルダー・ローベルト」振興協会 https://www.wilder-robert.de/
グロッセン簡易軌道展示施設協会 http://www.feldbahn-glossen.de/

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