ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道
フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn
クランツァール Cranzahl ~クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal 間 17.349km
軌間750mm、非電化
1897年開通
ノイドルフ村裏手の林を上る蒸気列車 |
◆
ドイツとチェコの国境に横たわるエルツ山地 Erzgebirge は、くるみ割り人形などに代表される木工細工で知られている。しかしかつては、銀、錫、ウランなど有用鉱物の採掘が主産業だった。ドイツ語で鉱石を意味するエールツ Erz が山地の名になっている(下注)のが、そのことを物語る。
*注 英語でも直訳して Ore Mountains と呼ばれる。なお、日本語ではエルツと書かれるが、語頭の E は長母音なので、本来はエールツ。また、実際の発音はエーアツに近い。
中世から山地のさまざまな場所で行われていた採掘活動は、その後盛衰の波を経つつも19世紀まで続いた。しかし、世紀後半になると、資源の枯渇が進んで徐々に縮小され、さらに主力の銀は、1871年の金本位制導入による価格急落で、大きな打撃をこうむった。
山頂のフィヒテルベルクハウス Fichtelberghaus(2015年) Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
山地の冬は気候が厳しく、北西からの風にさらされるドイツ側斜面は降雪量も多い。鉱業が衰退したエルツ山地で、現在、木工とともに経済を支えているのは、この自然環境を生かしたウィンタースポーツの観光業だ。標高1215mのフィヒテルベルク山 Fichtelberg(下注)が、その中心地の一つになっている。
*注 フィヒテルベルクの名は、ドイツトウヒ(フィヒテ)Fichte の山 Berg に由来する。昔はドイツトウヒの天然林が山を覆っていた。
写真ではありふれた高まりにしか見えないが、山はドイツ領エルツ山地の最高地点で、旧 東ドイツでは国内最高峰でもあった。ちなみに、山地全体で最も高いのは、チェコ領内にある標高1244mのクリーノベツ山 Klínovec(ドイツ名 カイルベルク Keilberg)だが、フィヒテルベルクの南4kmに並ぶ双子のような山だ。
フィヒテルベルク遠望、チェコ側から撮影(2013年) Photo by Horst at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
山麓の町クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal に、山の名を冠した750mm軌間の蒸気保存鉄道が通じている。鉄道は、ケムニッツ Chemnitz 方面からのDB(ドイツ鉄道)線と接続するクランツァール Cranzahl 駅を起点に、120年以上にわたって保養客や行楽客を町に送り届けてきた。
路線の正式名は、クランツァール=クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール狭軌鉄道 Schmalspurbahn Cranzahl–Kurort Oberwiesenthal だが、1998年に使われ始めた「フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn」のマーケティング名称が定着している。本稿では過去に関する記述も含めてこの名称を用いる。
フィヒテルベルク鉄道のロゴ BERG(山の意)の文字列が盛り上がる |
クランツァール~オーバーヴィーゼンタール間の地形図に 狭軌鉄道のルートを加筆 Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA |
◆
鉱山集落としてヴィーゼンタール Wiesenthal(下注1)が成立したのは、16世紀のことだ。19世紀の鉱業衰退とともに一時寂れたが、1872年にエルツ山地を横断する標準軌鉄道(下注2)が開通すると、フィヒテルベルクをめざす行楽客が訪れるようになった。とはいっても最寄り駅は、国境を越えたオーストリア領ボヘミアにあるシュミーデベルク Schmiedeberg(現 チェコ領コヴァージスカー Kovářská)で、町まで坂道を介して7kmの距離があった。
*注1 ヴィーゼンタールの上町が、オーバーヴィーゼンタールになる。
*注2 コーモタウ Komotau(現 チェコのホムトフ Chomutov)~ヴァイペルト Weipert(同 ヴェイプルティ Vejprty)~アンナベルク Annaberg 間76.7km。アンナベルク(現 アンナベルク・ブーフホルツ下駅 Annaberg-Buchholz unt Bf)で、1866年開通のアンナベルク=フレーア線 Bahnstrecke Annaberg–Flöha に接続した。
DB線はゼーマ川に架かる橋を渡って クランツァール駅に入る |
直接ヴィーゼンタールに入る路線が実現するのは、それから20年あまり後になる。ザクセンでは1880年代から、交通量が少ないと見込まれる地方路線について狭軌で建設が進められており、これもその一環だった。
計画段階では、標準軌線との接続駅が異なる3種のルート案があった。一つは支線の終点、クロッテンドルフ Crottendorf から始まる西ルート、二つ目はクランツァールを起点とする中央ルート、三つ目がベーレンシュタイン Bärenstein で接続する東ルートだ。
最終的に実現したのは中央ルートだが、地図で見ると、途中で分水界を越えなければならず、距離も長い。確かに、一本の谷を遡るだけで済む東ルートが建設費の点で最も有利だったのだが、接続駅とされたベーレンシュタインが地形的に手狭で、狭軌線用の施設を拡張するのが困難と判断されたのだという。
中央ルートは案の定、地形の複雑さから見積りを超える費用をかけて、1897年7月に開通式を迎えた。しかし有名な山の麓まで行けるとあって、行楽客にはすこぶる好評で、旅客輸送は順調に伸びた。第一次世界大戦中は石炭不足で運行規制を余儀なくされたが、戦争が終わると客足が戻った。それどころか、輸送実績は戦前を上回る伸びを示した。1924年に町からフィヒテルベルク山頂へ上る、ドイツで最初のロープウェーが開通したからだ。
まだトラックが普及していない時代で、ロープウェーの建設資材の運搬も軽便鉄道が担っている。すでに1906年から、標準軌車両を狭軌の台車に載せて運ぶロールワーゲン Rollwagen が運用されており、効率的な貨物輸送が可能だった。この記念すべきフィヒテルベルク・ロープウェー Fichtelberg-Schwebebahn は、設備改修を受けながら現在も運行されている。
フィヒテルベルク・ロープウェー 背景はオーバーヴィーゼンタール市街(2017年) Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
とはいえ、追い風はいつまでも吹かない。1930年代になると、鉄道と並行して路線バスが走り始めた。バスは都市から直通するので人気があり、列車はピーク時にあふれた客の輸送手段に甘んじた。さらに第二次世界大戦の開戦で行楽需要が消え、ドイツが降伏した1945年には一時、列車の運行そのものが中止される。
戦後、ザクセンは東ドイツに属したが、1947年からの数年間、沿線でウランの採掘が行われ、鉄道に、鉱石運搬とともに作業員輸送の任務が課せられた。鉱山の従事者は3000人に上ったため、他の狭軌鉄道から借り集めた車両も使って、10両編成の通勤列車が組まれたという。
標準機関車99.73~76形 クランツァール駅にて(1995年) Photo by Phil Richards at wikimedia. License: CC BY 2.0 |
採掘は1950年代半ばに終了し、鉄道にはもとの日常が戻ってきた。レースニッツグルント鉄道の項でも述べた通り、1964年に政府が、今後10年間で国内の狭軌線を全廃する方針を決定したとき、鉄道の命運は尽きたかと思われた。しかし、執行を免れているうちに、1973年の維持すべき行楽路線の選定があって、鉄道は存続することになる。
ドイツ再統一後の1992年に、顧客を失った貨物輸送は廃止された。そして1998年、路線の運営はDB(ドイツ鉄道)から、地元の公的資本で設立されたBVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbH(2007年にザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) に改称)に引き継がれる。
その後、車両の整備や設備の更新が実施され、2004年にはオーバーヴィーゼンタールに新しい車両整備工場も建てられた。現在、同社はフィヒテルベルク鉄道を含めて3本の狭軌鉄道(下注)を運営しており、全般検査のような大規模な作業はここで集中的に行われるようになった。
*注 フィヒテルベルクのほか、レースニッツグルント鉄道とヴァイセリッツタール鉄道。
オーバーヴィーゼンタール駅構内の整備工場 |
◆
冬場の需要も手堅いので、鉄道は通年で運行されている。2021年のダイヤによれば、1日の運行本数は平日5往復、土日祝日は増便されて6往復だ。3月と11月のみ、閑散期として3往復に削減される。全線の所要時間は57~64分。日中はニーダーシュラーク Niederschlag 駅で列車交換が行われる。
運賃は区間制で、片道および往復乗車券では当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効だ。何度か乗り降りするなら、1日乗車券 Tageskarte もある。
鉄道の公式サイトによれば、切符は車内で車掌が販売している。また、起点クランツァール駅では駅舎のビストロ(軽食堂)で、終点クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅では案内カウンターで、それぞれ切符の取扱いがある。
ザクセンの750mm軌間は東ドイツ時代、国鉄(DR、ドイツ国営鉄道)の路線だったので、稼働している機関車の形式も共通だ。運営会社SDGの機関車リストによると、オーバーヴィーゼンタールにいるのは、1929年製造の「標準機関車 Einheitslokomotive」99.73~76形が1両と、戦後1950年代に造られた「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形が5両、それに予備車としてディーゼル機関車L45H形が1両となっている。
客車もオープンデッキつきの古典車で、1910~20年代に製造されたものだ(一部は改造車)。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。
(左)主力機関車99.77~79形 (右)ディーゼル機関車 L45H形 |
(左)オープンデッキつきの古典客車 (右)無蓋貨車を改造した展望車 |
◆
フィヒテルベルク鉄道の起点クランツァール駅へは、ザクセン南西部の中心都市ケムニッツからDB(エルツ山地鉄道 Erzgebirgsbahn)のチョーパウタール線 Zschopautalbahn の連節気動車で行く。チョーパウ川 Zschopau が流れる狭い谷の中を曲がりくねりながら、アンナベルク・ブーフホルツ Annaberg-Buchholz を経由して約80分の長旅だ。線路はこの先、チェコとの国境を越えて続いているが、旅客列車は全便、クランツァールが終点になっている(下注)。
*注 2021年現在、夏のシーズンの週末にのみ、クランツァール発で山地を横断し、チェコのホムトフに至る旅客列車が、観光企画として1日3往復運行されている。
標準軌列車でクランツァール駅に到着 |
かつてBVO鉄道が狭軌線の運営を引き継いだ際、その2年前(1996年)に廃止済みの貨物線を利用して、アンナベルク(下注)まで列車を延伸運行させるという構想が発表されたことがある。これは資金面の事情で実現しなかったが、DBの列車は事実上、その代行を務めているようなものだ。エルツ山地に分け入る鉄道路線は、利用の減少から運行撤退が相次いでいて、アンナベルクとクランツァールの間は、狭軌線との接続のために存続しているといっていい。
*注 現在使われている「下駅 unterer bahnhof (unt Bf)」ではなく、東斜面の高みにあった貨物駅「上駅 oberer Bahnhof (ob Bf)」に発着する予定だった。
駅のプラットホームに降り立つと、古色蒼然とした木組みの片流れ屋根が、はるばるエルツ山地の最奥部までやって来たという感慨を誘う。この舞台装置にはやはり、現代的な連節気動車より古典蒸機が似合うだろう。その狭軌鉄道の列車は、同じホームの反対側に入ってくる。
同じホームの反対側に狭軌列車が入る |
この駅を観察して興味深いのは、駅舎を越えて北側にも狭軌線の側線が並んでいることだ。つまり狭軌のヤードが、標準軌の線路と駅舎をはさんで両側にある。狭軌の列車は南側から駅に進入するので、北側ヤードへはわざわざ標準軌の線路を平面横断しなければならない。なぜ、このような配置になっているのだろうか。
狭軌線の建設当時、接続駅に必要とされたのは、貨物の積替えや、機関庫を含めた車両の滞泊のためのスペースだ。ところが現地は南側に斜面が迫っていて、十分な敷地の確保が難しかった。そこでやむなく駅の北側に盛り土して、ヤードを造成することにしたのだという。その後、旅客需要も増加したことから、1912年に南側の斜面を削って、今あるとおり、旅客列車用の側線を配置した。このように、北側は貨物、南側は旅客という使い分けをしていたのだ。
(左)駅の西側から東望 右の狭軌線は旅客ホームへ 左の狭軌線は、標準軌線と交差して貨物ヤードへ (右)駅に通じる道路も横断、奥に貨物ヤードがある |
(左)貨物ヤードにある静態保存のロールワーゲン (右)狭軌台車に標準軌貨車を載せて運ぶ |
それでは、オーバーヴィーゼンタール行きの狭軌列車に乗り込むとしよう。列車は、標高654mの始発駅から西向きに出発する。急な右カーブで鉄橋を渡っていく標準軌線とはすぐに分かれ、自身は左カーブでゼーマ川の谷(ゼーマタール Sehmatal)の上流に向かう。
旅客線での機回し風景 |
出発を待つ蒸機 |
西向きに出発 |
街道沿いに長く延びるノイドルフ村の裏手の高みを行くうち、ウンターノイドルフ Unterneudorf で最初の停車がある。木立ちに囲まれた棒線の停留所だ。さらに進み、撮影地の一つであるS字カーブの築堤を渡ると、村の中心部に位置するノイドルフ駅 Neudorf (Erzgeb) (下注)。ここは通過本線の横に、側線と待避線を備えている。
*注 正式駅名には、他の同名駅と区別するために、エールツゲビルゲ(エルツ山地)の略 Erzgeb がつく。
(左)ノイドルフ村の裏手の高みを行く (右)S字カーブの築堤を渡る |
S字カーブの築堤を行く オーバーヴィーゼンタール行き列車 |
上の写真の左側 クランツァール行きは逆機運転 |
街道の踏切に続いて、小さなゼーマ川も渡って左岸へ。フィーレンシュトラーセ Vierenstraße は谷の奥、村一番の大きな機械工場の裏にぽつんとあり、フィヒテルベルクに北斜面からアプローチするハイカーたちが下車する。
ここからは峠越え区間で、蒸機も出力を上げる。駅を出た直後から1:27(37.0‰)の最大勾配が始まり、線路は山襞に沿って急な反向曲線を繰り返す。蒸機の奮闘ぶりが見ものだが、周りにドイツトウヒの森が迫るため、あまり見通しはきかない。
(左)出力を上げてフィーレンシュトラーセを出発 (右)ドイツトウヒの森の中の急坂 |
次のクレチャム・ローテンゼーマ Kretscham-Rothensehma 駅は、山腹の肩の緩斜面に位置している。路線のほぼ中間に当たるため、当初から列車交換駅として計画され、給水施設も設けられていた。今ある待避線はその名残だ。再び森に包まれて、残りの坂道を上っていくと、ものの数分で標高831mのサミットに達する。この後は軽い下り坂になる。
次のニーダーシュラーク Niederschlag もまだ森の中だが、現行ダイヤでは日中、上下列車の交換シーンが見られる。定時運行なら、上りクランツァール行きが先に入線して、下りオーバーヴィーゼンタール行きの到着を待つ。ちなみに上りホームにある長屋のような駅舎は、1948年にウラン鉱山の作業員輸送をする際、待合所として建てられたものだという。周囲に民家も見えない寂しい場所だが、賑わっていた時代もあるのだ。
ニーダーシュラーク駅の列車交換(2020年) Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
すでにペールバッハ川の谷(ペールバッハタール Pöhlbachtal)に入っていて、数分走るとようやく森が開け、のどかな山あいの農村風景が見えてくる。左の谷の向かい斜面は、チェコ領だ。その中腹をクランツァールから続く標準軌線が並行しているが、あちらも森を縫っているため、線路のありかは断片的にしかわからない。
近くにある石灰石と砂利の採取場からの貨物を取り扱っていたハンマーヴィーゼンタール Hammerunterwiesenthal 駅には、数本の側線が残っている。東ドイツ時代、採取場は狭軌鉄道にとって最大の顧客だったが、再統一の後、効率的なトラック輸送に切り替えられてしまった。
いつしか谷が狭まってきて、ペールバッハ川が手の届きそうなところを流れている。どこにでもある小川にしか見えず、中央にドイツとチェコの国境が通っているとは信じがたい。
ハンマーヴィーゼンタール駅 貨物扱いを止めた今も、側線が残る |
(左)国境をなすペールバッハ川 (右)後方を撮影、小川の反対側はチェコ領 |
棒線停留所のウンターヴィーゼンタール Unterwiesenthal を過ぎると、列車はS字カーブでB95号線の踏切を横断する。斜面を最後の急勾配33‰で上っていく間、右手にフィヒテルベルク、左手にクリーノベツと、エルツ山地の二つの高峰を望むことができる。
列車は左へカーブしながら、橋を渡り始めた。長さ100m、高さ18mのヒュッテンバッハタール高架橋 Viadukt Hüttenbachtal、路線唯一の鋼製トレッスル橋だ。駅のすぐ近くで、蒸気列車の好撮影地として知られている。
(左)エルツ山地最高峰クリーノベツが見える (右)ヒュッテンバッハタール高架橋に差し掛かる 背景はフィヒテルベルク |
ヒュッテンバッハタール高架橋 |
橋は、駅への取り付けランプになっていて、列車はそのままクーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅の構内に進入する。駅舎の壁に取り付けてある標高893.962mのプレートが示すように、ここはザクセン州はもとより、ドイツ北・中部で最も高所にある鉄道駅だ(下注)。
*注 ドイツ最高所の鉄道駅は、粘着式ではシュヴァルツヴァルト南部、ドライゼーン(三湖)線 Dreiseenbahn のフェルトベルク・ベーレンタール Feldberg-Bärental、標高967m。ラック式を含めると、バイエルンアルプスにあるツークシュピッツェ鉄道 Zugspitzbahn の終点シュネーフェルナーハウス Schneefernerhaus、標高2650m。
駅の下手が、落ち着いたたたずまいの市街地になる。上手の斜面にはスキーゲレンデが広がっている。時間が許すなら、フィヒテルベルク山頂へ行ってみたい。例のロープウェーの乗り場が坂道を600mほど上ったところにあり、乗り込めば、エルツ山地の壮大なパノラマが開ける山上までわずか3分半だ。
次回は、ヴァイセリッツタール鉄道を訪ねる。
写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。
■参考サイト
フィヒテルベルク鉄道 https://www.fichtelbergbahn.de/
★本ブログ内の関連記事
ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道
ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道
« ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道 | トップページ | ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道 »
「西ヨーロッパの鉄道」カテゴリの記事
- ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線(2025.01.17)
- アルトシュテッテン=ガイス線(2025.01.12)
- ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線(2025.01.04)
- トローゲン鉄道(2024.12.21)
- ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道(2024.12.07)
「保存鉄道」カテゴリの記事
- ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II(2024.09.28)
- ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I(2024.09.24)
- ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編(2024.09.06)
- ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II(2024.08.20)
- ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I(2024.08.16)
「軽便鉄道」カテゴリの記事
- ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線(2025.01.17)
- ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線(2025.01.04)
- トローゲン鉄道(2024.12.21)
- アルトゥスト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー(2024.11.23)
- コンターサークル地図の旅-花巻電鉄花巻温泉線跡(2024.11.08)
« ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道 | トップページ | ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道 »
コメント