« 2021年11月 | トップページ | 2022年1月 »

2021年12月

2021年12月23日 (木)

ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道

ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn

フライタール・ハインスベルク Freital-Hainsberg ~クーアオルト・キプスドルフ Kurort Kipsdorf 間 26.335km
軌間750mm、非電化
1882~83年開通

Blog_sax_weisse1
マルター駅を出発する蒸気列車

Blog_sax_weisse_map1

フライタール・ハインスベルク=クーアオルト・キプスドルフ狭軌鉄道、通称「ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn」は、現存するザクセンの狭軌鉄道の中では最長の路線だ。延長26.3kmあり、終点クーアオルト・キプスドルフ Kurort Kipsdorf まで、蒸気列車で1時間20分以上かかる。

起点はドレスデン Dresden 南西郊のフライタール・ハインスベルク Freital-Hainsberg で、ドレスデン中央駅からフライベルク Freiberg 方面のSバーン(近郊列車)でわずか15分。ここから毎日、本格的な蒸気機関車が古典客車を連れて、エルツ山地の山懐に向けて出発していく。大都市の間近で、こうしたノスタルジックな列車の旅をいつでも楽しめるというのは貴重なことだ。

Blog_sax_weisse2
フライタール・ハインスベルク駅
ザクセンIV K形蒸機の特別運行(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、列車がクーアオルト・キプスドルフまで到達できるようになって、今年(2021年)でまだ4年しか経っていない。2002年8月の豪雨により、各所で線路や橋梁の流失など壊滅的な被害を受けて以来、鉄道は長期にわたり、復旧途上にあった。

2008年12月に第1段階として、起点からディッポルディスヴァルデ Dippoldiswalde まで15.0kmが通行できるようになったが、全線が再開されたのは2017年6月、災害発生から実に15年後のことだ。並行してバス路線があるため、列車がなくても日常の用は満たせていたというものの、沿線自治体にとって蒸気鉄道は、旅行者を呼び込むための重要な観光資源だ。復活は悲願だったに違いない。

Blog_sax_weisse3
路盤が流失した線路
シュペヒトリッツ停留所下流200m(2002年)
Photo by Jörg Blobelt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_weisse4
全線再開を祝う人々
クーアオルト・キプスドルフ駅にて(2017年6月17日)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

軌道や施設の多くが再建されたため、新線と見違えそうな見栄えだが、鉄道自体はザクセンで最初に計画された狭軌の二級鉄道(地方鉄道)Sekundärbahn の一つで、140年近い歴史をもっている(下注)。今回は、この古くて新しい狭軌鉄道を訪ねてみることにしよう。

*注 開通時期は、1881年のヴィルカウ=キルヒベルク線 Strecke Wilkau–Kirchberg(ツヴィッカウ南郊、後にヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道 Schmalspurbahn Wilkau-Haßlau–Carlsfeld の一部となった)に次ぐが、同線は1973年に廃止されたため、現存路線では最古になる。

Blog_sax_weisse_map2
フライタール・ハインスベルク~ディッポルディスヴァルデ間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
Blog_sax_weisse_map3
ディッポルディスヴァルデ~クーアオルト・キプスドルフ間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

ヴァイセリッツタール鉄道は、1882年にシュミーデベルク Schmiedeberg まで、翌83年にキプスドルフまで、段階的に開業した。もとは標準軌を敷く計画だったが、通過する谷が狭隘で、建設費圧縮のために規格を落として設計したのだという。シュミーデベルクが最初の目的地になったのは、地名が示すとおり鉱山町で(下注)、貨客ともに相応の需要が見込まれていたからだ。

*注 地名シュミーデベルクは、Schmiede(鍛冶屋、鍛造の意。英語のsmith, smithyに相当)+Berg(山の意)に由来する。キプスドルフも、かつては Kyppsdorf と綴り、銅の村 Kupferdorf を意味する地名だった。

開通後の輸送実績は想定以上だった。急ぎ、一部の駅では荷役側線を延長し、貨物列車は機関車を2両にする重連運転でさばいた。しかしこの好況に、文字通り水を差す事態が発生する。1897年7月の豪雨と、それに伴う大規模な川の氾濫だ。

鉄道の通る谷は、ローテ・ヴァイセリッツ川 Rote Weißeritz(下注)の流路になっている。ふだんの川は穏やかな流れで、川床は浅く、ささやかな堤しかない。ところが、ここを100年に一度と言われた大水が襲来し、谷中の村や交通路はことごとく流されるか、水に浸かった。鉄道の復旧は、1年がかりの大事業となった。2002年のそれより1世紀以上も前に、同じような経験をしていたことになる。

*注 この川はフライタール Freital で西から来たヴィルデ・ヴァイセリッツ川 Wilde Weißeritz と合流し、ドレスデンでエルベ川 Elbe に注ぐ。鉄分を含んでやや赤く見えたことから、ローテ(赤いの意)の名がある。

Blog_sax_weisse5
ローテ・ヴァイセリッツ川
後方はラーベナウ駅
 

小規模な冠水にはその後も見舞われるが、地形上の弱点にもめげず、鉄道は順調に業績を伸ばしていく。20世紀に入ると、他の狭軌線と同様、貨物輸送の効率化が進められた。標準軌貨車を狭軌の台車に載せて運ぶロールボック Rollbock や、その改良形であるロールワーゲン Rollwagen が導入がそれだ。車両限界を拡張するために、駅施設や渓谷区間を改修する必要があり、その一環で1か所だけあった短いトンネルが撤去されて、切通しにされた。

Blog_sax_weisse6
標準軌貨車を載せたロールワーゲン
フライタール・ハインスベルク駅にて
 

後に、より大規模なルート変更が2か所で行われている。一つは、下流域の洪水制御のために計画されたマルター・ダム Talsperre Malter の建設に伴うものだ。川を堰き止めるダムの出現で、鉄道はザイファースドルフ Seifersdorf の手前からディッポルディスヴァルデの町の入口まで、約5kmにわたって移設された。

1912年4月に完成したこの新ルートは、堰堤の高さまで20‰勾配で上り、そのあとダム湖に沿って水平に進む。ダムは1913年に完成し、湛水を開始した。旧ルートのうち水没を免れた下流区間は、後にハイキングトレールに転用されている。

Blog_sax_weisse7
マルター・ダムと列車(1914年の絵葉書)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

もう一つは、1924年に移転したシュミーデベルク駅の前後区間だ。旧ルートはもともと川の右岸(東側)の街道沿いを通っていたが、鋳造所からの貨物の増加で手狭になった駅とともに、前後約3kmの区間が左岸に移された。ペーベル川の谷(ペーベルタール Pöbeltal)を横断する高架橋を含む今のルートは、このときに造られたものだ。

なお、ペーベルタールには、当時チェコ国境に通じる狭軌支線(下注)が計画されており、シュミーデベルクには分岐駅として必要な用地が確保されていたが、一部の路盤が造成されただけで未完に終わった。

*注 ペーベルタール鉄道 Pöbeltalbahn は、シュミーデベルク~モルダウ Moldau(現 チェコ領モルダヴァ Moldava)間17.3km。モルダウでエルツ山地を越える標準軌線と接続する予定だった。

当時、鉄道の旅客輸送は、冬のほうが多忙だった。都会からウィンタースポーツに繰り出す人々で、列車は週末ごとに混雑した。それに対応すべく、1933年には終点キプスドルフ駅の構内が拡張されて、客車13両と手荷物車1両というピーク時の長大列車も扱えるようになった。

Blog_sax_weisse8
キプスドルフ駅にウィンタースポーツ列車が到着
(1920年の絵葉書)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

ザクセンが東ドイツに属した第二次世界大戦後は、近隣の狭軌鉄道と同じような経過をたどっている。1948年から沿線で始まったウラン鉱の採掘で、貨物輸送が活気を取り戻し、1950年代に入ると、冬場の行楽輸送も復調した。

しかし1964年の、今後10年間で国内の狭軌鉄道を全廃するという国の方針で、路線は転機を迎える。運行要員が削減された駅では、転轍器の操作が列車乗務員の仕事になった。保守経費の切り詰めで線路の不良個所が放置されたため、速度制限区間が拡大していった。利用者の路線バスへの流出が加速するのも、やむを得ない流れだった。

Blog_sax_weisse9
東ドイツ時代のディッポルディスヴァルデ駅(1986年)
Photo by Bärtschi, Hans-Peter at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1973年に、維持すべき観光路線の一つに選ばれたことで、鉄道はかろうじて廃止を免れたが、それもドイツ再統一で環境が一変する。民営化されたDB(ドイツ鉄道)は、引き継いだ路線網の整理縮小を急いだ。1994年末限りで貨物輸送が中止され、1998年には旅客輸送の廃止も予告されていた。

この危機は、地域の公共交通を一元的に管理するオーバーエルベ運輸連合 Verkehrsverbund Oberelbe (VVO) が設立され、DBとの運輸委託契約が結ばれたことで、ひとまず収まる。その後、鉄道の管理は2001年からDBの子会社に引き継がれ、最終的に2004年、BVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbH(現 ザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG))に移管された。

ただし、この間に冒頭で述べた豪雨災害に見舞われており、むしろこのほうが存続の脅威だったと言えるだろう。全線の復旧にかかる費用は約2000万ユーロと見積もられ、連邦の洪水救済基金からの拠出がなければ、実現は不可能だった。最終的にはその2倍の約4000万ユーロが投入され、2017年6月17日に待望の再開通式が挙行されている。

Blog_sax_weisse10
ラーベナウ駅に入る蒸気列車

起点フライタール・ハインスベルク駅は、興味深い構造をしている。Sバーンが停車する標準軌ドレスデン=ヴェルダウ幹線 Hauptbahn Dresden–Werdau の旅客ホームが一段高い築堤上にあり、その西側の地平に、狭軌鉄道の駅とヤードが展開する。ところが、その西隣にまた標準軌の線路が数本並んでいるのだ。

これは、単線の貨物線とその側線だ。昔はこちらが本線だったのだが、狭軌線との間で貨物をやり取りする列車の転線を支障しないように、東側に、旅客線が別途設けられた。そのため、狭軌線の構内は旅客と貨物の標準軌線に挟まれる形になっている。

Blog_sax_weisse11
(左)フライタール・ハインスベルク駅の標準軌ホーム
  右の狭軌ヤードより一段高い(2015年)
Photo by Rainerhaufe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)狭軌線のヤードの左端に乗降ホームがある
 

狭軌線のヤードもけっこう広く、貨物輸送が盛んだった往時をしのばせる。しかし今は、使われなくなった貨車や客車の留置場所だ。一方、機関庫と整備工場は、キプスドルフ方の末端に集約されていて、給水や給炭作業もその一角で行われる。

標準軌線の築堤に接する屋根付きの狭軌ホームでは、蒸気列車が発車待ちをしている。さっそく乗り込むことにしよう。

Blog_sax_weisse12
狭軌線の整備工場
Blog_sax_weisse13
フライタール・ハインスベルク駅で
蒸気列車が発車を待つ(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

列車はホームを離れると、機関庫のそばで標準軌線の下をくぐって左側に出る。なおも並走する間に、ヴァイセリッツ川が左手から接近するが、まもなく列車は左カーブで標準軌線から離れ、川を続けざまに渡る(下注)。最初の停留所はフライタール・コースマンスドルフ Freital-Coßmannsdorf だ。

*注 ヴァイセリッツ川に合流する前の、ヴィルデ・ヴァイセリッツ川 Wilde Weißeritz およびローテ・ヴァイセリッツ川。

三角屋根が連なる大きなショッピングセンターの横を通過すると、いよいよ谷が狭まってくる。ここからしばらくは、ローテ・ヴァイセリッツ川が刻んだ狭い谷底を這うように進んでいく。このラーベナウアー・グルント Rabenauer Grund(ラーベナウ渓谷の意、下注)は細かく曲がりくねっていて、鉄道も急カーブと橋梁の連続だ。次の駅までの間に、橋梁の数は12もあるという。この区間は2002年の豪雨による異常水位で甚大な被害を受け、線路をはじめ施設設備の多くが造り直されている。

*注 グルント Grund は英語の ground に相当し、ここでは谷底を意味する。

Blog_sax_weisse14
(左)ヴィルデ・ヴァイセリッツ川を渡る
(右)ラーベナウアー・グルントの曲線だらけの線路
Blog_sax_weisse15
(左)ラーベナウアー・グルント
  ハイキングトレールが線路と絡む
(右)写真奥に見える橋梁は、水害の後、
  橋脚のないタイドアーチで架け直された(ラーベナウ駅南方)
 
Blog_sax_weisse_map4
ラーベナウアー・グルント周辺の1:25,000地形図(1989年)
© 2021 Staatsbetrieb Geobasisinformation und Vermessung Sachsen
 

ラーベナウ Rabenau 駅は谷の途中にあり、貨物列車の交換も可能な長い待避線を備える。同名の町は渓谷の上の台地に立地するのだが、列車からは全く見えない。ちなみに、町へ向かう道路から右に分かれる小道を上っていくと、渓谷と鉄道駅を俯瞰するシャンツェンフェルゼン Schanzenfelsen(砦岩の意)の展望台がある。下の写真は、駅に入線する列車をそこから眺めたものだ。

Blog_sax_weisse16
ラーベナウ駅に入る蒸気列車を
シャンツェンフェルゼンから俯瞰
 

さて、渓谷はシュペヒトリッツグルント Spechtritzgrund と名を変えながら、なおも続く。列車は、最も狭隘な区間にさしかかっている。車輪をきしませて通過する急カーブは、路線最小の半径50mだ。次のシュペヒトリッツ Spechtritz 停留所もまだ谷の中だが、少し空が広がってきたようだ。

しばらく行くと、ダム建設で1912年に付け替えられた区間に入る。トレールになった旧線と川とを斜めに横断し、25‰の上り勾配で谷の斜面を上り詰めていく。やがて右手に弧を描くマルター・ダムが現れる。高さ26.8m、堤長193m、ダム湖は谷を埋め尽くし、周辺の景色を一変させた。

Blog_sax_weisse17
マルター・ダムの堰堤(2007年)
Photo by ProfessorX at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

その穏やかな湖面を眺めながら左にカーブするところに、待避線をもつマルター駅がある。ダム湖へ行く行楽客の下車駅だ。列車は駅を出た直後に、支谷に架かる長さ66mのボルマンスグルント橋梁 Brücke Bormannsgrund を渡る。湖水に脚を浸した5径間のアーチ橋は、列車の好撮影地になっている。

Blog_sax_weisse18
ボルマンスグルント橋梁を渡る
Blog_sax_weisse19
ボルマンスグルント橋梁をダム湖対岸から遠望
 

しばらく車窓にはダム湖が続くが、左手に建物が目立ち始めれば、次のディッポルディスヴァルデ駅が近い。ここは沿線最大の町だ。水害からの復旧過程では、9年間、列車の終点になっていた。拠点駅らしく、島式ホームには木組みの大屋根が架かり、両側に貨物側線が何本も並んでいる。

Blog_sax_weisse20
(左)ディッポルディスヴァルデ駅に到着(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ディッポルディスヴァルデ駅の島式ホーム(2017年)
Photo by SchiDD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この後は連邦道170号線と絡みながら、なだらかな谷間を進んでいく。オーバーカルスドルフ Obercarsdorf からは、再び新線区間に入る。1924年に切り替えられた線路は、集落を避けて川の左岸(西側)を伝っている。

右から合流するペーベルタールを横断する地点には、8つのアーチをもち、長さ191mと路線最長のシュミーデベルク高架橋 Schmiedeberger Viadukt が築かれた。S字カーブを描く高架橋の上で、列車は、谷間を埋める家々の屋根を見下ろすように走る。渡り終えれば、シュミーデベルク駅がある。

Blog_sax_weisse21
(左)家々の屋根を見下ろすシュミーデベルク高架橋(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)町中に築かれたアーチ(2013年)
Photo by Geri-oc at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

新線区間は、駅を越えて左手に鋳造所が見えるまで続く。再び谷が狭まってきた。ブッシュミューレ Buschmühle 停留所を見送ると、いよいよ路線最後の急坂が待ち構えている。勾配値は最大で34.7‰(1:28.8)に達し、上りきったところが終点クーアオルト・キプスドルフ駅の構内だ。標高は534mで、起点とは350mの高度差がある。

ここも長いホームを有している。駅舎は車止めの先にあり、階段を上がると、吹き抜けに壁画の描かれた立派な1階ホールに出られる。建物はビュルガーハウス Bürgerhaus(村の公共施設)として機能していて、インフォメーションオフィスや鉄道資料の展示室もある。

Blog_sax_weisse22
クーアオルト・キプスドルフ駅に入る
蒸気列車(2017年)
Photo by R.D. - Rolf-Dresden at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_weisse23
クーアオルト・キプスドルフ駅
(左)駅舎正面(2009年)
Photo by R.D. --Rolf-Dresden at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(右)1階ホール、右奥にホームへ降りる階段がある(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

クーアオルト・キプスドルフは、人口300人ほどの小さな村だ。保養地(クーアオルト Kurort)の冠はついているものの、特に見どころがあるわけでもない。終点まで乗ってきた客の多くは、機回し作業を見学した後、折返しの列車に再び乗り込んでいく。

ヴァイセリッツタール鉄道の蒸気機関車は、フライタール・ハインスベルクを拠点にしている。ザクセン蒸気鉄道SDGのリストによれば、2021年現在、稼働できるのは1933年製の「標準機関車 Einheitslokomotive」99.73~76形と、1957年製の「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形が1両ずつだ。

通常ダイヤでは後者が使われ、前者は後述する特別運行日にのみ登場する。このほか、同形式の蒸機が複数両、フライタール・ハインスベルクとキプスドルフに分散して保管されている。

客車はオープンデッキをもつ古典車タイプだが、DR時代に車体を更新したいわゆるレコ・ヴァーゲン Reko-Wagen(Reko は再建 Rekonstruktion の意)が使われている。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。

Blog_sax_weisse24
(左)戦前製の「標準機関車」99 1746機
(右)戦後製の「新造機関車」99 1771機
 いずれもフライタール・ハインスベルク駅にて
 

運賃は区間制だ。1日乗車券 Tageskarte もあるが、片道および往復乗車券でも当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効になっている。

最後に運行状況だが、SDGが運営する3路線の中では、最も閑散としている。2021年のダイヤによると、通年運行しているものの、全線通しで走るのは2往復、それにディッポルディスヴァルデ折返しが夕方1往復あるだけだ。沿線に著名な観光地がなく、利用者数も限られることから、1編成で賄えるダイヤにしてあるのだろう(下注)。これとは別に、年に2日間だけ、特別ダイヤ Sonderfahrplan で通し4往復と区間便2往復が走る。

*注 ディッポルディスヴァルデまで部分復旧していた期間は、1日6往復運行されていた。短距離のため、これでも1編成で対応可能だった。

ちなみに、ドレスデン市内とディッポルディスヴァルデ~キプスドルフ沿線間には、路線バスが30~60分間隔で運行されている(360系統、RVSOE による運行)。また、Sバーンのフライタール・ドイベン Freital-Deuben 駅前からもラーベナウ市街地(駅前は通らない)経由でディッポルディスヴァルデまで、バスが1時間ごとにある(348系統、同上)。現地訪問の際、片道をバス移動にすれば、旅程の可能性がより広がるかもしれない。時刻表、路線図は https://www.vvo-online.de/ を参照されたい。

次回はデルニッツ鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ヴァイセリッツタール鉄道(SDG公式サイト)
https://www.weisseritztalbahn.com/
ヴァイセリッツタール鉄道利益共同体協会 IG Weißeritztalbahn e.V.
http://www.weisseritztalbahn.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

2021年12月 7日 (火)

ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道

フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn

クランツァール Cranzahl ~クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal 間 17.349km
軌間750mm、非電化
1897年開通

Blog_sax_fichtel1
ノイドルフ村裏手の林を上る蒸気列車

Blog_sax_fichtel_map1

ドイツとチェコの国境に横たわるエルツ山地 Erzgebirge は、くるみ割り人形などに代表される木工細工で知られている。しかしかつては、銀、錫、ウランなど有用鉱物の採掘が主産業だった。ドイツ語で鉱石を意味するエールツ Erz が山地の名になっている(下注)のが、そのことを物語る。

*注 英語でも直訳して Ore Mountains と呼ばれる。なお、日本語ではエルツと書かれるが、語頭の E は長母音なので、本来はエールツ。また、実際の発音はエーアツに近い。

中世から山地のさまざまな場所で行われていた採掘活動は、その後盛衰の波を経つつも19世紀まで続いた。しかし、世紀後半になると、資源の枯渇が進んで徐々に縮小され、さらに主力の銀は、1871年の金本位制導入による価格急落で、大きな打撃をこうむった。

Blog_sax_fichtel2
山頂のフィヒテルベルクハウス Fichtelberghaus(2015年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

山地の冬は気候が厳しく、北西からの風にさらされるドイツ側斜面は降雪量も多い。鉱業が衰退したエルツ山地で、現在、木工とともに経済を支えているのは、この自然環境を生かしたウィンタースポーツの観光業だ。標高1215mのフィヒテルベルク山 Fichtelberg(下注)が、その中心地の一つになっている。

*注 フィヒテルベルクの名は、ドイツトウヒ(フィヒテ)Fichte の山 Berg に由来する。昔はドイツトウヒの天然林が山を覆っていた。

写真ではありふれた高まりにしか見えないが、山はドイツ領エルツ山地の最高地点で、旧 東ドイツでは国内最高峰でもあった。ちなみに、山地全体で最も高いのは、チェコ領内にある標高1244mのクリーノベツ山 Klínovec(ドイツ名 カイルベルク Keilberg)だが、フィヒテルベルクの南4kmに並ぶ双子のような山だ。

Blog_sax_fichtel3
フィヒテルベルク遠望、チェコ側から撮影(2013年)
Photo by Horst at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

山麓の町クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal に、山の名を冠した750mm軌間の蒸気保存鉄道が通じている。鉄道は、ケムニッツ Chemnitz 方面からのDB(ドイツ鉄道)線と接続するクランツァール Cranzahl 駅を起点に、120年以上にわたって保養客や行楽客を町に送り届けてきた。

路線の正式名は、クランツァール=クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール狭軌鉄道 Schmalspurbahn Cranzahl–Kurort Oberwiesenthal だが、1998年に使われ始めた「フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn」のマーケティング名称が定着している。本稿では過去に関する記述も含めてこの名称を用いる。

Blog_sax_fichtel4
フィヒテルベルク鉄道のロゴ
BERG(山の意)の文字列が盛り上がる
Blog_sax_fichtel_map2
クランツァール~オーバーヴィーゼンタール間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

鉱山集落としてヴィーゼンタール Wiesenthal(下注1)が成立したのは、16世紀のことだ。19世紀の鉱業衰退とともに一時寂れたが、1872年にエルツ山地を横断する標準軌鉄道(下注2)が開通すると、フィヒテルベルクをめざす行楽客が訪れるようになった。とはいっても最寄り駅は、国境を越えたオーストリア領ボヘミアにあるシュミーデベルク Schmiedeberg(現 チェコ領コヴァージスカー Kovářská)で、町まで坂道を介して7kmの距離があった。

*注1 ヴィーゼンタールの上町が、オーバーヴィーゼンタールになる。
*注2 コーモタウ Komotau(現 チェコのホムトフ Chomutov)~ヴァイペルト Weipert(同 ヴェイプルティ Vejprty)~アンナベルク Annaberg 間76.7km。アンナベルク(現 アンナベルク・ブーフホルツ下駅 Annaberg-Buchholz unt Bf)で、1866年開通のアンナベルク=フレーア線 Bahnstrecke Annaberg–Flöha に接続した。

Blog_sax_fichtel5
DB線はゼーマ川に架かる橋を渡って
クランツァール駅に入る
 

直接ヴィーゼンタールに入る路線が実現するのは、それから20年あまり後になる。ザクセンでは1880年代から、交通量が少ないと見込まれる地方路線について狭軌で建設が進められており、これもその一環だった。

計画段階では、標準軌線との接続駅が異なる3種のルート案があった。一つは支線の終点、クロッテンドルフ Crottendorf から始まる西ルート、二つ目はクランツァールを起点とする中央ルート、三つ目がベーレンシュタイン Bärenstein で接続する東ルートだ。

最終的に実現したのは中央ルートだが、地図で見ると、途中で分水界を越えなければならず、距離も長い。確かに、一本の谷を遡るだけで済む東ルートが建設費の点で最も有利だったのだが、接続駅とされたベーレンシュタインが地形的に手狭で、狭軌線用の施設を拡張するのが困難と判断されたのだという。

中央ルートは案の定、地形の複雑さから見積りを超える費用をかけて、1897年7月に開通式を迎えた。しかし有名な山の麓まで行けるとあって、行楽客にはすこぶる好評で、旅客輸送は順調に伸びた。第一次世界大戦中は石炭不足で運行規制を余儀なくされたが、戦争が終わると客足が戻った。それどころか、輸送実績は戦前を上回る伸びを示した。1924年に町からフィヒテルベルク山頂へ上る、ドイツで最初のロープウェーが開通したからだ。

まだトラックが普及していない時代で、ロープウェーの建設資材の運搬も軽便鉄道が担っている。すでに1906年から、標準軌車両を狭軌の台車に載せて運ぶロールワーゲン Rollwagen が運用されており、効率的な貨物輸送が可能だった。この記念すべきフィヒテルベルク・ロープウェー Fichtelberg-Schwebebahn は、設備改修を受けながら現在も運行されている。

Blog_sax_fichtel6
フィヒテルベルク・ロープウェー
背景はオーバーヴィーゼンタール市街(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、追い風はいつまでも吹かない。1930年代になると、鉄道と並行して路線バスが走り始めた。バスは都市から直通するので人気があり、列車はピーク時にあふれた客の輸送手段に甘んじた。さらに第二次世界大戦の開戦で行楽需要が消え、ドイツが降伏した1945年には一時、列車の運行そのものが中止される。

戦後、ザクセンは東ドイツに属したが、1947年からの数年間、沿線でウランの採掘が行われ、鉄道に、鉱石運搬とともに作業員輸送の任務が課せられた。鉱山の従事者は3000人に上ったため、他の狭軌鉄道から借り集めた車両も使って、10両編成の通勤列車が組まれたという。

Blog_sax_fichtel7
標準機関車99.73~76形
クランツァール駅にて(1995年)
Photo by Phil Richards at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

採掘は1950年代半ばに終了し、鉄道にはもとの日常が戻ってきた。レースニッツグルント鉄道の項でも述べた通り、1964年に政府が、今後10年間で国内の狭軌線を全廃する方針を決定したとき、鉄道の命運は尽きたかと思われた。しかし、執行を免れているうちに、1973年の維持すべき行楽路線の選定があって、鉄道は存続することになる。

ドイツ再統一後の1992年に、顧客を失った貨物輸送は廃止された。そして1998年、路線の運営はDB(ドイツ鉄道)から、地元の公的資本で設立されたBVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbH(2007年にザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) に改称)に引き継がれる。

その後、車両の整備や設備の更新が実施され、2004年にはオーバーヴィーゼンタールに新しい車両整備工場も建てられた。現在、同社はフィヒテルベルク鉄道を含めて3本の狭軌鉄道(下注)を運営しており、全般検査のような大規模な作業はここで集中的に行われるようになった。

*注 フィヒテルベルクのほか、レースニッツグルント鉄道とヴァイセリッツタール鉄道。

Blog_sax_fichtel8
オーバーヴィーゼンタール駅構内の整備工場

冬場の需要も手堅いので、鉄道は通年で運行されている。2021年のダイヤによれば、1日の運行本数は平日5往復、土日祝日は増便されて6往復だ。3月と11月のみ、閑散期として3往復に削減される。全線の所要時間は57~64分。日中はニーダーシュラーク Niederschlag 駅で列車交換が行われる。

運賃は区間制で、片道および往復乗車券では当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効だ。何度か乗り降りするなら、1日乗車券 Tageskarte もある。

鉄道の公式サイトによれば、切符は車内で車掌が販売している。また、起点クランツァール駅では駅舎のビストロ(軽食堂)で、終点クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅では案内カウンターで、それぞれ切符の取扱いがある。

ザクセンの750mm軌間は東ドイツ時代、国鉄(DR、ドイツ国営鉄道)の路線だったので、稼働している機関車の形式も共通だ。運営会社SDGの機関車リストによると、オーバーヴィーゼンタールにいるのは、1929年製造の「標準機関車 Einheitslokomotive」99.73~76形が1両と、戦後1950年代に造られた「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形が5両、それに予備車としてディーゼル機関車L45H形が1両となっている。

客車もオープンデッキつきの古典車で、1910~20年代に製造されたものだ(一部は改造車)。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。

Blog_sax_fichtel9
(左)主力機関車99.77~79形
(右)ディーゼル機関車 L45H形
Blog_sax_fichtel10
(左)オープンデッキつきの古典客車
(右)無蓋貨車を改造した展望車

フィヒテルベルク鉄道の起点クランツァール駅へは、ザクセン南西部の中心都市ケムニッツからDB(エルツ山地鉄道 Erzgebirgsbahn)のチョーパウタール線 Zschopautalbahn の連接気動車で行く。チョーパウ川 Zschopau が流れる狭い谷の中を曲がりくねりながら、アンナベルク・ブーブホルツ Annaberg-Buchholz を経由して約80分の長旅だ。線路はこの先、チェコとの国境を越えて続いているが、旅客列車は全便、クランツァールが終点になっている(下注)。

*注 2021年現在、夏のシーズンの週末にのみ、クランツァール発で山地を横断し、チェコのホムトフに至る旅客列車が、観光企画として1日3往復運行されている。

Blog_sax_fichtel11
標準軌列車でクランツァール駅に到着
 

かつてBVO鉄道が狭軌線の運営を引き継いだ際、その2年前(1996年)に廃止済みの貨物線を利用して、アンナベルク(下注)まで列車を延伸運行させるという構想が発表されたことがある。これは資金面の事情で実現しなかったが、DBの列車は事実上、その代行を務めているようなものだ。エルツ山地に分け入る鉄道路線は、利用の減少から運行撤退が相次いでいて、アンナベルクとクランツァールの間は、狭軌線との接続のために存続しているといっていい。

*注 現在使われている「下駅 unterer bahnhof (unt Bf)」ではなく、東斜面の高みにあった貨物駅「上駅 oberer Bahnhof (ob Bf)」に発着する予定だった。

駅のプラットホームに降り立つと、古色蒼然とした木組みの片流れ屋根が、はるばるエルツ山地の最奥部までやって来たという感慨を誘う。この舞台装置にはやはり、現代的な連接気動車より古典蒸機が似合うだろう。その狭軌鉄道の列車は、同じホームの反対側に入ってくる。

Blog_sax_fichtel12
同じホームの反対側に狭軌列車が入る
 

この駅を観察して興味深いのは、駅舎を越えて北側にも狭軌線の側線が並んでいることだ。つまり狭軌のヤードが、標準軌の線路と駅舎をはさんで両側にある。狭軌の列車は南側から駅に進入するので、北側ヤードへはわざわざ標準軌の線路を平面横断しなければならない。なぜ、このような配置になっているのだろうか。

狭軌線の建設当時、接続駅に必要とされたのは、貨物の積替えや、機関庫を含めた車両の滞泊のためのスペースだ。ところが現地は南側に斜面が迫っていて、十分な敷地の確保が難しかった。そこでやむなく駅の北側に盛り土して、ヤードを造成することにしたのだという。その後、旅客需要も増加したことから、1912年に南側の斜面を削って、今あるとおり、旅客列車用の側線を配置した。このように、北側は貨物、南側は旅客という使い分けをしていたのだ。

Blog_sax_fichtel13
(左)駅の西側から東望
  右の狭軌線は旅客ホームへ
  左の狭軌線は、標準軌線と交差して貨物ヤードへ
(右)駅に通じる道路も横断、奥に貨物ヤードがある
Blog_sax_fichtel14
(左)貨物ヤードにある静態保存のロールワーゲン
(右)狭軌台車に標準軌貨車を載せて運ぶ
 

それでは、オーバーヴィーゼンタール行きの狭軌列車に乗り込むとしよう。列車は、標高654mの始発駅から西向きに出発する。急な右カーブで鉄橋を渡っていく標準軌線とはすぐに分かれ、自身は左カーブでゼーマ川の谷(ゼーマタール Sehmatal)の上流に向かう。

Blog_sax_fichtel15
旅客線での機回し風景
Blog_sax_fichtel16
出発を待つ蒸機
Blog_sax_fichtel17
西向きに出発
 

街道沿いに長く延びるノイドルフ村の裏手の高みを行くうち、ウンターノイドルフ Unterneudorf で最初の停車がある。木立ちに囲まれた棒線の停留所だ。さらに進み、撮影地の一つであるS字カーブの築堤を渡ると、村の中心部に位置するノイドルフ駅 Neudorf (Erzgeb) (下注)。ここは通過本線の横に、側線と待避線を備えている。

*注 正式駅名には、他の同名駅と区別するために、エールツゲビルゲ(エルツ山地)の略 Erzgeb がつく。

Blog_sax_fichtel18
(左)ノイドルフ村の裏手の高みを行く
(右)S字カーブの築堤を渡る
Blog_sax_fichtel19
S字カーブの築堤を行く
オーバーヴィーゼンタール行き列車
Blog_sax_fichtel20
上の写真の左側
クランツァール行きは逆機運転
 

街道の踏切に続いて、小さなゼーマ川も渡って左岸へ。フィーレンシュトラーセ Vierenstraße は谷の奥、村一番の大きな機械工場の裏にぽつんとあり、フィヒテルベルクに北斜面からアプローチするハイカーたちが下車する。

ここからは峠越え区間で、蒸機も出力を上げる。駅を出た直後から1:27(37.0‰)の最大勾配が始まり、線路は山襞に沿って急な反向曲線を繰り返す。蒸機の奮闘ぶりが見ものだが、周りにドイツトウヒの森が迫るため、あまり見通しはきかない。

Blog_sax_fichtel21
(左)出力を上げてフィーレンシュトラーセを出発
(右)ドイツトウヒの森の中の急坂
 

次のクレチャム・ローテンゼーマ Kretscham-Rothensehma 駅は、山腹の肩の緩斜面に位置している。路線のほぼ中間に当たるため、当初から列車交換駅として計画され、給水施設も設けられていた。今ある待避線はその名残だ。再び森に包まれて、残りの坂道を上っていくと、ものの数分で標高831mのサミットに達する。この後は軽い下り坂になる。

次のニーダーシュラーク Niederschlag もまだ森の中だが、現行ダイヤでは日中、上下列車の交換シーンが見られる。定時運行なら、上りクランツァール行きが先に入線して、下りオーバーヴィーゼンタール行きの到着を待つ。ちなみに上りホームにある長屋のような駅舎は、1948年にウラン鉱山の作業員輸送をする際、待合所として建てられたものだという。周囲に民家も見えない寂しい場所だが、賑わっていた時代もあるのだ。

Blog_sax_fichtel22
ニーダーシュラーク駅の列車交換(2020年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

すでにペールバッハ川の谷(ペールバッハタール Pöhlbachtal)に入っていて、数分走るとようやく森が開け、のどかな山あいの農村風景が見えてくる。左の谷の向かい斜面は、チェコ領だ。その中腹をクランツァールから続く標準軌線が並行しているが、あちらも森を縫っているため、線路のありかは断片的にしかわからない。

近くにある石灰石と砂利の採取場からの貨物を取り扱っていたハンマーヴィーゼンタール Hammerunterwiesenthal 駅には、数本の側線が残っている。東ドイツ時代、採取場は狭軌鉄道にとって最大の顧客だったが、再統一の後、効率的なトラック輸送に切り替えられてしまった。

いつしか谷が狭まってきて、ペールバッハ川が手の届きそうなところを流れている。どこにでもある小川にしか見えず、中央にドイツとチェコの国境が通っているとは信じがたい。

Blog_sax_fichtel23
ハンマーヴィーゼンタール駅
貨物扱いを止めた今も、側線が残る
Blog_sax_fichtel24
(左)国境をなすペールバッハ川
(右)後方を撮影、小川の反対側はチェコ領
 

棒線停留所のウンターヴィーゼンタール Unterwiesenthal を過ぎると、列車はS字カーブでB95号線の踏切を横断する。斜面を最後の急勾配33‰で上っていく間、右手にフィヒテルベルク、左手にクリーノベツと、エルツ山地の二つの高峰を望むことができる。

列車は左へカーブしながら、橋を渡り始めた。長さ100m、高さ18mのヒュッテンバッハタール高架橋 Viadukt Hüttenbachtal、路線唯一の鋼製トレッスル橋だ。駅のすぐ近くで、蒸気列車の好撮影地として知られている。

Blog_sax_fichtel25
(左)エルツ山地最高峰クリーノベツが見える
(右)ヒュッテンバッハタール高架橋に差し掛かる
  背景はフィヒテルベルク
Blog_sax_fichtel26
ヒュッテンバッハタール高架橋
 

橋は、駅への取り付けランプになっていて、列車はそのままクーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅の構内に進入する。駅舎の壁に取り付けてある標高893.962mのプレートが示すように、ここはザクセン州はもとより、ドイツ北・中部で最も高所にある鉄道駅だ(下注)。

*注 ドイツ最高所の鉄道駅は、粘着式ではシュヴァルツヴァルト南部、ドライゼーン(三湖)線 Dreiseenbahn のフェルトベルク・ベーレンタール Feldberg-Bärental、標高967m。ラック式を含めると、バイエルンアルプスにあるツークシュピッツェ鉄道 Zugspitzbahn の終点シュネーフェルナーハウス Schneefernerhaus、標高2650m。

駅の下手が、落ち着いたたたずまいの市街地になる。上手の斜面にはスキーゲレンデが広がっている。時間が許すなら、フィヒテルベルク山頂へ行ってみたい。例のロープウェーの乗り場が坂道を600mほど上ったところにあり、乗り込めば、エルツ山地の壮大なパノラマが開ける山上までわずか3分半だ。

Blog_sax_fichtel27
クーアオルト・オーバーヴィーゼンタールに到着
蒸機は機回し中
Blog_sax_fichtel28
クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅舎(2010年)
Photo by Liesel at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_sax_fichtel29
オーバーヴィーゼンタール市街
(左)マルクト広場(2015年)
Photo by Kvikk at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)市庁舎前のクリスマス・ピラミッド(2007年)
Photo by Ondřej Žváček at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、ヴァイセリッツタール鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
フィヒテルベルク鉄道 https://www.fichtelbergbahn.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

« 2021年11月 | トップページ | 2022年1月 »

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

BLOG PARTS

無料ブログはココログ