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2021年11月

2021年11月24日 (水)

ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道

レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn

ラーデボイル・オスト Radebeul Ost ~ラーデブルク Radeburg 間 16.490km
軌間750mm、非電化
1884年開通

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ディッペルスドルフ池の築堤を渡る蒸気列車

ドレスデン中央駅 Dresden Hbf からマイセン Meißen 方面のSバーン(近郊列車)で15分、ラーデボイル・オスト(東)Radebeul Ost 駅に降り立つと、右隣に、時間を何十年か逆戻ししたような懐かしい光景が広がる。ここを起点にしている狭軌保存鉄道、レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn の乗り場とその構内だ。

Sバーンのホームが現代的な造りなので、よけいにそう感じるのかもしれない。年季の入った蒸気機関車や客車や貨車がぎっしり留め置かれ、発車時刻が近づくと、ホームに行楽の装いをした人がばらばらと集まってくる。

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ラーデボイル・オスト駅の狭軌線構内(2019年)
Photo by Kevin.B at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 
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鉄道は、正式名をラーデボイル・オスト=ラーデブルク狭軌鉄道 Schmalspurbahn Radebeul Ost–Radeburg という。蒸気列車が古典客車を牽いて、ドレスデン Dresden 北郊の、森や牧草地や水辺のある田園風景の中を走り抜ける路線だ。大都市に近く、かつ沿線にワインの里や美しい離宮といったザクセン有数の観光地が点在することから、特に人気が高い。

今回は、ザクセンの狭軌鉄道のなかでもよく知られたこの路線を旅してみたい。なお、レースニッツグルント鉄道という名称は、マーケティング用に1998年に使われ始めたもので、歴史的には新しいが、本稿では過去に関する記述も含めてこの名称を用いる。

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ラーデボイル~ラーデブルク間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

まずは鉄道の歴史から。

ドレスデンの北20kmの田舎町ラーデブルク Radeburg に、それまでの郵便馬車に代わってこの狭軌鉄道が開通したのは、1884年9月のことだ。以前から町は、標準軌鉄道計画の経由地にも何度か挙げられていたものの、どれも実現には至らなかった。それだけに、列車を迎える町民の感激はひとしおだったはずだ。当初、混合列車が1日3往復設定され、全線を90分かけて走破した。

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帝国時代のラーデボイル・オスト駅(1914年)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

20世紀に入ると、町に別の標準軌線の計画が持ち上がる。レーバウ Löbau ~リーザ Riesa 間を結ぼうとしたザクセン北東鉄道 Sächsische Nordostbahn で、1920年から実際に工事が始まった。設けられる新駅は町の北側だったので、ラーデブルク・ノルト Radeburg Nord、すなわち北駅と呼ばれた。

これに伴い、町の南に駅のある狭軌鉄道もそこへ接続するために、2.1km延伸されることになった。延伸線は1922年、標準軌線の工事列車を通すために、一足先に暫定開通している。だが、第一次世界大戦後の物価高騰がたたって、標準軌線の建設は1927年に中止となり、狭軌延伸線も正式開業されることなく、連絡鉄道になる夢はついえた(下注)。

*注 延伸線の廃線跡は、その後の土地区画整理やアウトバーン建設によりほぼ消失している。

第二次大戦後の東ドイツ時代には、本線自体も廃止の危機にさらされた。1964年に国が、今後10年間で国内のすべての狭軌鉄道を閉鎖するという決定を下したからだ。この影響で、保守作業は最小限となり、現場の人員も削減された。しかし、並行道路が未整備であることを理由に、レースニッツグルント鉄道の執行は後回しにされた。

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マイセン通りを横断する蒸気列車(1989年)
Photo by Felix O at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

そうこうするうちに、狭軌鉄道を観光資源として活用しようとする動きが現れる。1973年に国は、沿線に行楽地などをもつ特定の路線を選定して、長期的に維持することを決定するが、その中にレースニッツグルント鉄道も含まれていた。ちなみに、このとき選定されたザクセン州の路線には他に、フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn、ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn、ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn がある。

1974年には日常輸送の傍ら、愛好家のグループによって、古典機関車を使った初めての保存運行が行われた。この「伝統列車 Traditionszug」運行(下注)は、東ドイツで最初の試みで、その後も定期的に実施されていった。グループは、1990年に非営利団体「ラーデボイル伝統鉄道協会 Traditionsbahn Radebeul e. V.」を組織する。

*注 東ドイツでは旧型車両による運行を表現するのに、「Museum(ムゼーウム)」ではなく「Tradition(トラディツィオーン)」の語が好んで用いられた。今でも「Traditionszug(伝統列車)」「Traditionsbahn(伝統鉄道)」という言い方が残る。

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ベルンスドルフ付近を走る伝統列車(2016年)
Photo by Traditionsbahn Radebeul at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1989~90年の国家体制崩壊は、小さな狭軌鉄道にも多大な影響をもたらした。ラーデブルクの建材工場やガラス工場など主要顧客をあらかた失い、貨物輸送は1993年に全廃された。そのうえ、民営化で誕生したDB(ドイツ鉄道)は非採算の狭軌鉄道を整理する方針で、残る旅客輸送の中止も視野に置いていた。

しかし1998年に、地域の公共交通を一元的に管理するオーバーエルベ運輸連合 Verkehrsverbund Oberelbe (VVO) が財政的な保証を行ったことで、ひとまず運行は継続される。その後、鉄道の管理は2001年からDBの子会社に引き継がれ、最終的に2004年、BVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbHに移管された。

BVOはもともとフィヒテルベルク鉄道の運営のために設立された会社で、ヴァイセリッツタール鉄道と合わせて、この地域にある3本の蒸機保存鉄道を引き受けることになった。同社は2007年にザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) と改称されて、現在に至る。

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運営会社と鉄道のロゴ
GRUND(谷底の意)に合わせて文字列もへこむ

では、冒頭のラーデボイル・オスト駅に戻ろう。

とりあえず狭軌鉄道の切符を買いたいところだが、この駅には出札窓口がない。駅舎はSバーンのホームから見て狭軌駅の左奥に建っているのだが、もはや鉄道業務は行われておらず、地域のイベントホールや図書館、生涯学習施設に転用されてしまっている。そのため切符は、車内に巡回してくる車掌から購入することになる。

もっとも、公式サイトによれば、駅舎から150m先のハウプトシュトラーセ(大通り)Hauptstraße 沿いにあるラーデボイル市観光案内所では、乗車券を取り扱っている。その他、ヴァイセス・ロス駅(委託販売所)とモーリッツブルク駅でも購入できる。

運賃は区間制だ。1日乗車券 Tageskarte もあるが、片道および往復乗車券でも当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効なので、終点まで買っておけば、途中でモーリッツブルク城に立ち寄るといった旅程は可能だ。

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ラーデボイル・オスト駅舎(2013年)
Photo by X-Weinzar at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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ラーデボイル・オスト駅の狭軌線ホーム
 

鉄道の運行状況はどうか。

列車は通年運行されており、夏ダイヤの場合、ラーデボイル・オストからモーリッツブルクまで1日7本の体制だ。その先、ラーデブルクまでは3本に減る。土日は初便のラーデブルク行きが運休のため、それぞれ6本と2本になる。全線の所要時間は54分だ。

使用される蒸気機関車は、1930年前後に製造されたいわゆる「標準機関車 Einheitslokomotive」シリーズの99.73~76形と、1950年代の「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形の2形式だ。客車もオープンデッキつきの古典車で、1910~20年代に製造されている(一部は改造車)。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。

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(左)「標準機関車」99 1761機
  モーリッツブルク駅にて(2020年)
Photo by Manfred Schröter, Berga at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)「新造機関車」99 1777機
  ラーデボイル市街にて
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(左)客車内部
(右)展望車(2009年)
Photo by Jörg Blobelt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

このように定期列車でも十分ヴィンテージものだが、さらに年に数日、特別列車が走る。ラーデボイル伝統鉄道協会が所有する1900~20年代の旧型蒸機、ザクセンIV K形(下注)が先頭に立つ「伝統列車」で、運賃も別建てになっている。

*注 IV K形は、マイヤー式 Meyer-Lokomotive と呼ばれる関節式機関車の一種。ボイラーの下に2軸ボギーの台枠を前後2個設置し、急曲線での走行を可能にしている。ちなみに、IV は「第4」の意で開発順を示し、Kは「クラインシュプーア Kleinspur」すなわち小軌間(狭軌)を意味する。IV K でフィーア カーと読む。

なお、ラーデボイル・オスト駅構内の旧 貨物扱所 Güterboden は、狭軌鉄道博物館として協会所有の静態保存車両や資料を展示していたが、惜しくも2018年に閉館となった。

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ザクセンIV K形蒸機
ヴァイセリッツタール鉄道フライタール・ハインスベルク駅にて
(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ところで、鉄道の名になっているレースニッツグルントとは何だろう。確かにその名の停留所は実在するものの、森の谷間で、周りに住宅が数軒あるだけなのだが…。

まず、レースニッツ Lößnitz だが、これはラーデボイルの北に連なる断層崖の周辺を指す地名だ。そして何より、ザクセンの人々にとってはおいしいワインを連想させる。この急崖は水はけのいい南向きの斜面で、エルベ川の影響を受けて気候も温和だ。そのため、ブドウ栽培の適地になっていて、周辺にワイナリーが点在する。

次に、グルント Grund は英語の ground に相当し、ここでは谷底を意味する。レースニッツグルントは、すなわちレースニッツ地域で最も深い渓谷の名で、鉄道はそこを通って台地へ上っていくのだ。

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レースニッツのブドウ畑の景観
左の建物は歴史的ワイナリーのホーフレースニッツ Hoflößnitz、
遠方の丘の中央はビスマルク塔 Bismarckturm、
その右にシュピッツハウス Spitzhaus
 

もっとも、地元では昔から狭軌鉄道(およびその列車)に対する別の呼び名がある。「レースニッツダッケル Lößnitzdackel」、略して「ダッケル Dackel」というのがそれだ。ダッケルはドイツ原産の猟犬ダックスフントのことだが、のろまという意味もあって、ずんぐりした形の客車を連ねて、のろのろと走る列車の姿をうまく捉えている。とはいえ、観光列車をマーケティングするのに、さすがにこれは使いにくかったのだろう。

さて、発車時刻になった。列車は西向きに出発する。最初、標準軌線と並走するが、S字カーブで道路を渡ると、次は緑の多い住宅街の街路に沿って進んでいく。

ほどなく減速し、カンカンと警報器の音が鳴り響くなか、広いマイセン通り Meißner Straße を斜めに横断した。通りの中央には、ドレスデン市電4号線の併用軌道が敷かれており、タイミングがよければ、狭軌列車の通過待ちをする低床トラムを見送れる。

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マイセン通りを斜め横断
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4号線の低床トラムも通過待ち
 

通りの北側には一つ目の駅、ヴァイセス・ロス Weißes Roß がある。ヴァイセス・ロスとは白馬のことで、駅に隣接する1789年築の由緒ある旅館にちなんだ名だ。市電4号線も西側の路上に停留所を置いている(下注)ので、復路ここで乗換えれば、トラムでドレスデン市内に戻ることができる。

*注 停留所名はランデスビューネン・ザクセン(ザクセン州立劇場)Landesbühnen Sachsen。

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(左)ヴァイセス・ロス駅
(右)駅に隣接する白馬旅館(2007年)
Photo by de:User:VincentVanGogh at wikimedia. License: Public Domain
 

ヴァイセス・ロスからは、エルベ谷の段丘面(エルプテラッセ Elbterasse)に広がる閑静な住宅街を縫っていく。右手前方にちらちらと、ブドウ畑に覆われたレースニッツの段丘崖が見えてきた。斜面に刻まれた名物階段、397段のシュピッツハウス階段 Spitzhaustreppe を上りきれば、丘の上から眼下に横たわるエルベ谷が一望になるはずだ。

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名物階段で丘の上の展望台へ
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ビスマルク塔前の展望台から見る
エルベ谷のパノラマ
 

列車はレースニッツグルントの谷間に入っていく。谷川(レースニッツバッハ Lößnitzbach)と絡み合いながら、森の中をくねくねと上っていくと、例のレースニッツグルント停留所がある。今でこそ静かな場所だが、かつては待避線があり、列車交換が行われていた。また、1975年まで隣に「マイエライ行楽食堂 Ausflugsgaststätte Meierei(マイエライは農場、荘園の意)」という人気のレストランが営業していたので、停留所の利用者も多かったという。

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(左)レースニッツグルント停留所
(右)レースニッツグルントの森を行く
 

森を抜けたところで、フリーデヴァルト・バート Friedewald Bad 駅(下注)に停車した。当初は近くの集落の名を取ってディッペルスドルフ Dippelsdorf と称したので、駅舎の壁には旧名が今も残されている。待避線を備えているが、残念ながら定期ダイヤでは列車交換が行われることはない。

*注 同名の駅と区別するために、正式駅名には旧郡名のドレスデン Dresden の語が括弧書きでつく。ただし現在の行政区分はマイセン郡 Landkreis Meißen。

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(左)フリーデヴァルト・バート駅
(右)駅舎には旧名ディッペルスドルフの文字が
 

この後、列車はディッペルスドルフ池 Dippelsdorfer Teich を築堤で横断していく。この築堤は長さが210mあり、車窓風景のハイライトの一つだ。池は先刻、谷間を流れていたレースニッツバッハの源流に当たり、東西1.5km、南北0.5kmの広がりがある。

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ディッペルスドルフ池の築堤を渡る列車
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池の広い水面を二分する築堤
 

牧草地の中を直線的に進んでいくと、やがてモーリッツブルク Moritzburg だ。ここは中間駅どころか、中心駅というのが適切かもしれない。運行面では、1日の列車本数の半分以上がここを終点にしているし、営業面でも乗降客が集中する。というのも、ザクセンで指折りの美しい城館、モーリッツブルク城 Schloss Moritzburg の最寄り駅だからだ。

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モーリッツブルク駅舎(2015年)
Photo by Dr. Bernd Gross at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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(左)モーリッツブルク駅に上り列車が入線
  上り(ラーデボイル・オスト方面)は機関車が逆向きになる
(右)駅の時刻表
 

城は、狩猟のための別邸として16世紀に築かれたが、18世紀に、ポーランド王でありザクセン選帝侯のアウグスト強健王 August der Starke によって拡張された。バロック様式の明るく優雅な外観はこのとき整えられたものだ。

町から続くシュロスアレー Schloßallee(城に通じる並木道)の延長線上で、狩りの城 Jagdschloss は、池の中に浮かぶように建っている。四方に円塔をもつ翼部を備え、どの側から見ても安定感のある造りだ。取り巻く敷地は広大で、北側にはフランス式庭園があり、東側は運河によって2km先の「雉の小城 Fasanenschlösschen」や灯台まで続いている。時間に余裕をもって巡りたい。

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空から見たモーリッツブルク城(2014年)
Photo by Carsten Pietzsch at wikimedia. License: CC0 1.0
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池を渡って城内へ通じるシュロスアレー
 

さて、列車はモーリッツブルクからさらに北東へ進む。大池 Großteich のほとりを通過するが、森に遮られて湖面はほとんど見えない。ベルンスドルフ Bärnsdorf 地内でS字カーブをしのいだ後は、再び北に針路をとり、牧草地の中を行く。右の車窓で工場の建物が目につくようになれば、ゴールは近い。

ラーデブルクは、側線を含め4本の線路が並ぶターミナルだ。といっても、駅舎は他の駅に比べてみずぼらしく、実際機能していない。最奥部に機関庫が見えるが、もっぱら伝統鉄道協会が使用しているという。

列車は、到着後すぐに機回し作業に移り、15分後には折り返す。1日にわずか2~3便では、町の散策までは難しく、ここまで乗車してきた人も大半はとんぼ返りする。ドレスデン方面へは路線バス(下注)で戻るという代替策もあるのだが、駅前を経由しないルートなので注意が必要だ。

*注 477および478系統。ラーデブルク市街西縁にあるバスセンター Busbahnhof を発着し、中心部のラートハウス(市役所)Rathaus などを経由する。時刻表、路線図は https://www.vvo-online.de/ にある。

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ラーデブルク駅構内(2011年)
Photo by FlügelRad at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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ラーデブルク駅
(左)機回し作業を見守る乗客
(右)構内の奥に建つ機関庫
 

次回は、フィヒテルベルク鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
レースニッツグルント鉄道 https://www.loessnitzgrundbahn.de/
ラーデボイル伝統鉄道協会 https://www.traditionsbahn-radebeul.de/

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2021年11月 7日 (日)

ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道

ムスカウ森林鉄道 Waldeisenbahn Muskau

ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ Weißwasser-Teichstraße ~バート・ムスカウ Bad Muskau
同上 ~クロムラウ Kromlau
同上 ~シュヴェーラー・ベルク Schwerer Berg
計 約20km、軌間600mm、非電化
1895年運行開始、1978年休止、1992年保存運行開業

軌間(線路幅)が600mmというのは、狭軌鉄道のなかでも最も狭い部類に入る(下注)。この軌間の鉄道はドイツでフェルトバーン Feldbahn(Feld は英語の field に相当)と呼ばれ、19世紀後半に鉱工業や林業など産業用の簡易軌道として広まった。フランスで開発され、組み立て式で設置が容易なことから世界的に普及したドコーヴィル軌道も同じ軌間だ。

*注 これより狭い軌間も営業路線として存在するが、ナローゲージ(狭軌)ではなくミニマムゲージ(最小軌)に分類されている。

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ムスカウ森林鉄道の蒸気列車
バート・ムスカウ駅にて(2013年)
Photo by J.-H. Janßen at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 
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ザクセン州北東端に位置するバート・ムスカウ Bad Muskau 周辺でも、1895年、大地主だったヘルマン・フォン・アルニム伯爵 Graf Hermann von Arnim が、周辺の森林と鉱物資源を開発するために、これを導入している。彼は、森林を切り開き、褐炭や珪砂の採掘を行い、それらを原料にして製材所、製紙工場、レンガ工場、ガラス工場を操業させており、簡易軌道は原料や完成品の運搬に欠かせないものだった。

ムスカウ森林鉄道 Waldeisenbahn Muskau は、この産業路線が廃止された後、愛好家や地元自治体によって再建された約20kmのルートで運行されている観光鉄道だ。600mm軌間の路線は、ドイツのいくつかの都市で公園鉄道 Parkeisenbahn(下注)として生き残っているが、長いものでも10kmに満たず、規模ではとうていこれに及ばない。

*注 いずれも旧東ドイツのエリアのベルリン Berlin、コトブス Cottbus、プラウエン Plauen、ケムニッツ Chemnitz、ゲルリッツ Görlitz などに見られる。

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(左)仕業前の調整
(右)客車と連結

伯爵が始めた軽便鉄道は、その後どのように展開していったのだろうか。

初めのうち、貨車を牽いていたのは馬だった。1年後にミュンヘンのクラウス Krauss 社から小型の蒸気機関車が届き、運行に供された。工場経営は順調で、わずか数年後には線路も85km以上に拡張されていたという。こうして最盛期には11両の蒸機が稼働する、多忙な路線網になった。しかし、第二次世界大戦の敗戦と連合軍占領により、産業会社は解体される。車両や軌道も、その多くが戦時賠償としてソ連に送られた。

戦後、ザクセンは東ドイツに属し、森林鉄道も1951年からドイツ国営鉄道 DR の管理下に置かれる。東ドイツ政府は、国内産業を再興するために、自給可能なエネルギー資源である褐炭の増産を図った。ムスカウ周辺でも鉱区が大きく拡張されて終夜操業となり、森林鉄道の車両群はフル稼働した。

この状況は1969年まで続いたが、この年、地区最大の鉱山が閉鎖されたことをきっかけに、輸送需要は急速にしぼんでいく。そして1978年3月、ついに森林鉄道は運行を停止した。不要となった機関車はドイツだけでなくヨーロッパ各地に売却され、蒸機99 3317だけが現地で記念物として保存用の台座に据え付けられた。

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ヴァイスヴァッサーで静態保存されていた
蒸機99 3317(1977~90年の間に撮影)
Photo by anonym's grandma at wikimedia. License: Public domain
 

ただしこのとき、長さ約12kmのいわゆる粘土鉄道 Tonbahn だけはまだ使われていた。これは1966年に、東方ミュールローゼ Mühlrose の採掘場からヴァイスヴァッサー Weißwasser のレンガ工場まで、原料の粘土を運ぶために造られた路線だった。

森林鉄道の保存活動は、この残存路線を使って始まった。最初の特別運行が1984年に実行された。当初はレンガ工場の一角を借りて拠点にしていたが、1988年にのちの起点となるヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ駅が建設される。

1989~90年の国家解体に伴い、レンガ工場も閉鎖されてしまうが、地元自治体の主導で鉄道への支援は続けられた。旧東独地域に適用された雇用創出プログラムを利用して、路線の再建と車両の復元に必要な予算が確保できたことも幸運だった。

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ヴァイスヴァッサー周辺の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ルートは旧線の路盤を利用しながらも、DB駅に近いヴァイスヴァッサーと地元の観光地を結ぶ目的で新たに計画されている。最初に開通したのは、19世紀の領主が造った景観公園の前まで行くクロムラウ Kromlau 線で、1992年のことだ。小型ディーゼル機関車による運行だったが、鉄道復活を聞いて、愛好家だけでなく、観光客も多数訪れるようになった。

1995年には、蒸機99 3317を動態復活させて、保養地バート・ムスカウに至る2本目の路線が開通する。かつて町の南に駅があった標準軌の旧DR線(下注)は1977年に旅客営業を廃止しており、客を乗せた列車が現れるのは久しぶりだった。

*注 もとは1872年開業の、ヴァイスヴァッサーからトゥプリツェ Tuplice(ドイツ名:トイプリッツ Teuplitz)を経てルブスコ Lubsko(同 ゾンマーフェルト Sommerfeld)に至る路線。第二次大戦後、ナイセ川の国境設定により、運行はバート・ムスカウ止まりになった。2001年に貨物営業も廃止。

2010年には、第3の路線としてミュールローゼの粘土鉄道線を引き継いだ。しかし、露天掘り鉱山の区域拡張でルート変更が必要になり、2017年4月に、シュヴェーラー・ベルク Schwerer Berg に至る3.5kmの新ルートで運行が再開された。

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粘土鉄道線の再開の日(2017年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

ムスカウ森林鉄道の列車が出発するのは、ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ Weißwasser-Teichstraße 駅だ。DB(下注)のヴァイスヴァッサー駅前から、歩道に描かれた蒸機のイラストを頼りに北へ通りを歩いていくと、10分ほどで着く。林に囲まれた広く明るいホームをもつ、軽便線としては立派なターミナルだ。ホームの横で軽食堂も開いている。数本並んだ側線には貨車が多数連なっているが、これも保存車両の一部だ。

*注 現在、列車運行は合弁企業の東ドイツ鉄道 Ostdeutsche Eisenbahn (ODEG) が行っている。ヴァイスヴァッサーは、OE65系統(コトブス Cottbus ~ゲルリッツ Görlitz ~ツィッタウ Zittau)の途中駅。

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ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ駅
 

もともとここには、ヴァイスヴァッサー駅の構内から続く標準軌の貨物専用線があり、北側にあった工場施設へ引き込まれていた。また、それに並行して、もと森林鉄道で、後に粘土鉄道に転用された狭軌線も南西のレンガ工場から出てきて、北へ延びていた。今見るような狭軌鉄道駅は、標準軌の線路が撤去された後に改めて整備されたものだ。レンガ工場の跡地も、森林鉄道の車庫 兼 整備基地として再利用されている。

標準軌線が引き込まれていた北側の工場施設(下注)はしばらく廃墟状態だったが、2001年に博物館駅「アンラーゲ・ミッテ Anlage Mitte(中央施設の意)」として再生された。現在は、車両や各種資料を展示した森林鉄道の博物館と、地域のインフォメーションセンターになっていて、蒸気運行の日に公開される。

*注 東ドイツ時代の地形図では、ガラス工場と製紙(ボール紙製造)工場の注記がある。

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博物館駅「アンラーゲ・ミッテ」
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博物館の展示
(左)所狭しと並ぶ車両群
(右)5号機関車の姿も
 

ここで、森林鉄道の運行状況を押さえておこう。

運行日は4月~10月上旬の週末だが、7月最終週から9月第1週は夏の繁忙期として、週末のほか、火曜、木曜、金曜にも運行される。列車を牽くのは基本的に小型ディーゼル機関車で、2021年のダイヤでは1日3往復設定されている(博物館駅は無停車)。蒸気機関車は、原則毎月第1週の週末に登場する。それを目当てに客も集まるので、1日6往復と頻繁運転だ。

公式サイトで5両挙げられている動態保存機のうち、最古参は1912年ボルジッヒ Borsig 社製の4軸機関車「ディアーナ Diana」、車両番号99 3312だ。1977年に引退した後、ヴァイスヴァッサーで静態展示されていたが、1997~98年にマイニンゲンで改修を受けて現役に復帰している。

一方、99 3315と99 3317の2両は、いわゆる「旅団機関車 Brigadelokomotive」だ。第一次世界大戦中、戦地に敷かれる軍用簡易軌道 Heeresfeldbahn のために大量製造された形式車で、戦後は世界各地の民間鉄道に引き継がれた。よく似たダイヤモンド形の煙突をもち、車両番号もディアーナの続きだが、出自はまったく異なる。

客車にはオープンタイプ(側壁なし)とクローズドタイプがあり、いずれも貨車を改造したものだ。

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鉄道のオリジナル蒸機99 3312
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(左)旅団機関車 99 3315
(右)同 99 3317(2017年)
Photo by Kevin Prince at wikimedia. License: CC BY 2.0
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改造客車はオープン型とクローズド型がある
 

運行ルートは上述のとおり3本に分かれている。東へ行くバート・ムスカウ線は、所要時間が片道30~35分、西へ進むクロムラウ線は20分だ。残るシュヴェーラー・ベルク線は西から南へ回り込む最も長いルートだが、日を限定した特別運行の位置づけで、蒸機による往復3時間のツアーとして実施される。

3つのルートはそれぞれ沿線に見どころがあり、終点の周辺には観光地も有している。順に見ていこう。

バート・ムスカウ線

列車は、博物館駅を出た直後、クロムラウ線を左に分けて、自らは直進する。森の中を少し走った後は、連邦道B 156号(ムスカウ通り Muskauer Straße)の横に出て、2km近く並行する。列車は最高時速でも25kmなので、隣を疾走する車には抜かれっぱなしだ。

やがて線路は、左カーブで道路からそれる。林と畑が交錯する間を行くと、列車交換用の側線をもつクラウシュヴィッツ Klauschwitz 停留所に停車する。すぐ先が、連邦道B 115号の踏切だ。森林鉄道の踏切は、標識があるだけの、日本でいう第四種踏切がほとんどだが、ここはさすがに遮断機が設置されている。ただし、手動式だ。車掌が客車から降りて、操作盤を開け、遮断棒を下ろす。

踏切通過の儀式が終わると、列車は巡航速度に戻る。また森の中に潜り込むが、それも長くは続かず、草野原の中の終点バート・ムスカウに到着する。すぐに機回しが行われて、列車は15分後の復路出発を待つ。

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バート・ムスカウ線
(左)博物館駅に戻ってきた列車
(右)クラウシュヴィッツ停留所で、車掌が踏切閉鎖に向かう
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バート・ムスカウ駅
 

バート・ムスカウには、市街地の東に隣接して、2004年に世界遺産に登録されたムスカウ公園 Muskauer Park(正式名はピュックラー侯爵公園 Fürst-Pückler-Park)がある。ヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵 Hermann Fürst von Pückler-Muskau が1815年から30年かけて作り上げた中欧最大のイギリス式庭園で、総面積は8.3平方キロと広大だ。

ラウジッツァー・ナイセ川 Lausitzer Neiße の広い氾濫原を利用し、森と水辺と人工物が古典主義の風景画のように配置されていて、その中心に、薔薇色の壁が印象的なネオルネッサンス様式のムスカウ宮殿 Schloss Muskau(新宮殿 Neues Schloss)がある。

第二次世界大戦後、ナイセ川に新たな国境線が引かれた結果、公園はドイツとポーランドに分割された。そのため、世界文化遺産の登録範囲も両国にまたがっているが、川に架かる二重橋 Doppelbrücke を通って自由に往来できる。

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公園の中心、ムスカウ新宮殿(2014年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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(左)新宮殿西面(2016年)
Photo by Heigeheige at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)新宮殿正面
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(左)ナイセ川の中州に渡された二重橋(2011年)
Photo by Schläsinger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)今は国境の橋を兼ねる
 

森林鉄道の駅からこのムスカウ宮殿までは、市街地を経由して1.3km、歩いても15~20分というところだ。また、市街地とDBヴァイスヴァッサー駅の間には路線バス(下注)も走っているので、帰りはそれでDB駅まで戻ることも可能だ。

*注 オーバーラウジッツ地域バス Regionalbus Oberlausitz 250系統。公園の最寄りバス停はバート・ムスカウ・キルヒプラッツ(教会広場)Bad Muskau Kirchplatz。土日は本数が少なくなるので注意。

なお、森林鉄道の駅の東を流れるナイセ川には、上述した旧 標準軌線の魚腹アーチを連ねた鉄橋が残り、自転車道・遊歩道に利用されている。最近、青の塗料が塗られて「青い奇跡 Das Blaue Wunder」の名が付けられた。

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(左)旧 標準軌線の魚腹アーチ橋
(右)自転車道に転用され「青い奇跡」に(2018年)
Photo by Wdwdbot at wikimedia. License: Public domain
 

クロムラウ線

クロムラウ行きの列車は、博物館駅の後、バート・ムスカウ線を見送って、左へ急カーブする。しばらく森の中を西へ進み、今度は右の急カーブで、シュヴェーラー・ベルク線と別れる。

ときおり森が開けて小さな湖が車窓をかすめるが、実はこれも注目点だ。地形的に、森林鉄道の沿線を含む約20km四方の地域は、北に開いた馬蹄形をした圧縮モレーン(氷堆石)から形成されている。ムスカウの褶曲アーチ Muskauer Faltenbogen(英語ではムスカウ・アーチ Muskau Arch)と呼ばれ、巨大な氷塊により圧縮されて褶曲したモレーンだ。

褶曲地層の高い部分は、後に氷河が前進したときに削られ、それにより露出した褐炭層が、酸化による体積の減少で溝状の湿地に変化した。こうしてできた湿地帯を舞台に、近代になって人間が鉱物資源を採掘し、森林鉄道で運び出した。その跡に水が溜まって、湖と化す。

空から見ると、一面の森の間に、東西方向に連なる細長い湖の列が数本並んでいるのがわかる。列は地層の褶曲による「しわ」を示すものだが、湖自体は自然の造形ではなく、人間の活動の痕跡なのだ。

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空から見たムスカウ褶曲アーチ
採掘跡の湖が列を成す(2019年)
Photo by PaulT (Gunther Tschuch) at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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クロムラウ線
(左)小さな湖がときおり現れる
(右)クロムラウ駅の終端
 

終点のクロムラウ駅は、シャクナゲ公園 Rhododendronpark と呼ばれる景観公園の南のへりに造られたため、孤立したような場所にある。乗ってきた列車は5分後にさっさと折り返してしまうが、ここは列車を1本遅らせて公園散策に出かけたい。というのは、この先にラーコツ橋 Rakotzbrücke という必見の名所があるからだ。

ムスカウ公園のピュックラー侯爵と同時代人である大地主のフリードリッヒ・ヘルマン・レチュケ Friedrich Hermann Rötschke は、購入した地所の半分を公園として、さまざまな樹木を植え、一風変わった造形物を設置した。その一つが玄武岩と礫で造られた太鼓橋だ。細長い湖をまたいでいて、径間35mの半円が波静かな水面に映ると、完全な円に見える。その不思議な姿から、「悪魔の橋(魔橋)Teufelsbrücke」の別名がある。

クロムラウ駅からラーコツ橋までは、公園の遊歩道を通って約1.2km、15分ほどだ。

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魔橋ラーコツ橋(2013年)
Photo by Michael aus Halle at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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シャクナゲ咲く湖のほとりに魔橋の展望地が(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

シュヴェーラー・ベルク線

旧 粘土鉄道のこの路線は、クロムラウ線の途中にある分岐から始まる。ルートの見どころの一つ目は、旧 標準軌線(下注)のガード下をくぐる箇所だ。地下水位が高く、掘り下げた線路がしばしば冠水するため、列車は水の上を走る形になる。二つ目は、その先にあるスイッチバックで、機回し(方向転換するための機関車の付け替え)が行われる。このスイッチバックは急勾配対策ではなく、既存の路線網に追加接続する過程で生じたものだ。

*注 ヴァイスヴァッサー=フォルスト線 Bahnstrecke Weißwasser–Forst。1996年廃止。

ルートの後半は2017年に開業したばかりの新線区間で、森を抜け、広大な露天掘り鉱山のへりに沿って走っていく。終点のシュヴェーラー・ベルクでは、1時間の休憩がある。少し歩いて展望台に上れば、地の果てまで続くような露天掘りの現場を眺め渡すことができるだろう。

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(左)露天掘り鉱山のへりを走る(2017年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)シュヴェーラー・ベルクの展望台(2009年)
Photo by Frank Vincentz at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、レースニッツグルント鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2014年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ムスカウ森林鉄道 https://www.waldeisenbahn.de/

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