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2021年10月

2021年10月25日 (月)

ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道

ドイツ東部のザクセン州には、旧東ドイツ時代を通して地方交通に貢献してきたナローゲージ(狭軌線)が比較的集中して残っている。かつて標準軌の鉄道網を補完してドイツ各地で見られたこうした路線も、今や貴重な保存鉄道として、過ぎし日のノスタルジーを呼び起こす存在だ。これから数回にわたり、その現況を訪ねてみよう。

ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn

ツィッタウ Zittau ~クーアオルト・オイビーン Kurort Oybin 間 12.222km
ベルツドルフ Bertsdorf ~クーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf 間 3.831km
軌間750mm、非電化
1890年開通

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分岐駅ベルツドルフに揃う列車
 
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ツィッタウ Zittau は、ザクセン州の南東端、ポーランドとチェコに隣接する人口約3万人の地方都市だ。クラシックな建造物が残る旧市街から500mほど北に、DB(ドイツ鉄道)の列車が発着する駅がある。バロック様式の気品漂うファサードをもち、主屋の左右に翼屋を配置した立派な駅舎だが、日中は往来も少なく、閑散としている。

駅の玄関に立つと駅前広場の左手に、赤い小屋根のかかるもう一つの駅舎が見える。これが、ナローゲージ蒸機が出発するツィッタウ狭軌鉄道の駅だ。一般に「ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn」と呼ばれているが、正式には起終点名をとって、ツィッタウ=クーアオルト・オイビーン/クーアオルト・ヨンスドルフ狭軌鉄道 Schmalspurbahn Zittau–Kurort Oybin/Kurort Jonsdorf という。沿線自治体が出資するザクセン・オーバーラウジッツ鉄道会社 Sächsisch-Oberlausitzer Eisenbahngesellschaft (SOEG) が保有し、運行している。

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DB ツィッタウ駅舎
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狭軌鉄道駅
左が駅舎、ホームに続く屋根に蒸機通過用の天蓋部があるのが特徴
 

路線は非電化、750mm軌間で、ツィッタウからクーアオルト・オイビーン Kurort Oybin(下注、以下オイビーンと略す)に至る延長12.2kmの本線と、途中のベルツドルフ Bertsdorf で分岐してクーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf(以下、ヨンスドルフと略す)に至る3.8 kmの支線がある。

*注 地名のクーアオルト Kurort は湯治場、療養地を意味し、各州の認定基準を満たした地域につけられる接頭辞。日本での「○○温泉」に相当する。

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ツィッタウ周辺の地形図に狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

鉄道が開業したのは1890年のことだ。ツィッタウ南方の、当時オーストリア帝国領だったボヘミア(現 チェコ)との国境周辺に広がるラウジッツ山地 Lausitzer Gebirge(下注)の保養地を開発するために、ツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道会社 Zittau-Oybin-Jonsdorfer Eisenbahn-Gesellschaft (ZOJE) により建設された。

*注 ラウジッツ山地のドイツ側は、ツィッタウ山地 Zittauer Gebirge とも呼ばれる。

ツィッタウ駅前には、すでに1883年から別の狭軌線、ツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道 Schmalspurbahn Zittau–Reichenau が通じていた。ライヘナウというのは、ナイセ川 Neiße の東に位置する現 ポーランド領ボガティニャ Bogatynia のことだが、先述の狭軌鉄道駅 Schmalspurbahnhof は、実はこの発着駅として設けられたものだ。後発のツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道は、それに乗り入れる形で運行されたので、駅は若干拡張されたものの共同使用、線路も1.6km先の分岐点まで共用していた。

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ザクセン邦有鉄道の路線図(1902年)
青:ツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道、赤:ツィッタウ狭軌鉄道
破線は当時の国境、ピンクは現在の国境
Base map from wikimedia. License: Public domain
 

当時は狭軌の地方路線が盛んに建設されており、ツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道にも、ボヘミア側から鉄道の接続計画があった。しかし、資金調達に難渋する間に、競合する標準軌線が建設されたため、結局実現していない。

鉄道は1906年にザクセン王国に買収され、王立ザクセン邦有鉄道 Königlich Sächsische Staatseisenbahnen の一路線となった(下注)。この頃には休日や夏のシーズンを中心に旅行者で混雑が顕著になっており、輸送力増強のために、1913年にツィッタウ・フォアシュタット Zittau Vorstadt ~オイビーン間7.8kmの複線化が完成している。当時でも、複線運行する狭軌線は数少なかったという。

*注 運行は開業時から王立ザクセン邦有鉄道に委託されていたので、買収以前の邦有鉄道の路線図にも本路線の記載がある。なお、邦有鉄道は1924年にDR(ドイツ帝国鉄道)に統合された。

しかし、第二次世界大戦中、観光路線はレール供出の対象とされ、1943~44年に一部区間が、さらに廃線後の1945年に残り区間も、単線に戻されてしまった。

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オイビーン山からの眺望(1919年の絵葉書)
下端にオイビーン駅が見える
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

戦後、ザクセンは東ドイツに属したが、鉄道はDR(ドイツ国営鉄道)により引き続き運行されていた。ところが1981年に、沿線にある褐炭の露天掘り鉱山の拡張計画に支障するとして、10年後に廃止するという決定がなされる。具体的には、1990年の夏シーズン限りで旅客輸送廃止、1991年には貨物輸送も止める計画だった。

そのままでいけば、線路跡は今ごろ赤茶けた採鉱地に変わり果てていたに違いない。ところが、1989年に東ドイツの政治体制が崩壊したことで、計画はすんでのところで中止となった。

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東ドイツ時代のツィッタウ狭軌鉄道駅(1989年)
Photo by Sludge G at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

1993年にDRと旧DB(西ドイツ国鉄)が統合民営化されると、新DB(ドイツ鉄道)は非採算の狭軌路線からの撤退方針を打ち出す。それに対してザクセン州は、観光輸送に活路を見出せるとして、独自の運行会社設立を支援した。これが現在の運行会社ザクセン・オーバーラウジッツ鉄道だ。同社は1996年12月1日に、DBからこの鉄道の資産と運行業務を引き継いだ。

では、現在のツィッタウ狭軌鉄道の運行状況はどうなっているだろうか。

4月~11月中旬は繁忙期 Hauptsaison とされ、平日に5~7往復、土日は8~9往復の設定がある。一方、11月中旬~3月の閑散期 Nebensaison はかなり縮小されて、2~4往復だ。

牽引するのは主として蒸気機関車で、1920年代後半から1930年代にかけて製造された99 73~99 76形が使われている。最大30‰の急勾配を上るため、750mm軌間用では最も強力な形式だ。

繁忙期の増発便ではディーゼル機関車が応援に入る。また、蒸気列車の一部には食堂車が連結されており、5月から10月の天気の良い日は、無蓋貨車を改造した展望車 offene Aussichtswagen の増結もある。

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1933年製の蒸機99 758
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(左)応援列車を牽くディーゼル機関車
(右)無蓋貨車を改造した展望車
 

運行パターンは特徴的だ。大まかにいえば、列車は日中、ツィッタウ、オイビーン、ヨンスドルフの3つの端点からほぼ同時に出発し、中間にあるベルツドルフ Bertsdorf で相互接続した後、再び3方向へ散っていく。

ツィッタウを中心に見ると、繁忙期の場合、1時間間隔でオイビーン行きとヨンスドルフ行きが交互に出発している。たとえば9時07分発はオイビーン行き、10時02分発はヨンスドルフ行きだ。

しかし前者(オイビーン行き)に乗ったとしても、ベルツドルフでヨンスドルフ行きの列車、すなわちオイビーン~ベルツドルフ~ヨンスドルフ間の通称「山シャトル Gebirgspendel」が待っている。そのため、乗換の手間を厭わなければ、どの方向にも1時間に1本の便があることになる。

所要時間は、ツィッタウ~オイビーン間、ツィッタウ~ヨンスドルフ間とも、蒸機牽引で44~49分だ。ディーゼルの場合はそれより5~6分短い。

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3方向からの集合離散ダイヤ 模式図

さて、ツィッタウ駅から狭軌鉄道のルートを追おうと思うが、その前に、駅前広場を観察しておきたい。おもしろいことに、バスターミナルが整備された広場と駅前通りとの間に、狭軌の線路が走っているのだ。人も車も、通りに出る前にこの踏切を横断しなければならない。線路の行く先は、車庫のある機関区だ。駅前広場をはさんで、駅が東、機関区が西にあるというユニークな配置が、このルートを必要としている。

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機関区への引込線が駅前広場の前を横切る
(左)駅から西望(右)反対側から
 

狭軌鉄道の駅舎には案内カウンターがあり、乗車券や絵葉書などを販売している。時間がなければ、乗車券は車内で車掌から買うこともできる。運賃は区間制で、距離にかかわらず途中下車は有効だ。割安な往復乗車券もあるが、支線にも寄り道するなら、1日乗車券 Tageskarte がいい選択肢になる。

では、線路を渡り、屋根付きの低い島式ホームから列車に乗り込もう。

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ツィッタウ駅の旅客ホームと駅舎(2013年)
Photo by Jwaller at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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駅舎入口と内部
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(左)ホームの腕木式行先標
(右)ツィッタウ駅を出発
 

ツィッタウ駅を出発すると、はじめ標準軌のリベレツ=ツィッタウ線 Bahnstrecke Liberec–Zittau と並走するが、まもなくそれを斜めに横断して、同線の北側(進行方向左側)に出た。

■参考サイト
Google Street view - 標準軌線を斜め横断
https://goo.gl/maps/3mNyT2d9a85VaFy99

平面交差にも驚くが、最終的に南へ向かうのに、なぜわざわざ北側に移るのだろうか。それは鉄道の成り立ちが関わっている。先述のように、ツィッタウ狭軌鉄道は、先行開業していたツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道(以下、ライヘナウ線)への乗り入れから始まった。ライヘナウ線の目的地は標準軌線から見て北側なので、この横断が必要だった。ところが、1945年のドイツとポーランドの暫定国境線(オーデル・ナイセ線)画定に伴い、国境をまたぐことになったライヘナウ線は廃止されてしまう。後に残されたツィッタウ狭軌鉄道にとって、このルートは合理的ではないが、改築することもままならず、そのまま使っているのだ。

並走区間はなおも続くが、標準軌線は築堤の上に載り、狭軌線の列車からはもう見えない。最初の停車は、ツィッタウ停留所 Zittau Hp(下注)。これはライヘナウ線が開設したものを引き継いでいる。

*注 Hp は Haltepunkt(停留所の意)の略。

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ツィッタウ停留所
標準軌線は左の築堤の上に
 

起点から1.6kmで、ライヘナウ線との旧 分岐点に達する。この後、列車は右カーブで標準軌線のナイセ川橋梁 Neißeviadukt のアーチをくぐり、再び南側に出た。そして、ツィッタウ市街の南縁を回り始める。ツィッタウ・ジュート(南駅)Zittau Süd を出ると、次の注目点、マンダウ川橋梁 Mandaubrücke にさしかかった。長さ43mの短い橋だが、何と中央で道路橋と平面交差している。つまり、上空から見ればX字の橋だ。この奇観は、1897年に行われたマンダウ川の流路直線化事業によって生じた。

ツィッタウ・フォアシュタット Zittau Vorstadt 駅は市街地の南端に位置し、広い構内に屋根付きの長いホームと何本かの側線が並ぶ。駅舎からホームへは地下道で渡るようになっており、かつて山地へ行楽に出かける市民の利用が多数あったことを窺わせる。

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(左)標準軌線のナイセ川橋梁をくぐる
(右)中央で道路と交差するマンダウ川橋梁
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ツィッタウ・フォアシュタット駅に入る列車
 

この後、列車は州道133号に沿って南下していく。集落と牧草地が交錯する郊外風景が続き、左側の緩斜面に上ると、いい撮影地がある。下の写真がそうだが、背景に写っている緑うるわしいオルバースドルフ湖 Olbersdorfer See は、東ドイツ時代に狭軌鉄道を廃止の危機にさらした褐炭採掘場の跡だ。再統一後、採掘は中止になり、景観修復が施されて、市民の憩いの場に生まれ変わった。

なお、最寄りのオルバースドルフ・ニーダードルフ Olbersdorf Niederdorf 停留所は、オイビーン・ニーダードルフ Oybin Niederdorf とともにリクエストストップ Bedarfshalt のため、乗降がなければ通過する。下車するなら、事前に車掌に伝えておく必要がある。

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オルバースドルフ・ニーダードルフ停留所付近
背景は採掘地跡を景観修復したオルバースドルフ湖
 

オルバースドルフ・ニーダードルフ Olbersdorf Niederdorf 停留所の後、渡るオルバースドルフ橋梁 Olbersdorfer Brücke は、路線最長で124mある。しかし、またいでいるのは、川というより町並みだ。開業当時は街道と平面で交差していたのだが、交通量が多いことから、1913年の複線化に合わせて立体交差化された。橋台が異様に広いのは、複線だった名残だ。

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路線最長のオルバースドルフ橋梁を渡る
 

オルバースドルフ・オーバードルフ Olbersdorf Oberdorf 出発後、列車は街道筋から右へそれ、勾配もきつくなった。右手に開ける風景に目をやるうちに、分岐駅のベルツドルフ Bertsdorf に到着する。森に囲まれた駅は、鉄道の運行拠点だ。かつて蒸機が集結していた機関庫を含め、歴史的な建物が数多く残されている。

ふだんは静かな構内だが、3方向からの集合離散ダイヤによって、1時間ごとに列車が島式ホームの両側に揃う。賑やかな交換風景や、名物となったオイビーン行きとヨンスドルフ行きの同時発車 Parallelausfahrt のシーンを捕えようと、鉄道ファンも多く訪れる。

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ベルツドルフ駅構内図
施設名称の和訳を付記
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ベルツドルフ駅の交換風景
9時07分、ツィッタウ方から始発のヨンスドルフ行き列車が到着
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9時30分、2番列車のオイビーン行きが到着
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ここで相互に乗換が可能
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9時35分、ヨンスドルフ行きとオイビーン行きが同時発車
 

オイビーン方面へは左カーブで、30‰勾配の険しい坂を上っていく。トイフェルスミューレ Teufelsmühle あたりから、いよいよ谷が狭まるが、少し行くと空が開けて、早くも終点のオイビーン駅が近づいてきた。

駅構内は意外に広く、機回しや停泊が可能な側線がゆったりと取られている。駅舎はロマネスク風の屋根飾りをつけた印象的な建物で、レストランも営業中だ。一方、線路を挟んで駅舎の向かいにある煉瓦造りの貨物倉庫は、愛好家団体が運営する鉄道博物館になっていて、シーズン中、午後の時間帯に開いている。

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オイビーン駅舎(2015年)
Photo by DCB at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

駅の裏手でひときわ目を引くのが、砂岩の層がごわごわと露出した標高515mのオイビーン山だ。皇帝カール4世の古城とケレスティヌス会修道院の廃墟があり、異形の山容とともにロマン主義の作家たちに好まれた。画家フリードリヒ Caspar David Friedrich にもここを題材にした作品がある。駅との比高は100mほどだ。上ること約10分、中世の雰囲気が漂う山頂からは、オイビーンの村全体が見渡せる。

■参考サイト
フリードリヒ:夢見る人(オイビーン修道院跡)Dreamer (Ruins of the Oybin)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Caspar_David_Friedrich_011.jpg

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砂岩層が露出する異形のオイビーン山(2012年)
Photo by Moritz Wickendorf at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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オイビーン山の古城と修道院跡(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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オイビーンに向かう列車
オイビーン山から北望(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ベルツドルフに戻って、今度はヨンスドルフ方面に向かった。列車は右に急カーブした後、深い森の中をオメガループ(馬蹄形カーブ)で高度を稼ぐ。ヨンスドルフ停留所 Kurort Jonsdorf Hst(下注)で森を抜けると、今度は牧草地の斜面をゆっくりと上っていく。車窓からツィッタウ山地の緩やかな裾野を眺めているうちに、終点ヨンスドルフの駅に到着した。

*注 Hst は Haltestelle(停留所の意)の略。

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ヨンスドルフ停留所上方
ツィッタウ山地の裾野を見晴らす
 

オイビーンに比べれば施設も少なく、やや寂しげな構内だ。ボヘミアとの接続で駅の移転計画があったことから、簡素な構造にとどめられたのだという。小ぢんまりした駅舎では現在、民宿が運営されていて、上階の部屋の窓から列車の発着が眺められる。駅の宿に荷をほどいて、山懐の保養地をのんびり散策するのもいいかもしれない。

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ヨンスドルフ駅のVT137形気動車(2007年)
Photo by Rolf-Dresden at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、ムスカウ森林鉄道を訪れる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ツィッタウ狭軌鉄道 http://www.soeg-zittau.de/
ツィッタウ狭軌鉄道愛好家連盟 Interessenverband der Zittauer Schmalspurbahnen e.V. https://www.zoje.de/

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道

 ハルツ狭軌鉄道 I-山麓の町ヴェルニゲローデへ
 ハルツ狭軌鉄道 II-ブロッケン線
 ハルツ狭軌鉄道 III-ハルツ横断線
 ハルツ狭軌鉄道 IV-ゼルケタール線

2021年10月 8日 (金)

スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II

前回に続いて、保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス南部編に挙げた中から、主だった路線を紹介していこう。

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山上駅へ向かうゴルナーグラート鉄道の電車(2013年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html

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「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番27:フルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke (DFB)

メーターゲージの蒸気機関車が走る保存鉄道で、ブロネー=シャンビー Bloney-Chamby(項番:北部編31)と双璧をなすのが、アルプス山中にあるフルカ山岳蒸気鉄道だ。延長17.8kmの本格的な山岳路線で、アプト式ラックを使ってフルカ峠 Furkapass を越えていく。

ここは1982年のフルカ基底トンネル開通まで、氷河急行 Glasier-Express も通るフルカ・オーバーアルプ鉄道 Furla-Oberalp-Bahn の「本線」だった(下注)。列車名の「氷河」というのは、かつて峠の西側で車窓から見えたローヌ氷河 Rhonegletscher のことだが、近年はすっかり後退し、露出した岩壁を拝むしかなくなった。

*注 フルカ峠経由の旧線は、雪害を避けて冬季は運休していたので、最後の運行は前年(1981年)の10月11日に行われた。

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HG4/4形704号機
フルカ峠トンネルの前で(2020年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、氷河の爪痕であるダイナミックなU字谷の眺めは、今なお乗客を魅了するのに十分だ。ラック蒸機は、1942年の路線電化以前に活躍していたオリジナル機が集められ、懐古旅行の真正性を演出している。

保存鉄道は、レアルプ Realp とオーバーアルプ Oberalp の両端駅でフルカ・オーバーアルプ線(項番29)と接続しているので、復路は基底トンネル経由でショートカットできる。蒸機が2時間15分かける峠越えを、電車は20分前後であっけなく走破してしまう。

*注 鉄道の詳細は「フルカ山岳蒸気鉄道 I-前身の時代」「同 II-復興の道のり」「同 III-ルートを追って」参照。

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グレッチュ駅のHG 3/4形1号機(2006年)
Photo by Marcin Wichary at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番28~30:マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB)

MGBのフルカ・オーバーアルプ線 Furla-Oberalp-Bahn (FO) とブリーク=フィスプ=ツェルマット線 Brig-Visp-Zermatt-Bahn (BVZ) は、ブリーク Brig のSBB駅前で接続している。もとは別会社だが、設立の経緯からして兄弟路線だ。後者(当時は VZ)は、難産だった前者の全通を支援し、運行も30年以上にわたり請け負っていた。両鉄道は2003年に合併し、マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB) と名乗るようになった。

フルカ・オーバーアルプ線(項番29)には、名称のとおり、フルカ峠とオーバーアルプ峠 Oberalppass という二つの峠越えがある。前者は基底トンネルに置き換えられてしまったが、後者はアンデルマット Andermatt の東に、開通当時のままのルートで使われている。峠まで600m近くある高度差をヘアピンで上っていく間、ウルゼレン Urseren の船底形の谷間が見下ろせる。氷河急行の車窓名所の一つだ。

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オーバーアルプ峠に向かう氷河急行
ネッチェン付近(2007年)
Photo by Champer at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

アンデルマットではシェレネン線 Schöllenenbahn(項番28)が分岐し、SBB(スイス連邦鉄道)ゴットハルト線のゲシェネン Göschenen 駅に向けて降りていく。アプト式ラックで勾配179‰、トンネルとギャラリー(覆道)が連続するルートは、登山鉄道顔負けの険しさだ。隣を走る道路がヘアピンを繰り返しながら下っているのを見れば、それが実感できる。

鉄道が通過していくシェレネンの峡谷は、そそり立つ不安定な岩肌と足元にほとばしる急流で、昔からゴットハルトの峠越えきっての難所だった。「悪魔の橋 Teufelsbrücke」の伝説に彩られた、谷をまたぐ古い石橋が車窓からもよく見える。

*注 鉄道の詳細は「MGBシェレネン線と悪魔の橋」参照。

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悪魔の橋付近の勾配路(2011年)
Photo by Хрюша at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ブリーク=フィスプ=ツェルマット線(BVZ、項番30)は、アルプス観光でユングフラウ地方と人気を二分してきたツェルマット Zermatt へ旅行者を連れていく。ブリークからは約1時間半の旅になる。

列車が遡るのは、ローヌの支流フィスパ川 Vispa の谷だ。初めは穏やかだが、谷が二手に分かれるシュタルデン Stalden から奥では勾配が強まり、ラック区間が数か所ある。1991年の大規模な地滑りで谷が埋まったランダ Randa 付近では、2.9kmにわたって線路が移設されている。危険個所を避けるために対岸の扇状地を上り、また降りるという力業は、ラック鉄道ならではだ。

ツェルマットには車の乗り入れができない。そのため、一つ手前のテッシュ Täsch 駅前に大駐車場があり、車を預けた旅行者のために、20分間隔でシャトル列車が出発する。早朝は言うに及ばず、週末は深夜も運行されて24時間体制だ。

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ノイブリュックの石橋
© 2021 www.bvzholding.ch
 

項番31:ゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn (GGB)

ツェルマットを訪れた旅行者がまず行きたいと思うのは、秀峰マッターホルン Matterhorn がきれいに見える展望台だろう。ケーブルカーやロープウェーで行ける展望台がほかにもあるとはいえ、やはりゴルナーグラート鉄道は外せない。

長さ9.34km、三相交流電化の鉄道は、アプト式ラックで最大200‰の急勾配を上っていく。町裏の谷壁に張り付いている間も、ピラミッド形の岩山は木の間越しに見えているのだが、リッフェルアルプ Riffelalp を過ぎると森林限界を超え、眺望を遮るものがなくなる。

標高3089mのゴルナーグラート山上駅はユングフラウヨッホ Jungfraujoch に次ぐ高所にあり、周囲には、スイス最高峰のモンテ・ローザ Monte Rosa 山塊をはじめ、4000m級のピークが30以上も連なる。天気のいい日なら、このまま戻るのは惜しく、つい周辺を歩いてみたくなる。一帯は岩だらけだが、雪が積もると人気のスキーエリアに変貌する。鉄道の利用者も夏より冬のほうが多いそうだ。

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リッフェルベルク駅とマッターホルンの眺め(2016年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番34:チェントヴァッリ鉄道 Ferrovia delle Centovalli

スイストラベルパスの利用者にとってこの鉄道は、シンプロン線と合わせて、スイス国外を経由する回廊ルートとして重宝されている。南部のヴァリス Wallis(ヴァレー Valais)州とティチーノ Ticino 州の間を鉄道で行くとすれば、これが最短ルートになるのだ。

チェントヴァッリ鉄道は、ロカルノ Locarno とイタリアのドモドッソラ Domodossola を結んでいて、東半分はスイス領だが、西半分はイタリア領を通っている(下注)。百の谷を意味するチェントヴァッリも、実はスイス側での呼称に過ぎない。イタリアではその続きの谷をヴァッレ・ヴィジェッツォ(ヴィジェッツォ谷)Valle Vigezzo と呼ぶため、鉄道の愛称も「ヴィジェッツィーナ Vigezzina」だ。

*注 運営会社は、スイス側がティチーノ地方交通 Ferrovie autolinee regionali ticinesi (FART) 、イタリア側がアルプス山麓鉄道事業 Società subalpina di imprese ferroviarie (SSIF)。

ロカルノ市街地はかつて路面軌道だったが、1990年の地下トンネル化により、所要時間の短縮が図られた。イントラーニャ Intragna の手前でアーチ鉄橋を渡った後は、チェントヴァッリの峡谷に入る。国境の先で一転谷は穏やかになるが、それもサミットを越えるまでだ。後は再び勾配60‰、半径50mの厳しいヘアピンルートで、眼下に広がるオッソラ Ossola の谷底平野へ降りていく。

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イゾルノ川の鉄橋、イントラーニャ付近(2011年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番36~39:シャブレー公共交通 Transports publics du Chablais (TPC)

1999年にシャブレー公共交通 TPC として統合された4路線は、粒ぞろいの登山線だ。これらの鉄道群はいずれも、ローヌ谷を走るSBB線から、周囲の山に点在する避暑地、保養地への足として建設されている。

そのうち3路線が、SBBエーグル Aigle 駅前から出発する。エーグル=レザン線 Ligne Aigle-Leysin(AL、項番36)は、延長6.2kmで4路線では最も短い。小さな市街地を路面軌道で抜けた後、車庫前でスイッチバックし、レザン・グラントテル Leysin-Grand-Hôtel まで約1000mの高度差を一気に上っていく。アプト式ラック鉄道とはいえ、230‰の急勾配はほとんどケーブルカーの感覚だ。終点名になっているグラントテル Grand-Hôtel はかつて高地療養施設だったが、その後、アメリカンスクールに転用されて現在に至る。

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エーグル市街地の路面軌道(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

エーグル=セペー=ディアブルレ線 Ligne Aigle-Sépey-Diablerets(ASD、項番37)も、エーグル市街地を路面軌道で抜けるのは同じだ。しかし、4路線で唯一、ラックを使用しない。そのため、町を出てからは60‰勾配のヘアピンルートで山にとりつく。たどる山腹は、レザン線の谷向かいに当たる。ル・セペー Le Sépey でスイッチバックした後は、穏やかな谷間を走り続け、起点から約50分でレ・ディアブルレ Les Diablerets の町に到着する。

ラック式を選択しなかったのは、この後ピヨン峠 Col du Pillon を越えて、グシュタード Gstaad でモントルー=ベルナー・オーバーラント鉄道(北部編 項番29)に接続する計画があったからだ。しかし結局、実現せずに終わった。

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レ・ディアブルレ山塊を背にして
ファベルジュ停留所付近(2012年)
Photo by at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

東へ向かう上記2線に対して、エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線 Ligne Aigle-Ollon-Monthey-Champéry(AOMC、項番38) は、南に針路をとる。駅の直後にあったディアブルレ線との平面交差は、2006年のルート変更で解消された。オロン Ollon からローヌ谷を横断して、モンテー・ヴィル Monthey-Ville までが、ルート前半の平坦線だ(下注)。

*注 かつてCFFモンテー駅前まで路面軌道で続いていたが、1976年に廃止。現在のモンテー・ヴィル駅は1986年に移転新築されたもの。

後半はイリエ谷 Val d'Illiez を遡るため、ラックレールの出番になる。いったんエーグル方面に戻って左へ分岐すると、やおら最大135‰の勾配で斜面を上っていく。モンテー市街地やローヌの谷底平野を見晴らす景勝区間だ。左手の山並みの背後に、ときおり名峰ダン・デュ・ミディ Dents du Midi の鋸歯が姿を見せる。ラック区間は計3か所あり、終点シャンペリー Champéry では標高1035mに達する。

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モンテー・ヴィル駅を後に(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

TPC 4線の中でベー=ヴィラール=ブルテー線 Bex-Villars-Bretaye(BVB、項番39)だけは、エーグルの南8kmのベー Bex 駅前が起点だ。最初は同じような路面軌道だが、道幅が狭いため、電車は両側の建物に挟まれるようにして走る。郊外のベヴュー Bévieux からはラック区間で、標高1131mのグリオン Glion までぐいぐい上る。グリオンからヴィラール・シュル・オロン Villars-sur-Ollon へは再び粘着線で、一部は路面軌道になっている。

ヴィラールで列車は乗換えだ。残りの区間は時刻表番号が異なり、別線の扱いになっている。というのも沿線にもはや集落がなく、利用するのは、夏なら主としてハイカーかゴルフ客、冬はスキー客だからだ。全線ラック区間で、終点コル・ド・ブルテー(ブルテー峠)Col-de-Bretaye は標高1808m。山頂が間近に見え、もちろん4路線では最高地点になる。

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コル・ド・ブルテー駅付近(2016年)
Photo by KlausFoehl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番40:TMR マルティニー=シャトラール線 TMR Ligne Martigny-Châtelard (MC)

ローヌ谷のマルティニー Martigny から、メーターゲージの列車がフランスのシャモニー・モン・ブラン Chamonix-Mont-Blanc 方面へ向かう。国境までは、マルティニー地方交通 Transports de Martigny et Régions (TMR) の運行だ。地形はスイス側のほうがはるかに厳しく、峡谷の肩にとりつくために2.5kmのラック区間がある。勾配200‰、半径80mのヘアピンルートで、車窓に映るローヌ川の平底の谷がみるみる沈んでいく。

集電方式もユニークだ。もとは根元のマルティニー~ヴェルネア Vernayaz 間だけが架空線式で、ほかはフランス側も含めて第三軌条(コンタクトレール)方式だった。しかしスイス側は、1990年代にラック区間を除いて架線集電に改築され、レールだけが延びるフランスとは対照的な鉄道風景になっている。

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トリアン川鉄橋、ヴェルネア駅付近(2010年)
Photo by ChrisJ at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番26:SBB ゴットハルト(ゴッタルド)線 SBB Gotthardbahn/FFS Ferrovia del Gottardo

標準軌(1435mm軌間)の山岳路線にも触れておこう。ゴットハルト(ゴッタルド)線は、スイスアルプスを最初に縦断した歴史を持つSBBの主要幹線だ。ゴットハルト Gotthard はドイツ語、ゴッタルド Gottardo はイタリア語で、トンネルの上にある峠の名だが、日本語としては後者になじみがあるかもしれない。

路線の全長は206km、ルツェルンに近いインメンゼー Immensee が起点で、長さ15003 mのゴットハルトトンネルを経由して、イタリア国境手前のキアッソ Chiasso が終点になる。といっても、線路は国境を越えて続いており、スイスを通過してドイツとイタリアを結ぶ貨物列車も頻繁に通行する。そもそもこの鉄道は、計画段階からスイスだけでなくドイツとイタリアの政府が関与し、建設資金も共同で投じた国際事業だったのだから、当然のことだろう。

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ヴァッセン付近を行く貨物列車
右端にヴァッセンの教会が見える(2016年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ルートは当時の技術の粋を凝らしている。高度差は、北斜面で約650m、南斜面で900mとかなりのものだ。そのため、北側では、プファッフェンシュプルング Pfaffensprung のスパイラルの後、ヴァッセン Wassen 付近で大規模なS字ループを構える。走行する列車から、ヴァッセンの教会が角度を変えて3回見えることで有名だ。南側にもスパイラルが4か所あり、うち下部2か所はビアスキーナ・ループ Biaschina-Schlaufen と呼ばれる二重スパイラルで、撮影名所にもなっている(下の写真)。

かねてより貨物輸送のモーダルシフトを促すために、高速新線の建設が進められていたが、2016年に、長さ57.1kmのゴットハルト基底トンネル Gotthard-Basistunnel が開通した。続いて2020年には、ベリンツォーナ Bellinzona ~ルガーノ Lugano 間でも、長さ22.6kmのチェネリ基底トンネル Galleria di base del Ceneri が完成した。以来、優等列車や貨物列車はこれらの新線経由に切り替えられた。その結果、旧線に来るのは1時間ごとの快速列車だけになり、複線の立派な施設が半ば遊休化している。

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ビアスキーナ・ループ(2020年)
Photo by SOB Suedostbahn at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番23:BLS レッチュベルク線(レッチュベルク山岳線)BLS Lötschbergbahn (Lötschberg-Bergstrecke)

レッチュベルク線はSBBの路線ではなく、ベルン州と連邦が大株主のBLS社(下注)が運営している。もともとゴットハルト鉄道のルートから外れたベルン州が、巻き返しのために計画したフランスとイタリアを結ぶ幹線ルートの一部だ。連邦政府がゴットハルトとの競合を警戒して出資を渋ったため、パリ財界の支援で着手できたといういきさつがある。

*注 BLSは、もとの社名ベルン=レッチュベルク=シンプロン Bern-Lötschberg-Simplon の略称を正式社名にしたもの。

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カンダー川高架橋(旧橋)
フルーティゲン南方(2009年)
Photo by Satoshi T. at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ベルンアルプスを横断する長さ14.6kmのレッチュベルクトンネルは、坑道崩壊でルート変更を余儀なくされる難工事(下注)の末、1913年に開通した。トンネル入口までの高度差が北斜面で570m、南斜面で540mと大きく、そのため、北側ではヴァッセンによく似たS字ループ、南側ではローヌ谷の谷壁に沿う長い傾斜路がある。とりわけ後者は、ローヌ谷が眼下に広がる絶景区間としてよく知られている。

*注 詳細は「レッチュベルクトンネルの謎のカーブ」参照。

こちらも2007年にレッチュベルク基底トンネル Lötschberg-Basistunnel が開通したことで、旧線は1時間に1本のローカル線となった。新線と区別するために、レッチュベルク山岳線 Lötschberg-Bergstrecke とも呼ばれる。

しかし、ゴットハルト線と事情が異なるのは、並行する自動車道がないことだ。そのため、トンネルを挟んだカンダーシュテーク Kandersteg ~ゴッペンシュタイン Goppenstein 間(下注)で運行されてきた、車を運ぶカートレイン Autoverlad は健在だ。今後、山岳線の存在価値はこの機能に集約されていくような気がする。

*注 シンプロントンネルのイタリア側出口の駅、イゼッレ Iselle まで行く中距離便もある。

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ビーチュタール鉄橋(2007年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0

リストでは、ケーブルカーもいくつか挙げた。

シャーロック・ホームズの故地へ行くライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn(項番14、下の写真)、スイス最古の歴史を誇るギースバッハ鉄道 Giessbachbahn(項番17)、世界最急勾配を争うシュトース鉄道 Stoosbahn(項番7)とゲルマー鉄道 Gelmerbahn(項番15)、世界最長ルートのSMCケーブルカー Funiculaire SMC(項番25)、3種の鉄軌道を乗り継いで上るベルティカルプ・エモッソン Verticalp Emosson(項番41)など、いずれ劣らぬユニークさが売り物だ。

高所へ行く乗り物だから当然、到達先で得られる眺望も期待に背かない。鉄道旅行の合間に、こうした小施設を訪ねるのも思い出に趣を添えるのではないだろうか。

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ライヘンバッハ滝鉄道の古典車両
© 2021 www.sherlockholmes.ch
 

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2021年10月 2日 (土)

スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 I

保存鉄道・観光鉄道-スイス南部編のリストには、アルプスの山中と、イタリア国境に接する地中海斜面の鉄道群を挙げている。見渡せば、名だたる観光路線がずらりと並んでいて壮観だ。スイス旅行に出かけたことがある人なら、そのうちのいくつかに乗車した思い出をお持ちに違いない。

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ラーゴ・ビアンコのほとりを行くベルニナ急行
オスピツィオ・ベルニナ駅南方(2017年)
Photo by Zacharie Grossen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

対象とした地域は3000~4000m級の山脈が東西に連なり、ヨーロッパでも特に地勢の険しいところだ。路線の多くが、小回りが利き、経済的なメーターゲージ(1000mm軌間)などの狭軌規格で建設されている。また、高度差を克服するためにラックレールが多用され、粘着式でも60~70‰といった急勾配が珍しくない。

全容はリストをご覧いただくとして、ここでは主な注目路線(有名どころが多くなるのは避けがたいが)を挙げていこう。

「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html

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「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番1~6:レーティッシュ鉄道 Rhätische Bahn (RhB)

まず、東のグラウビュンデン州 Kanton Graubünden にはレーティッシュ鉄道(下注)の特色豊かな路線網がある。州都クール駅の標高は584m、サン・モリッツ駅は同 1775m、ベルニナ線にある最高地点は同 2253mだ。これほどの高度差にもかかわらず、この鉄道はラックレールを用いず、レールと車輪の粘着力だけで急勾配の難路を克服する。

*注 鉄道名、路線名はユネスコ世界遺産の和訳に従う。なお、rhätische(レーティッシェと読む)は、古代地名ラエティア Raetia のドイツ語「Rätien(レーツィエン)」の形容詞形で、「グラウビュンデンの」と同義。

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ダヴォス・プラッツ=フィリズール線のヴィーゼン高架橋(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

最初に造られたのはダヴォス線 Davoserlinie(項番3)だが、構想段階ではラック式かスイッチバックで高度を稼ぐことになっていた。ところが、1882年に開通したゴットハルト(ゴッタルド)鉄道 Gotthardbahn の成功に刺激を受け、効率的な運行が可能な粘着式の通過線に切り替えたのだという。クロスタース Klosters 駅が当初スイッチバック駅だったのは、原計画の名残らしい。これも1932年にオメガループのトンネルに置き換えられて、今は存在しない。

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クロスタース駅に進入する列車
かつてのスイッチバックはオメガループのトンネルで解消(2015年)
Photo by Patrick Nouhailler's… at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

世界遺産にも登録されたアルブラ線 Albulabahn(項番1)は、確かにゴットハルト鉄道の狭軌版だ。二重スパイラルやベルギューン Bergün 南方のヘアピンルートなど、生き写しのように見える。

さらに同線には、長さ136m、高さ65mのラントヴァッサー高架橋 Landwasserviadukt というランドマークがある。背が高く細身で、かつ急カーブを描きながら断崖絶壁に突き刺さる光景は、まるで幻想画の世界だ。最寄りのフィリズール Filisur 駅から遠くないので、途中下車して、展望台や橋の直下へ、ハイキングがてら見物に出かけるのもいいだろう(下注)。

*注 シーズン中は、駅からラントヴァッサー急行 Landwasser-Express と銘打った遊覧バスも出ている。

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ラントヴァッサー高架橋遠望(2018年)
Photo by Geri340 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

同じく世界遺産のベルニナ線 Berninabahn(項番6)は、レーティッシュ鉄道の路線網で少し異色の存在だ。というのも、電化方式が他線の交流に対して直流のため、車両が基本的に線内限定で運用されてきたからだ。それが世界遺産効果で、今やベルニナ急行 Bernina Express は5往復まで増便、交流区間に乗入れ可能な交直両用電車が投入されている。

この路線の魅力は、変化に富んだルートと沿線風景の素晴らしさだ。アルプスに抱かれた湖のほとりのオスピツィオ・ベルニナ Ospizio Bernina(冒頭写真参照)から、イタリアの町ティラーノ Tirano まで高度差は実に1824m。その間にU字谷の壁をジグザグに降下し、オープンスパイラルを回り、市街地の路面軌道で車と並走する。乗り通せば2時間10分以上かかるが、少しも長いと感じさせない。

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名所モンテベッロ・カーブ Montebello-Kurve
背景はモルテラッチュ氷河(2012年)
Photo by Hansueli Krapf at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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ブルージョ・ループ橋(2012年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
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ティラーノ聖母教会前の広場を横断(1992年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

観光客が集中するアルブラ、ベルニナに比べて、アローザ線 Arosabahn(項番2)は知る人ぞ知る存在かもしれない。しかし、これもまた魅力の詰まったルートだ。クール駅前からは路面軌道で出発する。町を離れると、早くも深い谷間で、列車はじりじりと高度を上げていく。

列車は左斜面の高みを走っていくが、中盤で谷を横断して右斜面に位置を移す。そこに架かっているのがラングヴィース高架橋 Langwieser Viadukt だ。長さ284m、高さ62mの優美なコンクリートアーチ橋で、同線のシンボル的構造物になっている。線路が橋のたもとで90度カーブしているおかげで、往路、ラングヴィース駅にさしかかる車窓から、その姿を遠望するチャンスがある。

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ラングヴィース高架橋(2011年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8~9:リギ鉄道 Rigi-Bahnen (RB)

次は、中央スイス Zentralschweiz に目を向けよう。フィーアヴァルトシュテッテ湖 Vierwaldstättersee、別名ルツェルン湖を中心とするこの地域は、スイス建国の故地でもある。1856年にルツェルン Luzern まで鉄道が到達し、フランス、ドイツなど国外からの旅行者が多数訪れるようになった。

アルプスの展望台として人気が高まっていたリギ山 Rigi に、ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が考案したヨーロッパ最初のラック鉄道が開業したのは1871年のことだ。フィッツナウ・リギ線 Vitznau-Rigi-Bahn(項番8)が先行し、アルト・リギ線 Arth-Rigi-Bahn(項番9)が後を追った。

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縦型ボイラーの保存機7号が
フィッツナウ・リギ線の急勾配を行く(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

前者は湖畔の町フィッツナウ Vitznau が起点で、ルツェルンからの船便がある。一方、後者の起点は山の反対側にあるアルト・ゴルダウ Arth-Goldau で、SBB(スイス連邦鉄道)線が接続している。

鉄道旅行者はアルト・リギ線を使うが、リギ山の主要な登山口は本来、湖側(下注)だ。そして登山鉄道の車窓も、湖の展望が開けるフィッツナウ・リギ線がはるかにいい。ルツェルンからフィッツナウへは船で約1時間、途中、ルツェルンの交通博物館 Verkehrhaus 前にも寄港する。片道をこちらにすれば一味違った周遊コースになるだろう。

*注 登山鉄道開通以前、陸路ではキュスナハト Küssnacht、航路はヴェッギス Weggis が主な登山口だった。

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両線が合流するリギ・シュタッフェル駅
赤の電車はフィッツナウ・リギ線、青はアルト・リギ線(2011年)
Photo by Bobo11 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

*注 鉄道の詳細は「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「同 II-フィッツナウ・リギ鉄道」「同 III-アルト・リギ鉄道」参照。

 

項番11~13:ツェントラール鉄道 Zentralbahn (ZB)

1870年代はアルプスの前山 Voralpen にとどまっていた鉄道路線だが、1880年代になると、より奥地へと延伸されていく。ルツェルン側からは、ジュラ=ベルン=ルツェルン鉄道 Jura–Bern–Luzern-Bahn がその役を担った。現在のZBブリューニック線 Brünigbahn(項番12)で、1888~89年にブリエンツ Brienz まで開業している(下注)。

*注 ブリエンツからは、ブリエンツ湖の蒸気船でインターラーケン Interlaken 方面に連絡した。ブリューニック線の全線開業は27年後の1916年。

ブリューニック線は、点在する5つの湖(ルツェルン湖、アルプナッハ湖 Alpnachersee、ザルネン湖 Sarnersee、ルンゲルン湖 Lungerersee、ブリエンツ湖 Brienzersee)のほとりを縫っていく路線だ。20世紀の建設なら長いトンネルで貫いてしまいそうなブリューニック峠も、ラックレールで律儀にサミットまで登っている。当然、車窓には期待どおりの景色が次々と現れて見飽きることがない。

同線はかつて、SBB唯一のメーターゲージ線だったが、2005年にルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE、項番11)、改めツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn に移管された。LSEの列車は、社名のとおりルツェルンに直通しているが、自社路線はヘルギスヴィール Hergiswil までで、その先はブリューニック線に乗り入れていた。この移管により、2本のメーターゲージ線が一体化され、合理的な運営が可能になった(下注)。

*注 2021年には、マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道 Meiringen-Innertkirchen-Bahn (MIB)(項番13)もZBの運営下に入っている。

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ブリエンツ湖畔を走るブリューニック線の列車
ニーダーリート駅東方(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

項番10:ピラトゥス鉄道 Pilatusbahn (PB)

ブリューニック線と同時期の1889年に、ピラトゥス鉄道が開業している。これもラック鉄道だが、その構造は特別だ。480‰という途方もない勾配のため、リッゲンバッハやアプトのような垂直ラック式では、走行中にピニオン(歯車)がせり上がり、脱線の危険がある。そこでラックを水平かつ左右対称に配置し、両側からピニオンで挟む方法が考案された。この珍しいロッヒャー Locher 式は、世界でもここでしか見られない。

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ロッヒャー式装置
Photo by Roland Zumbühl at www.picswiss.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ブリューニック線のアルプナッハシュタート Alpnachstad 駅から、ピラトゥスの車両が望見できるが、側面の平行四辺形はどう見てもケーブルカーだ。車内も段差のついたコンパートメント式になっている。しかし、ケーブルカーと異なるのは、多客時に何両も続行で運行されることだ。車窓から前後を行く車両が見えるので、走行写真も自在に撮れる。しかし現在、連節車の導入計画が進んでいて、実現すればこの名物走行は見られなくなるかもしれない。

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終点に向け最後の登坂(2020年)
Photo by Maria Feofilova at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番16:ブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz-Rothorn-Bahn (BRB)

ブリューニック線の到達は、1892年6月のブリエンツ・ロートホルン鉄道開業につながった。列車が目指すロートホルン山頂に何があるのかと言えば、やはりアルプスの眺望だ。ブリエンツ湖の谷を隔てて、万年雪を戴くベルン・アルプス Berner Alpen の山並みが見渡せる。

しかし、どの世界にもライバルはいるもので、同じころユングフラウ地方 Jungfrauregion でも鉄道の開業が続いた。旅行者は、よりダイナミックな眺望が得られるほうに流れる。ブリエンツとインターラーケンの間にはまだ航路しかなく、アクセスの上でも不利だった。

鉄道の経営は一向に安定せず、結局、第一次世界大戦による旅行控えがとどめとなって、1915年に運行が中止される。再開は16年後の1931年だ。すでにライバルたちは電化を完了しており、皮肉にもブリエンツ・ロートホルン鉄道は、まだ蒸気運転をしているという希少性によって人気を得た。

現在の主役は1992~96年に新造された油焚きの蒸機だが、フルカ山岳蒸気鉄道とともに非電化のラック鉄道として、貴重な存在であることに変わりはない。

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ゲルトリート信号所での列車交換(2013年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

*注 鉄道の詳細は「ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

 

項番18~22:ユングフラウ鉄道群 Jungfraubahnen

ベルナー・オーバーラント Berner Oberland 東部、インターラーケンやユングフラウ地方の鉄道網は、1872~74年開業のトゥーン湖 Thunersee とブリエンツ湖 Brienzersee の港の間を連絡する8.4kmの小路線(下注)から始まった。

*注 トゥーン湖東端の港デルリゲン Därligen とブリエンツ湖西端のベーニゲン Bönigen の間を結んだ標準軌のベーデリ鉄道 Bödelibahn。1893年にトゥーン Thun から延伸されてきた鉄道と接続して、国内路線網に組み込まれた。

1890年代になると、今もある鉄道路線の大半が舞台に現れる。ベルナー・オーバーラント鉄道(1890年)、ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道(1891年)、シーニゲ・プラッテ鉄道とヴェンゲルンアルプ鉄道(1893年)、少し遅れてユングフラウ鉄道の地上区間(1898年)と続く。

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U字谷の急崖を上る
ラウターブルンネン~ヴェンゲン間(2019年)
Photo by Donnie Ray Jones at www.flickr.com. License: CC BY 2.0
 

このうち、ベルナー・オーバーラント鉄道 Berner Oberland-Bahn、略してBOB(項番18)は、インターラーケン・オスト Interlaken Ost 駅に発着する。標準軌線の列車から旅行客を受け取り、ユングフラウ地方の中心部へ送り込むのが使命だ。オスト駅のホームに待機する列車は長大編成で、どことなく「幹線」の風格を漂わせている。

編成が長いのは併結列車だからで、途中のツヴァイリュッチネン Zweilütschinen で2本に分割される。通常、前部がラウターブルンネン Lauterbrunnen、後部がグリンデルヴァルト Grindelwald 行きなので、乗り間違いには気をつけたい。

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グリンデルヴァルト駅
左はBOB、右はWABの列車(2011年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

そのBOBのヴィルダースヴィール Wilderswil 駅からは、シーニゲ・プラッテ鉄道 Schynige-Platte-Bahn (SPB)(項番19)の列車が出発する。1910年代のラック式電気機関車と小型客車2両という懐古編成で、標高1967mの山上駅まで急坂を上っていく。

先へ進めばユングフラウ三山の麓まで行けるというのに、なぜ10~15kmも離れたこの山に登山鉄道が造られたのだろうか。実はこの距離にこそ意味があるのだ。一歩引いた位置のおかげで、三山はもとより、ヴェッターホルン Wetterhorn からブライトホルン Breithorn までベルン・アルプスが広く視界に入る。また、中間駅ブライトラウエネン Breitlauenen 駅周辺から見下ろすトゥーン湖、インターラーケン、ブリエンツ湖の眺望もすばらしい。

他の路線と違い、この鉄道の運行は夏のシーズン(おおむね5~10月)限定だ。冬季閉鎖中の雪害を避けるため、上部区間では運行期間終了後、架線の取り外し作業が行われる。

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トゥーン湖とインターラーケン市街地を背景に上る列車
ブライトラウエネン駅付近(2007年)
Photo by Andrew Bossi at wikimedia. License: CC BY 2.5
 

BOBの二つの終点からサミットのクライネ・シャイデック Kleine Scheidegg を目指すのが、ヴェンゲルンアルプ鉄道 Wengernalpbahn (WAB)(項番20)だ。800mm軌間、BOBより小ぶりの車両だが、乗り込めば、いよいよアルプスの核心に向かうのだという高揚感が湧いてくる。

乗客の何割かは、ユングフラウ鉄道に乗り継ぐのが目的だろう。しかし、この路線自体、U字谷、山麓牧草地、三山の岩壁と、絶景が車窓に現れ続けるから目が離せない。勾配は最大250‰と険しく、列車は常に電動車を坂下側にして走る。谷底にあるグルント Grund 駅のスイッチバック構造や、クライネ・シャイデックで運行系統が二分されている(下注)のは、それが理由だ。

*注 クライネ・シャイデックには三角線があり、列車編成の向きを変えることは可能だが、定期列車には使われていない。

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ヴェンゲン駅に入線する列車(2003年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

トップ・オヴ・ユーロップ Top of Europe のうたい文句どおり、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn (JB)(項番21)はヨーロッパ最高所の鉄道駅に旅行者をいざなう。開業以来、スイス観光のハイライトとして不動の地位を保つ鉄道だ。

しかし9.34kmのルートのうち、車窓からアルプスの風光を楽しめるのはアイガーグレッチャー Eigergletscher 駅にかけての約2kmに過ぎない。あとは終点まで素掘りのトンネルの中だ。途中のアイガーヴァント Eigerwand とアイスメーア Eismeer の両駅では数分の停車があり、岩壁に開いた窓から外の景色が眺められたのだが、2016年の新型電車就役以来、時間短縮のために、停車はアイスメーアのみとなった。

下界が晴れていても、山上は濃霧と強風の可能性がある。運よく天気に恵まれれば、アレッチュ氷河 Aletschgletscher 源流域のまばゆい銀世界を目の当たりにできる。

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クライネ・シャイデック駅に停車中の列車
背景はアイガー北壁(2012年)
Photo by Mjung85 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

続きは次回に。

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