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2021年6月11日 (金)

ゼメリング鉄道を歩く II

前回の続きで、ゼメリング鉄道に沿って延びるハイキングトレール「バーンヴァンダーヴェーク Bahnwanderweg(鉄道自然歩道の意)」の中盤から先へ話を進めよう。

20シリング・ブリック

ドッペルライター展望台 Doppelreiterwarte から、林の中の小道をほぼ水平にたどること約600m、ヴォルフスベルクコーゲル Wolfsbergkogel(標高961m)から延びる尾根を回る地点で道幅が少し広くなっている。ベンチが置かれ、休憩している人もいる。

ここで後ろを振り向くと、斜面の上方に木製のデッキが目に入るだろう。これがいわゆる「20シリング・ブリック 20-Schilling-Blick(20シリングの眺めの意)」の展望台で、トレールから小道で上れる。

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20シリング・ブリック展望台
 

20シリング・ブリックの名は、1968年から1989年まで発行されたオーストリアの20シリング紙幣の裏面に、ここから望む風景が採用されたことに由来する(下注)。絵柄の主役は、白い断崖ポレロスヴァントと、2層建てのカルテ・リンネ高架橋だ。後ろには、東部アルプスの一角をなすラックス Rax のずっしりとした山塊が横たわっている。

*注 紙幣の表面には、カール・フォン・ゲーガの肖像が使われた。

描かれた当時に比べて、現在は手前の森の木々が成長し、高架橋の下層をほとんど覆い隠してしまったが、それでもなおオーストリアを代表する絶景の一つに違いない。

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20シリング紙幣裏面(1968~1989年)
展望台の案内板を撮影
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紙幣に採用された構図
カルテ・リンネ高架橋を特急列車が通過中
 

トリミングされた紙幣の絵柄に比べて、実景の画角ははるかに広い。さきほどドッペルライター展望台で見たヴァインツェッテルヴァントの覆道から左側の景色がすべて目に入る。さらにカルテ・リンネ高架橋を渡り終えた列車が、山陰を回って、左の森の隙間から現れるというおまけつきだ。残念ながらここも周りの木が育って、写真に撮れるほどきれいには見えないが、鉄道が谷を大きく巻いて高度を稼いでいることがわかる。

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左がカルテ・リンネ、右はクラウゼルクラウゼ高架橋
ポレロスヴァントの断崖の背後はラックス山地
20シリング・ブリックからやや南方のトレールで撮影
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高架橋を渡り終えた列車は手前の森に
 

ÖBBの特急列車の車体は、深紅一色だ。カミーユ・コローの絵のように、青、緑、灰色が主体の自然景観の中で、格好のアクセントカラーになる。ただし近年は、それと交互にプラハ~ウィーン~グラーツ間で運行されている青ずくめのČD(チェコ国鉄)所属車も来るから、要注意だ。名画の風景を脳裏に刻んだら、名残惜しいが先へ進もう。

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ゼメリング~ブライテンシュタイン間の
ハイキングトレールのルート詳細
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY SA
 

アドリッツグラーベン高架橋

トレールはこのあと、アドリッツグラーベン高架橋を経由する。途中、山道から車道に出てまた山道に戻るなど、順路はやや複雑だが、黄色の標識の「ブライテンシュタイン駅 Bahnhof Breitenstein」が指す方向に進めば間違いない。

鉄道のヴェーバーコーゲルトンネル Weberkogel-Tunnel(長さ407m)のポータルの上を通り、坂を降りていくと、優美な弧を描くアーチ橋が見えてくる。アドリッツグラーベン高架橋 Adlitzgraben-Viadukt(下注)は長さ151m、高さ24m。1層アーチとはいえ、長さではゼメリング鉄道で第3位の規模をもつ。

*注 高架橋は、フライシュマン高架橋 Fleischmannviadukt とも呼ばれる。

展望台から遠望するのとは違い、目の前にある橋脚は想像以上に重厚、それでいてアーチの造りは繊細だ。橋の下の芝生には、建設工事で使われた作業員小屋やトロッコが復元されている。

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アドリッツグラーベン高架橋
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山の斜面を行くトレールからの眺め
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建設当時の小屋やトロッコを復元展示
 

次のポイントはいよいよカルテ・リンネ高架橋だが、ここからの経路は二通りある。一つはこのトレール本来のルートである山道経由だ。高架橋をくぐった後、線路の山側を進むのだが、ローテ・ベルク Rote Berg の険しい斜面を伝っていくため、登山道並みに狭く、アップダウンも激しい。

体の消耗を避けたければ代替ルートとして、谷底の車道(ゼメリング街道 Semmeringstraße)経由がある。車道といっても、田舎道なので通行量は少なく、歩くのに問題はない。もちろん、前者の経路にも努力に見合う特典はあり、距離が若干短いことと、アドリッツグラーベン高架橋を俯瞰する撮影地に出会えることだ。

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ローテ・ベルクの山道を進む
 

カルテ・リンネ高架橋

カルテ・リンネ Kalte Rinne は、寒い(冷たい)谷間を意味する。深く切れ込んだ谷底で日照時間が少なく、作物の実りが悪かったことに由来するという。狭い谷幅は橋を架けるには逆に好都合だが、山の中腹から出てくる線路を通すために、橋面がかなりの高さになるのは必定だった。

カルテ・リンネ高架橋 Kalte-Rinne-Viadukt は長さこそ184mで、パイエルバッハ・ライヘナウ駅の上手にあるシュヴァルツァタール高架橋 Schwarzatal-Viadukt(長さ228m)に次いで区間第2位だが、2層アーチ構造の全高は46mで最も高い。

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カルテ・リンネ高架橋は巨大な構造物
 

先刻アドリッツグラーベンの橋の重厚さに感心したばかりだが、カルテ・リンネ高架橋はそれをはるかに上回る巨大な構造物だ。下層は、径間12.6mの石造アーチ5個で、谷底の部分をカバーする。上層は径間14.5mの煉瓦積み、漆喰張りのアーチが10個連なる。下層の橋脚の太さは、まるで城壁だ。上層の橋脚はいくぶんスマートで、軽やかに上空に伸びている。

小川を渡る木橋が架けられ、車道から高架橋の下の草むした空地まで行ける。列車が通過すると、重低音が谷間にこだまする。列車の走行シーンを撮りたいところだが、高架橋は見上げる高さで、かつ欄干もある。少々距離を置いた程度では車両の上半分しか見えず、まともに撮影しようとすれば、橋の高さまで上る必要がある。

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下層の橋脚はまるで城壁
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通過する列車は上半分しか見えない
 

山道経由で来た場合は、高架橋のたもとにあるゲーガ博物館 Ghega Museum(下注)を通過する 。博物館前のテーブルが置かれたテラスの位置は、橋面より少し高く、背景に断崖を入れて、橋を渡る列車の構図が得られる。また、博物館の上手にもささやかなお立ち台が設けられている。下層が隠れるのは惜しいが、カントのついた曲線路をこちらに向かってくる列車には迫力がある。

*注 谷底の車道経由で来た場合は、高架橋をくぐり少し上ったところで、ゲーガ博物館へ通じる急坂が分岐している。

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ゲーガ博物館前から見る高架橋と断崖
 

ちなみに、ゲーガ博物館は2012年の開設で、ゲーガとその協力者の生涯と業績を知るための資料を多数展示している。建物自体は、かつての線路監視所 Streckenwärterhaus を改築したものだ。無人の山間部を通過するゼメリング鉄道には開通当初、見通しが利く間隔でこうした施設が設けられ、監視員が常駐していた。切妻屋根、荒石積み2階建ての同じような建物は、今も沿線に点々と残っていて、列車からも見える。

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ゲーガ博物館
(左)線路監視所を改築した建物
(右)所狭しと並ぶ展示品
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カルテ・リンネ高架橋のレイアウト
ゼメリング駅のものより出来がいい
 

クラウゼルクラウゼ高架橋

ゼメリング駅から坂を下ってきた列車は、カルテ・リンネ高架橋を渡るとすぐに、ポレロストンネルに突っ込む。次に姿を現すのは、クラウゼルクラウゼ高架橋 Krauselklause-Viadukt の上だ。この高架橋も同じく2層構造で、下層は3つ、上層は6つのアーチで構成される。沢をまたぐ橋のため、長さは87mに過ぎないが、高さは36mと区間中第4位だ。

トレールは車道(といっても田舎道)を通っていて、川の流れに沿う緩やかな下り坂だ。その途中で左上にこの高架橋が見える。谷底から仰ぐ風景は一幅の絵で、のしかかるようなポレロスヴァントの荒々しい岩肌に、滑らかな人工のアーチがきりっと映える。しかしここも、通る列車が上半分見えればいい方だ。

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ポレロスヴァントの中腹に架かるクラウゼルクラウゼ高架橋
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カルテ・リンネと同じ2層構造
 

それで、車道とは別に、線路の高さまで上る別ルートが開かれている。先述のカルテ・リンネ高架橋の下で、草生した空地から右斜め前に上っていく林道がそれだ。

これをたどると、まず、ポレロストンネルの建設工事で使われた水平作業坑の入口がある(下注)。なおも崖際を進めば、クラウゼルクラウゼ高架橋のたもとに出ることができるのだ。案内標識はないが、お立ち台よろしくベンチが1脚置かれていたから、一応パブリックルートなのだろう。

*注 内部も途中まで見学可能。人感センサーで照明がつくので一瞬びっくりする。

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(左)ポレロストンネルの水平作業坑
(右)素掘りの坑内に列車の走行音が轟く
 

ここからは線路と同じレベルで、橋向こうの断崖シュピースヴァント Spießwand と、そこに開けられた長さ14mのクラウゼルトンネル Krausel-Tunnel から出てくる列車を捉えられる。小道はこのあと高架橋の下へもぐりこみ、急坂で谷底まで降りて、車道に合流する。

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クラウゼルクラウゼ高架橋のたもとで撮影
右下に見える道が本来のトレールルート
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正面奥は区間最短のクラウゼルトンネル
 

ブライテンシュタイン駅

クラウゼルクラウゼ高架橋を過ぎれば、いよいよ最終区間だ。車道を500mほど下ったところに、アドリッツグラーベンの小集落があり、ゼメリング峠から降りてきた車道、すなわち先述の、アドリッツグラーベン高架橋から谷底経由で来る場合の車道と出会う。

トレールはブライテンシュタイン駅に向かっているが、ここは谷底、駅は崖上に広がる緩斜面の上だ。標高差は約80mある。車ならヘアピンカーブの道(ハウプトシュトラーセ Hauptstraße で上るのだが、トレールは橋のたもとで車道から分かれる。村人が駅へ行くときに使う近道があるのだ。森の中をジグザグに上っていく山道で、急勾配だが、距離は確かに短い。

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(左)アドリッツグラーベンの小集落
  背景の崖はヴァインツェッテルヴァント
(右)ブライテンシュタイン駅への近道
 

とはいえ、登山に慣れている人は別として、ゼメリングから延々歩いてきた後のこの坂は、脚にこたえる。疲れた脚をいたわるためにも、駅の坂下にある列車の発着案内モニターは、しっかり確認する必要がある。

ブライテンシュタイン駅は、上下線の間に待避線をはさむ3線構造なのだが、上下ホーム間を直接行き来する連絡通路がないのだ。通過列車が多く、当然ながら線路横断は厳禁だから、ホームを間違えると、駅構内西方の地下道を通って結構な距離を移動しなければならない。

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ブライテンシュタイン駅
 

わざわざプラットホームの話を持ち出したのは、ウィーン方面行きの列車が、山側すなわち進行方向左側の2番線に発着するからだ。日本では当たり前だが、オーストリアの鉄道は、ドイツや東欧諸国と同じく原則右側通行なので、間違いやすい。南部本線の左側通行は、開通当初からだ(下注)。

*注 複線での運用は左側通行だが、保線作業などで片方の線路を閉鎖するときは、残りの単線で双方向運転を行う(双単線方式)。そのための渡り線が随所に設けられている。

2012年に西部本線ザルツブルク方面からの列車乗り入れが開始されたのに伴い、ウィーン~パイエルバッハ・ライヘナウ間は右側通行に変更されたが、パイエルバッハ以南は、ゼメリング鉄道区間を含めて今なお左を走っている(下注)。

*注 ゼメリング基底トンネルは、右側通行で計画されている。

ブライテンシュタインの駅舎内にも、ゼメリング鉄道関連の資料展示がある。世界遺産登録を記念して、各自治体がこうした取り組みを行っているようだ。帰りの列車を待つ間に眺めておこう。

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駅舎内の資料展示の一部

鉄道史上特筆すべき路線とはいえ、ゼメリング鉄道は、高度化が進む現代の鉄道輸送網の中で、明らかに隘路と認識されている。急曲線と急勾配の連続で、旅客列車は高速化がかなわず、貨物列車は牽引定数が制限される。古い構造物が多く、維持保守にもコストがかかる。

オーストリアでは、すでにウィーン~リンツ間やインスブルック周辺(ブレンナールート)などで高速線の整備が進んでおり、ゼメリングも20世紀半ば以降、峠道を避けた長大トンネルの計画案が練られてきた。

実際に2012年春から、グログニッツ~ミュルツツーシュラーク間で、長さ27.3kmのゼメリング基底トンネル Semmering-Basistunnel を経由する新線の建設が行われている。2019年に発生した落盤事故の影響で工期の遅延が生じてはいるものの、今のところ2027年完成の予定だ。並行する単線トンネル2本で構成され、設計速度は230km/h、これにより旅客列車の所要時間は、現在の45分から1/3の約15分にまで短縮されるという。

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ゼメリング基底トンネルの計画ルート
東口と西口の標高差が239mあるため、蛇行ルートで高度を稼ぐ
最大勾配は8.4‰
Image at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

現在のゼメリング鉄道は存続の見込みだが、同じように基底トンネルが開通したスイスのゴットハルト線 Gotthardbahn やレッチュベルク線 Lötschbergbahn のように、優等列車や貨物列車が消えて、ローカル旅客主体の寂しいダイヤになってしまうに違いない。幹線らしい活気ある姿を記憶にとどめたいとお考えの方は、早めのお出かけをお勧めする。

なお、本稿で紹介したトレールルートは変更されたり、悪天候や災害により通行できなくなる場合もありうる。現地の最新情報を確認の上で利用されたい。

本稿は、コンターサークルs『等高線s』No.16(2020年)に掲載した同名の記事に、写真と地図を追加したものである。
現地写真は2018年9月および2019年6月に撮影。

■参考サイト
ゼメリング鉄道(公式情報サイト) http://www.semmeringbahn.at/
ゲーガ博物館 http://www.ghega-museum.at/

★本ブログ内の関連記事
 ゼメリング鉄道を歩く I
 ゼメリング鉄道はなぜアルプスを越えなければならなかったのか

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コメント

ブログをご訪問くださりありがとうございました。毎年グラーツ歌劇場に行かれているとのこと羨ましい限りです。

20シリング紙幣の件、ご指摘のとおり「1989年まで発行された」が正しい表現です。本文を訂正いたしました。ありがとうございました。
ご紹介いただいたミュルツツーシュラークのジュートバーンの博物館、行こうと思いながら果たせておりません。次にオーストリアを訪れるときにはぜひ機会を持ちたいと思います。ジュートバーンの起点と終点にゲーガの名を冠した場所がある(あった)というのは興味深いですね。ゼメリング区間に限らず、ハプスブルクの首都からアドリア海に通じたこの路線全体が鉄道遺産なのだと思います。

Ⅰ、Ⅱと併せ大変興味深く拝見しました。
私事ながら、グラーツで6-7月に開催される音楽祭に2001-2019年の間毎年参観し、またそれ以外の時期にも、グラーツ歌劇場参観で出向いた関係で、このルートは何回も通ったのですが、企図しながら、峠沿線散策は果たせないままです。
若干のこだわりで、気の付いた点を記させていただきます。
1)ゲガの20シリング紙幣について。「1968年から1989年まで流通した」と記されていますが、正しくは造幣局で印刷された年度と思われます。実際には2002年からのユーロ現金流通直前まで流通しました。公式交換レートでは1.45ユーロとなり、旧シリング紙幣中の最低額面でした。
2)相対式ホームのブライテンシュタイン駅について。複線区間で相対式ホームを採用している小駅では、上下線(便宜上の表記)ホーム間の駅内連絡通路が無い場合に、やや遠回りのアクセスとなる駅はオーストリアには多数あります。
いや、わが国では、単線であっても、上下線ホームへのアクセスが離れている事例として、JR和歌山線の掖上、御所両駅で散見しました。
3)セメリンク線、、南方鉄道関連の博物館としては、ご紹介の他に、峠の西、ブラームスゆかりのミュルツツーシュラーク(駅領域内)に大規模な南方鉄道博物館SÜDBAHN Museum(https://www.suedbahnmuseum.at/at/)があります。同駅東端では、基底トンネルの西側坑口が姿を表しています。また、基底トンネルの東側坑口はグログニッツ至近の車窓から眺められます。
4)明治維新後の1873年、ウィーンでの万国博覧会にはわが国も参加・出品しましたが、名古屋城の金鯱は海路、開通(1869年)間もないスエズ運河を通り、トリエステからセメリンク線を含む南方鉄道路線を通ってウィーンへと運ばれたことが、オーストリアで発行された万博関連の本に紹介されています。
5)ウィーンには、旧南駅前にはゲガ広場Ghega Platzが存在しましたが、1956年の新駅舎建築に伴う広場拡張で、その名を失いました。一方、トリエステには現在もはゲガ通りvia C.Ghegaが存在します。
ゲガの名は、一時期のオーストリア国内優等列車にも命名されました。
6)ウィーンの西寄り、シェーンブルン宮殿にも程近いところに技術博物館Technisches Museum Wienがあります。交通に関しても充実した展示品の中に、旧南駅のリーフ式発車案内板がありますが、そこに表示されている列車は、「発車Abfahrt 9:12、EC(ユーロシティ特急)セメリンクSemmering号トリエステTrieste行き」でした。(2018年所見)帝国崩壊後、ウィーンとトリエステの間に定期旅客列車が走った記録はないと思われ、従ってこの表示は「架空」のものですが、これを見てどう感じるか、人それぞれといえるでしょう。

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