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2021年6月 9日 (水)

ゼメリング鉄道を歩く I

名所のイメージにあやかった観光用のキャッチフレーズをしばしば見かける。日本アルプスや小京都などは早くから定着しているし、欧米でも同じように、「何とかのスイス」「何とかのリヴィエラ」など、旅心をくすぐる言い回しがある。

鉄道の世界ではかつて「ゼメリング」もそうだった。19世紀のドイツ語圏でゼメリングは、粘着運転で山を上る鉄道の代名詞とみなされていた。たとえばザクセンのゼメリング sächsische Semmering、プラハのゼメリング Prager Semmering(下注)など、小規模ながら同じような性格をもつ路線が、いくつもこの山岳鉄道にたとえられた。

*注 ザクセンのゼメリングはドレスデン近郊にあるヴィントベルク鉄道 Windbergbahn、プラハのゼメリングはプラハ・スミーホフ=ホスティヴィツェ線 Bahnstrecke Praha-Smíchov – Hostivice の別名。

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ゼメリング鉄道の象徴ポレロスヴァントの断崖を縫う特急列車
 
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モデルとなった本家のゼメリング鉄道 Semmeringbahn(下注)は、オーストリアにある。独立した路線ではなく、ウィーン Wien からグラーツ Graz やクラーゲンフルト Klagenfurt、さらにはイタリア、スロベニアに通じるオーストリア連邦鉄道 ÖBB の国際幹線「南部本線 Südbahn」の一部区間だ。

*注 ユネスコ公式サイトの表記に従って「ゼメリング鉄道」と記すが、Semmering の現地での発音は「セマリン」と聞こえる。

具体的にはグログニッツ Gloggnitz ~ミュルツツーシュラーク Mürzzuschlag 間41.8kmを指し、複線電化されてはいるものの、最大勾配28‰、最小曲線半径190mという厳しい線形で、東部アルプスのゼメリング峠を越えていく。麓とサミットの高度差は459mに及ぶ。

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ゼメリング鉄道周辺図
 

山岳地形に対応させるために、ルートには、上下2本のサミットトンネル(新・旧ゼメリングトンネル)などトンネル15本と、2層建て4本を含む主要な高架橋16本の建設が必要とされた。並行して、急勾配を上ることのできる強力な蒸気機関車の開発が、設計コンペにより進められた。

開通は1854年。ヨーロッパ初の本格的な山岳鉄道であり、土木工学と機械工学の両面で鉄道技術の発展に寄与したことが評価され、1998年にゼメリング鉄道は、鉄道分野で初めてユネスコ世界遺産に登録されている。

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ゼメリング駅にある世界遺産登録の記念プレート
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(左)トレールに沿って案内板が設置されている
(右)一部を拡大
 

全長41kmのうち、見どころは峠の東側(ウィーン側)に凝縮されている。駅でいえば、パイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau からゼメリングまでの間だ。列車はカーブだらけのルートを、シュヴァルツァ川 Schwarza の谷底から峠の直下までじりじりと上り詰めていく。車窓を流れる景色からでも山岳鉄道の雰囲気は味わえるとはいえ、窓が開かない最近の車両では、特色ある高架橋のような足もとの構造物はほとんど視界に入ってこない。

幸い現地には、線路に沿って山野を行くハイキングトレール「バーンヴァンダーヴェーク Bahnwanderweg(鉄道自然歩道の意)」が延びている。歩いてみれば、鉄道が当時どれほど険しい地形を貫こうとしたかがわかるだろう。未知の難題に果敢に挑戦し、克服した19世紀の技術者の心意気も、より深く感じ取れるに違いない。

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パイエルバッハ・ライヘナウ駅を通過する貨物列車
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区間最長のシュヴァルツァタール高架橋 Schwarzatal-Viaduct
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区間最大のカルテ・リンネ高架橋 Kalte-Rinne-Viaduct

出発点ゼメリング駅

2018年6月の晴れた日、この道を歩く機会があった。スタート地点はゼメリング駅 Bahnhof Semmering にした。見どころ区間の終点であるパイエルバッハまで21.3kmの道のり(下注)だが、途中で撮り鉄もするから、とてもそこまで行けそうにない。本日のゴールは、ゼメリングから二つ目のブライテンシュタイン駅になるだろう。歩く距離は9.5kmに短縮されるものの、アップダウンが激しいので、これでもたっぷり3~4時間(撮り鉄の時間は別)は見ておく必要がある。

*注 Wieneralpen in Niederösterreich のリーフレット "Bahnwandern im UNESCO Weltkulturerbe Semmeringeisenbahn" によるトレールの実長。なお、バーンヴァンダーヴェークはゼメリング鉄道全線をカバーしており、全長46km。

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(左)ČD(チェコ国鉄)所属のレールジェットでセメリング駅に降り立つ
(右)新ゼメリングトンネル(西行き)がホームから見える
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ゼメリング~ブライテンシュタイン間の
ハイキングトレールのルート詳細
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY SA
 

ゼメリング駅は標高896mの高地にある。サミットトンネルを目前にした、まさに峠の駅だ。そのうえここは、山岳鉄道を知る手がかりが集積された場所でもある。ホームに降り立ってまず目につくのは、鉄道の生みの親であるカール・フォン・ゲーガ Karl von Ghega(1802~1860)(下注)の立派な記念碑だ。

*注 ゲーガはその功績を称えられて1851年に騎士 Ritter(=貴族階級)に列せられたので、正式にはカール・リッター・フォン・ゲーガ Karl Ritter von Ghega と称する。

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ゲーガ記念碑
 

山を越えるにはラック式鉄道かケーブルカーのような特殊鉄道しか方法がないと考えられていた1840年代、彼はイギリスとアメリカに赴いて先進例を調査し、粘着式鉄道(車輪とレールの摩擦力に頼る通常の鉄道)の可能性を確信した。

ゲーガの作成した計画は6年の工期を経て実現される。もし特殊鉄道で造られていたなら、輸送能力の低さから、たちまち大改修か別線の建設が必要になっただろう。それに対してゼメリング鉄道は、そのままの位置で160年以上も持ちこたえている。

記念碑の隣にはクリームとブルーに塗られた車両が置かれているが、もちろんゲーガの時代のものではない。1938年製のもと制御車で、戦後の車両不足を補うために1951年に動力化された気動車(車両番号5144 001-4)だ。南部本線で急行列車やローカル輸送に従事した縁で、1991年の引退後ここに移され、ゼメリング自治体の資産として静態保存されている。

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静態保存されている5144系気動車
 

外の観察を終えたら、駅舎に入ろう。旅客駅としてはとうに無人化され(下注)、待合室に乗車券と飲料の自販機があるだけだ。しかし、世界遺産登録を機会に、駅舎内にインフォメーションセンター 兼 博物館が整備された。5月から10月の毎日9~15時の間、開館している。

ゼメリング鉄道に関するさまざまな資料が公開されているが、高架橋を模した鉄道レイアウトや沿線のスケッチなど、ドイツ語を知らなくても楽しめる展示も多く、トレール歩きの期待感を高めてくれる。

*注 旅客サービスは行っていないが、棟続きにÖBBの運行管理センターがある。

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駅舎内のゼメリング鉄道博物館
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館内の展示
(左)カルテ・リンネ高架橋の線路敷設を描いた石版画と、測量用の経緯儀(セオドライト)
(右)同 高架橋を模したレイアウト
 

バーンヴァンダーヴェーク(鉄道自然歩道)

訪問記念に絵葉書を数枚購入して、駅舎を出た。インフォメーション係のご婦人の、展望台へ行くなら黄色の標識に従って、というアドバイスのとおり、駅前広場の擁壁ぎわにさっそくトレールの方向を示す標識が立っていた。

まず目指すポイントはドッペルライター展望台 Doppelreiterwarte(下注)だが、広場から坂を上がったところに、紛らわしい分かれ道があるので要注意だ。線路のすぐ山側を並行する小道に出ることができれば、後は一本道になる。

*注 案内標識には Doppelreiteraussichtswarte(Aussicht は見晴らし、Warte は望楼、物見台の意)と表記されている。

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(左)トレールの案内標識
(右)バーンヴァンダーヴェークの道標
 

ゼメリング鉄道を含む南部本線は、首都ウィーンとグラーツやクラーゲンフルトなど南西部の主要都市を結ぶ幹線で、運行頻度はかなり高い。特急列車のレールジェット Railjet が30~60分ごとに行き交うし、長い貨物列車もしばしば通る。トレールを歩いている間にも遠くからごうごうと走行音が響いてきて、カメラを構えるチャンスがたびたびあった。

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自然歩道の横を通過する列車
(左)ÖBB(オーストリア連邦鉄道)所属のレールジェット
(右)機関車4重連の回送運転
 

蒸気列車を象った遊具のある広場「ゼメリング子どもの駅 Kinderbahnhof Semmering」を過ぎると、トレールは線路の下に潜り、谷側に場所を移す。沢を渡るために上り下りした後、山脚を回って、鉄道のヴォルフスベルクコーゲル停留所 Haltestelle Wolfsbergkogel の横に出る。駅とは違い、停留所は列車交換や追い抜きをする待避線を持たないので、ここも上下線の旅客ホームだけの簡素な構造だ。周辺には、庭付き一戸建てが点在している。

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ヴォルフスベルクコーゲル停留所
(左)西方向(右)東方向
 

夏も涼しいゼメリングは、鉄道開通後しばらくすると、保養地として注目されるようになった。きっかけを作ったのは当時、鉄道を運営していた帝国勅許南部鉄道会社 k.k. priv. Südbahn-Gesellschaft だ。1882年に、ゼメリング駅から1.3kmの見晴らしの地に南部鉄道ホテル Südbahnhotel が開業し、その後350室を擁する大規模なリゾート施設に拡張された。これを追って1910年代までに、一帯にしゃれたヴィラや豪華なホテルが建ち並んだ。

ゼメリングは、こうして裕福なウィーン市民の夏の社交場としてもてはやされた。第一次世界大戦後は、不況も手伝ってブームは下火になるが、盛時を彷彿とさせる豪壮な建物が今も随所に残されている。トレールはその一つ、クーアハウス・ゼメリング Kurhaus Semmering の建物前を通って、再び林の中へ入っていく。

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山腹に建ち並ぶホテルや別荘群
右端が南部鉄道ホテル
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測候塔からの眺望
左手前が南部鉄道ホテル、中央奥がクーアハウス・ゼメリング
背景左はラックス Rax、右はシュネーベルク Schneeberg の山塊
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(左)ホッホシュトラーセ Hochstraße 沿道の休憩所
(右)南部鉄道ホテルの測候塔 Wetterstation
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ゼメリング峠(パスヘーエ Passhöhe)のバス停
 

ドッペルライター展望台

軽い上り坂を300mほど歩いたところで、目の前に木骨組みの塔が現れた。ドッペルライター展望台だ。少々華奢な木の階段だが、臆せずデッキに上がれば、すばらしい眺望が待っている。

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ドッペルライター展望台
 

アドリッツグラーベンバッハ川の峡谷を隔てて北の方角に見えるのが、クロイツベルク Kreuzberg からアイヒベルク Eichberg にかけてのなだらかな山稜だ。その山腹を縫うようにして、ゼメリング鉄道が通っている。視界の右端はクラム Klamm の村と教会で、ここにも線路があるはずだが、森の陰で見えない。

右から正面にかけては、石灰岩の断崖絶壁が連なる。プフェッファーヴァント Pfefferwand とヴァインツェッテルヴァント Weinzettelwand(Wand は絶壁の意)の名で、盾さながらにそびえ立っている。

その崖と森の境目に、数個のアーチを連ねた箱状の構造物がはまっているのが見えるだろう。落石から線路を保護するための覆道(ギャラリー)だ。線路は、断崖の中を長さ688mのヴァインツェッテルヴァントトンネル Weinzettelwand-Tunnel で通り抜けているが、実際は、中間2か所で外に露出しており、そこが覆道になっている。

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ヴァインツェッテルヴァントを通り抜ける貨物列車
 

トンネル出口から顔を出した列車は、すぐ左のヴァインツェッテルフェルトトンネル Weinzettelfeld-Tunnel(長さ239m)に入り、次いでブライテンシュタイン Breitenstein の集落に現れる。ここに今日のゴールとなるはずの、同名の駅がある。列車が構内をゆっくりと通過するようすは、まるで鉄道模型だ。

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ブライテンシュタイン駅を通過する貨物列車
機関車の左の2階建が駅舎
 

左のほうへ目を移すと、ポレロスヴァント Polleroswand の切り立った断崖に目を奪われる。縦に深く走る節理が生々しい。崖の手前に見える鉄道トンネルは、ゼメリング鉄道で最も短い長さ14mのクラウゼルトンネル Krausel-Tunnel だ。線路はさらにクラウゼルクラウゼ高架橋 Krauselklause-Viadukt を介して、ポレロストンネル Polleros-Tunnel(長さ337m)へと続く。

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ドッペルライター展望台から北方向のパノラマ
 

ほれぼれするようなパノラマだが、しかし何かが欠けている。そう、最も有名なカルテ・リンネ高架橋が、山陰に隠れてしまうのだ。それを見るには、標識に従ってトレールをもう少し先へ進む必要がある。

続きは次回に。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.16(2020年)に掲載した同名の記事に、写真と地図を追加したものである。
現地写真の撮影時期は2018年9月および2019年6月。

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