« 2021年5月 | トップページ | 2021年7月 »

2021年6月

2021年6月29日 (火)

ウェスト・ハイランド線 II-ジャコバイト号の旅

Blog_scot_whr21
疾走するジャコバイト号
(以下、特記したものを除き2015年6月撮影)
 

フォート・ウィリアム Fort William は、ハイランド西部の中心的な町だ。波静かなリニ湾 Loch Linnhe 最奥部に位置し、背後にはイギリス最高峰のベン・ネヴィス Ben Nevis(下注)がそびえる。17世紀、オラニエ公ウィレム(スコットランド王としてはウィリアム2世 William II)がクラン(氏族)を統治するために築いた砦(フォート Fort)が、名の由来だという。

*注 ベン・ネヴィスの標高は4409フィート(1344m)。Ben はスコットランド固有の地形語で山を意味する。

Blog_scot_whr22
フォート・ウィリアムのハイ・ストリート
 

目抜き通りのハイ・ストリート High Street を北へ、突き当りの地下道をくぐった先に、ウェスト・ハイランド線 West Highland Line の駅がある。ホームは、頭端式1面2線の小ぢんまりした構造だ。発着するのは、旅客列車が平日片道4本(土日は減便)と寝台列車1本だけなので、これで十分なのだろう。

しかし、ここに駅が移ってきたのは1975年のことだ。もとの線路は市街地の海側をさらに南へ600mほど延び、旧駅が、対岸を結ぶフェリー乗り場の前にあった。旧駅前の小さな広場は今もステーション・スクエア Station Square と呼ばれているが、新駅との間に生じた廃線跡はA82号線のバイパス用地に転用されて、跡形もない。

Blog_scot_whr_map11
ジャコバイト号走行ルート周辺図
Contains public sector information licensed under the Open Government Licence v3.0.

発車30分前、ずんぐりしたディーゼル機関車に牽かれて、長い編成の列車が行き止まりの1番線に入線してきた(下注)。主役の蒸気機関車は最後尾に連結され(折返しで先頭になる)、盛んに蒸気を吐いている。ディーゼル機関車はすぐに切り離されて、側線に退いた。待合室とホームを隔てるドアが開き、きょうの乗客がぞろぞろと指定の客車に向かう。

*注 掲載写真は午後出発の第2列車乗車時のもの。本文の記述もそれに基づいている。

Blog_scot_whr23
(左)ディーセル機関車に牽かれてジャコバイト号の入線
(右)乗客が客車に向かう
 

「ジャコバイト号 The Jacobite」は、ウェスト・ハイランド線のフォート・ウィリアム~マレーグ Mallaig 間を走る名物蒸気列車だ。この路線での蒸気機関車の定期運用は1967年に終了したが、1984年に観光用として1往復が再導入された。最初は「ウェスト・ハイランダー West Highlander」と呼ばれ、後に、地方名にちなんで「ロッホアーバー(ロッハーバー)Lochaber」と改称されている。

1995年の国鉄民営化後は、ウェスト・コースト鉄道 West Coast Railways (WCR) が運行免許を取得し、新たにジャコバイト号の名でこの列車を引き継いだ。風光明媚なルートを走るため、もとから好評だったが、「ハリー・ポッター」の映画シリーズでホグワーツ特急 Hogwarts Express に擬せられたことで、一躍世界に存在が知れ渡ることになった。

Blog_scot_whr24
ジャコバイト号
Viewpoint (A)
Viewpoint (A) 等の撮影位置は、下掲 グレンフィナン周辺の地形図に示す
Blog_scot_whr25
グレンフィナン高架橋を渡る(2016年)
Viewpoint (B) 
Photo by Bloodworx at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

列車は午前中にフォート・ウィリアムを出発し、終点マレーグ Mallaig で折り返して午後、戻ってくる。旺盛な需要を受けて、2011年から、午後に出発する第2列車の運行も始まった。2本立ての運行体制は現在も継続中で、人気が衰えていないことを証明している。

参考までに、2021年の運行期間は4月26日から10月29日(第2列車は10月1日まで)の間で、発着時刻は次のとおり。

朝の運行 Morning Service(第1列車)
 往路 フォート・ウィリアム発10時15分、マレーグ着12時26分
 復路 マレーグ発14時10分、フォート・ウィリアム着16時03分

午後の運行 Afternoon Service(第2列車)
 月~金曜および日曜
 往路 フォート・ウィリアム発12時45分、マレーグ着15時01分
 復路 マレーグ発16時45分、フォート・ウィリアム着18時53分

 土曜
 往路 フォート・ウィリアム発14時40分、マレーグ着16時42分
 復路 マレーグ発18時40分、フォート・ウィリアム着20時32分

第1列車の発車時刻は、ロンドンから来る寝台列車カレドニアン・スリーパー号 Caledonian Sleeper(フォート・ウィリアム着9時57分)との接続が考慮されている。また、第2列車のフォート・ウィリアム到着も同じくロンドン行きの寝台列車(月~金曜19時50分発、日曜19時00分発)に間に合う設定だ。土曜だけ時刻が遅いのはカレドニアン・スリーパーが走らない日だからかもしれない。

Blog_scot_whr26
カレドニアン・スリーパー号
 

きょうの列車を牽くのはLMSステーニア5形 Stanier 5 Class(下注)、ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道 London Midland and Scottish Railway (LMS) 時代の1945年に造られた軸配置4-6-0の蒸機だ。艶やかな黒のボディから「ブラック・ファイヴ Black Five」の異名をもつ。

*注 ステーニアの名は、設計者ウィリアム・ステーニア William Stanier に由来。5形はLMS所有の機関車の牽引力等級を示す。

客車は国鉄時代のマーク2形で、外装も当時のマルーン色を再現している。6両編成で、先頭が1等車。他は2等車で、中間にビュッフェ車が挟まる。テーブル付き、4人向かい合わせのバケット形ボックスシートはほとんど埋まっている。ツアーは相変わらず盛況のようだ。

Blog_scot_whr27
午後の列車を牽くブラック・ファイヴ4871号機
Blog_scot_whr28
(左)マーク2形客車
(右)2等車内装
Blog_scot_whr29
当日の列車案内
A号車は1等、C号車はビュッフェ車
他は2等車でD号車に売店を併設

発車時刻になった。列車はホームを後に、町裏をゆっくりと進んでいく。やがてグラスゴー方面の線路から左に分かれ、インヴァーロッヒー城 Inverlochy Castle の廃墟の横で、ロッヒー川 River Lochy の鉄橋にさしかかった。左隣に並行するのは、長距離自然歩道のグレート・グレン・ウェー Great Glen Way が通る歩道橋 兼 水路橋で、「兵士の橋 Soldier's Bridge」という。

ちなみに、この歩道橋と川の北側にある道路跨線橋の周辺は、フォート・ウィリアム駅から徒歩でも30分程度で到達でき、ジャコバイト号の撮影にはいい場所だ。

Blog_scot_whr30
ロッヒー川に架かる鉄橋と歩道橋(2017年)
写真では歩道部分が工事で一時撤去されている
Photo by Tim Heaton at wikimedia. License: CC BY 2.0
 
Blog_scot_whr_map12
フォート・ウィリアム周辺の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 35 Loch Arkaig 1966年版, 46 Loch Linnhe 1962年版, 47 Glencoe 1956年版
reproduced with the permission of the National Library of Scotland https://maps.nls.uk/

 

棒線駅のバナヴィ Banavie 駅に続いて、ハイランドを東西に横断するカレドニア運河 Caledonian Canal を渡った。鉄橋は船を通すために旋回橋 Swing Bridge になっていて、列車は時速5マイル(8km)の徐行で通過する。右手には同じ旋回構造の道路橋があり、その向こうに、ネプチューンの階段 Neptune's Staircase と呼ばれる8段の運河閘門の一部が見えた。

Blog_scot_whr31
カレドニア運河の「ネプチューンの階段」
(左)車窓から国道橋の奥に一部が見える
(右)8段の閘門で計20mの高さを上下する(2007年)
Photo by Klaus with K at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

こうしてグレート・グレン末端の低地を通過した後は、イール湾 Loch Eil の北岸に沿って西へ針路をとる。イール湾は、リニ湾の奥にあるシー・ロッホ sea loch(=入江)だが、なだらかな山に囲まれた穏やかなたたずまいは、内陸の湖と見違える。

Blog_scot_whr32
イール湾の眺め
(左)フォート・ウィリアムが遠ざかる
(右)北岸に沿って西へ
 

湾を見送ると、やがて機関車の立てるドラフト音がせわしくなった。ここからしばらく上り坂が続く。短いトンネルをくぐり、切通しを抜ける。その先にあるのが、ハリーとロンが乗った空飛ぶ車がホグワーツ特急に追いかけられた、あのグレンフィナン高架橋 Glenfinnan Viaduct だ(下注)。長さ380m、高さ30mの堂々たる橋梁で、径間15mのアーチを21個連ねて、シール湖 Loch Shiel の北の谷の上空を渡っている。

*注 第2作「ハリー・ポッターと秘密の部屋」の一シーン。

Blog_scot_whr33
グレンフィナン高架橋を渡る
Blog_scot_whr_map13
グレンフィナン周辺の地形図
Viewpoint (A) - (C) は写真撮影位置
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 35 Loch Arkaig 1966年版
reproduced with the permission of the National Library of Scotland https://maps.nls.uk/

 

建設当時、こうした橋梁は石の組積みで造られていたが、この周辺の地質は、硬質かつ板状に割れる片岩や片麻岩のため、材料には適していない。工事を請け負ったロバート・マカルパイン Robert McAlpine は、石の代わりに、コンクリートを型枠に注入して生成するマスコンクリートを用いた。当時としては革新的な工法で、彼はコンクリート・ボブ Concrete Bob(Bob は Robert の短縮形)の異名をとったという。

橋上の線路は1:50(20‰)の勾配があり、半径12チェーン(241m)の曲線を描いているため、走行には25マイル(40km)の速度制限がかけられている。機関車は、出力を高めながらもゆっくりと通過していく。周囲の山と湖が織り成す景観の中で、どのアングルを切り取っても一幅の絵になることから、早くからここは撮り鉄たちの巡礼地と化している。

Blog_scot_whr34
たもとにも多数の人影が
Blog_scot_whr35
グレンフィナン高架橋を遠望
(Viewpoint (B) の上方、2018年)
Photo by Nono vlf at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

高架橋にさしかかると、乗客は総立ちになり、左の窓側に集まる。カーブのおかげで、車窓から先頭の蒸気機関車の奮闘ぶりがよくわかる。橋の向こうの山腹に張り付いている人影も10人やそこらではきかない。皆、この列車が現れるのを今か今かと待っていたのだ(下注)。

*注 高架橋通過時刻は、フォート・ウィリアム発車のおよそ30分後。

高架橋の曲線美はもちろんだが、左遠方の自然美にも注目したい。湖畔の円筒状の塔は、1745年の最後のジャコバイト蜂起で、若僭王チャールズ・エドワード・ステュアート Charles Edward Stuart, The Young Pretender がここで軍旗を立てたことを記念して建てられたグレンフィナン記念塔 Glenfinnan Monument だ。観光列車の名称もこの歴史を踏まえている。

Blog_scot_whr36
グレンフィナン記念塔(2017年)
Photo by August Schwerdfeger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_scot_whr37
記念塔とシール湖の眺め(2011年)、Viewpoint (C)
Photo by J. Drevet at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

高架橋を渡り終えれば、まもなくグレンフィナン駅だ。フォート・ウィリアム以西の中間駅では2か所(下注)しかない待避線を使い、終点から戻ってきた第1列車と交換した。ちなみに2021年の現行ダイヤでは、月~金曜及び日曜はアリセグ駅で、土曜はグレンフィナン駅で蒸気列車同士の交換が行われる。

*注 もう1か所はアリセグ Arisaig 駅にある。

往路ではグレンフィナンで20分程度、給水のための停車時間が取られている。その間、乗客は車外に出て、気分転換する。駅舎には、路線の資料や備品、写真パネルなどを展示した鉄道博物館やグッズの売店があり、駅据え付けの食堂車で飲み物やケーキを楽しむこともできる。可能なら高架橋のたもとまで行ってみたいが、近道の山道でも約1kmあるから、実行は難しい。

Blog_scot_whr38
(左)グレンフィナン駅に到着
(右)第1列車と交換、復路は機関車が逆向きになる
Blog_scot_whr39
グレンフィナン駅
(左)駅舎(右)ホームから東望
Blog_scot_whr40
(左)駅舎内の博物館
(右)ノース・ブリティッシュ鉄道時代の路線図
 

全員が車内に戻ったところで、再び発車だ。上り勾配があと少し続き、線路は標高361フィート(110m)のサミットに達する。見どころはここまで主に左車窓に現れたが、この先は右側の席にチャンスが訪れる。

下り坂は、斜面の岩壁を縫う2本のトンネルで始まる。右手下方に、イールト湖 Loch Eilt の鈍色の湖面が見えてきた。列車は湖岸までゆっくりと降りていき、しばらくの間、山の湖の景色を楽しませてくれる。とりわけ湖尻近くにある中の島エラン・ナ・モナ Eilean na Moine や湖中に築かれた築堤は、鉄道写真や映画のシーンで目にする名所だ。

Blog_scot_whr41
イールト湖
(左)ゆっくり湖岸へ降りていく(サミット方を望む)
(右)湖から流れ出す早瀬を渡る
Blog_scot_whr42
印象的な湖中の島エラン・ナ・モナ Eilean na Moine(帰路写す)
映画にちなみ「ダンブルドアの墓 Dumbledore's grave」として知られる
 

イールト湖から流れ出す早瀬を渡ると、再び谷は車窓の左手に移る。棒線駅のロハイラート Lochailort を通過。この後は、海に落ち込む複雑で険しい地形を越えていかなければならない。グレンフィナンばかりが注目されているが、この区間のトンネルと高架橋の連続も見ものだ。

一つ目のトンネルを抜けると、左手にアイラート湾 Loch Ailort が見えてくる。再び山中に入り、小さな湖、ドゥー湖 Loch Dubh の岸を行く。また海が見えてくるが、ここで国道の走る浜辺をまたいでいるのが、ナン・ウアヴ湾高架橋 Loch nan Uamh Viaduct だ。ルートが直線のため、車窓からはわからないが、8個のアーチを連ねたマスコンクリート製の重厚な造りで、撮影地の一つに数えられている。

Blog_scot_whr43
(左)ドゥー湖畔
(右)次々とマスコンクリートの高架橋を渡っていく
Blog_scot_whr44
ナン・ウアヴ湾高架橋(2013年)
Photo by Stuart Wilding at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ビースデール Beasdale 駅まで来ると、いったん海が遠のく。アリセグ Arisaig 駅は2面2線の交換可能駅で、5分程度停車して普通列車と行き違った。何の変哲もない田舎駅だが、実はグレート・ブリテン島で最西端の位置にある(西経5度50分22秒)。終点マレーグがそうでない(西経5度49分49秒)のは、ルートがこのあと東に少し傾くからだ。ちょうど根室本線の東根室駅と根室駅の関係に似ている。

*注 他の西端駅の経度は以下の通り。
 カイル・オヴ・ロハルシュ Kyle of Lochalsh:西経5度42分50秒
 ミルフォード・ヘイヴン Milford Haven(ウェールズ最西端):西経5度2分27秒
 ペンザンス Penzance(コーンウォール半島、イングランド最西端):西経5度31分59秒

Blog_scot_whr45
(左)ナン・ウアヴ湾高架橋の上を行く
(右)最西端アリセグ駅(2005年)
Photo by Thryduulf at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

アリセグで小さな鞍部を越えた後は、草原の広がる平地へと坂を降りる。モラー湖 Loch Morar から流れ出す滝川を一跨ぎして、モラー駅を通過。浅い山峡を抜けると、左手の車窓いっぱいに海原が広がり、列車はゴールに向けて最後のストレッチを下っていく。

Blog_scot_whr46
(左)モラー川の滝を渡る
(右)最後のストレッチで海原が広がる
 

終点マレーグも頭端駅で、1面2線の構成だ。ホームが緩く右に曲がっているのは、かつてはこのまま港の桟橋(現 フェリーターミナル)まで線路が延びていたからで、桟橋も鉄道会社が運営していた。ボートソングの歌詞のとおり、海を越えればスカイ島 Isle of Skye だ。アーマデール Armadale の港まで、フェリーが30分ほどでつないでいる。

列車は1番線に入線し、客を降ろした後、推進運転でホームを出ていった。折返しのフォート・ウィリアム行きの発車まで2時間近くある。天気が悪くなければ、のんびりと港の散策に出かけるのもいい。ちなみにマレーグには転車台がないため、復路では機関車がバック運転になる。走りっぷりには影響がないが、写真映えは期待できない。

Blog_scot_whr47
マレーグ駅に到着
Blog_scot_whr48
(左)マレーグ駅舎正面
(右)マレーグの港、スカイ島へ渡るフェリーが停泊
 

写真は別途クレジットを付したものを除き、海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ウェスト・コースト鉄道 https://westcoastrailways.co.uk/
ウェスト・ハイランド線協会 https://westhighlandline.org.uk/

★本ブログ内の関連記事
 ウェスト・ハイランド線 I-概要

2021年6月23日 (水)

ウェスト・ハイランド線 I-概要

ウェスト・ハイランド線 West Highland Line

本線(マレーグ線):
グラスゴー・クイーン・ストリート Glasgow Queen Street ~マレーグ Mallaig 263.6km 1894~1901年開通(下注1)
オーバン支線:
クリーアンラリッヒ Crianlarich ~オーバン Oban 101.7km、1873~1880年開通
軌間 4フィート8インチ半(1,435mm)、非電化(下注2)

*注1 起終点および路線距離はグラスゴー近郊における他線との共用区間を含む。開通年は共用区間を含まない。
*注2 起点駅を含めグラスゴー近郊では電化区間を通過する。

Blog_scot_whr1
秘境駅コラー Corrour に入る
寝台列車カレドニアン・スリーパー号(2015年)
Photo by Andrew at wikimedia. License: CC BY 2.0

Blog_scot_whr_map1

スコットランド北西部、ハイランド地方 Highlands(下注)には、ごつごつした山並みと平底の谷が交錯する荒涼とした風景がどこまでも続いている。狭い谷を意味するグレン Glen や広い谷ストラス Strath が天然の回廊として利用される一方、西岸では海水が奥まで深く入り込み、溺れ谷ロッホ Loch を形成している。そのため鉄道は、海岸線をまっすぐ北上できず、人里離れた谷の中を延々伝って港町に達する。

*注 ハイランドは名のとおり山がちな土地だが、沿岸や島嶼も含めた広域地名のため、「高地」と訳すのは適切ではないだろう。

Blog_scot_whr2
グレン・コ― Glen Coe の谷の風景
Photo by Gil Cavalcanti at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

路線は3本ある。一つは、北東岸のインヴァネス Inverness から来るカイル・オヴ・ロハルシュ線 Kyle of Lochalsh Line、もう二つは、スコットランド最大の都市グラスゴーから延びるウェスト・ハイランド線 West Highland Line の本線(マレーグ線 Mallaig Line)とオーバン支線 Oban Branch Line だ。

どれも鉄道旅行者には人気が高く、走行中に展開する車窓風景も甲乙つけがたい。とはいえ、今回取り上げるウェスト・ハイランド線本線には、他の2線と一線を画す特色がある。それは、この路線が高みを走ることが多く、したがって高い視点から景色を俯瞰できるという点だ。背景には、他より遅れて登場し、そのために建設の容易なルートを選べなかったという事情があるだろう。いったい、どんな経緯で誕生したのだろうか。

Blog_scot_whr_map2
ウェスト・ハイランド線 路線図
Base map by Sting at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

Blog_scot_whr_map3
ウェスト・ハイランド線周辺の路線網の変遷
 

上図にこの地域の鉄道路線網の変遷を示した。

最初に現れたのは現在のカイル・オヴ・ロハルシュ線だ【図左】。インヴァネスを拠点とするハイランド鉄道 Highland Railway が建設し、1870年に当初の終点であるストロームフェリー Stromeferry に達している(カイル・オヴ・ロハルシュへの延伸は1897年)。

次がオーバン支線だが、これはウェスト・ハイランド線とは無関係のカランダー・アンド・オーバン鉄道 Callander and Oban Railway がルーツだ。1870年から段階的に延伸され、1880年にオーバンまで開通した。同 鉄道はスコットランドの大手鉄道会社、カレドニア鉄道 Caledonian Railway の子会社で、実質的にカレドニア鉄道の支線だった。

最後がウェスト・ハイランド線だが、その設立には前史がある。知られるようにハイランドは、17世紀の名誉革命以来、カトリックの反革命勢力ジャコバイト Jacobite の拠点だった土地だ。ハノーヴァー王政による敵視政策で土地を追われた彼らは、辺地で小作農(クロフター Clofter)となって住みつき、貧困にあえいだ。不満が渦巻き、暴動や争議が各地で発生していた。

1880年代に入ると状況改善のための法的整備が始まり、そうした社会の雰囲気の変化が陸上輸送網の拡大、すなわち鉄道敷設の機運を高めていく。1883年に、グラスゴーからフォート・ウィリアム Fort William を経由してインヴァネスに至る鉄道法案が議会に提出された。ロンドン財界の支援を受けたノース・ブリティッシュ鉄道 North British Railway (NBR) が運行する計画だった。

ルートは、明らかに既存のハイランド鉄道とカレドニア鉄道の勢力圏に重なっている。そのため、両鉄道による猛烈な反対で、法案はいったん却下された。しかしその後、ルートとなる地元からの巻き返しがあり、1889年にフォート・ウィリアムまでに路線を短縮した上で認可される。国の補助金を受けて建設が進められ、1894年にウェスト・ハイランド鉄道 West Highland Railway として開通を果たした。

インヴァネス方面への進出はかなわなかったものの、法案には代替として、カレドニア運河 Caledonian Canal への接続線(バナヴィ支線 Banavie branch、フォート・ウィリアム~バナヴィ・ピア Banavie Pier 間)が含められていた。これは翌1895年に完成し、運河を通る蒸気船により、もとの構想に沿う連絡ルートが実現している(下注)。

*注 元の構想に沿う路線としては、後の1903年にネス湖南端のフォート・オーガスタス Fort Augustus に至る鉄道が開通した。しかし、過疎地につき経営的に長続きせず、1933年に旅客列車が廃止、1946年に路線自体も廃止された。

Blog_scot_whr3
カレドニア運河とバナヴィ(鉄道)旋回橋 Banavie Swing Bridge(2007年)
(バナヴィ支線跡は対岸で、写真には写っていない)
Photo by Klaus with K at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

フォート・ウィリアムからさらに西をめざすマレーグ延伸鉄道 Mallaig Extension Railway の構想は、それからまもなく浮上した。だが、採算性が不安視され、政府保証を得るまでに長い時間を要した。ようやく1896年に法案が可決され、建設が始まったが、ルート後半の地形がとりわけ複雑で、硬い岩質にも阻まれて難工事を余儀なくされた。4年の工期を経て同 鉄道(現 本線の末端部)が開通したのは1901年のことだ【図中】。

ライバル同士だったウェスト・ハイランド鉄道(現 本線)とカランダー・アンド・オーバン鉄道(現 オーバン支線)だが、前者の開通から3年後の1897年には、貨物列車をやりとりするために、交差するクリーアンラリッヒで連絡線が造られている。しかし旅客列車については実現せず、利用者は約300m離れた両線の駅の間で徒歩連絡を強いられ続けた。

1923年の鉄道会社四大グループ化 Grouping でも両線は別会社(下注)のままで、1948年の鉄道国有化を経て、ようやく一つの経営体のもとに入った。

*注 ウェスト・ハイランド鉄道はロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 London and North Eastern Railway (LNER) に、カランダー・アンド・オーバン鉄道はロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道 London, Midland and Scottish Railway (LMS) に統合。

1965年、オーバン線のクリーアンラリッヒ以東が、地滑りによる線路の水没で不通になった。時すでに国鉄の合理化計画、いわゆるビーチング・カット Beeching cuts が進行しており、この区間も廃止予定だったため、復旧されることはなかった(下注)。貨物用の連絡線を使ったオーバン方面の旅客列車運用は、この不通をきっかけに始まったものだ【図右】。以後、この形が現在まで続いている。

*注 現存する本線やオーバン支線も廃止対象だったが、地元の強いロビー活動により決定を免れたとされる。

では、ウェスト・ハイランド線本線の旅に出るとしよう。列車は、グラスゴー・クイーン・ストリート Glasgow Queen Street 駅のハイレベル(上階)high level ホームから出発する。セントラル駅に比べれば規模が小さいとはいえ、ここはスコットランド内の長距離列車が発着する、ノース・ブリティッシュ鉄道以来のターミナルだ。

Blog_scot_whr4
グラスゴー・クイーン・ストリート駅のハイレベルホーム(2019年)
Photo by Tbatb at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

朝8時の列車は気動車4両編成で、途中のクリーアンラリッヒ Crianlarich で切り離されて前2両はオーバンへ、後ろ2両がマレーグへ行く。現行ダイヤでは、平日の場合、この併結列車が3往復と、併結なしのオーバン行きが別に3往復ある(土日は減便)。ほかに線内の区間列車も若干設定されている。

また、ロンドンのユーストン Euston 駅を起点とする寝台列車カレドニアン・スリーパー号 Caledonian Sleeper も、土曜(発日基準)を除いてフォート・ウィリアムまで足を延ばす(下注)。ハイレベルホームは頭端式で行き止まりのため、この列車だけは貫通式のローレベル(下階)ホームを使っている。

*注 列車は、エディンバラ・ウェイバリー Edinburgh Waverley 駅でフォート・ウィリアム、アバディーン Averdeen、インヴァネスの3方面に分割されたものの一部。

Blog_scot_whr5
カレドニアン・スリーパー号
フォート・ウィリアム駅にて(2015年)
海外鉄道研究会 田村公一氏提供
 

車内に、トレッキングに出かけるグループがバックパックを背負って乗り込んでくる。席が空いているなら、進行方向左側に座ると、より長い時間、視界が開けるはずだ。

発車するとまずトンネル、そして左に折れて住宅地をしばらく走る。最初の停車駅ダルミューア Dalmuir で、近郊電車が走るノース・クライド線 North Clyde Line と合流し、しばらく茫漠としたクライド川のエスチュエリー(三角江)を左手に見て進む。

次のダンバートン・セントラル Dumbarton Central に続いて、ローモンド湖から流れ出すリーヴン川 River Leven を渡れば、グラスゴーの大都市圏は終わる。トンネルを抜け、また少しの間河口を眺めた後、突然列車はノース・クライド線から右に分岐して(下注)、架線のない単線の線路に入っていく。

*注 直進する線路は、ノース・クライド線の終点ヘレンズバラ・セントラル Helensburgh Central に向かう。

Blog_scot_whr6
リーヴン川を渡るノース・クライド線の近郊列車(2011年)
Photo by Geof Sheppard at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

実質的にウェスト・ハイランド線が始まるのが、このクレイゲンドーラン・ジャンクション Craigendoran Junction だ。ちなみに、ヘレンズバラには、ハイランドとローランドを区分するハイランド境界断層 Highland Boundary Fault(下注)が通っている。それで、地理区分上でもハイランドに足を踏み入れたことになる。

*注 ハイランド境界断層は、南西のアラン島と北東のストーンヘイヴン Stonehaven の間に走る主要断層帯。この北側がハイランドと呼ばれる。

Blog_scot_whr7
ヘレンズバラ・アッパー Helensburgh Upper 駅(2016年)
Photo by Rosser1954 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この後、線路はいくつかのロッホに沿って北上していく。冒頭でも触れたが、ロッホ Loch(下注1)はスコットランド固有の地形語で、海水が満ちる溺れ谷いわゆるシー・ロッホ sea loch と、淡水の湖 freshwater loch の両方に用いる。実際、どちらも山に挟まれた奥深い水面なので、眺めただけでは区別がつかない(下注2)。

*注1 ゲール語由来の ch [x] は本来の英語にない音のため、[k] と読まれることも多い。
*注2 日本語では区別せざるをえないので、本稿では湖と湾を使い分ける。

最初に見えてくるのがゲア湾 Gare Loch だ。線路は市街地を避け、標高50mを超える斜面を走るので、眺めがいい。尾根を越えると、今度はロング湾 Loch Long の山腹を上る。水面との標高差はすでに100~150mにもなっているが、育った樹林に遮られて意外に視界は開けない。

Blog_scot_whr8
ロング湾湾頭、アロッハー村の眺め
線路は、対岸の山腹に帯状に延びる樹林帯を通っている(2011年)
Photo by jim walton at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_scot_whr9
同じ方向を描いた1890年代の絵葉書
Image at wikimedia.
 

アロッハー・アンド・ターベット Arrochar and Tarbet 駅でまた鞍部を越えて、スコットランド最大面積のローモンド湖 Loch Lomond 側に移る。有名な民謡に合わせるかのように、線路は高みの道を取っていくが、相変わらず森が続くため、愛すべき岸辺を拝めるチャンスはわずかだろう。

アードルイ Ardlui が湖頭(最奥部)で、あとは乾いた谷グレン・ファロッホ Glen Falloch を遡る。グラスゴーから約1時間50分で、オーバン支線が分岐するクリーアンラリッヒ Crianlarich に到着だ。

Blog_scot_whr10
クリーアンラリッヒ駅(2017年)
Photo by Rosser1954 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

先述のようにウェスト・ハイランド線がこの地に達したのは、旧 オーバン線(1873年)より21年も遅い(下注)。そのため、当駅の北で旧 オーバン線の上をまたぐ構造になっているが、上述のように開通の3年後、旧 オーバン線との間に連絡線が造られた。現在のオーバン支線はこの線路を利用している。

*注 オーバン線のクリーアンラリッヒ駅は現駅の300m北東にあり、国有化後、オーバン線東部区間廃止までの間、区別のためにウェスト・ハイランド線の駅名が「クリーアンラリッヒ・アッパー Crianlarich Upper」、オーバン線は「同 ロウワー Lower」に改称されていた。

Blog_scot_whr_map4
クリーアンラリッヒ~タインドラム間の2路線並行
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 53 Loch Lomond 1956年版, 47 Glencoe 1954年版
reproduced with the permission of the National Library of Scotland https://maps.nls.uk/

 

当駅で列車が分割され、先頭側のオーバン行きが先に発車した。6分後、マレーグ行きも駅を発ち、オーバン支線と並行する形で、ストラス・フィラン Strath Fillan の東斜面をゆっくり上っていく。次のアッパー・タインドラム Upper Tyndrum では、まだオーバン支線のタインドラム・ローワー Tyndrum Lower 駅との間が1kmも開いていないが、高度差はすでに40~50mに達している。

タインドラム北方の峠を越えると、急な下り坂になる。途中に車窓名物の一つであるオメガループと高架橋があり、U字谷を左回りに迂回しながら降りていく。

Blog_scot_whr_map5
オメガループのあるタインドラム~ブリッジ・オヴ・オーキー間
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 47 Glencoe 1954年版
reproduced with the permission of the National Library of Scotland https://maps.nls.uk/

 

次の駅ブリッジ・オヴ・オーヒー Bridge of Orchy を出た列車を待っているのが、イギリス鉄道網で最長のリモート(人里離れた)区間だ。タロッホ Tulloch 駅の手前まで、約50kmにわたり人家どころか並行する道路もない。一帯は、湿原や大小の湖が点在する広大な原野ラノッホ・ムーア Ranoch Moor で、鉄道の建設工事では湿地特有の不安定な地盤に苦しめられた。

列車は文字通りの孤独な旅を続けるが、中間に駅が二つある。一つ目のラノッホ Rannoch 駅前には、東から地方道B846号線が達していて、湿原のトレッキングに向かう人、戻ってきた人の乗降がある。

Blog_scot_whr11
ラノッホ駅(2010年)
Photo by Paul Hermans at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次のコラー Corrour 駅は周囲10km以内に公道がなく、列車のほかに訪れる手段がない。かつては公衆電話もなく、隣駅の信号場につながる鉄道電話が唯一の連絡手段だったという場所だ。おそらくイギリスきっての秘境駅なのだが、ここもトレッキングやマンロー・バギング Munro-bagging の拠点になっているため、宿泊施設と食堂が併設されている。

*注 マンロー・バギングとは、日本の百名山登山のように、スコットランドの3000フィート(914m)を超える山(マンロー Munro と呼ばれ、282座ある)を登る活動。

Blog_scot_whr12
秘境駅コラー(2009年)
Photo by steflas at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

コラーはまた、標高1347フィート(410m)で、登山鉄道は別としてイギリスの鉄道網で最も高所にある駅だ。この後、線路は下り勾配になり、トレイグ湖 Loch Treig の湖面を左手に見下ろしながら、山の斜面を谷底までゆっくりと降りていく。湖は1930年代に堰堤が築かれ、水力発電用の貯水池とされた。他の湖と違って、湖岸に地肌の露出が見られることがあるのはそのためだ。開発に伴い、ウェスト・ハイランド線も一部水没することから、約1.5マイル(2.4km)にわたり線路が移設されている。

国道に出会うタロッホ駅からは、スピーン川が流れる谷グレン・スピーン Glen Spean に入る。初めて通る渓谷地形だ。かつてフォート・オーガスタス線が接続していたスピーン・ブリッジ Spean Bridge 駅を出ると、国道とともに広い谷間を走って、地域の中心地であるフォート・ウィリアムの頭端駅に滑り込む。クリーアンラリッヒから1時間50分、グラスゴーからは3時間40~50分の長旅だった。

Blog_scot_whr13
フォート・ウィリアム駅に入線するジャコバイト号(2015年)
海外鉄道研究会 田村公一氏提供
 

フォート・ウィリアムで進行方向が変わる。列車は今来た方向に少し戻ってから、左へ分岐する。マレーグまで残りの区間は、蒸気機関車が牽く名物観光列車、ジャコバイト号 The Jacobite で旅してみよう。続きは次回

★本ブログ内の関連記事
 ウェスト・ハイランド線 II-ジャコバイト号の旅
 スコットランドの名物地図

2021年6月11日 (金)

ゼメリング鉄道を歩く II

前回の続きで、ゼメリング鉄道に沿って延びるハイキングトレール「バーンヴァンダーヴェーク Bahnwanderweg(鉄道自然歩道の意)」の中盤から先へ話を進めよう。

20シリング・ブリック

ドッペルライター展望台 Doppelreiterwarte から、林の中の小道をほぼ水平にたどること約600m、ヴォルフスベルクコーゲル Wolfsbergkogel(標高961m)から延びる尾根を回る地点で道幅が少し広くなっている。ベンチが置かれ、休憩している人もいる。

ここで後ろを振り向くと、斜面の上方に木製のデッキが目に入るだろう。これがいわゆる「20シリング・ブリック 20-Schilling-Blick(20シリングの眺めの意)」の展望台で、トレールから小道で上れる。

Blog_semmering41
20シリング・ブリック展望台
 

20シリング・ブリックの名は、1968年から1989年まで発行されたオーストリアの20シリング紙幣の裏面に、ここから望む風景が採用されたことに由来する(下注)。絵柄の主役は、白い断崖ポレロスヴァントと、2層建てのカルテ・リンネ高架橋だ。後ろには、東部アルプスの一角をなすラックス Rax のずっしりとした山塊が横たわっている。

*注 紙幣の表面には、カール・フォン・ゲーガの肖像が使われた。

描かれた当時に比べて、現在は手前の森の木々が成長し、高架橋の下層をほとんど覆い隠してしまったが、それでもなおオーストリアを代表する絶景の一つに違いない。

Blog_semmering42
20シリング紙幣裏面(1968~1989年)
展望台の案内板を撮影
Blog_semmering43
紙幣に採用された構図
カルテ・リンネ高架橋を特急列車が通過中
 

トリミングされた紙幣の絵柄に比べて、実景の画角ははるかに広い。さきほどドッペルライター展望台で見たヴァインツェッテルヴァントの覆道から左側の景色がすべて目に入る。さらにカルテ・リンネ高架橋を渡り終えた列車が、山陰を回って、左の森の隙間から現れるというおまけつきだ。残念ながらここも周りの木が育って、写真に撮れるほどきれいには見えないが、鉄道が谷を大きく巻いて高度を稼いでいることがわかる。

Blog_semmering44
左がカルテ・リンネ、右はクラウゼルクラウゼ高架橋
ポレロスヴァントの断崖の背後はラックス山地
20シリング・ブリックからやや南方のトレールで撮影
Blog_semmering45
高架橋を渡り終えた列車は手前の森に
 

ÖBBの特急列車の車体は、深紅一色だ。カミーユ・コローの絵のように、青、緑、灰色が主体の自然景観の中で、格好のアクセントカラーになる。ただし近年は、それと交互にプラハ~ウィーン~グラーツ間で運行されている青ずくめのČD(チェコ国鉄)所属車も来るから、要注意だ。名画の風景を脳裏に刻んだら、名残惜しいが先へ進もう。

Blog_semmering_map4
ゼメリング~ブライテンシュタイン間の
ハイキングトレールのルート詳細
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY SA
 

アドリッツグラーベン高架橋

トレールはこのあと、アドリッツグラーベン高架橋を経由する。途中、山道から車道に出てまた山道に戻るなど、順路はやや複雑だが、黄色の標識の「ブライテンシュタイン駅 Bahnhof Breitenstein」が指す方向に進めば間違いない。

鉄道のヴェーバーコーゲルトンネル Weberkogel-Tunnel(長さ407m)のポータルの上を通り、坂を降りていくと、優美な弧を描くアーチ橋が見えてくる。アドリッツグラーベン高架橋 Adlitzgraben-Viadukt(下注)は長さ151m、高さ24m。1層アーチとはいえ、長さではゼメリング鉄道で第3位の規模をもつ。

*注 高架橋は、フライシュマン高架橋 Fleischmannviadukt とも呼ばれる。

展望台から遠望するのとは違い、目の前にある橋脚は想像以上に重厚、それでいてアーチの造りは繊細だ。橋の下の芝生には、建設工事で使われた作業員小屋やトロッコが復元されている。

Blog_semmering46
アドリッツグラーベン高架橋
Blog_semmering47
山の斜面を行くトレールからの眺め
Blog_semmering48
建設当時の小屋やトロッコを復元展示
 

次のポイントはいよいよカルテ・リンネ高架橋だが、ここからの経路は二通りある。一つはこのトレール本来のルートである山道経由だ。高架橋をくぐった後、線路の山側を進むのだが、ローテ・ベルク Rote Berg の険しい斜面を伝っていくため、登山道並みに狭く、アップダウンも激しい。

体の消耗を避けたければ代替ルートとして、谷底の車道(ゼメリング街道 Semmeringstraße)経由がある。車道といっても、田舎道なので通行量は少なく、歩くのに問題はない。もちろん、前者の経路にも努力に見合う特典はあり、距離が若干短いことと、アドリッツグラーベン高架橋を俯瞰する撮影地に出会えることだ。

Blog_semmering49
ローテ・ベルクの山道を進む
 

カルテ・リンネ高架橋

カルテ・リンネ Kalte Rinne は、寒い(冷たい)谷間を意味する。深く切れ込んだ谷底で日照時間が少なく、作物の実りが悪かったことに由来するという。狭い谷幅は橋を架けるには逆に好都合だが、山の中腹から出てくる線路を通すために、橋面がかなりの高さになるのは必定だった。

カルテ・リンネ高架橋 Kalte-Rinne-Viadukt は長さこそ184mで、パイエルバッハ・ライヘナウ駅の上手にあるシュヴァルツァタール高架橋 Schwarzatal-Viadukt(長さ228m)に次いで区間第2位だが、2層アーチ構造の全高は46mで最も高い。

Blog_semmering50
カルテ・リンネ高架橋は巨大な構造物
 

先刻アドリッツグラーベンの橋の重厚さに感心したばかりだが、カルテ・リンネ高架橋はそれをはるかに上回る巨大な構造物だ。下層は、径間12.6mの石造アーチ5個で、谷底の部分をカバーする。上層は径間14.5mの煉瓦積み、漆喰張りのアーチが10個連なる。下層の橋脚の太さは、まるで城壁だ。上層の橋脚はいくぶんスマートで、軽やかに上空に伸びている。

小川を渡る木橋が架けられ、車道から高架橋の下の草むした空地まで行ける。列車が通過すると、重低音が谷間にこだまする。列車の走行シーンを撮りたいところだが、高架橋は見上げる高さで、かつ欄干もある。少々距離を置いた程度では車両の上半分しか見えず、まともに撮影しようとすれば、橋の高さまで上る必要がある。

Blog_semmering51
下層の橋脚はまるで城壁
Blog_semmering52
通過する列車は上半分しか見えない
 

山道経由で来た場合は、高架橋のたもとにあるゲーガ博物館 Ghega Museum(下注)を通過する 。博物館前のテーブルが置かれたテラスの位置は、橋面より少し高く、背景に断崖を入れて、橋を渡る列車の構図が得られる。また、博物館の上手にもささやかなお立ち台が設けられている。下層が隠れるのは惜しいが、カントのついた曲線路をこちらに向かってくる列車には迫力がある。

*注 谷底の車道経由で来た場合は、高架橋をくぐり少し上ったところで、ゲーガ博物館へ通じる急坂が分岐している。

Blog_semmering53
ゲーガ博物館前から見る高架橋と断崖
 

ちなみに、ゲーガ博物館は2012年の開設で、ゲーガとその協力者の生涯と業績を知るための資料を多数展示している。建物自体は、かつての線路監視所 Streckenwärterhaus を改築したものだ。無人の山間部を通過するゼメリング鉄道には開通当初、見通しが利く間隔でこうした施設が設けられ、監視員が常駐していた。切妻屋根、荒石積み2階建ての同じような建物は、今も沿線に点々と残っていて、列車からも見える。

Blog_semmering54
ゲーガ博物館
(左)線路監視所を改築した建物
(右)所狭しと並ぶ展示品
Blog_semmering55
カルテ・リンネ高架橋のレイアウト
ゼメリング駅のものより出来がいい
 

クラウゼルクラウゼ高架橋

ゼメリング駅から坂を下ってきた列車は、カルテ・リンネ高架橋を渡るとすぐに、ポレロストンネルに突っ込む。次に姿を現すのは、クラウゼルクラウゼ高架橋 Krauselklause-Viadukt の上だ。この高架橋も同じく2層構造で、下層は3つ、上層は6つのアーチで構成される。沢をまたぐ橋のため、長さは87mに過ぎないが、高さは36mと区間中第4位だ。

トレールは車道(といっても田舎道)を通っていて、川の流れに沿う緩やかな下り坂だ。その途中で左上にこの高架橋が見える。谷底から仰ぐ風景は一幅の絵で、のしかかるようなポレロスヴァントの荒々しい岩肌に、滑らかな人工のアーチがきりっと映える。しかしここも、通る列車が上半分見えればいい方だ。

Blog_semmering56
ポレロスヴァントの中腹に架かるクラウゼルクラウゼ高架橋
Blog_semmering57
カルテ・リンネと同じ2層構造
 

それで、車道とは別に、線路の高さまで上る別ルートが開かれている。先述のカルテ・リンネ高架橋の下で、草生した空地から右斜め前に上っていく林道がそれだ。

これをたどると、まず、ポレロストンネルの建設工事で使われた水平作業坑の入口がある(下注)。なおも崖際を進めば、クラウゼルクラウゼ高架橋のたもとに出ることができるのだ。案内標識はないが、お立ち台よろしくベンチが1脚置かれていたから、一応パブリックルートなのだろう。

*注 内部も途中まで見学可能。人感センサーで照明がつくので一瞬びっくりする。

Blog_semmering58
(左)ポレロストンネルの水平作業坑
(右)素掘りの坑内に列車の走行音が轟く
 

ここからは線路と同じレベルで、橋向こうの断崖シュピースヴァント Spießwand と、そこに開けられた長さ14mのクラウゼルトンネル Krausel-Tunnel から出てくる列車を捉えられる。小道はこのあと高架橋の下へもぐりこみ、急坂で谷底まで降りて、車道に合流する。

Blog_semmering59
クラウゼルクラウゼ高架橋のたもとで撮影
右下に見える道が本来のトレールルート
Blog_semmering60
正面奥は区間最短のクラウゼルトンネル
 

ブライテンシュタイン駅

クラウゼルクラウゼ高架橋を過ぎれば、いよいよ最終区間だ。車道を500mほど下ったところに、アドリッツグラーベンの小集落があり、ゼメリング峠から降りてきた車道、すなわち先述の、アドリッツグラーベン高架橋から谷底経由で来る場合の車道と出会う。

トレールはブライテンシュタイン駅に向かっているが、ここは谷底、駅は崖上に広がる緩斜面の上だ。標高差は約80mある。車ならヘアピンカーブの道(ハウプトシュトラーセ Hauptstraße で上るのだが、トレールは橋のたもとで車道から分かれる。村人が駅へ行くときに使う近道があるのだ。森の中をジグザグに上っていく山道で、急勾配だが、距離は確かに短い。

Blog_semmering61
(左)アドリッツグラーベンの小集落
  背景の崖はヴァインツェッテルヴァント
(右)ブライテンシュタイン駅への近道
 

とはいえ、登山に慣れている人は別として、ゼメリングから延々歩いてきた後のこの坂は、脚にこたえる。疲れた脚をいたわるためにも、駅の坂下にある列車の発着案内モニターは、しっかり確認する必要がある。

ブライテンシュタイン駅は、上下線の間に待避線をはさむ3線構造なのだが、上下ホーム間を直接行き来する連絡通路がないのだ。通過列車が多く、当然ながら線路横断は厳禁だから、ホームを間違えると、駅構内西方の地下道を通って結構な距離を移動しなければならない。

Blog_semmering62
ブライテンシュタイン駅
 

わざわざプラットホームの話を持ち出したのは、ウィーン方面行きの列車が、山側すなわち進行方向左側の2番線に発着するからだ。日本では当たり前だが、オーストリアの鉄道は、ドイツや東欧諸国と同じく原則右側通行なので、間違いやすい。南部本線の左側通行は、開通当初からだ(下注)。

*注 複線での運用は左側通行だが、保線作業などで片方の線路を閉鎖するときは、残りの単線で双方向運転を行う(双単線方式)。そのための渡り線が随所に設けられている。

2012年に西部本線ザルツブルク方面からの列車乗り入れが開始されたのに伴い、ウィーン~パイエルバッハ・ライヘナウ間は右側通行に変更されたが、パイエルバッハ以南は、ゼメリング鉄道区間を含めて今なお左を走っている(下注)。

*注 ゼメリング基底トンネルは、右側通行で計画されている。

ブライテンシュタインの駅舎内にも、ゼメリング鉄道関連の資料展示がある。世界遺産登録を記念して、各自治体がこうした取り組みを行っているようだ。帰りの列車を待つ間に眺めておこう。

Blog_semmering63
駅舎内の資料展示の一部

鉄道史上特筆すべき路線とはいえ、ゼメリング鉄道は、高度化が進む現代の鉄道輸送網の中で、明らかに隘路と認識されている。急曲線と急勾配の連続で、旅客列車は高速化がかなわず、貨物列車は牽引定数が制限される。古い構造物が多く、維持保守にもコストがかかる。

オーストリアでは、すでにウィーン~リンツ間やインスブルック周辺(ブレンナールート)などで高速線の整備が進んでおり、ゼメリングも20世紀半ば以降、峠道を避けた長大トンネルの計画案が練られてきた。

実際に2012年春から、グログニッツ~ミュルツツーシュラーク間で、長さ27.3kmのゼメリング基底トンネル Semmering-Basistunnel を経由する新線の建設が行われている。2019年に発生した落盤事故の影響で工期の遅延が生じてはいるものの、今のところ2027年完成の予定だ。並行する単線トンネル2本で構成され、設計速度は230km/h、これにより旅客列車の所要時間は、現在の45分から1/3の約15分にまで短縮されるという。

Blog_semmering64
ゼメリング基底トンネルの計画ルート
東口と西口の標高差が239mあるため、蛇行ルートで高度を稼ぐ
最大勾配は8.4‰
Image at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

現在のゼメリング鉄道は存続の見込みだが、同じように基底トンネルが開通したスイスのゴットハルト線 Gotthardbahn やレッチュベルク線 Lötschbergbahn のように、優等列車や貨物列車が消えて、ローカル旅客主体の寂しいダイヤになってしまうに違いない。幹線らしい活気ある姿を記憶にとどめたいとお考えの方は、早めのお出かけをお勧めする。

なお、本稿で紹介したトレールルートは変更されたり、悪天候や災害により通行できなくなる場合もありうる。現地の最新情報を確認の上で利用されたい。

本稿は、コンターサークルs『等高線s』No.16(2020年)に掲載した同名の記事に、写真と地図を追加したものである。
現地写真は2018年9月および2019年6月に撮影。

■参考サイト
ゼメリング鉄道(公式情報サイト) http://www.semmeringbahn.at/
ゲーガ博物館 http://www.ghega-museum.at/

★本ブログ内の関連記事
 ゼメリング鉄道を歩く I
 ゼメリング鉄道はなぜアルプスを越えなければならなかったのか

2021年6月 9日 (水)

ゼメリング鉄道を歩く I

名所のイメージにあやかった観光用のキャッチフレーズをしばしば見かける。日本アルプスや小京都などは早くから定着しているし、欧米でも同じように、「何とかのスイス」「何とかのリヴィエラ」など、旅心をくすぐる言い回しがある。

鉄道の世界ではかつて「ゼメリング」もそうだった。19世紀のドイツ語圏でゼメリングは、粘着運転で山を上る鉄道の代名詞とみなされていた。たとえばザクセンのゼメリング sächsische Semmering、プラハのゼメリング Prager Semmering(下注)など、小規模ながら同じような性格をもつ路線が、いくつもこの山岳鉄道にたとえられた。

*注 ザクセンのゼメリングはドレスデン近郊にあるヴィントベルク鉄道 Windbergbahn、プラハのゼメリングはプラハ・スミーホフ=ホスティヴィツェ線 Bahnstrecke Praha-Smíchov – Hostivice の別名。

Blog_semmering11
ゼメリング鉄道の象徴ポレロスヴァントの断崖を縫う特急列車
 
Blog_semmering_map1

モデルとなった本家のゼメリング鉄道 Semmeringbahn(下注)は、オーストリアにある。独立した路線ではなく、ウィーン Wien からグラーツ Graz やクラーゲンフルト Klagenfurt、さらにはイタリア、スロベニアに通じるオーストリア連邦鉄道 ÖBB の国際幹線「南部本線 Südbahn」の一部区間だ。

*注 ユネスコ公式サイトの表記に従って「ゼメリング鉄道」と記すが、Semmering の現地での発音は「セマリン」と聞こえる。

具体的にはグログニッツ Gloggnitz ~ミュルツツーシュラーク Mürzzuschlag 間41.8kmを指し、複線電化されてはいるものの、最大勾配28‰、最小曲線半径190mという厳しい線形で、東部アルプスのゼメリング峠を越えていく。麓とサミットの高度差は459mに及ぶ。

Blog_semmering_map2
ゼメリング鉄道周辺図
 

山岳地形に対応させるために、ルートには、上下2本のサミットトンネル(新・旧ゼメリングトンネル)などトンネル15本と、2層建て4本を含む主要な高架橋16本の建設が必要とされた。並行して、急勾配を上ることのできる強力な蒸気機関車の開発が、設計コンペにより進められた。

開通は1854年。ヨーロッパ初の本格的な山岳鉄道であり、土木工学と機械工学の両面で鉄道技術の発展に寄与したことが評価され、1998年にゼメリング鉄道は、鉄道分野で初めてユネスコ世界遺産に登録されている。

Blog_semmering12
ゼメリング駅にある世界遺産登録の記念プレート
Blog_semmering13
(左)トレールに沿って案内板が設置されている
(右)一部を拡大
 

全長41kmのうち、見どころは峠の東側(ウィーン側)に凝縮されている。駅でいえば、パイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau からゼメリングまでの間だ。列車はカーブだらけのルートを、シュヴァルツァ川 Schwarza の谷底から峠の直下までじりじりと上り詰めていく。車窓を流れる景色からでも山岳鉄道の雰囲気は味わえるとはいえ、窓が開かない最近の車両では、特色ある高架橋のような足もとの構造物はほとんど視界に入ってこない。

幸い現地には、線路に沿って山野を行くハイキングトレール「バーンヴァンダーヴェーク Bahnwanderweg(鉄道自然歩道の意)」が延びている。歩いてみれば、鉄道がどれほど険しい地形を貫こうとしたかがわかるだろう。未知の難題に果敢に挑戦し、克服した19世紀の技術者の心意気も、より深く感じ取れるに違いない。

Blog_semmering14
パイエルバッハ・ライヘナウ駅を通過する貨物列車
Blog_semmering15
区間最長のシュヴァルツァタール高架橋 Schwarzatal-Viaduct
Blog_semmering16
区間最大のカルテ・リンネ高架橋 Kalte-Rinne-Viaduct

出発点ゼメリング駅

2018年6月の晴れた日、この道を歩く機会があった。スタート地点はゼメリング駅 Bahnhof Semmering にした。見どころ区間の終点であるパイエルバッハまで21.3kmの道のり(下注)だが、途中で撮り鉄もするから、とてもそこまで行けそうにない。本日のゴールは、ゼメリングから二つ目のブライテンシュタイン駅になるだろう。歩く距離は9.5kmに短縮されるものの、アップダウンが激しいので、これでもたっぷり3~4時間(撮り鉄の時間は別)は見ておく必要がある。

*注 Wieneralpen in Niederösterreich のリーフレット "Bahnwandern im UNESCO Weltkulturerbe Semmeringeisenbahn" によるトレールの実長。なお、バーンヴァンダーヴェークはゼメリング鉄道全線をカバーしており、全長46km。

Blog_semmering17
(左)ČD(チェコ国鉄)所属のレールジェットでセメリング駅に降り立つ
(右)新ゼメリングトンネル(西行き)がホームから見える
Blog_semmering_map4
ゼメリング~ブライテンシュタイン間の
ハイキングトレールのルート詳細
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY SA
 

ゼメリング駅は標高896mの高地にある。サミットトンネルを目前にした、まさに峠の駅だ。そのうえここは、山岳鉄道を知る手がかりが集積された場所でもある。ホームに降り立ってまず目につくのは、鉄道の生みの親であるカール・フォン・ゲーガ Karl von Ghega(1802~1860)(下注)の立派な記念碑だ。

*注 ゲーガはその功績を称えられて1851年に騎士 Ritter(=貴族階級)に列せられたので、正式にはカール・リッター・フォン・ゲーガ Karl Ritter von Ghega と称する。

Blog_semmering18
ゲーガ記念碑
 

山を越えるにはラック式鉄道かケーブルカーのような特殊鉄道しか方法がないと考えられていた1840年代、彼はイギリスとアメリカに赴いて先進例を調査し、粘着式鉄道(車輪とレールの摩擦力に頼る通常の鉄道)の可能性を確信した。

ゲーガの作成した計画は6年の工期を経て実現される。もし特殊鉄道で造られていたなら、輸送能力の低さから、たちまち大改修か別線の建設が必要になっただろう。それに対してゼメリング鉄道は、そのままの位置で160年以上も持ちこたえている。

記念碑の隣にはクリームとブルーに塗られた車両が置かれているが、もちろんゲーガの時代のものではない。1938年製のもと制御車で、戦後の車両不足を補うために1951年に動力化された気動車(車両番号5144 001-4)だ。南部本線で急行列車やローカル輸送に従事した縁で、1991年の引退後ここに移され、ゼメリング自治体の資産として静態保存されている。

Blog_semmering19
静態保存されている5144系気動車
 

外の観察を終えたら、駅舎に入ろう。旅客駅としてはとうに無人化され(下注)、待合室に乗車券と飲料の自販機があるだけだ。しかし、世界遺産登録を機会に、駅舎内にインフォメーションセンター 兼 博物館が整備された。5月から10月の毎日9~15時の間、開館している。

ゼメリング鉄道に関するさまざまな資料が公開されているが、高架橋を模した鉄道レイアウトや沿線のスケッチなど、ドイツ語を知らなくても楽しめる展示も多く、トレール歩きの期待感を高めてくれる。

*注 旅客サービスは行っていないが、棟続きにÖBBの運行管理センターがある。

Blog_semmering20
駅舎内のゼメリング鉄道博物館
Blog_semmering21
館内の展示
(左)カルテ・リンネ高架橋の線路敷設を描いた石版画と、測量用の経緯儀(セオドライト)
(右)同 高架橋を模したレイアウト
 

バーンヴァンダーヴェーク(鉄道自然歩道)

訪問記念に絵葉書を数枚購入して、駅舎を出た。インフォメーション係のご婦人の、展望台へ行くなら黄色の標識に従って、というアドバイスのとおり、駅前広場の擁壁ぎわにさっそくトレールの方向を示す標識が立っていた。

まず目指すポイントはドッペルライター展望台 Doppelreiterwarte(下注)だが、広場から坂を上がったところに、紛らわしい分かれ道があるので要注意だ。線路のすぐ山側を並行する小道に出ることができれば、後は一本道になる。

*注 案内標識には Doppelreiteraussichtswarte(Aussicht は見晴らし、Warte は望楼、物見台の意)と表記されている。

Blog_semmering22
(左)トレールの案内標識
(右)バーンヴァンダーヴェークの道標
 

ゼメリング鉄道を含む南部本線は、首都ウィーンとグラーツやクラーゲンフルトなど南西部の主要都市を結ぶ幹線で、運行頻度はかなり高い。特急列車のレールジェット Railjet が30~60分ごとに行き交うし、長い貨物列車もしばしば通る。トレールを歩いている間にも遠くからごうごうと走行音が響いてきて、カメラを構えるチャンスがたびたびあった。

Blog_semmering23
自然歩道の横を通過する列車
(左)ÖBB(オーストリア連邦鉄道)所属のレールジェット
(右)機関車4重連の回送運転
 

蒸気列車を象った遊具のある広場「ゼメリング子どもの駅 Kinderbahnhof Semmering」を過ぎると、トレールは線路の下に潜り、谷側に場所を移す。沢を渡るために上り下りした後、山脚を回って、鉄道のヴォルフスベルクコーゲル停留所 Haltestelle Wolfsbergkogel の横に出る。駅とは違い、停留所は列車交換や追い抜きをする待避線を持たないので、ここも上下線の旅客ホームだけの簡素な構造だ。周辺には、庭付き一戸建てが点在している。

Blog_semmering24
ヴォルフスベルクコーゲル停留所
(左)西方向(右)東方向
 

夏も涼しいゼメリングは、鉄道開通後しばらくすると、保養地として注目されるようになった。きっかけを作ったのは当時、鉄道を運営していた帝国勅許南部鉄道会社 k.k. priv. Südbahn-Gesellschaft だ。1882年に、ゼメリング駅から1.3kmの見晴らしの地に南部鉄道ホテル Südbahnhotel が開業し、その後350室を擁する大規模なリゾート施設に拡張された。これを追って1910年代までに、一帯にしゃれたヴィラや豪華なホテルが建ち並んだ。

ゼメリングは、こうして裕福なウィーン市民の夏の社交場としてもてはやされた。第一次世界大戦後は、不況も手伝ってブームは下火になるが、盛時を彷彿とさせる豪壮な建物が今も随所に残されている。トレールはその一つ、クーアハウス・ゼメリング Kurhaus Semmering の建物前を通って、再び林の中へ入っていく。

Blog_semmering25
山腹に建ち並ぶホテルや別荘群
右端が南部鉄道ホテル
Blog_semmering26
測候塔からの眺望
左手前が南部鉄道ホテル、中央奥がクーアハウス・ゼメリング
背景左はラックス Rax、右はシュネーベルク Schneeberg の山塊
Blog_semmering27
(左)ホッホシュトラーセ Hochstraße 沿道の休憩所
(右)南部鉄道ホテルの測候塔 Wetterstation
Blog_semmering28
ゼメリング峠(パスヘーエ Passhöhe)のバス停
 

ドッペルライター展望台

軽い上り坂を300mほど歩いたところで、目の前に木骨組みの塔が現れた。ドッペルライター展望台だ。少々華奢な木の階段だが、臆せずデッキに上がれば、すばらしい眺望が待っている。

Blog_semmering29
ドッペルライター展望台
 

アドリッツグラーベンバッハ川の峡谷を隔てて北の方角に見えるのが、クロイツベルク Kreuzberg からアイヒベルク Eichberg にかけてのなだらかな山稜だ。その山腹を縫うようにして、ゼメリング鉄道が通っている。視界の右端はクラム Klamm の村と教会で、ここにも線路があるはずだが、森の陰で見えない。

右から正面にかけては、石灰岩の断崖絶壁が連なる。プフェッファーヴァント Pfefferwand とヴァインツェッテルヴァント Weinzettelwand(Wand は絶壁の意)の名で、盾さながらにそびえ立っている。

その崖と森の境目に、数個のアーチを連ねた箱状の構造物がはまっているのが見えるだろう。落石から線路を保護するための覆道(ギャラリー)だ。線路は、断崖の中を長さ688mのヴァインツェッテルヴァントトンネル Weinzettelwand-Tunnel で通り抜けているが、実際は、中間2か所で外に露出しており、そこが覆道になっている。

Blog_semmering30
ヴァインツェッテルヴァントを通り抜ける貨物列車
 

トンネル出口から顔を出した列車は、すぐ左のヴァインツェッテルフェルトトンネル Weinzettelfeld-Tunnel(長さ239m)に入り、次いでブライテンシュタイン Breitenstein の集落に現れる。ここに今日のゴールとなるはずの、同名の駅がある。列車が構内をゆっくりと通過するようすは、まるで鉄道模型だ。

Blog_semmering31
ブライテンシュタイン駅を通過する貨物列車
機関車の左の2階建が駅舎
 

左のほうへ目を移すと、ポレロスヴァント Polleroswand の切り立った断崖に目を奪われる。縦に深く走る節理が生々しい。崖の手前に見える鉄道トンネルは、ゼメリング鉄道で最も短い長さ14mのクラウゼルトンネル Krausel-Tunnel だ。線路はさらにクラウゼルクラウゼ高架橋 Krauselklause-Viadukt を介して、ポレロストンネル Polleros-Tunnel(長さ337m)へと続く。

Blog_semmering32
ドッペルライター展望台から北方向のパノラマ
 

ほれぼれするようなパノラマだが、しかし何かが欠けている。そう、最も有名なカルテ・リンネ高架橋が、山陰に隠れてしまうのだ。それを見るには、標識に従ってトレールをもう少し先へ進む必要がある。

続きは次回に。

本稿は、コンターサークルs『等高線s』No.16(2020年)に掲載した同名の記事に、写真と地図を追加したものである。
現地写真の撮影時期は2018年9月および2019年6月。

★本ブログ内の関連記事
 ゼメリング鉄道を歩く II
 ゼメリング鉄道はなぜアルプスを越えなければならなかったのか
 オーストリアの狭軌鉄道-ヘレンタール鉄道

« 2021年5月 | トップページ | 2021年7月 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

BLOG PARTS

無料ブログはココログ