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2021年1月 4日 (月)

御即位記念1:10,000地形図「京都」

天皇の代が替わり、元号が改まるごとに、国土地理院は1:10,000の縮尺で記念地図を製作してきた。平成の初めには、皇居を図郭の中心に置いた「東京中心部」の日本語版と英語版が作られ、即位の礼当日の1990(平成2)年11月12日に発行された。令和でも、ほぼ同じ図郭、同じ体裁で今上天皇の即位礼(2019(令和元)年10月22日)に合わせて発行された。

時代を遡れば大正および昭和初期にも、参謀本部陸地測量部が製作した同じ趣旨の記念地図が存在する。ただし、描かれた土地は、後の2期とは異なり、京都の市街地とその周辺だ。即位礼が当時、京都御所で執り行われたことにちなむものだという。

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大正御即位記念地図
1:10,000「京都近傍図」東北部(縮小画像)
 

しかしこの京都図は刊行から約100年が経過しており、今では目にする機会がほとんどない(下注1)。それどころか、国土地理院にも現物が残されていないと聞く。それがこのたびの改元を機に、個人コレクションから写真復刻され、桐箱入り四代記念地図一式の形で日本地図センターから発売された(下注2)。地図関連の企画展などにも展示されて、ようやく内容が知れ渡るようになった。

*注1 2000年代にジュンク堂書店が大正版を写真復刻したことがある。
*注2 桐箱入りはめっぽう高価なため、GeoTIFF形式の画像データを収めたDVD版(税別3000円)も発売されている。

今回は、この御即位記念1:10,000地形図「京都」2種を概観してみたい。

大正版、昭和版とも見た目はよく似ている。適用図式が異なるものの(下注)、昭和版は大正版をベースにして作られたからだ。

*注 大正版は明治42年図式、昭和版は大正6年図式による。

両者とも市街を縦横各2分割してあり、東北部、東南部、西北部、西南部の4面(下注)で1セットだ。西南部図幅には「一般図」の名で広域図がインセットされている。図郭寸法は横45.5cm×縦76cmで、4面貼り合わせると東西9.1km×南北15.2kmの範囲をカバーする【図2】。図枠には大正版が「京都近傍図」、昭和版は「京都近郊」のヘッダーがつき、それぞれ1915(大正4)年10月10日と1928(昭和3)年9月10日の刊行日が記載されている。

*注 分割位置は、1:25,000地形図などの汎用図(北緯35度、東経135度45分)と異なる。

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【図2】一般図(広域図)に示された4面の図郭
 

慶事の記念とあって仕様も特別だ。通常の1:10,000が主として朱・茶・緑・青・黒の5色刷(下注)であるのに対して、こちらは、朱色に代えて上品な深紅色を用いる。さらに、水田や空地・畑地には特色の面塗りを施すなど、7色の版を駆使して美麗に仕上げている。

*注 地域や製作時期によって黒1色刷、黒・青の2色刷、朱・緑・黒の3色刷、朱・茶・青・黒の4色刷のものもある。

地形表現には、標準的な10m間隔の等高線に加えて、ケバを用いる【図3】。ケバはブラシのような短線で斜面の向きや斜度を表現する方式だが、日本では1:100,000以下の小縮尺図が主で、こうした大縮尺図で採用されるのはあまり例がない。

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【図3】等高線とケバを併用した地形表現
 

このように手数をかけていることは確かなのだが、地図の精度が高いかどうかはまた別の話だ。というのも、大正版は新たな測量成果によるものではなく、既存の1:20,000地形図を基にした編集図だからだ。京都市街の正式1:20,000は1909(明治42)年に測図されており、これを2倍拡大して用いたと言われる。

もちろん大正版は1:20,000の忠実なコピーではなく、縮尺の大きさを生かして施設名や電停名などの注記が追加されている。また、1:20,000測図以降の数年間に生じた景観の変化も反映されている。気づいたものを挙げておこう。

1.京都駅前後の線路移転【図4】

1877(明治10)年に開業した東海道本線のルートと初代駅舎は今より北側にあったが、1914(大正3)年8月に現位置に移転した。初代の状況が描かれた1:20,000に対して、大正版では2代目駅舎と新線が描かれ、旧駅構内は駅前広場に、前後の線路跡は空地になっている。

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【図4】
(上)1:20,000「京都南部」明治42年測図(2倍拡大)
  初代京都駅と旧線が描かれる
(下)同じエリアの大正版では南へ移転
  参考までに旧線の位置を薄緑で加筆した
 

2.京都市電の開業【図5】

京都には1895(明治28)年以来、京都電気鉄道(京電)が運行する軌道線が存在したが、1912~13(明治45~大正2)年に、京都市三大事業の一つとして、道路拡幅と市営電車路線網の建設(第一期)が実施された。大正版にはこれが描かれている。

また、鉄道会社を色で区別していて、京電(京鐵線の注記も混在)には黒、市電(市営線の注記)には緑、嵐電には青、京阪電鉄には茶色、京津電鉄には赤を当てている。ただし、下図のとおり市電の緑が濃いため、京電との判別は難しい。なお、軌間1067mmの京電と軌間1435mの市電が重複する区間は3線軌条化されており、図上では両者の記号を交互に並べて表現している。

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【図5】
大正版を1.5倍拡大、京電線/市営線を青字で加筆
この図の範囲における重複区間は、寺町丸太町~烏丸丸太町~烏丸下立売
 

3.岡崎の博覧会施設整備【図6】

大正4(1915)年に大典記念京都博覧会が開催された。大正版には、市街東部の岡崎公園域に「大典記念博覧会場」の注記があり、竣工間もない京都市勧業館などの施設が描かれている。また、交通網では京津電鉄線(三条通の北を迂回する旧ルート、1912(大正元)年開通)や、東山通および市電東山線(1913(大正2)年)の記載がある。

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【図6】
(左)1:20,000「京都北部」明治42年測図(2倍拡大)
  岡崎公園西側はまだ空地のまま  
(右)同じエリアの大正版
  空地が勧業館などの建物で埋まる
 

4.軍用地設置に伴う道路整備【図7】

1908(明治41)年の陸軍第16師団設置に伴い、京都と伏見の旧市街の間に広大な軍用地が確保された。その東側には師団街道が建設され(1911(明治44)年竣工)、西側では竹田街道(地図の注記は大和街道)が直線化された。1:20,000でもすでに軍用地が描かれているが、竹田街道とそれに沿う京電伏見線は旧来の状態だ。大正版には直線的な新道および線路が登場する。

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【図7】
(左)1:20,000「京都南部」明治42年測図 を2倍拡大
  竹田街道(大和街道)の旧道が描かれる  
(右)大正版では直線道路となり京電線も移設
 

5.桃山陵墓地の造営と桃山駅前の整備【図8】

明治天皇の崩御で、1912(大正元)年、かつての伏見城本丸跡地に御陵が造営された。大正版には、明治天皇陵、昭憲皇太后陵(下注)とそのアクセス道路が、さらに最寄り駅となった奈良線桃山駅の北側にも並木を伴う広い駅前道路が描かれる。ちなみにこの道路は後に廃止され、現在は森に戻されている。

*注 現行地形図の注記は、伏見桃山陵、伏見桃山東陵。

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【図8】大正版には陵墓とアクセス道路、
  図左端に桃山駅と駅前道路が描かれる

では次に、昭和版を見よう。

こちらは図枠の左肩に「昭和三年測図」(昭和3年=1928年)と記されている。とはいえ、新たな測量を意味するものではなく、大正版をベースにしていることは明白だ。大正版と異なるのは、私鉄記号の会社別色分けがなくなり、土地利用の面塗りの配色が見直されたことだ。また、皇室関係施設の注記に英訳が付され【図9】、その関連でか、東北部図幅が修学院離宮を入れるために部分延伸されている。

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【図9】皇室関係の施設に英訳が付される
 

大正版とは13年の開きしかないが、この間に資料となる地図事情は大きく改善した。1922(大正11)年に京都市の1:3,000都市計画基本図が完成したからだ。1929(昭和4)年にはその修正版も出ている(下注)。修正版は京都図昭和版より後の刊行だが、両者を照合すると内容に一致点が多く、編集段階で資料が提供されたことを推測させる。

*注 1:3,000都市計画基本図は、立命館大学アート・リサーチセンター「近代京都オーバーレイマップ」で閲覧できる。
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/ModernKyoto/

高精度の資料が入手可能になったことで、たとえば大谷大学の構内、嵐電のルートなど、1:20,000図にはなく大正版編集の過程で追加された項目は、描き直されて位置がより正確になった【図10】(大谷大学は図11参照)。

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【図10】昭和版では嵐電のルートが修正されている
 (上)大正版 (下)昭和版
 

記載内容の変化を見ると、烏丸通の今出川以北や河原町通など、市街地の道路拡幅と、市電の路線網拡充が進行している【図11】。また1918年(大正7年)の京都市による京電買収に伴い、一部の並行路線が整理されたことがわかる(木屋町通、二条通など)【図12】。

東海道本線は1921(大正10)年に東山トンネルを経由する新線に切り替えられ、同時に奈良線が稲荷駅経由に変更された【図13】。さらに、京阪電鉄の五条~三条間が延伸(1915(大正4)年)【図12の右端】、出町柳を起点とする叡山電鉄が開業(1925(大正14)年)している。

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【図11】
(左)大正版では、大谷大学と師範学校を水田が取り囲む
(右)昭和版では、烏丸通と市電が開通し、周辺が市街化
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【図12】
(左)大正版では、木屋町通と二条通を京電線が走る
(右)昭和版では、河原町通と市電が開通、京電線は撤去
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【図13】
(左)大正版では、東海道本線が京都駅から南下(現 奈良線のルート)
(下)昭和版では新線が開通、今熊野の切通しを経て東山トンネルへ
 

また、大正版ではまだ一面の田園が広がっていたエリアに、碁盤の街路網と総描家屋や大規模建物の記号が進出しつつあるのが確認できる。北部の鞍馬口通以北、東部の白川周辺、山陰本線の西側、京都駅南側など旧市街周縁の多くがそうだ【図14】。

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【図14】
(左)大正版では、京都駅南側にまだ水田が多い
(右)昭和版では、工場が多数進出し市街化が進行
 

全国的に見れば、1:10,000地形図はすでに明治20年代から、各地の要塞地帯を対象に製作が進められていたが、これらは秘図で非公開だった。明治末期になると、東京をはじめとする都市部で、汎用図(市販品)としての刊行が始まり、従来の基本縮尺1:20,000(1910(明治43)年から1:25,000)では表現しきれない市街地の詳細が記録されていく。

しかし、京都市域にその網が及ぶのは昭和10年代まで待たなければならない。大正期は、周辺自治体の編入もあって京都市の人口が急増する時代だ。この2種の御即位記念地図は、市街地の拡大や近代交通網の発達など、変貌著しい京都の姿を記した貴重な図化資料と言える。

掲載の地図は、陸地測量部発行の1万分の1「京都近傍図」(大正4年10月10日発行)、同「京都近郊」(昭和3年測図)、2万分の1「京都北部」「京都南部」(いずれも明治42年測図)を使用したものである。

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