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2020年9月26日 (土)

フルカ基底トンネルとベドレットの窓

前回取り上げたレッチュベルクトンネルの他に、スイスにはもう一つ、迂回ルートをとる長大鉄道トンネルがある。それが、フルカ基底トンネル(ベーストンネル)Furka Basistunnel だ。

トンネルは、フルカ・オーバーアルプ鉄道 Furka-Oberalp-Bahn (FO) (現 マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB))の路線の一部として、1982年に開通した。長さは15.4km(下注)あり、当時、狭軌線用としては世界最長だった。

*注 トンネルの正確な長さについては15,442m(H. G. Wägli "Bahnprofil Schweiz" 2010)、15,384.67m("Der Furka Basis-tunnel" Schweizer Ingenieur und Architekt 1982)など、文献により異同がある。

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開通当日のフルカ基底トンネル
Photo from matterhorngotthardbahn.ch
 

トンネルが位置するのは、ヴァレー州のオーバーヴァルト Oberwald 駅とウーリ州のレアルプ Realp 駅の間だ。この間を結んでいた旧線は、ローヌ氷河 Rhonegletscher を間近で見られる景勝路線として知られたが、反面、アプト式ラックレールを使う険しい山越えルートでもあった。

さらに、豪雪地帯を通るため、冬が来る前に被害を受ける可能性がある鉄橋や架線を撤去する。そうして半年以上も運休し、雪が融けるのを待って設備を復元するという作業を毎年繰り返していた。基底ルートの開通で、鉄道は初めて通年運行が可能になり、ラック鉄道に比べて所要時間の画期的な短縮も実現された(下注)。

*注 旧線はいったん廃止となったが、1992年以降、順次保存鉄道として復活していった。本ブログ「フルカ山岳蒸気鉄道 II-復興の道のり」参照。

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フルカ基底トンネルと周辺の鉄道路線
赤線が MGB線
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フルカ基底トンネル東口(2013年撮影)
 

フルカ基底トンネルは、その名にもかかわらず、フルカ峠の下を通ってはいない。両ポータル(坑口)間の直線距離は12.6kmだが、南へのふくらみのせいで2割以上冗長な旅をしているのだ。トンネルを長くすれば、その分ふつうは工期が延び、工費も増える。敢えてその選択をしたのはどんな理由があるのだろうか。

最大の理由は、沿線の不安定な地質だ。MGB が通過するローヌ谷 Rhonetal、アンデルマット Andermatt のあるロイス川 Reuss 上流、そしてフォルダーライン谷 Vorderrheintal は、西南西~東北東方向の明瞭なリニアメント(地形の直線的走向)を形成している。これはローヌ=ライン溝 Rhone-Rhein-Furche と呼ばれる地質構造線だ。地下には多数の断層破砕帯が走っていることが想定され、それと並行にトンネルを掘れば、技術的に著しい困難を伴っただろう。

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ローヌ=ライン溝(図中の破線)とフルカ峠の位置
Base map by Markusp74 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

二つ目の理由は、線路勾配の問題だ。トンネルの東口に対して西口は低く、高度差が160mもある。直線ルートで中間点をサミットにした場合、西側は勾配が25‰以上になる計算だ。電気運転とはいえ、貨物列車の運行を考えれば、急勾配は望ましいものではない。ルートを延長することは、勾配の緩和につながる。

*注 建設されたトンネルの勾配は、サミットの西側が上り16.540~17.496‰、東側が下り2~3.106‰となった。

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フルカ基底トンネルの縦断面図
from Brochure "Der Furka-Basistunnel" Schweizer Ingenieur und Architekt Sonderdruck aus Heft 24/1982
 

そしてもう一つ、迂回の原因として誤解(?)されてきたのが「ベドレットの窓 Bedretto-Fenster(下注)」の存在だ。フルカ基底トンネルには、内部で南に分岐する支線トンネルがあり、ティチーノ州のベドレット谷 Val Bedretto に抜けている。それでベドレットの窓と呼ばれるのだが、地図でルートを確かめると、あたかもこれを造るために本線トンネルが曲げられたように見える。

*注 ここでは直訳で「窓」としたが、より正確には開口部を意味する。

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フルカ基底トンネルの平面図
赤の破線が「ベドレットの窓」
Photo from matterhorngotthardbahn.ch
 

しかし、ベドレットの窓の実態は、本線トンネル工事のための作業坑だ。トンネル工事では、両端から掘り進めるほかに、作業坑経由で中間部からも同時に掘削を行って、工期の短縮を図ることがある。フルカ基底トンネルの場合も、工区が三つに分割され、「窓」は中央工区(ベドレット工区)へのアクセスルートだった(上図参照)。

その断面は幅、高さとも2.7mで、本線トンネルの寸法のおよそ1/3しかなく、本線列車を通すことはできない。長さは5221mで、ほぼ直線のルートだが、坑口から4080mの地点に悪い地質を避けた迂回箇所がある。

本線の工事中は、坑内に600mm軌間(下注)の簡易軌道が敷設された。バッテリー駆動の小型機関車がトロッコを連ね、掘削土砂の搬出や建設資材の搬入に従事していた。単線のため、途中に長さ100mの側線を備えた列車交換所が5か所設けられていた。工事が終盤に入ると、列車の往来は頻度を増したが、単に掘削土砂を固めただけの路盤のために、しばしば脱線を引き起こしたという。

*注 760mm説もある。

ベドレット谷のポータルは、ヌフェネン街道 Nufenenstraße からロンコ Ronco の村へ通じる道が分岐する地点に置かれた。隣接して資材置場やコンクリート工場をもつ作業基地が造成され、簡易軌道がそこに接続していた。

1982年の本線トンネル完成に伴い、「窓」は託された役目を終えた。緊急時の避難路や保守作業の通路として活用されることもなかった。ポータルはコンクリートで封鎖する計画だったが、実際には鉄格子の門で閉じられた。

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「ベドレットの窓」ポータル
(左)頂部にトンネル完成の年を刻む
(右)砂利工場の奥で草むらに埋もれていた
(2010年撮影)
Photo by Markusp74 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

ベドレットの窓の存在により、難工事のため遅延を重ねていた本線トンネルの工期が、1年から1年半節約できたという評価がある(下注)。しかし、それを根拠に、最初から作業坑として使うために計画されたものだと言いきることはできない。実際、建設の是非については、特に費用対効果の面で計画段階からさまざまな議論があった。それは、「窓」に関係者のさまざまな思惑が絡んでいたことを示唆するものだ。

*注 "Der Furka-Basistunnel" Schweizer Ingenieur und Architekt Sonderdruck aus Heft 24/1982 p. 2

この山塊に長大トンネルを建設する構想は1950年代からある。中でも、地元ヴァレー州選出の連邦議会議員ローガー・ボンフィン Roger Bonvin は、それをさらに膨らませた形で、現 基底トンネルの西口にあるオーバーヴァルトを「アルプスの回り木戸 Alpendrehkreuz」にすることを夢見ていた。

オーバーヴァルトはヴァレー州の東端に位置し、北はグリムゼル峠でベルン州に、東はフルカ峠でウーリ州に、南はヌフェネン峠でティチーノ州につながっている。これをすべて鉄道トンネルで実現させるというのが彼の夢の最終像だった。

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オーバーヴァルト駅に停車中のレアルプ方面行き列車
(2013年撮影)
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DFB車窓から望むフルカ基底トンネル西口
(2013年撮影)
 

1970年に連邦議会に提出されたフルカ基底トンネルの計画案に、作業坑という位置づけながらベドレットの窓が明記されたのは、彼ら推進派の活動のたまものだっただろう。案には、「窓」の建設により結果的に200万フランの建設費が削減できると記されていたが、逆にその分建設費がかさむという反論も出されて、議論は紛糾した。1971年6月に建設が決定した後も、1973年6月の着工まで反対意見は根強く残った。

予算の制約を受け、「窓」は小断面で建設された。ルート上の地層は主として固いロトンド花崗岩のため、壁面は素掘りのままだ。断層帯を通過する区間も、鋼材と木組みによる補強にとどめられている。しかし、別の見方をすれば、断面の拡張が容易で、将来的な活用の可能性が排除されていないことになる。推進派もおそらくそう考えていたに違いない。

しかし、ここをアイロロ Airolo 行きの列車が走ることはついぞなかった。作業基地を転用した砂利工場の奥で長年放置されている間に、「窓」の内部では3か所で崩落が起きていた。ようやく改修の手が入り、再び通行できるようになったのは2015年のことだ。それは、本線トンネルに新しい換気システムが導入され、火災発生時に新鮮な空気を送り込むダクトを「窓」に通すことになったからだ。

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素掘りのままの「ベドレットの窓」内部
左上は換気システム用のダクト
(2019年撮影)
Photo by Pierre Granite at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

さらに2017年、ポータルから1.5kmの列車交換所だったところで、チューリヒ工科大学 ETH Zürich が研究施設を整備し始めた。このベドレット地熱エネルギー地下研究所 Bedretto Underground Laboratory for Geoenergies、略称 ベドレットラボ Bedrettolab は、地熱の安全で効率的な利用技術を研究するための施設で、2019年5月に正式にオープンした。

こうして、文字通り無用の「長物」だったベドレットの窓に、近年ようやく新たな役割が付されるようになった。推進派の当初の構想からはずいぶん遠ざかってしまったが、これはこれでアルプスの地下を貫くトンネルとしての存在価値と言えるのかもしれない。

本稿は、"Dieser gebürtige Oltner gilt als Mister Furka Basistunnel" Oltner Tagblatt, 8 August 2019、"Der Furka Basistunnel" Schweizer Ingenieur und Architekt Sonderdruck aus Heft 24/1982 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
マッターホルン・ゴットハルト鉄道 https://www.matterhorngotthardbahn.ch/
ベドレット地熱エネルギー地下研究所 http://www.bedrettolab.ethz.ch/

★本ブログ内の関連記事
 フルカ山岳蒸気鉄道 I-前身の時代
 フルカ山岳蒸気鉄道 II-復興の道のり
 フルカ山岳蒸気鉄道 III-ルートを追って
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