« 2020年8月 | トップページ | 2020年10月 »

2020年9月

2020年9月26日 (土)

フルカ基底トンネルとベドレットの窓

前回取り上げたレッチュベルクトンネルの他に、スイスにはもう一つ、迂回ルートをとる長大鉄道トンネルがある。それが、フルカ基底トンネル(ベーストンネル)Furka Basistunnel だ。

トンネルは、フルカ・オーバーアルプ鉄道 Furka-Oberalp-Bahn (FO) (現 マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB))の路線の一部として、1982年に開通した。長さは15.4km(下注)あり、当時、狭軌線用としては世界最長だった。

*注 トンネルの正確な長さについては15,442m(H. G. Wägli "Bahnprofil Schweiz" 2010)、15,384.67m("Der Furka Basis-tunnel" Schweizer Ingenieur und Architekt 1982)など、文献により異同がある。

Blog_furkabasis1
開通当日のフルカ基底トンネル
Photo from matterhorngotthardbahn.ch
 

トンネルが位置するのは、ヴァレー州のオーバーヴァルト Oberwald 駅とウーリ州のレアルプ Realp 駅の間だ。この間を結んでいた旧線は、ローヌ氷河 Rhonegletscher を間近で見られる景勝路線として知られたが、反面、アプト式ラックレールを使う険しい山越えルートでもあった。

さらに、豪雪地帯を通るため、冬が来る前に被害を受ける可能性がある鉄橋や架線を撤去する。そうして半年以上も運休し、雪が融けるのを待って設備を復元するという作業を毎年繰り返していた。基底ルートの開通で、鉄道は初めて通年運行が可能になり、ラック鉄道に比べて所要時間の画期的な短縮も実現された(下注)。

*注 旧線はいったん廃止となったが、1992年以降、順次保存鉄道として復活していった。本ブログ「フルカ山岳蒸気鉄道 II-復興の道のり」参照。

Blog_furkabasis_map2
フルカ基底トンネルと周辺の鉄道路線
赤線が MGB線
Blog_furkabasis2
フルカ基底トンネル東口(2013年撮影)
 

フルカ基底トンネルは、その名にもかかわらず、フルカ峠の下を通っていない。両ポータル(坑口)間の直線距離は12.6kmだが、南へのふくらみのせいで2割以上冗長な旅をしている。トンネルを長くすれば、その分ふつうは工期が延び、工費も増える。敢えてその選択をしたのはどんな理由があるのだろうか。

最大の理由は、沿線の不安定な地質だ。MGB が通過するローヌ谷 Rhonetal、アンデルマット Andermatt のあるロイス川 Reuss 上流、そしてフォルダーライン谷 Vorderrheintal は、西南西~東北東方向の明瞭なリニアメント(地形の直線的走向)を形成している。これはローヌ=ライン溝 Rhone-Rhein-Furche と呼ばれる地質構造線だ。地下には多数の断層破砕帯が走っていることが想定され、それと並行にトンネルを掘れば、技術的に著しい困難を伴っただろう。

Blog_furkabasis_map3
ローヌ=ライン溝(図中の破線)とフルカ峠の位置
Base map by Markusp74 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

二つ目の理由は、線路勾配の問題だ。トンネルの東口に対して西口は低く、高度差が160mもある。直線ルートで中間点をサミットにした場合、西側は勾配が25‰以上になる計算だ。電気運転とはいえ、貨物列車の運行を考えれば、急勾配は望ましいものではない。ルートを延長することは、勾配の緩和につながる。

*注 建設されたトンネルの勾配は、サミットの西側が上り16.540~17.496‰、東側が下り2~3.106‰となった。

Blog_furkabasis_map4
フルカ基底トンネルの縦断面図
from Brochure "Der Furka-Basistunnel" Schweizer Ingenieur und Architekt Sonderdruck aus Heft 24/1982
 

そしてもう一つ、迂回の原因として誤解(?)されてきたのが「ベドレットの窓 Bedretto-Fenster(下注)」の存在だ。フルカ基底トンネルには、内部で南に分岐する支線トンネルがあり、ティチーノ州のベドレット谷 Val Bedretto に抜けている。それでベドレットの窓と呼ばれるのだが、地図でルートを確かめると、あたかもこれを造るために本線トンネルが曲げられたように見える。

*注 ここでは直訳で「窓」としたが、より正確には開口部を意味する。

Blog_furkabasis_map5
フルカ基底トンネルの平面図
赤の破線が「ベドレットの窓」
Photo from matterhorngotthardbahn.ch
 

しかし、ベドレットの窓の実態は、本線トンネル工事のための作業坑だ。トンネル工事では、両端から掘り進めるほかに、作業坑経由で中間部からも同時に掘削を行って、工期の短縮を図ることがある。フルカ基底トンネルの場合も、工区が三つに分割され、「窓」は中央工区(ベドレット工区)へのアクセスルートだった(上図参照)。

その断面は幅、高さとも2.7mで、本線トンネルの寸法のおよそ1/3しかなく、本線列車を通すことはできない。長さは5221mで、ほぼ直線のルートだが、坑口から4080mの地点に悪い地質を避けた迂回箇所がある。

本線の工事中は、坑内に600mm軌間(下注)の簡易軌道が敷設された。バッテリー駆動の小型機関車がトロッコを連ね、掘削土砂の搬出や建設資材の搬入に従事していた。単線のため、途中に長さ100mの側線を備えた列車交換所が5か所設けられていた。工事が終盤に入ると、列車の往来は頻度を増したが、単に掘削土砂を固めただけの路盤のために、しばしば脱線を引き起こしたという。

*注 760mm説もある。

ベドレット谷のポータルは、ヌフェネン街道 Nufenenstraße からロンコ Ronco の村へ通じる道が分岐する地点に置かれた。隣接して資材置場やコンクリート工場をもつ作業基地が造成され、簡易軌道がそこに接続していた。

1982年の本線トンネル完成に伴い、「窓」は託された役目を終えた。緊急時の避難路や保守作業の通路として活用されることもなかった。ポータルはコンクリートで封鎖する計画だったが、実際には鉄格子の門で閉じられた。

Blog_furkabasis3
「ベドレットの窓」ポータル
(左)頂部にトンネル完成の年を刻む
(右)砂利工場の奥で草むらに埋もれていた
(2010年撮影)
Photo by Markusp74 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

ベドレットの窓の存在により、難工事のため遅延を重ねていた本線トンネルの工期が、1年から1年半節約できたという評価がある(下注)。しかしそれは、「窓」が最初から作業坑として計画されたことを意味するものではない。むしろ、その建設の是非については、特に費用対効果の面で計画段階からさまざまな議論があった。なぜなら、それが単なる作業坑とはみなされていなかったからだ。

*注 "Der Furka-Basistunnel" Schweizer Ingenieur und Architekt Sonderdruck aus Heft 24/1982 p. 2

この山塊に長大トンネルを建設する構想は1950年代からあるのだが、地元ヴァレー州選出の連邦議会議員ローガー・ボンフィン Roger Bonvin は、それをさらに膨らませた形で、現 基底トンネルの西口にあるオーバーヴァルトを「アルプスの回り木戸 Alpendrehkreuz」にすることを夢見ていた。

オーバーヴァルトはヴァレー州の東端に位置し、北はグリムゼル峠でベルン州に、東はフルカ峠でウーリ州に、南はヌフェネン峠でティチーノ州につながっている。これをすべて鉄道トンネルで実現させるというのが彼の夢の最終像だった。

Blog_furkabasis4
オーバーヴァルト駅に停車中のレアルプ方面行き列車
(2013年撮影)
Blog_furkabasis5
DFB車窓から望むフルカ基底トンネル西口
(2013年撮影)
 

1970年に連邦議会に提出されたフルカ基底トンネルの計画案に、作業坑という位置づけながらベドレットの窓が明記されたのは、彼ら推進派の活動のたまものだっただろう。案には、「窓」の建設により結果的に200万フランの建設費が削減できると記されていたが、逆にその分建設費がかさむという反論も出されて、議論は紛糾した。1971年6月に建設が決定した後も、1973年6月の着工まで反対意見は根強く残った。

予算の制約を受け、「窓」は小断面で建設された。ルート上の地層は主として固いロトンド花崗岩のため、壁面は素掘りのままだ。断層帯を通過する区間も、鋼材と木組みによる補強にとどめられている。しかし、別の見方をすれば、断面の拡張が容易で、将来的な活用の可能性が排除されていないことになる。推進派もおそらくそう考えていたに違いない。

しかし、ここをアイロロ Airolo 行きの列車が走ることはついぞなかった。作業基地を転用した砂利工場の奥で長年放置されている間に、「窓」の内部では3か所で崩落が起きていた。ようやく改修の手が入り、再び通行できるようになったのは2015年のことだ。それは、本線トンネルに新しい換気システムが導入され、火災発生時に新鮮な空気を送り込むダクトを「窓」に通すことになったからだ。

Blog_furkabasis6
素掘りのままの「ベドレットの窓」内部
左上は換気システム用のダクト
(2019年撮影)
Photo by Pierre Granite at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

さらに2017年、ポータルから1.5kmの列車交換所だったところで、チューリヒ工科大学 ETH Zürich が研究施設を整備し始めた。このベドレット地熱エネルギー地下研究所 Bedretto Underground Laboratory for Geoenergies、略称 ベドレットラボ Bedrettolab は、地熱の安全で効率的な利用技術を研究するための施設で、2019年5月に正式にオープンした。

こうして、文字通り無用の「長物」だったベドレットの窓に、近年ようやく新たな役割が付されるようになった。推進派の当初の構想からは遠ざかってしまったが、これはこれでアルプスの地下を貫くトンネルとしての存在価値と言えるのかもしれない。

本稿は、"Dieser gebürtige Oltner gilt als Mister Furka Basistunnel" Oltner Tagblatt, 8 August 2019、"Der Furka Basistunnel" Schweizer Ingenieur und Architekt Sonderdruck aus Heft 24/1982 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
マッターホルン・ゴットハルト鉄道 https://www.matterhorngotthardbahn.ch/
ベドレット地熱エネルギー地下研究所 http://www.bedrettolab.ethz.ch/

★本ブログ内の関連記事
 フルカ山岳蒸気鉄道 I-前身の時代
 フルカ山岳蒸気鉄道 II-復興の道のり
 フルカ山岳蒸気鉄道 III-ルートを追って
 レッチュベルクトンネルの謎のカーブ

2020年9月18日 (金)

レッチュベルクトンネルの謎のカーブ

スイスアルプスを南北に貫く鉄道軸の一つが、首都ベルンから南下するベルン=レッチュベルク=シンプロン鉄道 Bern-Lötschberg-Simplon-Bahn(以下 BLS と略す、下注)だ。これは、ベルンアルプス(ベルナーアルペン)Berner Alpen を長大なトンネルで貫いてローヌ谷のブリーク Brig に至るルートで、ブリークからは、シンプロントンネルを介してイタリアに通じている。

*注 本来のBLS線は、トゥーン Thun ~ブリーク間と、シュピーツ Spiez ~インターラーケン・オスト Interlaken-Ost 間だが、1997年に周辺の小鉄道3社を統合し、路線網が拡張された。

Blog_loetschberg1
レッチュベルクトンネル南口(2012年)
Photo by Adrian Michael at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

BLS線にとって要の位置を占めるのが、レッチュベルクトンネル Lötschbergtunnel だ。1906年に着工され、6年の工期を経て、1912年に竣工した(開業は1913年)。14.6kmの長さがあり、当時、シンプロン Simplon の第1および第2、ゴットハルト(ゴッタルド)Gotthard/Gottardo に次いで4番目に長いアルプス横断鉄道トンネルだった。

Blog_loetschberg_map2
レッチュベルクトンネルと周辺の鉄道路線
赤線が BLSの旧 本線区間
Blog_loetschberg2
カンダーシュテーク駅
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

トンネルの北口はカンダー谷のカンダーシュテーク Kandersteg に、南口はレッチェン谷のゴッペンシュタイン Goppenstein に置かれている。大規模な山岳トンネルのルートは直線が望ましい。距離が最短になるだけでなく、当時の技術では導坑掘進の際に生じがちな測量誤差を、最小限に抑えることができるからだ。

ところが地形図を見ると、トンネルの平面線形は直線どころか、途中で妙なカーブを描いている。試しに北口と南口に定規を当ててみると、両端の区間は同一直線上にあることがわかる。そこで、本来トンネル全体が直線で計画されていたにもかかわらず、何らかの理由で中間部を曲げざるを得なかったという推測が成り立つ。

Blog_loetschberg_map3
1:100,000地形図に描かれたレッチュベルクトンネル
41 Col du Pillon 1992年
42 Oberwallis 1993年
© 2020 swisstopo
 

と、ここまで来れば、鉄道に詳しい方なら、上越新幹線の高崎~上毛高原間にある中山トンネルを想起されることだろう。建設中に大量の出水に見舞われ、ルート変更を余儀なくされた事例だ。現場に半径1500mのカーブが設けられたため、通過する列車に今も速度制限が課せられている。

掘削技術が進歩した1970~80年代でもそれほどの難工事があったのだから、さらに70年も前のレッチュベルクでの苦難は推して知るべしだ。いったい何が起こったのだろうか。スイス土木工学学会の刊行書籍「スイスにおけるアルプス開鑿史」(下注1)のレッチュベルクトンネルの章に、その顛末を記した技師ロートプレッツ Rothpletz 博士の手記(下注2、原文はドイツ語)が抜粋引用されている。それによると…

*注1 "Historische Alpendurchstiche in der Schweiz" Gesellschaft für Ingenieurbaukunst, 1996.
*注2 F. Rothpletz "Erinnerung an die schwersten Tage meines Lebens und deren Folgen(わが人生で最も困難な日々の記憶とその結末)" 1944.

Blog_loetschberg3
「スイスにおけるアルプス開鑿史」表紙
 

「1908年7月23日、… 底設導坑の胸壁は、坑門からの測定で2.675 kmに達していた。…」

「(夜)1時ごろ、私は坑門の外約200mにある家にいた。疲れていたのですぐに深い眠りについたが、3時頃、技師の一人に起こされた。『トンネルで何かあったようです』彼はそう言うと、先に出ていった。」

「坑門に着くと、しんと静まり返っていた。管理事務所では、全員が出払っていて、何が起きたのかほんとうに誰も知らないという答えだった。入坑簿を確かめたところ、掘削現場のほぼ全員が戻ってきていないことがわかった。彼らはまだ坑道内に残されていたのである。私は何が起きたのかを調べるために、すぐに現場監督とともに人けのない坑道に入った。坑門から1200mで、円錐形の岩屑に遭遇した。坑門から約1500mの地点で、坑道が岩屑で満たされ、その堆積から水が流れ出していることが明らかになった。」

「私はすぐに悟った。先進坑で崩壊が起きたこと、そしておそらくガステルン谷の堆積物がその中に流入したことを。全員の消息が不明だった! (後日)ガステルン谷で行われた調査で、(河原に)直径約80m、深さ3mの漏斗状の陥没が発見された。すなわち、最後に仕掛けた発破で岩の壁が破られ、… 坑道にガステルン谷の堆積物が流入したのだ。… 地質調査で推定されていた、坑道の上にはまだ厚さ100mの石灰岩の層が横たわっているというのは、誤りであった。」

Blog_loetschberg4
ガステルン谷の陥没現場
Photo from E-Pics Bildarchiv online. License: CC BY-SA 4.0
 

「捜索中、円錐形の岩屑の端からさほど遠くないところで作業員の一人が死亡しているのが見つかった。24名の同僚の代わりにカンダーシュテークの墓地に埋葬されたのは、彼だけだった。」

「自然岩盤がどれほどの深さで、トンネルが横断する可能性のある岩屑の堆積がどれほどの長さになるかを確かめるために、ガステルン谷で探査の手筈が整えられた。… その結果、ガステルン谷は想定以上に深く侵食されたうえ、再び埋め尽くされていたことが判明した。それはトンネルの横断予定地点よりはるかに深く、トンネルの上にあったのは厚さ100mの岩盤ではなく、カンダー川の水が浸透した172mもの堆積物、モレーン、押し出された岩屑であった。」

Blog_loetschberg5
オリジナルルートの縦断面図
専門委員会報告書 Rapport de la Commission des Experts、1909年 より
 

「ガステルン谷の堆積物に長さ350mの坑道を通す方法と、この作業を実行するのに必要な時間と費用を決定するために、大規模な調査が必要になった。」

「圧縮空気方式で横断するのは、おそらく10気圧以上の水圧を計算する必要があるため、現実的ではないように思われた。それに3気圧以上になると、人力での作業が可能性の限界にほぼ達してしまう。」

「凍結方式と同様に、セメント固結方式の成功も疑わしかった。水流があると、セメントは高価な冷却材と同じく運び去られてしまうからである。… また、二つの方法とも十分に固結されなければ、172mの堆積物が新たに流入する危険があり、事故再発の可能性があることも懸念された。」

「まもなくパリから現れた(建設コンソーシアムの)7人の企業家たちは2日目に、ガステルン谷の事故現場を迂回することに疑問を呈した。… それに対して私は、これほど危険を伴う工事を作業員に行わせるわけにはいかないと言った。というのも、トンネルの完成というゴールに導いてくれる、より安全な方法が他にあるに違いないし、それを私たちは、危険個所の迂回によって確保できると思っていたからである。最終的に、トンネルを迂回させ、今より800m長くするという決定がなされた。この迂回ルートは、特段の事故や困難に遭うこともなく、無事竣工した。」

「災害で生じた財政的な影響を、鉄道会社と建設コンソーシアムのどちらが負うべきかを巡っては訴訟になったが、後者が全面的に敗訴した。災害は不可抗力によるものではなかったため、契約書の文面により後者の責任とされたのである」。

Blog_loetschberg6
現ルートと新ルート周辺の地質図
専門委員会報告書、1909年より

博士が記しているように、トンネルは本来、ガステルン谷(地形図の表記はガステレタール Gasteretal)の基盤を形成している固い石灰岩の層を通過する計画だった。ところが、谷の岩盤が想定以上に深く削られており、上流から運ばれてきた砂礫や泥がその上にうず高く堆積していた。事故は、先進坑がその未固結の層に達したことから起きた。地圧のかかった堆積物が地下水もろとも一気に流入し、坑内を埋め尽くしてしまったのだ。

事故後、埋没した導坑への進入が何度か試みられたが、そのつど岩屑の崩落により阻まれた。24名の作業員の捜索は断念せざるを得なかった。掘削を継続するために、砂礫層の凍結、またはセメントによる固結工法も検討された。しかし、ガステルン谷は、融雪期以外は地表に水流がない涸れ谷で、大量の伏流水が地下に浸透しており、その量と速度から判断して、地盤の安定化は困難だった。

直線ルートの維持が不可能となったことから、改めて詳細な地質調査が行われ、谷を横断する位置を約2.5km上流に移す迂回ルートが計画された。そして、既存の導坑のうち迂回の起点から先の約1.5kmが放棄され、レンガで永遠に封鎖された。

その年(1908年)の12月、連邦議会で計画変更が承認され、建設工事は翌年2月15日にようやく再開される。この結果、当初長さ13,805mになるはずだったレッチュベルクトンネルは、807m延長されて14,612mとなるとともに、地図上にも異様に曲がったルートが描かれることになった。

Blog_loetschberg7
1911年5月14日貫通式の来賓用特別列車
ゴッペンシュタインにて
Photo from www.bls.ch
 

こうして苦難の末に完成したレッチュベルクトンネルとBLS線は、1世紀近くもの間、ドイツ、スイス、イタリアを結ぶ国際幹線の一部として重要な役割を果たし続けてきた。

1926年にはトンネルを挟む区間で、無蓋貨車に自動車を載せて運ぶカートレイン Autoverlad のプロトタイプが開始され、1960年には定期運行化されるようになった。また、トンネルは最初から複線で建設されていたが、1992年にはアプローチ区間を含めた全線が複線化されて、輸送力の強化が実現している。

Blog_loetschberg8
(左)初期の自動車輸送
 Photo from www.bls.ch
(右)ブリーク駅を通過するイゼッレ Iselle ~カンダーシュテーク間のカートレイン
 Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

しかし2007年に、長さ34,577mのレッチュベルク基底トンネル Lötschberg-Basistunnel とそれに接続するバイパス新線が開業したことで、レッチュベルクトンネル経由の旧線はメインルートの地位から降ろされた。同じく基底トンネルが開通したゴットハルト旧ルートと同様、現在は、1時間に1本のRE(レギオエクスプレス、快速に相当)が通るだけのローカル線となって、余生を送っている。

Blog_loetschberg9
レッチュベルク基底トンネル北口
旧線がその上を交差する
Photo from www.bls.ch
 

■参考サイト
BLS https://www.bls.ch/
AlpenTunnel.de http://www.alpentunnel.de/

★本ブログ内の関連記事
 フルカ基底トンネルとベドレットの窓
 スイスの鉄道地図 IV-ウェブ版
 スイスの鉄道時刻表

2020年9月 6日 (日)

ブダペスト子供鉄道 II-ルート案内

Blog_budapest_child21
ヴィラーグヴェルジ駅での列車交換
 

登山鉄道(下注)の終点から左のほうへ3~4分も歩くと、いささか無骨な石張りの建物が現れる。壁に箱文字で、GYERMEKVASÚT(ジェルメクヴァシュート、子供鉄道)とハンガリー語で大書してあるものの、他に駅であることを示す手がかりは皆無だ。一人のときは一抹の不安を覚えるが、くたびれたガラス扉から覗けば、出札窓口があるのが見えるだろう。

*注 登山鉄道については「ブダペスト登山鉄道-ふだん使いのコグ」参照。

子供鉄道の起点駅セーチェニ・ヘジ Széchenyi-hegy(セーチェニ山の意)は、標高465mの高みにある。ただし、地形的にはほぼ平坦で、山上らしさはあまり感じられない。駅前は公園なのだが、レストランとイベント施設が1棟ずつあるだけで、他に商店も住宅もないもの寂しい場所だ。

Blog_budapest_child22
セーチェニ・ヘジ駅舎
(左)正面 (右)ホーム側
 

駅舎に入ると、二つの出札口のうち一つが開いていた。子供鉄道では市内交通のチケットが一切使えないから、ここで切符を買っておかなければならない。運賃は全区間同額で、乗車券には1回券、2回券(2回乗車可、但し当日限り有効)、家族向けの1日券などの種類がある。

2020年8月現在の価格は、1回券が800フォリント(1フォリント0.35円として280円)、2回券が1400フォリント(同490円)、家族1日券が4000フォリント(同1400円)だ。支払い方法はフォリントの現金のみで、クレジットカードなどは扱っていない。現金の収受と集計もまた子どもたちの仕事であり、社会教育の一環だからだ。

ホール壁面には、おそらく卒団記念に撮ったのだろう子供鉄道員の集合写真が、年代順にずらりと掲げてある。写真はグループ単位で、まだあどけなさを残す十数人のメンバーの後ろに、中等学校生(高校生)か大学生とおぼしき3人のリーダーたちも写っている。

Blog_budapest_child23
駅ホール、がらんとした空間に出札口が二つ
 

駅舎を抜けると青空の下に、ブロックで線路と区切っただけの砂利敷ホームが広がっていた。一応2面2線の格好だが、どちらに降りようと問題なさそうだ。駅舎との間には腰丈の鉄柵があり、列車が到着したときだけ扉が開放される。ホームの端には背の高い腕木信号機が2本立っていて、信号扱所に詰めた子供鉄道員の転轍操作に連動している。

Blog_budapest_child24
2本並んだ腕木信号機
 

そのうち駅務室から赤い制帽を被った少女たちが出てきたと思ったら、ヒューヴェシュヴェルジの方向から列車が現れた。Mk45形ディーゼル機関車を先頭に客車3両の編成で、中央の1両は側壁のないオープン客車だ。

右手をかざす少女鉄道員の敬礼に迎えられ、列車は駅舎から遠い側のホームに入線した。停車するや、青帽、青ネクタイの車掌とおぼしき少年(下注)が真っ先に降りてきて、鉄柵の扉を開ける。子犬を連れた乗客の集団がそれに続く。

*注 そのときは車掌だと思ったのだが、正確には彼は検札係だった。子供鉄道員の仕事については前回「ブダペスト子供鉄道 I-概要」で触れている。

Blog_budapest_child25
列車の到着
 

まもなく、折返し運転に備えて機関車を逆側に付け替える機回し作業が始まった。もちろんこれは大人の仕事だ。反射チョッキを着た車掌が添乗し、機関車を誘導する。手前の線路を通り、腕木信号機のさらに先まで行き、客車の前に戻ってきた。連結作業も車掌が行う。

ホームでは、次の乗客たちが客車に乗り込んでいく。今日はよく晴れて、まだ6月中旬というのに気温は34度に達している。こんな日は風通しのいいオープン車両の人気が高い。

赤帽の少女が勢いよく笛を吹き、柄の先に円のついた標識を前に差し出した。列車に乗り組んだ少年鉄道員たちが、腕を外に伸ばして異常なしを告げる。それを確認した少女は標識を運転士に向け直し、上げ下げした。これが発車の合図らしく、列車はゆっくりと動き出した。

Blog_budapest_child26
(左)機回し作業
(右)出発の合図
Blog_budapest_child27
オープン客車
ヒューヴェシュヴェルジにて
 
Blog_budapest_child_map3
子供鉄道沿線の地形図にルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

構内を出てしばらくは直線路だ。ベンチシートで風に吹かれていると、さっそく車掌(検札係)の少年が一人で検札に回ってきた。揺れる車内で切符を受け取り、鋏を入れて返してくれる。切符を所持していない乗客に対しては運賃回収に伴う現金の授受があるし、乗客の中には何やら質問をする人がいて、それにも的確な返事をしなければならない。まさに接客の最前線で、しっかりした子供でないと務まらないだろうなと思う。

最初の停車はノルマファ Normafa mh. だ。駅名の後についている「mh.」は megállóhely(メガーローヘイ、停留所)の略で、棒線かつ無人の簡易な乗降場をいう。ノルマファは山上の公園で、冬はスキーが楽しめる市民の憩いの場所だが、麓から直行のバス路線があるので、子供鉄道の乗降はほとんどない。

このあと、線路は左へカーブしていく。車窓が森に閉ざされたところで、チレベールツ Csillebérc 駅に着く。社会主義時代、ウーテレーヴァーロシュ Úttörőváros(ピオネール都市の意)と称していた駅だ。隣接地にある休暇・青少年センター Szabadidõ- és Ifjúsági Központ が、当時のピオネールキャンプで、駅舎もそれを意識してか、屋根に時計塔を載せ、妻面にはピオネールの活動が浮き彫りされている。列車は左の線路に入り、ハンガリーでは珍しく左側通行であることに気づいた。

Blog_budapest_child28
(左)ノルマファ停留所
(右)チレベールツ駅
Blog_budapest_child29
(左)屋根に時計塔、妻面にピオネールの絵
(右)「ピオネールは木を植える」?
 

線路はここから一方的な下り坂になる。花の谷を意味するヴィラーグヴェルジ Virágvölgy は、最初に開通した区間(1948年)の終点だ。ここで、列車交換があった。子供鉄道の駅(アーロマーシュ állomás)には必ず待避線が設けられ、列車交換が可能だ。そして大人の駅長(?)と、何人かの子ども駅員の姿がある。

例の円形標識を持っているのが、赤帽をかぶった年長者で列車を受取り、送り出す役(記録主任)、その横には見習いだろうか、青帽の年少者がついている。さらに構内終端には、転轍てこを操作する別の少年がいる。

Blog_budapest_child30
ヴィラーグヴェルジ駅で列車交換
(帰路写す)
 

ヴィラーグヴェルジを出て少し行くと、張り出し尾根を横断する急カーブにさしかかる。下り勾配の途中で、列車はレールをきしませながら、ゆっくりと回っていく。

次のヤーノシュ・ヘジ János-hegy(ヤーノシュ山の意)は、深い森に埋もれた小さな駅だ。セーチェニ・ヘジ方に鉄道員詰所の建物はあるが、旅客施設としては、線路際に並ぶ数脚のベンチがすべてだ。駅名が示すようにヤーノシュ山頂への最寄り駅で、ハイキング客が利用する。

Blog_budapest_child31
(左)ヤーノシュ・ヘジ駅、奥に詰所がある
(右)駅からの登山道
 

標高527mのヤーノシュ山は、ブダペスト市域で最も高い地点になる。山頂には、王国時代の1911年に建てられた石造のエルジェーベト展望台 Erzsébet-kilátó(下注)がそびえていて、上層のテラスからは、ドナウ川とともに、ブダペスト市街地の王宮の丘や国会議事堂が遠望できる。

*注 展望台の名は、1882年にこの地を訪れた皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 Franz Joseph I の妻エリーザベト Elisabeth にちなむ。

後で山頂まで歩いてみたのだが、さほど険しくもなく、森の中を行く気持ちのいい山道だった。所要時間は、駅(標高408m)からチェアリフト Libegő の山上駅前(同 約480m)までが15~20分、そこから山頂まで階段道で5~6分というところだ。帰路は、子供鉄道に戻らなくても、チェアリフトで山麓のズグリゲト Zugliget へ降り、路線バス(下注)に乗継ぐ短絡ルートがある。

*注 バスは291番西駅 Nyugati pályaudvar 行き。セール・カールマーン広場 Széll Kálmán tér 方面へは、途中のブダジェンジェ Budagyöngye でトラムに乗り換え。

Blog_budapest_child32
山頂に建つエルジェーベト展望台
Blog_budapest_child33
展望台からブダペスト中心部を遠望
左にドナウ川に面した国会議事堂
中央~右に王宮の丘が続く
Blog_budapest_child34
山上からズグリゲトへ降りるチェアリフト
(左)山上駅
(右)市街を俯瞰しながら降りる
 

話を鉄道に戻そう。ヤーノシュ・ヘジ駅から下っていくと、ヴァダシュパルク停留所 Vadaspark mh. を通過する。2004年に開設され、2017年までは夏季と週末に停車していたが、現在は事前申請があった場合にのみ停車するリクエストストップだ。

この後、ブダケシ通りをオーバークロスして、線路は山の東側斜面に移る。セープユハースネー Szépjuhászné は、第2区間の終点だったところだ。駅舎はそれらしく規模の大きな造りで、軽食のテイクアウトがある。

セープユハースネーを出ると、線路は大ハールシュ山 Nagy-Hárs-hegy、小ハールシュ山 Kis-Hárs-hegy の山腹を大きく迂回していくが、その間に、ブダペスト市街が見える貴重な場所を通過する。子供鉄道の沿線で、展望が開けるのはほぼここだけだ。時間にすれば何十秒という短さなので、右側の車窓に注目していたい。

Blog_budapest_child35
(左)行路は森林鉄道さながら
(右)セープユハースネー駅(帰路写す)
Blog_budapest_child36
車窓からブダペスト市街の展望
 

ハールシュとはセイヨウシナノキ、ドイツ語でリンデンバウム Lindenbaum(菩提樹)のことだ。山の名を戴くハールシュ・ヘジ Hárs-hegy が、最後の中間駅となる。地図を見ると、この後、高度を下げるための極端な折り返しがある。右側にこれから通る線路が俯瞰できそうに思うが、実際は森に隠され、いっさい見ることができなかった。列車は、長さ198m、路線唯一のトンネルで、進む方向を180度変える。

道路をまたぐ高架橋を渡ると、まもなく終点のヒューヴェシュヴェルジ Hűvösvölgy(下注)だ。ここでも子ども駅員たちが列車を迎えてくれる。

*注 ヒューヴェシュヴェルジ Hűvösvölgy(冷えた谷、涼しい谷の意)という地名は、ドイツ語のキューレンタール Kühlental に由来し、おそらく日陰になる谷地形(したがって耕地には不適)を表している。

Blog_budapest_child37
(左)ハールシュ・ヘジ駅
(右)路線唯一のトンネルへ(帰路写す)
Blog_budapest_child38
ヒューヴェシュヴェルジ駅で発車を待つ列車
 

ヒューヴェシュヴェルジ駅は、起点セーチェニ・ヘジと比較すると、施設配置がかなり異なる。平面構造は1面2線で、2本の線路が島式ホームをはさむ形だが、そのホーム上に信号扱所があるのだ。駅は山裾の緩斜面に位置しており、線路の片側は盛り土になっている。それで他の駅のように、線路の側面に信号扱所を設置できないのが理由だろう。

さらにその続きに出札窓口、トイレ、そして子供鉄道博物館 Gyermekvasút Múzeum と、旅客関係の機能がホーム上に集約されている。かつての駅舎は、一段低い駅前広場に面して残っているが、もはや単なる通路でしかなく、建物の3/4は「キシュヴァシュート Kisvasút(軽便鉄道)」という名のピザレストランの営業エリアだ。

Blog_budapest_child39
(左)元の駅舎にはピザレストランが入居
(右)駅舎内は通路化され、奥にホームへ上がる階段がある
 

子供鉄道博物館というのは、ピオネール時代からの写真や備品などさまざまな資料を保存展示する資料館だ。何分ハンガリー語なので内容を読み取ることは難しいが、乗車券を手作りしていた古い印刷機や、閉塞器、転轍てこ、それに子供鉄道員の制服などの実物も置かれている。鉄道のOB、OGたちには懐かしいものばかりだろう。博物館は週末と5~8月の毎日開館している。入場料100フォリント。

Blog_budapest_child40
子供鉄道博物館
(左)入口 (右)内部
Blog_budapest_child41
(左)手前は乗車券印刷機
(右)鉄道運行の資料も
 

路線建設の順序から言えば終点に違いないのだが、子供鉄道の運行拠点はこのヒューヴェシュヴェルジだ。なぜなら、ホームの数百m先に車両基地が置かれ、整備はそこで行われる。また、駅前広場の北側に鉄道の本部施設があり、子どもたちはそこで最初のコースを学ぶ。さらに、市街地からトラム1本でアクセスできるため、鉄道の利用者もこの駅が最も多い。それは、駅でレストランが営業しているという事実からもわかるとおりだ。

さて、駅前広場を左に取ると、とんがり屋根を連ねた階段があり、トラム(路面電車)のターミナルに降りられる。ヒューヴェシュヴェルジは市街地から上ってくるトラム路線の終点で、郊外バスとの乗継地になっている。同じような古風なスタイルの木造駅舎や休憩所が残り、おとぎの国に迷い込んだような雰囲気だ。

トラムは数系統来ているが、どれに乗ってもブダの交通結節点セール・カールマーン広場 Széll Kálmán tér(旧 モスクワ広場 Moszkva tér)と南駅 Déli pályaudvar を経由する。

Blog_budapest_child42
ヒューヴェシュヴェルジのトラムターミナル
(左)子供鉄道駅へ上がる屋根付き階段
(右)古風な待合所
Blog_budapest_child43
バスとトラムを平面で乗継ぎ
 

■参考サイト
ブダペスト子供鉄道 https://gyermekvasut.hu/

★本ブログ内の関連記事
 ブダペスト子供鉄道 I-概要
 ブダペスト登山鉄道-ふだん使いのコグ

« 2020年8月 | トップページ | 2020年10月 »

2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

BLOG PARTS

無料ブログはココログ