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2020年8月17日 (月)

リッテン鉄道 II-ルートを追って

FS(旧国鉄)ボルツァーノ/ボーツェン Bolzano/Bozen 駅前(下注)から右手へ、線路に沿って歩き始めた。前にリュックを背負ったグループがいたので、ついていく。まだ真新しいバスターミナルを通り抜け、10分もしないうちに、ぶどう畑に覆われた山を背にして、銅色のターバンを巻いたような建物が見えてきた。リッテン・ロープウェー Rittner Seilbahn/Funivia del Renon の乗り場に違いない。

*注 FSの駅名表記はイタリア語/ドイツ語の順だが、自治県レベルの表記は基本的にドイツ語/イタリア語の順のため、以下ではそれに従う。

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ロープウェー駅(左奥)に向かう道は
かつてリッテン鉄道が走っていたルート
(写真は別途付記したものを除き2019年6月撮影)
 

今歩いてきた道路は、かつてリッテン鉄道/レノン鉄道 Rittner Bahn/Ferrovia del Renon の市内区間が通っていたルートだ。古い市街図によれば、現在のバスターミナル北端までが路面軌道(併用軌道)で、後は道路を離れ、専用軌道としてリッテン駅 Rittnerbahnhof/Stazione di Renon へ延びていた。その駅跡に今、ロープウェーの山麓駅が建っている。

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ロープウェー山麓駅
 

1階の窓口で乗車券を買った。鉄道の終点クローベンシュタイン/コッラルボ Klobenstein/Collalbo まで通しの切符で、片道9ユーロ(下注)。乗車前にヴァリデート(有効化)するように言われたので、通路の刻印機に挿入する。乗り場は上階だ。

*注 リッテン鉄道のみの場合、片道3.50ユーロ。

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南チロル運輸連合のチケット
(左)表面は共通
(右)裏面に区間や日付を印字
 

ロープウェーは全長4560m、高度差950mの大規模な路線だ。高原上のオーバーボーツェン/ソープラボルツァーノ Oberbozen/Soprabolzano まで所要12分。1966年に、リッテン鉄道ラック区間の廃止と引き換えに交走式で開業したが、2007年9月に運行をいったん中止し、更新工事が行われた。そして2009年5月に、3S循環式で運行が再開された。

交走式というのは、支索にキャビン(搬器)を2台ぶら下げ、これらを曳索でつなげて釣瓶のように行き来させる古典的な方式だ。運行間隔は、片道の走行と乗降にかかる時間に依存するため、リッテンのような距離のある路線では、待ち時間が長くなってしまう。

対する 3S というのは、3本のザイル Seil(支索2本、曳索1本)を意味している。支索を2本にすることで安定性を高め、キャビンの大型化を可能にした方式だ。かつ自動循環式といって、キャビンを一定間隔で多数循環させる。台数は需要に応じて増減できるので、運行間隔の調整が可能だ。リッテンの場合、1台の定員35名(座席24、立席11)で、同時に10台まで稼働できるという。

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(左)3S循環式のキャビン
(右)左右2本が支索、中央1本が曳索
 

ホームではそのキャビンがちょうど乗車扱い中だったので、待つこともなかった。ドアが閉まり、発車すると、街並みを横断してすぐに上りにかかる。ぶどう畑が広がる南斜面をぐんぐん上昇していくさまは、エレベーターの感覚に近い。

後方の窓からは、線路が敷き詰められたFS駅の構内と、その右側にボーツェンの市街地が一望できる。やがて進行方向右側遠くに、奇怪な風貌で知られるドロミティの岩峰群が現れた。展望の良さはさすがで、山腹を這い上るラック鉄道ではこうはいかなかっただろう。

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ぶどう畑の斜面を上昇
遠方にドロミティの岩峰も見える
 

ロープウェーは、前半だけで標高1000m付近まで一気に上りきる。後は、支尾根を飛び石にしながら、谷をまたいでいく形だ。進行方向左手に主尾根が延びており、マリーア・ヒンメルファールト駅とそれに続く線路が見える。それに気を取られている間に、山上駅に到着した。

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リッテン鉄道の末端区間に並行
 
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リッテン鉄道沿線の地形図にルート(廃線を含む)を加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

リッテン鉄道のオーバーボーツェン駅はロープウェーの駅舎に隣接しており、乗継ぎはいたって便利だ。クリーム色のクラシックな駅舎が建っているが、旅客用には使われていない。片面ホームに接して屋根のかかった待合所があり、乗客はそこで待つようになっている。

オーバーボーツェン~クローベンシュタイン間は所要16~18分で、朝晩を除き30分間隔のパターンダイヤが組まれている。ホームには、11時40分発の電車が停車中だ。前面がカーマインレッド、側面がグレー主体のスタイリッシュな塗装をまとう連接車BDe 4/8形で、新造のように艶光りしている。しかし実際は1975~77年製で、スイス、ザンクト・ガレン St. Gallen のトローゲン鉄道 Trogenerbahn(下注)で走っていた中古車だ。

*注 ザンクト・ガレン~トローゲン Trogen 間の電気鉄道。2006年にアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen に合併、現在は同鉄道の一路線。

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オーバーボーツェン駅に停車中の連接車BDe 4/8形
 

2009年にまず2編成が購入され、古巣のときと同じ車番をつけて2010年(24号)と2011年(21号)にそれぞれ就役した。その後3編成目として23号、4編成目として22号が投入され、今やこれら「トローゲナー Trogener」たちが、日常運行を担う主力車両群だ。

駅のクローベンシュタイン方には、2014年に改築された3線収容の車庫がある。ホームから遠望した限りでは、上記連接車23号、開業以来の古参4軸電車2号、それに旧 エスリンゲン=ネリンゲン=デンケンドルフ路面軌道 Straßenbahn Esslingen–Nellingen–Denkendorf の1957年製TW12号電車(下注)が並んでいた。

*注 1978年に廃止されたドイツ、シュトゥットガルト Stuttgart 南東郊の都市間路面軌道。TW12号車は1982年に中古で購入、1992年から定期運行。現在は予備車で、特別運行に登場する。

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(左)オーバーボーツェン駅の車庫に旧型車の姿が
(右)4軸電車2号
 

このほか、ラック電気機関車L2号(下注1)、2軸電車11号と12号、廃止されたノンスベルク鉄道 Nonsbergbahn から移籍した1910年製電車「アリオート Alioth」(下注2)など、鉄道の歴史を物語る古典車両も保存されているという。

*注1 インスブルックのチロル保存鉄道 Tiroler Museumsbahnen に同僚のL4号が動態保存されている。
*注2 ボーツェン南西にあったデルムーロ=フォンド=メンデル(メンドーラ)地方鉄道 Lokalbahn Dermulo-Fondo-Mendel。最急80‰の勾配路線だったが、1934年廃止。電車は、スイスのアリオート電力会社 Elektrizitätsgesellschaft Alioth の機器を積んでいたことからその名がある。

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(左)チロル保存鉄道のラック電気機関車L4号(2007年)
(右)定期運行していた頃の旧エスリンゲン電車TW12号(2006年)
Photos by DerAdmiral at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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ラッパースビヒル Rappersbichl 付近を行く
アリオート105号(2016年) 
Photo by Michael Heussler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1列2+1席のやや手狭な車内に、後で着いたロープウェー客が次々と乗り込んできて、発車までにはほぼ満席になった。扉が閉まり、短いベルの音とともに出発。車庫の横をすり抜けると、右の車窓には、早くも青々とした斜面の牧草地が広がり、谷を隔てて遠くの山々まで見通しがきく。半分降ろした窓からは、心地よい高原の風が入ってくる。

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(左)車内はほぼ満席に
(右)路線図と、製造元 FFA Altenrhein(アルテンライン車両製造所)の銘板
 

車道の踏切に続いて、一つ目の停留所を通過した。この区間には時刻表に掲載された旧来の3駅とは別に、新設の停留所が4か所ある。いずれもリクエストストップで、乗降客がないと停車しないから、感覚的には路線バスだ。今通過したのはリンツバッハ Linzbach だが、新設停留所はドイツ語名のみを名乗っている。

次のリンナー Rinner 停留所(これも新設)の後、小さな沢を渡るために林に入る。再び開放的な斜面に出て、左に大きく回っていくと、ヴォルフスグルーベン/コスタロヴァーラ Wolfsgruben/Costalovara だ。ここは駅なので必ず停車するが、待合小屋がぽつんと置かれているだけで、見た目は停留所と何ら変わらない。

この後は地形的な鞍部を越えるため、周りは次第に林に包まれていく。行く手に、同じカーマインレッドの電車が停車しているのが見えてきた。標高1251mで、全線のサミットとなるリヒテンシュテルン/ステラ Lichtenstern/Stella 駅だ。オーバーボーツェン~クローベンシュタイン間の中間点でもあり、30分間隔ダイヤの場合、両側から同時に発車した列車がここで行違う。運転士も車両を交換し、それぞれ発駅に戻っていくのがおもしろい。

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(左)リヒテンシュテルンで列車交換
(右)運転士も入れ替わる
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再び車窓が開けてドロミティアルプスが一望に
 

次のラッパースビヒル/コッレ・レノン Rappersbichl/Colle Renon 停留所を過ぎると、左側の車窓が再び開けてくる。エーベンホーフ Ebenhof とヴァイトアッハー Weidacher の両停留所は、気づかないうちに通過したようだ。カーブが和らぎ、右手前方に町が見えてきた。大きなスポーツ施設があり、工事用の大型クレーンも動いていて、オーバーボーツェンより活気が感じられる。緩く右に曲がり、跨線橋をくぐったところが、終点のクローベンシュタインだった。

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(左)クローベンシュタイン到着
(右)折り返しの客が乗り込む
 

ここは高原の中心集落で、リッテン自治体の役場所在地でもある。駅舎は優しいサーモンピンクの色壁で、オーバーボーツェンに比べて大きな建物だ。入口で、ジャコメッティの作風を思わせるユーモラスなヤギの彫像が客を迎えている。しかし、旅客機能としては券売機と刻印機が置いてあるだけで、窓口は見当たらない。電車はこの駅で、折り返しの時刻まで12分停車する。

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(左)駅入口でヤギの彫像が出迎え
(右)駅舎(左奥)とアールヌーボー様式のあずまや(?)
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クローベンシュタイン駅に次の電車が到着
 

戻りは、13時10分発に乗った。駅前にある中等学校から子どもたちがぞろぞろと出てきて、電車に乗り込んでいく。ちょうど下校時間に遭遇したようだ。車内は、通路も荷物室もいっぱいになったが、彼らは慣れていると見え、おしゃべりしたり、教科書やノートに目を落としたり、思い思いに過ごしている。イタリア語らしい言葉で話しながらも、開けている教科書はドイツ語だ。電車は途中の停留所にもこまめに停車し、少しずつ子どもたちを降ろしていった。

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(左)運転台
(右)学校帰りの子どもたちで満員
 

この便にしたのは、オーバーボーツェンからさらに一駅先のマリーア・ヒンメルファールト/マリーア・アッスンタ Maria Himmelfahrt/Maria Assunta まで足を延ばすからだ。この1.1kmは昔、ラック線を機関車で押し上げてもらった電車が再び自力で走り始める最初の区間だった。しかしロープウェーがオーバーボーツェンで接続するようになったことで、メインルートから外れて支線化してしまった。

列車は1日6往復のみ。時刻表も別建てだが、クローベンシュタイン方面と通しで運行されている。利用するのは、駅付近にある小集落の関係者か、鉄道ファンぐらいのものだから、いまだに動いているのが奇跡のようなローカル線だ。

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オーバーボーツェン~マリーア・ヒンメルファールト間の
時刻表(2019年)
ab は発時刻、an は着時刻
 

子どもたちの乗降で、少し遅れていたせいもあるだろう。オーバーボーツェンに到着すると、運転士は降車客を見届け、すぐに扉を閉めて発車の合図をした。あれだけ混雑していた車内に、もう4~5人しか残っていない。走り始めると、結構な下り坂だ。確かに、高原区間の最急勾配45‰はこの区間にある。しかも急曲線が多いので、電車は慎重に降りていく。左手は牧草地の斜面が広がり、相変わらず見晴らしはいい。

時刻表では4分から、便によっては6分もかかっているが、実際の乗車時間は2分そこそこだ。最後のカーブを曲がりきるとほぼ直線で、2線が敷かれたマリーア・ヒンメルファールトの駅に滑り込んだ。

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オーバーボーツェン~マリーア・ヒンメルファールト間は
下り勾配と急カーブが連続
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(左)最後の急カーブ
(右)マリーア・ヒンメルファールト駅が見えてきた
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マリーア・ヒンメルファールト駅
待合小屋は開業時のそれを復元
 

扉が開き、降車客と入れ替えにホームで待っていた3人が乗り込む。そしてほとんど休む間もなく、電車はオーバーボーツェンへ引き返していった。

主役が去ってしまうと、駅は静けさに包まれた。片面ホームに、開業時の造りを復元した待合小屋、それに木造の車庫があるだけの簡素な構内だ。ここで毎日、機関車の連解結や、電動車の機回しが行われていたとは信じがたい。その線路の終端に行ってみたが、ラック線が延びていたはずの場所には木々が生い茂り、その先は牧草地に溶け込んでしまっていた。

13時34分発を見送ったので、次は18時台まで電車が来ない。牧草地の向こうを行き交っている山麓行きのロープウェーに乗るために、のどかな村の中を抜けて、オーバーボーツェンまで歩いて戻ることにしよう。

■参考サイト
Ritten.com http://www.ritten.com/

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