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2020年7月 8日 (水)

ヌリア・ラック鉄道-ピレネーの聖地へ

ヌリア・ラック鉄道 Cremallera de Núria

リベス・エンリャス Ribes-Enllaç ~バイ・デ・ヌリア(バル・デ・ヌリア)Vall de Núria 間 12.5km
軌間1000mm、直流1500V電化、アプト式(2枚レール)ラック鉄道、最急勾配150‰
1931年開通

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バイ・デ・ヌリア駅に到着した登山電車
 

イベリア半島の北を限るピレネー山脈の懐深く、その登山電車は上っていく。行先は、標高2800mの峰々にいだかれたカタルーニャ(カタロニア)の聖地ヌリア Núria だ。

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鉄道の名は、クレマリェラ・デ・ヌリア(ヌリア・ラック鉄道)Cremallera de Núria という。スペイン北東部、カタルーニャの州都バルセロナ Barcelona から列車で2時間半ほどの、リベス・デ・フレゼル Ribes de Freser が起点だ。ヌリアには車道がいっさい通じていない。そのため、昔ながらの険しい山道を歩く人は別として、登山電車が聖地へ到達する唯一の手段になっている。

ヌリアに建つ教会には、12~13世紀ごろの作とされる木彫りの聖母像が伝わり、人々の篤い信仰を集めてきた。加えて夏は避暑やトレッキング、冬は周囲のゲレンデでのスキーと、ヌリアへ向かう車内はそのつど賑わいを見せる。

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バイ・デ・ヌリアの風景
正面は教会棟(バシリカ)、鉄道駅はその右横に隠れている

リベス・デ・フレゼルへは、バルセロナの中央駅、バルセロナ・サンツ Barcelona-Sants から、R3系統(下注)の列車が連絡している。ロダリエス・デ・カタルーニャ(カタルーニャ近郊線)Rodalies de Catalunya の路線網に組み込まれているとはいえ、そこは近郊どころか、フランス国境にほど近い山中だ。

*注 R3系統の終点はバルセロナから約150km、フランス側のラトゥール・ド・カロル=アンヴェチ Latour de Carol-Enveigt。

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(左)サンツ地下駅の列車案内、3行目の6:22発に乗る
(右)車両はRENFE 447系
 

サンツ発、早朝6時22分の列車に乗った。オレンジのアクセントカラーをまとう連接式電車は、地下から出ると北に進路をとる。いったん山が迫ってくるが、また平原に出た。ビック Vic を通過し、2時間近く乗ったころ、いよいよ車窓は山峡の景色に変わる。リベス・デ・フレゼルの5番線、8時47分着。多くの降車客があった。

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リベス・デ・フレゼル駅に到着
 

レンガ建ての旧国鉄駅舎から広場を隔てて北側に、石造りの駅舎が見える。妻壁に「リベス・エンリャス Ribes-Enllaç(リベス・ジャンクションの意)」と切り文字で記された登山鉄道の駅だ。中に入り、さっそく窓口でヌリアまでの乗車券を買い求めた。大人往復25.50ユーロ。

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登山鉄道の起点リベス・エンリャス駅
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(左)インフォメーション兼出札窓口
(右)ヌリア往復の乗車券
 

ヌリア・ラック鉄道は、リベス・エンリャスからバイ・デ・ヌリア Vall de Núria(ヌリア谷の意)に至る長さ12.5km、メーターゲージ(1000mm軌間)の登山鉄道だ。起点の標高905mに対し、終点は1964mで、高度差が1059mある。そのため、フレゼル川に沿う最初の5.5kmこそ粘着式だが、残りの区間はアプト式ラックレールが敷かれ、最大150‰の急勾配で上っていく。

2019年の夏ダイヤは、平日が5~6往復、土休日とハイシーズン(7月下旬~9月上旬)が11往復だ。このほか、毎金曜日と8月中に夜間の増便がある。全線の所要時間は上下方向とも40分。

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リベス・エンリャス~ケラルブス間のルート
Map derived from Atles topogràfic de Catalunya 1:50 000 of the Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC), License: CC BY-SA 4.0
 

駅舎の奥に、トラス屋根を架けた乗り場がある。相対式ホーム2面2線(下注)の配置だが、2線とも列車が並列に入り、満杯の状態だ。きょうは客が多いから、朝9時10分発の一番列車は続行運転になるようだ。後続の電車に席を得て、先発する列車を窓から見送った。

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(左)屋根に覆われた発着ホーム
(右)右奥が先発、左正面は続行便
 

まもなくこちらも発車。構内を出ると、右カーブしてフレゼル川 Freser を横断する。そしてリベス・デ・フレゼルのやや鄙びた町裏を見ながら、山際をくねくねと走る。

最初の停車駅は、起点から1.2kmのリベス・ビラ Ribes-Vila だ。ビラ(下注)とは町のことで、リベス市街地の最寄り駅になる。エンリャスと同じような石造りの駅舎が、乗降客を迎える。駅前左手にはヌリア・ラック鉄道展示館 Exposicio cremallera de Núria があり、ここで活躍した各世代の車両が保存されている。また、線路をはさんで反対側には車庫も建つ。

*注 カタルーニャ語はスペイン語と同じくVとBの発音を区別しないので、音訳ではヴァ行を用いず、バ行で記す。

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フレゼル川の高架橋を渡って対岸へ
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リベス・ビラ駅
町の玄関口のため立派な造り
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ラック鉄道展示館は入場無料
(左)駅舎側の入口 (右)内部
 

列車は、町の通りを横断し、やがてフレゼ川の緑の谷間に入っていく。素掘りの短いトンネルをくぐり、小さな水力発電所の横を鉄橋で渡る。旧 リアルブ Rialb 駅は跡形もない。少し進んだところ(5.5km地点)で減速した。ラックレールにピニオンが噛み合う音が聞こえて、いよいよ急坂の始まりだ。長さ110mの大きく弧を描く高架橋が、支谷をまたいでいる。

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(左)町の通りを横断(帰路撮影、以下同)
(右)水力発電所の横の鉄橋
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(左)ラック区間の始点
(右)弧を描く高架橋
 

坂の途中に、ケラルブス Queralbs 駅がある。起点6.3kmの交換駅で、本線側2線のほかに、行き止まりの側線2本を有する。ここ始発の列車は、側線側から出発するのだ。この日は「Sport Wagen(スポーツカー)」のロゴがついた中古の客車2両が留置してあった。スイスのマッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB) から購入したもので、特別運行で使用される。

意外に乗降客が多いのは、村の玄関口であることの他にも理由がある。一つは、ヌリアとの間の登山道(ケラルブス=ヌリア旧道 Camí Vell de Queralbs a Núria、下注)を歩くハイカーが利用することだ。もう一つ、ここまでは車で到達できるので、マイカーを駅横の駐車場に停めて、列車に乗り込む人が一定数いる。

*注 鉄道がなかった時代の旧道。ケラルブスから距離7.2km、高度差780m、上り3時間15分。

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ケラルブス駅
(左)乗降が結構ある
(右)スイスMGBから来た客車が留置
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ケラルブス~バイ・デ・ヌリア間のルート
Map derived from Atles topogràfic de Catalunya 1:50 000 of the Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC), License: CC BY-SA 4.0
 

再び動き出すと、右の車窓にフレゼル川の谷の眺望が開けてくる。山脚を回り、沢を一つ渡った後は、谷底との高度差が200mを超える。線路脇に「ビスタ・アレグレ Vista alegre(爽快な眺望の意)」と書かれた立て札が見えるが、なるほどそのとおりだ。

しかし車窓のパノラマは、次の山脚を回り、右前の谷向うに、荒々しい露岩の山ロケ・デ・トトロモン Roque de Totlomón の姿を認めたところで突然終了する。列車は、長さ1320mあるロック・デル・ドゥイトンネル Túnel Roc del Dui の闇に吸い込まれていく。

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ビスタ・アレグレ(爽快な眺望)
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ロック・デル・ドゥイトンネルの山麓側ポータル
旧線跡(右写真)が右奥へ延びる
 

路線最長のトンネルは2008年、フォンタルバ Fontalba 駅(旅客扱いなし)との間に完成した新線だ。以前は、断崖絶壁の中腹を穿って確保したスリリングな桟道を通過しており、運行は落石の危険と常に隣り合わせだった。トンネル開通により車窓の眺望は失われたが、引き換えに安全性は確実に向上した。廃止された旧線跡は作業用道路として残されている。

9.6km地点のフォンタルバは、両側をトンネルに挟まれた狭隘な場所にある。交換設備は、新トンネルの内部まで拡張されている。フォンタルバの後、再び突入する素掘りのトンネルは(大)フォンタルバトンネル Túnel (gran) de Fontalba(下注)といい、かつてはこれが路線最長だった。

*注 以前はフォンタルバ駅の下手にあった小フォンタルバトンネル Túnel petit de Fontalba に対して、大フォンタルバトンネルと呼ばれた。

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山上側ポータルの前後は長い複線で、
フォンタルバ駅(右写真)まで続く
 

気がつくと、谷は見違えるほど浅くなっている。フレゼル川支流、ヌリア川の谷(バイ・デ・ヌリア)に入ってきたのだ。この付近は、古代の堆積岩がマグマの熱と圧力で変成した、非常に硬い片麻岩の地層で、侵食が進んでいない。そのため、フレゼル川の本谷とは数百mの高度差が生じている。

ここまで来れば、登山鉄道は必要な高度を概ね稼いだことになる。実際、終盤の約3kmは、川の流れに導かれるように谷間を上っていく。登山道として使われる旧道が並行しており、素朴なアーチの石橋が渓流をまたいでいる。帰りの車内からは、歩いて降りるハイカーの姿も見かけた。

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(左)ヌリア川の渓流
(右)浅くなったヌリア川の谷を渡る
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ヌリアトンネル
(左)山麓側 (右)山上側
 

終幕の場面展開は、なかなか劇的だ。最後のトンネルをくぐり抜けると、突然視界が開け、今まで目にしてきた荒々しい風景とはまるで違う、一面瑞々しい青草に覆われた小盆地が現れるからだ。左手はなみなみと水をたたえた湖(貯水池)で、上流側に、時計塔を正面に抱く豪壮な教会棟(バシリカ)が建っている。列車はその傍らにあるバイ・デ・ヌリア駅の石張りのホームに静かに滑り込む。

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貯水池の岸を行く列車
右端にヌリアトンネルが見える
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線路脇の遊歩道から教会を望む
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(左)バイ・デ・ヌリア駅到着
(右)駅舎

歩いて上るより方法のなかったヌリアに、車道あるいは鉄道の建設が提起されたのは、第一次世界大戦中の1917年のことだ。それに先立つ1911年に、ヌリアでは古い教会が取り壊され、現在の教会が献堂されていた。引き続き、宿舎その他巡礼のための施設の整備も進められており、訪問者が急増していたことがその背景にある。

民間会社のムンターニャ・デ・グランス・ペンデンツ(大勾配登山)鉄道 Ferrocarrils de Muntanya de Grans Pendents (FMGP) が、事業を引き受けた。同社は、バルセロナ近郊のモンセラット修道院に上る別のラック鉄道(下注)の運行事業者で、ヌリアの仕様もそれに準じたものになった。すなわち軌間1000mm、アプト式のラックレールで、当初予定の蒸気運転は、後に電化に変更された。計画は認可を受け、1928年5月に建設工事が始まった。

*注 モンセラット・ラック鉄道 Cremallera de Montserrat。本ブログ「モンセラット・ラック鉄道 I-旧線時代」で詳述。

谷に橋を架け、断崖を削り、8本のトンネルを貫く難工事だったが、1930年の年末には、モンセラットから運んだ蒸気機関車で、試運転が行われている。そして1931年3月22日、鉄道は開業を迎えた。

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鉄道展示館のラック蒸機
1892年SLMヴィンタートゥール製
説明パネルによれば、フランス、エクス・レ・バン近郊のモン・ルヴァール鉄道 Chemin de fer du Mont-Revard に納入された後、1897年にスイスのゴルナーグラート鉄道建設に従事。1920年に大勾配登山鉄道(FMGP)が購入し、モンセラット鉄道の勾配に適合させるため、ボイラーの傾斜を強めたことで「ねこ背 La Geperuda」のあだ名をもらう。1930年夏にヌリア・ラック鉄道の工事用機関車として、当地に到来。
 

しかし当時、国内の政治状況は悪化の一途をたどっており、それは路線の運営に直接の影響を及ぼした。とりわけ内戦(スペイン市民戦争)が続いた1936~39年には、断続的に運休を余儀なくされている。また、洪水による深刻な被害に見舞われたことも何度かあった。

1960年代になると、カタルーニャに観光ブームが到来する。それにつれて路線の経営状態も改善したが、長年、費用のかかる改修を先送りしてきたつけで、施設設備の劣化は着実に進行していた。1982年にまた水害に見舞われたのをきっかけに州政府が介入し、1984年2月に鉄道は州に買収された。

以来、路線の運営はカタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya (FGC) が行っている。この間に、線路と架線が全面的に改修され、新型電車も導入されて、鉄道はみごとに蘇った。

こうした経緯を反映して、営業車両も3世代に分かれる。第1世代は開業時の古典編成で、1930~31年SLM及びBBC製の6軸電気機関車E1~E4と、ボギー客車の組み合わせだ。リベス・エンリャスの2番線に留置されていた機関車E1と客車21号がそれで、特別列車に運用される。E2とE3は、リベス・ビラの鉄道展示館で見られる。E4は同駅の車庫にいて、線路の保守作業に今でも出動するという。

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機関車E1と旧型客車21号
リベス・エンリャスの2番線に留置
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旧型客車のサロンカー Coche salon
右写真は内部
 

第2世代は、州有化後の1985年に、第1世代を置き換える目的で導入された連接式電車だ。SLM及びBBC製のBeh 4/8形で、A5~A8の車番をもち、日常的に運用されている。2007~08年に改修を受けているので、内装は第3世代と遜色がない。

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第二世代のBeh 4/8形電車
 

その第3世代は2003年、モンセラットでラック鉄道が復活する際に同時調達されたスイス シュタッドラー・レール Stadler Rail のGTW 2/6形だ。部分低床の客車2両の間に短い駆動ユニット車が挟まった関節式と呼ばれるタイプで、車番A10とA11がそれに当たる(下注)。

*注 GTW 2/6形はモンセラット・ラック鉄道の輸送力増強のために移籍が予定されており、2020年6月にまずA10がモンセラットに移された。

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第三世代のGTW 2/6形電車
内部は部分低床

ヌリアはカトリックの聖地であるだけでなく、カタルーニャ人にとって自治獲得の歴史の故地としても重要だ。鉄道開通の1931年、教会棟にあるホテルの一室でカタルーニャ自治憲章の案が起草された。それは翌年、厳しい修正を受けながらも、スペイン国会で可決成立した。自治憲章はその後も何度か制定されるが、その最初のもので、起草地の名をとって「ヌリア憲章 Estatut de Núria」と呼ばれる。

ヨーロッパでも、有名な教会の周りには門前町があり、土産物屋やレストランが軒を並べているのが通例だ。ところがヌリアでは驚くことに、教会棟と若干の建物があるばかりで、拍子抜けするほど静かだ(下注)。これほど禁欲的な場所に、なぜ登山電車の経営が成り立つほどの客が次々と訪れるのか。その答えは、地域の歴史との深いかかわりを差し置いては考えられない。

*注 教会棟にはホテルやセルフサービスのレストランなどが入っている。周辺にも若干の宿泊施設やレストランがある。

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(左)教会棟(バシリカ)正面
(右)聖母像の発見地に建てられた聖ジルの庵 Ermita de Sant Gil
 

写真はすべて、2019年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
Vall de Núria https://www.valldenuria.cat/
 トップページ > Cremallera(ラック鉄道)
カタルーニャ近郊線 Rodalies de Catalunya http://rodalies.gencat.cat/
Youtube - Cremallera de Núria(旧線時代の全区間前面展望)
https://www.youtube.com/watch?v=kaOvg5FBZ7g

★本ブログ内の関連記事
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 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I

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