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2020年7月

2020年7月29日 (水)

モンセラット登山鉄道 I-旧線時代

モンセラット登山鉄道 Cremallera de Montserrat

【旧線】
モニストロル・ノルド Monistrol-Nord ~モンセラット・モネスティル Montserrat-Monestir 間 8.6km
軌間1000mm、非電化、アプト式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配156‰
1892年開通、1957年廃止

【新線】
モニストロル・エンリャス Monistrol-Enllaç ~モンセラット Montserrat 間 5.2km
軌間1000mm、直流1500V電化、アプト式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配156‰
2003年開通

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R5系統の車窓から仰ぐモンセラットの山塊と修道院
海外鉄道研究会 田村公一氏 提供
 
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モニュメンタルな岩の柱が林立し、異形の山容が目を引くモンセラット Montserrat(下注)。スペイン、カタルーニャ州の州都バルセロナの北西50kmにあるこの山は、全体が自然公園に指定されている。その一角を占めるベネディクト派の修道院は古来、人々の崇敬を集めてきたカトリックの聖地だ。

*注 カタルーニャ語の発音は「ムンサラト」に近いが、慣用に従い、モンセラットと表記する。

山の中腹、狭い谷壁に張り付くように建てられた修道院付属大聖堂 Monasterio には、モンセラットの聖母 Mare de Déu de Montserrat(下注)と呼ばれる黒い聖母子像が祀られている。山麓を走る近郊線の駅から標高700m台のその大聖堂の前まで、現代の巡礼者を連れて行くのが登山鉄道「クレマリェラ・デ・モンセラット(モンセラット登山鉄道)Cremallera de Montserrat」(下注)だ。

*注 Cremallera(クレマリェラ、クレマイェラ)は、フランス語の Crémaillère と同じく、歯竿(ラックレール)を意味する。

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緑をまとうモンセラットの登山電車
Photo by The STB at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

登山鉄道は、カタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya (FGC) が運行している。メーターゲージ(1000mm軌間)で、アプト式のラックレールを使う。同じFGCで、州内にもう一つある同種の路線、ヌリア登山鉄道 Cremallera de Núria(下注)と共通の仕様だが、車両の塗色はヌリアの青に対して、こちらは緑色になっている。

*注 スペイン全体でも、ラック式鉄道はこの2本しかない。ヌリア登山鉄道については、本ブログ「ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ」で詳述。

現代風の車両や地上設備を一見すればわかるように、運行開始は2003年で、まだ20年も経っていない若い路線だ。ただし、まったくの新設ではない。1950年代に廃止された旧線跡を多くの区間で利用しており、事実上の復活と言うべきものだ。新線の紹介に入る前にまず、前身となるこの旧 モンセラット登山鉄道の歴史から繙いてみたい。話は19世紀に遡る。

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モンセラット登山鉄道と関係路線のルートを1:50,000地形図に加筆
Map derived from Atles topogràfic de Catalunya 1:50 000 of the Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC), License: CC BY-SA 4.0

バルセロナ方面からモンセラットへ向かう本来の巡礼路は、南麓に位置するコイバト Collbató の村から続く山道だ。その伝統を一変させたのが、1859年に当時の北部鉄道会社 Ferrocarrils del Nord が開通させた鉄道だった。これは、マンレザ Manresa 経由でバルセロナとリェイダ Lleida 以遠を結んだ広軌路線(下注)で、現在、カタルーニャ近郊線 Rodalies de Catalunya のR4系統が通っている。

*注 当時は1672mm。19世紀以来、軌間はスペインで1672mm、ポルトガルで1664mmと微妙な差があったが、1955年に基準が統一され、現在の1668mm(イベリア軌間 Iberian gauge)になった。

モンセラットの最寄り駅として、北東約5kmの地点にモニストロル・ノルド Monistrol-Nord(現 カステイベイ・イ・エル・ビラル=モニストロル・デ・モンセラット Castellbell i el Vilar - Monistrol de Montserrat)が開設された。そこから山へは、つづら折りの坂道を駅馬車がつないだ(下図左上)。

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旧 ラック鉄道と関連路線の変遷
 

しかし訪問者の増加につれ、馬車の輸送力に限界が見えてくる。当時、スイスのリギ鉄道 Rigibahn 開業(1871年)をきっかけに、ヨーロッパ各地でラック式登山鉄道に対する関心が高まっていた。機運に乗じてモンセラットでも、1878年に、スイスの事情に明るい鉄道技師と地元の実業家が組んで建設計画を発表した。リギで標準化されたリッゲンバッハ式、1435mm軌間の蒸気鉄道で、広軌線の駅と修道院とを結ぶというものだった。

認可が下り、建設と運行に当たる会社ムンターニャ・ダ・グランス・ペンデンツ(大勾配登山)鉄道 Ferrocarriles de Montaña a Grandes Pendientes(スペイン語表記)が設立されたが、期待に反して事業は一向に進まなかった。10年近い時間を浪費した後、仕様が見直され、1891年に改めて認可を得た。新しい計画では、同じラック蒸機ながら、新開発でより安価なアプト式を採用している。軌間もコンパクトな1000mm(メーターゲージ)だ。線形を厳しくできるので、橋梁の短縮やトンネルの回避が可能になり、建設費はかなり圧縮された。

今回は順調だった。その年の9月に工事が始まり、13か月後の1892年10月6日、モンセラット登山鉄道は開業の日を迎えた(上図右上)。所要時間は片道1時間5分で、3時間半もかかっていた馬車に比べて格段に速く、バルセロナから日帰りが可能になったのは画期的だった。物珍しさも手伝って、のこぎり山(=モンセラット)へ鋸歯(=ラック)を使って上る登山鉄道は、たちまちカタルーニャで最も人気のある乗り物になった。

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旧線が記載された1:50,000地形図
(スペイン陸軍地理局 Servicio Geográfico del Ejército 刊行)
391 Iguarada 1950年
392 Sabadell 1952年
Map derived from Atles topogràfic de Catalunya 1:50 000 of the Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC), License: CC BY-SA 4.0
 

次の節目は1922年10月だ。リョブレガト川 el Llobregat の谷を通って、メーターゲージ(1000mm軌間、以下、狭軌線という)の新線が開通したのだ。カタルーニャ鉄道 Ferrocarrils Catalans(下注)が建設したマルトレイ Martorell ~マンレザ間の路線で、マルトレイではバルセロナ方面に接続し、実質的にバルセロナとマンレザを結ぶ第2の鉄道になった。現在のFGC(カタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya)R5系統が通るルートだ。

*注 正式名 Companyia General dels Ferrocarrils Catalans (CGFC)。

新線と登山鉄道が交差する地点に乗換駅が設けられることになり、狭軌線に近づけるため、登山鉄道のルートは長さ973mにわたり移設された。

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狭軌線を行く現在の213系電車
モニストロル北方のリョブレガト川鉄橋にて
Photo by The Luis Zamora at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ここで、旧線のルートをモンセラット方向にたどってみよう。

起点駅は、初め広軌線の駅から長い階段を下りたところに置かれ、モニストロル・パルティダ(出発の意)Monistrol Partida と称していた。しかし、1905年にスイッチバックを介した737mの延長線が造られ、列車は広軌線と同じレベルで発着できるようになった。それに伴い、パルティダ駅は閉鎖された。

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広軌線のカステイベイ・イ・エル・ビラル=モニストロル・デ・モンセラット駅
右側の空地が登山鉄道の起点駅跡
(2009年撮影)
Photo by eldelinux at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

そこから路線は、いったんリョブレガト川の左岸を下る。支流をまたいだところに、バウマ停留所 baixador de la Bauma があった。またしばらく下流へ進むと、狭軌線に接続する(旧)モニストロル・エンリャス(ジャンクション)Monistrol-Enllaç 駅がある。その後、リョブレガト川を長さ118m、3連上路トラスの鉄橋で横断して、山へ向かう。54‰勾配の切通しを抜けると、中間駅のモニストロル・ビラ Monistrol Vila だ。鉄道の運行拠点とされ、車庫と整備工場もここに置かれていた。

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リョブレガト川を渡る登山列車
© 2020 Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC)
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今もレンガの橋脚・橋台が残存
from street view on Google map, © 2020 Google
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モニストロル・ビラ旧駅舎は鉄道の展示館に
Photo by Enric at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

駅の出口で、いよいよラック区間が始まる。現在の新線も、ここから旧線跡を利用している。短いトンネルを抜けた先に、モンセラットに上る車道と交差する踏切がある(下注)。そこは後に、踏切番の服を着て列車を見送る「踏切小屋の犬 Gos de la Casilla」で有名になり、乗客はそれにコインを投げるのが習わしだった。

*注 復活した新線では、この区間が谷寄りに移設され、立体交差化された。

ラック区間の中間部に設けられた複線は1.3kmあり(下注)、繁忙期に3列車が続行運転しても、走行しながら列車交換が可能な長さだった。路線最長のアポストルス(使徒)トンネル Túnel dels Apòstols を抜け、ほどなく終点のモンセラット・モネスティル(修道院)Montserrat-Monestir 駅に到着する。構内は今と違って屋外にあり、3線が敷かれたターミナルだった。

*注 新線では複線が420mに短縮。

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終点モンセラット・モネスティル駅
© 2020 Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC)
 

1920年代には、この終点駅でホームが拡張され、最大4編成の列車の留置が可能になった。並行して電化も検討されたが、財務上の理由とともに、修道院との合意が整わず、実現しなかった。

ここまでの約30年間は、登山鉄道にとって華やかなりし時代だ。かつての馬車道が自動車道に整備されたとはいえ、まだ大多数の訪問客は鉄道を利用して山に上っていたからだ。ところが、1930年代に入ると、風向きが変わっていく。

まず、別のライバルが登場した。1930年に開業した「アエリ・デ・モンセラット Aeri de Montserrat」、すなわちモンセラットに上るロープウェーだ。起点はリョブレガト川沿いの狭軌線のすぐそばで、狭軌線に乗換用の駅が新設された。それは、登山鉄道の接続駅より二駅バルセロナ寄りになる。しかもロープウェーはそこからわずか5分で、修道院の直下まで上りきる。輸送能力は登山鉄道に及ばないものの、時間の短縮効果は圧倒的だった。

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モンセラット・ロープウェーのゴンドラから
起点駅を見下ろす
Photo by The Bernard Gagnon at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

1936~39年の内戦(スペイン市民戦争)中も登山鉄道は走ったが、一般輸送は中止され、機関車はもっぱら、戦争の負傷者をモンセラットに置かれた陸軍病院に運び込む仕事に携わった。内戦が終結しても数年間は財政難で、設備更新に対する投資が滞った。その後は修道院の祝賀行事に伴い、旅客数が回復したものの、長年の酷使により設備の劣化が進行していたのは間違いない。

1953年7月25日、予想外の惨事が起きる。山上行きの列車がラック区間で突然下降し始め、後続の列車を巻き添えにして、その数百m下を走っていた第3の列車に衝突したのだ。この事故で8名が死亡、16名が重傷、116名が軽傷を負った。蒸機も3号機と5号機が大破して、廃車処分となった。

これを境に、会社の運命は暗転した。老朽化した鉄道に対する市民の不信が高まり、モンセラットの訪問客は、ロープウェーや自動車道を上るバス、自家用車に移っていった。もと8両あった蒸機は事故で6両に減り、1956年になると、部品不足で2号機と7号機が離脱、4号機は客車1両に制限された。悪循環の中で万策尽き、1957年5月12日、旧 モンセラット登山鉄道は65年間の運行の幕を閉じた。

登山鉄道の運行会社ムンターニャ・ダ・グランス・ペンデンツは、モンセラット山中に造られた2本のケーブルカーやヌリア登山鉄道の事業者でもあったため、その後も存続している。しかし、1982年にカタルーニャ州により買収され、1984年、残された鉄道の公営化の手続きが完了した。

復活した登山鉄道については、次回

■参考サイト
モンセラット登山鉄道 https://www.cremallerademontserrat.cat/
モンセラット(訪問者向け公式) https://www.montserratvisita.com/
モンセラット・ロープウェー https://aeridemontserrat.com/
Trens de Catalunya - Cremallera i Funiculars de Montserrat
http://www.trenscat.com/montserrat/

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2020年7月20日 (月)

ポルトの古典トラム II-ルートを追って

前回概要を記したポルトのトラム(路面電車)について、車窓風景や沿線の見どころを追っていこう。

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カイス・ダス・ペドラス Cais das Pedras の
旧道を行く1系統トラム
(写真はすべて2009年7月撮影)
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青・赤・緑のラインがトラム、なお18・22系統の電停名は下図参照
灰色はポルト・メトロ(LRT)
旗竿記号はCP(ポルトガル鉄道)
"Funicular" はギンダイス・ケーブルカー
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市街地を拡大
© OpenStreetMap contributors

1系統 パッセイオ・アレグレ Passeio Alegre ~インファンテ Infante

起点は河口側のパッセイオ・アレグレとされているが、観光客の視点に従って、中心街に近いインファンテから話を進める。

インファンテという地名は、15世紀に西アフリカを「発見」し、大航海時代の幕を開いたエンリケ航海王子 Infante Dom Henrique にちなむものだ。電停の近所、リベイラ Ribeira 地区に生家とされる「王子の家 Casa do Infante」がある。ポルト大聖堂 Sé do Porto の丘を仰ぐこの辺りはポルトの旧市街で、石畳の街路を多くの人が行き来している。

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(左)丘の上に大聖堂付属司教館が見える
(右)リベイラ、ドウロ河岸のプロムナード
 

電停の北側はゴシック建築の聖フランシスコ教会 Igreja de São Francisco、南側は道路を隔ててドウロ川の川岸が迫る。この川は箱型の谷の中を流れていて、すぐ上手にドン・ルイス1世橋 Ponte de Dom Luís I が架かっている。ギュスターヴ・エッフェルの弟子が設計した長さ395m、高さ85mの壮大な2層アーチ橋だ。見上げる高さの上部デッキを、ポルト・メトロ Metro do Porto の黄帯の電車が渡っていく(下注)のを眺めるのも楽しい。

*注 2003年まで上層も通常の道路だったが、2005年のメトロD線開通により、上層はLRVと歩行者の専用路になっている。

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ドン・ルイス1世橋を渡るポルト・メトロ
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対岸セラ・ド・ピラール Serra do Pilar から見た
ドン・ルイス1世橋と旧市街リベイラ
 

さて、インファンテ電停の引上げ線の端にもレモンイエローのトラムがいるが、これは臨時の案内所、兼切符売り場だ。パッセイオ・アレグレ方から接近してきた1系統トラムがその手前に停車して、乗客を降ろした。それから運転士が外に出てきて、トロリーポールを反対側へ回す。

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1系統の起点インファンテ
(左)トラム車両が案内所兼切符売り場に
(右)運行用トラムが到着
 

時刻になると停留所の位置まで移動し、新しい客を迎えた。ワンマン運転につき、運賃収受も運転士が行う。名物の川景色は、往路でもっぱら左車窓に展開するのだが、座席は両側ともけっこう埋まった。

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(左)レトロ感あふれるダブルルーフの車内
(右)出発
 

出発すると、一路西へ向かう。軌道は本来複線で、車道上に敷設(=併用軌道)されていたが、観光鉄道化に際し、単線で山側に寄せられ、歩道と一体化された。これで車の通行が円滑になるとともに、電車も渋滞に巻き込まれることがなくなった。軌道と歩道をセットにするのは一見大胆な発想だが、トランジットモールの変形と思えば違和感はない。

並行する道路の左側に大きな建物が見える。現在は博物館と会議場に改装されているが、ここはかつてドウロ川からの荷上場に使われ、税関と貨物駅(下注)があった。川べりの駐車場が貨物駅のヤード跡で、本線のカンパニャン Campanhã 駅から貨物線が来ていたのだ(1888年開通)。木陰のアルファンデガ Alfândega(税関の意)電停では、逆方向のトラムと交換する。

*注 地図に Antigo Terminal Ferroviário da Alfândega(旧アルファンデガ鉄道ターミナル)と注記がある。

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(左)軌道は歩道と一体化
  左は貨物駅跡、奥の建物は旧税関
(右)木陰のアルファンデガ電停
 

次のモンシーケ Monchique とカイス・ダス・ペドラス Cais das Pedras の電停間には、川岸を走っていた昔の風景を彷彿とさせる区間がある。車道を川の上に張り出させ、それによって軌道を旧道や護岸とともに残しているのだ。元の複線が単線化されてはいるものの、トラムの走る姿は、道の絶妙な曲がり具合とあいまって、絵になる光景だ。

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カイス・ダス・ペドラス旧道区間
(左)単線化されたものの昔の風情を残す
(右)反対側から撮影
 

そこを過ぎると、右手から18系統の複線が合流して、トラム博物館前の電停に着く。以前はマッサレーロス Massarelos と称し、位置ももう少し手前(インファンテ寄り)だったが、博物館の正面に移設された。

トラム博物館 Museu do Carro Eléctrico は、STCP(ポルト公共輸送公社 Sociedade de Transportes Colectivos do Porto)が運営している鉄道博物館だ。かつてこの鉄道に電気を供給していた火力発電所跡の建物を利用して、1992年に開設された。館内には、馬車鉄道から電気鉄道、トロリーバスに至る多彩な歴史的車両が展示され、19~20世紀のポルトの公共交通史が概観できる。

■参考サイト
トラム博物館 https://www.museudocarroelectrico.pt/

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トラム博物館
(左)正面
(右)内部に保存(一部復元)車両を展示
 

博物館前を出発すると、前方にドウロ川をまたぐ巨大アーチの道路橋、アラービダ橋が見えてくる。橋の真下のポンテ・ダ・アラービダ(アラービダ橋の意)Ponte da Arrábida 電停で、また逆方向のトラムと交換した。

オウロ Ouro あたりまで来ると、対岸がみるみる遠のいて、河口の川幅の広がりを実感する。フルヴィアル Fluvial からカンタレイラ Cantareira 電停にかけては、川岸との間が散策可能な公園にされ、野鳥の観察場所も作られている。

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(左)アーチ橋の真下にあるポンテ・ダ・アラービダ電停
(右)カンタレイラ電停付近
 

小さな灯台施設のある岬を回りきったところが、終点のパッセイオ・アレグレ Passeio Alegreだ。ここはもう河口の町フォス Foz の一部で、緑濃い公園の中を7~8分も歩けば、大西洋の波が洗う広い砂浜に出られる。

本来の路線は、フォスから海岸線を北上して、カステロ・ド・ケイジョ Castelo do Queijo、ポルトの外港マトジーニョス Mattosinhos まで達していた。しかし、今では路上の軌道はすっかり撤去され、500番の路線バスが代走している(下注)。

*注 終点パッセイオ・アレグレ~マトジーニョス間、および起点のインファンテ~サン・ベント駅前間の延長計画があるものの、具体的な実現の見通しは立っていない。

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終点パッセイオ・アレグレ
ポールを回して折り返しの準備
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(左)電停案内板、当時は30分間隔の運行だった
(右)終点から先、街路に残されていた複線の軌道
  現在は撤去済
 

前回にも記したが、パッセイオ・アレグレからの帰路で、トラムが混雑している、あるいは乗車時間を節約したいという場合、この500番バスに乗ると、ポルトの中心部、サン・ベント駅 Estação de São Bento やリベルダーデ広場 Praça da Liberdade まで直通で戻れる。

18系統 マッサレーロス Massarelos(現 トラム博物館 Museu do Carro Eléctrico)~カルモ Carmo

18系統は、1系統のトラム博物館電停が起点だ。そこからカルモまで、ルートは観光客に人気の1系統と22系統を橋渡しする形に設定されている。ポルトの主要市街地が展開するのは、起伏の多い台地上だ。起終点間の標高差は約80mあり、トラムの行く手にはきつい上り坂が待ち構えている。

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(左)マッサレーロス(現 トラム博物館)電停の18系統トラム
(右)左折して上り坂の併用区間に入る
 

出発すると、すぐに左折して1系統の軌道と別れる。そして複線のまま、道路上の併用区間に進入すし、その状態がエントレ・キンタス Entre Quintas 電停前まで続く。察するにこの区間は道幅が狭く、両側に建物も迫っており、1系統のように歩道側に寄せて単線化することができなかったようだ。言い換えれば、一般運行していた頃の姿が残された貴重な区間ということになる。

エントレ・キンタスでようやく軌道は単線になり、右側の歩道に移る。プラタナスのうるわしい木陰道で、右車窓にドウロ川が望める。距離は短いものの、写真映えのする区間だ。次のパラーシオ Palácio 電停には交換用の待避線があり、ついでに線路の位置は道路の左側に変わる。

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(左)プラタナスの木陰道
(右)パラーシオ電停で道路の反対側に移る
  (後方を撮影)
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右車窓からドウロ川が望める
 

飾り気のないレスタウラソン(復興)通り Rua da Restauração をさらに上ると、ヴィリアート Viriato 電停。上り勾配はここで収まる。線路の分岐が見えるが、行きは直進して、そのままコルドアリア庭園 Jardim da Cordoaria に入る。そして左折し、ポルト大学本部棟の横に設けられたカルモ電停に至る。

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カルモに到着
 

一方、帰りは北回りの軌道を通る。カルモ教会前から聖アントニオ総合病院 Hospital Geral de Santo António の敷地を迂回し、先述の分岐でヴィリアート電停に戻っていく。

22系統 カルモ Carmo ~バターリャ Batalha(現 バターリャ・ギンダイス Batalha Guindais)循環

カルモ電停は、中心市街地の西の入口で、ポルト大学本部棟に接する広場に置かれている。軌道が2本並び、あたかも複線のように見える。片方(西側)には南から18系統のトラムが到着し、もう一方には北から22系統バターリャ行きが入線してくる。

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カルモ電停
(左)透かし文字の行先表示板を交換
(右)両系統のトラムが連絡
 

22系統は2007年9月に観光路線としての運行を開始している。中心市街の軌道は1970年代後半に撤去されたので、30年ぶりの復活だった。ルートはバイシャ・ド・ポルト Baixa do Porto(ポルト中心街)を循環しており、どの電停から乗っても同じ場所に戻ってこられる。一周にかかる時間は標準30分だ。

カルモを南向きに発車すると、すぐに左折して、コルドアリア庭園の中を通過する。そしてクレーリゴスの塔 Torre dos Clérigos を正面に見ながら、通りを斜めに横断する。市街地で最も高い展望台として知られるこの鐘塔は、クレーリゴス教会の付属施設だ。

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クレーリゴスの塔の裾を狭いアスンサン通りへ
 

トラムはクレーリゴス電停を通過し、教会横の狭い小路、アスンサン通り Rua da assunção をすり抜ける。再び大通りのクレーリゴス通り Rua dos Clérigos に顔を出し、急な坂を下り続ける。周りは商店街で、そぞろ歩く人も多いから、運転には気を遣うことだろう。

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(左)坂の上のクレーリゴス教会(後方から撮影)
(右)クレーリゴス通りを下りきる
 

坂の下の、リベルダーデ広場 Praça da Liberdade 電停で停車。左手がその広場で、ドン・ペドロ4世の騎馬像と、その後方に白亜の市庁舎が見える。なお、CP(ポルトガル鉄道)とポルト・メトロのサン・ベント駅 Estação de São Bento へ行く場合は、ここが最寄り電停になる。

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リベルダーデ広場を北望
奥に見えるのが市庁舎
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CP サン・ベント駅正面
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アズレージョの壁画に囲まれたサン・ベント駅のホール
 

地形的に見れば、市庁舎~リベルダーデ広場~モウジーニョ・ダ・シルヴェイラ通り Rua de Mouzinho da Silveira のラインに深い谷筋が走っている。22系統のルートは行きも帰りもそれを横断する形だ。そのため、サン・ベント駅横で、今度は急な上り坂が始まる。1月31日通り Rua 31 de Janeiro と呼ばれるこの街路は直線かつ一定勾配で、坂上の突き当りに、ファサードを飾る美しいアズレージョ(装飾タイル)で知られる聖イルデフォンソ教会 Igreja de Santo Ildefonso が建つ。

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1月31日通りの急坂を上る
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(左)聖イルデフォンソ教会の角を右折
(右)聖イルデフォンソ教会のファサード
 

その教会前で右折すると、北回りの軌道と合流する。もう一度左に曲がったところが、バターリャ広場 Praça da Batalha だ。従来、電停名もバターリャ広場だったが、STCPの最新資料ではバターリャ Batalha に改称され、そのため終点バターリャが、バターリャ・ギンダイス Batalha Guindais になっている。ちなみに、広場の南側に、カンパニャン駅方面へ分岐していた軌道を利用した三角線がある。運行中のトラムはすべて両運転台車なので、通常使われることはないのだろうが。

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バターリャ(旧 バターリャ広場)電停のT系統
 

広場から南下すると、まもなく終点バターリャ・ギンダイスだ。軌道はここが行き止まりで、トラムはポール回しをして、元来た道を引き返す。2本敷かれた軌道の間にある地下階段を降りていくと、川岸へ降りるギンダイス・ケーブルカー Funicular dos Guindais の乗り場に通じる。

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バターリャ・ギンダイス電停
(左)トラムの右がケーブルカーへの地下道入口
(右)折り返し出発を待つ
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ギンダイス・ケーブルカー
 

さて、カルモへの復路は、先述の聖イルデフォンソ教会前までは同じだが、そこで往路の軌道と別れて北へ直進する。ポルトきってのショッピング街、聖カタリーナ通り Rua de Santa Catarina では、舗道のモザイク模様にも注目したい。軌道が狭い車道上に敷設されているため、トラムはしばしば渋滞に巻き込まれる。サンタ・カタリーナ Santa Catarina 電停通過後、次の角で左折し、長い下り坂に入る。

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買い物客で賑わう聖カタリーナ通り
 

降りきったあたりに、ドン・ジョアン1世広場 Praça D. João I の電停がある。その後すぐ、リベルダーデ広場の北に延びる広場、アリアードス Aliados を横断する。往路で遠望した市庁舎が近くに見える。広場の地下には、メトロD線のアリアードス駅があり、乗り換えが可能だ。先述の通り、ルートは谷を横切っているので、後は上り坂だ。セウタ通り Rua de Ceuta とそれに続く街路を道なりに進んでいくと、見覚えのあるカルモの教会が見えてくる。

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アリアードスからセウタ通りを上る
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(左)ギレールメ・ゴーメス・フェルナンデス(広場)電停
   Guilherme Gomes Fernandes
(右)カルモ教会前に戻ってきた
 

写真はすべて、2009年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
STCP https://www.stcp.pt/
Porto-north-portugal.com https://porto-north-portugal.com/
The Trams of Porto(愛好家サイト)http://tram-porto.ernstkers.nl/

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 ポルトの古典トラム I-概要

2020年7月15日 (水)

ポルトの古典トラム I-概要

1系統 パッセイオ・アレグレ Passeio Alegre ~インファンテ Infante
18系統 マッサレーロス Massarelos(現 トラム博物館 Museu do Carro Eléctrico)~カルモ Carmo
22系統 カルモ Carmo ~バターリャ Batalha(現 バターリャ・ギンダイス Batalha Guindais)循環

全長8.9km、軌間1435mm、直流600V電化
1872年馬車軌道として開通
1895年から電化

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1月31日通り Rua 31 de Janeiro の急坂を上る古典トラム
(写真はすべて2009年7月撮影)
 
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ポルトガル北部の中心都市、ポルト Porto の市街地を、ノスタルジックな風貌のトラム(路面電車)が走っている。トラムはポルトガル語でカーロ・エレークトリコ carro eléctrico、つまり電気馬車という。もはや日常的な市内交通の担い手ではなくなったが、この世界遺産都市を訪ねてくる旅行者のために、観光アトラクションとして運行され続けている。

ポルトのトラムは約150年の歴史がある。1872年にポルト馬車鉄道会社 Companhia Carril Americano do Porto が、市内のインファンテ Infante およびカルモ Carmo と大西洋岸のフォス Foz の間で開業した馬車鉄道が最初だ。翌年、路線は海岸をさらに北上して、マトジーニョス Matosinhos まで延長された。

アメリカから輸入されたシステムだったので、馬車鉄道(正確にはレール上の馬車車両)のことを「カーロ・アメリカーノ carro americano(アメリカの馬車の意)」と呼んだが、実際に牽いていたのはラバだった。雄のロバと雌馬の交雑種であるラバは、馬より忍耐強く丈夫で長寿命とされ、好んで使役されていたのだ。

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馬車鉄道8号車
トラム博物館の展示を撮影、以下同じ
 

それに遅れること2年、ポルト路面鉄道会社 Companhia Carris de Ferro do Porto という別の会社が、1874年にカルモからボアヴィスタ Boavista 経由でフォスに至る馬車鉄道線を開業した。さらに1878年からは郊外で路面蒸気機関車による運行も始めている。こうして波に乗った同社は、1893年にポルト馬車鉄道を買収し、ポルト周辺の路面軌道網を一元化した。

ポルトの市街地は急な坂道が多く、1両を牽くのにラバが6頭も必要だった。そこで会社は、勾配に強い電車の導入を計画する。ドウロ川沿いのアラービダ Arrábida に設けた火力発電所から供給された電力を使って、1895年にまずカルモ~アラービダ間が電化された。これはスペインを含むイベリア半島で初めての電気鉄道となった。

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(左)22号電車は馬車鉄道の車体を用いた改造車両
(左)オープンタイプの100号電車
 

電化区間はその後も徐々に延伸され、1904年には牽き手のラバたちを、1914年には蒸気機関車をそれぞれ完全に駆逐している。電力の増強が必要になり、1915年に少しポルト寄りのマッサレーロス Massarelos に、新しい火力発電所が造られた。現在、トラム博物館 Museu do Carro Eléctrico に利用されている建物だ(下注1)。また、主要な車庫と整備工場は、1874年の開業当初からボアヴィスタに置かれていた(下注2)。

*注1 1957年の発電所廃止後は車庫に転用され、1992年5月に博物館が開館。
*注2 車庫は1999年に解体され、跡地は音楽ホール「カーザ・ダ・ムージカ Casa da Música(音楽の家の意)」に転用。

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(左)火力発電所跡地はトラム博物館と車庫に
(右)ボアヴィスタの車庫跡地は音楽ホールに転用
 

トラム路線網は、第二次世界大戦後の1946年にポルト市が買収(公有化)した。運営に当たるために、ポルト公共輸送局 Serviço de Transportes Colectivos do Porto (STCP) が設立された。1950年が路線網のピークで、38路線(系統)150kmの線路に、電車193両、付随車24両が稼働していたという。空圧式の自動ドアを備えたモダンな500形が試作されたのもこのころだ(1951年製)。しかしこれは1両きりで、量産されることはなかった。

STCPはすでに1948年からコストの安い路線バスの導入を始めており、1959年にはトラムの段階的廃止と、トロリーバスへの転換に舵を切っている(下注)。1967年にはトラムから路線バスへの切り替えも始まった。

*注 トロリーバスは市街地から北東、東および南の郊外へ向かう路線に導入されたが、1997年に全廃され、バスに転換。

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(左)自動ドアを備えた500形
(右)トラム路線を代替したトロリーバス
 

こうして1960~70年代は運行の撤退が続き、1984年にトラムはわずか3路線(1、18、19系統)まで縮小されていた。奇しくもこれらは初期に開通した路線だった。その後しばらく運行が続けられたが、1990年代に入ると、古くなったトラムを一般輸送から解放して、観光資源に特化させる計画が議論されるようになる。

再び路線の整理が加速された。最後に残された18系統(当時はカルモ~フォス~カステロ・ド・ケイジョ Castelo do Queijo ~ボアヴィスタ間)も1996年に運行時間帯が短縮され、本数も削減されてしまった。

それから数年間は、観光化に向けての改修工事が行われたため、区間運休が相次いだ。運行形態が今の形に固まったのは、1系統が2002年(下注)、18系統が2005年だ。そして2007年9月に市内中心部を循環する22系統が30年ぶりに復活して、観光トラムの路線網が完成した。

*注 路線バスの1系統(現 500系統)と区別するため、しばらくの間1E系統と呼ばれていた。

なおこの間1994年に、運営主体のSTCPは有限責任会社 sociedade anónima に改組されている。略称のSTCPは変わらないものの、正式名称はポルト公共輸送公社 Sociedade de Transportes Colectivos do Porto になった。

現在のトラム路線図は、下図の通りだ。

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青・赤・緑のラインがトラム、なお18・22系統の電停名は下図参照
灰色はポルト・メトロ(LRT)
旗竿記号はCP(ポルトガル鉄道)
"Funicular" はギンダイス・ケーブルカー
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市街地を拡大
© OpenStreetMap contributors
 

路線にはそれぞれ特色がある。

1系統 Linha 1 は、ドウロ川 Rio Douro の川べりを終始走る路線だ。運行区間は、河口のフォス地区にあるパッセイオ・アレグレ Passeio Alegre から、旧市街の入口に当たるインファンテまで。朝9時から20分間隔で、夜20時台(冬季は19時台)まで運行される。所要時間は23分。車窓から川景色をたっぷり楽しめるので、観光客に人気があり、乗車率も高い。

ちなみに500番の路線バスが同じルートを並走しており、こちらは10分間隔、同区間(イグレージャ・ダ・フォス Igreja da Foz ~リベイラ Ribeira が該当)を14分で走破してしまう。トラムが混雑しているときは、片道をバスにするのも一つの方法だ。

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1系統は終始ドウロ川右岸に沿う
 

18系統は、1系統マッサレーロス(現 トラム博物館 Museu do Carro Eléctrico)電停が起点で、坂を上って、ポルト大学本部前のカルモに至る。カルモ付近はループ線(環状)になっていて、行きと帰りでルートが異なる。運行は30分間隔で、所要時間12~13分。沿線に取り立てて有名な観光スポットがないため、車内は比較的すいている。

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18系統はカルモで22系統と接続
左の建物はポルト大学本部
 

22系統は、そのカルモからポルトの中心市街地を貫いて、バターリャ(現 バターリャ・ギンダイス Batalha Guindais)まで行く。戻りは北側の街路を通るので、全体として反時計回りの循環ルートになっている。居ながらにして市街地見物ができ、バターリャでは川岸へ降りるギンダイス・ケーブルカー Guindais Funicular の乗り場にも直結しているので、利用価値のある路線だ。

所要時間は1周30分とされているが、狭い街路を行くため、交通渋滞や路上駐車の影響で遅れることもままある。運行間隔も30分と開いているので、観光目的ならともかく、実用的な手段とは言いがたい。ちなみに、カルモとバターリャの間は約1km、アップダウンはきついが、歩いても15分程度だ。

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アスンサン通り Rua da Assunção へ入る22系統
左はクレーリゴスの塔 Torre dos Clérigos
 

これらとは別に、かつてはT系統「ポルト・トラム・シティ・ツアー Porto Tram City Tour」も運行されていた。系統名のTが turista(観光)を意味するとおり、上記3つの路線を直通する周遊観光路線だった。ルートは、1系統のインファンテを起点に、マッサレーロスでスイッチバックして18系統の線路に入る。カルモでは渡り線を経由して22系統の線路に移り、バターリャまで行く。復路は北回りでカルモ、マッサレーロスとたどってインファンテに戻るというものだった。しかし、通しの利用者は少なく、運営コストの削減を理由に廃止されてしまった。

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T系統
カルモ教会 Igreja do Carmo 前で暫時休憩
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(左)T系統に使われていた222号車
(右)車内

トラムの運賃は2020年7月現在、1回券が3.50ユーロ、2回券(ただし当日限り有効)は6ユーロだ。車内で運転士から購入する。これとは別に、乗車回数に制限のない2日券(大人10ユーロ)もあり、これは車内のほか、トラム博物館やホテルなどでも扱っている。

注意すべきは、乗車券がトラム専用だということだ。ポルトでは、路線バスやポルト・メトロ(下注)などの公共交通機関でICカード「アンダンテ Andante」が普及しているが、シーズン券(定期券)を除いてトラムには有効でない。このことからも、トラムが市民のふだん使いを想定していないことがわかる。

*注 ポルト・メトロ Metro do Porto は、ポルト市内と近郊を結ぶLRTの名称。

では、トラムが走るルートを具体的に追ってみよう。続きは次回に。

写真はすべて、2009年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
STCP https://www.stcp.pt/
The Trams of Porto(愛好家サイト)http://tram-porto.ernstkers.nl/

★本ブログ内の関連記事
 ポルトの古典トラム II-ルートを追って
 マン島の鉄道を訪ねて-マンクス電気鉄道

2020年7月 8日 (水)

ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ

ヌリア登山鉄道 Cremallera de Núria

リベス・エンリャス Ribes-Enllaç ~バイ・デ・ヌリア(バル・デ・ヌリア)Vall de Núria 間 12.5km
軌間1000mm、直流1500V電化、アプト式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配150‰
1931年開通

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バイ・デ・ヌリア駅に到着した登山電車
 

イベリア半島の北を限るピレネー山脈の懐深く、その登山電車は上っていく。行先は、標高2800mの峰々にいだかれたカタルーニャ(カタロニア)の聖地ヌリア Núria だ。

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鉄道の名は「クレマリェラ・デ・ヌリア(ヌリア登山鉄道)Cremallera de Núria」(下注)という。スペイン北東部、カタルーニャの州都バルセロナ Barcelona から列車で2時間半ほどの、リベス・デ・フレゼル Ribes de Freser が起点だ。ヌリアには車道がいっさい通じていない。そのため、昔ながらの険しい山道を歩く人は別として、登山電車が聖地へ到達する唯一の手段になっている。

*注 Cremallera(クレマリェラ、クレマイェラ)は、フランス語の Crémaillère と同じく、歯竿(ラックレール)を意味する。

ヌリアに建つ教会には、12~13世紀ごろの作とされる木彫りの聖母像が伝わり、人々の篤い信仰を集めてきた。加えて夏は避暑やトレッキング、冬は周囲のゲレンデでのスキーと、ヌリアへ向かう車内はそのつど賑わいを見せる。

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バイ・デ・ヌリアの風景
正面は教会棟(バシリカ)、鉄道駅はその右横に隠れている

リベス・デ・フレゼルへは、バルセロナの中央駅、バルセロナ・サンツ Barcelona-Sants から、R3系統(下注)の列車が連絡している。ロダリエス・デ・カタルーニャ(カタルーニャ近郊線)Rodalies de Catalunya の路線網に組み込まれているとはいえ、そこは近郊どころか、フランス国境にほど近い山中だ。

*注 R3系統の終点はバルセロナから約150km、フランス側のラトゥール・ド・カロル=アンヴェチ Latour de Carol-Enveigt。

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(左)サンツ地下駅の列車案内、3行目の6:22発に乗る
(右)車両はRENFE 447系
 

サンツ発、早朝6時22分の列車に乗った。オレンジのアクセントカラーをまとう連接式電車は、地下から出ると北に進路をとる。いったん山が迫ってくるが、また平原に出た。ビック Vic を通過し、2時間近く乗ったころ、いよいよ車窓は山峡の景色に変わる。リベス・デ・フレゼルの5番線、8時47分着。多くの降車客があった。

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リベス・デ・フレゼル駅に到着
 

レンガ建ての旧国鉄駅舎から広場を隔てて北側に、石造りの駅舎が見える。妻壁に「リベス・エンリャス Ribes-Enllaç(リベス・ジャンクションの意)」と切り文字で記された登山鉄道の駅だ。中に入り、さっそく窓口でヌリアまでの乗車券を買い求めた。大人往復25.50ユーロ。

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登山鉄道の起点リベス・エンリャス駅
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(左)インフォメーション兼出札窓口
(右)ヌリア往復の乗車券
 

ヌリア登山鉄道は、リベス・エンリャスからバイ・デ・ヌリア Vall de Núria(ヌリア谷の意)に至る長さ12.5km、メーターゲージ(1000mm軌間)の登山鉄道だ。起点の標高905mに対し、終点は1964mで、高度差が1059mある。そのため、フレゼル川に沿う最初の5.5kmこそ粘着式だが、残りの区間はアプト式ラックレールが敷かれ、最大150‰の急勾配で上っていく。

2019年の夏ダイヤは、平日が5~6往復、土休日とハイシーズン(7月下旬~9月上旬)が11往復だ。このほか、毎金曜日と8月中に夜間の増便がある。全線の所要時間は上下方向とも40分。

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リベス・エンリャス~ケラルブス間のルート
Map derived from Atles topogràfic de Catalunya 1:50 000 of the Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC), License: CC BY-SA 4.0
 

駅舎の奥に、トラス屋根を架けた乗り場がある。相対式ホーム2面2線(下注)の配置だが、2線とも列車が並列に入り、満杯の状態だ。きょうは客が多いから、朝9時10分発の一番列車は続行運転になるようだ。後続の電車に席を得て、先発する列車を窓から見送った。

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(左)屋根に覆われた発着ホーム
(右)右奥が先発、左正面は続行便
 

まもなくこちらも発車。構内を出ると、右カーブしてフレゼル川 Freser を横断する。そしてリベス・デ・フレゼルのやや鄙びた町裏を見ながら、山際をくねくねと走る。

最初の停車駅は、起点から1.2kmのリベス・ビラ Ribes-Vila だ。ビラ(下注)とは町のことで、リベス市街地の最寄り駅になる。エンリャスと同じような石造りの駅舎が、乗降客を迎える。駅前左手にはヌリア・ラック鉄道展示館 Exposicio cremallera de Núria があり、ここで活躍した各世代の車両が保存されている。また、線路をはさんで反対側には車庫も建つ。

*注 カタルーニャ語はスペイン語と同じくVとBの発音を区別しないので、音訳ではヴァ行を用いず、バ行で記す。

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フレゼル川の高架橋を渡って対岸へ
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リベス・ビラ駅
町の玄関口のため立派な造り
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ラック鉄道展示館は入場無料
(左)駅舎側の入口 (右)内部
 

列車は、町の通りを横断し、やがてフレゼ川の緑の谷間に入っていく。素掘りの短いトンネルをくぐり、小さな水力発電所の横を鉄橋で渡る。旧 リアルブ Rialb 駅は跡形もない。少し進んだところ(5.5km地点)で減速した。ラックレールにピニオンが噛み合う音が聞こえて、いよいよ急坂の始まりだ。長さ110mの大きく弧を描く高架橋が、支谷をまたいでいる。

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(左)町の通りを横断(帰路撮影、以下同)
(右)水力発電所の横の鉄橋
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(左)ラック区間の始点
(右)弧を描く高架橋
 

坂の途中に、ケラルブス Queralbs 駅がある。起点6.3kmの交換駅で、本線側2線のほかに、行き止まりの側線2本を有する。ここ始発の列車は、側線側から出発するのだ。この日は「Sport Wagen(スポーツカー)」のロゴがついた中古の客車2両が留置してあった。スイスのマッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB) から購入したもので、特別運行で使用される。

意外に乗降客が多いのは、村の玄関口であることの他にも理由がある。一つは、ヌリアとの間の登山道(ケラルブス=ヌリア旧道 Camí Vell de Queralbs a Núria、下注)を歩くハイカーが利用することだ。もう一つ、ここまでは車で到達できるので、マイカーを駅横の駐車場に停めて、列車に乗り込む人が一定数いる。

*注 鉄道がなかった時代の旧道。ケラルブスから距離7.2km、高度差780m、上り3時間15分。

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ケラルブス駅
(左)乗降が結構ある
(右)スイスMGBから来た客車が留置
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ケラルブス~バイ・デ・ヌリア間のルート
Map derived from Atles topogràfic de Catalunya 1:50 000 of the Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC), License: CC BY-SA 4.0
 

再び動き出すと、右の車窓にフレゼル川の谷の眺望が開けてくる。山脚を回り、沢を一つ渡った後は、谷底との高度差が200mを超える。線路脇に「ビスタ・アレグレ Vista alegre(爽快な眺望の意)」と書かれた立て札が見えるが、なるほどそのとおりだ。

しかし車窓のパノラマは、次の山脚を回り、右前の谷向うに、荒々しい露岩の山ロケ・デ・トトロモン Roque de Totlomón の姿を認めたところで突然終了する。列車は、長さ1320mあるロック・デル・ドゥイトンネル Túnel Roc del Dui の闇に吸い込まれていく。

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ビスタ・アレグレ(爽快な眺望)
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ロック・デル・ドゥイトンネルの山麓側ポータル
旧線跡(右写真)が右奥へ延びる
 

路線最長のトンネルは2008年、フォンタルバ Fontalba 駅(旅客扱いなし)との間に完成した新線だ。以前は、断崖絶壁の中腹を穿って確保したスリリングな桟道を通過しており、運行は落石の危険と常に隣り合わせだった。トンネル開通により車窓の眺望は失われたが、引き換えに安全性は確実に向上した。廃止された旧線跡は作業用道路として残されている。

9.6km地点のフォンタルバは、両側をトンネルに挟まれた狭隘な場所にある。交換設備は、新トンネルの内部まで拡張されている。フォンタルバの後、再び突入する素掘りのトンネルは(大)フォンタルバトンネル Túnel (gran) de Fontalba(下注)といい、かつてはこれが路線最長だった。

*注 以前はフォンタルバ駅の下手にあった小フォンタルバトンネル Túnel petit de Fontalba に対して、大フォンタルバトンネルと呼ばれた。

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山上側ポータルの前後は長い複線で、
フォンタルバ駅(右写真)まで続く
 

気がつくと、谷は見違えるほど浅くなっている。フレゼル川支流、ヌリア川の谷(バイ・デ・ヌリア)に入ってきたのだ。この付近は、古代の堆積岩がマグマの熱と圧力で変成した、非常に硬い片麻岩の地層で、侵食が進んでいない。そのため、フレゼル川の本谷とは数百mの高度差が生じている。

ここまで来れば、登山鉄道は必要な高度を概ね稼いだことになる。実際、終盤の約3kmは、川の流れに導かれるように谷間を上っていく。登山道として使われる旧道が並行しており、素朴なアーチの石橋が渓流をまたいでいる。帰りの車内からは、歩いて降りるハイカーの姿も見かけた。

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(左)ヌリア川の渓流
(右)浅くなったヌリア川の谷を渡る
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ヌリアトンネル
(左)山麓側 (右)山上側
 

終幕の場面展開は、なかなか劇的だ。最後のトンネルをくぐり抜けると、突然視界が開け、今まで目にしてきた荒々しい風景とはまるで違う、一面瑞々しい青草に覆われた小盆地が現れるからだ。左手はなみなみと水をたたえた湖(貯水池)で、上流側に、時計塔を正面に抱く豪壮な教会棟(バシリカ)が建っている。列車はその傍らにあるバイ・デ・ヌリア駅の石張りのホームに静かに滑り込む。

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貯水池の岸を行く列車
右端にヌリアトンネルが見える
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線路脇の遊歩道から教会を望む
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(左)バイ・デ・ヌリア駅到着
(右)駅舎

歩いて上るより方法のなかったヌリアに、車道あるいは鉄道の建設が提起されたのは、第一次世界大戦中の1917年のことだ。それに先立つ1911年に、ヌリアでは古い教会が取り壊され、現在の教会が献堂されていた。引き続き、宿舎その他巡礼のための施設の整備も進められており、訪問者が急増していたことがその背景にある。

民間会社のムンターニャ・デ・グランス・ペンデンツ(大勾配登山)鉄道 Ferrocarrils de Muntanya de Grans Pendents (FMGP) が、事業を引き受けた。同社は、バルセロナ近郊のモンセラット修道院に上る別の登山鉄道(下注)の運行事業者で、ヌリアの仕様もそれに準じたものになった。すなわち軌間1000mm、アプト式のラックレールで、当初予定の蒸気運転は、後に電化に変更された。計画は認可を受け、1928年5月に建設工事が始まった。

*注 モンセラット登山鉄道 Cremallera de Montserrat。本ブログ「モンセラット登山鉄道 I-旧線時代」で詳述。

谷に橋を架け、断崖を削り、8本のトンネルを貫く難工事だったが、1930年の年末には、モンセラットから運んだ蒸気機関車で、試運転が行われている。そして1931年3月22日、鉄道は開業を迎えた。

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鉄道展示館のラック蒸機
1892年SLMヴィンタートゥール製
説明パネルによれば、フランス、エクス・レ・バン近郊のモン・ルヴァール鉄道 Chemin de fer du Mont-Revard に納入された後、1897年にスイスのゴルナーグラート鉄道建設に従事。1920年に大勾配登山鉄道(FMGP)が購入し、モンセラット鉄道の勾配に適合させるため、ボイラーの傾斜を強めたことで「ねこ背 La Geperuda」のあだ名をもらう。1930年夏にヌリア登山鉄道の工事用機関車として、当地に到来。
 

しかし当時、国内の政治状況は悪化の一途をたどっており、それは路線の運営に直接の影響を及ぼした。とりわけ内戦(スペイン市民戦争)が続いた1936~39年には、断続的に運休を余儀なくされている。また、洪水による深刻な被害に見舞われたことも何度かあった。

1960年代になると、カタルーニャに観光ブームが到来する。それにつれて路線の経営状態も改善したが、長年、費用のかかる改修を先送りしてきたつけで、施設設備の劣化は着実に進行していた。1982年にまた水害に見舞われたのをきっかけに州政府が介入し、1984年2月に鉄道は州に買収された。

以来、路線の運営はカタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya (FGC) が行っている。この間に、線路と架線が全面的に改修され、新型電車も導入されて、鉄道はみごとに蘇った。

こうした経緯を反映して、営業車両も3世代に分かれる。第1世代は開業時の古典編成で、1930~31年SLM及びBBC製の6軸電気機関車E1~E4と、ボギー客車の組み合わせだ。リベス・エンリャスの2番線に留置されていた機関車E1と客車21号がそれで、特別列車に運用される。E2とE3は、リベス・ビラの鉄道展示館で見られる。E4は同駅の車庫にいて、線路の保守作業に今でも出動するという。

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機関車E1と旧型客車21号
リベス・エンリャスの2番線に留置
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旧型客車のサロンカー Coche salon
右写真は内部
 

第2世代は、州有化後の1985年に、第1世代を置き換える目的で導入された連接式電車だ。SLM及びBBC製のBeh 4/8形で、A5~A8の車番をもち、日常的に運用されている。2007~08年に改修を受けているので、内装は第3世代と遜色がない。

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第二世代のBeh 4/8形電車
 

その第3世代は2003年、モンセラットで登山鉄道が復活する際に同時調達されたスイス シュタッドラー・レール Stadler Rail のGTW 2/6形だ。部分低床の客車2両の間に短い駆動ユニット車が挟まった関節式と呼ばれるタイプで、車番A10とA11がそれに当たる(下注)。

*注 GTW 2/6形はモンセラット登山鉄道の輸送力増強のために移籍が予定されており、2020年6月にまずA10がモンセラットに移された。

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第三世代のGTW 2/6形電車
内部は部分低床

ヌリアはカトリックの聖地であるだけでなく、カタルーニャ人にとって自治獲得の歴史の故地としても重要だ。鉄道開通の1931年、教会棟にあるホテルの一室でカタルーニャ自治憲章の案が起草された。それは翌年、厳しい修正を受けながらも、スペイン国会で可決成立した。自治憲章はその後も何度か制定されるが、その最初のもので、起草地の名をとって「ヌリア憲章 Estatut de Núria」と呼ばれる。

ヨーロッパでも、有名な教会の周りには門前町があり、土産物屋やレストランが軒を並べているのが通例だ。ところがヌリアでは驚くことに、教会棟と若干の建物があるばかりで、拍子抜けするほど静かだ(下注)。これほど禁欲的な場所に、なぜ登山電車の経営が成り立つほどの客が次々と訪れるのか。その答えは、地域の歴史との深いかかわりを差し置いては考えられない。

*注 教会棟にはホテルやセルフサービスのレストランなどが入っている。周辺にも若干の宿泊施設やレストランがある。

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(左)教会棟(バシリカ)正面
(右)聖母像の発見地に建てられた聖ジルの庵 Ermita de Sant Gil
 

写真はすべて、2019年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
Vall de Núria https://www.valldenuria.cat/
 トップページ > Cremallera(ラック鉄道)
カタルーニャ近郊線 Rodalies de Catalunya http://rodalies.gencat.cat/
Youtube - Cremallera de Núria(旧線時代の全区間前面展望)
https://www.youtube.com/watch?v=kaOvg5FBZ7g

★本ブログ内の関連記事
 モンセラット登山鉄道 I-旧線時代
 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I

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