イギリスの地形図略史 III-戦後の1インチ図
戦時改訂 War Revision
第二次世界大戦の勃発により、進行中だった1インチ図(1:63,360)の第5エディションは刊行できなくなってしまった。完成したのはイングランド南部だけで、他の地域は前世代のポピュラーエディションのまま残された。陸地測量部 Ordnance Survey (OS) の喫緊の課題は、軍用地図の準備だった。「改訂英国系 Modified British System」の1kmグリッド(方眼)を加刷したこの1インチ図は、「1940年戦時改訂(版)War Revision 1940」と呼ばれる。新市街地の描写を、多くの場合ハッチングで輪郭を示すにとどめた応急版だった。
その後、平時の水準に近い4色刷で「第2次戦時改訂(版)Second War Revision」が作成されていく。最終的にイングランドとウェールズの大半をカバーしたが、スコットランドには及ばなかった。こうした戦時の1インチ図は平図(折り畳まない状態)のまま刊行され、表紙は付けられていない。
ポピュラーエディションにグリッドを加刷したスコットランドの軍用図 「陸軍省版 War Office Edition」の記載がある 72 Glasgow 1947年 reproduced with the permission of the National Library of Scotland https://maps.nls.uk/ |
ニューポピュラーエディション New Popular Edition
戦争直前の1938年に、OSは次の第6エディション Sixth Edition の開発作業に着手していた。これは図郭をナショナルグリッド National Grid で整列し、従来別体系だったイングランド及びウェールズとスコットランドとを共通体系化するという画期的なシリーズになるべきものだった。
しかし戦争で作業は中断する。終戦後の1945年にようやく刊行が始まり、1947年12月にイングランドとウェールズで完了した。これが「ニューポピュラーエディション New Popular Edition」だ。名称が「第6」でないのは、ポピュラーエディションに基づき、応急的に作られたことを象徴している。
ニューポピュラーエディションの表紙 |
戦前の印刷原版は、1940年11月のサウサンプトン空襲の際に焼失してしまったため、残っていた複製原版が利用され、「第6」で計画された図郭(縦45km×横40km)に合わせて切り貼りされている。内容は、第5エディションや戦時改訂などの資料で補われているが、全面改訂ではないので、戦後の国土の状況を完全には反映していない。
また、スコットランドについてはこの作業も実施されず、既存のポピュラーエディションにナショナルグリッドを加刷しただけになった。下図は「ニューポピュラーエディション」のカバー裏面に印刷された一覧図だが、イングランド及びウェールズは新図郭で、「第6」の通し図番が採用されているのに対し、スコットランドはまだポピュラーエディションの図郭・図番のままであることがわかる。
ニューポピュラーエディションの索引図 |
「ニューポピュラーエディション」の表紙(上の画像参照)は、イラストに代わってライオンとユニコーンが盾を支えるイギリスの国章が上部に配された。地図用紙は、ポピュラーエディションのバリエーションを踏襲して、紙、リネン裏打ち紙、用紙切り分け・リネン裏打ち(下の画像参照)の3種が作成されている。
ニューポピュラーエディションの例 用紙を切り分け、リネンを裏打ちした版 180 The Solent 1945年 |
第7シリーズ Seventh Series
複製原版を使わざるを得なかったニューポピュラーエディションは、印刷の質も十分でなく、あくまでピンチヒッターの位置づけだった。これに代わる新版1インチ図の製作は1948年に始められた。当初これは第7エディション Seventh Edition と呼ばれていたが、後にNATOの用語に従い、「第7シリーズ Seventh Series」に変更された。「エディション」は、シリーズに属する図葉のバージョンを表す用語になった。
「第7シリーズ」は、戦争のために幻となった第6エディションの思想を受け継いでいる。すなわち、OSの担当エリアであるイングランド、ウェールズ、スコットランドを、ナショナルグリッドに基づく統一体系でカバーした初めての1インチ図だ。1952年から刊行が始まり、1961年に全190面の刊行を完了した。その後も改訂が続けられたが、1974~76年にメートル尺の1:50,000に全面的に置き換えられたので、1インチ図としては最後のシリーズとなった。
第7シリーズの表紙 (左)初期のアールデコ様式 (右)後期の赤表紙 |
図郭は「第6」で設計された縦45km×横40kmの規格が用いられ、隣接図との重複域を持たないのが原則だ(下注)。ただし、海岸や主要都市を含む図葉では敢えて重複させて、海域ばかりの図や、中心部の2面分割といった不便が生じないようにしている。
*注 図郭の位置も大半が「第6」(「ニューポピュラー」含む)と同じだが、例外的にロンドン北東部および北西部 London N.E, & N.W. の図葉は若干南に移動し、隣接図との重複域がとられた。
第7シリーズの索引図 |
図面は6インチ図(1:10,560)から新たに編集されたため、ニューポピュラーと比べると、注記文字や描線がはるかに鮮明かつ明瞭だ。初期の版では地名がまだ手書きされていたが、まもなく写真植字に移行し、作業のスピードアップが図られた。
初期の刊行図は10色刷で、色調の豊かさが視覚的に高級感をもたらしている。しかし、コストダウンの要請で見直しがかけられ、1961年から6色刷となった。具体的には、水部の塗りがライトブルーから青のアミに、総描家屋の面塗りがライトグレーから黒のアミに、植生記号とグリッドがグレーから黒に、地方道路がクロームイエローから茶に置き換えられている。10色刷と6色刷の違いは、総描家屋の塗り方で容易に識別できる。
第7シリーズの例 (上)10色刷、地名は手書き 100 Liverpool 1961年 (下)6色刷、写植字体 同 1966年 |
第7シリーズで新たに盛り込まれた情報が、イングランドとウェールズの公共通行権 public rights of way(下注)だ。1949年制定の国立公園及び田園地帯へのアクセス法 National Parks and Access to the Countryside Act 1949 に基づき指定されたルートを描いた各州の公式図が、資料として使われた。
当初法律で指定されたのは、歩行専用のフットパス(自然歩道)footpath と、乗馬も可能なブライドルウェー(乗馬道)bridleway の2種のパブリックパス public path で、地図上では通常の道路と区別すべく、前者は赤の点線、後者は破線で描かれている。
第7シリーズの凡例(一部) 中央に公共通行権 public rights of way の記述がある |
公共通行権の描画例 パブリックパス(赤の点線・破線)が山野を網の目のように走る 89 Lancaster & Kendal 1965年 |
地図用紙にはふつうの紙のほかに、伝統的なリネンの裏打ち紙(表紙に mounted on cloth と表示)もまだ使われていた。丈夫なため、野外での使用で重宝されていたからだ。しかし1967年後半をもって、リネン紙版の生産は中止された。
リネン裏打ち紙を使用した例 107 Snowdon 1962年 |
販売用としては、平図(折り畳まない状態)と表紙付き折図の2種があった。表紙には当初、上下に1インチ図を象徴する赤い帯と国章を配したアールデコ風デザインが用いられたが、1969年に、赤一色に収載範囲の概要図を拡大しただけの、いささか飾り気のないデザインに置き換えられてしまった(上の画像参照)。
◆
OSの代表的地形図として、1マイル1インチ図は1805年から約170年の長きにわたって製作が続けられてきた。その間に生じた交通網の発達や都市化の進行など、国土の顕著な変化が丹念に記録されており、これらを同じ縮尺で追跡できる意義は大きい。
また、1インチ図をはじめとする帝国単位 Imperial unit に基づく縮尺図は、帝国主義時代を通じて、世界中に散在していたイギリスの旧植民地にも拡大された。アイルランド、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドなど主要国で20世紀半ばまで作成され、膨大な過去資料の集積を形成している。
しかし、地形図におけるメートル法の使用は世界的な趨勢となっていた。OSもそのことを強く認識しており、1974年、ついに1:50,000への転換の時を迎える。その現代の縮尺図に話を進める前に、汎用1インチ図から派生した旅行地図 Tourist map についても紹介しておこう。
続きは次回に。
本稿は、Tim Owen and Elaine Pilbeam, 'Ordnance Survey: map makers to Britain since 1791', Ordnance Survey, 1992; Chris Higley, "Old Series to Explorer - A Field Guide to the Ordnance Map" The Charles Close Society, 2011; Richard Oliver, 'Ordnance Survey maps: a concise guide for historians' Third Edition, The Charles Close Society, 2013 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
■参考サイト
Ordnance Survey http://www.ordnancesurvey.co.uk/
The Charles Close Society https://www.charlesclosesociety.org/
National Library of Scotland - Maps https://maps.nls.uk/
Stanfords http://www.stanfords.co.uk/
Cassini publishing http://www.cassinimaps.co.uk/
★本ブログ内の関連記事
イギリスの地形図-概要
イギリスの地形図略史 I-黎明期
イギリスの地形図略史 II-1インチ図の展開
イギリスの地形図略史 IV-旅行地図の系譜
イギリスの1:50,000地形図
« イギリスの地形図略史 II-1インチ図の展開 | トップページ | イギリスの地形図略史 IV-旅行地図の系譜 »
「西ヨーロッパの地図」カテゴリの記事
- 地形図を見るサイト-デンマーク(2020.04.26)
- 地形図を見るサイト-イギリス(2020.04.19)
- イギリスの1:100,000地形図ほか(2020.04.12)
- イギリスの1:50,000地形図(2020.04.05)
- イギリスの1:25,000地形図 II(2020.03.29)
「旅行地図」カテゴリの記事
- イギリスの1:25,000地形図 II(2020.03.29)
- イギリスの地形図略史 III-戦後の1インチ図(2020.03.08)
- アラスカの地図(2018.03.12)
- アメリカ合衆国のハイキング地図-ヨセミテ国立公園を例に(2018.03.03)
- アメリカ合衆国のハイキング地図-ナショナル・ジオグラフィック(2018.02.25)
コメント