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2020年2月22日 (土)

イギリスの地形図略史 I-黎明期

まずは下の絵葉書をご覧いただきたい。中央に配置されているのは、イギリスの測量機関オードナンス・サーヴェイ Ordnance Survey(略してOS)の創設200年を記念して1991年に発行された切手(4種セットのうちの1枚)の拡大図だ。オリジナルの24ペンス切手は右側に貼られ、初日印が押されている。

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OS創設200年記念切手の初日印はがき
 

地図は、イングランド南東部、ケント州にあるハムストリート Hamstreet という小村の18世紀末ごろの姿を描いている。これは、OSが創設後初めて刊行した1マイル1インチ地形図(以下、1インチ図という。下注)の一部分だ。

*注 実長1マイル(1609.344m)を図上1インチ(25.4mm)で表す地形図。分数表示では 1:63,360になる。

OSは、政府の一機関であった軍需局 Board of Ordnance(下注)の測量部門を発祥とする。Ordnance Survey という組織名もこれに由来しており、日本語に訳すときは旧 陸軍の「陸地測量部」を当てるのが慣わしだ。組織の成立過程は、イギリスにおける地形測量と地図作成がたどった歴史に他ならない。

*注 ordnance は、兵器などの軍需品を意味する言葉。軍需局はもともとロンドン塔にある王室の兵器庫の管理部局だったが、やがて陸軍や海軍に軍需品その他の装備を供給し、国内外の兵器庫や要塞を所管する大規模な政府組織に発展した。

話の発端は1745年、スコットランドで起きたジャコバイト軍の蜂起(下注)だ。そのとき、軍需局副局長であったデイヴィッド・ワトソン David Watson は、作戦用の詳細な地図の必要性を痛感していた。この地方を表す地図は1680年代の測量に基づくものしかなく、縮尺もまちまちで非常に不完全だったからだ。ワトソンは、カンバーランド公爵ウィリアムにそのことを進言した。

*注 1688~89年の名誉革命で追放されたカトリック勢力であるジャコバイト軍が、王位回復を狙って起こした内乱。

最後の戦い(カロデンの戦い Battle of Culloden、1746年)でイギリス軍が勝利した後、国王からの裁可が下り、カンバーランド公爵の命で1747年からスコットランドで軍用測量が始まった。実務の進行を委ねられたのは、ワトソンの有能な民間人助手であったウィリアム・ロイ William Roy だ。彼が率いた6個の測量隊による精力的な作業の結果、1752年にハイランドの大半が、1755年までにスコットランド南部の地図が、それぞれ完成する。図上1インチが実長100ヤードになる縮尺1:36,000で描かれたこの地図群は、後に「カンバーランド公爵図 Duke of Cumberland's Map」と呼ばれるようになる。

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カンバーランド公爵図 インヴァネス周辺
(c) The British Library Board
 

その後、ロイは英国陸軍工兵隊 Royal Engineers に籍を置き、イングランド南部その他の測量などに従事するが、とりわけ彼の名を高らしめたのは、晩年に指揮したグリニッジとパリの両天文台間の相対位置の測定、いわゆる英仏測量 Anglo-French Survey だ。1784年から1790年にかけて実施され、その結果、英仏海峡をまたぐ広域の三角測量網が構築された。

三角測量を始めるには、まず地上の見通しの利く土地に基線 Base Line を設定し、その正確な長さを測定する必要がある(下注)。最初の基線は、ロンドン西郊ハウンズロー・ヒース Hounslow Heath に設けられた。

*注 基線は測量の基準となる三角形の一辺。基線の長さが決まれば、その両端から見通せる任意の一地点への角度を測定して、地点の座標値(経緯度)を求める。

下図は、時代が下がって1945年の1インチ図だが、基線がまだ「General Roy's Base(ロイ将軍の基線)」の注記とともに破線の記号で描かれている。図にはまた、基線西側のヒースロー Heathrow 集落周辺に「Aerodrome(飛行場)」という注記が見つかる。第二次世界大戦後これが拡張されてイギリス最大の国際空港になり、今ではその敷地が基線を横断してしまっている。

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General Roy's Base の注記がある1インチ図
170 London SW 1945年
(c) The British Library Board
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上図と同じ範囲の現在図
基線の北端をヒースロー空港の用地が横断
Image from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ロイは1790年に亡くなるが、1年後の1791年、軍需局は、彼が確立した三角測量網に基づき、イングランド南部の地図作成に着手した。作業に用いるラムズデン経緯儀が新たに購入され、OSの沿革年表はこのことをもって組織創設の承認としている。

イングランド南部を最初に手掛けた理由は、ほかでもない。海を隔てたフランスでその頃、封建制を崩壊させた市民革命、いわゆるフランス革命(1789~99年)の嵐が吹き荒れていたからだ。とどまるところを知らない勢いに周辺諸国は深刻な脅威を感じ、対仏同盟を結成して牽制した。1793年、イギリスはフランスから宣戦布告を受ける。南東海岸は、フランスが侵攻してきたときに防衛の最前線となるため、地図作成は急務だった。

1795年に、リッチモンド公爵 Duke of Richmond の資金により、進行中の測量成果を使ってサセックス州 Sussex の1インチ図が刊行されている。続くケント州 Kent の実測は1マイル6インチ(1:10,560)の精度で始めたものの、作業を加速させるために途中から1マイル3インチ(1:31,680)に落とされた。こうして描かれた原図は、1マイル1インチ(1:63,360)に縮小編集のうえ、銅版印刷に付された。

OS最初の1インチ図とされるケント州図4面は1801年に完成した。ただし、この図の刊行者名はOSではなく、サセックス州図と同じく宮廷地理学者W・H・フェイドン W. H. Faden だ(下注)。また、地図には隣接州域が描かれず、空白にされている。こうした仕様の違いから、後世の分類では、作業を指揮したOS長官ウィリアム・マッジ William Mudge の名にちなみ、「マッジ図 Mudge map」と呼ばれ、1インチ図の初期シリーズ「オールドシリーズ Old Series」には含まれない。

*注 OS自体が刊行するのは下掲のエセックス州図からだが、名義は「三角測量部 Trigonometrical Survey」だった。OSの名が初めて記載されるのは、1810年刊行のワイト島 Isle of Wight 図(オールドシリーズ第10面)。

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ケント州全図
マッジ図を1/2に縮小(=1インチ2マイル)し、原図4面を1面にまとめた集成図
1807年刊行のため、隣接する州のエリアも描かれている。

Image from http://www.mernick.org.uk/cc/kentmap/
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上図の部分拡大
 

テムズ河口の南側に位置するケント州の次は、河口北側のエセックス州 Essex が作成対象とされ、1805年に完成した。続いて1809年にはデヴォン州 Devon の図ができあがった。こうして1820年ごろには、イングランドとウェールズの1/3で図化が終了した。すでに1795年ごろには測量事業をイングランド全域、可能ならイギリス全土に拡大するという遠大な構想が立てられており、各図にはそれを踏まえた全国規模の図番が振られた。

その1820年、急逝したマッジの跡を継いで2代目のOS長官 Director General に就任したのが、トーマス・コルビー Thomas Colby だ。彼はマッジの助手として、以前から測量作業に携わっていた。

次の対象地域は、1801年にイギリスに併合されていたアイルランド島だった。測量は1824年から始まり、コルビーは現地に滞在して、直接指揮に当たった。新しい計測器具(下注)を導入し、地名の系統的な収集法を確立するなど、地図作成技術の進歩にも貢献した。長官職にありながらも、彼は相変わらず測量隊と、山野を渡り歩く長旅を共にする。そして作業が終わりに近づくと、巨大なプラムプディングを用意して山頂で慰労会を催すのを信条としていたという。

*注 コルビーの補正棒 Colby's compensation bars として知られる。

アイルランド島の計画は、全域を1マイル6インチの縮尺(以下、6インチ図)でカバーするという壮大な規模で、1846年までかかった。

冒頭で述べたように、地形図の作成は当初、軍事目的だったが、しだいに国内の民生需要も高まった。その背景の一つは、鉄道の建設ブームだ。知られているように、ジョージ・スティーブンソン George Stephenson が自作の蒸気機関車ロコモーション号で、ストックトン~ダーリントン間に鉄道を開業したのは1825年だ。続くリヴァプール=マンチェスター鉄道の成功で、1830年代半ばには最初の鉄道ブームが起き、1840年代には支線網の建設が熱を帯びる。こうした鉄道路線のプランニングに、OSの正確な測量図が活用された。

別の背景としては、1836年に成立した十分の一税転換法がある。これは古代からタイズ Tithe、すなわち十分の一税と呼ばれ継承されてきた物納制(下注)を、金銭での支払いに置き換える税制改革だが、実行には、課税対象となる土地の境界を示す地図の整備が不可欠だった。

*注 十分の一税は本来、土地の農作物や漁獲物の1割を教区牧師に寄進していたのが由来。修道院の解散等により、世俗地主がこれに代わった。

しかしそれには、1インチでは精度が足りず、アイルランドと同様に、グレートブリテン島でもより詳細な地図の必要性が叫ばれるようになる。1840年からOSは、6インチ図作成に着手する。翌1841年には陸地測量部法 Ordnance Survey Act が制定され、測量目的であれば測量士が私有地に立ち入ることができる法的権利が与えられた。

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6インチ図
Gloucestershire XXVIII.NE 1882~83年
This work is based on data provided through www.VisionofBritain.org.uk and uses historical material which is copyright of the Great Britain Historical GIS Project and the University of Portsmouth 

1854年からは農村部でさらに詳細な1:2,500(実長1マイルが図上25.344インチになるため、25インチ図と呼ばれた)の整備も始まった。この頃、どの縮尺を基本図とすべきかについては、6インチ派と1インチ派の間で長い論争があったものの、比較的広域を1面に表せる1インチ図は、これら大縮尺図からの編集で存続することになる。最終的にイングランドとウェールズで1インチ図刊行が完了するのは1870年、スコットランドでは1895年のことだ。

その後の1インチ図の展開については、次回に。

本稿は、Tim Owen and Elaine Pilbeam, 'Ordnance Survey: map makers to Britain since 1791', Ordnance Survey, 1992; Chris Higley, "Old Series to Explorer - A Field Guide to the Ordnance Map" The Charles Close Society, 2011; Richard Oliver, 'Ordnance Survey maps: a concise guide for historians' Third Edition, The Charles Close Society, 2013 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
Ordnance Survey http://www.ordnancesurvey.co.uk/
The Charles Close Society https://www.charlesclosesociety.org/
National Library of Scotland - Maps https://maps.nls.uk/
Stanfords http://www.stanfords.co.uk/
Cassini publishing http://www.cassinimaps.co.uk/

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