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2019年12月10日 (火)

コンターサークル地図の旅-音戸の瀬戸

2019年11月4日、コンターサークルS秋の旅2日目は、広島県呉市の、音戸の瀬戸(おんどのせと)を訪れた。

音戸の瀬戸(下注)というのは、本土と倉橋島の間にある長さ約1kmの海峡のことだ。瀬戸内東部から呉や広島の港へ向かう最短ルートに当たっており、船の往来が多い。ところが幅が約80mと狭いため潮流が速く、潮の干満に従って方向も周期的に変わる。さらに航路自体も南側で大きく湾曲しており、航行する船にとっては難所になっている。

*注 地形図では「音戸ノ瀬戸」と表記。

今回は、この特徴的な海峡を、まず高台から展望し、その後、今なお残る渡船や、瀬戸を一跨ぎしている橋を使って、立体的に体感してみたいと思っている。

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高烏台から音戸の瀬戸を遠望

曇り空に終始した前日とは一転して、この日は穏やかな秋晴れになった。降り注ぐ朝の日差しが目に眩しい。山陽本線糸崎駅始発の普通列車に乗って、現地へ向かう。列車は三原から呉線に入り、瀬戸内ののどかな海岸線をなぞっていく。車両は、真新しい227系レッドウィングの3両編成。日曜日は通学生がいないから、車内はガラガラだ。

窓に広がる海景は申し分ないのだが、山が海に迫る崖際を通過するたびに、時速25kmの速度制限がかかる。そのためか糸崎~呉間に2時間を要し、中国山地のローカル線と変わらない鈍速ダイヤだ。山陽本線の電車なら、同じ時間で広島どころか宮島口も通過してしまう。これではせっかく投入された新鋭車両も泣いていることだろう。

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(左)227系レッドウィング、呉駅にて撮影
(右)呉線、朝の車窓
 

それはさておき、広(ひろ)駅で同じレッドウィングに乗り換えて、呉駅には10時14分に着いた。改札を出て見回してみたが、案の定メンバーの姿はない。事前に出欠を確かめることはせず、当日指定の場所・時刻に来た人だけで出かけるのが、このサークルの流儀だ。昨日の参加者の反応から、単独行になるだろうと予想していたが、そのとおりだった。

駅前から、一人で鍋桟橋(なべさんばし)行きの広電バスに乗る。長崎や神戸と同様、呉の市街地は狭い平地に収まりきらず、山手に拡大してきた。呉湾の東側、休山(やすみやま)の麓もそうで、住宅地が急斜面を這い上がっている。バスが行くのは、その宮原地内を貫く片側1車線の市道だ。見通しの悪いカーブとアップダウンが連続し、車酔いしそうになる。

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音戸の瀬戸周辺の1:25,000地形図に歩いたルート等を加筆
 

警固屋(けごや)4丁目の停留所でバスを降りた。ここから歩いて、高烏台(たかがらすだい)という展望台へ行くつもりだ。高烏台へは音戸大橋のたもとから車道をたどるのが一般的な道順だが、地図に、的場五丁目の森添神社から上る小道が描かれている。復路は車道にするとして、往路はこの未知のルートに挑戦したい。

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(左)呉駅前から広電バスに乗る
(右)警固屋4丁目下車
 

実際に行ってみると、かなり急な坂道だったが、家並みが続く間は問題なく歩けた。しかし神社を過ぎたとたん、落ち葉散り敷く山道に変わり、まもなく丈の高い雑草や枯れ枝に埋もれて、道の体をなさなくなった。5年前の広島豪雨の爪痕だろうか、路面が完全に崩落し、崖っぷちを恐る恐る渡らなければならない個所さえある。

路面はコンクリート舗装で整備されていたことがわかるのだが、誰も通らなくなり、時間の経過とともにすっかり荒廃してしまったようだ。まとわりつく蜘蛛の巣を払い、藪漕ぎでひっつき虫だらけになりながら、なんとか車道までたどり着いた。

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(左)集落を縫う坂道
(右)路面崩落個所
 

しかし苦闘の甲斐あって、標高216mの高烏台からの景色は文句なしにすばらしかった。西側では音戸の瀬戸をまたぐ2本の赤いアーチ橋を点景に、倉橋島から江田島にかけての島並みが一望になる。方や東には安芸灘が広がり、海原のかなたに四国の山々が浮かんでいる。

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瀬戸をまたぐ2本のアーチ橋
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高烏台から安芸灘方面の眺望
 

音戸の瀬戸には、平清盛が開削したという伝説がある。完成を前にして日暮れてきたため、沈む夕日を金の扇で招き返して、工事を続行させたのだそうだ。高烏台には音戸の瀬戸のほうを向き、右手で扇を差す清盛の立像、いわゆる日招き像が据えられている。その足跡と杖の跡が残るという日招き岩も近くにあるのだが、道が通行止めになっていた。豪雨災害の影響かもしれない。

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(左)清盛の日招き像
(右)展望台は砲台跡にある
 

昼食休憩の後、今度は車道を降りていった。歩道はないが、車はたまにしか通らないから、安心して歩ける。途中から見晴集落の中の細道を経由した。中腹の急な斜面に張りつく集落で、海の眺めは地名どおりだ。その入口に見晴町というバス停もあった(下注)。

*注 バス停の下段にも展望公園があるが、高烏台と同方向、かつ低位置の展望になるので今回は立ち寄っていない。

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(左)見晴町バス停
(右)音戸の瀬戸公園、吉川英治文学碑
 

さらに下り、音戸の瀬戸公園の展望ポイントへ向かう。正式な「音戸の瀬戸公園」の範囲は広く、高烏台も含むようだが、目指したのは、つつじの名所として知られる、音戸大橋近くの「公園」だ。突端にある吉川英治文学碑が立つ地点から、際立つ朱色の2本の橋が左右に望める。距離が近いので、そのスケールが、家並みや瀬戸を通る船などとの比較でよくわかる。

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音戸の瀬戸公園全体図
 

ここで、改めて橋の諸元を記しておこう。左側の音戸大橋(以下、第一大橋という)は、1961(昭和36)年に供用されたアーチ橋(構造的にはランガー橋)だ。全長172m、主径間長115m、桁下高23.5m。本土と瀬戸内の島を結んだ最初の橋で、開通当時は夢のかけ橋と呼ばれ、観光名所になった。アプローチに必要な土地が狭いため、本土側は山を削り複雑な形のループで、また倉橋島側は2回転半の高架ループで、それぞれ高度を稼いでいるのが特徴だ。

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音戸大橋と高架ループ
 

これに対して、右側の第二音戸大橋は、国道487号警固屋音戸バイパスの一部として、2013(平成25)年に開通したアーチ橋(同 ニールセン・ローゼ橋)だ。瀬戸の幅が広いところに架橋されているため、全長492m、主径間長280m、桁下高39mの規模をもつ。設計4車線のところ、暫定2車線。第一大橋にはない歩道が設置されているので、自転車や徒歩でも安全に渡ることができる。

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一回り大きい第二音戸大橋
 

さて、2本の橋の下を船が通過するのどかな景色を眺めた後は、楽しみにしていた音戸の瀬戸の横断に出かけた。まずは船で対岸の倉橋島に渡ろう。橋を経由すると極端な迂回になるため、市の補助により昔ながらの渡し船が残されているのだ。公園のある高台から急な階段道を降りていくと、道路の向こうに「音戸渡船」と妻面に記した渡し場の小屋が見つかる。

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音戸渡船の本土側渡し場
 

この渡船がユニークなのは、オンデマンド運航であることだ。乗り場の立札にこう書いてある。「時刻表はありません。桟橋に出て渡船に乗ってください。一人でも運航します。渡船が向こう側にいるときは桟橋に出ていれば、すぐに迎えに来てくれます」。

距離約90m(立札では120m)、所要3分の日本一短いと言われる定期航路で、運賃は大人100円、小人50円、自転車込みで150円だ。ほかに客はおらず、小屋にも人影がないので、遠慮なく桟橋を渡っていく。すると、停船していた小型船の操舵室から船頭さんが出てきて、運賃を回収し、すぐに艫綱を解き始めた。

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渡し場前の立札
 

船はまず第二大橋のほうへ出ていく。そこで半回転し、次に第一大橋を前方左に見ながら瀬戸を横断し、再び半回転した。こうしてS字形に進んで、対岸に到達する。その間にも旅客船や漁船が通過するので、それらを避けながらの操船なのだが、手慣れたものだ。航路は2本の橋の中間にあるので、高台からの俯瞰とは異なり、橋のアーチを下から仰ぎ見る形になる。高さや広がりが強調されて、たとえてみれば空に架かる虹のイメージだ。船上ならではの体験だろう。

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待合小屋を抜けて桟橋へ
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艫綱を解いて出航
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(左)音戸大橋を仰ぎ見る
(右)対岸の桟橋に到着(下船後撮影)
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倉橋島(音戸町)側渡し場
 

船頭さんにお礼を言って、陸に上がった。護岸に沿って音戸町(現在は呉市音戸町)の集落が延びている。まずは第一大橋のたもとにある清盛塚を見に行く。海中の岩礁に築かれているので中には入れないが、南側に見学用の突堤が造られていた。若い松が潮風に耐えて勢いよく枝を伸ばしている。ここから見える、第一大橋の下に第二大橋が覗く構図もおもしろい。

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(左)音戸大橋入口には、2回転半の注意標識が
(右)清盛塚
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第一大橋の下に第二大橋が覗く
 

渡し場から家並みを縫う旧道沿いに入ると、虫籠窓をもつ豪壮な商家が3軒連なっていた。普通車がやっとの狭い道に不釣り合いな大きさなので、余計に目を引く。カフェを開いている呉服屋のほかは廃業して久しいようだが、本土との往来を渡船に頼っていた時代、この細道はどんなにか賑わったことだろう。

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(左)旧道沿いに商家が連なる
 

家並みが途切れる第二大橋の直下から、急坂の小道を上る。黒権現という小さな祠を経て、なおも行くと、第二大橋のたもとに造られた展望台に出た。日招き広場という名のとおり、ここは北から西にかけての展望が開ける。右手前にかつての海軍工廠、今は日新製鋼製鉄所の赤茶けた建物や煙突群、その後ろは呉市街だ。左の江田島との間、湾の最奥部には、山並みを背にして広島の市街地も遠望できる。

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(左)日招き広場
(右)国道をまたぐ「第三音戸大橋」
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日招き広場からの眺望
湾の最奥部に広島市街が見える
 

第一大橋がある南側も見ようと、国道を横断する歩道橋を渡った。アーチの飾りがついた歩道橋は、「第三音戸大橋」のあだ名があるそうだ。第二大橋の下り車線(倉橋島方面行き)に併設された歩道の途中からは、第一大橋の側面形を、あたかもカタログ写真のように鑑賞できる。午前中から音戸大橋をさんざん見てきたが、その締めくくりにふさわしい眺めだ。

ちなみに、第二大橋は片側2車線が未完成で、そのためか下り車線の歩道は橋の真ん中で行き止まりになっている。本土へ渡るには、上り車線(本土方面行き)の歩道に迂回しなければならず、少々面倒だ。しかし、足もとに潜り込んでいく船を見下ろしながら、潮風に吹かれての空中散歩は特別な感覚だった。

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(左)暫定2車線供用の第二音戸大橋
(右)海峡の上を空中散歩
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第二音戸大橋から音戸大橋を眺望
 

秋の陽は早や傾きかけている。警固屋中学校前まで降りたところで、呉駅に戻るべく、ちょうどやってきた鍋桟橋行きのバスに乗った(下注)。

*注 2019年10月1日からこのエリアでは、広電バスから呉市のコミュニティバス(呉市生活バス)へ路線移管が行われた。広電バスの時刻表では鍋桟橋以遠の運行本数が極端に少なく見えるが、代わりに上記の生活バスが走っており、例えば呉駅前~音戸渡船口間は、鍋桟橋乗継ぎにより1時間に1~2本程度が確保されている。
時刻表は、呉市-公共交通機関 https://www.city.kure.lg.jp/soshiki/28/koutu.html にある。音戸渡船口のバス停を通るのは、広島電鉄「呉倉橋島線」および 生活バス「阿賀音戸の瀬戸線」。

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図呉(平成28年5月調製)を使用したものである。

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