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2019年10月17日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-ヘレンタール鉄道

ヘレンタール鉄道 Höllentalbahn

パイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau ~ヴィントブリュッケ・ラックスバーン Windbrücke-Raxbahn 間 6.1km
軌間760mm、直流500V電化
1918年開通(貨物鉄道として)、1926年定期旅客輸送開始
1963年 旅客輸送廃止、1979年 保存列車運行開始、1982年 一般運行(貨物)休止

【現在の運行区間】
保存鉄道:パイエルバッハ・ロカールバーン(地方鉄道)Payerbach Lokalbahn ~ヒルシュヴァング Hirschwang 間 4.8km

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ライヘナウ駅に停車中の1号電動車

世界遺産ゼメリング鉄道の麓の駅に接続して、小さくも美しい古典電車が行き来する保存鉄道がある。駅の名はパイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau、接続する760mm狭軌の路線はヘレンタール鉄道 Höllentalbahn という。ただし、同名の鉄道がドイツにも存在し(下注)、そちらのほうが有名なので、区別のために「ニーダーエースタライヒ(下オーストリア)の niederösterreichische」という修飾語をつけて呼ばれることがある。

*注 ドイツのヘレンタール線は、南西部シュヴァルツヴァルト Schwarzwald(黒森)を横断するフライブルク・イム・ブライスガウ Freiburg im Breisgau ~ドナウエッシンゲン Donaueschingen 間。

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運営に携わるのはオーストリア地方鉄道協会 Österreichische Gesellschaft für Lokalbahnen(ÖGLB、下注1)、以前紹介したイプスタール鉄道山線 Bergstrecke Ybbsthalbahn(下注2)を運行している団体だ。保存鉄道としての歴史はイプスタール山線のほうが新しいのだが、イプスタールの蒸気運転に対して、ヘレンタールは電気運転で、協会の活動の両輪をなしている。

*注1 実際の路線維持と列車運行は、ヘレンタール鉄道プロジェクト有限会社 Höllentalbahn Projekt Ges.m.b.H. (HPG) が行う。
*注2 イプスタール鉄道山線については「オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 II」参照。

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ヘレンタール鉄道と周辺路線図

全線でも4.8kmしかないミニ鉄道は、そもそも何のために造られたのだろうか。

鉄道が向かうのは、アルプスの東端を流れ下るシュヴァルツァ川 Schwarza の峡谷の出口だ。この峡谷が、鉄道の名になっているヘレンタール Höllental(地獄谷の意)で、シュネーベルク Schneeberg とラックス Rax の山塊の間に、石灰岩の岩肌剥き出しの狭くて荒々しい谷間が続いている。谷の出口のヒルシュヴァング Hirschwang 村には、森林と豊かな水を背景に、シェラー社 Schoeller & Co のパルプ工場が進出した。狭軌鉄道は本来、この工場と国鉄幹線との間で貨物を運ぶために造られたものだ。

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水の透明なシュヴァルツァ川
遠景はラックス山塊
 

時は第一次世界大戦さなかの1916年、戦争需要が高まり、工場は増産体制を敷いていた。幹線と貨車をやり取りするのであれば、貨物鉄道も標準軌にするのが普通だ。しかし工期がかかるため、とりあえず狭軌の線路で当座をしのぐことになった。というのも、ケルンテン Kärnten のカラヴァンケントンネル Karawankentunnel 建設で使用され、竣工に伴い余剰となっていた簡易軌道をそっくり利用することができたからだ。トンネル工事では坑内爆発の危険を避けるために小型の電気機関車が投入されていた。それで、ヘレンタールの路線も初めから直流500Vで電化され、その機関車が貨車を牽いた。

*注 カラヴァンケントンネルは、オーストリアのローゼンバッハ Rosenbach と現在のスロベニアのイェセニツェ Jesenice の間にある長さ7977mの鉄道トンネル、1906年開通。

並行して標準軌線の工事も進められており、パイエルバッハとライヘナウを隔てるアルツベルク Artzberg の山には、長さ428mのトンネルを掘っていた。底部坑が1918年に完成し、頂部坑に取り掛かっていたものの、敗戦により標準軌化計画は頓挫し、坑口は使われることなく封鎖されてしまった。

戦後は、ラックス山系へのスキー客の利用を見込んで、貨物鉄道を、旅客を扱う地方鉄道 Lokalbahn に転換する計画が立てられた。採算面から、標準軌ではなく760mm軌間を維持したままで、終点をラックスロープウェー Raxseilbahn の乗り場近くまで延伸することになった。

1922年に、運営主体となる「パイエルバッハ=ヒルシュヴァング地方鉄道株式会社 Lokalbahn Payerbach Hirschwang AG」が設立された。1926年にグラーツ車両製造所 Grazer Waggonfabrik から電動車2両(1~2号)と付随車4両(11~14号)が納入され、ヒルシュヴァング~ヴィントブリュッケ・ラックスバーン Windbrücke-Raxbahn 間の延伸も完成する。こうして、同年9月から旅客輸送が始まった。

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パイエルバッハ・ライヘナウ駅
(左)駅舎
(右)芝生広場の静態保存展示
  左がヘレンタール鉄道最初の小型電気機関車
  右はラックス ロープウェーの旧車
 

しかし第二次大戦後は、施設設備の劣化がじりじりと進行する。ついに1963年、安全性に問題があるとして、運輸当局から改善命令を受けた。線路の改修には300万シリングの費用が見込まれ、小さな鉄道会社に調達できるものではなかった。結局、旅客輸送は1963年7月1日に中止され、代行のポストバスに置き換えられた。不要となった旅客車両は、チロルのツィラータール鉄道 Zillertalbahn に売却されてしまった。

だがこのとき、貨物輸送はまだ存続していた。その運用改善を支援した縁で、オーストリア地方鉄道協会が1979年6月から、この路線で蒸機による観光列車を運行するようになる。当時ÖBB(オーストリア連邦鉄道)線ではディーゼルに転換する無煙化が最終段階に来ており、協会は除籍された狭軌の蒸機の取得を進めていた(下注)。

*注 イプスタール山線の保存開業により、1990年に狭軌の蒸機はイプスタールに移された。

1982年には貨物輸送も終了し、それを機に路線の維持は、全面的に協会に委ねられることになった。とはいえ、1990年代はヘレンタール鉄道にとって苦しい時期だった。資金不足で線路補修がままならず、数年間は、一部区間(ライヘナウ~ヒルシュヴァング間)でしか運行できなかった。その後、ニーダーエースタライヒ州の主導でEUと協定が結ばれ、「ヘレンタール鉄道の再興 Belebung der Höllentalbahn」計画がスタートする。これにより更新のための資金が確保され、1999年から再び全線での運行が可能になった。

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1号電動車
(左)車体はまだ新車のよう
(右)木製ベンチが並ぶ車内

現在のヘレンタール鉄道の乗り場は、ÖBBゼメリング鉄道(下注)のパイエルバッハ・ライヘナウ駅から300mほど離れた場所にある。かつてはÖBB線に並ぶホームから出発していたのだが、保存鉄道化された後、旧パイエルバッハ・オルト Payerbach-Ort 停留所(オルトは村の意)に起点が移された。正式駅名は、パイエルバッハ・ロカールバーン(地方鉄道)Payerbach Lokalbahnで、時刻表では Payerbach LB と略記されている。

*注 「ゼメリング鉄道 Semmeringbahn」は独立した路線ではなく、ÖBB南部本線 Südbahn のうち、ゼメリング峠をはさんだグログニッツ Gloggnitz ~ミュルツツーシュラーク Mürzzuschlag 間を指す。そのため「ゼメリング線」と書く文献もある。

ヘレンタール鉄道の運行日に、ウィーン方面から来てパイエルバッハ・ライヘナウ駅のホームに降り立つと、進行方向遠方に小さな電車がいるのが見えるはずだ。駅の地下道を通る必要はない。2・3番ホームの先端からヘレンタール鉄道の乗り場まで、小道がつながっている。

狭軌鉄道の乗り場にも小さな駅舎が建っているが、中はちょっとした売店と資料展示があるだけで、切符は車掌から買う方式だ。通貨がシリングだった時代の骨董品のような乗車券が使われている。もちろん、支払いはユーロでするのだが。

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(左)パイエルバッハ・ライヘナウ駅はSバーンの終点
  ハイカーが大勢下車
(右)ホーム先端からヘレンタール鉄道の駅へ行く小道がある
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シリング時代の旧券、今なお使用中!
 

訪れたときも、駅舎の前に2両が停車していた。シャトルーズグリーン(黄緑)とピーコックグリーン(青緑)のツートンをまとった古典車で、前(ヒルシュヴァング方)にいるのがパンタグラフを載せた1号電動車、後ろは動力をもたない付随車の21号車だ。どちらもまるで新車のように艶やかだ。

40年の歴史を紡ぐヘレンタールの保存鉄道だが、最初は蒸機、その後ディーゼル機関車で運行されていた。一般旅客輸送時代のような電車による運行体制が復活したのは意外に新しく、2005年以降のことだ。

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パイエルバッハ地方鉄道駅
手前は21号付随車、奥が1号電動車
 

電車再建は、先述の「ヘレンタール鉄道の再興」計画に、線路や車庫の改修とともに、目標として盛り込まれていた。しかし、そのとき利用可能な車両があったわけではない。売却先のツィラータール鉄道は非電化路線のため、電動車は機器を取り外され、貨車に改造されてしまっていたからだ。

そこで、現地に残っていた電動車の台車と、一足先に復帰していた付随車の車体をベースにして、復元が1999年から始められた。6年の期間を経て2005年に完成したのが、目の前の1号車だ。一方21号車は、ウィーン地方鉄道(バーデン線)の付随車を、台車の交換により改軌したもので、2003年から使用されている。

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出発時刻近し
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ヘレンタール鉄道沿線の詳細地形図
(赤の破線は廃線区間)
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

車掌氏から、1号車に乗るように言われた。実際、21号は扉が閉まっていて、よく見ると連結もされていない。多客時に使う予備車らしい。

10時25分、吊掛駆動の独特のうなりとともに、駅を後にした。まずはゼメリング鉄道に並行しつつ、坂を上っていく。しかしまもなく二手に分かれ、立派なシュヴァルツァ高架橋を眺めながら、シュタインホーフグラーベン Steinhofgraben の谷間へ回り込む。なおも上り続けて、次の切通しがアルツベルクのサミットだ。後は下りで、クーアハウス Kurhaus 停留所を通過し、タールホーフ Thalhof の浅い谷にオメガループを描きながら、一気に山を降りてしまう。

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(左)ゼメリング鉄道に並行しつつ上る
(右)シュヴァルツァ高架橋の眺め
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(左)右回りに谷間へ
(右)アルツベルクのサミット付近
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(左)下る途中のクーアハウス停留所
(右)オメガカーブを横断する道路
  上の踏切から下の踏切が見える
 

待避線があるライヘナウ Reichenau で停車した。ここは線路脇に駅舎と変電所の建物が建ち、ささやかながら駅らしい雰囲気がある。ライヘナウ(正式名ライヘナウ・アン・デア・ラックス Reichenau an der Rax)はラックス山麓の保養地で、ゼメリング鉄道の開通後、ウィーンの上流階級が夏の別荘を好んで建てた。だが、町の中心部は川の向こう側なので、車窓からはあまり見えない。

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ライヘナウ駅に停車(帰路撮影)
 

後半区間は、シュヴァルツァ川 Schwarza の左岸に沿う穏やかな行路だ。散歩道を隔てて見える流れはみごとに透き通っていて、アルプスの白濁した川とはまるで違う。上流は石灰岩の山地で、その湧水はウィーン水道の水源にも使われている。清流なのも当然だ。

河畔の森の中で、駅名標が1本立つだけのハーベルク Haaberg 停留所を通過した。終点のヒルシュヴァングは、それからまもなくだった。終点といってもヤードの隅っこで、縁に枕木の余りを並べたみすぼらしいホームしかない。線路はまだ先へ続いていて、本来のヒルシュヴァング駅舎は200mほど上手だ。しかし、2006年から列車は、この新しい停留所で折り返すようになった。車庫見学には、ここが至近だからだ。

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(左)後半はシュヴァルツァ川に沿う
(右)ハーベルク停留所を通過
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(左)ヒルシュヴァング到着
(右)車掌がツアーガイドを務める
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旧 ヒルシュヴァング駅方面を望む
 

斜め後ろに複線の線路が分岐していて、車庫兼整備工場につながっている。乗って来た朝一番の便は「体験列車 Erlebniszug」といい、車庫見学45分と、復路にライヘナウ駅の変電所見学20分がオプションになっている。往復運賃のみで参加できるから、加わらない手はない。

車掌氏が、業務を終えたその足でツアーガイドを務める。駅でまず路線や保存活動の歴史を、車庫の中では珍しい古典車両の来歴や特徴を、メモも見ずに滔々と語り続けるのには感心する。しかしドイツ語なので、断片しか聞き取れないのが悔しい。

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車庫見学に出発
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庫内には多数の保存車両が
 

車庫は、1900年に建てられた元 蓄電池工場で、1926年の旅客輸送開始に際して、車庫に改装された。本線から引っ込んだ位置にあるのはそのためだ。3線収容の広い庫内には、貨車やディーゼル機関車などさまざま車両が留置されている。中でもユニークな容貌をしているのが、「走る菜園小屋 fahrende Gartenhaus」の愛称をもつ1903年製の電気機関車E1だ。カラヴァンケントンネルの工事現場から来た車両で、動態保存されている世界最古の電気機関車の1台と言われている。パイエルバッハ・ライヘナウの駅前にモニュメントとして置かれていたのは、同僚機だ。

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(左)手前のユニークな車両が「走る菜園小屋」E1
(右)貨物を牽いていたディーゼル機関車V2
 

車庫の奥は修理工場で、工作機械や鍛造のための設備が所狭しと置かれていた。ひととおり説明をし終えた後に、別室でモーターを動かし、それぞれの機械にベルトで回転を伝える実演がある。復路、ライヘナウの変電所でも、交直変換設備や「Lebensgefahr(生命の危険)」と注意書きのある高電圧開閉装置など、ふだん見ることのない内部のようすを見せてもらった。

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(左)奥は修理工場
(右)修理工場の裏口
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ライヘナウ駅の変電所見学
(左)外観(右)内部
 

保存鉄道の活動というと、歴史的に貴重な車両を維持し、往時のように走らせることがすべてと思いがちだ。しかし、その舞台裏には、運行を支えているさまざまな施設や設備があり、その保守や整備が不可欠であることがよくわかる。乗るだけなら片道25分の小さなヘレンタール鉄道だが、ツアーに参加したことで一層印象深いものになった。

ヘレンタール鉄道の運行日は、2019年の場合、6月9日から10月27日の間の日・祝日で、それぞれ4往復(最終の1本は6~8月のみ運行)が設定されている。見学ツアーは実施便が限られているので、協会のサイトの時刻表欄で事前に確認しておくとよい。

次回はムールタール鉄道を訪れる。

■参考サイト
ヘレンタール鉄道 https://www.lokalbahnen.at/hoellentalbahn/

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