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2019年10月31日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-ピンツガウ地方鉄道 I

ピンツガウ地方鉄道 Pinzgauer Lokalbahn

ツェル・アム・ゼー Zell am See ~クリムル Krimml 52.6km
軌間760mm、非電化
1898年開通

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トゥルン峠から望むザルツァッハタール
谷底をピンツガウ地方鉄道が走る
 

ザルツブルク Salzburg の南西に、ピンツガウ Pinzgau と呼ばれる地方がある。北には荒々しい石灰岩の山塊シュタイネルネス・メーア Steinernes Meer、中央は片岩アルプス Schieferalpen の2000m級の山並み、南縁には標高3000mを優に越えるタウエルン Tauern の雪山が群れをなす、アルプスの真っ只中だ。

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その山また山の間を、東西に長くザルツァッハ川 Salzach の流れる谷が延びている。北側のザールフェルデン盆地 Saalfeldener Becken などとともに、この平底の谷間は人々に暮らしの場所を提供してきた。地域の足として19世紀末に造られたのが、760mm狭軌のピンツガウ地方鉄道 Pinzgauer Lokalbahn だ。

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ピンツガウ地方鉄道と周辺路線図
 

歴史を紐解けば、ピンツガウの中心都市ツェル・アム・ゼー Zell am See には、すでに1875年から標準軌のザルツブルク=チロル鉄道 Salzburg-Tiroler-Bahn が通じていた。地方鉄道は、そのツェル・アム・ゼー駅を起点に、谷を遡り、最奥部のクリムル Krimml に至る路線で、2年の工期を経て1898年1月に開業している。

当時、クリムルからさらに、観光地のクリムル滝へ行く電気鉄道や、西方のゲルロース峠 Gerlospass を越えてチロルのツィラータール Zillertal に連絡する路線も構想されていた。しかし、どちらも建設資金のめどが立たず、実現しなかった。

開通に先立ち、リンツのクラウス Klauss 社から蒸気機関車4両が納入された。ツェル・アム・ゼー Zell am See の頭文字をとって、それはZ形(下注)と呼ばれるようになる。当時、沿線はまだ貧しい地域で、列車は初め、1日2往復しか設定されず、その1本は貨車を併結した混合列車だったという。

*注 Z形はすべて解体されてしまったが、テルル鉄道 Thörlerbahn に納入された同系統の機関車 StLB 6号機がタウラッハ鉄道 Taurachbahn(ムールタール鉄道 Murtalbahn 最奥部の保存鉄道)で動態保存されている。

その後、開通効果で観光開発が進み、木材や農産物の輸送もしだいに増加する。標準軌貨車への積替え作業を省くために、1926年にロールワーゲン方式(下注)が導入されたが、Z形では出力不足のため、1928年以降、新しいUh形(後のÖBB 498形)に置き換えられた。

*注 ロールワーゲン Rollwagen は、狭軌台車に標準軌貨車を載せて走る方式(逆の場合もある)。なお、これは英語読みで、標準ドイツ語ではロルヴァーグンが近い。

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ツェル・アム・ゼー地方鉄道駅の線路終端(11、12番線)
 

一方1936年からは、ディーゼル機関車も導入された。とりわけ戦後、道路事情の改良と自動車の普及で鉄道の利用が減退すると、経費削減策として積極的に使われるようになる。蒸機は1962年に定期運行を退き、1966年には路線から完全に姿を消した。

1980年代に断行された赤字路線の整理では生き残ったピンツガウ地方鉄道だが、1998年に貨物輸送が中止され、2000年にはÖBBが全面廃止に言及し始めた。ヴァルトフィアテル鉄道やマリアツェル鉄道などと同様、連邦と州の関与が求められ、結果的にザルツブルク州がÖBBに運行を委託する形で存続が決まった。

その後2008年に、地方鉄道の所有権は州へ完全に移された。以来、運行は長年ザルツブルクの市内バス・郊外鉄道を運営してきたザルツブルク公社 Salzburg AG(下注)が担い、インフラと車両も同社の所有となっている。

*注 ザルツブルク州およびザルツブルク市が過半を出資している公営企業。

なお、ÖBB時代に廃止された貨物輸送は、モーダルシフトの機運から2008年に復活し、沿線の工場や製材所が工業製品や木材の運搬に使うようになった。ツェル・アム・ゼーの1.5km南にあるティシュラーホイズル Tischlerhäusl 貨物駅には、異軌間の貨車をロールワーゲンに載せるための側線とランプ(斜路)がある。

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ザルツァッハ川に沿って
 

ところで、ピンツガウ地方鉄道のルートを地形に照らして見ると、前半ではザルツァッハ川の氾濫原のきわに、後半では川岸に、それぞれ沿うように通されていることがわかる。山裾の緩斜面や扇状地など高燥な土地は、傾斜していたり、すでに集落があったりしたからだが、このことは後に、鉄道が繰り返し洪水に悩まされる主因となった。

開通5年目の1903年9月に、早くも最初の洪水に襲われ、ブラムベルク Bramberg 付近の線路の流出で、運休を余儀なくされている。近年では、1987年8月に100年来の高水位により被災し、全線が再開されるまでに10か月を要した。

さらに2005年7月にも記録的な増水により、各所で線路が破壊された。一時はピーゼンドルフ Piesendorf から先、全線の8割が運行できなくなっていた。10月中にミッタージル Mittersill まで再開されたものの、以遠区間は、河川の防災改修とのかかわりで復旧が遅れた。結局、終点のクリムルまで列車が到達できるようになったのは2010年で、実に5年もの間、バスによる代行輸送が続いたのだ。

復旧工事では、速度制限のある線路の改築や路盤の強化も併せて実行された。ルート変更は3か所で行われている。一つ目は、フュルト・カプルーン Fürth-Kaprun(起点から6.7km)の直前で、旧ルートは川の蛇行跡を大きく迂回していたため、35km/hの速度制限がかけられていた。1997年に曲線を緩和した新線がオープンし、これにより距離が240m短縮され、通過速度も最高70km/hに引き上げられた(下図参照)。

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地形図にみるフュルト・カプルーン駅周辺のルート変遷
(上)建設前の図、支流が北へ蛇行(19世紀)
   image at mapire.eu
(中)従来ルート(1981年)
   © BEV, 2019
(下)1997年の改良ルート(赤の破線は従来の位置)
   © BEV, bergfex at 2008, 2015
 

二つ目は、ウッテンドルフ・マンリッツブリュッケ Uttendorf-Manlitzbrücke(起点から22.0km)で、北側の支谷から突き出す小扇状地を急カーブで乗り越えていた個所だ。ここは2011年に改修され、それと併せて新線上に新たに上記の停留所が開設された。

三つ目はノイキルヘン・アム・グロースヴェネディガー Neukirchen am Großvenediger(起点から44.9km)の前後で、旧ルートは町寄りを通っていたが、2005年水害からの復旧に際して、町の外縁に移され、住宅地内の踏切も解消された。この区間は2010年9月の全線再開に合わせてオープンしている(下図参照)。

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ノイキルヘン駅周辺のルート変遷
(上)従来ルート(1986年)
   © BEV, 2019
(下)2010年の改良ルート(赤の破線は従来の位置)
   Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

現在、旅客列車の主力になっているのは、760mm狭軌の標準的な気動車である5090形だ。1986~91年製の計6両が、VTs 12~17の車番をつけて走る。それとともに、グマインダー Gmeinder 社製のディーゼル機関車Vs 81~83が、部分低床の付随車と制御車を連ねたプッシュプル列車 Wendezug で運用されている。いずれも塗装は、ザルツブルク公社のコーポレートカラーであるルビーレッドとホワイトの統一仕様だ。

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気動車5090形
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プッシュプル列車の編成
(左)ディーゼル機関車Vs 82
(右)自転車を載せる荷物車
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(左)最後尾は制御車 VSs 102
(右)部分低床の車内
 

ピンツガウ地方鉄道の旅客輸送における役割は、主として二つある。

一つは近郊のコミューター輸送だ。今では信じられないことだが、1980年代、この路線の旅客列車は1日わずか5往復しかなかった。クリムルからの上り列車はなんと15時30分発が最終だったのだ。

しかし、1989年にツェル・アム・ゼー市内交通 Stadtverkehr Zell am See の路線網に組み込まれたことで、ツェル・アム・ゼー~ブルックベルク・ゴルフプラッツ Bruckberg Golfplatz(起点から3.8km)間が、平日30分間隔に増便された。バスでも12分で到着できる場所とはいえ、鉄道はこれを8分に短縮した。

その後、市内交通区間は2008年にフュルト・カプルーンまで延長され、現在は、日中午後の時間帯でニーデルンジル Niedernsill(起点から15.3km)まで30分毎だ。以遠区間でも1時間の等間隔ダイヤが組まれており、クリムルまで平日15~16往復ある(別に、市内交通区間便が12往復)。山向こうのツィラータール鉄道(下注)と並んで、最も利用されている760mm狭軌の一つと言えるだろう。

*注 ツィラータール鉄道については「オーストリアの狭軌鉄道-ツィラータール鉄道」で詳述。

これに伴い、ツェル・アム・ゼー市内では停留所が3か所増設されて、バス並みの区間距離になった。もとよりミッタージルのような拠点駅を含めて、すべての中間駅・停留所がリクエストストップなので、乗降客がないときは通過してしまう。

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ブルックベルク・ゴルフプラッツ駅での列車交換
(2008年撮影)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

もう一つの役割は、観光輸送だ。日本では必ずしも知名度が高いとは言えないが、ツェル・アム・ゼーは、南隣のカプルーン Kaprun とともに、オーストリアでも最も重要な国際ウィンターリゾートの一つだ。また、国内最高峰のグロースグロックナー Großglockner(標高3,798m)を擁するホーエ・タウエルン国立公園 Nationalpark Hohe Tauern 観光の足場でもある。

鉄道はこの観光都市からクリムルに向かう。そこには、国内最大の落差をもつクリムル滝 Krimmler Wasserfälle があり、終点が設定された理由も、この名所への誘客に尽きる。

ザルツブルク公社は、路線のさらなる魅力向上を図って、他の狭軌鉄道と同じように夏のシーズンに蒸気列車 Sommerdampfzug を運行している(下注)。現在の牽引機は、もとマリアツェル鉄道のために開発されたMh形の3号機と、ボスニア・ヘルツェゴビナ国鉄(後にユーゴスラビア国鉄となる)で使われていた73形機関車だ。

*注 冬のシーズンには、ディーゼル機関車による特別運行がある。

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蒸気機関車73形(JŽ 73-019)
 

2019年の場合、運行は5月20日から9月24日の間の水曜と木曜に各1往復で、ツェル・アム・ゼーを9時18分に出発し、クリムルには12時02分に到着するダイヤだ。折り返しは13時55分発で、ツェル・アム・ゼーに16時36分に戻ってくる。

全区間を乗れば1日がかりだが、それだけかける意味はある。クリムル駅前に、時刻表に載っていない臨時バスが待機していて(下注)、滝の入口まで運んでくれるのだ。帰りもこのバスに乗れば、蒸機の発車に間に合う。やはりクリムルを訪れることは、滝を見に行くことと半ば同義になっているようだ。

*注 蒸気列車の客専用のバスで、運賃は特別列車の料金に含まれている。なお、クリムル滝へは路線バスもあり、平日日中は定期列車に接続している。時刻表は、ザルツブルク交通局 https://salzburg-verkehr.at/ 路線番号670。

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水煙上がるクリムル滝
(下アッヘン滝 Unterer-Achenfall)
 

では次回、蒸機列車の旅を含めて、ピンツガウ地方鉄道のルートを具体的に追っていこう。

本稿は、Stephen Ford "Railway Routes in Austria - The Pinzgauer Lokalbahn", The Austrian Railway Group, 2017 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ピンツガウ地方鉄道(公式サイト) https://www.pinzgauerlokalbahn.at/
Club 399 (Freunde der Pinzgaubahn) http://club-399.at/

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2019年10月24日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-ムールタール鉄道

ムールタール鉄道 Murtalbahn

ウンツマルクト Unzmarkt ~マウテルンドルフ Mauterndorf 間 76.1km
軌間760mm、非電化
1894年開通
1973年 タムスヴェーク~マウテルンドルフ間旅客輸送廃止、1980年 同 貨物輸送廃止
1988年 保存鉄道(タウラッハ鉄道)開業

【現在の運行区間】
一般輸送:
ウンツマルクト Unzmarkt ~タムスヴェーク Tamsweg 間 64.3km

保存鉄道:タウラッハ鉄道 Taurachbahn
ザンクト・アンドレ=アンドルヴィルト St. Andrä-Andlwirt ~マウテルンドルフ Mauterndorf 間 9.4km

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ムール川の早瀬
ムーラウにて
 

ムール川 Mur は、ホーエ・タウエルン Hohe Tauern と呼ばれるアルプスの一角を源とするドナウ川支流の一つだ。まず東へ流れた後、ブルック・アン・デア・ムール Bruck an der Mur で南に向きを変え、グラーツ Graz 市街を貫く。オーストリアを出た後はスロベニアに入り、さらにクロアチアとハンガリーの国境線を経て、ドナウ川に注いでいる。

この450kmに及ぶ長旅の最初の部分、東西に延びるオーベレス・ムールタール Oberes Murtal(ムール谷上流部の意)の谷間が、今回のテーマ、ムールタール鉄道 Murtalbahn(下注)の舞台になる。

*注 本稿では慣用に従い「ムール川」「ムールタール鉄道」と表記するが、「ムーア」「ムーアタール」のほうが標準ドイツ語の発音に近い。

起点は、ÖBB(オーストリア連邦鉄道)南部本線 Südbahn の小駅ウンツマルクト Unzmarkt だ。路線はそこからムールの谷をひたすら遡り、最後は、アルプスの高峰に囲まれ、標高1000mを越えるルンガウ Lungau の盆地に達する。現在、路線長は64.3kmあり、オーストリアの760mm軌間ではマリアツェル鉄道に次いで長い。全線走破には95分を要する。

*注 マリアツェル鉄道については「オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I」で詳述。

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鉄道の起点ウンツマルクト駅
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ÖBB線ホームから
ムールタール鉄道のホーム(21番線)を望む
 

ムールタール鉄道は、今から125年前の1894年10月に開業した。当時、ムール川の谷には、1868年から標準軌の皇太子ルードルフ鉄道 Kronprinz Rudolf-Bahn(下注)が通じていたが、途中で南にそれてケルンテン Kärnten に向かうため、上流域には恩恵が及んでいなかった。そこで、地方鉄道の新設が計画されたのだ。

*注 この区間は現在、ÖBB南部本線 Südbahn(ウィーン Wien ~クラーゲンフルト Klagenfurt ~タルヴィジオ Tarvisio)に含まれている。

オーストリアの地方鉄道には、後に国有化されて、戦後はÖBB線となったものが多い。ところがムールタール鉄道は、開業以来一度も国鉄の路線網に属したことがない。最初は、同名の鉄道会社(下注)が運営しており、1921年から、州政府が設立したシュタイアーマルク州営鉄道 Steiermärkische Landesbahnen (STLB) に引き継がれた。

*注 正式名は、株式会社ムールタール鉄道ウンツマルクト=マウテルンドルフ Aktiengesellschaft Murtalbahn Unzmarkt–Mauterndorf。運行を州に委ねてからも会社は存続しており、1942年に解散。

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それから1世紀近く経営体制は変わっていないが、昨年(2018年)いわゆる上下分離政策により、州営鉄道は列車運行、インフラ、貨物輸送の各事業会社に分割された(下注)。それで、公式サイトや資料などでは現在、ムールタール鉄道の運行事業者として、3社の共通ブランドである「シュタイアーマルク鉄道 Steiermarkbahn (StB)」の名称が用いられている。

*注 列車運行はシュタイアーマルク鉄道・バス有限会社 Steiermarkbahn and Bus GmbH、インフラは、前社名を引き継いだシュタイアーマルク州営鉄道 Steiermärkische Landesbahnen が担う。貨物輸送は、シュタイアーマルク鉄道輸送・ロジスティック Steiermarkbahn Transport und Logistik が行い、専用貨物列車の運行で域外進出を図っている。

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ムールタール鉄道と周辺路線図
 

列車ダイヤは平日6~7往復で、およそ2時間ごとに列車が走る。土日は減便されて3~4往復しかないが、列車時刻表には載らない路線バスがあり(下注)、それと併せて約2時間の運行間隔が保たれている。

*注 シュタイアーマルク鉄道(バス)http://www.stlb.at/bus/ 路線番号890

また、ムールタール鉄道では、無煙化により定期運行から引退した蒸気機関車の保存にも努めてきた。特別列車「ダンプフブンメルツーク Dampfbummelzug(蒸気鈍行列車の意)」は、1968年から50年以上も続く人気企画だ。現在は主として6~9月の火曜と木曜に、ムーラウ~タムスヴェーク間を往復している。ムーラウ駅にある機関庫には、鉄道のオリジナル機であるU形(下注)や、グラーツ郊外シュタインツ鉄道 Stainzerbahn の機関車「シュタインツ2号」などが動態保存され、出番を待っている。

*注 U形の形式名は、ウンツマルクト Unzmarkt の頭文字から取られている。

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蒸機U11が牽く特別列車が気動車と交換
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

鉄道の起点ウンツマルクトは、乗換のためだけに設けられたような駅だ。ÖBB線は、普通列車だけでなくウィーン~フィラッハ間の特急列車(レールジェット Railjet)も停車するものの、旅客用の駅舎どころか、駅前広場すらない。

このような場所を起点にしたのには、もちろん理由がある。ÖBB線は、この先で峠越えのためにムール川の対岸に渡って山を上り始めるからだ。ムールタール鉄道の計画では、沿線からの木材輸送が収入源として重視されていたので、標準軌線との間に積替えヤードの設置が必要だった。そのための平地は、坂に取りつく手前のウンツマルクトにしかなかったのだ。

標準軌の線路に接する1番線の反対側が、ムールタール鉄道の乗り場(21番線)だ。その日、乗ってきたÖBBの列車が遅れていたため、接続時間はないに等しかったが、タムスヴェーク行きの列車はちゃんと待っていてくれた(下注)。女性車掌がホームに立ち、乗継ぎ客を誘導している。

*注 時刻表にも「レオーベン Leoben 方面からの普通列車の客は可能な限り待つ」と記されている。

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ウンツマルクト駅でÖBB線の接続を待つ
 

一般輸送に用いられるのは、電気式ディーゼルカーだ。動力車は、ÖBB 5090形の前身である1980~81年製のVT31~34と、後で追加された1998年製VT35の計5両、制御車はVS41~44の4両が在籍している。この便はVT32とVS42の2両編成だった。開通120周年記念の塗装は、基調の赤に、州旗の色である緑と白のストライプを加えたもので、補色の関係からけっこう目立つ。

車両には貫通扉がなく、走行中は車両間を行き来できない。ローカル線なのにワンマン運転でないのは、それが理由なのかもしれない。しかし、車掌はウンツマルクトで検札した後、ずっと前の車両にいて、後ろには顔を見せなかった。駅に乗車券は売っておらず、車内で車掌から買うことになっているから、地元の利用者は前乗りを心得ているのだろう。

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気動車VT32
(左)120周年の3色塗装 (右)内部
 

さて、ウンツマルクトを出発した列車は、最初ÖBB線と並走するが、まもなく、ムール川に架かるÖBB線の鉄橋の下をくぐって、独自の旅を開始する。といっても、対岸の山裾でじわじわと高度を上げていくÖBB線は、約10km先のトイフェンバッハ Teufenbach まで遠望可能だ。残念なことにディーゼルカーの窓が汚れていて、写真が撮れる状況ではなかったが。

そのトイフェンバッハ駅に着く手前で、狭軌線もムール川を渡って右岸(南岸)に移る。ムールタール鉄道の中間駅・停留所は合計32か所もあるのだが、拠点駅のムーラウを除いてすべてリクエストストップのため、停まらないほうが多い。保存鉄道(下注)の車庫があるフローヤッハ Frojach でさえ、観察する間もなく通過した。

*注 後述する「タウラッハ鉄道」の保存車両が格納されている。

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(左)ニーダーヴェルツ Niederwölz 駅を通過
(右)ムール川を渡る
(いずれもウンツマルクト方向を撮影)
 

沿線は、1kmほどの幅をもつ谷底平野だ。開けているので集落が点在し、警報機のない小さな踏切も多い。音が裏返ったラッパのような、ピーパーという汽笛をしょっちゅう鳴らしながら、列車はカーブの多い線路を走っていく。PC枕木を敷いた区間も多く、公共交通としてインフラに十分投資されているのがわかる。

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ムールタールの谷底平野
遠景はゼータール・アルプス Seetaler Alpen
 

ウンツマルクトから36分で、ムーラウ Murau に到着した。ここは鉄道の拠点駅で、側線が何本も並び、車庫と整備工場、運行管理本部の建物もある。上下列車の交換も基本的にここで行われるので、ムールタール鉄道の中で最も賑やかな駅といえるだろう。駅舎の中では、直営の旅行代理店と中華料理店が営業していた。「シュタイアーマルク鉄道」は路線バスも併営しており、列車に接続して、駅横のターミナルから周辺の町や村へバスが出ていく。

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ムーラウ駅
(左)比較的大きな駅舎
(右)ここで列車交換が行われる
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(左)駅横のバスターミナル
(右)運行管理本部の建物
 

ムーラウは町としても沿線最大で、ムール川をまたぐアーチの石橋を渡ると、城山の麓を通る街道に沿って趣のある旧市街が延びている。鉄道を単純に往復するだけではつまらないので、復路ではここで途中下車して、しばらく町巡りを楽しんだ。

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旧市街はムール川の対岸
 

ムーラウ駅で多くの客が降りてしまったので、特に後ろの車両は空気を運ぶ状況になった。長さ102mながら路線最長のムーラウトンネル Murauer Tunnel を抜けると、風景は郊外のそれに戻る。谷底の平地は目に見えて狭くなり、周囲の山は高さを増してくる。プレドリッツ・トゥラッハ Predlitz-Turrach で、ムール川を渡り返した。まだ谷は奥へ続いているが、州境がここを通っていて、列車はシュタイアーマルク州からザルツブルク州に入る。

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(左)ムーラウトンネルを抜ける
(右)ラーミングシュタイントンネル
(いずれもウンツマルクト方向を撮影)
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谷は次第に深まる
ザンクト・ゲオルゲン・オプ・ムーラウ St. Georgen ob Murau 付近
 

岩場が目立つようになると、ラーミングシュタイン Ramingstein でまた小さなトンネルをくぐった。マドリング Madling を通過したところで、川は北へ向きを変え、にわかに急流の様相を見せ始める。呼応して線路の勾配も険しくなり、右に左にカーブも連続する。しかし、それもいっときのことだ。谷が再び開けてきて、すっかりおとなしくなったムール川を最後に渡る。ムーラウから57分、列車は終点タムスヴェーク Tamsweg 駅の構内に滑り込んだ。

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(左)マドリング上手の急流
(右)ムール川の最後の鉄橋
(いずれもウンツマルクト方向を撮影)
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終点タムスヴェーク駅
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(左)小ぢんまりした駅舎
(右)路線バスから上り列車に乗り継ぐ人たち
 

かつて路線は、さらに12km先のマウテルンドルフ Mauterndorf まで延びていた。しかし、利用状況の悪化により、1973年にまず旅客輸送がバスに置き換えられ(下注)、1981年には貨物輸送も廃止されてしまった。ここルンガウ Lungau はザルツブルク州域であり、運行主体のシュタイアーマルク州としては、域外で赤字運行を続けるわけにはいかなかったのだろう。

*注 ポストバス Postbus の路線だが、現在はザルツブルク州交通局 Salzburg Verkehr が運行している。

このうちザンクト・アンドレ=アンドルヴィルト St. Andrä-Andlwirt ~マウテルンドルフ間 9.4kmでは、保存団体「クラブ760」により、夏のシーズンに蒸気列車の保存運行が実施されている。運行拠点はマウテルンドルフ駅に置かれ、ムール川の支流タウラッハ川 Taurach に沿って走ることから、路線名は「タウラッハ鉄道 Taurachbahn」だ。1988年から始まったこの事業は、山里の観光資源としてすっかり定着している。

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シーズンオフのマウテルンドルフ駅
 

ムールタール鉄道は大都市から離れているので、アクセスには時間がかかる。ÖBB南部本線で起点のウンツマルクト側から入るのが順当な経路だが、逆に終点タムスヴェークへ、ÖBBエンスタール線 Ennstalbahn のラートシュタット Radstadt 駅からマウテルンドルフを経由して(一部便は乗換)、バスで到達することも可能だ(下注)。本数は少ないが、ザルツブルクからの直行バスも運行されている。

*注 ザルツブルク交通局 https://salzburg-verkehr.at/ 路線番号280、700、直行バス:270

次回は、ピンツガウ地方鉄道を訪ねる。

本稿は、"Die Murtalbahn - Die Geschichte von 110 Jahren Schmalspurbahn" Steiermärkische Landesbahnen, 2004 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
StB - ムールタール鉄道  http://www.stlb.at/bahn/strecken/ut/
クラブ760 - タウラッハ鉄道  http://www.club760.at/html/taurachbahn.htm

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2019年10月17日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-ヘレンタール鉄道

ヘレンタール鉄道 Höllentalbahn

パイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau ~ヴィントブリュッケ・ラックスバーン Windbrücke-Raxbahn 間 6.1km
軌間760mm、直流500V電化
1918年開通(貨物鉄道として)、1926年定期旅客輸送開始
1963年 旅客輸送廃止、1979年 保存列車運行開始、1982年 一般運行(貨物)休止

【現在の運行区間】
保存鉄道:パイエルバッハ・ロカールバーン(地方鉄道)Payerbach Lokalbahn ~ヒルシュヴァング Hirschwang 間 4.8km

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ライヘナウ駅に停車中の1号電動車
 

世界遺産ゼメリング鉄道の麓の駅に接続して、小さくも美しい古典電車が行き来する保存鉄道がある。駅の名はパイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau、接続する760mm狭軌の路線はヘレンタール鉄道 Höllentalbahn という。ただし、同名の鉄道がドイツにも存在し(下注)、そちらのほうが有名なので、区別のために「ニーダーエースタライヒ(下オーストリア)の niederösterreichische」という修飾語をつけて呼ばれることがある。

*注 ドイツのヘレンタール線は、南西部シュヴァルツヴァルト Schwarzwald(黒森)を横断するフライブルク・イム・ブライスガウ Freiburg im Breisgau ~ドナウエッシンゲン Donaueschingen 間。

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運営に携わるのはオーストリア地方鉄道協会 Österreichische Gesellschaft für Lokalbahnen(ÖGLB、下注1)、以前紹介したイプスタール鉄道山線 Bergstrecke Ybbsthalbahn(下注2)を運行している団体だ。保存鉄道としての歴史はイプスタール山線のほうが新しいのだが、イプスタールの蒸気運転に対して、ヘレンタールは電気運転で、協会の活動の両輪をなしている。

*注1 実際の路線維持と列車運行は、ヘレンタール鉄道プロジェクト有限会社 Höllentalbahn Projekt Ges.m.b.H. (HPG) が行う。
*注2 イプスタール鉄道山線については「オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 II」参照。

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ヘレンタール鉄道と周辺路線図

全線でも4.8kmしかないミニ鉄道は、そもそも何のために造られたのだろうか。

鉄道が向かうのは、アルプスの東端を流れ下るシュヴァルツァ川 Schwarza の峡谷の出口だ。この峡谷が、鉄道の名になっているヘレンタール Höllental(地獄谷の意)で、シュネーベルク Schneeberg とラックス Rax の山塊の間に、石灰岩の岩肌剥き出しの狭くて荒々しい谷間が続いている。谷の出口のヒルシュヴァング Hirschwang 村には、森林と豊かな水を背景に、シェラー社 Schoeller & Co のパルプ工場が進出した。狭軌鉄道は本来、この工場と国鉄幹線との間で貨物を運ぶために造られたものだ。

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水の透明なシュヴァルツァ川
遠景はラックス山塊
 

時は第一次世界大戦さなかの1916年、戦争需要が高まり、工場は増産体制を敷いていた。幹線と貨車をやり取りするのであれば、貨物鉄道も標準軌にするのが普通だ。しかし工期がかかるため、とりあえず狭軌の線路で当座をしのぐことになった。というのも、ケルンテン Kärnten のカラヴァンケントンネル Karawankentunnel 建設で使用され、竣工に伴い余剰となっていた簡易軌道をそっくり利用することができたからだ。トンネル工事では坑内爆発の危険を避けるために小型の電気機関車が投入されていた。それで、ヘレンタールの路線も初めから直流500Vで電化され、その機関車が貨車を牽いた。

*注 カラヴァンケントンネルは、オーストリアのローゼンバッハ Rosenbach と現在のスロベニアのイェセニツェ Jesenice の間にある長さ7977mの鉄道トンネル、1906年開通。

並行して標準軌線の工事も進められており、パイエルバッハとライヘナウを隔てるアルツベルク Artzberg の山には、長さ428mのトンネルを掘っていた。底部坑が1918年に完成し、頂部坑に取り掛かっていたものの、敗戦により標準軌化計画は頓挫し、坑口は使われることなく封鎖されてしまった。

戦後は、ラックス山系へのスキー客の利用を見込んで、貨物鉄道を、旅客を扱う地方鉄道 Lokalbahn に転換する計画が立てられた。採算面から、標準軌ではなく760mm軌間を維持したままで、終点をラックスロープウェー Raxseilbahn の乗り場近くまで延伸することになった。

1922年に、運営主体となる「パイエルバッハ=ヒルシュヴァング地方鉄道株式会社 Lokalbahn Payerbach Hirschwang AG」が設立された。1926年にグラーツ車両製造所 Grazer Waggonfabrik から電動車2両(1~2号)と付随車4両(11~14号)が納入され、ヒルシュヴァング~ヴィントブリュッケ・ラックスバーン Windbrücke-Raxbahn 間の延伸も完成する。こうして、同年9月から旅客輸送が始まった。

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パイエルバッハ・ライヘナウ駅
(左)駅舎
(右)芝生広場の静態保存展示
  左がヘレンタール鉄道最初の小型電気機関車
  右はラックス ロープウェーの旧車
 

しかし第二次大戦後は、施設設備の劣化が進行する。ついに1963年、運輸当局から安全性に問題があるとして改善命令を受けた。線路の改修には300万シリングの費用が見込まれ、小さな鉄道会社に調達できるものではなかった。結局、旅客輸送は1963年7月1日に中止され、代行のポストバスに置き換えられた。不要となった旅客車両は、チロルのツィラータール鉄道 Zillertalbahn に売却されてしまった。

このとき、貨物輸送はまだ存続していた。その運用改善を支援した縁で、オーストリア地方鉄道協会が1979年6月から、この路線で蒸機による観光列車を運行するようになる。当時ÖBB(オーストリア連邦鉄道)線ではディーゼルに転換する無煙化が最終段階に来ており、協会は除籍された狭軌の蒸機の取得を進めていた(下注)。

*注 イプスタール山線の保存開業により、1990年に狭軌の蒸機はイプスタールに移された。

1982年には貨物輸送も終了し、その機会に路線の維持は、全面的に協会に委ねられることになった。ただ、1990年代はヘレンタール鉄道にとって困難な時期だった。資金不足で線路補修がままならず、数年間は、一部区間(ライヘナウ~ヒルシュヴァング間)でしか運行できなかった。しかしその後、ニーダーエースタライヒ州とEUとの間で協定が結ばれ、「ヘレンタール鉄道の再興 Belebung der Höllentalbahn」計画がスタートする。これにより更新のための資金が確保され、1999年から再び全線で運行が可能になった。

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1号電動車
(左)車体はまだ新車のよう
(右)木製ベンチが並ぶ車内

現在のヘレンタール鉄道の乗り場は、ÖBBゼメリング鉄道(下注)のパイエルバッハ・ライヘナウ駅から300mほど離れた場所にある。かつてはÖBB線に並ぶホームから出発していたのだが、保存鉄道化された後、旧パイエルバッハ・オルト Payerbach-Ort 停留所(オルトは村の意)に起点が移された。正式駅名は、パイエルバッハ・ロカールバーン(地方鉄道)Payerbach Lokalbahnで、時刻表では Payerbach LB と略記されている。

*注 「ゼメリング鉄道 Semmeringbahn」は独立した路線ではなく、ÖBB南部本線 Südbahn のうち、ゼメリング峠をはさんだグログニッツ Gloggnitz ~ミュルツツーシュラーク Mürzzuschlag 間を指す。そのため「ゼメリング線」と書く文献もある。

ヘレンタール鉄道の運行日に、ウィーン方面から来てパイエルバッハ・ライヘナウ駅のホームに降り立つと、進行方向遠方に小さな電車がいるのが見えるはずだ。駅の地下道を通る必要はない。2・3番ホームの先端からヘレンタール鉄道の乗り場まで、小道がつながっている。

狭軌鉄道の乗り場にも小さな駅舎が建っているが、中はちょっとした売店と資料展示があるだけで、切符は車掌から買う方式だ。通貨がシリングだった時代の骨董品のような乗車券が使われている。もちろん、支払いはユーロでするのだが。

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(左)パイエルバッハ・ライヘナウ駅はSバーンの終点
  ハイカーが大勢下車
(右)ホーム先端からヘレンタール鉄道の駅へ行く小道がある
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シリング時代の旧券、今なお使用中!
 

訪れたときも、駅舎の前に2両が停車していた。シャトルーズグリーン(黄緑)とピーコックグリーン(青緑)のツートンをまとった古典車で、前(ヒルシュヴァング方)にいるのがパンタグラフを載せた1号電動車、後ろは動力をもたない付随車の21号車だ。どちらもまるで新車のように艶やかだ。

40年の歴史を紡ぐヘレンタールの保存鉄道だが、最初は蒸機、その後ディーゼル機関車で運行されていた。一般旅客輸送時代のような電車による運行体制が復活したのは意外に新しく、2005年以降のことだ。

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パイエルバッハ地方鉄道駅
手前は21号付随車、奥が1号電動車
 

電車再建は、先述の「ヘレンタール鉄道の再興」計画に、線路や車庫の改修とともに、目標として盛り込まれていた。しかし、そのとき利用可能な車両があったわけではない。売却先のツィラータール鉄道は非電化路線のため、電動車は機器を取り外され、貨車に改造されてしまっていたからだ。

そこで、現地に残っていた電動車の台車と、一足先に復帰していた付随車の車体をベースにして、復元が1999年から始められた。6年の期間を経て2005年に完成したのが、目の前の1号車だ。一方21号車は、ウィーン地方鉄道(バーデン線)の付随車を、台車の交換により改軌したもので、2003年から使用されている。

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出発時刻近し
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ヘレンタール鉄道沿線の詳細地形図
(赤の破線は廃線区間)
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

車掌氏から、1号車に乗るように言われた。実際、21号は扉が閉まっていて、よく見ると連結もされていない。多客時に使う予備車らしい。

10時25分、吊掛駆動の独特のうなりとともに、駅を後にした。まずはゼメリング鉄道に並行しつつ、坂を上っていく。しかしまもなく二手に分かれ、立派なシュヴァルツァ高架橋を眺めながら、シュタインホーフグラーベン Steinhofgraben の谷間へ回り込む。なおも上り続けて、次の切通しがアルツベルクのサミットだ。後は下りで、クーアハウス Kurhaus 停留所を通過し、タールホーフ Thalhof の浅い谷にオメガループを描きながら、一気に山を降りてしまう。

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(左)ゼメリング鉄道に並行しつつ上る
(右)シュヴァルツァ高架橋の眺め
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(左)右回りに谷間へ
(右)アルツベルクのサミット付近
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(左)下る途中のクーアハウス停留所
(右)オメガカーブを横断する道路
  上の踏切から下の踏切が見える
 

待避線があるライヘナウ Reichenau で停車した。ここは線路脇に駅舎と変電所の建物が建ち、ささやかながら駅らしい雰囲気がある。ライヘナウ(正式名ライヘナウ・アン・デア・ラックス Reichenau an der Rax)はラックス山麓の保養地で、ゼメリング鉄道の開通後、ウィーンの上流階級が夏の別荘を好んで建てた。だが、町の中心部は川の向こう側なので、車窓からはあまり見えない。

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ライヘナウ駅に停車(帰路撮影)
 

後半区間は、シュヴァルツァ川 Schwarza の左岸に沿う穏やかな行路だ。散歩道を隔てて見える流れはみごとに透き通っていて、アルプスの白濁した川とはまるで違う。上流は石灰岩の山地で、その湧水はウィーン水道の水源にも使われている。清流なのも当然だ。

河畔の森の中で、駅名標が1本立つだけのハーベルク Haaberg 停留所を通過した。終点のヒルシュヴァングは、それからまもなくだった。終点といってもヤードの隅っこで、縁に枕木の余りを並べたみすぼらしいホームしかない。線路はまだ先へ続いていて、本来のヒルシュヴァング駅舎は200mほど上手だ。しかし、2006年から列車は、この新しい停留所で折り返すようになった。車庫見学には、ここが至近だからだ。

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(左)後半はシュヴァルツァ川に沿う
(右)ハーベルク停留所を通過
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(左)ヒルシュヴァング到着
(右)車掌がツアーガイドを務める
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旧 ヒルシュヴァング駅方面を望む
 

斜め後ろに複線の線路が分岐していて、車庫兼整備工場につながっている。乗って来た朝一番の便は「体験列車 Erlebniszug」といい、車庫見学45分と、復路にライヘナウ駅の変電所見学20分がオプションになっている。往復運賃のみで参加できるから、加わらない手はない。

車掌氏が、業務を終えたその足でツアーガイドを務める。駅でまず路線や保存活動の歴史を、車庫の中では珍しい古典車両の来歴や特徴を、メモも見ずに滔々と語り続けるのには感心する。しかしドイツ語なので、断片しか聞き取れないのが悔しい。

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車庫見学に出発
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庫内には多数の保存車両が
 

車庫は、1900年に建てられた元 蓄電池工場で、1926年の旅客輸送開始に際して、車庫に改装された。本線から引っ込んだ位置にあるのはそのためだ。3線収容の広い庫内には、貨車やディーゼル機関車などさまざま車両が留置されている。中でもユニークな容貌をしているのが、「走る菜園小屋 fahrende Gartenhaus」の愛称をもつ1903年製の電気機関車E1だ。カラヴァンケントンネルの工事現場から来た車両で、動態保存されている世界最古の電気機関車の1台と言われている。パイエルバッハ・ライヘナウの駅前にモニュメントとして置かれていたのは、同僚機だ。

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(左)手前のユニークな車両が「走る菜園小屋」E1
(右)貨物を牽いていたディーゼル機関車V2
 

車庫の奥は修理工場で、工作機械や鍛造のための設備が所狭しと置かれていた。ひととおり説明をし終えた後に、別室でモーターを動かし、それぞれの機械にベルトで回転を伝える実演がある。復路、ライヘナウの変電所でも、交直変換設備や「Lebensgefahr(生命の危険)」と注意書きのある高電圧開閉装置など、ふだん見ることのない内部のようすを見せてもらった。

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(左)奥は修理工場
(右)修理工場の裏口
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ライヘナウ駅の変電所見学
(左)外観(右)内部
 

保存鉄道の活動というと、歴史的に貴重な車両を維持し、往時のように走らせることがすべてと思いがちだ。しかし、その舞台裏には、運行を支えているさまざまな施設や設備があり、その保守や整備が不可欠であることがよくわかる。乗るだけなら片道25分の小さなヘレンタール鉄道だが、ツアーに参加したことで一層印象深いものになった。

ヘレンタール鉄道の運行日は、2019年の場合、6月9日から10月27日の間の日・祝日で、それぞれ4往復(最終の1本は6~8月のみ運行)が設定されている。見学ツアーは実施便が限られているので、協会のサイトの時刻表欄で事前に確認しておくとよい。

次回はムールタール鉄道を訪れる。

■参考サイト
ヘレンタール鉄道 https://www.lokalbahnen.at/hoellentalbahn/

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2019年10月10日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-シュタイアタール鉄道

シュタイアタール鉄道 Steyrtalbahn

本線:ガルステン Garsten ~クラウス Klaus 間 39.8km
支線:ペルゲルン Pergern ~バート・ハル Bad Hall 間 15.4km
軌間760mm、非電化
1889~1909年開通
1982年 最後の一般運行区間(ガルステン~グリュンブルク)休止
1985年 保存鉄道運行開始

【現在の運行区間】
保存鉄道:シュタイア・ロカールバーンホーフ(地方鉄道駅)Steyr Lokalbahnhof ~グリュンブルク Grünburg 間 16.5km

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シュタイアタール鉄道の保存列車
 

リンツの南30km、シュタイア Steyr の町を起点とするシュタイアタール鉄道 Steyrtalbahn は、現 オーストリア領内で最初に造られた760mm軌間(ボスニア軌間)の路線だ。1889年に、東側でガルステン Garsten ~グリュンブルク Grünburg 間が開通したのを皮切りに、周辺へ路線を延ばしていき、最盛期には55kmの路線網を有したが、1982年に全線廃止となった。

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現在は、シュタイア地方鉄道駅からグリュンブルクの間16.5kmで保存鉄道として運行されているに過ぎない。しかし、鉄道の価値は、一般運行の時代より高まっている。なぜなら、列車はすべて昔懐かしい蒸気機関車による牽引で、しかも、この鉄道向けに設計されたオリジナル機関車が、他の形式とともに、今なお使われているからだ。

現在、蒸機は3両が稼働可能な状態に維持され、ほかにも改修中か改修計画中のものが6両ある。運行日は2019年の場合、5月1日、6月の日曜、7~9月の土・日曜と10月26日だ。ノスタルジーを誘う古典客車を連ねた列車が、それぞれ1~3往復設定されている。

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シュタイアタール鉄道と周辺路線図
(破線は廃線を表す)

保存鉄道の始発駅は、シュタイア市街の西の町はずれにあるシュタイア地方鉄道駅 Steyr Lokalbahnhof(下注)だ。一般運行の時代は南3kmにあるガルステンでÖBB(オーストリア連邦鉄道)線と接続していたのだが、この区間は復活しなかった。方やÖBBのシュタイア駅は市街地をはさんで反対側、エンス川の川向うに位置しているため、両駅間には1.5kmの隔たりがある。

*注 開通当時はシュタイアドルフ Steyrdorf と称したが、1928年に現駅名に改称。

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シュタイア地方鉄道駅
 

二つの駅を連絡するバス路線などはなく、保存鉄道のサイトでも、歩いていくように案内されている。だが、それはかえって幸いというべきだろう。シュタイアの気品漂う町並みがすこぶる魅力的で、バスであっさり通過してしまうには惜しいからだ。

参考までに、シュタイア駅から地方鉄道駅までの、最短かつ最良の道順を記しておこう(下注)。

*注 グーグルマップのルート検索では、歩行者専用橋がない時代の迂回ルートが表示されるので注意(2019年10月現在)。

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シュタイア市街図に両駅間の最短経路(破線)を加筆
Data source: www.basemap.at, License: CC-BY 4.0
 

駅の1番ホームを南端まで進み、右(西)を向くと、歩行者用道路の標識が見えるはずだ。これが旧市街への近道になる。横断歩道を渡ると、エンス川を隔てて旧市街のすばらしい展望が開ける。階段を降りて(エレベータもある)、2017年11月に完成したばかりの歩行者専用橋で川を渡る。観光案内所もある建物の中の通路を道なりに抜ければ、そこはもうシュタイアの中心、シュタットプラッツ Stadtplatz(都市広場)だ。

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ÖBBシュタイア駅
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旧市街への近道
(左)エンス川に面した階段を下りて…
(右)歩行者専用橋(エンスシュテーク Ennssteg、エンス川の小橋の意)を渡る
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シュタットプラッツ
右の塔のある建物は市役所 Rathaus
 

中世の都市に迷い込んだかのような歴史的建築群に圧倒されながら、広場を少し南へ下る。そして、聖母教会 Marienkirche の向かいから、斜め右(南西)へ上っていく坂道(プファルガッセ Pfarrgasse)をたどる。後は、ロータリーを越えて車道を直進し、突き当りを左に折れると、もう蒸機のブラスト音が聞こえてくるだろう。ガルステンへの廃線跡をまたぐ旧跨線橋(ただしほとんど気がつかない)の先で右折し、坂を下りれば、地方鉄道駅だ。徒歩約20分の道のりになる。

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聖ミカエル・バロック教会とシュタイア川
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(左)エンゲ・ガッセ Enge Gasse から広場を南望
(右)シュロスパルク Schloss Park(城公園)に駐車していたクラシックカー
 

この日の1番列車は10時ちょうどの発車だった。30分前に駅に着くと、すでに壮年の団体や家族連れなど、多くの人たちが列車の周りに群がっている。機関車は、6号機「クラウス Klaus」だ。同鉄道オリジナルの形式で、動輪3軸ながら、急曲線の通過を可能にするクラウス・ヘルムホルツ式台車が使われている。

この形式は、1888年の開業時にリンツのクラウス社 Klauss Linz から3両が納入され、後年、さらに3両が増備された。6号機(ÖBB 298.106)は1914年製の末っ子で、クラウス駅への延伸開業後に車列に加わったことから、その名がある。そのクラウスの後ろには、2軸客車3両、ボギー客車2両、そして最後に有蓋貨車(緩急車?)がつき、全7両の編成だ。

駅舎の中に入ると、昔風の小さな出札窓口があり、乗車券を扱っていた。材質は嬉しいことに硬券で、車掌が車内検札の際に孔を開けてくれる。

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シュタイア地方鉄道駅で発車を待つ列車
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6号機関車クラウス Klaus
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駅舎内の出札窓口、
待合スペースは鉄道博物館
左は硬券の往復乗車券
 

響き渡る鋭い汽笛を合図にして、列車は定刻に発車した。石炭を焚いているので、白煙が青空に勢いよく吹き上げられる。暗い崖下を少し降りた後は、段丘崖の上にそびえるクリストキンドル巡礼教会 Wallfahrtskirche Christkindl に見送られて、シュタイアタール Steyrtal(シュタイア川の谷)を遡っていく。

ルートは終始、ゆったりと流れるこの川の氾濫原を忠実にたどるのだが、生い茂る河畔林のせいで、川面はたまにしか見えない。集落も線路沿いにはほとんどなく、列車はただ林と、それを切り開いた狭い農地の間を淡々と進んでいくばかりだ。

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(左)2軸客車の車内
(右)皮ベルトで調節する落とし窓
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(左)段丘崖の上にそびえるクリストキンドル巡礼教会
(右)河畔林と農地の間を進む
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シュタイア川のほとりを行く
 

中間の小さな停留所はまだ使われている。しかし、すべてリクエストストップで、実際に停まることはなかった。起点から4.2km、バート・ハル方面の支線が分岐していたペルゲルン Pergern も気づかないうちに通過してしまった。

唯一停車したのは、起点9.6kmのアシャッハ・アン・デア・シュタイア Aschach an der Steyr だ。ここには車庫があり、側線にも客車や貨車が留置されている。復路では、後ろに数両増結する作業が行われた。シュタイアで予約客が多いときは、あらかじめここから持っていくようだ。

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アシャッハ・アン・デア・シュタイア駅で
U形機関車298.05を目撃
 

ずっと同じような景色が繰り返され、デッキに立つ人もめっきり減ったころに、シュタイア川の横断というイベントが待っている。長さ80mの下路トラス橋が流れに対してやや斜めに架かっていて、列車はゴトゴトと鈍い音を響かせながら渡りきる。

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シュタイア川鉄橋を渡る
 

左岸に移れば、まもなく終点のグリュンブルクだ。時刻表では所要60分のところ、数分オーバーして到着した。まもなく機関車が切り離され、単独で前方へ走っていく。車庫の裏手に、給炭と給水のための設備がある。後ろの貨車では、運んできた自転車を下ろす作業が続いているが、セグウェイまで出てきたのには驚いた。この先、クラウスまでの廃線跡は自転車道に転用されており、愛車にまたがったグループはそれをたどるのだろう。

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グリュンブルク駅到着
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花と緑で飾られた駅舎の前で記念撮影
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(左)ベルトコンベヤーで給炭
(右)続いて給水
 

ハンギングバスケットや蔓植物で飾られた駅舎には、地方鉄道駅と同じような出札窓口があった。いつものように、絵葉書と鉄道資料を買い求める。帰りの列車は1時間後だ。まだ時間があるので、廃線跡を見がてら、近くのシュタインバッハ・アン・デア・シュタイア Steinbach an der Steyr の村まで散歩に出かけることにしよう。高台にある教会のテラスからシュタイアタールの景色が望めるはずだ。

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グリュンブルク以南の廃線跡
(左)車両置き場と化した線路
(右)築堤の終端、この先は道路に転用
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シュタイア川に架かる橋からシュタインバッハ村の眺め
右側の岸を廃線跡が通っている
 

シュタイアタール鉄道は、林業や鉄工業を生業とするシュタイア川流域の振興のために計画された軽便鉄道だ。当初認可された区間は、起点シュタイア(ガルステン)、終点がウンター・グリュンブルク Unter-Grünburg(現 グリュンブルク駅)で、可能ならクレムスタール鉄道 Kremsthalbahn(現 ÖBBピュールン線 Pyhrnbahn)のクラウスまで延伸するとされていた。

起点側では、ルードルフ鉄道(現 ÖBB線)のシュタイア駅からガルステンまで、標準軌に狭軌のレールを加えた3線または4線軌条にする予定だったが、費用負担や運行権の問題で実現せず(下注)、1889年にガルステン~グリュンブルク間が開通した。続いて1890年にグリュンブルクからアーゴニッツ Agonitz まで路線が延伸された。

*注 同じ方式が、ザルツカンマーグート地方鉄道 Salzkammergut-Lokalbahn(すでに廃線)のバート・イシュル駅~同 貨物駅間では実現した。本ブログ「ザルツカンマーグート地方鉄道 II-ルートを追って」参照。地方鉄道駅の位置など、この二つの狭軌鉄道には共通点がある。

しかし、アーゴニッツ以遠は容易に着手できなかった。なぜなら、クレムスタール鉄道会社が、自社線の顧客の逸走を恐れて、接続を拒否したからだ。クレムスタール鉄道は大都市リンツ Linz に直結する標準軌線であり、低規格の地方鉄道を警戒する必要もないように思われる。しかし、クレムスタール鉄道の上流部はシュタイアの文化圏に属しており、当時としては、会社の懸念もあながち過剰反応ではなかった。

そこでシュタイアタール鉄道は当面、ペルゲルンからバート・ハル Bad Hall に至る支線の建設に集中し、1891年にこれを開通させた。クラウスへの延伸計画は、1902年にクレムスタール鉄道が国有化された後に再開され、1909年にようやく開通したのだ。

何度かシュタイア川の洪水で被害を受けたものの、鉄道経営は順調だった。地方鉄道駅とレッテン駅の近傍には兵器工場が立地しており、第一次世界大戦中は、輸送量が急増した。しかし戦後は、国を覆う深刻な不況と道路交通の発達により、鉄道会社は大きな打撃をこうむった。1931年に運行が国に引き継がれたものの、最も不採算のバート・ハル支線ジールニング Sierning ~バート・ハル間は、1933年に休止となった。

第二次世界大戦で、シュタイア周辺の軍需工場は連合軍の空爆に晒されたが、シュタイアタール鉄道はほぼ無傷で残った。しかし、戦時中に酷使された線路施設の状態は悪く、しかも戦後は幹線の復興が優先されたため、地方路線の保守や改修は後回しにされた。1958年に登場した狭軌用の新型ディーゼル機関車2095形もここでは使うことができず(下注)、蒸機による運行が続けられた。

*注 総重量は、蒸機の 22t に対して 2095形は 31t ある。

赤字を理由にした第2次の見直しは1960年代後半から始まる。1967年、バート・ハル支線の残区間(ペルゲルン~ジールニング)が休止となり、続いて1968年には本線の南端区間であるモルン Molln ~クラウスもバス代行とされた。1980年3月、モルンの手前で落石が発生して運行が中断され、これをきっかけにグリュンブルク~モルン間が休止となる。そして2年後の1982年、残るガルステン~グリュンブルク間が廃止され、シュタイアタール鉄道(当時は ÖBBシュタイアタール線)は全廃となったのだった。

保存鉄道を運行するオーストリア鉄道史協会 Österreichische Gesellschaft für Eisenbahngeschichte (ÖGEG) は、1974年にリンツで創設された団体だ。まずリンツ近郊で休止されたばかりのフローリアン鉄道 Florianerbahn(電気軌道)の保存運行を手掛け、続いて、標準軌の機関車保存に着手した。

シュタイアタール鉄道の保存運行は、1985年に開始されたもので、今年で34年になる。さきほど見たように、ここでは石炭焚きの蒸機を稼働させ、古い施設設備も活用して、可能な限り軽便鉄道の全盛期を再現しようとしている。ボランティアの手で守り続けられてきた保存鉄道は、今や生きた鉄道史博物館であるとともに、古都シュタイアの観光資源としても欠かせない存在だ。

次回は、ゼメリング峠の麓を走るヘレンタール鉄道を訪れる。

本稿は、Stephen Ford "Railway Routes in Austria - The Steyrtalbahn", The Austrian Railway Group, 2012 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ÖGEG シュタイアタール鉄道  http://www.steyrtalbahn.at/

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2019年10月 3日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 II

イプスタール鉄道山線 Bergstrecke Ybbsthalbahn

キーンベルク・ガーミング Kienberg-Gaming ~ゲストリング・アン・デア・イプス Göstling an der Ybbs 間 26.8km
軌間760mm、非電化
1898年開通、1988年一般輸送休止、1990年保存鉄道運行開始

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ヒューナーネスト高架橋 Hühnernest-Viadukt
 

ヴァイトホーフェンからイプス川 Ybbs の谷(イプスタール Ybbstal)を延々遡ってきたイプスタール鉄道 Ybbstalbahn は、行路の最後に分水嶺を越えて、エアラウフ川 Erlauf の谷(エアラウフタール Erlauftal)に移る。最急勾配31.6‰、最小曲線半径60mと、蒸気機関車泣かせの険しい峠道は、昔から「山線 Bergstrecke」と呼ばれ、区別されてきた。駅でいうと、ルンツ・アム・ゼー Lunz am See とキーンベルク・ガーミング Kienberg-Gaming の間で、マリアツェル鉄道の山線やヴァルトフィアテル鉄道の南線と並び称される760mm狭軌の名物ルートだった。

*注 マリアツェル鉄道の山線については「オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 II」、ヴァルトフィアテル鉄道南線は「オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 III」で詳述。

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イプスタール鉄道と周辺路線図
(破線は廃線、灰色は貨物線を表す) 

ÖBB(オーストリア連邦鉄道)の一般旅客輸送がまだ行われていた頃、17.3kmあるこの区間の通過には、ディーゼルカーで40分近くかかった。それに対してクルマなら、最短コースのグループベルク Grubberg 山麓を通って、わずか15分で到達できる。そのため山線は閑散区間で、他に先駆けて1988年5月に運行が休止されてしまった。

廃止となれば、遠からず線路は撤去の運命にある。事態を回避しようと、地元ニーダーエースタライヒ州の「オーストリア地方鉄道協会 Verein "Österreichische Gesellschaft für Lokalbahnen" (ÖGLB)」が、保存鉄道化する準備を始めた。ÖGLBは1977年の設立で、ゼメリング山麓を走る同じ760mm軌間のヘレンタール鉄道 Höllentalbahn で、こうした活動を続けてきた実績がある。

*注 ヘレンタール鉄道については「オーストリアの狭軌鉄道-ヘレンタール鉄道」で詳述。

協会は、運行管理を行う「ニーダーエースタライヒ地方鉄道運行会社 Niederösterreichische Lokalbahnen Betriebsges.m.b.H. (NÖLB)」を設立し、ÖBBから線路を借りて、1990年から山線で再び列車を走らせ始めた。

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駅名標と運営主体の掲示
 

後の2010年12月に、山線を含むイプスタール鉄道全線が、ÖBBからニーダーエースタライヒ州に移管された。その際、谷線のグシュタット Gstadt ~ルンツ・アム・ゼー Lunz am See 間は廃止とされたが、このうち、東側のゲストリング・アン・デア・イプス Göstling an der Ybbs ~ルンツ・アム・ゼー間については、州との協議でNÖLBによる管理が認められた。その結果、2013年7月から山線の運行をゲストリングまで延長することが可能になった(下注)。

*注 なお、2018年と2019年は、全便がルンツ・アム・ゼーで折り返す運用になっている。

運行拠点であるキーンベルク・ガーミングにも、大きな変化があった。ここは長年、ÖBBエアラウフタール線 Erlauftalbahn の終点だったのだが、イプスタール鉄道移管と同じタイミング(2010年12月)で、シャイプス Scheibbs ~キーンベルク・ガーミング間10.6kmが廃止されてしまったのだ。それ以来、山線は標準軌路線との接続を失い、孤立線となった。ただ幸いなことに、この廃線跡はÖGLBが取得しており、将来的に山線の線路がそちらへ延伸される可能性も残されている。

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保有蒸機の一つ U1
キーンベルクの修理工場前で

2019年6月に、このイプスタール鉄道山線 Bergstrecke Ybbsthalbahn(下注1)を訪れる機会があった。その時の様子を書き留めておこう。

「エッチャーラント・エクスプレス Ötscherland-Express」の名で行われている山線の運行日は、2019年の場合、6~9月の土・日・祝日だ。キーンベルク・ガーミング(以下、キーンベルクと記す。下注2)~ルンツ・アム・ゼー間に1日2往復の列車が設定されている。

*注1 イプスタールの綴りは、hの入った「Ybbsthal」が使われている。これは1898年開業当初の綴りに倣ったもの。
*注2 保存鉄道としての駅名はキーンベルク・イプスタールバーン Kienberg Ybbsthalbahn(時刻表では Kienberg YB と略記)。

上述の通り、エアラウフタール線がシャイプス止まりになったため、保存鉄道へのアクセスは路線バスが肩代わりしている。ペヒラルン Pöchlarn 駅から、パープッとユーモラスな警笛を鳴らしながら走る旧型気動車に50分ほど揺られ、さらにシャイプス駅前でMO2系統ゲストリング行きのバスに乗り換えて17分、キーンベルク・ノスタルギーバーンホーフ Kienberg Nostalgiebahnhof 停留所が、保存鉄道の駅前だ。

*注 バス時刻表は、VOR(東部運輸連合)のサイト https://www.vor.at/ > LinienfahrplanでMO2を検索。

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ÖBBシャイプス駅
(左)鉄道連絡はここまで
(右)駅前で路線バスに乗換
 

休日はバスの本数が少ない。そのため、ノスタルギーバーンホーフ停留所に9時48分着、山線列車は9時50分発と、わずか2分のきわどい接続になっている。間に合ったとしても、駅で列車の切符を買う時間があるだろうか。バスの窓から、道路脇に続くエアラウフタール線の廃線跡を目で追いながらも、内心焦っていたのだが、すべて杞憂だった。バスは時刻どおりに走り、切符(下注)は列車内で車掌から買う方式だったからだ。

*注 残念ながら、乗車券は発行機によるレシートで、保存には向かない。

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(左)州道の脇をエアラウフタール線の跡(バラストが残る)が並行
(右)キーンベルク・ガーミング駅舎
 

本日の列車を牽くのは、濃緑色のディーゼル機関車2093 01だった。1927~28年製で、運行可能な電気式ディーゼル機関車としてはオーストリア最古のものだそうだ。最初イプスタール鉄道で使われた後、グレステン線(マリアツェル鉄道の支線)に移籍したが、1991年にNÖLBが購入して、1994年から再び古巣で保存列車を牽くようになった。古典機関車の後ろには、形式もさまざまな2軸客車が3両連なり、しんがりを緩急車が務めている。

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ディーゼル機関車2093 01
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形式もさまざまな2軸客車
 

客車はどれも満席状態だ。窓枠に予約席を示す紙が貼ってあるから、団体客が乗車しているのだろう。走り出せばデッキも混むに違いないので、早めに立ち位置を確保した。視界は、サミットであるプファッフェンシュラーク Pfaffenschlag 駅まで左側、その後は右側に開ける。

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キーンベルク駅にて
満席状態で発車を待つ
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東斜面
キーンベルク~プファッフェンシュラーク間の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

列車は定刻より10分遅れて、10時ちょうどに発車した。列車の終点ルンツ・アム・ゼーまでの所要時間は1時間15分だ。駅を後にすると州道を横断し、さっそく上り勾配が始まる。狭い谷間を流れる川や道路との間に、見る見る高低差がつく。木々の間を縫ううちに左側の谷が開けて、まとまった集落が見えてきた。これがガーミング Gaming の町で、それを見下ろす高台の駅に列車は停車する。

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(左)キーンベルク駅を後に
(右)さっそく始まる上り勾配
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ガーミング駅
(左)駅から見下ろすガーミング市街
(右)小ぢんまりした駅舎
 

山線の起点駅の名も「キーンベルク・ガーミング」なので紛らわしいが、そちらの所在地はキーンベルク村だ。エアラウフタール線の開業時、すなわちイプスタール鉄道がまだない時代に、ガーミングの入口という意味で地名を併記した駅名が付けられた。ガーミングに14世紀創設のカルトジオ会(シャルトル会)修道院 Kartause Gaming があり、名が知られていたからだ。

*注 奇しくも、ÖGLBが関わるヘレンタール鉄道の起点駅名「パイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau」も、同じ構成の併記駅名。

「本」ガーミング駅のほうは町の最寄りの場所に設けられたが、今は乗降する人もなくひっそりとしている。再び動き出すと、草地の下方にその修道院の、朱屋根に覆われた伽藍が俯瞰できた。もちろん修道院の機能はすでになく、ホテルや大学の研究所として活用されているそうだ。

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カルトジオ会修道院の裏手を上る
 

再び森の中に入ると、右に左にカーブが休みなく現れる。山襞を忠実にトレースしているからだが、中でも大きな沢を渡る個所では、立派なトレッスル橋が架かり、美しい弧を描いている。一つ目が長さ94m、高さ28mのヒューナーネスト高架橋 Hühnernest-Viadukt だ。続けて2006年に設けられた同名の停留所(リクエストストップ)を通過した。5分ほど走ると、二つ目のヴェッターバッハ高架橋 Wetterbach-Viadukt(長さ79m、高さ35 m)を渡っていく。どちらも森に囲まれて見通しが利きにくいが、山線の名所なので見逃すわけにはいかない(下注)。

*注 鉄道のトレッスル橋は、オーストリアではこことシュトゥーバイタール鉄道 Stubaitalbahn にしかない。

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(左)ヒューナーネスト高架橋にさしかかる
(右)橋の南詰にある停留所
 (冒頭写真も参照)
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ヴェッターバッハ高架橋
景観はヒューナーネストと瓜二つ
 

起点の標高388mに対してサミットは699mで、差が311mもある。それで、ミッタラウバッハ川 Mitteraubach の谷を遡る約11kmの間、線路はガーミング駅構内など一部を除いて、ほとんど上りっぱなしだ。勾配は最大31.6‰(下注)とかなりきつい。ずっとデッキに立っていたので、牽いているのが蒸機だったら、今ごろは排煙で煤だらけになっていただろう。

*注 鉄道公式サイト(URLは本稿末尾に記載)の Streckenbeschreibung(ルート紹介)記事による。

起点から約40分、ようやく谷が浅くなり、森が開けて牧草地が現れた。ボーディングザッテル Bodingsattel(ボーディング谷の鞍部の意)と呼ばれる分水界だ。列車は、峠の駅プファッフェンシュラークに滑り込み、15分ほど停車した(下注)。給水の必要な蒸機と違って、ディーゼル機関車も、線路際に立つ給水塔も手持無沙汰だ。

*注 時刻表上は12分停車だが、それより少し長かった。

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(左)分水界ボーディングザッテル
(右)峠の駅プファッフェンシュラークに到着
 

乗客もみな車外に降りて、しばらくの間、山の空気を吸いながら談笑に耽る。機関車の運転台も公開され、客が次々と乗り込んでは乗務員に記念写真を撮ってもらっている。後方へ行くと、緩急車が売店に早変わりし、車掌自ら売り子をしていた。ヴァルトフィアテル鉄道でもそうだったが、人手が少ない保存鉄道では、車掌が一人何役もこなさなくてはならない。

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休憩15分、給水塔に仕事はない
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(左)運転台公開中
(右)緩急車は臨時売店、車掌は売り子に
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西斜面
プファッフェンシュラーク~ルンツ・アム・ゼー間の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ルンツ・アム・ゼーへの下り坂も、同じように山襞に沿って細かいカーブを繰り返すが、勾配は20‰にとどまる。山麓にあるルンツ駅の標高は591mで、サミットとの標高差が100mに過ぎないからだ。通り抜ける森も東斜面に比べて明るく、ところどころで農家や牧草地が見られる。

のどかな風情のホルツアプフェル Holzapfel 停留所を通過し、谷底まで降りきったところで、ボーディングバッハ川 Bodingbach を渡った。町裏を少し進めばルンツ・アム・ゼー駅、保存鉄道の終点だ。定刻11時05分のところ、列車は11時20分に到着した。

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(左)野の花咲く下り坂
(右)ホルツアプフェル停留所を通過
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山線の旅も終わりが近い
 

ここでも運転台の見学者をひととおり受け付けた後、機関車は構内の一番端まで行って転線した。団体の人たちは、この近くにあるルンツ湖 Lunzer See へ行って、次の列車(16時30分発)で帰ると言っていた。湖畔まで歩いても30分足らずだから行ってみたいが、そうするとウィーン帰着がかなり遅くなってしまう。

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(左)ルンツ・アム・ゼー駅に到着
(右)団体客は湖へハイキング
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機回し作業が始まる
 

到着が遅れた分、帰りの発時刻もずらされ、11時45分にルンツ・アム・ゼーを出発した。団体客が消えたせいで、車内はみごとに閑古鳥が鳴いている。往路では機関車のお尻を拝んでいた車端デッキが開放されたので、これ幸いと陣取った。際限なくうねるレール、朽ちて草に埋もれそうな枕木など、最後尾ならではの展望を楽しむ。列車は峠の駅すら停車することなく(下注)、事実上の急行運転でキーンベルク駅に戻った。

*注 時刻表でも復路のプファッフェンシュラークは1分停車で、給水時間は想定されていない。

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(左)復路の車内はガラガラ
(右)最後尾のデッキを開放
 

ところでキーンベルクでは、各便の発車40分前から、駅構内にある機関庫のガイドツアー Heizhausführung が催されている。次は14時10分開始なのだが、まだ1時間半も先だ。車掌氏に相談すると、快く整備担当の人を紹介してくれた。「シェッド(車庫)の前に蒸機がいるから、自由に見てくれ」と言われて、いっしょに駅舎と反対側に並ぶ建物群へ向かう。そこには、1898年製のU1とおぼしき機関車がいた。前面の煙室扉が開いていて、プレートもすべて外されている。残念がる私に、「修理が終わったら、また走るよ」とその人は言った。

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キーンベルク駅の修理工場前
入換用機関車が転車台に載る
後ろは蒸機U1
 

公式サイトによれば、山線では蒸機が3両保存されているが、もとシュタイアタール鉄道のモルン Molln は長期休業中、もとヴァルトフィアテル鉄道の複式機関車 Uv.1 も2017年に不具合が発生して運用から離脱している。時刻表には、ディーゼル機関車で運行する日だけが明記(下注)されているが、それ以外の日も当面、ディーゼルが代走に出ざるを得ないようだ。

*注 「#印の日はディーゼル機関車による運行」という注記がある。

次回は、シュタイアタール鉄道を訪れる。

■参考サイト
イプスタール鉄道山線 https://www.lokalbahnen.at/bergstrecke/

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