オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 II
ヴァルトフィアテル鉄道 北線 Waldviertelbahn Nordast
北線(下注)の舞台は、チェコとの国境に横たわる緩やかな起伏の高原地帯だ。深緑の針葉樹林とそれを切り開いた耕作地が交互に現れ、線路は浅い谷間の小川や池に沿って敷かれている。今回は、毎月第1・第3日曜に運行されている蒸機列車で、グミュント Gmünd から北上しようと思う。
*注 北線、南線は両者を区別するために用いる便宜的呼称であり、正式な路線名ではない。
気品漂うニブロク蒸機 Mh.4 リッチャウ駅にて |
列車はグミュント発が10時と14時30分の2本あり、終点リッチャウ Litschau で折り返し13時と16時発になる単純なダイヤだ。1本目の列車に乗るべく、市街地の宿を出てÖBB駅前のターミナルへ向かった。開放的な雰囲気の待合ホールには、すでに多くの客が集まっている。
やがて外側ホームに通じる扉が開いたらしく、ぞろぞろと移動が始まった。オープンデッキつき2軸客車6両、中間部にビュッフェ改造車、最後尾に自転車が積載できる貨車(緩急車?)という編成だが、よく見ると、たいていの客車の窓には予約済みを示す紙がペタペタと貼られている。これなら待合ホールが賑わうはずだ。もちろん、予約していなくても乗車は可能なので、慌てる必要はない。
ニブロク蒸機(下注)を撮ろうと前へ行くと、正面に "Western Express" と書かれた円いプレートを付けていた。観光鉄道らしく、さまざまな催し列車が年に十数回運行されていて、今日はたまたまその日だった。「ウェスタン・エクスプレス」というのが何を意味するのかは、後で知ることになる。
*注 ニブロクは2フィート6インチ(762mm)軌間の日本での俗称。オーストリア=ハンガリー帝国では、この軌間を760mmと再定義して用いた。
Western Express のプレートをつけて走る アルト・ナーゲルベルク駅にて |
(左)2軸客車内部 (右)ビュッフェ車 |
北線路線図 |
定刻10時、短い汽笛とともに列車はホームを後にした。ディーゼル機関車も憩う構内を通り抜ければ、まもなく南線を見送って北へ大きくカーブする。1950年に開通したチェコ領を通らない新線区間だが、もう70年近く経つから、風景に完全に溶け込んでいる。市街裏手の草原に沿って進んだ後は、森の中に入り、いつのまにかラインジッツ川 Lainsitz を渡った。
新線区間を行く蒸機列車 (動画からのキャプチャー) |
チェコとの国境にある旧 オーストリア税関前を通るも、一瞬のことだ。シェンゲン協定により国境検査が廃止された今は、車も無停車で行き交っている。住宅街の中にあったはずのグミュント・ベームツァイル Gmünd Böhmzeil 停留所もしかり。ここは、旧市街の最寄り駅として設けられ、国境が確定した1920年から2年間は北線の臨時ターミナルを受け持ったほどだが(前回の記述参照)、現在、列車がここで徐行し汽笛を鳴らすのは、単に踏切の手前だからだ。
国境の旧税関前を通る線路 |
ベームツァイルの住宅街をくねくねと抜けると、もう人家の密集地はない。再びラインジッツ川を渡り、畑地の中をゆっくり上がっていき、まもなく線路は針葉樹の森に埋もれてしまう。車掌が巡回してきたので、さっそく往復の乗車券を求めた。昨日もそうだったが、くれるのはポータブルプリンタから出てくる薄紙のレシートだ。
観光鉄道化されたときに中間の停留所が廃止されたため、最初の停車駅は 8.4km先のノイ・ナーゲルベルク Neu Nagelberg になる。ここもチェコ国境が間近で、何人かのグループが乗り込んで発車した。
(左)ラインジッツ川のほとりから山手へ (右)森を切り開いた畑地を上る |
(左)ノイ・ナーゲルベルクに停車 (右)ガムスバッハ川を堰き止めた池が連なる |
ガムスバッハ川 Gamsbach を堰き止めた池が、谷間に長く連なる。それを見ているうちに、アルト・ナーゲルベルク Alt Nagelberg に到着した。17世紀から、地元産の石英を原料にしたガラス製造の伝統をもつ町で、駅の向かいに、グミュントのターミナルの前庭で見たのと同じ色ガラスのオブジェが並んでいる。北線にとってガラス製品は、かつて木材と並ぶ貨物輸送の主要産品だった。
機関車への給水が始まる。乗客もみな車外に出て、作業を見学しながら思い思いにくつろいでいる。時刻表上の停車時間は7分なのだが、機関車の点検作業も含めて倍の15分は停車しただろう。ようやく「Alle Fahrgäste, aufsteigen!(乗客のみなさん、ご乗車ください!)」と車掌の大声が響いた。全員客車に戻ったのを見計らって、車掌がオープンデッキの閂を下ろしに回る。それから円い標識を掲げて、発車合図の笛を吹く。列車は再びゆっくりと動き出した。
アルト・ナーゲルベルクで長い給水停車 0kmポストはハイデンライヒシュタイン支線の起点を示す |
(左)停車中もメンテナンスを欠かさない (右)円い標識を掲げて発車の合図(ブラントにて撮影) |
駅を出て2km弱の間、右側にもう1本の線路が複線のように並行する。これはハイデンライヒシュタインに至る支線で、非営利団体のヴァルトフィアテル狭軌鉄道協会 Waldviertler Schmalspurbahnverein (WSV) が、夏のハイシーズンに、旧型ディーゼル機関車による「ヴァッケルシュタイン急行 Wackelstein-Express」を走らせている。
ハイデンライヒシュタイン支線 (左)本線との並走区間(復路撮影) (右)分岐地点には支線のみ停留所(アルト・ナーゲルベルク・エルゴ Alt Nagelberg Ergo)がある |
支線の運行日は、この並行区間を利用した両線列車のレースが呼び物になっている。駅を同時に発車して、途中抜きつ抜かれつした後、分岐地点で汽笛の挨拶を交わしながら分かれていく(下記参考サイトの動画参照)。定期運行時代から行われていた余興で、観光列車でも再現されているのだが、残念ながら今は6月初旬、支線はまだ休眠中だ。
■参考サイト
YouTube - アルト・ナーゲルベルクでの同時発車 Doppelausfahrten in Alt Nagelberg
https://www.youtube.com/watch?v=KdpER-j0D_M
その支線が右手に去ると、すぐにまた森が開けて、ブラント Brand 駅に停車した。ドイツ語でブラントは火事、火災のことだが、この地名は山火事によって開けた土地(入植地)という意味だ。
何やら列車の前方が騒がしい。デッキから覗くと、カウボーイハットに覆面の、西部劇に出て来るような格好の男女が乗り込もうとしている。どうやら列車強盗団の襲撃らしい。彼らはおもちゃのピストルをかざしながら各車内を回り、乗客を巻き込んで緊迫の(?)寸劇を繰り広げた。ところが仕事を終えたとたん、客車の前に全員整列し、車掌が構えるカメラにおとなしく収まったのには笑える。
ブラント駅の西部劇 (左)列車の前方が騒がしい (右)列車強盗団の襲撃 |
(左)ピストルをかざして車内を回る (右)最後はキャスト一同で記念写真 |
ウェスタン・エクスプレスのこのメインイベントのために、また15分ほど停車した。所定ダイヤからはかなり遅れたが、誰一人として気に留める乗客はいないだろう。列車は、ライスバッハ川 Reißbach が自然のままに流れる小さな谷を遡っていく。リクエストストップ扱いのシェーナウ・ドルフヴィルト Schönau Dorfwirt と、製材所への引込線跡が残る旧 シェーナウ・バイ・リッチャウ Schönau bei Litschau 停留所(廃止)は、続けて通過した。最後に短い坂道を上り、右に大きくカーブすると、終点リッチャウの駅舎が見えてくる。10時55分定刻のところ、到着は11時20分だった。
ライスバッハ川の谷を遡る |
(左)シェーナウ・ドルフヴィルトを通過 (右)シェーナウ・バイ・リッチャウには製材所への引込線の痕跡が |
(左)リッチャウ城の望楼が顔を覗かせる (右)終点リッチャウ到着 |
青空に綿菓子のような雲がいくつも浮かんでいる。きょうは絶好の行楽日和だ。駅舎では、町の人たちが食卓をこしらえて待っていた。シチューとヴュルステル(小ソーセージ)が大鍋で煮えている。列車から降りてきた客で、たちまち受付に行列ができた。豆やサラミをたっぷり煮込んだ酸味のあるシチュー(ボーネンアイントプフ Bohneneintopf)は、素朴ながら食欲を満たすには十分だ。その後、留置してある客車の中の小さな博物館をのぞいて、路線の諸元や歴史のデータを仕入れる。
(左)帰路に備えて給水作業 (右)給水元は消防署のタンク車 |
豆のシチューとヴュルステルが乗客たちを待つ |
時間にまだ余裕があるので、駅前の坂を下ってリッチャウの小さな市街地へ出かけることにした。それは、地形図で想像していたとおりの、いい町だった。中心にある広場(シュタットプラッツ Stadtplatz)はそれ自体が急な坂道で、高い側に教会の白い塔がそびえ、谷向うにある城の望楼と対峙している。
町の裏手(北側)にはヘレンタイヒ Herrenteich という大きな溜池があり、波静かな水面に雲を映していた。堤の上は木漏れ日揺れる散歩道で、そのまま池の奥のほうまで延びている。木陰のベンチに腰を降ろして、堰から落ちる涼しげな水音を聞いていると、旅の途中であることを忘れてしまいそうになった。
坂道に築かれたリッチャウ旧市街 |
ヘレンタイヒ Herrenteich (左)雲を映す水面 (右)堤は木陰の散歩道 |
堰を落ちる小川 |
帰りの列車は13時発車だ。間に合うように駅に戻ると、列車の予約席は2両きりになっていた。団体で来た人の多くはまだ町でくつろいでいたから、次の便(16時発)に乗るのかもしれない。復路はおおむね下り坂なので、機関車のドラフト音も心なしか軽やかに聞こえる。途中、アルト・ナーゲルベルクの給水時間も短めで、13時55分、列車はほぼ定刻にグミュントのターミナルに戻ってきた。
次回は、南線を訪ねる。
グミュントに帰着 |
本稿は、Paul Gregor Liebhart und Johannes Schendl "Die Waldviertelbahn - Eine nostalgische Reise mit der Schmalspurbahn" Sutton Verlag, 2017 、鉄道内各駅設置パネル、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
■参考サイト
ヴァルトフィアテル鉄道(公式サイト) https://www.waldviertelbahn.at/
ヴァルトフィアテル狭軌鉄道協会(ヴァッケルシュタイン急行) http://www.wsv.or.at/cms/
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