列車で行くアッター湖 I-カンマー線
ÖBB フェクラブルック=カンマー・シェルフリング線(カンマー線)
Bahnstrecke Vöcklabruck–Kammer-Schörfling (Kammerer Bahn)
フェクラブルック分岐点 Abzw. Vöcklabruck ~カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling 間 8.1km
軌間1435mm(標準軌)、交流15kV 16.7Hz電化
1882年開通、2014年カンマー・シェルフリング駅移転(路線長0.5km短縮)
アッター湖岸のヨットハーバー カンマーにて |
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オーストリアの湖水地方、ザルツカンマーグート Salzkammergut で最大の湖が、アッター湖 Attersee だ(下注)。前回までのテーマだったトラウン湖 Traunsee の西15~20kmに横たわっている。南北約20km、東西4kmの広さをもち、面積は46.2平方km。氷河湖起源のため、最大水深は169mもある。
*注 オーストリア全体でも、ボーデン湖 Bodensee とノイジードル湖 Neusiedler See に次ぐ。この二つの湖は国境をまたいでいるので、水面がすべてオーストリア領の湖では最大。
バート・イシュル Bad Ischl やグムンデン Gmunden といった著名なリゾートのあるトラウン川の谷(トラウンタール Trauntal)に比べると開発は遅れたが、かえってその静けさが好まれて、1860年代には避暑客が訪れるようになる。
1869年に、湖岸の村々に立ち寄る航路が整備され、翌年から外輪蒸気船が就航した。1882年には、ウィーン~ザルツブルク間の皇后エリーザベト鉄道 k.k. privilegierten Kaiserin Elisabeth-Bahn(現 西部本線 Westbahn)から湖に至る鉄道の支線が完成し、湖岸に設けられた終着駅で航路に接続した。交通の便が改善されたことで、多くの中産階級が湖を訪れるようになり、アッター湖は夏の別荘地としても人気が高まっていく。
湖面に照り返す日差しが眩しい カンマーの突堤から南望 |
この鉄道支線が、現在の ÖBB(オーストリア連邦鉄道)カンマー線 Kammerer Bahn(下注1)だ。正式名をフェクラブルック=カンマー・シェルフリング線 Bahnstrecke Vöcklabruck–Kammer-Schörfling といい、「カンマラー・ハンスル Kammerer Hansl(下注2)」というあだ名もあった。
*注1 ÖBBの路線については、線名にある Bahn の訳を「~鉄道」ではなく「~線」とした。
*注2 ハンスル Hansl は、人名ヨハネス Johannes の短縮形。ハンスルに特別な意味はなく、「カンマーの太郎」といったニュアンス。
アッター湖周辺の鉄道路線の位置関係 緑がカンマー線 |
カンマー線の列車は、南部本線のフェクラブルック Vöcklabruck を出て、カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling まで10.4km(正確には10.408km)を走る。実際はフェクラブルックの西2.3km(同 2.267km)地点で本線から分岐するので、支線の実長は8.1km(同 8.141km)になる。
開通は1882年5月のことだ。その5年前(1877年)にトラウンタールを遡ってバート・イシュル方面へ、ザルツカンマーグート線 Salzkammergutbahn が通じており、アッターガウ Attergau、すなわちアッター湖沿岸でも鉄道の到来が待望されていた。
カンマー線(下注)は初め、私設の地方鉄道として造られたが、オーストリアがナチスドイツに併合されて間もない1939年に、他の地方鉄道とともに国有化され、ドイツ帝国鉄道 Deutsche Reichsbahn の路線となった。第二次世界大戦後は、ÖBBリンツ鉄道管理局に属し、1955年7月に、本線と同じ方式で電化されている。
*注 開通時の終点の駅名が、避暑地として名の通った「カンマー Kammer」だったのでこう呼ばれる。その後、自治体名のシェルフリング・アム・アッターゼー Schörfling am Attersee に合わせて、1909年に現 駅名に改称された。
1970年代までは、アッター湖の観光とともに、沿線にある製材工場などの産業が盛んで、旅客輸送にも活気があった。しかし、その後は道路交通への移行や、産業の不振に伴う雇用者数減少などが重なって、カンマー線はひどい不振に陥っていく。
2001年6月のダイヤ改正は、地元に衝撃を与えた。ÖBBが、旅客列車をそれまでの12往復から、一気に平日1往復までカットしたのだ。旅客輸送の存続は、もはや風前の灯火となった。地域交通を維持するためにオーバーエースタライヒ州は、ÖBBに業務委託する形で旅客輸送を続けることにした。その費用は州の予算と、部分的に地方自治体の補助金で賄われる。
この結果、旅客列車は2006年から2往復、2007年12月には5往復に復活した。現在(2019年6月)は9往復まで増便されている。そのうち3往復は昔のように、本線のアットナング・プフハイム Attnang-Puchheim まで足を延ばす。
ただし、運行は平日のみで、土日祝日は完全運休になる。カンマー線に並行して、アットナング・プフハイム駅と湖南部のウンターアッハ Unterach やシュタインバッハ Steinbach などとを結ぶバス路線(路線番号561、562など)があり、カンマー線の機能を補うことができるからだ。
◆
フェクラブルック駅のカンマー線ホームは、1番線の反対側にある頭端式の短い21番線だ。訪れたときには、13時24分発の列車が停車していた。低床3車体連節のボンバルディア社製タレント Talent で、ザルツブルク交通 Salzburg Verkehr のロゴが入っている。ザルツブルクのSバーンとの共用のようだ。当地はオーバーエースタライヒ州で、州は違うのだが、運用上1編成あれば足りるから、近所から借りたのだろうか。
(左)フェクラブルック駅のカンマー線ホーム (右)ザルツブルク交通の連節車で運行 |
平日の昼過ぎなので、車内は閑散としていそうなものだ。ところが予想に反して、座席は学校帰りの子どもたちに占拠されて、とても賑やかだった。鉄道に並行するバス路線があっても、一度にこれだけの人数を運ぶことは難しい。そこに、カンマー線の旅客列車がすんでのところで廃止を免れた一つの理由があるようだ。レジャー客が対象でないなら、休日の運休も納得できる。彼らには、湖岸の町や村へ乗換なしで行けるバスのほうがずっと便利に違いない。
のどかな沿線風景もある |
発車すると本線に入り、しばらくその上を進む。それから軽く振られて、隣の線路へ移った。視線が本線より少し高くなったところで、左へカーブしていく。リゾート地へ向かう路線というイメージとは違って、沿線には畑や森がある一方、工場や商業施設も目につく。特にレンツィング Lenzing 駅の南には、木材から化学繊維を製造するレンツィング社の大規模な工場群があり、高い煙突から立ち上る白い煙が、遠くからも見える。多数並んだ側線には貨車の列が留置されていて、ここだけ切り取れば、工業地帯を走る路線と思われてもおかしくない。
子どもたちは途中の駅や停留所でぱらぱらと降りていき、最後まで乗っていたのは半数に満たなかった。全線の所要時間は17分、速度が落ち、アーガー川 Ager の鉄橋を渡ると、すぐに終点のカンマー・シェルフリングだった。
カンマー・シェルフリング駅到着 学校帰りの子どもたちも下車 |
終点駅は、州が実施した地域交通政策の一環で、近年大きく様変わりしている。かつては航路との接続のために、ここからさらに約500m南に進んだ湖岸に駅があった。2014年6月にルートが短縮され、アーガー川の道路橋のたもとに、バスと乗継ぎができる駅施設がオープンした。列車ホームの反対側に、路線バスが発着する。
(左)移転・新設された駅施設 (右)反対側にバスが発着 |
カンマー・シェルフリング駅周辺の地形図に鉄道ルートを加筆 破線は旧線跡 Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA |
では、旧駅やそこへ至る廃線跡はどうなっているのだろうか。新駅に接して、駐車場の敷地が弧を描いており、旧線跡が転用されたことがわかる。その先はアーガー通り Agerstraße の元踏切を越えて、家並みの裏に回るが、線路はすでになく、草の生えた空地が続いている。州道B152号線(湖岸通り Seeleiten Straße)を横断したところが旧駅跡で、施設はすべて撤去され、更地に還っていた。
旧線跡 (左)駐車場の敷地が弧を描く (右)アーガー通りの元踏切から家並みの裏側へ |
(左)B152号線の元踏切から北望 (右)B152号線(手前の道)の先が、更地になった旧駅跡 |
ここまで来ると、アッター湖の波静かな湖面がもう目の前にある。今日は抜けるような青空で、照り返す日差しが眩しく、目に痛いほどだ。湖上連絡船の船着き場から、入江のヨットハーバーを隔てて、湖岸の並木越しに端正な建物が見える。記録が12世紀に遡るというカンマー城 Schloss Kammer で、この地を毎夏訪れていた世紀末の画家クリムト Klimt も描いている。
■参考サイト
グスタフ・クリムト Gustav Klimt
「アッター湖畔のカンマー城 Schloss Kammer am Attersee III」
同 「カンマー城への並木道 Allee zum Schloss Kammer」
いずれもベルヴェデーレ・オーストリア絵画館所蔵
湖に臨むカンマー城(右手前の建物) |
カンマー城への並木道 いずれもクリムトの絵のモチーフ |
隣接する公園のベンチで少し休憩した後は、対岸に来ているもう1本の路線、アッターゼー鉄道を訪れよう。続きは次回に。
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