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2018年11月30日 (金)

ネロベルク鉄道-水の重りの古典ケーブル

ネロベルク鉄道 Nerobergbahn

延長438m(及び中間部待避線70m)、高度差83m、軌間1000mm
ウォーターバラスト方式で運行、リッゲンバッハ式ラックレールをブレーキに使用
最急勾配260‰、平均勾配195‰
1888年開通

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高架橋を上るネロベルク鉄道のケーブルカー
 
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ドイツ中西部ヘッセン州の州都ヴィースバーデン Wiesbaden は、ローマ時代から続く典雅な温泉保養都市だ。その市街の北郊に、長さ500m足らずのささやかな鋼索鉄道(ケーブルカー)がある。

上る山の名から「ネロベルク鉄道 Nerobergbahn」と呼ばれるこの路線は、ウォーターバラスト(水の重り)を積み、重力を利用して動く古典ケーブルだ。電気での運行制御が可能になる以前、どこのケーブルカーもこうした素朴な仕掛けで坂を上り下りしていた。しかし、今やドイツではここにしか残っておらず、19世紀の先進技術を伝える貴重な存在になっている(下注)。

*注 この方式で動く鉄道はほかに、ポルトガル・ブラガのボン・ジェズス・ケーブルカー Elevador do Bom Jesus(1882年開業)、スイス・フリブール Fribourg のケーブルカー(1899年)、イギリスのソルトバーン・クリフ・リフト Saltburn Cliff Lift(1884年)、同国フォークストンのリーズ・リフト Leas Lift(1885年)、同国のリントン・アンド・リンマス・クリフ鉄道 Lynton and Lynmouth Cliff Railway(1890年)などが知られる。日本でも高知県馬路村にこの方式のインクラインがある。

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ヴィースバーデン市街周辺の1:50,000地形図に加筆
(L5914 Wiesbaden 1990年版)
© Hessisches Landesamt für Bodenmanagement und Geoinformation, 2018

2018年5月の晴れた日の朝、ヴィースバーデン中央駅前のB乗り場から、1系統ネロタール Nerotal 行きのバスに乗った。この系統は終点がケーブルカーの駅前なので、土地不案内な者にはありがたい。中心街を経由した後、バスは、緑の中に石造りの瀟洒なヴィラが列をなす静かな通りを進み、ロータリーを回って停まった。

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(左)ヴィースバーデン中央駅
(右)市内バス1系統の終点、ネロタール停留所が鉄道の最寄り
 

目の前に、ネロタールをまたぐケーブルカーの高架橋が架かっている。長さ97.3m、5個のアーチを連ねたルネサンス風の優美な造りで、鉄道のもつ雰囲気によく似合う。高架橋が降りていく先に、山麓駅の駅舎があった。高架橋と同じ煉瓦素材を使い、木組みの装飾を施した、小ぶりながら趣のある建物だ。

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(左)山麓駅の入口
(右)駅舎は小ぶりながら趣のある建物
 

鉄道は夏のシーズン中(4月~10月)、毎日9時から20時まで15分おきに運行している(下注1)。バスと同じく、市が出資するESWE交通(下注2)の路線だが、市内の運賃ゾーンには含まれない。窓口で乗車券(大人片道4ユーロ、往復5ユーロ)とともに、絵葉書や解説書を買い込んで、ホームに出た。まだ朝早いので、客は私一人だ。

*注1 冬季(11月~3月)は、需要が少なく、水が凍結する可能性もあるため、全面運休になる。
*注2 ESWE(エスヴェー、SWと同じ発音)の名は、Stadt Wiesbaden(ヴィースバーデン市)の頭文字を採ったもの。

切妻屋根の下、鮮やかな黄色の地に青で模様を描いた車両が据え付けられている。片側4扉、内部はコンパートメントで、木製ベンチが枕木方向に並ぶ。車端のデッキにも乗車できるが、収容人数は全部で上り(山上方向)40名、下り50名限りで、定員を満たした時点で、次の便を待たなければならない。

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山麓駅ホームで客待ちする古典車両
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(左)山側の車端デッキは広め
(右)内部は木製ベンチのコンパートメント
 

上限が定められているのは、駆動機構に関係があるのだが、ではウォーターバラスト方式とは、どのようなものだろうか。

2台の車両はちょうど井戸の釣瓶のように、山上駅にある固定滑車を介してケーブルで接続されている。車両の床下、車軸と車軸の間に水タンクが備わっている。運行にあたって、山上駅にいる車両のタンクに水を注ぎ、山麓駅の車両からは水を抜く。この状態でブレーキを解除すると、質量差から重力が作用し、山上駅の車両は勾配線路を下り始める。同時に、ケーブルでつながれた山麓駅の車両は引き上げられる。これが基本原理だ。

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鉄道の模式図、左上には焼失して現存しない山上ホテルも
これは駅舎の案内板を撮影したものだが、
原図は山麓駅の鉄道博物館(後述)に展示
 

しかし、実際の運行では様々な条件が加わる。たとえば、必要なバラスト水は、車両とケーブルの自重に加えて、乗客数にも依存するので、山麓駅からも人数の報告を受けて、山上駅で注入する水量を毎回調節しなければならない。タンクの容量は7立方m(7キロリットル)あり、側面の水位計に、80リットルを1単位(1人分)と換算して目盛りが刻んである。

また、線路勾配は一定ではないし、走るにつれて滑車から車両までのケーブルの長さ、すなわち自重も変化していく。それで、許容速度を超過しないよう、適切なブレーキ操作が要求される。2本の走行レールの中間に、梯子状のリッゲンバッハ式ラックレール(歯竿)が設置されているのはそのためで、車両の前後の車軸に取り付けられたピニオン(歯車)がこれと常に噛み合っている。

デッキに立つ乗務員(制動手)がハンドブレーキを操作すると、下側のピニオンに軸ブレーキがかかる。さらに速度が3割超過した場合、上側のピニオンが遠心ブレーキでブロックされる。ケーブルに緩みや断裂が発生したときも、これが作用して確実に停止できる仕組みになっている。

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ハンドブレーキで速度を調節しながら下る
 

19世紀の作りとはいえ、水の重りで動く鉄道は、理想的なエコシステムだ。しかし現実問題として、山上で15分ごとに最大7キロリットルの水を確保するのは容易ではない。そのため、山麓駅に到着した車両から排出された水は、電気ポンプで山上駅の貯水槽に戻され、再利用されており、そこだけは電力に頼らざるを得ない。ちなみに、1916年までは蒸気機関でポンプを動かしていたので、古い写真では、高架橋のたもとに、そのための高い煙突が写っている。

1888年の開通以来、ネロベルク鉄道はこのスタイルで130年を生き永らえてきた(下注)。その間に、同じ方式を採用していた他の鉄道は、大半が電気駆動に転換された。確かに水の調達は安価だが、反面、冬季は凍結するため運行が困難で、注水・排水にかかる時間や水量調節の手間を考えると頻繁運転には向いていない。さらに、水を積むことで軸重(車軸にかかる重量)が重くなり、軌道が傷みやすく保守費用がかかる点も不利だった。

*注 ウォーターバラスト方式で、ブレーキにリッゲンバッハ式ラックレールを使う鋼索鉄道の先駆けは、スイス、ブリエンツ湖畔にあるギースバッハ鉄道 Giessbachbahn(1879年開通、1948年電気駆動に転換)とされる。ドイツでは、バート・エムス Bad Ems のマールベルク鉄道 Malbergbahn(1886年開通、1979年廃止)が最も早い。

実はネロベルク鉄道でも、公営化された後の1939年に、市が大型車両の導入に合わせて電気運転への転換工事を発注している。ところが、折悪しく第二次世界大戦が勃発し、作業は中断された。戦後は逆に希少性が評価されて、積極的な保存策が講じられてきた。老朽化した車両や施設の更新が、原形を尊重しながら行われ、1988年には州の工学文化財にも認定されている。

さて、話を山麓駅のホームに戻そう。結局、他に客は現れなかった。乗務員氏がトランシーバーで山上駅と連絡をとり、9時15分、ケーブルカーは静かにホームを離れた。まずは、会社のシンボルカラーである青と橙の旗がはためく高架橋区間だ。渡り終えると、周りは森に包まれ、勾配も険しくなる。

改めて観察すると、走行レールは3本しかない。中央のレールは、上下車両が共用しているのだ。と思う間もなく、中央レールが二手に分かれ、中間部の行き違い区間に入った。下っていく車両を見送ると、進行方向右側の視界が急に開け、生垣越しにヴィースバーデン市街が望める。しかし、すぐにまた森が復活し、そのまま山上駅のホームに到着した。乗車時間はわずか3分半だ。

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(左)高架橋を渡る。走行レール3本の間にラックレールが並ぶ
(右)中間部で山麓行きと行き違い
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生垣越しにヴィースバーデン市街の眺望
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(左)森の中の山上駅
(右)山上駅入口、右の道を行けば歩いて麓へ降りられる
 

すかさず始まった注水の音を聞きながら、駅を後にした。石畳道が、芝生の広がる山上公園 Bergpark に通じている。ここにはかつて、1881年築の立派なホテルがあったのだが、1986年に火災で損壊してしまった。中央にあった塔の煉瓦部分のみが保存され、現在ガーデンレストランに使用されている。一方、古典庭園の点景に使われるような古代様式のモノプテロス Monopteros(下注)も目を引く。周りの木々が大きくなかった頃は、麓からの目印だったのだろう。

*注 モノプテロスは、壁がなく、巡らせた列柱で天井を支える構造の神殿建築。円形神殿。

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山上公園
(左)旧 ホテルの塔を利用したガーデンレストラン
(右)モノプテロス
 

ところで、ネロベルク Neroberg(ネロ山の意)の名を聞くと、ローマ期に遡る町の歴史からの連想で、つい皇帝ネロ Nero を想像してしまう。だが、実際には何の関係もないそうだ。16世紀の古文書に、(町の)後ろの山という意味で Ersberg、Mersberg の地名が記されており、それが、Nersberg、Neroberg と転訛したに過ぎないという。

モノプテロスから見える森の切れ間を少し下ると、レーヴェンテラッセ Löwenterrasse(ライオンテラスの意)に出る。名のとおり、2基のライオン像が睨みを利かせる展望台だ。ここからは、斜面を駆け降りる葡萄畑と、その先に、緑の多い北東部の高級住宅地やヴィースバーデンの中心街が一望になる。

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展望台レーヴェンテラッセ
 

眺めを楽しんだら、後は歩いて下山することにしよう。駅の脇から明瞭な道がついているので、山中とはいえ迷うことなく降りられる。途中で、さっき車窓から見えた眺望区間に立ち寄ってみたが、線路の両側に金網が張り巡らされていた。高い脚立でもあればともかく、網の間からぎこちなく撮るしか方法がない。

山麓駅に戻ったときには、10時15分発の便が発車するところだった。1時間前の空きっぷりが嘘のように、車内は満席で、デッキに立つ人もいる。なるほど、これなら15分間隔で運行する意味がある。盛況ぶりに納得しながら、朝の陽を浴びて滑るように高架橋を上っていく古典車両を見送った。

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賑わう10時台の山上行き
 

なお、山麓駅舎のすぐそばに残る旧 化粧室小屋 Toilettenhäuschen が、小さな鉄道博物館になっている。車両の模型と設計図、当時の写真や備品などが展示してあり、ネロベルク鉄道のことをより深く知るために、訪れることをお勧めしたい。

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旧 化粧室を改装した鉄道博物館
(左)外観
(右)内部展示。車両模型の下にあるのはブレーキシュー
 

本稿は、Klaus Kopp "Die Nerobergbahn - Wiesbadens Drahtseil-Zahnstangenbahn aus dem Dreikaiserjahr 1888" 2. aktualisierte und ergänzte Auflage, Thorsten Reiß Verlag, 2013 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ネロベルク鉄道(公式サイト) http://www.eswe-verkehr.de/nerobergbahn

★本ブログ内の関連記事
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