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2018年8月 1日 (水)

ライトレールの風景-福井鉄道福武線

5年後に予定される北陸新幹線の延伸を先取りするかのように、福井駅西口の風景は一変していた。駅ビルが刷新されただけでなく、広場に巨大な動く恐竜のモニュメントが据え付けられ、よそ者の度肝を抜く。それとともに、傍らに設置された福井鉄道(以下、福鉄)の電車乗り場も新鮮だ。事情を知らなければ、福井にもいよいよトラムが走るようになったのか、と驚く人もいるだろう。

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風景が一変した福井駅前を発車する福井鉄道770形
 

もちろん、福鉄の駅前乗入れは今に始まったわけではない。1933(昭和8)年に開通して以来、85年の長い歴史をもっている。ただこれまで福井駅前の電停は、JR駅から200mほど先の、昔ながらの商店街に挟まれた通称「電車通り」の真ん中に置かれていた。JRの駅前からは建物の陰に隠れて見えず、地元の人のみぞ知る存在だったと言ってよい。

それが2016年3月27日、西口広場の整備に伴って線路が143m延長され、本当の駅前に新しい乗り場が開かれたのだ。停留場名だけは「駅前」からもう一歩踏み込んで、ずばり「福井駅」だ。路線バスのターミナルも中央大通りから広場内に集約されたことで、西口はすっかり公共交通の結節点として再生された感がある。

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西口広場に新設された「福井駅」停留場
 

福井駅電停は、3面2線の頭端型ホームだ。建物内にホームがある高岡や富山のターミナルとは違って、冬場の季節風に曝されるものの、屋根の下を選べば、少なくとも雨に濡れずにJRの駅舎までたどり着ける。棒線だった旧電停に比べて、列車の留め置きが可能なのも、ダイヤが乱れたときに効果を発揮しそうだ。

ただ問題は、整備されたインフラがまだ十分に活用されていないことだろう。それはこの停留所の発車時刻表を見ればわかる。朝の越前武生方面はなんと1時間に1本程度(8時台は休日運休!)、田原町方面に至っては8時36分が始発で、9時台でも1本しかない。日中も各方面30分間隔の発車だ。本来、通勤通学で最も混雑するはずの時間帯にほとんど列車が設定されていないのは、このルートにその需要がないことを端的に示している。

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駅前通りを通過する線路
以前はここに終点があった
 

実はこの通称 駅前線は、短い支線に過ぎない。福鉄の路線図を見ると、越前武生(えちぜんたけふ)~田原町(たわらまち)間20.9kmが本線格で、駅前線0.6kmはそこから盲腸のようにちょろんと飛び出た恰好だ(下注)。

*注 歴史的にはこちらが本線で、旧 本町通り~田原町間は、駅前線から17年遅れて1950(昭和25)年に開通した。正式にはどちらも福武(ふくぶ)線。

列車の運行も、今や市街を貫くフェニックス通り(旧 国道8号)上の南北ルートに重きが置かれている。朝の普通列車や日中の急行列車は、福井駅に寄り道することなく、フェニックス通りを駆け抜けてしまう(下注)。そのほうが、市外から市内の高校や大学に通う学生生徒たちにとっては、おそらくずっとありがたいのだ。

*注 日中は、福井城址大名町で反対方面の急行に乗り換えることが可能。駅の案内板にそのことが記載されている。

そんなわけで日中、福井駅に発着するのは各駅停車に限られる。後述するように福鉄にも新型トラム(LRV)が導入されているが、運がいいのか悪いのか、その界隈にいた間、やってきたのは名鉄から譲り受けた1980年代の小型車両ばかりだった。車両の見栄えといい、列車の運行間隔といい、衆目を集める場所だけにちょっと寂しい。

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えちぜん鉄道・福井鉄道の路線図(一部)
左上の田原町~鷲塚針原間が福鉄(緑のライン)の乗入れ区間
 

さて、西口広場進出とともに、福鉄には大きな変化がもう一つある。同じ日に開始されたえちぜん鉄道(以下、えち鉄)三国芦原線との相互直通(相直)運転、名付けて「フェニックス田原町ライン」だ。同線は一般的な高床の電車で運行されているので、低床トラムの乗り入れに当たって、専用ホームの新設など地上設備にも改良が施された。その様子を見に、えち鉄福井駅(下注)からアテンダントが添乗する列車に乗って、鷲塚針原(わしづかはりばら)駅へ移動する。

*注 ちなみに訪れたのは2018年6月半ばで、同駅はまだ新幹線高架上に設けられた仮駅だった。

九頭竜川を立派なトラス橋で渡り、一面緑の田園地帯をしばらく走ったところに、その駅があった。周りは集落だが、建て込んではおらず、のどかな雰囲気だ。小さな木造の駅舎に、さりげなく登録有形文化財のプレートが貼り付けてある。ここはもともと高床ホーム1面2線の駅だったが、東側に福井方から新たに1線が引き出され、片面の低床ホームが新設された(下注)。

*注 高床ホームの高さは880mm、低床は320mm。

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鷲塚針原駅
(左)既存2線(左と中央)の隣に折返し線(LRV停車中)を新設
(右)登録有形文化財の木造駅舎
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鷲塚針原駅に揃う
えち鉄の高床車両と福鉄の低床LRVフクラム
 

イエローグリーンをまとう3車体連節のLRVが、折り返し待ちで停車している。2013年から16年にかけて導入された福鉄のF1000形、愛称フクラムだ。色違いで現在4編成が稼働している。対するえち鉄も、自前のLRV(ただし2車体連節)L形2編成を用意して、相直運転に投入した。こちらの愛称はki-bo(キーボ)で、F1000形と合わせて、きぼうふくらむ、と読ませるらしい。

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(左)3車体連接のF1000形フクラム
(右)L形ki-boは中間車のない編成
いずれも福武線水落~西山公園間で撮影
 

列車は私ともう一人の乗客を乗せて、鷲塚針原のホームを定刻に発車した。本線に入ると速度を上げていき、直線区間では速度計の針が70kmを指した。急行の扱いだが、えち鉄線内6kmのうち、通過するのは九頭竜川橋梁の北詰にある中角(なかつの)だけだ。川を渡って福井市街地に入ると、田原町まで各駅に停車していく。

かぶりつきで観察していると、低床ホームの設置方法には、駅によってバリエーションがある。最初の新田塚(にったづか)は列車交換駅で、島式ホーム(高床)の両側にある線路を、さらに新設の低床ホームが挟み込むサンドイッチ型だ。一方、八ツ島と日華化学前は棒線駅なので、高床と低床を直列に並べ、その間は階段やスロープでつないでいる(下注)。商業ビルに半分潜り込むような形の福大前西福井も、列車交換駅だが相対式ホームなので、やはり直列型だ。

*注 両駅は2007年開設の新駅で、将来のLRT化を見込んで、高床ホームを撤去が容易な木造にしてあったそうだ。

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(左)新田塚は中央に高床、左右に低床ホームを配置
(右)日華化学前は高床と低床を直列に配置
 

行く手に、両鉄道が接続する田原町駅が見えてきた。えち鉄が直進するのに対し、福鉄に入る相直便は手前で右に分岐して、一見相対式の専用ホームに到着する。一見という訳は、ホームが行先別ではなく、相直便は両方面とも、越前武生に向かって左側のホームを使うからだ。対する右側のホームは当駅折返しの列車用で、線路はえち鉄につながっていない。「お乗りまちがいにご注意ください」と書かれた掲示が利用者の困惑を物語る。

駅舎は、相直運転に合わせて、木目調の小ざっぱりした建物に建て替えられた。以前は薄暗い納屋のような駅(失礼!)だったように記憶するが、その面影はどこにもない。東側にあったはずのコンビニも撤去されて、フェニックス通りまで見通せる広場になった。とはいえ、日中の駅は閑散としたものだ。

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田原町駅
(左)えち鉄線から右へ分岐して福鉄の構内へ
(右)反対側から福鉄構内を撮影
  左の線路は折返し用で、えち鉄にはつながっていない
 

えち鉄は、ここから旧市街を迂回してJR線の外側に出てしまう。それで、乗換えなしに中心部へ直行できる相直便は利用価値が高いのだが、列車本数は意外に少なく、1日11往復きりだ。朝に2本(福大前西福井で折返し)と日中1時間ごとで、夜は走らない。多くの時間帯は、従来どおり田原町乗り換えになる。

それでも施策は当たったようで、相直運転開始の前後を比較すると、利用者数は年間ベースで2~3%増加したのだそうだ。たとえば、福鉄を利用して福井大学に通う学生たちは、これまで田原町で降りて歩いていたが、相直便ができて、最寄りのえち鉄福大前西福井まで行くようになった(下注)。フェニックス通りに目ぼしい商業施設がなく、交通需要が通勤通学の時間帯に集中するのが辛いところだが、こうした開通効果が持続し、じわじわと拡大していくならうれしいことだ。

*注 運賃の乗継割引(最大25%)も行われている。

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田原町駅
(左)会社が変わるため運転を引継ぎ
(右)手前が福鉄、奥がえち鉄の出札窓口
 

せっかくここまできたので、福鉄全線を乗り通してから帰りたい。福鉄の運転士に引き継がれたフクラムは、しずしずとフェニックス通りの中央に出ていく。併用軌道上の停留場も改築されていた。以前は、人一人立てるだけの、柵もない危険な「安全」地帯だったが、拡幅され、屋根と風防もついて、電車待ちの環境がずいぶん改良されている。

駅前線が分岐する福井城址大名町(ふくいじょうしだいみょうまち)は、相直運転と同じタイミングで、「市役所前」から改称されたばかりだ。その目的は観光振興だそうだが、実際には城跡より市役所のほうが手前にあるし、日常使うには名前が長すぎていただけない。設備投資に県から多額の補助が出ているから、福井城址に陣取る県庁(下注)の意向を汲んだのかと勘繰ってしまう。

*注 福井城には見事な堀と石垣が残っているが、本丸に県庁ビルが聳えている。

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フクラム青編成が、田原町駅からフェニックス通りの併用軌道へ出ていく
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(左)併用軌道上の駅も改築。仁愛女子高校停留場
(右)福井城址大名町の駅前線分岐
 

足羽川を渡り、商工会議所前(旧 木田四ツ辻)を出ると右へそれて、専用軌道に入る。田園地帯の直線ルートをしばらく進んだ後、急カーブで北国街道と直角交差して、鯖江の市街地にさしかかる。路線の撮影地の一つ、水落~西山公園間の鉄橋で数枚写真を撮ってから、最後の訪問地、北府(きたご)駅へ向かった(下注)。

*注 北府駅に関する文と写真は、2024年3月に北府駅鉄道ミュージアムとして開館した後の再取材に基づいている。

北府は、武生市街地の北口に位置する駅だ。大正時代に遡る木造駅舎が2012年に復元改築され、その内部に福武線ゆかりの備品や資料をそろえたギャラリーが整備されている。路線の歴史や廃止された支線、南越(なんえつ)線と鯖浦(せいほ)線の紹介パネルもあって、福井鉄道の全体像がひととおり把握できる。

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北府駅
(左)駅舎正面(右)ギャラリー
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展示品
(左)廃止線の駅名標とサボ、F1000形フクラムのローレル賞プレート
(右)200形車両部品
 

ここはまた福武線の車両基地でもあり、駅舎の西側に車庫線が延びている。奥に見える木造板張りの車両工場も大正時代の建築で、駅舎とともに登録有形文化財だ。

駅前広場には、2016年に引退した200形電車(203号)が修復作業を終えて、上屋の下で静態展示されるようになった。2両編成の高床車が、福井市内の道路上をのっそりと走っていくシーンはよく覚えている。当時は、アプリコットとマリンブルーのツートンに白帯を巻いていたが、修復後は上部がクリーム、腰回りは鮮やかなコバルトブルーに塗られ、イメージが一新された。

この日は、2014年に福井にやってきた元ドイツ・シュトゥットガルト市電「レトラム」(下注)の運行日だったので、それもカメラに収めてから再び電車に乗った。

*注 もとメーターゲージ、片運転台の連節車両だが、1990年に土佐電気鉄道が購入し、その際1067mm軌間、両運転台に改修された。

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板張り壁の車両工場
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静態保存の200形電車、塗装変更でイメージ一新
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特別運行のレトラムが走り去る
 

市街地をクランク風に急カーブすれば、終点の越前武生(下注)は目の前だ。この列車が到着すると、2面3線のホームは、フクラムと880形ですべて埋まった。古びた駅ビルは、駅名を武生新(たけふしん)と言っていた頃から、大して変わっていない。そしてこれも最初からだが、JRの武生駅とは徒歩連絡で、約300m離れている。間に居座るアル・プラザの中を突き抜けて、トラムがJRの駅前広場に粛然と現れる図をつい想像してしまうのだが…。

*注 2023年、北陸新幹線の越前たけふ駅開業に先立ち、混同を避けるため、「たけふ新」に再改称された。

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越前武生駅に到着
線路は新旧車両で埋まった
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越前武生駅
(左)古びた駅ビル内の改札
(右)正面
 

(2024年9月29日一部改稿)

■参考サイト
福井鉄道 https://www.fukutetsu.jp/

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