北海の島のナロー VI-ヴァンガーオーゲ島鉄道 後編
東フリジア諸島の地形を縦断面で見れば、北が高く、南が低い。砂を運んでくる海流に面した北側に、砂丘が発達するからだ。対する南側は陸化が進まず、潮位が高い時に海水が入り込む草地や沼地、いわゆる塩性湿地 Salzmarschen が広がっている。それは沖に向かうにつれ、徐々に泥の干潟に移行していく。
防波堤のベンチは、塩性湿地とそれに続く干潟の展望台 |
鉄道は、沖合に設置された島の船着き場まで、陸と海のあいまいな境目をしばらく走らなければならない。最初のころは、地面に直接か、そうでなくても干潟に打ち込んだ木杭の上に、線路が置かれた。大潮ではしばしば冠水し、列車が水を掻き分けながら走る光景が古い写真に残されている。
しかし現在、ボルクム Borkum でもランゲオーク Langeoog でも、湿地や干潟の上を行くという感覚はほとんどない。前者は道路と並行する頑丈な築堤の上を走っているし、後者は港の駅の直後に防潮堤の内側に入ってしまうからだ。ところが、ヴァンガーオーゲ島鉄道 Wangerooger Inselbahn は違う。港と町を結ぶ最短ルートとして、今でも線路は、防潮堤の外側の広大な塩性湿地を貫いていく。
この湿地は、何千羽もの海鳥たちの繁殖地だ。世界遺産でもあるニーダーザクセン・ワッデン海国立公園 Nationalpark Niedersächsisches Wattenmeer の一級保護区域(ルーエツォーネ Ruhezone)で、指定通路以外の立入りは厳しく規制されている。ふつうは目にし得ない風景の中を、列車は時速20kmでそろそろと横断していく。ヴァンガーオーゲ駅まで約15分、乗客だけに許されるユニークで貴重な体験だ。
特別保護区域の案内板 |
ヴァンガーオーゲ島の1:50,000地形図 (L2312 Wangerland 1988年版) © Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018 |
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14時20分、先頭についたシェーマ・ロコに牽かれ、列車は西埠頭 Westanleger 駅を離れた。埠頭の敷地が保護区域に隣接しているので、いきなり大自然の中に放り出された気分になる。丈の低い草や苔で覆い尽くされた湿地が目の届く限り広がり、その間を自由に縫う澪筋は、強風に煽られてさざ波立っている。機関車のエンジン音に驚いて、草むらからカモメたちがばらばらと飛び立つが、慣れてしまったのか、反応しない鳥のほうがずっと多い。
塩性湿地の横断は列車だけに許される特権 |
広大な湿地は野鳥の繁殖地に |
寒さを我慢して、デッキに出てみた。足元を、PC枕木で強化された軌道が流れていく。1995年から10年間かけて改良工事が実施された結果だ。流失を防ぐために、路肩に大きな割石も撒かれているが、線路はわずかな盛り土とバラストの厚みの分、周囲より高いだけだ。潮位が上がれば今でも水に浸かるらしい。列車は、湿地の中心の、澪が集まるヴェストラグーネ Westlagune(西の潟湖の意)の上を、いくつかの小橋でまたいでいく。
(左)ヴェストラグーネを渡る (右)潮が満ちると海中を走るような感覚 |
右へ大きくカーブするところで、左側から別の線路が合流してくるのが見える。ここはザリーネ分岐 Abzweigung Saline といい、1832年から1854年まで、近くでザリーネ Saline、すなわち製塩所が操業していた。分かれる線路は、島の西端ヴェステン Westen に向かう支線だ。定期列車は走っておらず、林間学校へ行く子供たちを乗せて、臨時列車が運行されるに過ぎない。
緑の低い堤防とワッデン海の間を少し走った後、陸閘にさしかかる。ここでも左後方へ、ごみ処理施設 Müllpressstation への短い引込み線がある。堤防の内側に入れば、早くも駅の構内側線が展開し始める。車両がいくつか留め置かれている中、列車はゆるゆるとヴァンガーオーゲの駅に滑り込んだ。
陸閘から湿地を横断してきた線路を望む 右に分岐するのはごみ処理施設への引込み線 |
デッキから地表のホームに降り立つ。列車は折り返しで使われるらしく、入れ替わりに待っていた客がまた乗り込んだ。ホームの後部に立てられた柵の向こうでは、フォークリフトがせわしなく動き、長物車から貨物を降ろしている。
(左)ヴァンガーオーゲ駅に到着 (右)ホームの後部では貨物を降ろす作業中 |
駅舎は、片側に塔を従えた煉瓦壁、寄棟屋根の2階建てで、どこかメルヘンチックな気配が漂う。建てられたのは1906年、ユーゲントシュティール Jugentstil(青春様式)が建築界をも席捲していた時代だ。ファサードに用いられた複雑な曲線や2階窓枠の上下に見られるシンプルな矩形の装飾が、その風潮を反映している。正面の時計の上にはフラクトゥール(ドイツ文字)で「Kehre wieder(帰っておいでの意)」と記され、列車で本土へ旅立つ人の心に何かを訴えかける。
駅舎も、2003年に大規模な改修が施された。外観の歴史的景観を復元する一方で、内部では、観光局とDBの窓口に機能的なオープンカウンターが導入された。ショーウィンドーに飾られた客車の鉄道模型も一旅行者の心に強く訴えかけるものがあるが、そこはぐっとこらえて絵葉書の購入で代えることにした。
ヴァンガーオーゲ駅舎 (左)正面 (右)玄関上部には Kehre wieder の文字と鷲のレリーフ |
(左)駅舎の反対側に機関庫がある (右)踏切から東望。線路はかつて東桟橋まで続いていた |
鉄道グッズのショーウィンドー |
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ヴァンガーオーゲは、有人島として東フリジア諸島の最も東に位置する。そのため、歴史的な位置づけも他の島々と異にしてきた。他がプロイセン領(1866年の普墺戦争以前はハノーファー王国 Königreich Hannover 領)だったのに対し、この島だけはオルデンブルク大公国 Großherzogtum Oldenburg に属していたのだ。この国も1871年からプロイセンが主導するドイツ帝国の一員となったとはいえ、行政上の区分は残された(下注)。
*注 連邦制のドイツ帝国のもとで、オルデンブルク大公国は、君主制が廃止される1918年まで存続した。
赤の縁取りがオルデンブルク領。東フリジア諸島でヴァンガーオーゲだけが含まれる 「オルデンブルク及び北海のドイツ湾口 Oldenburg und die Deutschen Strommündungen der Nordsee, 1:850,000」図より from vol. 12 of Meyers Konversations-Lexikon (4th ed.) |
1890年代、大公国は他の島に倣って、ヴァンガーオーゲのリゾート開発に力を入れた。その施策の一つが交通路の整備で、すでに開通していた本土側の連絡鉄道(前回紹介した標準軌のイェーファー=ハルレ線 Bahnstrecke Jever–Harle)を邦有化するとともに、島の側では、桟橋から町までメーターゲージの蒸気鉄道を自ら建設した。これが現在のヴァンガーオーゲ島鉄道で、1897年7月のことだ(下注)。
*注 国鉄組織の改組により所有者は次のように変遷している。1897~1920年 オルデンブルク大公国邦有鉄道 Großherzoglich Oldenburgische Eisenbahn → 1920~1949年 ドイツ帝国鉄道 →1949~1993年 ドイツ連邦鉄道 → 1994年~ ドイツ鉄道グループ
ただし、今のルートとは、かなりの区間で異なっていた。まず、使われる桟橋が季節によって変わり、夏の桟橋 Sommeranleger は現在より約1km西の干潟の中に、海が荒れる冬場の桟橋 Winteranleger はより砂丘に近い位置に、それぞれ造られた。町の駅も今より約300m北に置かれ、現在のバラ公園 Rosengarten の場所にあった。
新旧路線の位置関係 © Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018 |
ヤーデ川 Jade 河口に位置するヴァンガーオーゲ島は、帝国海軍によって軍事拠点ともみなされた。島の西に要塞が建設されることになり、資材輸送のため、1901年にヴェステン支線が敷かれた。東の浜でも1904年に、軍港ヴィルヘルムスハーフェン Wilhelmshaven やブレーマーハーフェン Bremerhaven と航路で直結する東桟橋 Ostanleger(下注)が築かれ、鉄道(オステン支線)が延長された。
*注 和訳では桟橋(架設物)と埠頭(固定施設)を区別したが、原語はどちらも Anleger(船着き場の意)。
(左)建設当時の駅舎 ドームの右側は平屋だった(ヴァンガーオーゲ駅の展示を撮影) (右)東桟橋に到着した列車 Photo by 60cent at wikimedia. License: CC0 1.0 |
こうして町なかの頭端駅に、西と東から線路が集中する形になったが、あまりに手狭なため、1906年に現位置に、通り抜けが可能な新駅が造られた。旧駅に通じていた線路は、すぐに撤去されて跡形もない。
海軍はヴェステンの要塞に重砲を配置するため、1912年に冬桟橋の東方150mの位置に新しい桟橋(西桟橋)を設けた。そこへ向けて、ザリーネ分岐から干潟を横断する新しい線路が延ばされた。これは1917年から民生輸送に開放され、それまでの季節替わりの桟橋の機能を代替した。これが現在の軽便鉄道のルートになる。
第二次世界大戦中の1945年、軍事拠点のヴァンガーオーゲは連合軍の総攻撃に遭い、焦土化されてしまう。しかし戦後、同じ北海のリゾートであったヘルゴラント島 Helgoland がイギリスの占領下に置かれたため、ヴァンガーオーゲが代替地として脚光を浴びた。島の復興は、この俄か景気によって促進されることになった。
東桟橋からも多数の旅行者が上陸したが、1952年のヘルゴラントのドイツ返還後は利用が激減する。加えて砂が絶えず堆積する場所だったため、1959年をもって廃止され、オステン支線も運命を共にした。それ以降、ヴァンガーオーゲ島鉄道の運行は、西側の2線だけになっている。
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宿に荷物を置いて、歩きに出た。すっかり叢林と化した海岸砂丘を縫う小道をたどり、島の南岸に築かれた堤防に上ってみる。外側にはさっき列車で通った塩性湿地が見渡す限り広がっていて、2本のレールだけが例外的な人工物だ。南面は遠浅で海岸浸食のおそれがないので、堤防は高潮による浸水を防ぐのが主目的だ。そのため、見かけは草に覆われた土堤に過ぎず、湿地との境も不分明なくらい、自然に溶け込んでいる。
少しでも風当たりの少ない場所を探して堤防の内側斜面をうろうろしながら、ヴァンガーオーゲ駅行きの列車が来るのをしばらく待った。なにしろ視界を遮るものが何もないから、西埠頭を出発するところから、ずっと姿を追うことができる。17時ごろ、埠頭の高床建物の横から今日の最終列車が動き出した。干潟の向こうをじりじりと移動し、西塔 Westturm を背にして、大カーブを回ってくる。そして、目の前に延びる草原の直線路をゆっくりと通過していった。
西塔を背景に、列車が湿地内の大カーブを回ってくる 手前の線路はヴェステン支線 |
ワッデン海の前を町の駅へ向かう |
堤防道をそのまま進めば、西塔のあるエリアに行き着く。島の風景写真にしばしば登場する西塔だが、実はユースホステルの建物だ。高さは56mあり、1932年に建てられた。デザインは、17世紀初めに造られ、第一次世界大戦前まであった教会の塔にちなんでいる。この先代の西塔は長らくヴェーザー川に入る船の目標とされていたのだが、激しい海岸浸食を受けて海に没してしまった。以来、この新しい西塔が、島のシンボルを継承しているのだ。
*注 14~16世紀には、現在の西岸からさらに約5km西(現在は海の中)に教会塔があった。17世紀の塔はそれを継ぐもので、その意味で現在の西塔は三代目になる。
西塔は島のシンボル * |
この付近にはユースホステルや林間学校施設がいくつか立地し、滞在している子どもたちが、町との間を自転車や徒歩で行き来するのを見かける。支線の終点駅ヴェステンも、その一角にひっそりとある。線路はそこからさらに続き、水路・航路局 Wasser- und Schiffahrtsamt (WSA) が管理する資材ヤードに引き込まれていく。
ヴェステン駅 (左)左側がホーム * 「34」の標石はオルデンブルク時代に設置された100m単位の距離標 Hektometerstein (右)駅の先は水路・航路局の資材ヤードに引き込まれる * |
翌朝少し早起きして、町の中を散策してみた。今日もスマートフォンの天気予報は横風マークで、強風が吹き抜けて肌寒い。通りで出会う人とは「モイン Moin !」と声を掛け合う。一日中使える北ドイツの挨拶ことばだ。手押し車やリアカーに朝の荷物を積んで、人が行き交う。前かごが巨大化した自転車も目撃した。
ヴァンガーオーゲの街路 (左)駅前のツェーデリウス通り (右)前かごが巨大化した自転車、リアカーつき |
駅を覗くと、客車はホームに据え付けられているものの、人影はなく、構内はまだ静まり返っている。今日の始発は10時だ。駅前のツェーデリウス通り Zedeliusstraße を戻る途中、保存されている旧灯台 Alter Leuchtturm の敷地に、古い蒸気機関車を見つけた。1929年ヘンシェル Henschel 製の99 211号機だ。蒸気時代の主力機だったが、1957年にディーゼル機関車にバトンを渡して引退した後、1968年から町の文化財として静態保存されている。ボルクム号のように修復され、また走れる日が来ることを祈りたい。
(左)静態保存の99 211号機 (右)カッセルのヘンシェル・ウント・ゾーン株式会社の銘板 |
宿で帰り支度を整えて、再び駅へ向かった。朝の車内はすいていたが、ガラス越しでない景色を見たくて、最後尾のデッキに移った。列車は陸閘から堤防の外へ出て、あの野鳥の楽園を横断していく。
この島でも、ユーストやシュピーカーオーク島の例に倣って、町に近い港をもつべきだという議論が、過去繰り返されてきた。そうすれば到達時間が一気に短縮され、物流が効率化され、鉄道の維持費も不要になる。しかし、ヴァンガーオーゲはその道を選ばなかった。2012年11月、町議会は最終的に、新しい港湾建設の計画を否決したのだ。
列車は右にカーブしていき、並行して走る澪の先に、西埠頭駅の高床に載った建物が見えてくる。町は新港を造る代わりに、この埠頭の近代化を進める予定で、ホーム扛上によるバリアフリー化や貨物の積替え設備の改良などの計画が発表されている。鉄道が今後も存続するのは確実だが、懐かしい島の軽便のイメージは何年後かに塗り替えられてしまうのかもしれない。
帰路、西埠頭駅へ進入する |
次回は、保存馬車鉄道のあるシュピーカーオーク島を訪ねる。
掲載した写真は2018年5月撮影。キャプション末尾に * 印のあるものは、同行した海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。それ以外は筆者が撮影した。
■参考サイト
Inselbahn.de https://www.inselbahn.de/
DB Schifffahrt und Inselbahn Wangerooge https://www.siw-wangerooge.de/
本稿は、Malte Werning "Inselbahnen der Nordsee" Garamond Verlag, 2014および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
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