北海の島のナロー III-ボルクム軽便鉄道 後編
埠頭を後にして、ボルクム軽便鉄道 Borkumer Kleinbahn の列車は一直線の長い築堤の上を走っていく。周りに低木が育っているし、道路も並行しているので、干潟の景色はとぎれとぎれだ。最高時速は50km、並行道路を飛ばす車には抜かれるものの、それなりに速い。発車して5~6分ほど経った頃、ようやく堤防と交差する陸閘 Deichtor(ボルクム駅起点 3.8km)を通過して、島の本体に入った。
保存蒸機「ボルクム3世」号が牽く懐古列車 * |
反対方向の列車とすれ違い、この鉄道が全線複線だったことに改めて気づく。列車が片道10本もないミニ路線に過剰設備では? そういう疑問を抱く人がいても不思議ではない。途中に信号所を設けて、列車交換させれば済むことではないかと…。
実際、1980年代に線路の強化工事を行った際、経費節約のために、整備対象外の一部区間(下注)を閉鎖して単線運行にしたことがある。ところが、船の到着が遅れて列車のダイヤに乱れが生じると、単線ゆえにそれが増幅し、出航する船にも波及した。それでその区間を復活させることになり、単線化の実験は4年(1989~93年)で終わった。船の発着に合わせて遅滞なく訪問客を送迎するには、複線設備が必要なことが証明されたのだ。
*注 単線区間はボルクム駅起点 2.7km~6.9km区間、およそ町のへりから埠頭の手前までだった。
重軌条化された複線が陸閘を通り抜ける |
それに、時刻表に記載されていない列車も走っている。フェリーの収容人数は最大1200人、カタマランやオランダからの便もあるので、1本の列車には乗せきれないということが当然起こりうる。また帰りの客が一列車に集中すると、乗換えに時間を要し、船の出航が遅れる可能性もある。それで状況に応じて臨時列車 Entlastungszug(混雑緩和列車の意)を出しているのだ。
私が本土に戻ろうと、ボルクム駅で列車を待っていたときもそうだった。定刻は15時30分発なのに、15分も前に早々と出発の合図が鳴った。時刻変更かと訝しみながら、慌てて飛び乗ったのだが(下注)、桟橋に着き、船のデッキから見ていると、もう1本時刻どおりの列車が入ってきた。結局、この船のために2本の列車が前後して走り、船はその到着を待っておもむろに出航した。
*注 私が見逃しただけであって、増発列車があることは駅の電光掲示板に表示される。
レーデ駅に時刻通り現れた2本目の連絡列車 |
車窓風景に話を戻そう。列車が陸閘を過ぎ、林の中をさらに進むと、木の間越しに赤屋根の家並みがちらちらと見えてくる。ここで減速し、唯一の中間停留所ヤーコプ・ファン・ディーケン・ヴェーク Jakob-van-Dyken-Weg に停車した。この周囲にも貸別荘があるようすで、スーツケースを引きながら何組かが下車した。
中間停留所ヤーコプ・ファン・ディーケン・ヴェーク * |
再び動き出すと、また道路と並走するようになり、辺りが町の様相を帯びてくる。やがて右に鋭くカーブし、多くの人が待つボルクム駅 Borkum Bahnhof のホームへ滑り込んだ。煉瓦建ての駅舎ではカフェやアイスクリーム屋が店を出し、ホームも線路面も煉瓦張りで、街路のような造りだ。普通鉄道の駅というよりむしろ、トラムのターミナルというのがふさわしい。
町のど真ん中なので、周りにはホテル、土産物屋、ブティック、レストラン、スーパーマーケット、ついでにカジノと、何でもある。考えてみれば、エムデンからここまで他人の後ろについて乗り継いできただけで、迷うどころか、長く歩かされることさえなかった。離島でも船と鉄道の連携によって、最小限の移動ストレスで済む公共交通システムが構築されているのはすばらしい。
列車がボルクム駅に滑り込む |
任務を終えた列車はどうなるのか、と見ていると、女性車掌が踏切の先にある重い転轍てこを倒して、線路を切替えた。それから列車は、推進運転で手前にある車庫の側線へ移動する。車庫は5両程度の奥行きらしく、機関車はまず半分を庫内に納めた後、残りを連れて、隣の線路に転線した。車庫入れ作業はちょっと面倒そうだ。
推進運転で車庫入れ作業 |
別の列車の機回し作業 |
作業を終え、レーデ駅に向けて出発 |
◆
ボルクム駅を含む町なか約1km区間の歴史は、軽便鉄道の開通よりさらに古い。なぜなら、1879年に造られた 900mm軌間の馬車軌道の一部だったからだ。旧灯台が火災で使えなくなり、新しい灯台が急遽必要となったため、島の東の入江からその建設現場まで、資材輸送用の軌道が敷かれた。ちなみに、このとき造られた新灯台 Neuer Leuchtturm は今も駅裏の丘に立ち、町を見下ろしている。
馬車鉄道が建設資材を運んだ新灯台 (左)駅舎の裏に新灯台が頭を出す (右)灯高(平均海面から灯火までの高さ)は63m |
一方これとは別に、潮位の影響を受けない固定の埠頭を、堤外4kmの干潟の先端に建設するという計画が、1883年に動き出した。建設と運営を請け負ったのは、馬車軌道を走らせていたハービッヒ・ウント・ゴート社 Habich & Goth だ。同社は堤防から埠頭まで線路を敷くための築堤を造成し、先述のとおり馬車軌道も一部転用して、1888年、町と埠頭を結ぶ蒸気鉄道を開通させた。今のボルクム軽便鉄道だ。
たった今体験したとおり、これは本土との往来を劇的に改善する効果を生んだ。しかし、高波で築堤が何度も流されるなど、路線の維持は民間会社の手に余るものだった。そこで公共企業「エムス社 AG Ems」の子会社「ボルクム軽便鉄道・汽船会社 Borkumer Kleinbahn und Dampfschifffahrt GmbH」が設立され、1903年に事業を継承した。
1902年にボルクム島は海軍要塞とされ、各所に軍用施設が造られていく。それに合わせて1908年、軽便鉄道に並行して資材を輸送する軍の専用線が敷かれた。当初2本の線路は別々に使われていたが、1912年ごろから混用されるようになり、軽便鉄道の複線運行が始まった。
本線から分岐する支線や側線、引込み線も多数造られた。すでに1888年にボルクム駅から北の海岸に沿って、防波堤工事の資材を運ぶシュトラント(海浜)線 Strandbahn が造られていた。1912年には島の東側へ向けて、オストラント線 Ostlandbahn が敷設された(下注)。
*注 工事終了後、1929年からシュトラント線では保養客のために旅客輸送も行われたが、1953年に休止。1968年に最後の記念運行が行われた後、線路は撤去された。一方、オストラント線は一般旅客輸送を行うことなく、1947年に撤去されている。
(左)オストラント線はボルクム駅から北へ続いていた (右)構内線路の先に道路となった線路跡が延びる |
戦争の足音が再び近づいた1938年、埠頭に隣接して新しく軍港が建設されることになった。現在、フェリーが着岸する埠頭は旧港であって、西側の大きく掘り込まれた貨物港がそれだ。埠頭へ通じる築堤も拡幅され、複線の横にさらに軍用道路が通された。戦後1946年にこの道路は民間に開放され、港と町を結ぶルートとして機能するようになる。
しかし、このことは道路交通との競合を生じ、鉄道の経営に悪影響を及ぼした。前々回述べたように、1960年にはバス転換も視野に入れて、調査が実施されている。結論は鉄道の役割を肯定するものだったが、片や1962年に高波で鉄道が不通になり、その際のバス調達がきっかけで路線バスの運行が始まった(下注)。さらに1968年からは鉄道の運行期間が短縮され、冬季はバス代行となった。貨物輸送もまた1967年に廃止され、トラックに移された。
*注 路線バスはボルクム軽便鉄道・汽船会社が現在も運行しており、埠頭から町の中心部を経由して鉄道のない東部まで足を延ばす。
こうした低迷期は1970年代を通して続いた。潜在的な危機を脱したのは、1979年に積極的なインフラ投資計画が決定してからだ。それに基づき、線路の重軌条化や整備工場の改築、ボルクム駅舎の拡張、車両更新などさまざまな施策が進められた。旅客数が増えたことで、冬季運休は1994年に解除された。2000年代以降も機関車の増備や線路の再更新が続けられ、ボルクム軽便鉄道は順調に走り続けている。
新灯台から南望 * 左奥に港へ延びる築堤がある その右にかすかに見える発電用風車が新港の位置 |
◆
鉄道の重要性はさておき、この島の旅行者にとって次に必要な交通手段は、自転車だそうだ。駅にレンタサイクル Fahrradverleih があるので、借りるべく駅舎南端の受付へ行った。そこには駐輪場かと思うほど、膨大な数の黒い自転車が整然と並んでいる。現地の人の体格に合う大型で頑丈そうな自転車だ。悲しいかな、私はサドルを一番下にしてもらって、ようやく地面に爪先がついた。料金は1日8ユーロ。
後輪用のブレーキレバーはなく、ペダルを少し逆転させると効くコースターブレーキだ。使ったことがない私には難しかった。走り始めのケンケン乗りはできない。発進時にペダルが真上/真下にあっても漕ぎ出せない(少しバックさせてから乗る)。走行中も無意識にペダルを逆回しして、ブレーキがかかる経験を何度かした。ただ、このレンタサイクルは軽便鉄道の直営なので、フレームに鉄道のロゴがついている。できるものなら土産に買って帰りたいところだ。
ボルクム軽便鉄道のロゴ入り自転車 左のブレーキレバーはない |
昼食の後、さっそく風を切って、海岸プロムナードを南へ走る。レストランの先は砂浜が広がり、シュトラントコルプ Strandkorb と呼ばれる優雅なビーチチェアがたくさん並んでいた。
灌木の中の気持ちのいい小道を走り、堤防の陸閘のところで踏切を渡って、一般道に出た。陸閘の壁面に何やらモザイクで描かれている。初めは抽象画かと思ったが、よく見るとボルクム島の地図で、1974~77年に建設されたこの堤防の位置を示しているのだった。縮尺まで添えてあるところが憎い。
(左)色とりどりのシュトラントコルプが並ぶ砂浜 (右)管理小屋、扉の上に書かれた Vermietung はレンタルの意 |
(左)陸閘のモザイク壁画は島の地図 (右)赤丸が現在位置、堤防は黒の太線 |
築堤道路をさらに進む。今日はよく晴れて、まだ5月というのに暑いくらいだ。埠頭に着いて、何か飲み物をと探したが、カフェどころか、売店すらない。もちろん船内に入ればあるのだが、地上は単なる通過地点とみなされているらしい。列車を1本撮影して、元来た道を戻った。
築堤道路を無心に漕いでいたとき、またレーデ行きの列車と行き違った。しかし、牽いていたのはいつものシェーマ・ロコではない。蒸気機関車だ!
この蒸機は1940年、オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel 社製で、1941年から1962年までこの島で「ドラルト Dollart」の名で稼働した後、島内で静態展示されていた。それが、鉄道を観光資源にする取組みのもと、解体修理で軽油焚きに改造され、「ボルクム3世 Borkum III」号として1996年に再デビューした。
きょう日曜日は、木曜とともにその運行日なのだが、何時に走るのか情報がなかったこともあり、すっかり忘れていた。特別運行の懐古列車 Nostalgiezug で、蒸機はヴァイヤー様式の古典客車を伴っていた。私はカメラを取り出す暇もなかったので、すばやく撮影に成功した同行のT氏の作品をお借りする(冒頭写真)。
鉄道には、このほか「豚の鼻面 Schweinschnäuzchen」または「オオアリクイ Ameisenbär」の異名をもつボンネットエンジンのヴィスマール・レールバス Wismarer Schienenbus T1形も1両保存されている。こちらの運行は原則火曜日だ(下注)。
*注 いずれも乗車には特別料金が必要。正確な運行日は鉄道の公式サイトに記載されている。
(左)保存蒸気「ボルクム3世」号が通過 (右)車庫にいたヴィスマール・レールバス T1形、別称「豚の鼻面」 |
撮り逃がしたままにしてはおけないと、ボルクム3世が埠頭から折り返してくるのを、さっきの陸閘の上で待ち構えた。今度こそ撮れたのはよかったが、残念なことに機関車はバック運転だった。転車台はどこにもないから、そうなることはわかっていたのだが…。
戻ってきた蒸機はバック運転 |
次回はランゲオーク島鉄道を訪れる。
掲載した写真は2018年5月撮影。キャプション末尾に * 印のあるものは、同行した海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。それ以外は筆者が撮影した。
■参考サイト
AG Ems https://www.ag-ems.de/
Borkumer Kleinbahn http://www.borkumer-kleinbahn.de/
Inselbahn.de https://www.inselbahn.de/
本稿は、Malte Werning "Inselbahnen der Nordsee" Garamond Verlag, 2014および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
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