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2018年5月

2018年5月10日 (木)

コンターサークル地図の旅-富士山麓の湧水群

レトロな雰囲気を漂わせた岳南(がくなん)電車吉原駅の窓口で、全線1日フリー乗車券を買った。往復すれば元が取れてしまう700円のお得な切符だ。岳南電車は、ここから岳南江尾まで富士山麓の工場地帯を縫っていく9.2kmのミニ路線で、もと京王のステンレス車両が活躍している。終点まで乗り通してから、本日の集合場所、本吉原(ほんよしわら)駅へ戻った。

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岳南電車
(左)富士山を正面に見る区間(吉原~ジヤトコ前間)
(右)終点の岳南江尾駅
 

2018年4月29日、コンターサークルSの旅2日目は、富士山南麓の湧水群を訪ね歩くことになっている。というと、有名な三島近郊の柿田川湧水や富士宮の浅間大社をつい思い浮かべてしまうのだが、今回はそれとは違って、富士市内にある湧水群だ。メンバーは誰も行ったことがないので、事前にネット情報を収集してある。

本吉原の駅前に集まったのは、真尾さん、今尾さん、中西さん、木下さん親子、大出さんと私の、大6小1、計7人、昨日にもまして賑やかな道中になるだろう。巡ろうと思う湧水群は、大別して今泉、原田、吉永と3か所ある(下の地形図参照)。まずは、最も西側の「今泉ガマ(下注)」と呼ばれる湧水群へ歩を進めた。

*注 ガマはここでは湧水地帯の意味で使われ、河間の字を当てる。ちなみに沖縄のガマ(洞窟)も地下水が湧いていることが多いそうだ。

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地理院地図(1:25,000)に、歩いたルートと湧水群の位置を加筆
青の星印が湧水のおよその位置を示す
 
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今泉市街地の水路(田宿川)に映る
逆さ富士
 

町なかを進み、根方街道(県道22号三島富士線)の古い水門のある橋を渡ったところから、さっそくそれは始まった。曲がりくねる街路の脇に何の変哲もない水路が並行しているのだが、よく見ると、護岸の石垣やブロックの隙間からちょろちょろと水が漏れ出している。川底で泥がむくむくと舞い上がるのも、水が湧いているのに違いない。

左岸の随所に、焦げ茶色の低い崖が露出しているのが見える。ここは溶岩台地の末端部で、崖は裾野を流れ下ってきた溶岩が冷え固まったもの。その下から伏流水が湧き出しているのだ。一つ一つは大した量ではない。しかし、それが集まるとどうなるかは、水門の橋のあたりでほとんど淀んでいた水が、200mほど先で、もうたっぷりとした流れに変わっていることでも明らかだ。

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(左)ブロックの水抜きから漏れ出す湧水
(右)小さな湧水にも水神様を祀る
 

この水路は田宿(たじゅく)川といい、今泉ガマの水はすべてここに流れ込んでくる。主な水源には水神様が祀られていて、地元で大切にされているようだ。川面を覗き込みながら歩いていると、近所の方に声を掛けられた。用向きを説明したら、施錠してある湧水地に案内してくださるという。

そこは川と崖の間にある空き地で、かつては家が建っていたが、今は基礎が残るだけだ。草を分けて崖際まで行くと、こんこんと湧き出す泉があった。「けっこうな水量ですね」と驚くと、その方いわく「屋敷の庭で水車を回していたんですよ。いつもならもっと湧くんだが、今年は異常に少なくてね」。飲めますよと言われて、紙コップに注いでもらった。富士山の天然水は、癖がなく滑らかな飲み心地だった。「年中15度前後です。こどもの頃は、ここにスイカを放り込んであった。冷蔵庫みたいに冷えすぎないからいいんです」

「少し下へ行くとバイカモ(梅花藻)が自生してますから、見てください。きれいな水でないと育たないので、住民が集まって年に6回、川に入って清掃してるんです。5月には咲くんだが、去年はバン(鷭)が飛んで来てみんな食べてしまいましてね」「今はきれいですが、昔は悪水(あくすい)って呼んでました。製紙工場が排水を垂れ流してたので。今でも川底を10cmぐらい掘ると、その時のパルプのかすが溜まってるんですよ」

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屋敷跡の湧水を見せてもらう
 

時間を割いて話をしてくださったこの方に丁重に礼を言って、再び歩き始めた。今泉で特に湧水量の多いのは、法雲寺という寺の周辺なのだが、そこへ到達する前からすでに豊かな流れとなり、川面にバイカモが広がってゆらゆらと揺れている。住宅や工場の密集地を澄み切った清流が貫くというのは、ちょっと不思議な風景だ。橋の上から眺めながら、この環境を維持するのは並大抵の努力ではないだろうと思った。

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(左)住宅密集地を、バイカモが揺れる清流が貫く
(右)湧水が集まりいつしか豊かな流れに
 

田宿川を後にして、私たちは原田地区のほうへ足を向けた。すでに正午を回っているので、途中、原田公園で昼食をとる。単なる休憩目的で行ったのだが、そこは思いがけない富士山のビュースポットだった。東に張り出した高台(溶岩台地)の上にあり、しかも北側を松原川の浅い谷が走るので、パースペクティブが強調されるらしい。

「この辺はほんと富士見町ですね」「富士見町って名づけ始めたら、そのうち富士見町だらけになりそう」。今尾さんが笑って「富士見町は富士山の近くにあまりないんですよ。見えて当たり前なので」。

今日も抜けるような青空で、降り注ぐ陽光がまぶしい。遊びに興じる子供の歓声がこだまするなか、クスノキの木陰のベンチに腰を下ろす。キリ君の姿が見えないと思ったら、いつのまにか回転ジャンクルジムのところで、地元の人の輪に溶け込んでいた。

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原田公園から望む富士
 

原田の湧水群巡りは、五社神社の前の神戸橋からスタートする。橋のたもと、滝川左岸の石垣の下に湧き口があるのだ。水量は、裾野を下りてくる本流に負けないくらい多い。滝川はその先で溶岩の間を早瀬となって流れ下るので、溶岩台地のかなり高い位置で出ていることがわかる。

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原田地区
(左)神戸橋のたもとの湧水(左側からの流れ)
(右)溶岩の間を流れ落ちる早瀬
 

坂を下ると、住宅地の間に原田湧水池公園という回遊式の小さな庭園があった。ここでも澄んだ小川が勢いよく流れている。案内板によれば、この界隈にはかつて水車を利用した搗屋が数軒あり、搗屋町と呼ばれていたそうだ。水車小屋が園内に再現されているものの、水車は回っていなかった。公園から直接水源にたどり着けないのも、惜しい気がする。

滝川沿いの遊歩道を進む。左手は溶岩流の斜面で、深い森に覆われているが、右手は平地で、殺風景な製紙工場の建物が建ち並ぶ。鎧が淵(よろいがぶち)親水公園が見えてきた。護岸が階段状にされ、河原に降りられるので、子供たちが川に入り、脛まで水に浸かって遊んでいる。背後の森は永明寺(ようめいじ)という寺の境内で、青もみじの間から落ちる滝の音が、話し声をかき消さんばかりに響き渡る。

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鎧が淵親水公園
(左)川原に降りる石段
(右)永明寺境内から落ちる滝
 

寺の東側に回ると、滝不動という名の、これも湧水にまつわる祠があった。小さな不動尊像が、大木の根元から流れ落ちる滝に打たれている。この水をかけると疣(いぼ)が取れるとされ、いぼとり不動尊の名があるという。「疣はウイルス感染症ですから、皮膚を清潔に保つといいんです」と、真尾さんが知見を加える。水源はすぐ上手にあり、そこから二手に分かれて一方は寺の境内へ、一方は滝不動へ落ちているらしい。

この辺りはどこにいても水音が聞こえ、潤いのある土地という感を強くする。さっき訪れた今泉の場合、水は台地の下から湧くので、水量がある割には静かだった。それに対して原田では、台地の比較的上面で湧き出している。地上に出た水は、高低差のある斜面を流れ落ちることになり、自然と音が立つのだ。

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滝不動
(左)滝に打たれる不動尊像
(右)水源側から境内を見下ろす
 

札幌に戻る真尾さんを見送った後、かがみ石公園を経て、三つ目の湧水地帯、吉永(比奈)地区へ歩を進めた。玉泉寺の山下にも湧水があるのだが、時間の関係で省略して、医王寺へ向かう。門前の参道を囲むように水をたたえる大きな池が、泉の郷湧水公園という名で整備されている。

親子連れが何組も来ていた。花菖蒲が縁取る池には、まるまると肥えた鯉がたくさん泳いでいて、子供たちは餌やりに夢中だ。池は浅いのだが、近くで湧いた水が流れ込むので澄みきっている。公園化されたところもいくつか通ってきたが、明るく落ち着いた水辺があるという点でここがベストだろう。「溶岩台地の谷間で、いかにも水が湧いてきそうな場所です」「お寺を囲む森もいい雰囲気ですね」。

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泉の郷湧水公園
(左)親子連れが何組も
(右)餌を求める肥えた鯉
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公園と、湧水をはぐくむ背後の森
 

湧水巡りを終えた私たちは、電車で帰るべく最寄りの岳南富士岡駅へ向かった。さすが日本一の山というべきか、当地の湧水も思った以上の規模だ。観光バスはまず来ないから静かだし、数あるスポットを追っていけば一日楽しめる。小学生のキリ君も、泉守のおじさんにもらった竹の杖をこんこん鳴らしながら、元気に歩き通した。お母さんが予言していたように、帰りの車の中ではよく眠れただろうね。

掲載の地図は、国土地理院サイト「地理院地図」を使用したものである。

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2018年5月 4日 (金)

コンターサークル地図の旅-丹那断層

東海道本線函南(かんなみ)駅の瀟洒な駅舎を出ると、真っ青な空から降り注ぐ強い日差しに思わずたじろいだ。今年は4月を待たずに桜が見ごろになり、今や初夏どころか、真夏も間近と思わせるような陽気が続いている。大型連休初日となる2018年4月28日、コンターサークルS 春の旅本州編の初回はここ函南駅に集合して、伊豆半島の付け根を南北に走る丹那(たんな)断層の活動跡を見に行く予定だ。

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東海道本線函南駅
 

参加したのは真尾さん、今尾さん、中西さん、木下さん親子と私の、大5小1、計6人。2台のタクシーで、まず田代にある火雷(からい)神社へ行ってもらった。1930(昭和5)年に発生した北伊豆地震のときに、断層が境内を横断したという場所だ。

タクシーは、平井集落から熱海街道旧道(県道11号熱海函南線)で、丹那山地の前山にあたる尾根筋をぐいぐい上っていく。「乗せたお客さんに丹那断層へ行ってくれと言われることはあるが、たいてい断層公園のことで、火雷神社というのは珍しいね」と運転手さん。「神社からその公園まで歩くつもりなんです。そのほうが下り坂なので」と返すと、妙に感心されてしまった。

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1:25,000地形図に、歩いたルートと丹那断層の位置を加筆
 

地形図では、丹那山地と呼ばれる脊梁山脈の西斜面に、小さな凹地が南北に行儀よく並んでいる。いずれも断層によって形成された構造谷(断層線谷)が、火山灰や砂礫の堆積によって平底化したものだ。かつては水をたたえていたが、さらなる堆積と排水で湿地に変化し、人がこれを農地に改良した。一番北の凹地は集落の名をとって田代盆地と呼ばれ、その西の山際に火雷神社がある。

20分ほどで目的地に到着した。集落から延びる道の傍らに、小さなお社がひっそりと鎮座している。枝を広げて道の上に濃い影を作るタブノキの巨木が目を引く。石段十数段で上れるささやかな参道の隣に、断層の活動跡が保存されていた。

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火雷神社
(左)現在使われている鳥居と石段。地震後に設置されたもの
(右)ジオパーク案内板を参考に
 

前面にあるのが、北伊豆地震で崩れ落ちた神社のかつての鳥居だ。貫(ぬき)と呼ばれる横材の断片を付けた石柱が1本、モニュメントのように突っ立っている。対になるべき柱は、上部をへし折られた姿で敷地の端にぽつんとある。あとの部材は、すっかり苔むした状態で地面に散らばっていた。

奥に目をやると、鳥居から続いていた昔の石段がほぼ無傷で残されている。しかし、傍らに立つジオパークの案内板によれば、鳥居との間で1.4mの食い違いが生じているという。確かに石段の正面に立つと、本来、左側にあるべき鳥居の柱が石段に重なって見える。造られたときは鳥居と石段の中心線が揃っていたはずなので、向こうの地面が相対的に左へ動いたことがわかる。実際には断層を境にして、石段側が南(向かって左)へ70cm、鳥居側が北(右)へ70cmずれたのだそうだ。


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北伊豆地震でずれた鳥居と石段
(左)正面から写す
  右側の石段が地震前からあるもの、左側の石段は地震後の設置 
(右)背面から写す
  鳥居の部材が地面に散らばっている

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地震直後の状況
(左)火雷神社のずれた鳥居と石段。今もこのまま保存されている
(右)下山道の食い違い

伊豆半島ジオパークの火雷神社解説資料 http://izugeopark.org/geosites/karaijinja/ より
 

道路や水路の食い違いが横ずれの跡を示す例はほかにもあるが、近接した鳥居と石段という素人目にも明瞭な「基準点」をもつのは奇跡的だ。一同感心し過ぎたせいか、危うく社殿にお参りするのを忘れるところだった。

その後、150m南にある「下山道の食い違い」を見た。案内板には、約2.4mもの食い違いが生じ、現在も名残が認められるとあるが、道が舗装され周囲に家も建っているので、よくわからなかった。道のアップダウンから、横ずれより縦ずれではないか、と思ったくらいだ。

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(左)下山道の食い違いの現状。横ずれの跡はわからなかった
(右)鯉のぼりが泳ぐ田代集落の中心部
 

田代集落を通り抜けて、南へ足を向けた。道端に春の花がつつましげに咲いていて、木下さんに花の名を教わりながら行く。キリ君は、背負ったリュックからお菓子の袋を取り出すたびに、大人たちに一つずつ中身を配ってくれる。

熱海街道旧道に合した後、道は下り坂になった。熱函(ねっかん)道路の開通以後、交通量が激減したとはいえ、途中の軽井沢(かるいさわ)集落では、主要街道だった頃の名残を見ることができる。

バス停(下注)の前に、四方を自然石で固めた343.0mの一等水準点があった。一目見て真尾さんが、「この標石は新しいですね」と指摘する。昔のものなら花崗岩の柱石だが、これは金属製のプレートが埋められている。それに旧版地形図(上図参照)によれば、水準点は泉竜寺という寺の上手にあったはずだ。寺からまっすぐ山を上っていた古い街道が現行地形図では消えているから、山手に墓苑が造成されたのをきっかけに移設されたのではないだろうか。

*注 路線バスはすでに廃止され、現在は、函南中学の通学バスのための停留所になっている。

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軽井沢バス停
(左)ポストの後ろに水準点
(右)自然石に護られた一等水準点
 

水準点のすぐ先で、今尾さんが道端に立つ古い木の電柱を見つけた。「東京電力 堂庭独立電話線二四四」と記されたプレートの底部に「大正7年1月」の文字が読みとれる。1918年だから、まさに100年前の電柱だ。「戦前なのに左から右へ書いてますね」「理工系は英数字を混ぜるので、当時でも左から書いたんです」。三島市に隣接する清水町の役場の所在地が堂庭(どうにわ)なので、熱海街道に沿ってそこまで延びていた電話線の電柱なのかもしれない。

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100年前のプレートを付けた電柱は今も現役
 

軽井沢集落を過ぎ、熱海街道旧道から左へ折れると、道は丹那盆地へ向けて一気に下っていく。坂の途中の牧場では看板に乳牛が描かれていたが、胴の白黒の模様が静岡県の形になっているのが面白い。坂を下り切ったところに、この地方でよく見かける丹那牛乳ブランドの生産工場があった。あの牧場で搾った牛乳もここへ運ばれてくるようだ。私たちも隣のコンビニで直売の瓶入り牛乳を買って、乾いたのどを潤した。

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丹那盆地遠望
正面のピークが玄岳(くろたけ、標高798m)で、その右の鞍部は断層によるもの
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(左)乳牛のイラストのまだら模様に注目
(右)直売所を兼ねたコンビニでのどを潤す
 

酪農王国オラッチェで昼食休憩をとってから、再び歩き出した。丹那盆地は、東西1km、南北1.5kmほどの広さがある。多賀火山という古火山の麓で、およそ円い形をしているので、陥没カルデラを想像させるが、そうではなく、これも断層活動による構造盆地だそうだ。その中央を、丹那断層が南北に横断している。

丹那断層公園は、盆地の南東隅の乙越(おっこし)という集落の中にあった。整備された公園で、断層が動いた痕跡が保存され、北伊豆地震発生当時の写真や地質構造図など、資料パネルも多数設置されている。芝生の上の石組みは小さな水路の跡だ。地盤の横ずれによって、クランク状に曲がった状態で残る。その北側では断層が走る地面を掘り下げてあり、地層の断面を生で観察できた。

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丹那断層公園
赤い標識が断層の位置を示す
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(左)水路跡が断層でクランク状に
(右)地層の断面が観察できる施設
 

「丹那断層と北伊豆地震」というタイトルのパネルが、両者の関係を要約している。「北伊豆地震の規模はマグニチュード7.3、震源は丹那盆地付近の地下0~5km、震央付近の震度は6という、直下型の大地震でした。この時動いた丹那断層は、箱根芦ノ湖から修善寺町まで続く、長さ30kmの丹那断層帯の代表的な断層です。(中略)丹那断層は、このように約700~1000年の周期で活動が繰り返されてきて、1000年に2mの割合で左横ずれを続け、約50万年前から現在までに左横ずれ1km、西側地塊が100m以上隆起したと推定されています」。(原文の数字と単位を英数字に変換)

断層によって、周辺の地形は大きく姿を変えた。隆起した西の地盤は、盆地を限る低い山稜になり、今、公園から西を望むと、その山稜の上に富士山が頭だけを出している。また、かつて東から西へ直線的に流れ下っていた川は、横ずれのために流路を改めた。隆起した山稜に旧流路の跡が残っていて、東側の流路とは約1km南へずれている。

川ばかりではない。「盆地の下を通っている丹那トンネルも、横ずれの影響を受けて微妙にS字に曲がってるんです」と今尾さん。東海道本線の丹那トンネルは北伊豆地震のとき、まだ掘削中だった。本坑はまだ断層の位置まで達していなかったが、水抜き坑が塞がれるなどの被害が出た。断層を境に東西が約2mずれたため、直線で計画されたルートは内部でわずかにS字カーブを描いているそうだ。

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盆地の西を限る低い山稜と富士山
 

火雷神社からここまで、私たちはおおむね断層線に沿って歩いてきたことになる。実距離は4km強に過ぎないが、沿道での思わぬ発見をも楽しみながら、充実した時を過ごすことができた。時刻は早や15時を回っている。まだ陽は高いものの、標高250mほどある盆地は、日陰に入ると思ったより風が涼しい。私たちは静かな公園のベンチに腰を下ろして、函南駅へ戻るために呼んだタクシーが来るのを待った。

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図熱海(平成20年更新)を使用したものである。

■参考サイト
THE 函南遺産 http://kannami13.sakura.ne.jp/
伊豆半島ジオパーク https://izugeopark.org/

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