アラスカの地図
ヨーロッパへ初めて出かけた1980年代、極東から北回りルートで飛ぶ航空機は、途中給油のためにアラスカ州のアンカレッジ空港 Anchorage Airport に寄港していた。乗客も全員降ろされ、出発準備が整うまで空港で待つことになる。展望デッキに上がると、冷え冷えとした曇り空の下、地を這う針葉樹林の黒い帯と、その先にアンカレッジ市街の高いビル群がいとも小さく見えた。
北米大陸最北部にあるアラスカは、人の想像力を揺さぶる土地だ。面積は172万平方km、本土で面積ベスト3のテキサス、カリフォルニア、モンタナ各州をすべて収めてもなお余りがある。アラスカ湾岸パンハンドル Panhandle の温帯雨林から、北緯70度ノース・スロープ North Slope の北極ツンドラまで(下注)、気候の変化に伴って動植物相もすこぶる多彩だ。
*注 パンハンドルは、回廊状の領土をフライパンの柄に見立てたもので、南東部の沿岸地帯をアラスカ・パンハンドルと呼ぶ。またノース・スロープは、ブルックス山脈 Brooks Range の北斜面に広がる永久凍土地帯。
![]() ワンダー湖 Wonder Lake に映る北米最高峰のデナリ(マッキンリー)山 Mount Denali (McKinley) Photo from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
あのとき筆者が目にしたアラスカはそのごく一角に過ぎず、全体を見渡そうとすれば、地図に頼るほか手段はない。数年前、アンカレッジから発信されている野外活動情報サイトのグッズショップ(末尾の参考サイト参照)で、そのような地図を数点購入したことがある。アラスカを知る手がかりとして、今回はそれを紹介したい。
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アイマス・ジオグラフィクス Imus Geographics
![]() アイマス・ジオグラフィクス 「アラスカ」表紙 |
アラスカ州全域の詳細地形を描いた1枚ものの地図では、アイマス・ジオグラフィクスが2004年に発表したものがお奨めだ。大判用紙の折図で、縮尺は1:3,000,000(300万分の1)。
「この56.25×28.5インチ(横143×縦72cm)の旅行地図は、今までにないアラスカを見せてくれるだろう。賞を獲得したデザインにより、そこに存在するものが見られるだけでなく、あなたが見たいと思うアラスカが見られるのだ。(中略)ぼかしによる詳細な地勢表現の実例と豊富な情報を一つのシートに融合させたアラスカの地図は、他にはない。」
気負ったようなショップの紹介文だが、あながち誇張でもない。確かに、地形の起伏を表現するぼかし(陰影)と、植生や裸地など地表の状況を描写するベージュやアップルグリーンなどの彩色が、図面上でうまく調和している。小縮尺図というのに眺めたときに深い満足感があるのが、何よりの証拠だ。さらに、おびただしい数の居住地名や自然地名が注記され、余白に加えた地名索引がレファレンスとしても役立つ。アメリカ測量地図会議 American Congress on Surveying and Mapping が催す地図デザインの年次コンペで「ベスト・レファレンス・マップ」を受賞したのも頷けよう。
![]() サンプル図。表紙の一部を拡大 © 2018 Imus Geographics |
アラスカをテーマにした同社の地図には、ほかに縮尺1:100,000の「チュガッチ州立公園 Chugach State park」がある。アンカレッジ東郊の雄大な自然公園域を描く中縮尺図で、濃い目のぼかしによる地勢表現で立体感が強調され、こちらもたいへん美しい。
■参考サイト
Imus Geographics http://www.imusgeographics.com/
ナショナル・ジオグラフィック「アラスカ・アドベンチャーマップ」
![]() アラスカ・アドベンチャーマップ 表紙 |
一方、旅行地図業界の第一人者たるナショナル・ジオグラフィック National Geographic も、アラスカをテーマにした1枚ものの地図を何点か製作している。そのうち、アラスカ全域を図郭に入れたものが図番3117「アラスカ・アドベンチャーマップ Alaska Adventure Map」だ。アドベンチャーマップは比較的広域の旅行適地を対象にしたシリーズで、等高線とぼかしで描いたメインの地図と、その周囲に、人気観光地の案内がカラー写真とともに配置してある。
アラスカ図葉は縮尺1:2,250,000(225万分の1)で、片面に北部(実際はメインランド)、もう片面に南部(パンハンドル、アラスカ半島、アリューシャン列島)が配されている。アイマスの製作方針が地図表現に集中しているのに対して、こちらはベースマップの精度が高いとは言えず、特に川や湖沼のような水部の表現はどうかと思うほど大雑把だ。盛り込まれた地名の数もアイマスとはかなり差がある。
代わりに充実しているのが旅行案内だ。シリーズの他図葉と同じく、公園や保護区の境界が明確に色分けされ、野外活動適地が目を引くピクトグラムで示される。余白に地名索引もあるので、検索が可能だ。必要な情報がすぐに引き出せるというのは、定評あるシリーズの強みだろう。もちろん実際に現地で使うには縮尺が粗すぎるので、より大縮尺のトレール・イラストレーティッド Trail Illustrated シリーズ(下注)と併用する必要がある。
*注 本シリーズについては「アメリカ合衆国のハイキング地図-ナショナル・ジオグラフィック」で詳述。
■参考サイト
National Geographic Maps - Trails Illustrated Maps
http://www.natgeomaps.com/trail-maps/trails-illustrated-maps
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では、地図帳形式の刊行物はどうだろうか。米国本土でもライバル関係にある2社が、州別地図帳シリーズにアラスカ州を取り上げている。
デローム「アラスカ アトラス・アンド・ガゼッティアー」
デローム DeLorme 社の「アラスカ アトラス・アンド・ガゼッティアー Alaska Atlas & Gazetteer」だが、中綴じ体裁が基本のシリーズ(全48巻、下注)だ。しかしアラスカ州版は、カリフォルニア州版と同じく平綴じにされている。他の州はせいぜい100ページ前後なのに対して、アラスカは156ページ(索引含む)と1.5倍のボリュームがあるからだ。平綴じはノドの部分がしっかり開かないため、見開きの地図には向いていないが、そうせざるを得ないほどページ数が必要なのだ。
*注 本シリーズについては「アメリカ合衆国の州別地図帳-デローム社」で詳述。
![]() アラスカ アトラス・アンド・ガゼッティアー 表紙 |
異例なのは綴じ方だけではない。地図の図式も他州版と異なっていて、地勢表現はぼかしをかけず、等高線のみ。道路区分も色分けせず、線幅による簡易仕様だ。ベースにしている地図はUSGS(米国地質調査所)の1:250,000地形図データで、等高線、氷河、植生などの表現はほぼそのまま使われている。道路区分はデロームの旧来図式(下注)である赤の実線等に変換され、居住地名はフォントや配置が見直されているものの、両者を見比べても違いは目立たない。
*注 近年の本土各州版は、道路に二重線(くくりのある)記号を使っている。
縮尺は、集落が一定程度分布する南東部が1:300,000で、もとの地形図を凝縮したイメージだ。生の地形図をこれだけ買い揃えるのは不可能に近いので、大変お徳と言える。一方、残りの地域は1:1,400,000(140万分の1)と、非常に小さな縮尺にとどまる。それも、元データを拡大したらしい大雑把な造りで、前者との精度上の落差は極めて大きい。
![]() サンプル図。表紙の一部を拡大 © 2018 DeLorme |
ベンチマーク・マップス「アラスカ ロード・アンド・レクリエーション・アトラス」
ライバルであるベンチマーク・マップス Benchmark Maps の「アラスカ ロード・アンド・レクリエーション・アトラス Alaska Road & Recreation Atlas」は2016年の刊行で、同社の州別地図帳シリーズ(下注)では最も新しい。
*注 本シリーズについては「アメリカ合衆国の州別地図帳-ベンチマーク・マップス社」で詳述。
![]() アラスカ ロード・アンド・レクリエーション・アトラス 表紙 |
小縮尺図から順に縮尺を拡大して、スムーズに詳細区分図まで読者を誘導する内容構成が、ベンチマーク地図帳の特徴だ。アラスカ州版の場合、まず「アラスカへの道 Roads to Alaska」で、本土からカナダ領を経由してアラスカに至るハイウェールートが示される。これで本土の読者に距離感と方向性を理解させた後、次ページの1:7,920,000のアラスカ全図に移る。
しかし、3番目のリクリエーション・マップス Recreation Maps は、全域を数面の区分図で示す従来方式とは趣向が違う。アンカレッジ、フェアバンクス、ジュノーといった主要都市周辺と、インサイド・パッセージ Inside Passage やドルトン・ハイウェー Dalton Highway(下注)のルートが特集されているのだ。アラスカの旅行適地は限られるので、メイン図で描き切れない細部を説明する役割に切り替えたようだ。
*注 インサイド・パッセージは、外洋を避けてアレキサンダー諸島 Alexander Archipelago のフィヨルドを抜ける南東岸の航路。ドルトン・ハイウェーは、内陸のフェアバンクス Fairbanks から北極海岸を目指すハイウェー。
メインの区分図は、デロームと同様、エリアによって縮尺が異なり、南東部が1:316,800(5マイル1インチ)、それ以外が1:1,267,200(20マイル1インチ)から1:2,534,400(40マイル1インチ)だ。デロームより縮尺がやや小さくなるが、地勢描写は縮尺に応じた詳細さを保っていて、どの図も見応えがある。
デロームの等高線図に対して、ベンチマークは繊細なぼかしと彩色を駆使して、地勢を視覚的に実感させる。1995年以来、同社が実績を積んできた描法だ(冒頭のアイマス・ジオグラフィクスも、これに学んだのは間違いない)。驚いたことに、さらにアラスカ版では1000フィート(305m)間隔の粗い等高線が加えられている。これはむしろデローム図式を真似た形だが、傾斜角の変化が小さい氷河や、緩やかな起伏の周氷河地形では、高度情報を補うために有用と判断したのだろう。
![]() サンプル図(表紙の一部を拡大) © 2018 Benchmark Maps |
■参考サイト
Benchmark Maps http://www.benchmarkmaps.com/
両地図帳とも地図表現だけでなく、文字による旅行情報の充実にも力が注がれている。とりわけ釣り場の情報が抜きんでて多い。デロームは淡水魚、海水魚を合わせて約400か所について、獲れる魚の種類や利用可能な施設のマトリクス表が付される。ベンチマークも負けておらず、500か所近くのリストアップがある。しかし、これでさえ釣り場とされているのは主要道周辺の湖沼などに限られ、奥地の自然はまったくの手つかずだ。想像を超えたアラスカの広さを地図はよく伝えている。
今回紹介した地図のうち、1枚ものは、筆者も利用したオンラインショップ Alaska Outdoors Supersite Store https://alaskaoutdoorssupersite.com/alaska-store/ で取り扱っている。地図帳は日本のアマゾンや紀伊國屋などのショッピングサイトにある。
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