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2018年1月 5日 (金)

三江線お別れ乗車

廃止を目前に控えた三江線(さんこうせん)が、時ならぬ賑わいに沸いている。

島根県の江津(ごうつ)と広島県三次(みよし)を結ぶ三江線は、延長108.1km、単線非電化のローカル線だ。中国山地に発し日本海に流れ下る江の川(ごうのかわ)に、終始ついて走る。江の川は中国地方最長で、最大の流域面積をもつが、中・下流はいわゆる先行性河川(下注)のため、山に挟まれ、周りに平地がほとんどない。それで三江線の車窓は、のどかで鄙びた谷沿いの風景がどこまでも続いている。

*注 先行性河川とは、周辺の山地の隆起より川の下刻速度が勝ることで、元の流路を保った川のこと。

路線の魅力もそこにあるのは間違いないが、それはとりもなおさず沿線人口が少ないことを意味する。加えて、中間の川本町や美郷町からは山越えの道路で大田に出るほうが早く、江津回りの鉄道はニーズに合わなかった。全通したのは1975年だが、それより前の部分開通(三江北線および南線)時代から、輸送密度が低迷しているとして廃止対象に挙げられていたのだ。全通によって生き延び、国鉄からJR西日本に引き継がれたものの、状況が改善する気配はなく、ついに今年(2018年)3月末で廃止が現実のものとなる。

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尾関山公園から江の川(可愛川(えのかわ))と三江線を望む
 

私は昨年(2017年)、この三江線を二度訪れた(ルートは下図参照)。初回の10月はオーソドックスに、鉄道仲間のTさんらと三次から江津まで全線を乗り通した。二回目の12月は趣向を変えて、バスと鉄道の合わせ技を使った。広島から高速バスで石見川本(いわみかわもと)へ直行し、石見川本~浜原間で下り列車425Dに乗った後、一駅歩いて、粕淵(かすぶち)から路線バスで大田市(おおだし)へ抜けたのだ(下注)。

*注 乗継時刻は以下の通り。広島10:00発→(イワミツアー高速バス)→石見川本12:09着/14:00発→(三江線)→浜原14:41着→(徒歩)→粕渕駅15:30発→(石見交通バス)→大田市駅16:16着/16:42発→(山陰本線)→出雲市17:33着。なお、粕渕駅15:30発のバスは、土日祝日運休につき注意(2017年12月現在)。

ちなみにTさんは前半のみ別行動で、前日に広島、三次、口羽(くちば)と列車移動し、そこから持参の自転車で潮(うしお)駅近くの旅館まで走って投宿、翌日も潮から川本まで再び自転車に乗り、石見川本駅で私と合流するというアクティブな旅をしている。

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三江線お別れ乗車でたどったルート
 

以下は2回分の見聞録だが、混乱を避けるために、三次から江津へ順に話を進めることにしたい。

初回の訪問時、三次に宿をとっていた私は、朝の下り列車を撮影しようと、早起きして尾関山に上った。尾関山は、三次旧市街の北西端にある比高50mほどの独立丘で、春は桜の名所として名高い。旧市街の西端を走る三江線はこの山をトンネルで貫いた後、江の川を渡る(下注)。その様子を狙おうと思ったのだ。時折小雨が降るあいにくの天気だったが、7時台の列車を山上の公園から(冒頭写真)、9時台の列車を橋のたもとからそれぞれ撮ることができた。

*注 江の川は、広島県側では可愛川(えのかわ)の別名で呼ばれており、鉄橋の名称も可愛川橋梁。

■参考サイト
尾関山駅付近の最新1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/34.812900/132.841600

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可愛川橋梁を渡る夕方の三江線上り列車
前日に西側から撮影
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同 朝の下り列車、東側から撮影
 

尾関山駅が山のふもとにあるので、そこで上り列車を待ってもよかったのだが、全線乗車のために三次駅まで戻る。距離にして約2.5km、歩いても30分程度だ。三次駅で10時02分発の上り列車(下注1)に乗車した。日が短いこの時期、他の列車だと出発が夜明け前か、到着が日没後になってしまう。それで唯一の昼行便となるこの列車(424D~426D)に乗り納めの旅行者が集中して、混雑していると聞いていた(下注2)。

*注1 線路名称上、三江線は山陰本線の支線なので、川下へ進む江津行きが「上り」になる。
*注2 さらなる混雑を見越して、3月のダイヤ改正で口羽~浜原間上下各1便が増発されることになった。廃止まで2週間の期間限定ながら、昼間通し乗車の選択肢が増える。

列車はキハ120形の2両編成だったが、発車数分前に乗り込むと、なるほど座席はすでに埋まり、立ち客も10人ではきかない。川本まで2時間以上の長丁場、私は最後部のかぶりつきに陣取って線路を眺めることになった。

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朝の三次駅
(左)駅舎
(右)10時02分発三江線列車に惜別客が続々と乗り込む
 

三江線は大きく3つの区間に分けられる。まず戦前の1930~37年に、北側の江津~浜原間50.1km(のちの三江北線)が順次開通している。南側でも同時期に着工されたが戦争のために中断し、戦後、1955~63年に三次~口羽間28.4kmが順次開通した(三江南線)。中間に残された浜原~口羽間29.6kmの開通は1975年になってからで、これにより三江線が全通した。

列車が三次駅を出るとまもなく、広島へ向かう芸備線を左へ分ける。そして馬洗川(ばせんがわ)を渡り、旧市街の西側を直線の高架で突っ切る大胆なルート設定だ。三次駅が川向うの不便な場所にあるので、鉄橋を2本架けてでも、旧市街の側に鉄道を引き寄せたかったように見える。期待に反して列車本数が少なく、結局使い物にはならなかったのだが。

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尾関山駅
(左)市街地西側を直線で突っ切る線路(三次方を撮影)
(右)人影のないホーム、交換設備はとうに撤去済(江津方を撮影)
 

朝の撮影場所にした可愛川橋梁を渡り、しばらく川の左岸を行く。粟屋駅の手前で、早くも制限時速30kmの標識が見えた。戦後の開通とはいえ着工は戦前なので、トンネルを極力避け、川べりの崖を削って線路を通した箇所が断続する。そこには例外なく速度制限があり、所要時間が長びく原因を作っている。

停留所といったほうが適当な片面ホームの駅が多数を占める中で、式敷(しきじき)駅は島式ホームで、列車交換設備があった。江の川を斜めに横断するガーダー橋が、単調になりがちな車窓に変化を与えてくれる。島根県に入った作木口(さくぎぐち)では、驚いたことに下車する客がぞろぞろと続いた。周辺は民家が数軒だけの寂しい場所だが、旗を持った添乗員らしき人が見えたので、区間乗車を組み込んだツアーの客のようだ。

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(左)式敷駅を出てすぐ川を斜めに横断(三次方を撮影)
(右)作木口駅ではツアー客が多数下車
 

口羽はいうまでもなく三江南線時代の終点で、列車交換が可能だ。ここで降りたTさんが、写真を提供してくれた。ここから浜原までが最後の開通区間になる。鉄建公団が建設した高規格線なので、PC枕木が敷かれ、曲線も緩やかで、谷間を縫うトンネルが連続する。列車の速度も明らかに上がってくる。

*注 最高速度は北線・南線区間が65km/hと低速なのに対して、中間区間は85km/h。

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口羽駅
(左)当駅折返しの列車が停車中 *
(右)15時17分、三次に向けて発車 *
 

線路は川の左右を行ったり来たりし、そのたびに県境をまたぐ。地上20mの高さで、天空の駅のネーミングがついて注目される宇都井(うづい)駅のホームには、雨模様にもかかわらずカメラをかざす人が何人もいた。また川を渡って右岸につき、しばらく進むと、川幅が心なしか広がっていくのに気づく。少し下流の浜原ダムで川が堰き止められて、湖になっているのだ。そのほとりに潮駅がある。線路沿いの桜並木で有名だが、残念なことに次の花見頃に列車の姿は見られない。

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(左)天空の駅宇都井から見える石州瓦を葺いた家々
(右)短い覆道が3本連続(石見松原~潮間、三次方を撮影)
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潮駅を発つ朝の下り列車 *
 

線路は、路線最長の登矢丸(とやがまる)トンネル(2,802m)で、支流の沢谷にそれた後、浜原で江の川本谷に戻ってくる。浜原は三江北線時代の終点だ。口羽に似て、カーブした構内に交換設備があり、駅前には全通記念碑も置かれている。二回目の訪問では、ここから次の粕淵まで約2.5kmの旧道を徒歩移動した(Tさんは自転車)。乗るべきバスが粕淵駅前発だったからだが、川を見下ろす高堤防の上を歩いていくのは気分がよかった。

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浜原駅
(左)当駅止まりの列車が停車中。右奥は三瓶山
(右)駅舎前に全通記念碑
 

線路は下路ワーレントラスの第一江川橋梁で左岸に移る。これが最後の江の川横断になる。北線は建設年代が古いからか、カーブは半径200mが続出し、崖際が多いので速度制限も頻繁にある。前面展望の楽しみはともかく、運行環境としてはかなり厳しい。途中、浜原ダムの水を落として発電している明塚(あかつか)発電所の前を通過する。また、乙原(おんばら)駅前には、曲流していた川の短絡によって孤立した丘、いわゆる繞谷(じょうこく)丘陵があり、線路はそれを遠巻きにするように敷かれている。

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(左)粕淵駅を出てすぐ最後の江の川横断(三次方を撮影)
(右)里道の踏切(粕淵~明塚間) *
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三江北線区間には杣道のような箇所が点在(三次方を撮影)
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(左)浜原ダムから導水する明塚発電所(明塚~石見簗瀬間)
(右)乙原の繞谷丘陵
 

起終点を除いて沿線最大の集落が、川本(駅名は石見川本)だ。昼行便424Dはここが終点となり、約1時間半の待ち合せで、始発の江津行き426Dに連絡している。実際は同じ車両が通しで使われるのだが、停泊中は施錠されるため、所持品もすべて持って降りなければならない。

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石見川本駅到着
(左)車両はここで1時間半停泊
(右)神楽ラッピングの団体専用列車と交換した
 

ちょうどお昼時でもあり、車内から解放された客がどっと駅前に繰り出すのが、日々の恒例行事になっている。町もそれを好機と捉えて、駅前の空き店舗を休憩場所に提供し、「おもてなしサロン」と銘打った。名産のえごま茶をふるまい、見どころや食事処を記した地図を配って、地元の観光PRに余念がない。サロンでもらった「三江線乗車記念切符」は10月段階で8457人目(同年3月31日からの来場者数)だったのが、12月には11125人目と、1万人を軽く突破していた。

私たちが食事処に選んだのは、すぐ近くにある新栄寿しだ。初回来た時に食べたうな重(1300円)が大いに気に入ったので、二回目も迷わず注文する。肉厚の鰻を1匹まるごと使って今時この値段だから、リクエストしないわけにはいかない。大将もおかみさんもあいそがいいし、ここはお奨めだ。小さな店で、早く行かないとすぐ満席になるのでご注意を。

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川本駅前のおもてなしサロン
(左)萌えキャラが店先でカウントダウン *
(右)えごま茶をいただきながら休憩
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(左)石見川本駅の記念スタンプ
(右)サロンでもらった「三江線乗車記念切符」
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駅前の新栄寿しで昼食
(左)店入口 *
(右)立派なうな重に舌鼓を打つ
 

食事の後は、駅裏の川の堤防や南にある川本大橋の上から、停泊中の列車を撮る時間が十分ある。江津行き426Dは、下り浜原行き425Dの到着(13:43ごろ)を待って13時45分に発車する。その425Dは14時ちょうどの発車だ。二度目に来た時は425Dで浜原に向かうことにしていたので、その到着と426Dの発車を大橋の上でカメラに収めてから、急ぎ足で乗り継いだ。

■参考サイト
石見川本付近の最新1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/34.991300/132.492600

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川本大橋から江津方を望む
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石見川本駅
(左)高堤防から見た構内全景 *
(右)満員の客を乗せて上り列車が発車
 

川本滞在の話はこれくらいにして、再び三江線を江津へ向かおう。相変わらず右手車窓に江の川の悠然とした流れが横たわり、列車は例の速度制限に足かせをはめられて、緩慢な走りを続ける。

ところが、お腹も満ち足りた私は、前半のような集中力を失くしていた。たとえば因原(いんばら)駅の南側では、路線の観光ポスターにも使われている石州瓦を載せた家並みが広がるし、江の川も河口に近づくにつれ川幅が太くなり、中国太郎の風格を表し始めるのだが、同行の人たちと四方山話に明け暮れて、1枚の写真も撮っていない。

そのうち、行く手にスマートな二層構造の国道橋(新江川橋)と白い煙を吐く製紙工場の煙突が見えてきた。ずっと山中の景色を見慣れた目には違和感さえある。川と山に挟まれて家の影すらない江津本町(ごうつほんまち)を出ると、列車は旅の伴侶だった江の川から離れていき、14時54分、江津駅3番線の古びたホームに滑り込んだ。三次を出てかれこれ5時間になる。言葉は交わさないまでも、跨線橋へと移動するどの顔にも、「長旅お疲れさま」の文字が浮かんでいる。

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江津駅に到着
 

【追記 2018.4.5】

初回訪問の際、石見川本~江津間で写真を撮らなかったことが口惜しく、廃止が迫った3月下旬に三たび、同 区間を旅してきた。そのときの写真を以下に掲げて、イメージのミッシングリンクを閉じることとしたい。

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石州瓦の村を背景に走る(因原駅の江津方)
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3月末の廃止目前、一部の列車は3両編成に
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濁川を渡る(因原駅の江津方)
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八戸川を渡る(川戸駅の江津方)
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江の川河岸に張り付く江津本町駅
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江津本町の家並みの上を行く
 

掲載した写真のうち、キャプション末尾に * 印のあるものは同行のTさんから提供を受けた。それ以外は筆者が撮影した。

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