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2017年8月19日 (土)

タイエリ峡谷鉄道-山峡を行く観光列車

ダニーディン駅 Dunedin Railway Station は、どこかのお城と見間違えるほど華麗な駅舎だ。右端に立つ高さ37mの時計塔が、市の中心街オクタゴン Octagon からもよく見える。駅舎の印象を決定づけているのは、地元ココンガ Kokonga 産の黒玄武岩と白色のオマルー石の組み合わせから成る鮮明なコントラストだ。そこにピンクの大理石の列柱や、テラコッタの屋根、銅板葺きの頂塔があしらわれて、モノトーンのカンヴァスに彩りを添えている。

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ダニーディン駅舎の華麗な外観
Photo by Ulrich Lange at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

出札ホールに入るとまず、中央に蒸気機関車のモチーフをあしらった英国ミントン製のモザイクタイルの床に目を奪われる。内壁を飾る艶やかなロイヤル・ドルトンの陶製付柱と装飾帯を愛でた後、2階のバルコニーに上れば、大窓のステンドグラスの、煙を勇壮に噴き上げる機関車の意匠が旅の気分を盛り上げてくれる。

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(左)出札ホールの内壁はロイヤル・ドルトンの装飾陶板
  バルコニーのステンドグラスは機関車の意匠
(右)床はミントンのモザイクタイルを敷き詰める
以下、コピーライトの表示がない写真は、2004年3月筆者撮影
 
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南島の南東岸に位置するダニーディンは、1860年代のゴールドラッシュで移住者が急増し、工業都市としての基盤が造られた。19世紀にはニュージーランドで最大の都市になったこともある。経済的繁栄のもとで、1880年代から1900年代初めにかけて注目に値する建造物が市内に次々と造られた。その一つが、1906年に竣工したこの駅舎だ。

かつては1日最大100本の列車と乗降客をさばいていた駅だが、2002年に廃止された「サザナー Southerner」を最後に、南部本線(メイン・サウス線 Main South Line、下注)を通しで走る長距離旅客列車は消滅してしまった。鉄骨組みの屋根が架かる立派なホームも今では閑散として、タイエリ峡谷鉄道(タイエリ・ゴージ鉄道 Taieri Gorge Railway、2014年からダニーディン鉄道 Dunedin Railways、詳細は後述)の観光列車が発着するだけになっている。

*注 南島の東海岸を南へ走る幹線。リトルトン Lyttelton ~クライストチャーチ Christchurch ~ダニーディン~インヴァーカーギル Invercargill 間601.4km。

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閑散としたダニーディン駅の本線ホーム
 

タイエリ峡谷鉄道の列車は、駅から南へ出ていく。南部本線をウィンガトゥイ Wingatui まで走り、そこでオタゴ・セントラル支線 Otago Central Branch に入る。タイエリ川 Taieri River が隆起する地盤を刻んで造った深い峡谷を遡った後、多くの列車は、谷を脱した地点にあるプケランギ Pukerangi(ウィンガトゥイ分岐点から45.0km、ダニーディンから57.2km)で折り返す。往復の所要時間は4時間だ。

また、運行日は限られるが、その先ミドルマーチ Middlemarch(同 63.8km、76.1km)まで足を延ばす便もあり、こちらはミドルマーチでの休憩1時間を含めて往復6時間のコースになる。

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オタゴ・セントラル支線(ウィンガトゥイ Wingatui ~クロムウェル Cromwell)および周辺路線図
旗竿記号はタイエリ峡谷鉄道観光列車の走行ルート
点線は廃線区間(現 オタゴ・セントラル・レールトレール)
土地測量局 Department of Lands and Survey 発行の鉄道地図 南島1983年版に加筆
Sourced from LS159 Railway Map of South Island, Crown Copyright Reserved.

私たちは、2004年3月のニュージーランド旅行の終盤で、タイエリ峡谷鉄道を訪れた。オクタゴンの観光案内所で資料や市街図を仕入れて、駅へ向かう。列車はEメールで予約してあるので、グッズショップを兼ねたチケットオフィスで名前を言って、切符を受け取った。プケランギ往復は1人59 NZドル(当時のレートで4,250円)だ。

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駅舎にはタイエリ峡谷鉄道の
チケットオフィスが入居
 

プラットホームは、駅舎に接した長さ500mもある本線用と、ドック形(片側行止り)の支線用が使われている。朝の列車は支線用のほうに停まっていた。ディーゼル機関車に続いて緩急車、それから新旧の客車が8両ほど連なり、最後はバーと売店を備えた車両だ。私たちの指定された車両はクラシックな木造車だった。狭軌線のために車内は狭いが、座席は1+2配列の背もたれ転換式で、なかなか快適だ。最後尾の1人席と2人席の向かい合わせをあてがってもらったので、わが子の座る場所もある。

発車時刻が近づくにつれ、車内はほぼ満席になった。見たところ乗客層は鉄道ファンというより、この地方への観光客で、列車の旅を一つのイベントとして愉しんでいる様子だ。

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(左)支線用ホームで発車を待つ列車
(右)クラシックな車内は、1+2配列の転換式座席
 

9時30分、定刻に発車した。時おり雨が襲う肌寒い日だが、鉄道ファンとしてはオープンデッキに立たないわけにはいかない。列車はしばらく本線を走る。トンネルを2本抜けて、島式ホームが残るウィンガトゥイ駅で運転停車。すぐに右へ分岐して北進し、山裾を巻きながら20‰(1:50)勾配で上っていく。

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(左)ウィンガトゥイ駅を発車して支線へ
(右)タイエリ平野を後に、山裾を巻いて上り始める
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前半のハイライト区間(ウィンガトゥイ鉄橋の前後)の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map CE16 Mosgiel, CE17 Dunedin. Crown Copyright Reserved.
 

この小さな峠越えの下り坂の途中に、沿線前半の見どころがある。谷を斜めに横断する長さ197.5m、高さ47mのウィンガトゥイ鉄橋 Wingatui Viaduct だ。直下の谷底が透けて見え、写真を撮ろうと狭いデッキから身を乗り出したら、足がすくんだ。

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ウィンガトゥイ鉄橋
(左)高さは沿線随一
(右)直下が透けて見えて足がすくむ
 

まもなく幅30~50mほどのタイエリ川本流に出会う。列車は川の屈曲に対して忠実に急カーブで応じながら、しばらく左岸を進んでいく。バックロードとの併用橋で右岸に移ると、待避線のあるヒンドン Hindon 駅だ。しばらく停車します、とアナウンスが流れ、乗客たちはホームの形すらない線路脇の地面にどさっと降り立った。

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(左)タイエリ川本流に出会う
(右)旧パレラ Parera 駅通過。赤屋根の家はかつての駅舎
 

再び走り出すと、200~300mの比高がある谷が一層深さを増すように感じられる。車窓からいつのまにか高木が消え、ごつごつした巨岩と灌木や草地に代わっている。左から合流するディープ・ストリーム Deep Stream を渡ったところで、線路は再び20‰(1:50)勾配で谷壁を上り始めた。川が下方へ離れていけば、いよいよ旅の後半の見どころ区間だ。

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ディープストリーム鉄橋を渡り終えると、
線路は谷壁を上りにかかる
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後半のハイライト区間(ヒンドン~プケランギ)の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map CD16 Middlemarch, CE16 Mosgiel. Crown Copyright Reserved.
 

岩をうがち、橋を架けて、険しい谷壁を切り抜けていくルートは、スリリングで見飽きることがない。とりわけ支谷の上空を渡るフラット・ストリーム鉄橋 Flat Stream Viaduct が見事だ。長さ120.7m、高さは34mと数字上はおとなしいが、右下方を流れる本流との高低差はすでに100m近くある。曲線でカントがついていることも手伝って、デッキから見下ろす高度感はなかなかのものだ。

鉄橋を渡った後は、直立に近い岩壁を大胆に切り崩した区間を通過していく。「ザ・ノッチズ The Notches(山峡の意)」と呼ばれ、峡谷の工事では屈指の難所だったところだ。

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険しい斜面を渡るフラット・ストリーム鉄橋(左)と
ザ・ノッチ第4鉄橋(右)
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上空から見たフラット・ストリーム鉄橋の前後
(c) Dunedin Railways, 2017
 

そのうち、垂直の切通しに機関車が頭を突っ込む形で停車した。旧 ザ・リーフス The Reefs 駅の少し手前(地形図に Viewpoint と注記)で、もうすぐ峡谷本体ともお別れという地点だ。展望台になっている保線用空地に出ると、平坦な高原とその底を這うように流れるタイエリ川が見渡せた。

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(左)ザ・リーフス駅手前で切通しに突っ込む形で停車
(右)保線用の空地が展望台に
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展望台からタイエリ川上流を望む
 

IPENZ(ニュージーランド専門技術者協会)が設置した銘板には次のように記してあった。「旧 オタゴ・セントラル鉄道のこの区間はニュージーランドの工学遺産として重要なものである。ダニーディンからクロムウェル Cromwell までのルートは7つの代案の中から選ばれ、1879年に建設が始まった。タイエリ峡谷を通す工事は15の橋梁と7つのトンネルを要する最も困難な工区であったが、その壮大な景観は工学上の業績の価値をより高めている... 」

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IPENZによる記念銘板
 

最後の休憩地を出ると、十分な高度を得た線路は高原上に居場所を移し、まもなくこの列車の終点プケランギに到着する。粗末な待合所がぽつんと建つ以外、何もないようなところだ。また雨が降り出したので、外に出た乗客も慌てて車内に戻ってしまう。機関車の機回し作業が手際よく終わり、列車は10分後に同じ道を引き返した。

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折返し地点のプケランギに到着

観光列車が走るオタゴ・セントラル支線は、本来、内陸部の開発で得られる鉱物資源や農畜産物を輸送する目的で造られた。ウィンガトゥイ~クロムウェル間236.1kmの長大な路線で、1889年から1921年の間に順次開通した。実現しなかったが、さらに奥地のハウェア Hawea まで延長する構想もあった(冒頭の路線図参照)。

しかし、第二次大戦後は輸送量が減少し、1970年代に入ると存続の可否が議論されるようになった。すでに1958年以降、末端区間アレクサンドラ Alexandra ~クロムウェル間の旅客輸送はバスで代行されていたが、1976年には全線で、専らレールカーが担っていた旅客輸送が休止された。そればかりか、クルーサ川 Clutha River を堰き止めるクライドダム Clyde Dam(下注)の着工を前に、水没するクライド Clyde ~クロムウェル間19.9kmが、1980年4月4日限りで廃止となった。

*注 湛水したダム湖は、ダンスタン湖 Lake Dunstan と呼ばれる。

残る区間が遅くまで存続したのは、そのダムの建設資材を輸送する目的があったからに過ぎない。水没区間廃止後、クライド駅は1.9km手前に移転し、そこに貨物を扱うヤードが設けられた。1990年にダムが完成すると、鉄道は役割を終え、同年4月30日をもって運行が終了した。

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保存された旧クライド駅(2011年)
Photo by Benchill at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ところで、このルートを走る観光列車は、支線の運命が定まるより前の1950~60年代から実績がある。1979年にオタゴ観光列車財団 Otago Excursion Train Trust に引き継がれて、事業が本格化した。それが人気を呼んだことから、1987年には運行に専念する公営企業「タイエリ峡谷株式会社 Taieri Gorge Limited」の設立で実施体制が整えられ、新車両も投入された。

路線の廃止方針を受けて、ダニーディン市議会は、列車を今後も安定して走らせるために、ニュージーランド鉄道との分界点(下注1)からミドルマーチまで約60kmの線路資産を取得することを決めた。1990年5月1日にこの区間の所有権は、ニュージーランド鉄道から市に移された(下注2)。

*注1 オタゴ・セントラル支線の根元区間には、産業用側線が接続しているため、分界点は同線4kmポスト地点にある。
*注2 ミドルマーチ以遠は、鉄道施設が撤去され、自然保護局 Department of Conservation (DOC) により、「オタゴ・セントラル・レール・トレール Otago Central Rail Trail」という自然歩道・自転車道に転用された。

1995年には、市と財団の共同出資により、新会社「タイエリ峡谷鉄道株式会社 Taieri Gorge Railway Limited」が設立された。市の線路資産と財団所有の車両は新会社に売却され、それ以降、この会社が観光鉄道事業の運営に当たっている。

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オタゴ・セントラル・レール・トレールの
プールバーン高架橋 Poolburn Viaduct(2011年)
Photo by Ingolfson at wikimedia. License: CC0 1.0

2014年10月にタイエリ峡谷鉄道は、名称をダニーディン鉄道 Dunedin Railways に変更した。ただし、登記上の社名は変わらず、マーケティングブランドだけを新しくしたのだ。それというのも、内陸へ向かうタイエリ峡谷線とは別に、近年、南部本線を北上する観光列車も定期運行させており、名称と実態が合わなくなってきていたからだ。

この列車は「シーサイダー Seasider」の名で呼ばれ、東海岸の海浜風景を売り物にしている。多くはダニーディンから25.5km先のワイタティ Waitati で折り返す手軽な90分コースだが、奇勝モエラキ・ボールダー Moeraki Boulders や125km先のオマルー Oamaru を往復する長時間ツアーもある。旅客輸送における鉄道の凋落が著しいこの国で、ダニーディンだけは例外的に意気盛んだ。

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海岸線を走る観光列車「シーサイダー」
(ポート・チャルマーズ Port Chalmers ~ワイタティ間)
(c) Dunedin Railways, 2017
 

本稿は、J.A. Dangerfield and G.W. Emerson, "Over the Garden Wall - Story of the Otago Central Railway" Third Edition, The Otago Railway & Locomotive Society Incorporated, 1995、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ダニーディン鉄道 http://www.dunedinrailways.co.nz/

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