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2017年1月28日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道

タリスリン鉄道 Talyllyn Railway

タウィン・ワーフ Tywyn Wharf ~ナント・グウェルノル Nant Gwernol 間 11.83km
軌間 2フィート3インチ(686mm)
1866年開通、1951年保存鉄道化

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タウィン・ワーフ駅の機回し風景

ポースマドッグ Porthmadog から、7時47分発のカンブリア線気動車に乗り込んだ。車内は見事にすいていたので、海側に座って、カーディガン湾の開放的な景色を思う存分眺めることができた。今朝もすっきりと晴れ渡り、空気はひんやりしている。酷暑の国から来た身にはまるで別世界だ。当地で快晴が3日も続くのは珍しく、テレビの天気予報も、さすがに午後からは雲が出てくると言っていた。

タウィン Tywyn で下車する。きょうの前半は、タリスリン鉄道 Talyllyn Railway(下注)を往復するつもりだ。小型蒸機が活躍する保存鉄道で、海岸の避暑地タウィンから、東の山中のナント・グウェルノル Nant Gwernol に至る12km弱を走っている。軌間は2フィート3インチ(686mm)と、フェスティニオグほどではないにしろ、かなり狭い。

*注 Talyllyn は Tal-y-llyn とも書かれ、ウェールズ語で湖の端を意味する。終点一帯の教区名であり、谷奥のタリスリン湖の端(湖尻)にある村の名に由来する。タラスリン、タル・ア・スリンと表記すべきところだが、慣用に従いタリスリンとした。

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タリスリン鉄道(赤で表示)と周辺の鉄道網
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タリスリン鉄道沿線の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 127 Aberystwyth 1960年版 に加筆
 

始発駅タウィン・ワーフ Tywyn Wharf は、カンブリア線のタウィン駅から少し距離がある。駅前の道を右へとり、線路に沿って300mほど歩くと、次の交差点の傍らに小ぶりの駅舎が建っている。屋根はスレート葺き、壁は煉瓦積みの伝統的な外見だが、実は2005年の再開発事業による新築だ。平屋部分が事務所、切符売り場、売店等で、隣の2階建部分は鉄道博物館になっている。

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(左)カンブリア線でタウィン駅下車
(右)タウィンの小さな市街地
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タウィン・ワーフの駅舎は2005年に改築された
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タウィン・ワーフ駅
(左)ささやかな始発駅の構内
(右)標準軌線に並行する側線はスレート貨物を積替えていた跡
 

さっそく乗車券を買った。特に言わなければ、寄付金つき一日券 Donation Day Rover の運賃になるようだ。その代わり、乗車券と一緒に渡される運賃15%分のバウチャーが、売店やカフェでの支払いに使える。私はウェールズ・パスを見せたので、運賃自体が20%オフになった。

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往復乗車券
 

ホームに出ると、短いながらもポースマドッグのハーバー駅を思わせる明るい庇屋根とフラワーバスケットの列が迎えてくれる。すでにコンパートメント形の客車がホームにつけられていた。扉が片側にしかないが、これには深い訳がある。

150年前、鉄道の建設工事の最終盤のことだ。商務省検査官による完了検査の結果を聞いた鉄道会社の役員は青ざめた。跨線橋の内寸が車両限界より小さいため、跨線橋の下で列車が立ち往生したときに、乗客が車両から脱出できない、として改善命令が出たからだ。従わなければ運行が開始できない。とはいえ、いまさら車両も跨線橋も造り直すわけにはいかない。

そこで、会社は苦肉の計をひねり出した。跨線橋の下の線路位置を右にずらして左側に規定の空間を確保し、そのうえで車両は右扉を閉鎖して、左扉のみ使用するという妥協策だ。これでかろうじて検査に合格し、鉄道は開通を果たした。片側扉はその名残なのだという。

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(左)客車は片扉
(右)貫通路はなく、ボックスごとに扉がある
 

始発列車の出発は10時30分で、まだ1時間近くある。隣の鉄道博物館を覗くと、小型機関車にスレート貨車、硬券乗車券その他の小物と、狭軌鉄道のコレクションが充実している。しばらく見学しているうちに、時間はたちまち過ぎていった。

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鉄道博物館の展示品

タリスリン鉄道もまた、スレート運搬のために開設された鉄道だ。この地域では、1840年代からタウィン(下注)の北東7マイル(11km)のブリン・エグルイス Bryn Eglwys で、本格的な採掘が営まれていた。しかし、そのスレートは駄馬で南の山を越え、ペンナル Pennal から川舟でダヴィー川を下り、河口で貨物船に積み替えるという非常に手間のかかるルートで輸送されていた。そのため、さらなる増産は困難だった。

*注 タウィン Tywyn は、1975年まで Towyn と綴った。

1864年にイングランド北西部の工場主の一人ウィリアム・マッコーネル William McConnel が、商売の多角化のために採掘場の経営に乗り出した。彼は、輸送路を確立しようと、当時標準軌の鉄道が来ていたタウィンまで、軽便鉄道の敷設を計画した。採用された2フィート3インチ(686mm)という軌間は今では珍しいが、当時、近隣のコリス鉄道 Corris Railway ですでに使われていた規格だ。目的地のブリン・エグルイスは標高250mの山中にある。それで鉄道は、2か所のインクライン(斜行鉄道)を連ねて、必要な高度を稼いだ。

*注 コリス鉄道は、マハンレス Machynlleth(標準軌線開通以前はさらに下流のデルウェンラス Derwenlas)からコリス Corris やアベルスレヴェンニ Aberllefenni のスレート鉱山へ延びていた軽便鉄道。1859年開通。現在は、山中のコリスに1.2kmの短い保存鉄道が復元されている。

鉄道は1866年に完成し、同じ年に労働者や一般旅客の輸送も始まった。スレート生産がピークを過ぎると、近所のタリスリン湖やカデア・イドリス(カダイル・イドリス)山 Cadair Idris と組み合わせたグランド・ツアーを企画して、旅行客の掘り起こしにも努めた。

1910年にマッコーネルが手を引いた後は、地元の地主で下院議員だったハイドン・ジョーンズ Haydn Jones が採掘場と鉄道を引き継いだ。第一次世界大戦が終結すると、旅行者は再び増加に転じた。客車不足を補うために、スレート貨車に板張りの座席をしつらえて急場をしのいだことさえあった。観光輸送は運営費用の足しになったが、しかし十分な利益をもたらすほどではなかったようだ。

鉄道の経営を支えていたのは依然、スレート貨物だった。しかし、第二次大戦後の1946年に大規模な崩壊が起きて、採掘場は閉鎖のやむなきに至る。ハイドン・ジョーンズは、自分が生きている間は列車を動かすと公言していたので、鉄道は週2日に限って、細々と走り続けた。だが、1950年に彼が亡くなると、運行休止の懸念が現実のものとなった。

今から思えば、鉄道を救うための社会活動は、彼の死をきっかけにして動き出したのだ。バーミンガムの新聞社の協力で、考えを同じくする人々が集い、準備作業が始まった。鉄道会社の株式は持ち株会社に移し、運営は保存協会が担うことにして、早くも1951年のシーズンには、保存鉄道としてのスタートが切られた。

ハイドン・ジョーンズの最晩年に稼働していた機関車は、2号機ドルゴッホ Dolgoch だけだった(下注)。そこで、先ごろ休止となったコリス鉄道から2両の機関車が購入され、3号サー・ハイドン Sir Haydn、4号エドワード・トーマス Edward Thomas と命名された。小さな鉄道は1957年にBBCの番組で紹介されたことで人気が高まり、運営が軌道に乗ったと言われている。

*注 1号機タリスリンは、戦時中酷使されたために故障し、修理待ちの状態だった。

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2号機関車ドルゴッホ
 

今年(2016年)の運行期間は、3月中旬から10月末と、冬季の一部の日だ。ピークシーズンには1日6便が運行されている。所要時間は往路が55分、復路が82~87分だ。復路のほうが長くかかるのは、途中のアベルガノルウィン Abergynolwyn で休憩タイム refreshment break があるためだ(下注)。

*注 最終便は往路に休憩タイムが設定されており、所要時間は逆転する。

博物館の中では、ほとんど一人だった。ところが、出発15分前にホームに戻ると、すでに客車のどの区画にも客の姿がある。私も、母と娘とおぼしき3人連れがいる区画に入れてもらったが、発車直前に、途中の信号所へ赴くという老スタッフ氏も乗り込んできた。向い合せのシートは一応片側3人掛けではあるものの、大人5人が入ると少々窮屈だ。スタッフ氏は「狭くて悪いね」と恐縮していたが、繁盛しているのだから結構なことだ。

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フラワーバスケットで飾られた始発駅のホーム
 

前につく機関車はそのドルゴッホ。1866年製で、ずっとこの鉄道を仕事場にしてきた最古参機だ。列車は、出発するといきなり掘割の中を行く。タウィンの町は背後の山から続く微高地に載っていて、線路はこれを切り通して造られているからだ。

一駅目のペンドレ Pendre は、機関庫、車庫、整備工場が置かれて、鉄道の管理拠点になっている。それからしばらく、広々とした牧場の中を進んでいく。明るい光が一面に降り注ぎ、羊たちが無心に青草を食むのどかな景色に心が和む。リダローネン Rhydyronen という野中の小さな駅にも、列車を待つ人の姿があった。無人の待合室のように見えた建物は、驚いたことに切符売り場兼売店で、人が配置されているらしい。

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(左)機関庫のあるペンドレ駅
(右)タウィンの町を抜けるとのどかな牧野が広がる
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(左)リダローネン駅では降車客あり
(右)ナナカマドの木が見送ってくれる(帰路撮影)
 

次のブリングラス Brynglas には待避線があり、帰りはここで列車交換が行われた。閉塞は通票方式で、信号扱所に詰めている係員がポイントを操作し、手旗で閉塞区間への進入を許可している。商業鉄道ではとうに失われた暖かな手作り感が、ここではボランティアの手で連綿と維持されているということが、だんだんとわかってきた。

やがて左手の車窓にも、巨大なコッペパンのような山塊が見え始める。線路は緩やかな上り勾配で、浅いU字の谷に入っていく。機関車のドラフト音がせわしくなり、長く鋭い汽笛がときおり山にこだまする。林の中に、ナント・ドルゴッホ Nant Dol-goch の谷川を渡る高さ16mの高架橋がある。渡り終えると、左カーブしながらドルゴッホ駅に停車した。けっこう降りる人たちがいるのは、谷川にある3つの滝を見ながらハイキングを楽しむつもりだろう。機関車もここで給水を受けた。

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ドルゴッホ西方
緩やかな上り勾配が始まる
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(左)ナント・ドルゴッホの谷川を渡る
(右)ドルゴッホ駅の発車風景(帰路撮影)
 

クォーリー・サイディング・ホールト Quarry Siding Halt では、帰りに列車交換をしたが、やってきたのはお面をつけた「ダンカン Duncan」だった。1918年製、動輪2軸の6号機で、ダグラス Douglas が本名なのだが、ずっと絵本「きかんしゃトーマス」の登場人物の扮装で走っている。

トーマスの作者ウィルバート・オードリー牧師 Rev. Wilbert Awdry はタリスリン鉄道の保存協会の会員で、1952年からしばしば家族で現地を訪れて、ボランティアとして働いた。トーマスシリーズに登場する狭軌のスカーロイ鉄道 Skarloey Railway とその機関車は、タリスリン鉄道のそれをモデルにしているのだそうだ。

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(左)クォーリー・サイディング・ホールトで列車交換
(右)対向相手はダンカン(いずれも帰路撮影)
 

次は、アベルガノルウィンだ。森に囲まれ、近くに人家はなく、石切工とその家族が住んでいた同名の村へは1kmほど坂を下りていかなければならない。それにもかかわらず、長いホームと側線と、切符売り場、売店、カフェを収容した立派な駅舎がある。旅客列車は、鉱山軌道の時代からずっとここが終点で、拠点駅の雰囲気があるのはそのためだ。この先の貨物線だった線路をナント・グウェルノルまで旅客用として復活させる計画は、1968年に着工され、1976年にようやく完成した。

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アベルガノルウィンの村を遠望
 

アベルガノルウィンで降りた人はほとんどおらず、皆、終点まで行くようだ。傍らの谷が下りに転じる一方で、線路はなおも上り続ける。村へ直降していたインクラインの跡には、錆びた線路とワイヤを巻き取るドラムが残されていた。列車のスピードが落ち、崖際を回り込んでいくと終点だった。

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(左)村へ降りていたインクラインの跡
(右)アストウィスト・インクラインの図
  (タウィン・ワーフ駅前の案内板を撮影)
 

ナント・グウェルノルは、狭い岩棚の上にホームに面する本線と機回し線があるのみの、簡素な駅だ。先に延びていたアストウィスト・インクライン Alltwyllt Incline は撤去済みのため、鉄路としては完全に行止りになっている。機関車は切り離され、隣の機回し線をバックしていって、反対側に付け直された。

列車は10分間停車の後、折返していく。ホームには、小屋が建つほかには土産物屋一つないので、乗客もとんぼ返りするのかと思ったら、そうでもない。多くの人はホームに立ち、戻る列車を見送っていた。周辺には遊歩道が整備されているので、ゆっくりと散策に出かけるのだろう。

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(左)ナント・グウェルノル駅に到着
(右)10分で機回しして折り返す
 

帰りの列車は、さっきのアベルガノルウィンで30分ほど停車する。小さな客車に1時間以上揺られてきたので、体を伸ばすのにちょうどいい。機関士や車掌らスタッフも同様らしく、駅舎の端のテーブルに用意されたコーヒーとサンドイッチを囲んで、談笑している。時計を見たら、もうすぐ12時だ。私も、もらったバウチャーを使って何か食べ物を仕入れに行くとしよう。

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アベルガノルウィン駅に到着
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アベルガノルウィン駅
(左)復路に30分の休憩タイムがある
(右)出札窓口
 

次回は、マウザッハ河口のフェアボーン鉄道に乗る。

■参考サイト
タリスリン鉄道 http://www.talyllyn.co.uk/

本稿は、「ウェールズ海岸-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.13、コンターサークルs、2016に加筆し、写真、地図を追加したものである。記述に際して、"Talyllyn Railway Guide Book" Talyllyn Railway Company, 2016 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照した。

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