サンマリノへ行く鉄道
長靴形をしたイタリア半島の東の付け根に近いところに、その国はある。地図で見ると、国土はイタリアの中にぽっかり浮かんでいて、似た境遇のバチカン市国などとともに、エンクラーヴェ Enclave(包領)と呼ばれる特異な地理環境の独立国だ。正式国名をサンマリノ共和国 Serenissima Repubblica di San Marino(下注)といい、アドリア海沿岸のリミニ Rimini の町から内陸へ約10km走ると、その国境に達する。豊かに波打つ丘陵地を突き破るようにそそり立つティターノ山 Monte Titano、その上に、古くからある町の城壁が見えるはずだ。
*注 イタリア語の発音に従えばサン・マリーノだが、外務省の表記に倣ってサンマリノと記す。
サンマリノ市街のあるティターノ山を遠望 Photo by Annunziata at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
現在、この国に公共交通機関だけで向かおうとすると、FS(旧 イタリア国鉄)線でリミニまで行き、駅前で路線バスを待つしかない。しかし、第二次世界大戦で中断されるまで、リミニ駅の1番線にはサンマリノ行きの電車が停まっていた。白と空色のツートンカラーをまとう車体を見れば、誰しも目的地の国旗を思い浮かべたに違いない。
路線はリミニ=サンマリノ線 Ferrovia Rimini-San Marino といい、31.5kmの長さがあった。国鉄線の一つであり、2国間を連絡するという意味で国際路線でもあったが、軌間はイタリアのメーターゲージである950mm軌間で、幹線との直通は想定されていなかった。急勾配路線のため、最初から直流3000Vで電化され、TIBB社の子会社カルミナーティ・エ・トセッリ Carminati & Toselli 製の電車4両、AB01~04が運行を担った。
復元された電車AB03 Photo by Aisano at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
サンマリノに鉄道が通じたのは古い話ではない。建設認可は1913年に下りていたものの、話が進んだのは、ムッソリーニのサンマリノ公式訪問がきっかけだ。1927年に二国間協定が締結され、建設費は全額イタリア政府の資金で賄われることになった。翌28年12月から建設工事が始まり、4年後の1932年6月、市民の歓喜に包まれて開通式が挙行された。
しかし、鉄道が市民に貢献した時間はあまりに短かった。というのも、第二次世界大戦末期の1944年6月26日、連合軍によって空爆の標的にされたのだ。サンマリノは1920年代からイタリアの影響でファシスト政権下にあったとはいえ、戦争に対しては中立を宣言していた。しかしドイツ軍が越境して備品や弾薬を集積しているという誤った情報が伝わり、攻撃の対象になった。鉄道施設が破壊されたため、7月4日から全線で運行が停止した。列車が来なくなったトンネルはイタリアから逃れてきた人の臨時の避難所になり、チフスが流行した秋には、車両も患者を収容するためにあてがわれた。
戦後、鉄道復旧の要望は多々あったものの、当局の動きは鈍く、部分的な修復が行われるにとどまった。道路整備が優先された時代であり、後述するように線形の制約が大きいこの路線には将来性を見出せなかった、というのが本音だろう。そのうち1958~60年に、イタリア側で道路用地に転用するために線路の撤去が始まり、市民の一縷の望みも絶たれた。結局電車は12年間走っただけで、2両は博物館の展示品になり、2両は他の鉄道に売却されてしまった。
路線の起点リミニ国鉄駅は標高3m、一方、終点のサンマリノ駅は標高643mだ。この大きな高低差をレールと車輪の粘着力だけで克服するために、ルートはすこぶる変化に富んでいる。地形的に見ると、平地に直線を引いただけのリミニ~ドガーナ Dogana 間、山の裾野を蛇行しながら上るドガーナ~ボルゴ・マッジョーレ Borgo Maggiore 間、山本体にとりつき、ぐるぐる巻いていく最終区間の3つに分けられるだろう。いったいどんなところを走っていたのか、当時の地形図や空中写真で追ってみることにしたい。
*注 駅の標高は、同鉄道の保存団体「白青列車協会 Associazione Treno Bianco Azzurro」の資料に拠ったため、地形図記載の標高数値とは若干の相違がある。
リミニ=サンマリノ線路線図 |
◆
第一区間(リミニ~ドガーナ)
リミニを出て約1.2km、最初の停留所リミニ・マリーナ Rimini Marina までは、アンコーナ Ancona 方面の国鉄幹線に沿って走る。リミニ・マリーナにはこの路線の車庫と修理工場が置かれ、運行の拠点になっていた。構内は種苗園に転用されたが、駅舎は今も残されている。線路は右に大きくカーブした後、アウーザ川 Ausa の平たい谷をまっすぐ山をめざして進んでいく。
次のコリアーノ=チェラゾーロ Coriano-Cerasolo 停留所の手前まで、直線が8km以上も続く。今は住宅や工場が点在しているが、当時は一面葡萄畑に覆われていた。3つ目の駅が、税関を意味するドガーナ Dogana(標高69m)だ。線路はすでにサンマリノ領内に入っているが、地名が示すように、道路はここで国境を越えてくる。車窓景観としては、実質的に2kmほど先のメリーニ橋 Ponte Melini が転換点になる。
ドガーナ~ドマニャーノ間の1:25,000地形図 イタリア官製1:25,000 109-IV-NO Montescudo(1948年改訂版) |
第二区間(ドガーナ~ボルゴ・マッジョーレ)
メリーニ橋で正面に見える丘の上の村は、セラヴァッレ Serravalle という。線路は左手から回り込み、町の真下をスパイラル(ループ線)で一周巻いて、標高135mのセラヴァッレ駅に達する。今は丘全体がすっかり宅地に埋まっているが、湾曲した街路の一部はスパイラルの廃線跡を転用したものだ。駅の手前にあるサンタンドレアトンネル Galleria Sant' Andrea(長さ258m)は通り抜けることができ、その先に旧セラヴァッレ駅舎も修復されて残っている。
セラヴァッレ付近のルート 図中 ×印のトンネルは通行不可(以下同じ) 空中写真はGoogle Mapより取得(2016年7月) |
線路はこの後、ティターノ山の裾野を舞台に、のた打ち回るような軌跡を描いて上っていく。第二区間の平均勾配は30‰あり、半径100mの急カーブによる折返しもたびたび現れる。折り返すごとに視点が上昇して、車窓の見晴らしもよくなっていったことだろう。幸いにも、セラヴァッレの少し上手から、リジニャーノトンネル Galleria Lisignano(長さ246m)を経て次のドマニャーノ Domagnano 停留所(標高315m)の手前までは、自転車道として整備されており、当時の車窓を追体験できる。
ヴァルドラゴーネ Valdragone 停留所(標高393m)をやり過ごす頃には、目の前に、ティターノ山の絶壁が威嚇するように立ちはだかる。まもなく共和国のメルカターレ Mercatale(ショッピング街)、ボルゴ・マッジョーレだ。駅の標高は493mで、高度でいえば全体の3/4まで来たことになる。
ドマニャーノ~サンマリノ間の1:25,000地形図 イタリア官製1:25,000 108-I-NE S.Marino(1949年改訂版), 109-IV-NO Montescudo(1948年改訂版) |
第三区間(ボルゴ・マッジョーレ~サンマリノ)
現在は、もと駅前から右手に少し上ったところにロープウェーの乗場があり、空中を伝ってサンマリノの町へ一気に着地できる。しかし、鉄道はそうはいかなかった。山裾に取り付き、裏側に回り込んで高度を稼がなければならず、平均勾配は40‰に達した。実はティターノ山は、表と裏で表情が違う。人を寄せつけない険しさを見せる表(東)側に対して、裏(西)側は比較的緩やかな斜面で、サンマリノの市街もそちらに展開しているのだ。
ボルゴ・マッジョーレ駅の先にあった道路をまたぐ高架橋は解体されたが、その先のボルゴトンネル Galleria Borgo(長さ173m)とモンタルボトンネル Galleria Montalbo(長さ186m)は遊歩道に活用されている。線路はそれからすぐ、第二のスパイラルであるピアッジェトンネル Galleria Piagge(長さ515m)に突入するが、これは現在通行できない。
ボルゴ・マッジョーレ付近のルート 空中写真はGoogle Mapより取得(2016年7月) |
ボルゴトンネルは歩道・自転車道に活用 (2018年8月撮影、以下同じ) * (左)リミニ側ポータル (右)内部は照明も完備 |
ボルゴトンネルのサンマリノ側には、 道端の復元線路に貨車2両が置かれている * |
(左)モンタルボトンネルのサンマリノ側 * (右)ピアッジェトンネルとともに閉鎖された ヴィア・ピアーナトンネルのサンマリノ側 * |
次の1km強の間は、アペニーノの支脈モンテフェルトロの山並みをはるかに望みながら、斜面に忠実に沿って走る区間だ。最後にモンターレトンネル Galleria Montale の中で半回転して、サンマリノ駅に到着する。
駅前広場 Piazzale della Stazione は名称ともども健在だが、ロータリーは鉄道廃止後に拡張されたものだ。当時の駅舎は、現在の広場の南半分を占めており、その南側の駐車場になっている区画に、1面2線の発着ホームや車庫等が配置されていた(下の空中写真に、駅舎等の配置を書き添えてある)。施設はすべて取り壊され、跡形もない。広場の西に面するホテルジョリ Joli のレストランが、旧駅 Ristorante Vecchia Stazione を名乗っているのがせめてもの慰めだ。
サンマリノ駅付近のルート 空中写真はGoogle Mapより取得(2016年7月) |
モンターレトンネルのサンマリノ側ポータル * 国の玄関口として材質、意匠とも特別仕様 |
地下で半回転するモンターレトンネル * (左)内部の線路を復元 (右)トンネル内に開いていた横坑 東側の山腹に通じており、建設時のものか? |
サンマリノ駅跡 * (左)鉄道廃止後、駅舎を撤去して造成されたロータリー (右)旧構内は観光バスの駐車場などに転用 |
最近サンマリノでは、鉄道を一部復活させようという動きがある。2012年が鉄道開通80周年に当たることから、それに向けて、保存団体である白青列車協会が中心になり計画が進められた。まず、駅の200m南にあるモンターレトンネルの前後、距離にして800mの区間で、線路の復元工事が実施された。架線柱はオリジナルの様式を再現し、直流480Vに減圧されはしたものの、架線も張られた。その間にサンマリノの博物館に保存されていた電車AB03が全面改修を受けて、現地に復帰したのだ。
復元区間の起点に電車が配置され、当時を彷彿とさせる Photo by Aisano at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
線路復元区間の終点(モンターレトンネルのリミニ側出口)に 留置されたAB03 * |
(左)後部に貨車を従えて (右)トンネルのリミニ側出口から見る * |
この事業はサンマリノ政府の支援を受けていて、次の段階ではボルゴ・マッジョーレまでの延長を検討していると伝えられる。すでに廃線跡の大半は車道や遊歩道に転用されており、前進は容易ではないだろうが、開通すれば新たな観光資源としての活用も期待できる。短命に終わった鉄道だけに、国旗色の電車に再び山を上らせるという夢が、サンマリノ市民の誇りとして実現することを祈りたい。
キャプション末尾に * 印のある写真は、2018年8月に現地を訪れたコンターサークル-s の S.N.さんから提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。
(2006年2月28日付「サンマリノへ行く鉄道」を全面改稿)
■参考サイト
リミニ=サンマリノ ある国際鉄道の日々
Rimini - San Marino Una Ferrovia Internazionale di Ieri
http://www.clamfer.it/02_Ferrovie/Rimini/Rimini-San%20Marino.htm
リミニ=サンマリノ線 LA FERROVIA RIMINI- SAN MARINO
http://www.ferrovieitaliane.net/ferrovia-rimini-san-marino/
Structurae - Rimini-San Marino Railway
https://structurae.net/structures/rimini-san-marino-railway
廃線跡に残る構造物の写真多数
サンマリノ:鉄道の旧線跡 San Marino: il vecchio percorso della ferrovia
http://www.viaggi-lowcost.info/cosa-fare/san-marino-vecchio-percorso-ferrovia/
ferrovie.it(イタリア鉄道情報サイト) http://www.ferrovie.it/portale/
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