ヴィーゼンタタール鉄道 II-廃線跡の自転車道
「シュライツの三角形からテューリンゲンの海へ Vom Schleizer Dreieck zum Thüringer Meer」。沿道の案内板は、廃線跡の自転車道ルートをそう表現する。少し謎めいたキャッチコピーで、土地に通じた人ならともかく、遠来の者には説明が必要だ。
モクレン属の花咲く5月、 自転車道の終点ザールブルク市街 |
シュライツの三角形(シュライツァー・ドライエック Schleizer Dreieck)とは、ドイツで最も古い歴史をもつストリートサーキット、公道コースのことだ。自転車道の起点となるシュライツ Schleiz の町の郊外を巡り、地図上でおよそ三角形に見えるのでこう呼ばれる。テューリンゲンの海(テューリンガー・メーア Thüringer Meer)も、内陸部のテューリンゲン州では見つけようがないが、代わりにザーレ川の総合開発で築かれたいくつかのダム湖がある。その湖畔が自転車道の目的地だ。
全長14.3kmのオーバーラント自転車道 Oberlandradweg は、かつての鉄道の跡をたどって、三角形と内陸の海とをつないでいる。まずは、もとの路線の歴史を追ってみよう。
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話は1920年代、エルベ川第二の支流であるザーレ川 Saale の上流部で、ダム建設の計画が動き出したところから始まる。ザーレ・カスケード Saalekaskade(下注)と呼ばれるダム群は、電源開発はもとより、エルベ川の水位を安定させて、洪水の抑制と船の通年航行を可能にすることを目的としていた。1930~40年代に全部で5基のダムが完成するのだが、中でも大規模なものの一つがブライロッホダム Bleilochtalsperre だ。堤高65m、堤長205mの重力式ダムで、2億1500万立方mの貯水量は未だにドイツ最大を誇っている。
*注 カスケード Cascade(ドイツ語ではカスカーデ Kaskade)は本来、滝が連続する場所のこと。ブライロッホダムの下流には、もう一つの大規模なダム、ホーエンヴァルテダム Hohenwartetalsperre がある。
ブライロッホダム Photo by Christian Fleck from wikimedia. |
ブライロッホダムの建設工事は1926年から32年にかけて行われ、それに伴い、資材や作業員を輸送する鉄道が必要とされた。近隣の自治体はこれを、長らく構想段階にとどまっていたシュライツ以遠の鉄道延伸を実現する絶好の機会と捉えた(下注)。さっそく国や民間の出資も得て、建設と運行に当たるシュライツ軽便鉄道株式会社 Schleizer Kleinbahn AG が設立される。
*注 シュライツまでは、すでに1887年に標準軌の路線が開通していた。現在は、保存鉄道として運行されている。本ブログ「ヴィーゼンタタール鉄道 I-赤いレールバスが行く」参照。
路線は、シュライツからザールブルクに至る15.2kmだ。軽便鉄道(クラインバーン Kleinbahn)とはいうものの、貨物の直通を前提に、標準軌(1435mm)が採用された。また、33‰の急勾配があるため、直流1200Vで電化までされていた。建設工事のほうは順調に進み、1930年6月に全線が開通している。
この本線とは別に、途中のグレーフェンヴァルト Gräfenwarth で分岐して、ダムの工事現場近くのグレーフェンヴァルト ダム貨物駅 Gräfenwarth Sperrmauer Gbf に至る長さ2.7kmの貨物支線も造られた。この路線はザーレダム株式会社 Saaletalsperren AG の所有だったが、シュライツ軽便鉄道が施設を借りて旅客列車を運行した。
1991年当時の路線図 シェーンベルクからシュライツを経てザールブルクまでが 一本の路線として描かれている "Eisenbahnen in Deutschland Streckenkarte DB DR 1:750,000" Deutsche Bundesbahn, 1/1991 に加筆 |
下の地形図は、ドイツがまだ東西に分かれていた1980年代にバイエルン州が作成した1:50,000地形図だ。東ドイツ領内は戦前の資料に拠っているため、軽便鉄道の本線、支線がともに描かれている。本線はヴィーゼンタ川の谷を離れ、緩やかに波打つ高原を越えて、湖畔のザールブルクまで延びる。それに対して支線は、ダムへ通じる工事用道路にずっと並行していたことがわかる。
シュライツ=ザールブルク線周辺の1:50,000地形図 バイエルン州測量局1:50,000 L5536 Schleiz 1986年版 |
ダムが完成すると工事輸送は一段落したが、今度はその威容を一目見ようと多数の人が押しかけた。鉄道は、休む間もなく夏場の観光輸送に奔走させられた。支線では、シーズン中20分間隔で列車を出すほどの盛況ぶりだったという。しかし、第二次世界大戦の勃発により、ブームはたちまち終わりを告げた。戦後も支線では旅客輸送の再開がなく、線路は1968年に撤去されるに至る。
一方、本線たるザールブルク線では、1949年の国有化後も運行が続けられた。だが、車両の老朽化により電気運転は1969年に終了し、代わりに導入されたレールバスが跡を引き継いだ。そして、ドイツ再統一後の1995年には貨物列車が、1996年6月には旅客列車が休止となり、1998年、こちらも路線廃止の手続きがとられた。
軽便鉄道で使われた小荷物電動車 (GT1、DR時代はET 188 521) ドレスデン交通博物館蔵 Photo by HeizDampf from wikimedia. License: CC-BY-SA-2.0-DE |
使われなくなった線路はしばらく放置されていたが、2008年の終わりにシュライツ市がDBから用地を購入し、再整備を開始した。終端区間の部分開通を経て、全線の工事が完了したのが2010年5月、こうして廃線跡はオーバーラント自転車道として生まれ変わることになったのだ。
では、そのルートをたどってみることにしよう。下の地形図に、写真の撮影場所を数字で示しているので参考にしていただきたい。
オーバーラント自転車道周辺の1:50,000地形図 旧東独官製1:50,000 M-32-60-B Schleiz 1982年版、M-32-60-A Ranis 1987年版に加筆 |
起点は、ヴィーゼンタタール鉄道の終点シュライツ・ヴェスト Schleiz West 駅だ。線路は、中心街に通じるゲーラ通り Geraer Straße の直前で途切れている。交通量の多い通りを横断すると、スーパーマーケットの駐車場に挟まれた道路(これも廃線跡)が続き、その先で歩道が突如自転車道に切り替わる。
1 シュライツ・ヴェスト駅 線路はゲーラ通りの手前で途切れている |
しばらくは、ヴィーゼンタ川の穏やかな流れや川岸を縁取る林を右に見ながらの一本道だ。谷に沿って緩く蛇行しつつ、わずかに下っていく。快適に走れる区間だけに、道路との交差点では自転車道側に柵が設けられ、注意喚起も怠りない。
(左)2 スーパーマーケットの駐車場脇から始まる自転車道 (右)3 ヴィーゼンタ川沿いに延びる一本道 道路との交差に安全柵 |
やがて、水車小屋を改造したグリュックスミューレ Glücksmühle というガストホーフ Gasthof が見えてくる。宿泊は扱っていないが、レストランは営業しているようだ。古い地図を見ると、周辺には水車小屋が点在している。往時は、すぐ近くに鉄道の停留所(グリュックスミューレ=メンヒグリュン Glücksmühle-Mönchgrün)もあった。
緑が一段と深まる谷を大きく左に回り込む頃、右手にアウトバーンA9号線を通す築堤が現れる。本来、線路はアウトバーンを高架橋で乗り越していたのだが、廃止後、道路の拡幅工事のために撤去されてしまった。それで自転車道は手前で廃線跡から右にそれて、アウトバーンの高架下へもぐっていく。その後、線路のあった高みまで戻るため、短いながらも急な上り坂が待っている。
(左)4 右前方に水車小屋を改造したグリュックスミューレ (右)5 アウトバーンをくぐった後の急坂 右端に廃線跡の築堤が見える |
上りきると間もなく、地方道を横断する。一時その側道に納まるものの(下注)、またすぐに廃線跡に復帰して森に入っていく。視界が開けたところからは、このルートでは珍しい、野原を貫く直線路だ。右手に現れる広場はメッシュリッツ Möschlitz 停留所跡で、素朴な屋根付きベンチで休憩もできる。
*注 地方道の改良に伴う直線化で、線路敷が失われたことに伴う代替措置。
左にカーブしながら上っていくと、また森に囲まれ、ブルク Burgk の村に通じる道路を横断する。これで全行程のおよそ半分まで来たのだが、それまでののどかな景色を引き裂くように、左手に採石場が出現するのは、いかにも興醒めだ。かなりの面積で丘が切り崩されている。
(左)6 野原を貫く直線路 ベンチのある場所がメッシュリッツ停留所跡 (右)7 ブルク村へ行く道路を横断 |
また、野原に出たあたりがルートのサミットで、標高は511m。後は下りの片勾配だ。いったん坂が緩んだところに、グレーフェンヴァルト Gräfenwarth の駅跡がある。駅舎が残っているものの、売却されて民家になっている。ダムへ通じる貨物支線はここで右手に分岐していた。
(左)8 民家になった旧グレーフェンヴァルト駅舎 (右)9 管路で里道の下をくぐる |
管路で里道の下をくぐった後は、再び下り坂になり、そのままヴェッテラタール橋 Wetteratalbrücke の上に踊り出る。ダム湖の入江を一跨ぎする橋はかつて鉄道との併用橋だったが、2001~02年に改修されたため、線路の痕跡は残っていない。
この先は、湖畔に展開するキャンプ場やマリーナを眺めながらの平坦な行路になる。残念ながら、湖岸へ行く小道と交わるところで、廃線跡の旅は終わりだ。ザールブルク駅まで残り数百mだが、私有地に入るため通行できなくなっている。駅舎も民家に転用されてしまったらしい。
湖のほとりのザールブルク市街地まで1kmほどは、交差するこの小道をたどることになる。
10 ブライロッホダム湖畔に広がるキャンプ場 |
(左)11 湖畔の牧草地を貫く平坦路 (右)12 しかし残り数百mを残して、廃線跡の旅は終わる |
(左)13 ザールブルク市街は湖に向かって下っていく (右)ブライロッホダム湖畔 |
掲載した写真は、注記したものを除き、2013年4~5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T. 氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。
■参考サイト
Bahntrassenradwege.de-Oberlandradweg
http://www.bahntrassenradwege.de/index.php?page=oberlandradweg
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