ハルツ狭軌鉄道 III-ハルツ横断線
ハルツクヴェーア(ハルツ横断)線 Harzquerbahn
ノルトハウゼン・ノルト(北駅)Nordhausen Nord ~ヴェルニゲローデ Wernigerode 間 60.5km
軌間1000mm、非電化
1898年 ドライ・アンネン・ホーネ Drei Annen Hohne ~ ヴェルニゲローデ間開通
1899年 ノルトハウゼン・ノルト~ドライ・アンネン・ホーネ間開通
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![]() ヴェルニゲローデ駅舎側壁にあった 立体壁画 |
北麓のヴェルニゲローデ Wernigerode から南麓のノルトハウゼン Nordhausen まで、HSBハルツ横断線 Harzquerbahn(以下 横断線、下注)は文字どおりハルツ山地を横断する。行路のざっと3/4は人家のない山中で、起終点の周辺を除けば、経由地も小さな村ばかりだ。実際に乗っても、よくぞ鉄道が残ったものだ、と感心するようなところを走っていく。当然、利用者は限られているので、中央区間では1日4往復の設定しかない。ヴェルニゲローデの始発列車は7時25分発で、次は11時55分まで間が開く。
*注 南北に走るという意味では「縦断線」というべきだが、原語の quer(クヴェーアと読む)は横方向を意味するので、「横断線」とした。
![]() 路線図 官製1:200,000 CC4726 Goslar (2010年版)に加筆 (c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie. |
本来、単行の気動車で賄える程度の需要なのだが、観光客向けに蒸機列車も運用されていて、11時55分発はそれだった。列車の構成は、蒸気機関車の直後に緩急車、ついで5両の客車、最後尾には無蓋車にベンチを取り付けたトロッコ車両(下注)が1両ついている。だが、きょうは曇り空で肌寒く、追って雨も降り出したので、わざわざ乗るような客はいなかった。
*注 HSBのサイトによれば、この車両(開放展望車 Offene Aussichtswagen またはシーネンカブリオ Schienencabrio)は、5~10月の間、ヴェルニゲローデ~アイスフェルダー・タールミューレ間の定期列車に連結されていて、1ユーロの追加料金が必要。
車内はがらがらだ。一応、ドライ・アンネン・ホーネでブロッケン行きに接続しているのだが、教えられなければ気がつかないだろう。ところが、編成の真ん中に唯一、満席になっている車両があった。予約の貼紙があったので、デッキで熱心に写真を撮っていた人に聞くと、団体旅行で香港から来たのだという。
![]() (左)ドライ・アンネン・ホーネへ羊腸の坂を上る (右)ブロッケン行きと違って車内はがらがら |
![]() ドライ・アンネン・ホーネでブロッケン行き(左の列車)に接続 |
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ドライ・アンネン・ホーネ Drei Annen Hohne までの「序奏」区間は前回記したとおりだ。どこへ足を延ばすにしてもこのルートは避けられないから、3日目はもはや通勤列車で通っている気分だった。ブロッケン線 Brockenbahn を右に分けた横断線は、しばらく走ってエーレント Elend という小駅に着く。静かなはずのホームが騒々しいので覗いてみると、予約車に乗っていた団体さんだ。てっきりブロッケン線に乗継ぐものと思ってさっきは目的地を尋ねなかったのだが、観光地でもない森の村に何の用があったのだろう。
列車はブロッケン山麓を離れると、針路を南にとり、下ハルツ Unterharz 一帯に広がる標高500m前後の高原を延々と走り続ける。高原といっても、駅と集落の周りを除けばどこまでも樹海の底だ。たまに道路と交差するが、警報機すらない(日本でいう)第4種踏切のことも多い。手前にPと書かれた標識(Pfeife、警笛の意)が間を置いて2本立っていて、列車はその位置で警笛を鳴らしつつ、徐行で踏切を通過する。
![]() P(警笛鳴らせ)の標識 |
![]() ハルツ横断線最高地点~ゾルゲ 旧東独官製1:50,000 M-32-10-C Braunlage 1988年版に加筆 |
横断線が達する最高地点、標高556mはこのあたりのはずだ。1:25,000地形図を読むと、鉄道が555mの等高線を越えている場所が南北2か所、エーレント~ゾルゲ Sorge 間と、ベンネッケンシュタイン Benneckenstein 駅北西で見つかる。資料(下注)によれば、前者すなわちノルトハウゼン起点38.2kmが最高地点なのだが、後者にも555.5mの標高点が確認できるので、順位は微妙だ。他にもドライ・アンネン・ホーネ駅が543m、ベンネッケンシュタイン南東の分水界横断地点が542m(ただし並行道路に打たれた標高点)と、サミットはほぼ高さが揃っている。これは、高原が東へ緩やかに下るのに対して、線路はそれに従わず、周辺の高みを伝っているからだ。野球場で、外野席の上段をライトからレフトへ移動していくようなものといえば、お分かりいただけるだろうか。
*注 Schmalspurparadies Harz, Eisenbahn Journal Sonderausgabe 3/2005, p.38
ゾルゲ Sorge あたりでは、土砂降りになった。駅舎の壁に国境博物館 Grenzmuseum と書いてある。この付近で、横断線が旧東西国境に最も接近することを思い出した。かつて、ゾルゲは乗換駅だった。同じ狭軌線の南ハルツ鉄道 Südharz-Eisenbahn, SHE(下注)の支線がヴァルメ・ボーデ川 Warme Bode の谷を東西に走り、ゾルゲを経て標準軌線終点のタンネ Tanne に連絡していたのだ。しかし1945年、敗戦で運行休止になった後、ルートと交差するように東西国境が引かれたため、ついに復活することはなかった。当時のゾルゲ駅は川沿いにあったが、1974年に村の南側へ移転したのが、現在の停留所になる(右上図参照)。
*注 南ハルツ鉄道は、ヴァルケンリート Walkenried ~ヴルムベルク Wurmberg 27.6kmの本線と、ブルンネンバッハスミューレ Brunnenbachsmühle ~タンネ Tanne 8.5kmの支線で構成されていたメーターゲージの非電化狭軌鉄道。1945年に支線が運行休止に、1963年に本線も休止となった。
一山越えたベンネッケンシュタイン駅の前後では珍しく視界が開けて、曇り空ながら気分が少し晴れる。村を包むように大きく波打つ牧草地を、線路は小さなカーブを重ねながら乗り越えていく。しかし、高原らしい風景はわずかの間だ。最後のサミットを乗り越えると、列車はまた昼なお暗い谷間へと下ってしまう。これは平地へ降りるための準備なのだが、ヴェルニゲローデ側と違うのは、ひたすら谷底を這って進む点だろう。隆起が続く山地の北側に比べて、南側は侵食が奥まで進んでいる。線路を無理に引き回さなくても、河谷の勾配が許容範囲に収まるのだ。
![]() (左)エーレント駅 (右)ベンネッケンシュタイン駅(別の日写す) |
![]() (左)ゾルゲ駅では土砂降りに (右)国境博物館になっている駅舎 |
この列車の終点アイスフェルダー・タールミューレ Eisfelder Talmühle は、左手から同じような単線の線路が合流してまもなく現れる。まだ渓谷の途中で、構内は深い森に囲まれ、近くに人里の気配はない。ゼルケタール線 Selketalbahn との連絡のためだけに存在する駅、いわばドイツの備後落合(下注)だ。各方面とも少ない便数のため相互接続のダイヤが組まれ、1日数回、列車がホームで顔を揃える時間帯がある。乗換客は数えるほどだが、人里離れた場所でも公共交通がしっかり機能しているのを見ると、ちょっとした感動に捕われる。
*注 鉄道ファンなら先刻ご承知のとおり、芸備線に木次線が接続する中国山中の駅。
![]() 蒸機列車の終点アイスフェルダー・タールミューレに到着 |
![]() 森に囲まれたアイスフェルダー・タールミューレ駅 |
役目を終えた蒸気機関車は、給水の後、帰り支度のために機回しされる。それを見送りながら、途中で気づいたミステリーを思い出した。機関車の向きが最初と違うのだ。ヴェルニゲローデを出るときは、ブロッケン山行きに倣って、確かに正方向に付けられていた。ところが、後で写真を撮ろうとしたら、なんと逆向き、つまりテンダーが前だった。付け替わるチャンスがあるとしたら、ドライ・アンネン・ホーネの8分停車しかないのだが、線路に降りて写真まで撮っていたのにまったく気がつかなかった。
隣の島式ホームにノルトハウゼン行き単行気動車、HSB 187形が停車している。外見はくたびれ気味だが、カミンズエンジンを積んだ1999年製の車両だ。蒸機列車以外の定期便は(後述するトラムを除き)、すべてこのタイプの気動車で運用されている。しかし、乗り換えたのは数人だけで、残り10数人は慌てる様子もなく駅舎併設の食堂へ入っていく。どうやら、蒸機列車に乗るのが目的のツアー客らしい。
![]() (左)機回し作業中 (右)隣のホームは、接続するノルトハウゼン・ノルト行き気動車 |
![]() 帰りは午後6時半、 夕闇迫る構内に187形気動車が勢ぞろいした |
![]() アイスフェルダー・タールミューレ ~イールフェルト 旧東独官製1:50,000 M-32-22-B Nordhausen 1988年版に加筆 |
これまでの行路に比べれば、気動車が引き継いだ渓谷の旅は、割合単調だ。地形図ではわかりにくいが、リクエストストップのイールフェルト・バート Ilfeld Bad 付近に遷急点があって、川との高度差が一時開くのが唯一の変化だろう。列車は時速30kmをキープして走る。イールフェルト Ilfeld でようやくゴルデネ・アウエ Goldene Aue につながる平野に出た。家並みと教会の尖塔がちらほら見えてきて、人里に下りたのを実感する。そのうち車窓が町裏の雰囲気になり、右手からDB南ハルツ線(下注)の線路が近づいてきた。
*注 ノルトハイム(Nordheim)~ノルトハウゼン間の標準軌線。前述の南ハルツ鉄道とは別。
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横断線の終点はノルトハウゼン・ノルト Nordhausen Nord(ノルトハウゼン北駅の意)といい、DB駅から見て左手(北西)に、立派な駅舎を構えている。これはかつて、横断線とブロッケン線を建設したノルトハウゼン・ヴェルニゲローデ鉄道 Nordhausen-Wernigeroder Eisenbahn, NWE の本社建物だった(下注)。ファサードに、路線名を浮彫りした装飾が施されている。
*注 そのため横断線のキロ程はノルトハウゼン起点になっている。ただし、NWEは1916年に本社をヴェルニゲローデに移した。現在のHSB本社もヴェルニゲローデにある。
![]() HSBの本来の終点ノルトハウゼン・ノルト駅 (左)頭端式ホーム (右)浮彫り装飾のある駅舎 |
HSB線のルーツには、このノルトハウゼン・ヴェルニゲローデ鉄道ともう1社、ゼルケタール線群を建設したゲルンローデ・ハルツゲローデ鉄道 Gernrode-Harzgeroder Eisenbahn がある。2社の路線網は1887~1905年に完成し、50年以上もハルツ山地の産業振興や観光開発に貢献した。しかし、第二次大戦後は国に強制収用され、1949年から東ドイツ国鉄DRの路線となった。再統一後、DRはDBに統合されたが、ハルツの狭軌線群は対象からはずされ、地元自治体などの出資で設立されたHSBに引き継がれたのだ。
![]() ノルトハウゼン駅周辺の線路配置図 |
私の乗った便は、時刻表に北駅着と書かれているが、実際はそうではなかった。運転席の後ろにかぶりついて見ていると、駅構内で左手に分岐していく。そして、駅横の路面に敷かれた連絡線を伝って、駅前広場の路上にある電停で停まった。ノルトハウゼン市電のための停留所で、ノルトハウゼン・バーンホーフプラッツ Nordhausen Bahnhofplatz(駅前広場の意)という。同じ軌間だからできることとはいえ、事情を知らなければとまどいそうだ(右図参照)。
![]() HSBとトラムの連絡線 (左)鉄道と軌道の境界 (右)左の写真の反対側、トラムの駅前停留所が見える |
市内トラムが既存の鉄道路線に乗り入れて郊外へ直通する運行形態を、最初に手掛けた都市の名をとってカールスルーエ・モデル Karlsruher Modell と呼んでいる。このトラムトレイン方式は利用者の大幅増など目覚ましい成功を収め、その後欧米の多くの都市で採用されていった。ノルトハウゼンもその例にもれず、2004年にHSBの横断線へ乗り入れて、市内線との直通運行を実現させた。乗入れ区間はイールフェルト・ネアンダークリニーク Ilfeld Neanderklinik(下注)までの11.5kmで、10系統と称している。
*注 イールフェルト・ネアンダークリニークは、乗入れに際して新設された停留所。隣接する同名の老人福祉施設への足として設けられた。
ノルトハウゼンの場合、特徴的なのは、乗入れ相手が非電化のため、ハイブリッド駆動の新型車両(下注)を導入したことだ。市内では直接吊架線から電力を取り入れ、横断線内では搭載したディーゼル発電機で電力を供給する。それで、この区間では新型トラム、187形気動車、99形蒸機という3世代の車両が線路を共有することになった。187形は市内に入らないのだが、乗換えの便を図って直通トラムと同じ駅前広場の電停に着くようにしているのだ。
*注 シーメンス(ジーメンス)社 Siemens AG が開発したコンビーノ・デュオ Combino Duo 3編成が現在も運用されている。
![]() バーンホーフプラッツ(駅前広場)停留所 (左)HSB気動車が乗入れ (右)コンビーノ・デュオと市内線用コンビーノが並ぶ |
![]() (左)DBノルトハウゼン駅舎 (右)駅前通りはトランジットモール化 |
試しに乗入れ区間を1往復して、3世代の車両を乗り比べてみた。もともとHSBでは全線にPCまくらぎが敷かれ、線路の整備状況はローカル線と思えないほどなので、車両の如何にかかわらず乗り心地は悪くない。とはいえ、新旧の格差は随所に見られる。
たとえば走行音だが、蒸機のドラフト音(ノスタルジックで私は好きだが)や187形気動車のエンジンが発する轟音に比べて、ハイブリッドトラムのそれはずいぶんおとなしい。また、乗降口に踏み段のある高床式の古典客車や187形に対して、トラムは完全低床だ。長距離運用がある187形は、車内中央にトイレが設けられている。そのためボックス席を減らし、通路の確保のために跳上げ式の座席を縦に並べている。持込み自転車などの置き場を兼ねてのアイデアだが、乗客が増えてくるとさすがに座りにくい。その点、トラムは3車体連接の固定席で、いくらかでも余裕がある。
![]() ノルトハウゼンの市内トラムは、2系統のみのシンプルな路線網 (左)市中心部の緑化軌道 (右)南北に走る1系統の終点クランケンハウス Krankenhaus(市民病院前) |
![]() コンビーノ・デュオは東西に走る2系統でも運用 (終点パークアレー付近にて) |
![]() 車内比較 (左)コンビーノ (右)コンビーノ・デュオ、中央の車体に発電用エンジンが鎮座している (DUOと書かれた黄色い箱) |
森の出口のイールフェルト Ilfeld 駅にしばらくとどまって、3世代の車両が交換する様子を愉しんだ。大きな木立の傍らに建つ駅舎は、木組みに白壁のコントラストが清々しい。構内は意外に奥行きがあって、山側には小ぶりの機関庫まで備えている。トラムはここに1時間間隔で発着し、その間を埋めるように気動車もやってくるが、蒸機列車はブロッケンへの直通便が1日1往復残るだけで、出会えるチャンスはごく限られる。事前に時刻表を睨んでその時刻を狙ったまではよかったのだが、写真のとおり、まさか機関車がお尻を前にして入ってくるとは予想しなかった。何事も思うようにはいかないものだ。
![]() イールフェルト駅 |
![]() 異世代の車両が交換 (左)気動車とトラム (右)トラムと蒸機 |
次回はゼルケタール線に乗る。
本稿は、「ドイツ・ハルツ山地-地図と鉄道の旅」『等高線-s』No.11、コンターサークル-s、2014に加筆し、写真、地図を追加したものである。
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ドイツの ' 備後落合 ' 、は感じがよく伝わりました m笑m 。わたしも、このサイトのマネをして、ココログのブログを始めます。「催太鼓のブログ」です。よろしく。
投稿: 催太鼓 | 2015年9月12日 (土) 05時48分