ミューレン鉄道(ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道)
ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道 Bergbahn Lauterbrunnen–Mürren
索道線:ラウターブルンネン Lauterbrunnen ~グリュッチュアルプ Grütschalp 間1.43km
2006年開通
(旧 鋼索鉄道線 1.42km
軌間1000mm、1891年開通(リッゲンバッハ式ラック鉄道として)
1902年電化、1949年鋼索鉄道化)
鉄道線:グリュッチュアルプ Grütschalp ~ミューレン Mürren 間4.27km
軌間1000mm、直流560V電化、最急勾配50‰
1891年開通
メンリッヘンから見たラウターブルンネン谷 BLMの通過地点を加筆 |
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正式な分類ではないが、山上(さんじょう)鉄道と言われるものがある。高地にある村や観光地へ人や荷物を届けるという役割では登山鉄道などと変わらないのだが、山麓または谷底で他の鉄道路線と直接接続してはおらず、高地で孤立している路線のことだ。通常、下界との間は、ケーブルカーやロープウェーなど他の交通手段で連絡されている。
このタイプが採用されるのは、たとえば急斜面の上に比較的なだらかな高地が広がる地形の場合だ。登山鉄道のように斜面に線路を引き回すと建設費が高くつくので、困難な斜面は直登し、高地に出たら水平に進むというルートを採る。そのような場所に敷かれた山上鉄道は、概して車窓の景色がいい。ましてやスイス中部でも人気の観光地、ユングフラウ三山のそばを走るとなれば、絶景の展開を期待しないほうがおかしいだろう。
その鉄道の正式名称は、ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道 Bergbahn Lauterbrunnen–Mürren (BLM) という。名前の通り、ラウターブルンネン Lauterbrunnen とミューレン Mürren(下注)を結び、地元では略して「ミューレン鉄道 Mürrenbahn」と呼ばれている。
*注 Mürren の第1母音は短母音なので「ミュレン」と書くべきだが、スイス政府観光局公式サイトですら「ミューレン」と表記しているのでそれに従う。
鉄道の舞台であるラウターブルンネン谷 Lauterbrunnental は、氷河が造り出した典型的なU字谷だ。谷底にあるラウターブルンネンと、谷のへりに載る山の村ミューレンとの標高差は、およそ840m。これを、ラウターブルンネン~グリュッチュアルプ Grütschalp 間がロープウェー、グリュッチュアルプ~ミューレン間が粘着式鉄道と、2種類のモードの連携で克服している。開通は1891年8月で、当初、前者はロープウェーではなく、ケーブルカーで建設された。少し歴史を追ってみよう。
*注 標高は、ラウターブルンネンBLM駅800m(ロープウェー起点の案内板による。797mとする文献もある)、グリュッチュアルプ駅1486m、ミューレン駅1639m。
ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道 周辺図 © 2014 swisstopo. |
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1880年代、ユングフラウ地域(リュッチーネ川 Lütschine 流域)では、鉄道の建設計画がある種のブームを呈していた。認可を受けた鉄道は次の10年間に続々と完成を見て、現在もある鉄道網がほぼこの時期にできあがった。そのうち最初に開通したのが1890年7月、インターラーケンからラウターブルンネンとグリンデルヴァルトへ延びるベルナー・オーバーラント鉄道 Berner Oberland-Bahnen (BOB) だ。これはリュッチーネ川の谷を遡る路線だが、これを足掛かりにして今度は山を這い上がる観光鉄道が造られていく。BLMもその一つだった。
BLMの第一走者だったケーブルカーは、BOBラウターブルンネン駅の山側にある山麓駅から、標高1486mのグリュッチュアルプまで直線的に上っていた。路線延長は1.42kmで、高度差690mあった。動力は、当時普及していたウォーターバラスト方式が採用された。ウォーターバラスト(水の重り)というのは、釣瓶のように、山上で水を積んだ車両がその重みで下降し、ケーブルにつながれた麓の車両を上昇させる仕組みだ。しかし、作業時間の短縮と車両の大型化に対応するために、1900年代初めに電気運転に切替えられている。
第二走者の山上鉄道は初めから電気運転で計画されたが、これは当時としては大胆な選択だった。先行するBOBはいうまでもなく、少し遅れて1893年に開通したシーニゲ・プラッテ鉄道 Schynige Platte-Bahn も、ヴェンゲルンアルプ鉄道 Wengernalpbahn も蒸気運転だ(下注)。しかし、山上鉄道の場合、蒸気機関車本体は分解して運び上げるとしても、燃料調達を日常的に麓から行うのは現実的でなかっただろう。
*注 ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn だけは地中区間が長いため、最初から電気運転で建設されたが、地上区間(クライネ・シャイデック~アイガーグレッチャー)が開通したのはBLMの7年後の1898年、全通は1912年。
次に検討されたのは蓄電池式電車だ。しかし、当時の蓄電池は耐用年数が短いばかりか、重量で線路を傷めることが懸念されて、見送られた。最終的に架空線方式が採用されたのだが、スイス国内ではまだ珍しく、レマン湖畔ヴヴェーの路面軌道、バーゼル・ラント準州の路面軌道(下注)に次いで、実用化では3番目だった。両路線とも廃止されてしまったので、現在は、BLMが国内最古の粘着式電化鉄道になっている。
*注 前者は正式名ヴヴェー=モントルー=テリテ=シヨン路面軌道 Tramway Vevey—Montreux—Territet—Chillon (VMC) 、1888年5月開通、1952~58年段階的廃止。後者はジサッハ=ゲルターキンデン鉄道 Sissach—Gelterkinden-Bahn (SG)、1891年5月開通、1916年廃止。
ラウターブルンネン村とシュタウプバッハ滝 Staubbachfall WABの車窓から撮影 |
開通式は6月1日に予定されたものの、車両の送達が間に合わなかった。後でようやく届いたものの、試運転中に客車が脱線してひどく損壊し、その影響で別の客車も、運輸当局から安全性に疑念があるとして使用の差止めをくらうなど、さんざんなスタートとなった。とりあえず貨車を人が乗れるように改装して充当した、というのが8月14日開通当日の真相だ。その一方で鉄道の人気は高く、押し寄せる利用者をさばくのに苦労したという。機関車3両と客車が揃って、山上鉄道が完全な形で開通したのは翌1892年5月になってからだった。
ケーブルカーの敷設ルートは、谷の西側に連なる断崖がとぎれた場所をうまく選んでいる。100年以上もそうして運行されてきたが、設計者の誤算があったとすれば、それはこの斜面の一部が地滑り地帯だったことだ。建設以来、地盤が横方向に最大2.5m、下方向に同じく3m以上動いており、BLMはそのつど対策工事を迫られてきた。
ロープウェーなら、地質の安定した場所に支柱を立て、地すべりの恐れがある斜面をまたぎ越すことができる。運行の安全性を担保するために、連邦運輸省はケーブルカーの営業認可を2006年半ばまでとして、転換を促した。ルートは変更せず、駅施設も再利用することにしたため、ケーブルカーの運行は、着工に先立つ2006年4月23日限りで休止となった。工事が完成し、ロープウェーで運行が再開されたのは同年12月16日で、この間8か月あまり、BLMでは、山上鉄道だけが列車本数を削減した臨時ダイヤで動いていた。
ラウターブルンネン~グリュッチュアルプ間の地形図 (上)ケーブルカー時代(地図は1998年版) (下)ロープウェー転換後(同 2006年版) © 2014 swisstopo. |
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私が初めてBLMに乗った1984年には、もちろんケーブルカーが健在だったが、昨年(2013年)8月に再訪したときは、ロープウェーに置き換わっていた。ケーブルカーの路盤はすでに撤去され、痕跡すら定かでなかった。新しいロープウェーのキャビンは、一度に100人を運べる大型のものだ。山麓駅の乗場にはけっこうな行列ができていたのだが、難なく全員が車内に収まった。
ケーブルカーのルートをなぞって斜面を這い上がるので、側窓の眺望は望み薄だろう。そう考えて谷側の窓のほうに寄っていたのだが、実際、針葉樹林が両側に迫ってくるため、視界は縦方向にしか広がらない。その狭いフレームのなかで、谷を隔てた山の中腹に広がるヴェンゲン Wengen の村が目の高さになり、そして眼下に沈んでいった。1台の搬器が往復しているだけですれ違いがないせいもあって、あれよと言う間に山上駅に到着する。ケーブルカーの時代は片道11分(当時の時刻表による)かかっていたが、ロープウェーならわずか4分だ。
(左)ラウターブルンネンBLM駅舎 (右)ロープウェーの大型キャビン |
(左)ロープウェーの車窓から(2013年) (右)旧ケーブルカーの車窓から(1984年) |
グリュッチュアルプでの乗換はスムーズ、と言いたいところだが、夏のシーズン中で利用者が多い。山上鉄道のホームで待っていたのは、1967年製造(1997/98年改造)のBDe 4/4形単行電車。定員が座席56名+立席44名、計100名なので、数字上はロープウェーからの乗換客を収容できるはずだが、大きなバックパックを背負っている人のことは計算に入れているまい。案の定、車内はデッキを含めて、ぎっしり満員御礼の状況になり、運転席の右側の折畳み椅子も、臨時の敬老シートに転用された。予想外の混雑だが、終点までは所要14分なので、少しの辛抱だ。
(左)グリュッチュアルプに到着 (右)山上鉄道に乗換え |
粘着式鉄道は軌間1000mm、斜面を水平に移動しているように見えるが、実態は最急勾配50‰、最小曲線半径40mの、けっこうな山岳路線だ。全長わずか4.3kmの間に、高度150mを上っていく。車窓の眺望はミューレン行きの場合、一方的に左側に開ける。スイスの絶景鉄道は数々あるが、ユングフラウ三山をこれほど近くから良い並びで拝めるというのは、この路線だけが持つアドバンテージだ。
グリュッチュアルプを出ると、まもなく草原が広がる区間があり、左手前方にくだんの雪山が見えてくる。中間地点のヴィンターレック(ヴィンターエック)Winteregg で、対向列車をかわした後、線路は張出し尾根を巻くためにU字谷のへりに最も近づいていく。運転席の後ろにかぶりついていると、まるで雪山に向かって突進しているように錯覚する。線路の左手には高さ700~800mもある大断崖がぱっくりと口を開けているのだが、目の前の雄大な風景に夢中で、足もとのことは誰も気に留めない。
(左)運転台拝見 (右)かなたにヴェンゲンの村とメンリッヒェン |
(左)ヴィンターレックで列車交換(帰路写す) (右)対向列車が下りてくる 右上の目のマークは、フロントガラスに貼られたワンマン運転(乗車券を車内で発売しない)の目印 |
(左)雪山が車窓に迫る (右)遊歩道が線路に沿う |
気がつくと、終点ミューレンが目の前に迫っている。大して乗った気がしないうちに、早やホームに到着だ。駅は村のはずれに位置している。駅前で二手に分かれる道を、左に行くのがメインストリートだ。
大きな木組みの家が立ち並ぶ村の中は、一般車の通行が禁止されている。ぶらぶら歩いて静かな村を通り抜けると、鉄道駅とは反対側のロープウェー乗場に着くだろう。ここから007の展望台シルトホルン Schilthorn に上るもよし、時間がなければ谷底のシュテッヘルベルク Stechelberg へ降り、バスでラウターブルンネンに戻るというコースもとれる。このロープウェーは1967年の全通以来、BLMのライバル的存在だが、BLMのロープウェー転換工事の際には、山上の村にとって貴重な代替交通手段になった。車の入らない村では、両者持ちつ持たれつの関係が成立しているのだ。
(左)終点ミューレンに到着 (右)駅構内にはためくベルン州旗とミューレン村旗 なお、左にいるBe 4/4形31号機は、 2011年1月に運用開始したBLMの新顔(ASmの中古車を改修) |
(左)ミューレン村の「大通り」 一般車は乗入れできない (右)アルメントフーベル Allmendhubel の展望台に上るケーブルカー |
ミューレンの町裏からの眺望 |
この記事は、Florian Inäbnit "Schweizer Bahnen, Berner Oberland" Prellbock Druck & Verlag, 2012、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
■参考サイト
ユングフラウ鉄道公式サイト http://www.jungfrau.ch/
山上鉄道の例
リギ山を巡る鉄道 V-リギ・シャイデック鉄道
リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史
リッテン鉄道 II-ルートを追って
アルトゥスト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー
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