コンターサークル地図の旅-中舞鶴線跡
コンターサークル-S は、地図エッセイスト堀淳一さんが提唱する「地図の旅」を実践してきた会だ。「ありきたりの観光地をまわる『旅行』ではなく、一般には見向きもされないけれどもそれを味わう感性の持主には心が躍り足も踊る、スリル・サスペンス・発見・感動に満ちた場所を、地図で探し、地図を見ながら足で歩く旅」(規約第1条より)。その趣旨に共感する人たちが長年、活動を支えている。
北海道での行事が中心だが、本州編も企画されていて、私は今年、そこへ参加させていただく機会を得た。新米会員なりに見聞きし、感じたことをわずかながらここに記しておきたい。
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2014年5月3日、ゴールデンウィーク後半初日にあたるこの日、私は朝から山陰線(嵯峨野線)の普通列車に揺られていた。目的地は、京都府の日本海側にある舞鶴(まいづる)だ。堀さんが書かれたサークルのおしらせによると、東舞鶴駅12時01分に集合して、中舞鶴線(なかまいづるせん)跡のサイクリングロードを歩くことになっている。参加者の持ち物は、歩くルートが図郭に含まれる1:25,000地形図、今回は「東舞鶴」図幅だ。
東舞鶴駅 |
12時01分というのは、京都始発の特急「まいづる1号」が東舞鶴駅に到着する時刻なのだが、連休中とあって、指定席はすでに満席だった。きっと自由席も混むに違いない。それならのんびりと各駅停車の旅もよかろうと、二条駅から普通列車に乗込んだのだった。
園部からわずか2両のローカル列車に乗継ぎとなるが、ワンマン改造とはいえ221系、かつて新快速で運用されていた転換クロスシート車だから、乗り心地は悪くない。綾部でもう一度乗換えて、東舞鶴には11時47分に着いた。一行よりほんの少し先回りした形だ。
特急が着く時刻、改札から出てきた人波の中に、堀さんの姿があった。事前連絡なしに飛び入り参加したので、まず自己紹介する。「高校時代に『地図のたのしみ』を読んで以来、多大な影響を受けています」と告白したら、堀さんは苦笑しながら一言、「それは悪影響でしたな」。
地図の旅には、参加申込みといった手続きはなく、指定時刻、指定場所に来た人だけで出かける流儀だ。結局、舞鶴に来たのはこの二人だけだった。同行を快諾いただいて、タクシーに乗り込む。行先は、路線の終点だった中舞鶴駅跡だ。
中舞鶴線というのは通称で、正式には舞鶴線の一部を成していた3.4kmの支線だ。かつて海軍の拠点、鎮守府が置かれた舞鶴には、1904(明治37)年に福知山から鉄道が到達した。舞鶴市のサイト(下記)によれば、このとき、内陸にある新舞鶴(現 東舞鶴)駅から余部(あまるべ、後の中舞鶴)にある海軍施設まで、軍港引込線と呼ばれる専用線が敷かれた。大正年間に入ると軍港域での一般通行が制限され、陸路では道芝隧道への迂回を強いられることから、この線路を利用して旅客輸送を行うことになった。これが開設の経緯だ。
路線は1919(大正8)年に開通し、東舞鶴~中舞鶴間で列車が走り始めた。太平洋戦争までは軍事関連の貨客輸送で活況を呈したが、戦後は利用が激減し、ついに1972(昭和47)年10月31日限りで廃止となった。
■参考サイト
舞鶴市公式サイト-舞鶴の活力を支えた中舞鶴線
http://www.city.maizuru.kyoto.jp/modules/kyoikup/index.php?content_id=76
中舞鶴線跡周辺図(原図は1:25,000)に 歩いたルートを加筆 |
中舞鶴線現役時代最後の1:25,000地形図 1972(昭和47)年改測 |
タクシーが停まった中舞鶴駅跡は、車が行き交う国道27号線の南に面したグラウンドの一角だった。静態保存のC58形蒸気機関車が目印になっている。裏側へ回ると、テンダーに来歴が貼ってあった。
113号機として舞鶴線でも活躍した機関車だが、1970(昭和45)年に廃車となり、翌71年に小中学生の生きた教材として国鉄から貸与されたのだそうだ。ナンバープレートはさすがに後付けだが、大きな切妻の屋根に守られて、廃車後40年以上経つとは思えないほど保存状態はいい。運転台やボイラーに上る通路があるので、子どもたちはもとより大人も、遠慮なく近くから観察できる。
駅の遺構は見当たらなかった。あるのは、機関車の前に立てられた駅名標風の案内板だけだ。駅に在籍した職員有志一同の寄贈によるもので、当時の構内配線図や俯瞰写真も刻まれ、在りし日のターミナルの姿を伝えていた。
中舞鶴駅跡のC58形113号機 |
案内板 |
ひととき感傷に浸った後、東舞鶴駅をめざして二人で歩き出す。しばらくは国道の山側(南側)に張り付いたサイクリングロード兼用の歩道が、線路跡のようだ。旧版地形図でも、線路は北吸(きたすい)駅付近まで国道に並行するように書かれているので、跡地整備で国道と一体化されたとしても不思議はない。片や、道路の海側(北側)は海上自衛隊の基地だ。護衛艦が満艦飾で停泊しているのがもの珍しい。きょうは一般公開の日らしく、見学に訪れた人たちが入口で列を作っていた。
この先で、道路と線路跡は小さな岬を3つショートカットする。岬と岬に挟まれた入江には、舞鶴名物になった煉瓦造りの倉庫が林立している。その一角、舞鶴赤れんがパークに中舞鶴線の記念展示があると聞いていたので、堀さんをお誘いして行ってみた。
3号棟まいづる智恵蔵の1階奥がそれだった。中央に、入換に使われていたという小型ディーゼル機関車の実物がでんと置かれて目を引く。だが、それより注目すべきは、昭和20年代の北吸地区を模したというジオラマだ。かつての軍港の広がりを示しているのだが、中舞鶴線にはかわいい列車も走っている。壁面には、沿線の定点比較写真、路線の縦断面図、中舞鶴駅の配線図など、興味深い資料が数々。廃線跡ハイクにはうってつけの展示で楽しめた。
■参考サイト
舞鶴赤れんがパーク http://www.akarenga-park.com/
(左)自転車道が廃線跡 (右)赤れんがパークに寄り道 |
(左)中舞鶴線の記念展示 (右)北吸地区のジオラマ |
記念展示の一部、定点比較写真 |
同 線路縦断面図 |
歩き旅に戻る。線路跡は、市役所の前で右にカーブしながら国道と離れ、インターロッキングで整備された専用道になった。このあたりに北吸駅があったはずだ。線路敷にしては道幅が広いので、「駅の敷地も専用道に取り込んだんでしょうか」と話しながら歩いていく。しかし、駅を過ぎても同じように広いから、かなり余裕をもって敷地が確保されていたのだろう。
行く手を、うっそうと茂る竹藪を載せた小山が遮っている。左カーブを進んでいくと、トンネルが姿を現した。中舞鶴線最大の遺構である北吸トンネルだ。美しいイギリス積みの煉瓦ポータルが、懐古気分をいやがうえにも誘う。ただし、上部の扁額はデザインから言っても、明らかに後世の作だ。「北吸トンネルでなく、~隧道と書いてほしかったですね」と私。内部にはガス灯を模した照明が灯され、登録有形文化財のプレートもある。これほど大事にされるとは、建設当時、誰が想像しただろうか。
(左)北吸駅跡から歩きを再開 (右)カーブを曲がりきると北吸トンネル |
歴史を秘める北吸トンネル (左)西口 (右)東口 |
トンネルを抜けると、再び右へ大きくカーブしていく。つつじの花に彩られた専用道は、舞鶴共済病院の前でぷつりと途切れた。この先は、できたばかりに見える幅広の都市計画道路に吸収されてしまっている。跡形もなく、という形容がぴったりの消え方だ。
地形図に描かれているとおり、中舞鶴線は、ここから直接東舞鶴駅には向かわず、西向きに本線へ合流していた。もとは貨物線なので、京阪神へ直通できる配線が選ばれたのだろう。そのため、東舞鶴駅へ向かう旅客列車は、スイッチバックで駅構内に進入していた。舞鶴線の高架化工事により接続部の痕跡は消失してしまい、今は街路のカーブに跡を残すのみとなっている。
「私はこれで駅へ戻りますが、廃線跡を最後まで見極めたいとお思いならどうぞ」。堀さんのお心遣いはうれしかったが、「地図の旅」を堪能したという思いは私も同じだった。
(左)舞鶴共済病院前がサイクリングロードの終点 (右)その先、線路跡は道路敷地に 左端のカーブする歩道が舞鶴線への合流跡 (舞鶴線車窓から撮影) |
この記事は、宮脇俊三編著「鉄道廃線跡を歩くIV」JTBキャンブックス, 1997, pp.101-103、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
掲載の地図は、国土地理院サイト「地理院地図」、国土地理院発行の2万5千分の1地形図東舞鶴、西舞鶴(いずれも昭和47年改測)を使用したものである。
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