コンターサークル地図の旅-百瀬川扇状地
舞鶴を歩いた翌日5月4日は、滋賀県北西部の高島市へ出かけた。吹く風は爽やかだが、初夏の日差しがまぶしく、ちょっと汗ばむほどの陽気になった。
百瀬川隧道北口 |
コンターサークル-S「地図の旅」本日の目的地は、百瀬川(ももせがわ)扇状地。百瀬川というのは、滋賀・福井県境の野坂山地から流れ出て、琵琶湖の北端近くに注ぐ小河川だ。後で述べる理由で山から大量の土砂を運び出し、山麓に扇を開いた形の堆積地、いわゆる扇状地を造りあげた。模式的な形状から、甲府盆地の京戸川(きょうどがわ)などと並び、地理の教科書に取り上げられることも多い。
加えて扇端では、河床が周囲より高い天井川になっている。横切る道路は橋ならぬトンネルで川底をくぐり抜け、しかも、車道用と歩道用が親子のように並んでいるそうだ。地図の旅には、かなり魅力的なエリアであることは間違いない。
堀さんのおしらせには、湖西線近江今津駅に11時18分集合、車で百瀬川扇状地に移動して、扇頂から扇端に向かって歩く、と書かれていた。持参する地形図は、1:25,000「海津」図幅だ。
百瀬川扇状地付近の地形図(原図は1:25,000)に 歩いたルートを加筆 |
同じ範囲の旧図 1975(昭和50)年修正測量 |
◆
車窓に映える湖の風景を愛でながら、京都から普通電車で約1時間、近江今津に降り立つ。改札前に集まったのは全部で6人。堀さんのほか、地図研究家の今尾さん、30年来の会員である相澤さん、廃道・隧道愛好家(!)の石井さん、廃道と火の見櫓マニア(!)の外山さん、そして私。いずれ劣らぬユニークでパワフルなメンバーだ。
相澤さんと外山さんの車に分乗して、さっそく扇状地へ向けて出発する。今津駅から現地まで6kmほどの距離がある。旧街道から左に折れて、水田の中の一本道を上っていく。山林との境に張り巡らされた獣避けのものものしいフェンスを抜け、百瀬川の河原に突き当たったところで、車を降りた。
本日のメンバー |
若葉萌える季節で、山肌を覆う緑のグラデーションが目に優しい。川の上流に目をやると、何段にも組まれた堰堤から、かなりの幅をもって水が流れ落ちているのが確認できる。「ここは水量がたっぷりありますね」。誰からともなくこの言葉が出たのは、水量が本日観察すべきお題の一つだからだ。
扇状地は砂礫の堆積なので、扇頂では水量が豊富でも、流下する間にどんどん地中に浸透していく。しまいに地表から水流が消失して、涸れ川になってしまう。1975年の旧版地形図(上の地形図参照)では、扇端から約800m下流で涸れ川を表す破線記号に変わっているが、実際にどのあたりで水が消えるのかを、この目で確かめたいと思っている。
扇頂、緑の山肌と水量たっぷりの堰堤 |
右岸の砂利道を、下流へ向かって歩き始めた。林道のようだが、右側(川の反対側)を見ると、数mの落差がある。道は堤防上に載っているのだ。昔はおそらく、大水のたびに濁流が、旧河道を通って扇端の集落を襲っていたのだろう。それで、被害を防ぐために堤防を築いて、集落がない北東方向へ流路を固定させたのだと思われる。地形図で等高線を読み取ると、河床も周囲より高い。絶え間ない砂礫の堆積で、扇状地上ですら天井川と同じ状態になっているようだ。
ところで、この1:25,000「海津」図幅の新刊は、見慣れた図式とはかなり趣きが違う。昨年(2013年)11月から、デジタルデータ(電子国土基本図)からの出力イメージを使用した新図式に切り替わったからだ。多色化やぼかし(陰影)の付加など、相当手が加えられているが、今尾さんは、「地名の階層が無視されているし、新図式には、まだいろいろと改善すべき点があるんですよ」と指摘する。1:25,000の改革は、A1判の折図(1998年~)といい、世界測地系移行に伴う図郭拡大版(2003年~)といい、どれも全国を一巡しないうちに頓挫している。今回の企画は果たして長続きするのだろうか。
少し歩いたところで、草むらに腰を下ろして昼食にした。コンビニで軽食を買ってきている人が多いなか、崎陽軒のシウマイ弁当を開ける今尾さんに、羨望の視線が注がれる。私は、堀さんの著書『誰でも行ける意外な水源・不思議な分水』(東京書籍、1996年)をリュックから取り出した。
実は百瀬川には、ほかにも地形ファンにとって興味深い場所がある。それが、隣の石田川の上流を奪った河川争奪の跡だ。この本には堀さんが、地形の変化で山上の湿原と化した石田川源流域を見に行かれたときのことが記されている。
争奪後、百瀬川は旧 石田川の上流部を激しく侵食していき、谷の出口に土砂をうず高く積み上げた。これが扇状地発達の原因だ。地形図では、山中に多数の砂防堰堤が描かれているが、これも侵食に伴う山腹の崩壊を食い止めるための対策に他ならない。
百瀬川の不思議はまだある。地形図(下の1:50,000地形図参照)で、最上流部に注目していただきたい。通常なら谷が狭まり急傾斜になるところだが、この川は遡るにつれ、等高線の間隔が開いていき、福井県との県境は広い谷間が別の谷で断ち切られた、いわゆる風隙(ふうげき)になっている。どうやら百瀬川自体(あるいは争奪以前の石田川)も、ここで河川争奪に遭ったらしい。
上流にある2か所の河川争奪跡 (1:50,000地形図) |
奪った相手は、若狭湾に注ぐ耳川だ。さらに地形図を追うと、この争奪跡の北の尾根筋に、緩傾斜の鞍部が2か所見いだせる(下の1:25,000地形図の円で囲んだ場所)。百瀬川の谷頭よりいくらか標高が高いので、少なくとも近接している1か所は、耳川の侵食を辛うじて免れた百瀬川か、その支流の旧河道ではないだろうか。
旧河道(?)の残る最上流部 (1:25,000地形図) |
再び歩き出してまもなく、流れはほとんど見えなくなり、扇端から約700mの堰堤(冒頭の新版地形図に位置を記載)で早くも消失してしまった。山から送り出される水量によって消失地点が移動するとはいえ、旧版地形図の描写がほぼ正確であることがこれでわかった。それに比べて新図では、河口まで水が流れているように描かれている。過去の現地調査の成果がきちんと継承されていないのは残念だ。
(左)堤防道路を下流へ向かう (右)流れが消失した堰堤 |
問題が一つ解決したので、次のお題、「120.0mの三角点を探せ」に移る。地形図には、百瀬川の堤防道路の上に120.0の数値を添えた三角点が描かれている。それを実地で探そうというわけだ。堰堤の横なのでわけなく発見できるはずだったが、意外にも見当たらない。あちこち探し回った末、あったのは草むらに隠れていた県の基準点のみ。結局それが、地形図の三角点に代わるものかどうかはわからなかった。
とはいえ、基準点を置くだけあって、このあたりは見晴らしがいい。南東方向は、田園地帯ごしに琵琶湖と竹生島、北は、近辺の観光名所になったマキノのメタセコイヤ並木が望める。展望台でもなんでもない場所だけに、少し得をしたような気分になった。
メタセコイヤ並木を遠望 |
琵琶湖に浮かぶ竹生島 |
右手に国道161号線(湖北バイパス)が近づいてきたところで、道路は堤防から降りていく。本格的な天井川の始まりだ。「水が流れているかどうか見てきます」。廃道探索よろしく、石井さんと外山さんは、生い茂る背丈の高い草をものともせず川の堤を上っていった。
突き当りが県道で、本日の旅の終点、百瀬川隧道がある。トンネルの暗闇というのは、不安や畏怖の念と同時に、冒険心、探究心を掻き立てずにはおかない。このトンネルは長さこそ36mと短いが、河底を潜るという特殊な形態が人を惹きつける。昨日の北吸トンネルより時代が下って、竣工は1925(大正14)年。そのため、ポータルはそっけないコンクリート製だ。隧道名を書いた扁額も、北口は面目を保っているが、南口のそれは雑草に覆われてよく見えない。天井高は3.3m、横幅も十分でなく、内部で車どうし離合するのは困難だ。
これが親トンネルだとすると、子トンネル(歩道トンネル)はどこにあるのだろうか? 見回すとそれは、親から少し間隔を置いた東側に掘られていた。こちらは思い切り小型だ。天井の高さはわずか2m程度、背の高い人なら自然と頭を屈めたくなる。内部は蛍光灯が点っているとはいえ、昼間でも薄暗く、ましてや夜に一人で通るのは勇気が要るだろう。
百瀬川隧道 (左)親トンネル南口(右)右側にあるのが子トンネル |
(左)天井高は大人の背丈ぎりぎり (右)内部 |
(左)子トンネルを示す標識 (右)親トンネル北口 |
百瀬川では今、大規模な改修事業が進行している。1975年の地形図(冒頭の地形図参照)では、北隣の生来川と並行しながら単独で湖に注いでいるが、その後、バイパス建設の際、バイパスの手前に仮の落差工を組んで、生来川へ合流するように流路が変更された。合流した後の川幅も拡張された。現在は、河底トンネルよりさらに上流に落差工を設けて、水を生来川に落とす工事が行われており、それに伴い、トンネルの上はすでに廃河川になっている模様だ。
機能しなくなった天井川は、やがて取崩される運命にある。それと同時に、通行のネックになっている百瀬川隧道も、子トンネルもろとも撤去されてしまうに違いない。車を回すために戻ってくださった相澤さんと外山さんを待つ間、私たちは湖北に残った天井川トンネルの最後の姿を、しっかりと目に焼き付けた。
トンネルの脇で、つがいの(?)ミヤマカワトンボが見送ってくれた |
帰りにメタセコイヤ並木をドライブ |
■参考サイト
百瀬川扇状地&マキノ夢の森 http://www.eonet.ne.jp/~otto/
地元の方が書かれた百瀬川と扇状地に関する情報サイト
地理B問題解答解説
http://blog.goo.ne.jp/morinoizumi22/
「百瀬川の天井川」「百瀬川の扇状地」と題するページに地理的な解説がある
旧道倶楽部-百瀬川隧道
http://www.kyudou.org/KDC/kokoku/momosegawa_00.html
掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図海津(平成25年11月調製および昭和50年修正測量)、駄口(昭和51年修正測量)、熊川(昭和50年修正測量)、三方(昭和53年修正測量)、5万分の1地形図竹生島(昭和47年編集)、熊川(昭和47年編集)、西津(昭和50年編集)、敦賀(昭和50年編集)を使用したものである。
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