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2014年11月16日 (日)

ブリエンツ・ロートホルン鉄道 II-ルートを追って

湖に面したブリューニック線ブリエンツ Brienz 駅から道路をはさんで山側に、伝統的なデザインが目を引くもう一つの駅舎が建っている。ブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz Rothorn Bahn (BRB) の起点駅だ。公式時刻表では、ブリューニック線の駅と区別するために、ブリエンツBRB と記されている。

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山頂ホテル付近から見たロートホルン・クルム駅
 

インターラーケンの宿を朝7時過ぎに出て、ブリューニック線の電車に乗ってここまでやってきた。夜が明ける頃は、まだ周りの山は雲のべールに閉ざされていたが、湖畔を走る間に、天気は予報のとおり見る見る回復していく。波穏やかな湖面に反射する朝の光がとてもまぶしい。

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(左)朝日が湖面に反射する
(右)ブリエンツ駅に到着
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(左)開通当時の概観を残すブリエンツBRB 駅舎
(右)同 出札窓口
 

早い便で到着したので、出札窓口では並ぶどころか、切符を購入したのは私たちたちだけだった。スイスパスを提示すれば運賃は半額になり、往復で大人42フラン(2013年現在、下注)、同伴する15歳未満の子どもは2人まで無料だ。大人用の乗車券は、味気ないプリンタ出力のカードだが、子どもには赤地に蒸機のイラストが入った硬券(運賃無料なので整理券?)をくれる。

*注 私たちが乗った8時36分発(平日の1番列車)にはさらにディスカウントがあり、大人往復31フラン(復路はどの便にも乗れる)だった。

発車20分前には改札が始まった。ホームにはすでに、丸屋根の架かった客車2両と小ぶりの蒸気機関車が入線している。急坂を上るので、セオリーどおり機関車の位置は常に山麓側だ。1本後のブリューニック線列車が着くと、ぞろぞろとこちらの駅に客が流れてきたが、結果的に2両に全員が納まったので、続行便は出なかった。

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(左)カード状の大人用割引乗車券
(中)同 裏面
(右)子ども用硬券はイラスト入り
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(左)出発間近のホーム
(右)枕木方向に簡易シートが並ぶ客車
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ブリエンツ・ロートホルン鉄道周辺図
スイス官製1:50,000地形図インターラーケン Interlaken 図葉の一部を使用
 

BRBは、ブリエンツBRB~ロートホルン・クルム(下注)間7.6kmの登山鉄道で、軌間は800 mm。最急勾配250‰、最小半径60mの険しいルートを全線アプト式ラックレールで上っていく。起点の標高566mに対して終点は標高2244mあり、高度差は1678mに及ぶ。所要時間は、山上方面が55~60分、山麓方面が60~70分だ。

*注 終点の駅名は、スイス公式時刻表の1989年版でブリエンツァー・ロートホルン・クルム Brienzer Rothorn Kulm、同 2013年版ではブリエンツァー・ロートホルン Brienzer Rothorn、現在のBRB公式サイトではロートホルン Rothorn とのみ表記され、一定していない。

甲高い汽笛を合図に、列車は山麓駅を定刻に出発した。山際に残っていた雲もほとんど消えて、頭上は一面の青空だ。列車からの眺めは、大きく2幕に分けることができるだろう。第1幕、すなわち前半はブリエンツの背後に迫る山裾を這い上がる区間で、湖面を見下ろしながら進む。後半第2幕はすり鉢状の谷間をひたすら遡るルートで、乗客の目はじりじりと近づいてくる稜線のほうに注がれる。ゲルトリート Geldried とオーバーシュターフェル Oberstafel の両信号所の前後を除けば、山上に向かって左手が谷で、視界が開ける。

ホームを後にした列車は、同僚機が休む車庫の脇をすり抜け、町裏の扇状地をのっけからぐいぐい上っていく。家並みはすぐに途切れ、湖に注ぐ小川を鉄橋(ヴェレンベルク橋梁 Wellenbergbrücke)で渡ると、斜面の牧場越しに湖面が広がった。左に緩くカーブし、山の斜面に取り付くあたりからは森に入っていく。

短いトンネル(シュヴァルツフルートンネル Schwarzfluhtunnel、長さ19m)をくぐり、右に大きくカーブする。森がいったん開けたところに、最初の信号所ゲルトリート(標高1024m、下注)があった。朝早い便なので対向列車はなく、そのまま通過したが、帰りはここでしばらく停車して、上ってくる列車を待ち合わせた。大樹が影を落とす線路際のベンチではハイキングに来たのか、カップルが1組腰を下ろして湖を眺めていた。乗降を扱わないのがもったいないような魅力的なスポットだ。

*注 地形図では、ゲルトリート信号所のある地点に1019mの標高点が打たれているが、本文では公式サイトの路線図記載の標高を採用した。急斜面なので、測定地点がずれれば5m程度の高低差が生じてもおかしくない。

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(左)左手に車庫を見送る
(右)町の裏手を行く
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(左)ゲルトリート信号所へもう一登り
(右)牧場越しに湖面が広がる
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(左)大樹が影を落とすゲルトリート信号所
(右)信号所を後にして
 

この先は、トンネルが断続する難所だ。まず左に向きを変える途中で、ヘルトトンネル Härdtunnel(長さ119 m)に突入する。続いて3本連続のプランアルプフルートンネル Planalpfluhtunnels(I~IV、計290m)で、切り立つ断崖を縫っていく。荒々しい素掘りの壁面にドラフト音がこだまする。トンネルの間で一瞬、下界のパノラマが見えるというので慌ててシャッターを切ったら、湖と集落と、さっき通ったゲルトリート信号所も写っていた。闇を抜けた後は、いよいよ山懐に吸い込まれていき、中間地点のプランアルプ Planalp 駅(標高1341m)が近づく。

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(左)ヘルトトンネルに突入
(右)轟音が耳をつんざく
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トンネルの間から一瞬下界のパノラマが見える
 

駅に着くと、前の客車から楽器のケースや何かを抱えた若者が何人か降りた。周辺にはベルクハウス(山小屋)をはじめ、コテージが点在しているので、乗降客があるのだ。その間に蒸機はたっぷりと給水を受けて、後半の走りに備える。隣の線路には、山頂から下りてきたばかりの1番列車が待避している。

2013年夏のダイヤ(6月1日~10月20日)では、毎日8往復が運行され、そのほかピーク時の日曜早朝に1往復、水曜に山上方面行き1本の設定がある。隣にいるのはこの早朝便に違いない。きょうは土曜日なのだが、登山鉄道の場合、臨時便はよくあることだ。客車の増結ができないので、利用者が集中すると、列車を続行させたり、間に増発して数をさばく。実際、帰りに乗った11時49分発も、時刻表にはない便だった。

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(左)プランアルプ駅へ進入
(右)若者たちが列車を降りた
 

9時3分にプランアルプを発車、第2幕が始まった。線路は、一面青草に覆われた広く深い谷底を上っていく。牧場小屋で作業にいそしんでいる人がいる。彼も、麓との往復にこの列車を使っているのだろう。やがて築堤でミューリバッハ Mülibach の渓流を渡る。開通当時は橋梁で渡っていたのだが、1941~42年冬の雪崩で流失してしまった。その後しばらくは木組みの橋が架けられ、冬は雪害を避けるために撤去し、春に復元していた。現在の形に改修されたのは1963年のことだ。

S字状に斜面を這って高度を稼いだあとは、大きく右にカーブしたクーマートトンネル Kuhmadtunnel(長さ92m+後補のギャラリー部40m、下注)を抜ける。今しがた通ってきた線路を見下ろしながら、最後の信号所オーバーシュターフェル Oberstafel(標高1828m)を通過。

*注 トンネル名称は現地の標識に従ったが、公式サイトの路線図ではキューマットトンネル Kühmatttunnel、地形図の地名は Chüemad とある。

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(左)急坂でも力強い足取り
(右)今しがた上ってきた線路
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オーバーシュターフェル信号所
(山上から遠望)
 

目の前にロートホルン直下の広い圏谷が立ちはだかっていて、線路は、大きく巻きながらじりじりと上り詰めていく。左手の山腹にこれから通る線路が見え、青空との接線には山頂の建物群を捉えることができる。あそこまで行くのか、と山を登っていることを実感する光景だ。進行方向が北西に変わるころ、竜の背びれを思わせるディレングリント山 Dirrengrind の後ろから、ブリエンツ湖が再び姿を見せ始めた。背後には白銀の山脈がくっきりと浮かび、乗客の興奮は最高潮に達する。

張り出す小尾根にうがたれた2連のショーネックトンネル Schoneggtunnel(37mと133m)で向きを戻すと、間もなく目的地だ。列車は9時31分、約1時間の旅を終えて、標高2244mの山上駅ロートホルン・クルムに到着した。周りにはシェルターのような駅舎と簡易な車庫しかなく、休憩できる山頂ホテルまでは少し距離がある。

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(左)いよいよ山頂が視界に
(右)圏谷を大きく巻いていく
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(左)竜の背びれのような山の向こうに湖が
(右)最後のトンネルで半回転
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(左)ロートホルン・クルムに到着
(右)シェルターのような駅舎
 

いささか殺風景な待合室に入ってみたら、わが国の大井川鉄道と結んだ姉妹鉄道の銘板が掲げてあった。1992年、BRB開通100周年を記念して作られたもののようだ。頭上には両国の国旗も並ぶ。前回記したブリエンツ村と(旧)金谷町の提携も、2つの鉄道が取り持つ縁で実現したものだ。日本人観光客が大挙してスイスを訪れた時代はほぼ過去のものになったが、今でもこうしてアルプスの一角に両国の深い関係が刻まれているのは喜ばしい。

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(左)山上駅にある姉妹鉄道の記念プレート
(右)スイスと日本の国旗も
 

乗車中から気づいていたのだが、駅のすぐ西にある尾根の先に、シュタインボック Steinbock(英語ではアイベックス Ibex)の群れがいた。ヤギの仲間だが、アルペンホルンのような立派な2本の角をもっている。自治体の紋章のモチーフにも用いられるアルプスのシンボル的動物だ。餌付けされているのではなく、野生の群れがときどきこうして現れるのだという。列車を降りた人たちがカメラを構えて見守る間も、彼らは悠然と草をはみ続け、少し目を離しているうちに姿を消した。

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(左)人々が見つめる尾根の先に...
(右)野生のシュタインボックの群れ
 

空はみごとに晴れ渡り、雨上がりのため視界も良好だ。足もとには緑のアルプ、その奥にブリエンツ湖の水面、目を上げればユングフラウ三山をはじめ、アルプス本体の山並みが広がる。道草しなければ、15分で山頂に到達するところ、立ち止まって写真を撮らずにはいられない。標高2350mの山頂に上りきると、それまで隠れていた東側を含め、遮るもののない360度の展望が開けた。この景色を多くの人に見てもらおうと、登山鉄道を守り続けた地域の人々のことをふと思い出した。

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(左)ロートホルン山頂
(右)ユングフラウ三山の眺め
  左からアイガー、メンヒ、ユングフラウ
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山頂ホテル前からのパノラマ
圏谷の先にブリエンツ湖、雪を戴くアルプス連峰
 

この記事は、Florian Inäbnit "Schweizer Bahnen, Berner Oberland" Prellbock Druck & Verlag, 2012、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
使用した地形図の著作権表示 (c) 2014 swisstopo.

■参考サイト
BRB公式サイト http://www.brienz-rothorn-bahn.ch/
ブリエンツ自治体公式サイト http://www.brienz.ch/
狭軌鉄道ヨーロッパ(ファンサイト)http://www.schmalspur-europa.at/

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