リギ山を巡る鉄道 V-リギ・シャイデック鉄道
リギ・シャイデック鉄道 Rigi-Scheidegg Bahn
リギ・カルトバート Rigi Kaltbad ~リギ・シャイデック Rigi Scheidegg 間 6.7km
軌間1000mm、非電化
1874~75年開通、1931年廃止
沿線フィルスト付近からの眺望 © Rigi Bahnen AG |
◆
かつてリギ山には、VRBとARB(下注)の2本の登山鉄道以外に、もう1本別の鉄道が存在した。名称はリギ・カルトバート・シャイデック鉄道 Rigi-Kaltbad-Scheidegg-Bahn、略してリギ・シャイデック鉄道 Rigi-Scheidegg Bahn(以下、RSB)。リギ・カルトバート Rigi Kaltbad とリギ・シャイデック Rigi Scheidegg を結ぶメーターゲージ、粘着式の路線で、廃止されるまで蒸気機関車で運行されていた。登山鉄道のように山麓と山頂の間を行き来するのではなく、終始山の稜線を行くのどかな「山上鉄道」だった。
*注 VRBはフィッツナウ・リギ鉄道 Vitznau-Rigi-Bahn、ARBはアルト・リギ鉄道 Arth-Rigi-Bahn の略称。
リギ山の主たる尾根筋は、北西から南東にかけて長く伸びている。山頂リギ・クルム Rigi Kulm に上れば確かにアルプスのすばらしい展望が開けるのだが、この尾根筋が前に横たわっているため、足もとにあるフィーアヴァルトシュテッテ湖の本体部分はほとんど隠れてしまう。それで、湖の眺めがよい主尾根の南面もつとに人気があり、観光開発が進められた。鉱泉が湧き出るカルトバート Kaltbad、フィルスト First、そして南東端に近いシャイデック Scheidegg にも立派なホテルが建設されていたのだ。
RSBは、これらのスポットを結ぶ路線として企画された。運営会社の出資者には、VRBをはじめ、沿線のホテル経営会社が名を連ねた。開通は2期に分けられ、リギ・カルトバート~フィルスト間が1874年7月、残りの区間は土工量が多く、1875年6月になった。とはいえ全線開通はVRBのわずか2年後、ARBとほぼ同時であり、リギ山を巡るこれらの鉄道網が極めて短期間に形成されたことに驚かされる。それほど観光地としての注目度が高かったということだろう。
「スイスの廃止路線」(下記参考サイト)の記述を参考に、景色のよさではベルナーオーバーラントにあるラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道 Bergbahn Lauterbrunnen–Mürren (BLM) に比肩すると言われたルートを追ってみよう(下の地形図も参照)。
*注 ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道については、本ブログ「ミューレン鉄道(ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道)」で詳述。
起点リギ・カルトバートは標高1453m、 VRBの駅の東側、ラック線に対してほぼ直角に設置されていた。小さな駅舎のそばに、機関車と客車の車庫もあった。列車はまず、フィーアヴァルトシュテッテ湖の素晴らしい眺めを見ながら山の南西斜面を進み、大きなホテルのあるリギ・フィルスト Rigi First に達する。ここは小さな鞍部になっていて、線路は北東斜面に移る。
リギ・フィルスト付近(当時の絵葉書) image from http://www.drehscheibe-online.de/ |
等高線に沿って進むと、下方に北麓にあるラウエルツ湖が眺められる。やがて、繊細な橋脚の上で曲線を描くウンターシュテッテン鉄橋 Metallbrücke von Unterstetten が現れる。沿線一番の見どころだ。標高は1440mで、最も低い地点でもある。この後、線路は最急勾配50‰のある長い上り坂にかかり、いくつかのカーブの途中には唯一の短いトンネルもある。
ウンターシュテッテン鉄橋(当時の絵葉書) image from http://www.drehscheibe-online.de/ |
トンネルを抜けると、いよいよ左手にシャイデックの頂上が姿を現す。ドッセ山 Dosse(下注)の東側で、線路は再び南西斜面に移り、終点までこの山腹を進んでいく。カルトバートから約40分の旅を終え、列車は、標高1607mの終点シャイデックに到着する。ここには小さな駅舎と車庫があり、駅の上手には巨大なホテル施設がそびえていた。
*注 この標高1685mの山は、地形図で長らくドッセン Dossen と表記されてきたが、現行図ではドッセ Dosse になっている。
他に連絡する交通機関を持たないRSBは、事実上VRBの支線であり、VRBがその運営に深く関わった。線路や車両等の施設設備はRSBが所有していたが、当初から運行管理はVRBに委託されていた。この関係は1892年にいったん終了して、自社運行に移行するが、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、事情は一変する。
国外からの旅行者数が激減したため、スイスの観光業は大打撃を受けた。追い打ちをかけるように、輸入に依存している石炭の価格が6~7倍にも高騰し、蒸気運転の鉄道を苦しめた。RSBも単体での経営が難しくなったため、VRBは1915~16年に、沿線のホテル会社の所有株式を引受けて、RSBを子会社化した。さらに翌年、RSBの業務を受託する形で、VRBが実質的に運行するようになった。
戦争が終わり、持ち直すかに見えた利用者数は、1929年の世界恐慌により再び減少した。線路や車両の更新に充てるべき資金は常に不足していた。検査に入った連邦郵政・鉄道省は、設備が劣悪な状態で安全性が保たれないとして、RSBに対し、1931年9月20日限りで運行を中止するよう命じた。
その後、1934年に夏の3か月だけ、カルトバート~フィルスト間で列車が運行されたことがあった。VRBとしては、ウンターシュテッテン以遠の線路を売却し、その資金でこの区間だけを電化したうえ再開するつもりだったようだ。しかし、計画が実現することはついになかった。1942年、放置されていた線路は他に転用され、2両の蒸機も解体されて、RSBは完全に過去の記憶となってしまった。
廃線跡は現在、ハイキングルートとして整備され、リギ・パノラマヴェーク Rigi-Panoramaweg(ヴェーク weg は小道の意)と呼ばれている。VRBのリギ・カルトバート駅からシャイデックまで2時間足らずの一般向けコースだ(下注)。沿線には、ウンターシュテッテンの華奢な鉄橋とトンネル、さらに客車1両がコテージに転用されて残っていて、在りし日の山上鉄道をしのぶことができる。
*注 ARBを利用する場合は、リギ・ヴェルフェルチェン・フィルスト Rigi Wölfertschen-First またはリギ・クレステルリ Rigi Klösterli で下車して、フィルストへアプローチする。
現在のウンターシュテッテン鉄橋 © Rigi Bahnen AG |
馬の背地形を渡るため、湖が一望になる © Rigi Bahnen AG |
RSB廃止後、リギ・シャイデックには、1953年に北麓ARBのクレーベル Kräbel 駅からロープウェーが建設された(クレーベル=リギ・シャイデック ロープウェー Luftseilbahn Kräbel–Rigi-Scheidegg)。パノラマヴェークを歩いた後は、このルートを使って下界に下りること(または逆コース)が可能だ。
■参考サイト
スイスの廃止路線-リギ・シャイデック鉄道
Eingestellte Bahnen der Schweiz - Rigi-Scheidegg Bahn (RSB)
https://eingestellte-bahnen.ch/rigi-scheidegg-bahn-rsb/
スイスのハイキングルート-リギ・パノラマヴェーク
SwitzerlandMobility - 848 Rigi-Panoramaweg
https://schweizmobil.ch/en/hiking-in-switzerland/route-848
本稿は、Florian Inäbnit "Rigi-Bahnen, Zahnradbahn Arth-Rigi" Prellbock, 2000、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
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