リギ山を巡る鉄道 III-アルト・リギ鉄道
アルト・リギ鉄道 Arth-Rigi-Bahn (ARB)
アルト・ゴルダウ Arth Goldau ~リギ・クルム Rigi Kulm 間8.55km
軌間1435mm、直流1500V電化、リッゲンバッハ式ラック鉄道、最急勾配200‰
1875年開業、1907年電化
![]() ゴルダウの教会前を行く旧型客車 |
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フィッツナウ・リギ鉄道 Vitznau-Rigi-Bahn(以下VRBという)と並んで、観光客をリギ山頂へ運び上げているのが、アルト・リギ鉄道 Arth-Rigi-Bahn(以下ARBという)だ。南斜面からアプローチするVRBに対して、ARBは東の谷間を上ってくる。現在はSBB(スイス連邦鉄道)のアルト・ゴルダウ Arth-Goldau 駅が起点になっているが、かつてはさらに北西へ3km下ったアルト Arth の町から出ていた。アルト・リギ鉄道という名称もそこに由来している。
ともにリッゲンバッハ式のラックレールを使用し、軌間(1435mm)、電化方式(直流1500V)も同じと、まるで双子のような両線だが、経営が統合されたのは1992年で、たかだか20数年前のことだ。それまで実に117年間、両鉄道はライバルの関係にあった。
前回述べたように、山頂リギ・クルム Rigi Kulm への路線申請は、両鉄道の競合になったが、シュヴィーツ州は最終的に、自州のアルト市民が設立したARBのほうに認可を与えた。そのため、VRBのクルム延長は、ARBが施設を造り、VRBがそれを賃借するという形で実現した。
それと並行してARBは、自らの路線建設計画も進めていた。こちらは1874年秋にアルトで起工され、翌年1月にまず、アルト(後にアルト・アム・ゼー Arth am See)~オーバーアルト Oberarth 間のいわゆる「山麓線 Talbahn(下注)」1.4kmが完成している。最急勾配23‰、通常のレール(粘着式)を使う区間だ。
![]() 並走区間(リギ・シュタッフェル~リギ・クルム)の地図表現 複線の記号を使わず、単線記号を並列させている 1:25,000 Rigi, © 2014 swisstopo |
オーバーアルトから先はラックレールを用いたので、「登山線 Bergbahn」と呼ばれた。最急勾配200‰、リッゲンバッハのラック専用蒸機が活躍する舞台だ。VRBと合流するシュタッフェル Staffel からは線路を共用する計画だったが、VRBが専用線化を主張したため、クルムまで並行する独自の線路を建設することになった。
こうした経緯で、両線は山上で隣接しているにもかかわらず、線路は接続しておらず、車両のやりとりが必要なときは遷車台(トラバーサー)を用いていた。現在シュタッフェルにある渡り線は、1990年に初めて設けられたものだ。ちなみに、シュタッフェルとクルムの共用駅舎も、経営統合されるまで出札は別々だった。
ARBは、VRBの開通に遅れることわずか2年、1875年6月にアルト~リギ・クルム間全線11.2kmを完成させ、開通式を挙行した。山麓線と登山線の間で行われる機関車の付替えを含めて、山頂までの所要時間は1時間半だった。2本の登山鉄道が競い合ったことで、リギ山はたちまち日帰り可能な観光地として一般化していった。
![]() 湖に面するアルト市街 SBB線の列車から遠望 |
ところで、VRBはなぜアルトを起点にしたのだろうか。それはこの時代、アルトの周辺にはまだ幹線鉄道がなく、遠方との交通をツーク湖 Zuger See に依存していたからだ(下図参照)。湖の北東岸にあるツーク Zug の町までは1864年にチューリッヒから鉄道が通じていたので(下注)、そこからアルトへ蒸気船が連絡していた。アルトの船着場前は、必然的に駅の最適地だった。
*注 チューリッヒ・ツーク・ルツェルン鉄道 Zürich-Zug-Luzern-Bahn が、1864年にチューリッヒ・アルトシュテッテン Zürich Altstetten ~ツークおよびルツェルン間を開通させた。この路線は、タールヴィール Thalwil 経由ではなく、アフォルテルン・アム・アルビス Affoltern am Albis を通るものだ。現在はチューリッヒSバーンに組み込まれ、9系統と15系統が設定されている。
![]() ARB開通当時の地形図 幹線鉄道はまだ到達していない (アルトはArtと綴られている) 1:100,000 Dufourkarte #8, 1879.© 2014 swisstopo |
![]() 上図と同じエリアの現行地形図 山麓線(アルト~アルト・ゴルダウ)は消えて久しい 1:100,000 Beromünster, 2007. © 2014 swisstopo |
チューリッヒ方面からであれば、アルト経由のほうが時間的に有利だ。しかしツークへ通じた鉄道はルツェルンにも路線を延ばしていたため、早く手を打たなければ、登山客がルツェルン経由でVRBへ回る恐れが多分にあった。
一方その頃、アルプスを縦貫するゴットハルト鉄道 Gotthardbahn の建設が一部で着手されており、ルートはアルト付近を通るとされていた。イタリアに通じる大動脈と接続すれば、集客力は一気に高まるはずだ。この鉄道は1882年に開通するのだが、それを待つことなくARBの建設を急いだのは、ライバルの進出という差し迫った理由があったためだ。
しかし、先行して造ったがために、ARBのルートはその後、ゴットハルト鉄道側の事情によって2度にわたって変更を余儀なくされることになる。このいきさつは次回詳述するが、小規模路線にとって、線路移設を伴う改修費用の捻出は決して容易なことではない。とはいえ、幹線との接続を無視しては経営が成り立たず、最後は決定に従うより方法がなかった。
1897年6月に行われた2度目の移設で、山麓線と登山線は完全に分離された。山麓線はアルト・ゴルダウの新しい駅前広場から、一方、登山線は同駅構内をまたぐ形で設けられた高架ホーム(ホッホペローン Hochperron、下注)から出発するようになった。路線長も変わり、山麓線が3.0km、登山線は8.6kmとなった。
*注 ペローン Perron は玄関前の階段を意味するフランス語から転じて、(一段高くなった)乗り場を意味する。
![]() かつてのホッホペローン(2010年) Photo by Mike Knell at flickr.com. License: CC BY 2.0 |
ARBは、VRBに比べて路線が長く、観光鉄道にしては車窓の魅力が乏しいなど、最初から不利な条件を背負っていた。ゴットハルト鉄道が完成すると、年間利用者数は倍増したが、それでもVRBの実績を上回ることはついになかった。
その代わりに、VRBから入る山上区間の賃貸料が、多いときには総収入の3割にも上った。この資金を投じて電化工事が進められ、山麓線は1906年、登山線も1907年に蒸気運転を切り替えた。これはスイスの登山鉄道ではかなり早い事例で、片やVRBが電化されたのは、ようやく1937年のことだ。
*注 ARBの先行例としてゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn のクライネ・シャイデック~アイガーグレッチャー間(いずれも1898年)があるが、これらは最初から電化鉄道として建設されている。
![]() 最古の電動車BDhe 2/3形 6号機 © Rigi Bahnen AG |
開通から140年、登山線は変わることなく運行されてきたが、山麓線は1959年に惜しくも廃止されてしまった。利用者数が減少し、老朽車両を更新する費用が賄えないことが理由とされた。運行はバスで代行され、廃線跡はすでに遊歩道などへ姿を変えている(下注)。
*注 山麓線のプロフィールについては、次回「リギ山を巡る鉄道 IV-アルト・リギ鉄道山麓線」で詳述する。
![]() |
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それではARBの電車に乗って、リギ・クルムからアルト・ゴルダウへ降りていこう。リギ・クルムのホームには、VRB とARBの電車が仲良く停まっている。誤乗のないように、真っ赤な車体のVRBに対して、ARBは青色だ。それに、VRBは電動車の前に優雅なスタイルの古典客車が連結されたりするが、ARBのほうは至って飾り気のない電動車の2両編成だ。乗った時間帯によるのかもしれないが、醸し出す雰囲気が違う。乗り込んだARBの車内は空いていた。運転士と車掌はどちらも若い女性だ。
![]() ARBの青い列車がリギ・クルムに到着 |
![]() 降車が終了すると 折返しアルト・ゴルダウ行きに |
![]() (左)電動車の運転台 (右)車内は至って簡素 |
次のリギ・シュタッフェル Rigi Staffel まで、VRB線が右に並走する。線路脇の一段高いところに登山道が続いていて、見晴らしがいいので多くの人が散策している。シュタッフェル駅のARB線は1962年の改修で、列車交換が可能な島式2線になった。VRBも同じく2線あるが、片側がARBへの渡り線のため、通常の列車交換用ではない。VRBの列車交換は、1874年に完成したフライベルゲン Freibergen ~カルトバート Kaltbad の複線区間で行われる。
![]() リギ・シュタッフェル駅に進入 VRB線は直進、ARB線は右へ |
![]() これから正面の谷を下っていく |
シュタッフェルを出るとVRB線と分かれ、線路は緑の谷間をずんずん下っていく。左の車窓には、森の木立を通して谷の向い側の急斜面が広がる。山頂のホテルと電波塔も、長い間見えていた。全線で6駅(または停留所)が設けられているが、うち4か所はリクエストストップのため、必ず停車するのはシュタッフェルのほかに、リギ・クレステルリKlösterliだけだ。ここは1689年に献堂された「雪のマリア巡礼礼拝堂 Wallfahrtskapelle "Maria zum Schnee"」の最寄り駅になっている。
谷はさらに深まり、列車は岩場と森の間を潜り抜けていく。見晴しが開けるのは、行程も終盤になり、2つ目の短いトンネル(ローテンフルートンネル Rothenfluhtunnel)を過ぎてからだ。眼下にゴルダウの町や駅の構内が広がり、遠くにラウエルツ湖も望めるようになる。線路はまもなく山裾に取り付き、牧草地の中を滑走するかのように下降する。高速道A4号線を乗り越えると、まもなく終点アルト・ゴルダウ Arth-Goldau だ。山頂からの所要時間は41~48分(上りは37~39分)。
![]() アルト・ゴルダウ駅(右端)が見えてきた |
![]() (左)クレーベル駅はリクエストストップ (右)牧草地を滑り降りる |
現在、ARBのアルト・ゴルダウ駅では、3度目となる大規模改修が実施されている。高架ホームの老朽化対策として、乗降ホームが山手に移設されるとともに2線化され、旧高架ホームはそこへ通じる歩行者用跨線橋になる予定だ。
私たちが訪れた時も工事中で、列車は駅の手前150mにある仮設の「ゴルダウ Goldau」駅止まりだった(下注)。実は駅名が示すとおり、この付近が街道沿いの旧ゴルダウ村の中心で、すぐ近くに村の教会がそびえている。SBBへ乗継ぐ客は、村の道を300mほど歩き、構内を地下道で横断するという、時ならぬ徒歩連絡を強いられた。この改修工事の完了時期はまだ示されていない。
*注 時刻表では駅名がゴルダウ・アイヒマット Goldau Eichmatt と表示されている。
![]() ゴルダウ仮設駅 |
![]() (左)暫定の終点 (右)下車客は歩いてSBBの駅へ向かう |
![]() (左)ターミナルの新しいホームが完成間近 (右)車庫の遷車台(トラバーサー)も改修済 |
![]() 使用停止中のホッホペローン(高架ホーム) |
![]() 新ターミナルの図面 |
【追記 2024.9.29】
ARBアルト・ゴルダウ駅の改修工事が完成し、2017年7月から供用が再開された。従来の高架ホーム(ホッホペローン)は通路 兼 出札・売店スペースとなり、電車は、山手に移設された1面2線の新しいホームに発着している。
![]() 改装された塔屋と旧 高架ホーム (2024年7月撮影、以下同じ) |
![]() (左)塔屋内部の展示 (右)旧ホームは通路と出札・売店スペースに |
![]() (左)新ホーム側から見た旧ホーム出入口 (右)新ホームは1面2線に |
次回は、今はなきアルト・リギ鉄道山麓線について詳述する。
本稿は、Florian Inäbnit "Rigi-Bahnen, Zahnradbahn Arth-Rigi" Prellbock, 2000、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
■参考サイト
リギ鉄道公式サイト http://www.rigi.ch/
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