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2014年3月24日 (月)

フルカ山岳蒸気鉄道 II-復興の道のり

新トンネルの開通で放棄されたフルカ峠越えの路線が、蒸機運転の保存鉄道として全線復興するまでには、長い道のりがあった。1981年から2010年まで約20年の歩みをかいつまんで紹介しておこう。

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シュタインシュターフェル高架橋 Steinstafelviadukt を渡る蒸気列車
Photo from www.dfb.ch

当初、旧線の施設はできるだけ早く撤去して、線路跡を道路として再利用する予定だった。手始めに、東口のレアルプ Realp 駅構内で、旧線との接続部が切断された。基底トンネルで自動車陸送 Autoverlad(下注)を行うに当たり、車両の進入をスムーズにするためだった。ほかはとりあえず現状のまま年を越したものの、翌夏から、踏切のラックレールの取り外しや、道路改修に伴う線路の切断が実施されていった。

*注 自動車陸送(アウトフェアラート)は、特定の区間で自動車を専用貨車に載せて輸送するシステム。いわばカーフェリーの陸上版。スイスではフルカ越えのほか、レッチュベルク Lötschberg、シンプロン Simplon、アルブラ Albula、フェライナ Vereina など各地のアルプス横断ルートで実施されている。

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フルカ山岳蒸気鉄道(DFB)と周辺の鉄道路線
赤線が DFB線
 

山岳線を残して観光に活用すべきだという声はもとからあった。しかし、連邦政府は施設の劣化を理由に、また路線の所有者であるフルカ・オーバーアルプ鉄道 Furka-Oberalp-Bahn(以下、FO)も新線と並行することを理由に、消極的な姿勢を崩さなかった。それに対して、ルツェルン鉄道博物館に集う愛好家たちが、委員会を組織して活動を始める。彼らの目標は、撤去の中止と蒸気機関車による運行再開で、この主張は新聞の報道によって、広く一般市民の共感を呼んだ。

1983年8月6日にグレッチュ Gletsch で決起集会が開かれ、12月には、保存運動の母体となるフルカ山岳線協会 Verein Furka-Bergstrecke (VFB) の設立に漕ぎつけた。協会はさっそくFOと交渉に入り、1984年7月に、FOが撤去の方針を撤回し、協会は復旧作業に着手することで合意に達した。ただし、路線再建に失敗した場合は、撤去の遅れで生じた損害をFOに補償することになっており、協会にとっても大きな決断を伴うものだった。

展示会や講演会、あるいはメディアを通じて活発な募金活動が行われる一方、沿線ではボランティアが線路の補修に従事し始めた。ところが、州政府は愛好家団体による運営に不安を抱き、保証能力のある代表者を求めてきた。そこで1985年に、株式会社組織のフルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke AG (DFB AG) が設立される。こうして協会が路線運営のためのボランティアや資金を提供し、株式会社が連邦の正式認可を受けて運行主体となるという関係ができあがった。

なお、後年(2005年)、グレッチュ~オーバーヴァルト Oberwald 間の復旧に際して、基金の運営に当たるフルカ山岳線財団 Stiftung Furka-Bergstrecke (SFB) が設立され、現在はこの財団と協会、株式会社の3者がフルカ山岳線を支えている。

路線再開にはさまざまな課題があったが、中でも特記すべきはラック式・粘着式併用の蒸気機関車の調達だ。まず白羽の矢が立ったのは、旧フィスプ=ツェルマット鉄道 Visp-Zermatt-Bahn (VZ) 所有のHG 2/3形だった。1965年に廃車となり、クール Chur のとある学校の校庭に展示されていたが、1989年に整備が完了した。「ヴァイスホルン Weisshorn」号と命名され、第1期開業時(レアルプ~ティーフェンバッハ Tiefenbach)の運行を支えた。

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機回し中の HG 3/4形 1号機
 

一方、かつてフルカ峠を走ったHG 3/4形10両(1~10号機)は、すべて姿を消していた。1947年にベトナムに渡った4両以外はスイスに残ったのだが、5、6、7号機は後に解体されてしまい、10号機は雪崩に巻き込まれて廃車となった。現存するのは、ブロネー=シャンビー保存鉄道 Museumsbahn Blonay-Chamby で稼働中の3号機と、ブリークで静態展示されている4号機だけだった。

ベトナムの4両(1、2、8、9号機)については、今も現地に放置されているという噂があった。4両の赴任先は、避暑地ダラット Dalat へ上っていたラック式鉄道(下注)だが、ベトナム戦争で線路が寸断されて運行不能になった。さらに停戦後、幹線の復旧を優先させるために路線の資材が撤去され、転用されてしまった。

*注 このダラット・タップチャム鉄道 Da Lat - Thap Cham Railway については、本ブログ「ベトナム ダラットのラック式鉄道」に詳述。

協会は、現地の関係機関に照会の文書を送ったが、消息は明らかにならなかった。ところが、1985年にベトナムから帰国した地震学者マイヤー=ローザ博士 Dr. Dieter Meyer-Rosa が提供した写真が、噂の実態を証明する。機関車はスクラップにされることなく、ダラットで眠っていたのだ。1988年6月に2人の調査員が現地に赴き、改めて調査を実施した。その結果、HG 3/4形を含めて過去にスイスとドイツから送られた13両のうち、8両の所在が判明した。ただ、改修可能なものは4両のみで、残りは大破していたため、部品の供給源とされた。

あの戦争をかいくぐり、奇跡的に生き延びた機関車を故郷へ帰還させたい。「スイスへ帰ろう Back to Switzerland」と題された運動が、大きな盛り上がりを見せた。ベトナム政府当局との長期にわたる粘り強い交渉の末、1990年4月にようやく、機関車4両を含む購入契約がまとまった。輸送作業と経費はすべて協会側が負担することになっていた。しかし、問題はそれからだった。

ダラットは、標高1500m前後もある高原上の町だ。鉄道の駅があるタップチャムは平地で標高わずか26m、この高低差に加えて距離も108kmある。先述のとおり線路はすでになく、羊腸の山道を下るしか方法がなかった。作業チームは8月9日から、ロシア製トラック2台とスイスから持ち込んだ16輪のトレーラーを使って仕事にとりかかった。

機関車は1両ずつ山麓のソンファまで降ろし、また次を取りに戻るという繰返しだ。雨季で道はすぐにぬかるむし、橋には重量制限がかかっており、行政当局は無謀な計画に怒って通行妨害に出た。それでも考えうる限りの対策を講じながら、どうにか10日以内に移送を終えることに成功する。残りは平坦な道だが、途中の渡河地点では、古い鉄道橋に改めて線路を敷いて機関車を渡す必要があった。タップチャム駅からは、サイゴン(ホーチミン市)の軍港へ向かうベトナム国鉄の特別列車に輸送を託した。

こうして港にたどり着いた総重量250トンの貨物は、9月20日にドイツの貨物船に積み込まれ、43年間過ごした異国を後にした。40日余りの航海を経てハンブルク港に到着し、今度はドイツ連邦鉄道の貨車に載せられ、故郷へと運ばれた。1990年11月3日、「スイスへ帰ろう」運動の成果を示す催しが、ルツェルンの鉄道博物館で開催された。ベトナム帰りの機関車は、支持者たちの前で誇らしげに公開されたのだった。

この時帰還したHG3/4形1号機と9号機は、その後ドイツのマイニンゲン Meiningen にある整備工場へ移され、旧2号機の部品で補いながら修復を受けた。そして1号機「フルカホルン Furkahorn」は1993年6月から、9号機「グレッチュホルン Gletschhorn」は同年8月から、再びフルカ山岳線で走り始めた(下注)。

*注 このほか、ブリークのHG3/4形4号機も修復を受けて、2007年に現役復帰した。

■参考サイト
Aktion «Back to Switzerland» https://www.dfb.ch/index.php?id=337

着々と旧線の改修を進めていたフルカ山岳蒸気鉄道に対し、1990年3月に連邦政府から鉄道事業の認可が下りる。最初に開通したのはレアルプ~ティーフェンバッハ間3.7kmで、1992年7月11日から運行が始まった。翌93年7月には、峠のトンネルの東口にあるフルカ Furka まで3.3kmが延長された。

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地形図で見るレアルプ Realp 周辺の線路の変遷
(左から)
1.旧線の現役時代 (地図は1965年版)
2.基底トンネルの開通で、旧線は切断され休止 (1986年版)
3.DFBとして復活し、1552m標高点付近に基地設置 (1993年版)
4.線路が北へ延長され、現在の起点駅新設 (1999年版)
1:25,000 Urseren, © 2014 swisstopo https://www.swisstopo.admin.ch/
 

次のフルカ~グレッチュ間5.9kmの再開は、1996年を目標にしていた。しかし、解決すべき課題が多く、最終的に2000年7月までずれ込んでいる。

最大の難関は、峠を貫くフルカトンネルだった。長さが1874m(下注)あり、建設から80年が経過しているため、使用に耐えうるかどうかは蒸気鉄道の将来を大きく左右した。1986年に行われた調査で、霜の作用による浮上がりやモルタルの剥離が見られるものの、全体の強度は保たれていると診断された。1998年からの修復作業は、全長の半分、約900mにも及んだ。

*注 トンネルの長さは、1915年の貫通時には1853mだったが、1925年のポータル延長工事で1874mになった。

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フルカ峠トンネル東口
 

さらに、トンネルを出てグレッチュへ降りる途中にあるフルカ峠道路との交差個所も難題だった。もとは踏切だったが、鉄道休止中に線路敷を一部削って道路が整備されたため、そのままでは線路を復元できなかったのだ。望ましいのは立体交差だが、多額の工費が必要になる。

行政当局との協議で、平面交差にはするものの、ラックレールを設けないことになった。ラックレールは通常のレール面より高いため、道路面にハンプ(突起部)が生じ、特に二輪車の通行には危険を伴うからだ。その代わり、踏切の周辺で線路の勾配を若干強めておき(110‰→118‰)、交差部では粘着式(=ラックレール不使用)の30‰勾配で通す工事を実施した。遮断機の設置は、列車本数が少ないため免除された。

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フルカ峠道路との交差
「E」はラック区間終了、「A」は同 開始を表す標識
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地形図で見るフルカ峠道路踏切の線路の変遷
(上から)
1.旧線の現役時代。交差部では線路が直線、道路はカーブ(地図は1965年版)
2.旧線休止後、道路が改修され直線化(1980~81年版)
3.DFB復活後、線路はカーブ、道路は直線のまま(1999年版)
1:25,000 Urseren, Val Bedretto, © 2014 swisstopo https://www.swisstopo.admin.ch/
 

グレッチュへの延長は、蒸気鉄道にとって一つの到達点だった。フルカ駅止まりの時代、利用者は起点レアルプに戻るしか選択肢がなかったが、グレッチュなら、グリムゼル峠 Grimselpass やヌーフェネン峠 Nufenenpass を経由するポストバスや観光バスとの連絡で、行動圏を一気に拡大できる。当然、営業的な貢献も大きい。

最後に残ったグレッチュ~オーバーヴァルト間4.9kmは、2006年に起工式が挙行された。この間には、長さ578mのスパイラルトンネルや、ローヌ川(といってもまだ谷川)を渡る橋梁がある。

問題となったのは、オーバーヴァルト駅の手前で生じる幹線道路との交差だ。本来の旧線は道路をオーバーパスしていたのだが、道路が新線のトンネルの上を乗り越す形に改修されたため、旧線復活に際して平面交差とせざるをえなくなった。そこでラックレールを可動式にして、ふだんは道路面より下げておき、列車が通過する時だけ無線制御で上昇させる機構が考案された。

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道路との交差地点にある可動式ラックレール
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

終点は、既存MGB線の東側に、乗降場と転車台を含む設備が造られた。2010年8月にこの区間が開通を果たし、フルカ峠を越えるレアルプ~オーバーヴァルト間17.8kmは、保存蒸気鉄道として全面的に復活した。旧線の廃止から数えて29年目、保存鉄道の運行開始から18年目のことだった。

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オーバーヴァルト駅に到着
 

次回は、全通した蒸気鉄道に乗る。

本稿は、"Reiseabenteuer am Rhonegletscher - Dampfbahn Furka-Bergstrecke" Eisenbahn Kurier Themen 45、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
フルカ山岳蒸気鉄道(公式サイト) http://www.dfb.ch/

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