キームゼー鉄道-現存最古の蒸気トラム
キームゼー鉄道 Chiemsee-Bahn
プリーン・アム・キームゼー Prien am Chiemsee ~プリーン・シュトック Prien-Stock 間1.91km
軌間1000mm、非電化、1887年開通
◆
延長2km足らず、まるで遊園地から脱け出してきたかのような小さな蒸気鉄道がある。場所はドイツ南東部、ミュンヘンから西へ90kmのプリーン Prien という町。鉄道はキームゼー鉄道 Chiemsee-Bahn と称し、駅の裏手から、遊覧船がもやうキーム湖 Chiemsee の港へ走っている。
ミニ路線とはいえ、子ども向けの遊戯施設でも博物館の呼び物でもなく、1887年の開通から120年以上もその場所で営業を続けてきた本物の地方鉄道だ。地元では蒸気軌道 Dampfstraßenbahn と呼ばれ、現存するものでは世界最古だという。今回はこのユニークな鉄道を紹介したい。
*注 本稿では、地名はキーム湖、鉄道名は「キームゼー鉄道」と記す。
終点シュトック駅で乗客を待つ古典客車 |
改めてキームゼー鉄道の概要を書き留めておこう。起点はDB幹線のプリーン・アム・キームゼー Prien am Chiemsee(「キーム湖のほとりのプリーン」の意)、終点はキーム湖岸に築かれた港のすぐ前で、地名をシュトック Stock という。鉄道での呼称は、それぞれプリーン中央駅 Prien Hbf、プリーン・シュトック Prien Stock になっている。延長わずか1.91km(下注)、軌間1000m(メーターゲージ)の非電化路線だ。
時速20kmでのんびり走っても、所要時間は8分。中間駅はなく、基本的に1編成で往復している。運行期間は2012年の場合、5月26日~9月23日の毎日と、5月1日~22日の土・日・祝日で、キーム湖が観光客でにぎわうシーズン限定の営業だ。
*注 ここではドイツ語版ウィキペディアの数値を記載したが、公式サイトでは1.8kmとしている。
キームゼー鉄道周辺図 |
キーム湖は面積79.9平方kmで、日本で言えば宍道湖(79.16平方km)ぐらいだが、バイエルン州では最大、ドイツ全土でも3番目に大きな湖だ。この湖に浮かぶヘレン島 Herreninsel で、1878年、バイエルン国王ルートヴィヒ2世が、フランスのヴェルサイユ宮殿を模した城の造営を開始した。島全体に庭園を広げ、中心をなすノイエス・パレー Neues Palais(新しい宮殿の意)には70部屋を配置するという壮大な建築計画だった。
これは結局、未完成のまま終わったのだが、キーム湖が一躍注目されるようになったのは、1886年の王の死後、このヘレンキームゼー城 Schloß Herrenchiemsee がノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城などとともに、狂王の遺産として一般公開されたことがきっかけだ。それに加えて、ヘレン島の東には、より小さなフラウエン島 Fraueninsel があり、そこの女子修道院で造られる酒やマジパンは以前から人気を博していた。
湖が脚光を浴びると、プリーンはその玄関口となった。すでに1860年、この町を経由してミュンヘンとザルツブルクを結ぶ国鉄線(王立バイエルン邦有鉄道 Königlich Bayerischen Staats-Eisenbahnen)が開通していたのだ。駅に降り立った旅行者は、馬車や荷馬車を利用して港へ向かった。ただでさえ狭い田舎道は混雑をきわめ、都会並みの渋滞を引き起こしたといわれる。
キーム湖航路を運営していたルートヴィヒ・フェスラー Ludwig Feßler はこの状況を見て、ミュンヘンの有志と手を組み、駅と港を直結する鉄道の建設を提案した。工事は1887年5月2日に始まり、早くも7月9日に開通式が挙行された。ただし、このときの起点は現在の場所とは異なる。プリーンの旧市街は線路の西に広がっており、当然、駅前広場もそちら側にある。キームゼー鉄道は乗継の便を図るために、この広場を起点にした。
しかし、港は東側なので、どこかで国鉄線を横断する必要がある。新設路線の場合、ふつう既存の線路を乗り越すか下をくぐっていくのだが、なんとここでは平面交差していたのだ。もちろん交差地点ではキームゼー鉄道用に信号機が設置され、安全が確保されていた。しかし、国鉄にとっても運行管理上好ましいものではないため、1908~09年の冬に、起点は駅裏ともいうべき東側に移された。約2.2kmあった線路延長もこのとき1.91kmに短縮された。
小規模ながらも旅行者の足を支えていた鉄道だが、バスや自家用車が普及し、港の前に大駐車場が整備されるようになると、たちまち本来の役割を失ってしまう。しばしば運行休止の噂が立つ中でなんとか持ちこたえていたのは、終始一貫して、船会社が航路とセットで運営していたからに他ならない(下注)。
1970年代には列車の騒音が問題にされたりもしたが、1980年に文化財指定を受けたことで、ついに休止の議論は終息した。ノスタルジーを呼び起こす貴重な観光資源として、鉄道は今も湖を訪れた旅行者に愛され続けている。
*注 1965年から、キームゼー航路ルートヴィヒ・フェスラー合資会社 Chiemsee-Schifffahrt Ludwig Feßler KG が航路と鉄道を運営している。いうまでもなく社名は創業者の名をとったものだ。
列車を引っ張る蒸機はクラウス機関車製造所 Lokomotivenfabrik Krauss 製で、1887年の開業時からの在籍車だ。1957~58年の冬にボイラーを交換する改修を受けているものの、屋根付きの腰板ですっぽりと覆われ、路面機関車のスタイルを今に伝えている。「蒸気軌道」と言われるのはそのためだが、法的には、地方鉄道として認可を受け、準拠する運行規程も、路面軌道ではなく狭軌鉄道のそれだ(狭軌鉄道建設・運行規程 Eisenbahn-Bau- und Betriebsordnung für Schmalspurbahnen, ESBO)。実際に、道路との併用はないも同然なので、上物だけが路面軌道ということになる。
なお、蒸機が保守点検に入るときや週末限定の運行期間(下注)には、1962年製のディーゼル機関車が代役を務める。ディーゼルといっても、1982年に本鉄道に導入された際、蒸機に似せた外観に改造されたので、ロッドの有無など足回りを見なければすぐに見分けがつかないほどだ。
*注 サマーシーズンに入る前は週末のみの運行となる。蒸機を使わないのは、短時間の火入れと再冷却の繰返しでボイラーに負担がかかるからだという。私たちが訪れた日(2012年8月18日)もディーゼル機関車の運行だった。
客車も、よく整備された開業時からの2軸客車が使われている。サロンカーの1等車が1両、オープンタイプの2等車5両、クローズドタイプの2等車2両、それに手荷物室(後の改造)のある混合車1両という構成だ。車内は中央に通路がある開放座席だが、車両相互を渡る通路はない。そのため、巡回する車掌は、側面の渡り板を器用に伝って前の車両へ移っていく。
(左)起点プリーン(中央)駅 この日はディーゼル機関車の出番だった (右)客車も19世紀のもの 左側が2等、手荷物室をはさんで右が1等の混合車 |
(左)2等車の車内 (右)車両間の通路がないので、車掌は右の渡り板で行き来する |
最後に鉄道のルートを見ておこう。ミュンヘンあるいはザルツブルク方面からDB(ドイツ鉄道)の列車で来てプリーン駅で下車したら、駅舎の方には出ずに、地下道で反対側へ進まなくてはいけない。キームゼー鉄道のホームにも専用の駅舎があり、窓口では航路込みの切符も扱っている。時間がないときは、車内で車掌から買えばいい。
構内の線路はDB線と並行してまっすぐ延びているが、駅を出るとすぐ半径60mの急カーブで東に向きを変える。このまま湖へ向かう道路(ゼーシュトラーセ Seestraße、すなわち湖通り)に沿っていくのかと思いきや、まもなく左にカーブして道路を横断していく。この踏切は非常に浅い角度で入っていくので、外を眺めていると路面軌道を走っているような雰囲気がつかの間味わえる。
この後はほとんど住宅街の中で、左側を街路が並走する。そのうち左手で家並が途切れ、郊外に出たのかと思わせながら、また道路を横切る。これは先ほどの湖通りの続きで、そのまま列車は終点シュトックに滑り込んでいき、旅はあっけなく終わる。下車して進行方向に目をやれば、桟橋の先に、湖中の島と沿岸を巡る遊覧船が待っているはずだ。
(左)浅い角度で港へ向かう道路と交差 (右)終点に滑り込む。前方に湖が見える |
(左)夏の午後のシュトック駅 (右)遊覧船が待つシュトック港 |
本稿は、Marcus Hehl, "Die Chiemseebahn. 100 Jahre Dampftrambahn Prien - Stock" EK-Verlag, 1987 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
■参考サイト
キームゼー航路(鉄道を併営)の公式ページ
http://www.chiemsee-schifffahrt.de/
時刻表は、左メニューの「Fahrplan & Preise(時刻表および運賃)」からリンクしている。
運行会社の公式サイトにある日本語版パンフレット(リンク切れご容赦)
http://www.chiemsee-schifffahrt.de/files/chiemseeschifffahrt/flyer_japanisch.pdf
キームゼー鉄道の古典蒸機の写真
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:UpperBavariaChiemseeBahn_02.jpg
プリーン駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.8550,12.3477&z=18
シュトック港付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.8607,12.3654&z=18
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