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2012年11月25日 (日)

ヴェンデルシュタイン鉄道ーバイエルンの展望台へ

ヴェンデルシュタイン鉄道 Wendelsteinbahn

ヴァッヒング Waching ~ヴェンデルシュタイン Wendelstein 間 7.66km
軌間1000mm、直流1500V電化、シュトループ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配237‰
1912年開通(当初から電化)
1961年 ブランネンブルク~ヴァッヒング間 2.29km部分廃止

ガイドブックにも載っているツークシュピッツェ山 Zugspitze のそれ(下注)とは別に、同じバイエルンアルプスにもう一つの登山鉄道がある。標高1837mのヴェンデルシュタイン山に上っていく、その名もヴェンデルシュタイン鉄道 Wendelsteinbahn だ。実は前者より18年も早く開通した先輩格なのだが、ドイツの最高峰をめざす前者に比べ、全国的なアピールポイントに欠けるせいか、知名度が高いとはいえない。

*注 DBのガルミッシュ=パルテンキルヘン Garmisch-Partenkirchen 駅を起点とするバイエルン・ツークシュピッツェ鉄道 Bayerische Zugspitzbahn。1930年開通。

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山頂行き電車入線
 

おもしろいことに、ツークシュピッツェの登山鉄道がロープウェーと補完関係にあるように、ヴェンデルシュタイン山にも鉄道と反対側の山麓からロープウェーが架かっている。同じ会社の経営とはいえ、2本もアクセスルートを維持できるだけの需要があるということだ。きっと山頂には人々を惹きつける何かがあるに違いない。今回は、この知られざる名山とそこへ上るラック鉄道を紹介しよう。

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ヴェンデルシュタイン鉄道周辺図

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ヴェンデルシュタイン鉄道は軌間1000mm、ラック式・粘着式併用で、直流1500Vを動力とする登山鉄道だ。起点は標高508mのヴァッヒング山麓駅 Talbahnhof Waching、終点は山頂直下、標高1723mのヴェンデルシュタイン山上駅 Bergbahnhof Wendelstein、この1215mの高度差を最急勾配237‰、最小半径40mで克服する。延長7.66km(うちラック式区間6.15km)、ラックレールは鋸状の歯棹が1枚のシンプルなシュトループ Strub 式を使っている。

登山鉄道がほとんど無名なのは、幹線網と接続していない、いわゆる孤立線であることも一因だ。最寄りとなるのは、ローゼンハイム Rosenheim からチロル方面へ通じるDB(ドイツ鉄道)線上のブランネンブルク(ブラネンブルク)Brannenburg という小駅だが、現在の起点とは2km以上離れている。かつてはこのDB駅を起点としていたのだが、部分廃止により短縮されてしまったのだ。しかし、利用者はみなマイカーか観光バスで来るため、残念ながら、鉄道連絡が絶たれていても集客にはなんら影響がない。

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ブランネンブルク~ヴァッヒング間、廃止以前の旧図
(官製1:25,000 1959年追補版)
 

ちなみに、この間の公共交通機関としては、シーズン中、観光振興を期して運行されている「ヴェンデルシュタイン環状線 Wendelstein-Ringlinie」という路線バスがある(下注1)。しかし、1日2往復限りで、実際にはほとんど用を成さない。ブランネンブルクの駅前にはタクシーもいないので、列車で来た旅行者は初めから自分の足で歩く覚悟が必要だ。幸いにも廃線跡の大部分は、自然歩道として整備されている。小川に沿い、牧草地や林を縫って30分ほど歩けば、難なく登山鉄道の山麓駅に到達できる(下注2)。

*注1 ローゼンハイム交通会社 Rosenheimer Verkehrsgesellschaft m.b.H. が運行を請け負っている。2012年の場合、運行期間は4月28日~11月4日。公式サイト http://www.wendelstein-ringlinie.de/
*注2 筆者の現地訪問記参照(ルート図あり) http://homi.on.coocan.jp/totsu/sger11.html

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(左)現在のブランネンブルク駅
  右の建物付近に登山鉄道の乗場があった
(右)人けのないブランネンブルク駅正面
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牧草地に延びる廃線跡の遊歩道
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(左)ヴァッヒング手前の廃線跡は林の中
(右)現在のヴァッヒング山麓駅
 

それでは、登山鉄道のルートをたどってみよう。現在の起点、ヴァッヒング山麓駅は、ロッジ風の駅舎と2面2線の頭端式ホームをもっている。しかし、車庫と整備場はここになく、約1km谷を遡った場所(正確には起点から945m)に設けられている。その理由は後で考察するが、登山鉄道の本線筋から完全に外れているので、乗客が目にすることはない。

駅を出て500mほどは緩い上り勾配の粘着(ラックレールを使用しない)区間だ。しかし、車庫に向かう回送線を左に分けた直後から、ラックの必要な急坂が始まる。薄暗い谷川をなかば這うように上っていくが、すぐに明るい牧草地に出る。昔この付近、起点から1.3km地点に、ゲムバッハウ Gembachau という停留所が存在したのだが、とうに跡形もない。高度が上がって見晴らしがよくなったのもつかの間、また森に包まれてしまい、そのまましばらく上り続ける。ラックレールが中断するのは、3.1km地点だ。全線の中間部で、ちょうど階段の踊り場のような位置づけの粘着区間は、列車交換が可能なアイプル Aipl 停留所まで、1kmあまり延びている。

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(左)山麓駅のホームで列車を待つ人々
(右)開通100周年のプレートを掲げた列車が入線
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(左)運転台
(右)簡素な内装の車内
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車庫への回送線を左に分岐し、本線はラック区間へ
 

アイプルは標高980m(下注1)。リクエストストップの扱いなので、乗降客も対向列車もないときはあっさりと通過してしまう。停留所の山側、ささやかなミュールバッハ Mühlbach の流れを横切る4.1km地点でラックレールが再開すれば、この先、山上までもう急勾配が途切れることはない。線路はヴィルトアルプヨッホ Wildalpjoch の北斜面にとりつき、ぐいぐいと高度を上げていく。急坂の途中にある2つめの停留所ミッターアルム Mitteralm は標高1200m。ドイツ・アルペン協会の宿泊施設が近くに建っていて、レーアプファート Lehrpfad(下注2)に指定された登山路も経由するので、利用者がしばしばある。

*注1 アイプル、ミッターアルムの標高数値は、下記参考資料による。なお、官製地形図(1995年版1:25 000)ではそれぞれ973m、1199mとしている。
*注2 土地の自然環境や文化などに対する関心を高めるために、説明板などを整備した遊歩道のこと。英語ではEducational Trail、Educational Pathなどという。

やがて木立が疎らになり、進行右手に草に覆われた広いカール(圏谷)が望めるようになる。線路は荒々しく切り立ったゾインヴァント Soinwand の山肌に張り付き、行く手を遮る山脚を素掘りのトンネルで抜けていく。全線で7本あるトンネルのうち、5本がこのために掘られたものだ。ライントラーアルム Reindleralm の草地の向こうに下界の平野が顔をのぞかせる頃、高度は早くも1500mを越える。

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(左)急坂の途中のミッターアルム停留所
(右)断崖を素掘りしたトンネルが連続
 

カールの眺望に別れを告げて山影に回り込むと、いよいよヴェンデルシュタイン本体への登攀開始だ。切り石で固めた築堤を渡り、断崖下の雪崩避けを抜ける。行く手に現れるがっしりと積まれた石垣は、長さ127m、高さ17m。ホーエ・マウアー Hohe Mauer(高い壁)と呼ばれた難工事の象徴だ。続く長さ119mの第6トンネルでは、大きく半回転して高度を稼ぐ。一瞬の明かり区間があるが、またトンネル。その状態で標高1723mの山上駅のホームに滑り込む。通年運行するために、ホームはすっぽりと屋根に覆われ、外は見えない。降車したら、地下通路を伝って、山の南西斜面に設けられたレストハウスへ出ることになる。

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(左)ライントラーアルムの広い草地もみるみる眼下に
(右)ホーエ・マウアーを渡れば終点は間近
  右上に山上の教会が顔をのぞかせる
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山上から見たホーエ・マウアー
(右上の写真とほぼ同じ場所)
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(左)山上駅に到着
(右)反対側から上ってくるロープウェー

ヴェンデルシュタイン山の観光開発の歴史は1883年に遡る。この年、頂上直下100mの場所に山小屋が建てられた。バイエルンアルプスでは最初の有人小屋で、このころすでに山が登山客の高い支持を得ていたことを物語る。同時に始まった高山での気象観測も、バイエルンで最も早い例だ。続いて1890年には、ドイツ最高所となる教会が奉納された。

登山鉄道の構想は当時から存在していたが、本格的に動き出すのは1908年、実業家オットー・フォン・シュタインバイス Otto von Steinbeis による計画の公表まで待たなければならない。彼は1860年代からブランネンブルクを拠点に活動していたが、90年代にボスニアに進出して大規模な林業を営み、首尾よく成功を収めた。当地では、木材や製品を運搬するために約400kmの軽便路線網(下注)を整備していたため、鉄道経営にも通じていた。

*注 760mmのいわゆるボスニア軌間で建設され、シュタインバイス鉄道 Steinbeisbahn と呼ばれた。

ヴェンデルシュタインの登山鉄道について、彼は初めから電気運転を提案した。お隣のスイスでは1898年のゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn を筆頭に、ラック式鉄道の電化開業が相次いでいたからだ。しかし鄙びた村にはまだ電気が来ていなかった。そこで彼は、ヴェンデルシュタイン山塊を発する川から取水し、自前の水力発電所を設けて発電しようと考えた。併せて車両工場を隣接地に持ってくることで、要員確保を含め設備保守についても効率化を図った。同鉄道の車庫が今も始発駅から遠く離れた場所に置かれているのは、このためだ。

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車庫への引込線を示す平面図
 

ヴェンデルシュタイン鉄道の建設工事は1910年に始まり、2年の工期を経て1912年5月に開通した。断崖を削り、高石垣を積み上げるかなりの難工事だったが、発電所建設を含めて莫大な工費は、すべてシュタインバイス一人で賄ったという。

先述のように、開通時の起点は現DB線のブランネンブルク駅で、山頂まで全線9.95km(うち粘着式3.80km、ラック式6.15km)、片道75分を要していた。ところが第二次大戦後、道路交通量の増加に伴い、ブランネンブルク地内での平面交差が問題となった。支障を取り除くには、起点を村から離れた山麓に移すしかなかった。1961年12月にブランネンブルク~ヴァッヒング間2.29kmが廃止され、所要時間も片道55分となった。

なおも潜在的な危機は続いた。収支の悪化が進行していたのだ。そのような中、1970年に西麓のオスターホーフェン Osterhofen から山上まで、ロープウェー(ヴェンデルシュタイン ロープウェー Wendelstein-Seilbahn)が開通する。所要時間はわずか7分で、時間当り片道最大450名の輸送能力を有していた。登山鉄道のルートとは反対側になり、直接競合はしないものの、ゆくゆくは鉄道を置換える予定だったとされる。

しかしその後、観光資源としての価値が見直され、補助金交付などによって結果的に鉄道は全廃を免れた。1987年には、施設近代化のための改修が施された。1991年には、SLM/シーメンス社製の連節車両2編成が新たに導入された。新車両は、山上行き25分、山麓行き35分(2012年現在)と所要時間を従来の約半分にまで短縮し、鉄道の輸送能力は2倍に向上した。その陰で、創始期から活躍してきた電気機関車と古典客車は、定期運用を外れることになった。

冒頭で、山頂には人々を惹きつける何かがあると書いた。山岳スポーツの舞台というだけでは足りない。ヴェンデルシュタイン山の本当の魅力とは、実はその眺望の見事さだ。

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ガッハー・ブリックからヴェンデルシュタイン山頂を望む
 

侵食に抗して残った石灰岩の山頂は、周囲から抜きんでている。360度のパノラマを得るためには、必須の条件だ。さらに地理的に見ると、バイエルンアルプスの中でも北に張出している。そのため、ミュンヘン市街をはじめアルプスの北に広がる平野(アルペンフォアラント Alpenvorland)を間近に、かつ広範囲に見渡すことができる。同じように鉄道で気軽に上れるといっても、奥まったツークシュピッツェからでは平野は遠すぎて、眺望にならない。一方、北寄りにあるということは、南側にそびえる主峰群を一歩引いて眺められることも意味している。すなわち、アルプスの展望塔という点でも優位性が高いのだ。ちょうどスイスのリギ山 Rigi が早くから開発されたのと共通の好条件を、この山は有しているといえる。

天気のいい日にヴェンデルシュタイン鉄道に乗ることができたなら、その幸運を喜びたい。レストハウスから手近なガッハー・ブリック Gacher Blick の見晴台、あるいはジグザグのパノラマヴェーク Panoramaweg を20分上り詰めた真の頂上から眺める風景は、バイエルン州で最も美しいものの一つといっても過言ではない。

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山頂からアルペンフォアラント(北方向)の眺め
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山頂からバイリッシュツェル方面(西~南方向)の眺め
 

本稿は、"Wendelstein - Der Berg und seine Geschichte" Wendelsteinbahn GmbH, 2004、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
地形図はドイツ官製1:25,000 815 Brannenburg(1887年編集、1912年追補版)を用いた。Source from GeoGREIF http://greif.uni-greifswald.de/geogreif/

■参考サイト
ヴェンデルシュタイン鉄道(公式サイト) http://www.wendelsteinbahn.de/
鉄道沿線の詳細写真(廃線跡を含む) http://www.gleistreff.de/WZB.htm
ヴェンデルシュタイン山の写真集 http://wendelstein.yakohl.com/
 メニューの「Archiv(アーカイブ)」から、撮影時期ごとの写真集にリンクしている。
ヴァッヒング山麓駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.7253,12.0929&z=16
ヴェンデルシュタイン山上駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=47.7025,12.0137&z=16

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