オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 II
アッヘンゼー鉄道のたどるルートを、起点のイェンバッハから追っていこう。写真は今年(2012年)8月に現地を訪れた時のものだ。
イェンバッハ駅で発車を待つアッヘンゼー鉄道の蒸気列車 |
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ÖBB(オーストリア連邦鉄道)イェンバッハ Jenbach 駅構内は改修の手が加えられて、新線の駅とみまがうばかりだ。駅舎の東側、すなわちクーフシュタイン Kufstein 方の一角に、アッヘンゼー鉄道 Achenseebahn の出札兼売店と乗降ホーム、そして留置線の奥には機関庫も配置されている。同鉄道にとってここは車両基地だ。結構広い敷地を構えているのは、かつて貨物輸送も盛んだったからだろう。
2008年に事務所を改装して整備された出札兼売店には、絵葉書はもとよりピンバッジやTシャツ、資料本など鉄道グッズが並んでいる。ファンとしては、立ち寄らずに済ませることはできない。私たちは大人2人、小人2人の家族連れだ。売店でそう告げると、硬券1枚のファミリー切符 Familienkarte を出してくれて、ゼーシュピッツ Seespitz 往復で77ユーロ(7,546円)だった。片道7km足らずの乗車距離からすると相当高いが、大人1人の同区間往復は29.50ユーロなので、これでもいくらか割引されている。
乗車券(特別乗車券 Sonderfahrkarte) 裏面には鉄道の諸元が記されている |
2号機がアッヘン湖から戻ってきた |
鉄道は、ここイェンバッハからアッヘン湖畔のゼーシュピッツ(正式名称はゼーシュピッツ・アム・アッヘンゼー Seespitz am Achensee)まで6.76kmを結ぶ。次の発車は10時15分だ。私たちが着いたときには、すでに列車がホームでスタンバイしていた。急勾配を上る路線の鉄則で、機関車は坂下側、したがって後方に付けられている。3号機「アッヘンキルヒ Achenkirch」、1889年の開通時から活躍するラック式・粘着式併用の小型機だ。その前に連結されたデッキつきのオープン客車2両も、最初から使われている古参車両らしい。
接続時間がそれほどないので、満席になっていはしないかと気を揉んでいたが、杞憂だった。まだ十分空いている。かつて独占的な交通機関だった鉄道も、1955年に並行する道路が整備されて以来、クルマにその役割を譲った。加えてこの道路には、バスも1時間間隔で走っている(下注)。イェンバッハ駅のバス停は裏口(ツィラータール鉄道側)にあるが、列車で32分かかるマウラッハ Maurach まで、バスなら20分だ。かくして列車に乗るのは、それ自体が目的の客に限られる。
*注 ポストバス ÖBB-Postbus がイェンバッハ~アッヘンキルヒ Achenkirch 間で運行。VVT(チロル運輸連合)時刻表番号4080。途中、マウラッハでペルティザウ行きのバスに連絡する。
アッヘンゼー鉄道周辺図 |
蒸機列車は時刻通り、イェンバッハを出発した。この駅の標高は530mだが、サミットとなる中間駅エーベン(正式名称はエーベン・イム・チロル Eben im Tirol)は970mある。この高度差440mを克服する手段がラックレールだ。梯子状のリッゲンバッハ式を用いており、最急勾配は160‰にもなる。それに対して後半区間、エーベン~アッヘン湖畔は粘着式運転で、25‰までの下り勾配で降りていく。
構内のはずれ(起点から0.21km)で、早くもラック区間に入る。ラック区間の延長は3.43kmあり、坂を上りきるまで間断なく続く。さっそく車掌が検札に回ってきた。走行中に車外から声がかかるので、事情を知らない人はびっくりするかもしれない。客車は枕木方向に長椅子が並ぶコンパートメント式で、通路がないため、車掌は側面の渡り板を伝ってくるのだ。
(左)構内を出るやラックが始まる (右)車掌の検札は車外から |
斜面の住宅街を抜けていく間、ドレン切りの蒸気が勢いよく家の軒先まで達している。騒音と煙と蒸気に見舞われる沿線住民もたいへんだろう。続いて右側が森に覆われていくが、左側にはイェンバッハの町とイン川上流の眺望が開けている。谷の奥に顔をのぞかせる高山は、インスブルックの南方に広がるシュトゥバイ・アルプス Stubaier Alpen の一部だ。そうこうするうち、坂の途中に設けられたブルゲック Burgeck の停留所は通過した。リクエストストップなので、乗降する人がなければ停まらない。公式資料によるとここまでの勾配は115‰以下、この先は勾配がきつくなり、最急160‰に達する。
客車の座席は公園のベンチのような板張りで、車体の振動が直接伝わってくる。ぐいっと前に引っ張られ、すぐさま引き戻されるような小刻みな前後の動きと、レールから来る上下振動が混ざりあい、複雑な揺れ方をする。列車は時速8kmという、降りて走っても追いつけそうな実にゆっくりしたペースで上っていく。そのうち止まってしまうのではないかと不安になるほどだ。
(左)イェンバッハとイン谷の眺望 (右)眺望は途中で右側に移る |
坂の中間部で尾根筋をまたぐため、眺望が右側に移る。アッヘン湖方面へ行く道路が、ヘアピンカーブを描きながら下方から近づいてくる。遠方に望めるのは、イン川にツィラー川が合流するあたりだ。イェンバッハを起点にするもう一つの狭軌線ツィラータール鉄道 Zillertalbahn は、手前に見える尾根を回ってツィラー川が造る谷に入っていく。
高度が上がって見晴らしもいいが、楽しめる時間は長くない。まもなく両側とも森に覆われてしまうからだ。木立を縫って上ってくる旧道がヘアピンを繰り返しているのに、線路のほうは直登で、勾配の険しさが実感できる。力強いドラフト音が絶え間なく木立の中にこだまし、風向きが変わるとシンダ(石炭の燃えかすの黒い粒)がばらばらと所構わず降ってくる。
(左)ツィラー谷を遠望 (右)しかしまもなく森の中へ(動画からのキャプチャー) |
そんな蒸機列車ならではの我慢の旅も30分あまりで終わる。全線のサミットとなるエーベン Eben は、ドイツ語で「平らな」という意味のとおり、坂の上にある開けた土地だ。駅には、機回し兼用の待避線があり、機関車の付け替えが行われる。解結された機関車はいったん後ろに下がり、右側の線路を通って前方に移動する。定例の作業なので手慣れたものだ。
機関車が坂下側に付くのは、急勾配でもし客車の連結器が壊れたときに暴走の危険を回避するためだ。確かにこの先はずっと下り坂だが、勾配は最大でも25‰と普通鉄道並みなので、その必要性は低い。それでも手間をかけるのは、車道との平面交差があるため、機関士の前方視認を容易にするのが目的だろう。その証拠にこの作業は往路限定で、復路は終始、機関車は前方に固定されている。
エーベン駅 (左)機関車を列車の前方へ付け替え (右)駅手前の勾配標 左は水平が147m、 右は160‰の下り勾配が1045m続くことを示す |
駅に進入する対向列車(帰路写す) |
(左)ささやかな駅舎 (右)列車交換(帰路写す) |
地形図を見ると、エーベンの集落が載る高台は、湖のあるアッヘン谷 Achental の続きであることが推測できる。イン川に注ぐカースバッハ川 Kasbach が深い谷を造っているが、その下刻作用がまだ及んでいない部分ということになる。線路はこの狭い高台の山手に敷かれている。時速20kmまで出すので、上り坂に比べれば走りは軽快だ。
3分ほどで標高956mのマウラッハ Maurach に到着。数名の乗降があった。この付近には、高地リゾートらしいまとまった集落がある。時刻表では次が終点になっているが、この間に今年(2012年)、マウラッハ・ミッテ Maurach-Mitte(ミッテは中央の意)という停留所が新設された。旧来のマウラッハからわずか500mほどの地点だ。
新停留所をはさむ延長460mの区間は、2002年にルート変更が行われている。旧ルートは、弓なりに緩く曲がる道路に寄り添っていたが、これを道路から離してほぼ直線化した。線路と道路の間にできた空地は、交差点のロータリーと小公園に供されたが、さらに、今回、一部が停留所にも活用されたわけだ。
砂利を敷いた低いホームにバス停のような標識が1本立っているだけの至って簡素な造りだが、私たちの列車では往復とも利用者が見られた。停留所ができたことで、北側のエアフルター・ヒュッテ Erfurter Hütte(エアフルト小屋)へ上がっていくローファン ロープウェー Rofanseilbahn の乗場へは、ここが最寄りになった。
(左)既存のマウラッハ停留所 (右)新設のマウラッハ・ミッテ停留所 |
すでに進行方向には、淡いブルーの湖面と優雅に浮かぶヨットの群れが見え隠れしている。アッヘン湖は長さ9.4km、最大幅1kmの氷河湖で、チロル州では最も大きな湖だ。大きいだけでなく、風の条件がよいため、ヨットやウィンドサーフィンの適地になっていて、チロルの海 Tiroler Meer という別称があるそうだ。列車は牧草地の間をすべるように降りていき、湖岸を少し走って、桟橋のある終点ゼーシュピッツに時刻通り11時に到着した。
行く手に湖が見え隠れする |
船と連絡する終点ゼーシュピッツ |
標高931m、高原の湖畔も日差しは強いが、涼風が吹いて爽快だ。背後に森が迫るため、簡易レストランと売店を兼ねた駅舎の周りに、人家は1軒もない。桟橋の先で遊覧船が待っていて、乗客の多くはそれに乗換える。リゾート地ペルティザウ Pertisau をはじめ、湖岸の主要ポイントを巡っていく船だ。湖に蒸気船が就航したのは1887年で、鉄道開通の2年前だ。20世紀に入ってディーゼル船に交替したが、今も蒸気鉄道とともに周遊観光の主軸を担う。
一方、残された列車には、代わりにイェンバッハに戻る客が乗込み始めた。機関車は湖から引いた水道で給水を受けた後、客車を推して待避線まで後退し、機回しされて前面に付く。10分あまりで一連の作業を終えた列車は、再びエーベン方向へ元気に出発していった。
(左)復路に備えて給水 (右)イェンバッハへ帰る列車(動画からのキャプチャー) |
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アッヘンゼー鉄道の運行スケジュールは、2012年の場合、5月26日から10月7日のハイシーズン中が7往復、5月1日~25日と10月8日~28日の「前後」シーズンは3往復だ。それ以外の期間は休止となる。
本稿は、英語版公式ガイドブック "Achensee Steam Cog Railway" Management of Achenseebahn-AG. 10th revised edition, 2009 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
■参考サイト
アッヘンゼー鉄道(公式サイト) http://www.achenseebahn.at/
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